カール・バルト(その生涯と神学の総体像)を理解するためのサイト

カール・バルト『教会教義学 神論T/1  第5章 ~の認識』

――この論述については、<再>推敲および<再>整理が完了済です――

◎カール・バルト『教会教義学 神論T/1 ~の認識』記事一覧

◎1の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

1の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「一 神の前での人間」(3−8頁)再推敲・再整理版です。カール・バルト『教会教義学 神論T/1 ~の認識』吉永正義訳、新教出版社に基づく「二十五節 ~認識の実現」 バルトは、次のような定式化を行っている。 ~認識は、...

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◎2の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

2の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「一 神の前での人間」(8−26頁)再推敲・再整理版です。「神認識の実現」は「どのように起こるのか」、神認識は「どの程度まで……されるのか」 イエス・キリストにおける神の自己「啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力...

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◎2の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

2の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「一 神の前での人間」(8−26頁)再推敲・再整理版です。 イエス・キリストにおいて自己啓示・自己顕現されたキリストにあっての神は、「自己自身である神の自由」(ご自身の中での神の自由、「父なる名の内三位一体的特殊性」...

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◎3の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

3の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「一 神の前での人間」(26−54頁)再推敲・再整理版です。 「神認識は信仰の認識である」――この人間が人間的に所有する人間の信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)は、...

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◎4の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

4の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「二 人間の前での~」(邦訳54−86頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の前での~」 「一 神の前での人間」において、われわれは、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業で...

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◎4の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

4の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「二 人間の前での~」(54−86頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の前での~」 神の「秘義性」とは、「われわれは~を、~がご自身をわれわれに対して認識すべく与え給う仕方に従って認識するということである」。したがっ...

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◎5の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

5の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「二 人間の前での~」(87−114頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の前での~」 キリストにあっての神は、「自己自身である神の自由」(ご自身の中での神の自由、「父なる名の内三位一体的特殊性」・「神の内三位一体的父...

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◎5の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

5の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「二 人間の前での~」(87−114頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の前での~」 ご自身の中での神としての聖性・秘義性・隠蔽性において存在する「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする「父なる名の内三位一体的...

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◎5の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の...

5の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「二 人間の前での~」(87-114頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の前での~」 「われわれは今、神の啓示に基づくわれわれの神認識」の――すなわち、神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストにお...

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◎5の4教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実...

5の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十五節 ~認識の実現」「二 人間の前での~」(87-114頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の前での~」 ~の側からする「必然的な条件づけ」――すなわち聖性・秘義性・隠蔽性において存在する神の不把握性の下に立たされている、終末論的限界の...

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◎6の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

6の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(115-137頁)再推敲・再整理版です。「二十六節 神の認識可能性」「二十六節 ~の認識可能性」について、バルトは、次のような定式化を行っている。 神認識の可能性は~からしては、次のこと――神ご自...

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◎6の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

6の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(115-137頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」(その6-2) 「われわれの現実の神認識の実現の基礎にある」、「われわれの間での、われわれにとっての、神の認識可能性」は、「先ず第一に、本来...

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◎7の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

7の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(137-154頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」 ご自身の中での神としての自己還帰する対自的であって対他的な(すなわち、完全に自由な)聖性・秘義性・隠蔽性において存在する「失われない単一性...

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◎7の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

7の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(137-154頁)再推敲・再整理版です。「一 ~の用意」 7の1で述べた「脈絡全体の中で」、われわれは、「われわれに(≪啓示の≫)真理が啓示されるところの(≪啓示の≫)真理を<神の適意>と同一視し...

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◎8の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

8の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(154−177頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」 われわれが、「ローマ・カトリックの教説との……対決」で「示したこと」は、次の点にある――先ず第一に、「(われわれが教会の頭および牧者として...

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◎8の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

8の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(154−177頁)再推敲・再整理版です。「一 ~の用意」(2)われわれは、神の認識可能性について問う時、「~の言葉と霊の恵みの中にある神の用意以外」の人間的な「教育的な、牧会的な観点を尋ね求めなけ...

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◎9の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

9の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(177−203頁)再推敲・再整理版です。「一 ~の用意」(3)「~の認識可能性」は「~の言葉と霊の啓示の中での~の恵みとあわれみと同一視されなければならないというわれわれの命題」は、第一の形態の神...

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◎9の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識...

9の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(177−203頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」 われわれは、「創世記六・五、八・二一」で、「~から見て」、「二度……人間の心の思いはかること」は「いつも悪い事ばかりである」、「人が心に思...

