本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

様々な時評

様々な時評記事一覧

論述1:新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責...

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−1) 私は、2017年12/21更新記事:派遣社員に「突然来た契約終了の通告」と12/29更新記事:『教会教義学 神論T/2 六章 ~の現実 二十八節 自由の中で愛する方としての神の存在 二 ...

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論述2:新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責...

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−2) さて、ここから、教条主義化した教団の戦責告白<再考>について、その不可避的な問題について論じてみたい。(1)先に抜粋した教団の戦責告白は言う、「<まさに国を愛する故にこそ>、キリスト者の...

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論述3:新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責...

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−3) バルトは、第二次大戦後、次のように述べている――◎「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って...

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論述4:新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責...

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−4) 教団の戦責告白は、また現存する教団(教会)は、先ず以て<まさに>教会の主・頭であるイエス・キリストをのみ愛するが故にということを第一義性・価値性として無条件に前提するのではなく、無条件に...

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論述5:新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責...

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−5) さて、吉本が、自ら述べているようにマルクス者であってもマルクス<主義>者ではなかったように、バルト者ではあってもバルト<主義>者ではない私が、今まで<バルトと共に>と述べてきたことは、次...

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派遣社員に「突然来た契約終了の通告」(ヤフーニュース)を読んで思ったこと

派遣社員に「突然来た契約終了の通告」(12/20掲載されていたヤフーニュース、錦光山雅子/ハフポスト日本版ニュースエディター)を読んで思ったこと 「3カ月契約という細切れの更新を繰り返しながら、2001年から同じ会社で17年近く事務の仕事を担ってきた派遣社員(渡辺さん、58歳、給料手取り22万円……...

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佐藤優の宗教、神学、等々の、ほんとうの位相――余談の余談として

 さて、先ずは、根本的な誤謬に「普遍性や組織性の後光をかぶせて語」っている佐藤優の『はじめての宗教論 右巻・左巻』に対する、拙著での根本的な批判を整理しておきたいと思う。1)佐藤の往還思想なき、一面的皮相的な形而上学的救済理解 佐藤は、『右巻』で、「究極的な救済をどう得るかという視座から宗教について...

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キリスト教界時評――新年早々、考えさせられたこと

キリスト教界時評――新年早々、考えさせられたこと 新年早々、私の全く知らない、かつてファン・ルーラーに依拠した手紙をいただいた方から、また突然、今回は<年賀はがき>をいただき、やはり読み難い字があったり、○禁という丸の中に禁が入った字があったりで、内容的に難しいというよりも理解しづらい文章であったの...

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キリスト教界時評――<続>前回の日本基督教団との関係において日本カトリック教会「...

<続>前回の「平和のために祈り」(日本キリスト教団)との関係において、日本カトリック教会の「抗議声明」(日本カトリック正義と平和協議会会長)について考える。 カール・バルトの『教会教義学 神の言葉』「三章 聖書」「二十節 教会(≪「神の言葉の三形態」の第三の形態≫)の中での権威」「一 言葉の権威(≪...

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キリスト教界時評――「戦後70 年にあたって平和を求める祈り」(日本キリスト教団...

キリスト教界時評――「戦後70 年にあたって平和を求める祈り」(日本キリスト教団 第39総会期第3回常議員会 2015年7月14日 可決)、について考える 日本キリスト教協議会のホームページにも、この祈りの内容と同じような主調音で書かれた、「敗戦70年にあたって」という「平和」についての日本キリスト...

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キリスト教界時評――神学における批判の原則

キリスト教界時評――神学における批判の原則 バルトは、「読まれる」だけでなく、「理解される」ことを欲した(『バルトの生涯』)、「全構築(≪その信仰・神学・教会の宣教の、その原理・その認識方法と概念構成それ自体≫)」において、全体的構成において、根本的包括的に原理的に理解されることを欲した。したがって...

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富岡幸一郎『使徒的人間――カール・バルト』の、この「使徒的」という概念の使い方は...

 富岡は、バルト神学の中心的主題が、 「イエス・キリストの出来事に排他的に集中す ること」、 「キリストにおいて啓示された神への集中」、 「キリスト論的集中」にあると述べている。そ して、この「キリスト論的集中」概念から、バルトは「ナチズムという二十世紀の神話の無根拠性をあきらかにし」(【下記の注1...

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