このホームページの志向性 

 

 私は、バルト者ではあっても、バルト主義者でも反バルト主義者でも中立主義者でもない。ただバルト自身の主要著作に即してのみ論じて行くことを原則としているバルト者として、自分自身を自己認識し自己理解し自己規定している者である。何故ならば、論稿対象がカール・バルトである時、その論稿内容の客観的な正当性と妥当性を保証するものは、先ず以てはカール・バルト自身の主要著作の言葉(その思惟と語りの総体)に即したものであるかどうかという点にあると考えるからである。したがって、私は、バルトの<主要著作に即した論稿>を、すなわちバルト自身の<思惟と語りの総体>を、今後も<再推敲し再整理して行く>という仕方で、さらに深化させ豊富化させて行きたいと考える者である。

 そして、このホームページは、「教会の宣教をより危険なものにしてしまう」のは、われわれキリスト者が、「正しい注釈を、最終的に……〔キリスト教的神学者、キリスト的著述家、教会指導層を含めた〕教会の教職の判決に、……間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問〔人間学的神学〕の判決に、依存させてしまうところにある」(『教会教義学 神の言葉』)ことからして、またわれわれキリスト者は誰であれ、「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師の神学が悪しき神学でなく、良き神学であるということに対して、共同の責任を負っている」(『啓示・教会・神学』)ことからして、われわれキリスト者が誰であれ、自分の出来得る範囲内において、その責務を果たして行くことができるために、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書の中で証しされている<啓示>神学的な知識と方法(コリント3・10-11、エフェソ2・14以下)を、第二の形態の神の言葉である「聖書への絶対的信頼」(『説教の本質と実際』)に基づいて第三の形態の神の言葉である教会の宣教にとって最善最良の神学を構成したカール・バルトのその生涯と神学を<トータルに>把握するという仕方で、提供する場所である。

 そのような訳で、私の現在のホームページカールバルトその生涯と神学の総体像)」は、最初の論稿を再推敲し再整理した◎論稿、さらに再推敲し再整理した◎PDF論稿、それからまだ再推敲し再整理していない論稿が混在しており煩雑であるので、KDDIが運営する永遠無料のJimdo(httpsとサーバー機能が揃っているホームページ作成ソフト)を利用した<保管庫>としてのこの新しいホームページカールバルト――その生涯と神学をトータルに把握するための研究>」(その1)「カールバルトをトータルの把握するためのキーワード以降には、<随時>、◎論稿と◎PDF論考を再推敲し再整理した<最終版>論稿<だけ>を、またさらに再推敲し再整理した内容が類似している◎論稿および◎PDF論稿を一つにまとめた論稿<だけ>を、移行させて行きたい

◎  カールバルト――その生涯と神学をトータルに把握するための研究>」(その2)「カール・バルトの生涯についての新しいホームページ

  カールバルト――その生涯と神学をトータルに把握するための研究>」(その3)『教会教義学 2 第二章 神の啓示> 三位一体の神についての新しいホームページ

 「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」(その4)カール・バルト『教会教義学 神の言葉Ⅱ/1 神の啓示<中> 言葉の受肉〔新約聖書の中で聞くことのできる最後の言葉、イエス・キリストの<名>〕』についての新しいホームページ

 なお、私は、その当時においても、現在においても、これからにおいても、私を受け入れて育ててくれた母教会の戸田伊助牧師(2020年逝去)および教会員の皆さんに対して感謝の念を抱いている者であるし、退職後に移住した仙台市において私を受け入れてくれた教会の牧師および教会員の皆さんに対しても感謝の念を抱いている者である。このことは、ここに記しておきたいと思う。また、私は、私にもカール・バルトを読むことができる機会を与えてくれたところの、『福音と律法』および『教会教義学』(和解論)等を翻訳した井上良雄、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』および『教会教義学』(神の言葉、神論、創造論)等を翻訳した吉永正義の誠実な翻訳者に対して、尊敬と感謝の念を抱いている者である。

 

凡例

1.引用文中の〔〕書きは、私が加筆したものである。したがって、その加筆に疑問を感じた方は、当該引用文献に即して自由に考えていただいて結構である。

2.専門書の神学書は高額であるので、蔵書家でない限り、購入しなくてもよいと考える。何故ならば、バルトの翻訳本および原書本は、旧帝大等の大学図書館ならば、すべて揃っているであろうから、最大限に大学図書館を利用された方がよいと考えるからである。実際に私は、東北大学の図書館を時々利用した。大学には学食もあるので、昼食にも困ることはない。

3.既出の引用については、その文献名を省略している場合があるが、ご容赦願いたい。

4.十分に注意はしているが、引用上等の不備があった場合は、ご容赦願いたい。

5.「indem」について、2017312日以降、吉永正義訳の「……する間に」をすべて、井上良雄訳のように「……することによって」と引用し直している。

 

拙著に対する「批評と紹介」――

 拙著:『全キリスト教、最後の宗教改革者カール・バルト』キリスト新聞社、2013826日発行の「本・批評と紹介」:関田寛雄=日本基督教団神奈川教区巡回教師、青山学院大学名誉教授(一般財団法人キリスト教文書センター『[月刊]キリスト教書評誌』「本のひろば」20142月号)

 なお、拙著について正直に言えば、内容等の推敲・整理<不足>を否むことはできないので、私は、現在のホームページ「カール・バルト(その生涯と神学の総体像)」において、さらなる<再推敲>と<再整理>等を行うという仕方で、最善最良のトータルなカール・バルトについての論考を目指していた。しかし、まだ再推敲と再整理が<不足している>と考えるので、私は、さらなる再推敲と再整理をするという仕方で、この新しいホームページ「カール・バルト――その生涯と神学を<トータルに>把握するための<研究>」を開くことにした。