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◎10の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

10の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(203−231頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」(4)第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示ないし和解の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書(その最...

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◎10の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

10の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(203−231頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」 われわれは、「聖書の中で、宇宙の中での人間」は、「その自己理解の中で、……すべてのことを通し貫いて、神のみ心に適う人間の存在、換言すれば...

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◎10の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

10の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(203−231頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」 「(中略)世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現われており、これを通して神を知ることができま...

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◎10の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

10の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「一 ~の用意」(203-231頁)再推敲・再整理版です。「一 神の用意」 パウロは、神の恵み、キリストの福音、福音の言葉を対置させることで、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異...

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◎11の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

11の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(232-254頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 「教会史的現象」としてある自然神学には「客観的な可能性」や「客観的な生命力」は存在しないと「否定的な判断を下し」、その自然神学を包括...

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◎11の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

11の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(232-254頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の「鍵となる立場」は、「神認識に対する人間の用意の問題の探求」に対して、神の側の真実と...

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◎12の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

12の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(254-281頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 「教会史的現象としてある自然神学の巧妙な名人芸」は、「起源的な力と独占的な立場を決して放棄することなく」、それ故に「啓示神学を意識的...

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◎12の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

12の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(254-281頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 先ず以て先行する「神の用意」に包摂された後続する「人間の用意」という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」。したが...

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◎12の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

12の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(281-302頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 「われわれには、どうしても答えなければならないひとつの問い」――すなわち、「本当に分かったかどうかという問い」、その「吟味のための問...

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◎12の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

12の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(281-302頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 われわれは、「聖霊を通して、信仰の中で、……生きる」。言い換えれば、第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示ないし和解...

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◎12の5『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

12の5『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(302-326頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 われわれは、次のことを聞いた――すなわち、~の側の真実としてある、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意ができているところの...

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◎12の6『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認...

12の6『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(302-326頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の用意」 「一九三四年五月三一日のバルメン宗教会議の神学的宣言の第一条」――「『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらな...

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◎13の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

13の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「一 神の隠れ」(327-340頁)再推敲・再整理版です。「一 神の隠れ」 バルトは、次のような定式化を行っている。 神はただ神を通してだけ認識され給う。そのようなわけで、われわれは、神を、われわれが神の啓示に対し...

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◎13の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

13の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「一 神の隠れ」(340-359頁)再推敲・再整理版です。「一 神の隠れ」 われわれは、自己自身である神としての自己還帰する対自的であって対他的な(完全に自由な)(下記の【注1】を参照)聖性・秘義性・隠蔽性において...

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◎13の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

13の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「一 神の隠れ」(340-359頁)再推敲・再整理版です。「一 神の隠れ」 われわれは、「昔の教会と神学の中で、神の不把握性について語られていることに対して、批判的に評価し、またはっきりと言葉に出して補充し、正さな...

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◎13の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

13の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「一 神の隠れ」(359-374頁)再推敲・再整理版です。「一 神の隠れ」 「源泉と規準」は、あの総体的構造における三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観...

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◎14の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の1『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(375-395頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 ここにおいて、われわれは、神の側の真実としてある神のその都度の自由な恵みの決断による<総体的構造>(下記の【注1】...

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◎14の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の2『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(395-424頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 自己自身である神としての自己還帰する対自的であって対他的な(完全に自由な)聖性・秘義性・隠蔽性において存在している...

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◎14の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の3『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(395-424頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 「……われわれは今、……ゆるされるということがわれわれの認識の行為そのものにとって何を意味しているのかを、さらに正...

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◎14の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の4『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(424-449頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 啓示認識・啓示信仰、信仰の認識としての(キリストにあっての)神認識、人間的主観に実現された神の恵みの出来事の「本来...

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◎14の5『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の5『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(424-449頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 われわれは、自己自身である神としての自己還帰する対自的であって対他的な(完全に自由な)聖性・秘義性・隠蔽性において...

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◎14の6『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の6『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(449-468頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 われわれは、神の側の真実としてあるイエス・キリストにおける神の自己啓示からして、キリストにあっての「啓示自身が持っ...

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◎14の7『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識...

14の7『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十七節 神認識の限界」「二 人間の神認識の真理性」(449-468頁)再推敲・再整理版です。「二 人間の神認識の真理性」 われわれは、「われわれの思想の歩みの中心概念」が、「神の恵み(下記の【注1】を参照)の概念でなければならなかったこ...

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