新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−3)
新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−3)
バルトは、第二次大戦後、次のように述べている――◎「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす」、ゲルマン民族のドイツ国家共同性を第一義性・価値性とした国家社会主義ナチス・ドイツに加担したドイツ・キリスト者(特に指摘すべきは、成員をそこへと追いやった指導層)が演じた「近代劇」が、すなわち総括的に言えば、徹頭徹尾、完了・成就された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し、イエス・キリストをのみ教会の主・頭として「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」の信仰・神学・宣教を志向し目指すことをしないところの、それ故に無条件に政治的近代国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し、キリストの福音(啓示)とは二元論的にあるいは二元主義的に独立させて措定した社会的政治的な実践(運動)を志向し目指すところの、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教、そういう信仰論、宣教論、自然神学を主張する者たちが、「『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」、◎「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」、「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した、「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(『バルトの生涯』)。
さて、教団の戦責告白には、「教団が……日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように」という文言と、一方で「ことに(≪第一に≫)アジアの諸<国>、そこにある<教会>と<兄弟姉妹>、また(≪次に≫)わが国の同胞にこころからのゆるしを請う」という文言から、<地域アジア>に強調点があると言うことができる。また、この教団の戦責告白は、戦争に加担して行った教団(教会)指導層のその教会論、宣教論、神学の問題、信仰的・神学的実存の問題については全く触れられても・述べられてもいないという点に特徴がある。本当は、イエス・キリストの教会の成員の健全さが保持されるためには、イエス・キリストをのみ主・頭とする「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を志向し目指すイエス・キリストの教会は、神の言葉の第二の形態に属する使徒パウロや教会の宣教にとって最善最良の神学を構成し展開した第三の形態に属するバルトのような指導者および指導層が必要なのである、それ故にそのような指導者および指導層が与えられることを主イエス・キリストに祈り求めるべきなのである。このことを認識し自覚していない教団の戦責告白は、先ず以て、イエス・キリストをのみ主・頭とすべき教団(教会)が、イエス・キリストをのみ主・頭としなかったが故に敗北したのである。その教団の戦責告白は、そのような敗北の構造の総括を全く明確な形で為していないだけでなく、それ故にそれは、キリスト教的著述家の佐藤や富岡と同じように、旧態依然として、情緒的に曖昧に、先ず以て無条件に「国」・「祖国」、政治的近代国家、民族国家を前提し、「<まさに>国を愛する故にこそ」という祖国愛を第一義性・価値性として告白しているのである。このことは、読めばすぐに分ることであるが、教団の戦責告白だけでなく、「平和を求める祈り」においても言えることである。このような教団(教会)の実態の中で、ただバルトの一部分を拡大鏡にかけて全体化し、形而上学的一面的固定的に抽象したバルト論しか展開することのでき得ていない、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会」の日本のバルト研究者たちはすべて、この教団の戦責告白においても、「平和を求める祈り」においても、何の役にも立たなかったのである。また、事実的には、現存する日本基督教団の在り方は、世界史的普遍性、すなわち人類史的普遍性に開いていくという仕方ではなく、換言すれば民族としての<地域アジア>へ、<地域韓国>へ、<マイノリティ>へと閉じられていく仕方で、在日大韓基督教会総会と協約締結をし、2017年の「日本基督教団・在日大韓基督教会 平和メッセージ」では「日韓のキリスト教会の間において、(≪地域アジアを基軸として、特に日韓を基軸として≫)和解と平和をめざす誠実な歴史認識の共有と相互交流と宣教協力の道を、いっそう力強く推進してゆく所存であります」と述べ、特に日韓交流・協力に強調点を置いているのである。また、日本キリスト教協議会は、元号問題や靖国問題を法的言語を介して法的に扱おうとしているのであるが、そのような彼らが、人類史のアジア的段階における天皇制的なものを無化する課題を明確に提起できないことは自明的なことである。そのような扱い方の場合、どうしても世界史的普遍性、すなわち人類史的普遍性を無視して、人類史のアジア的段階における民族性を、ナショナルなものを付着させてしまう危険性を、ある特定の民族に閉じられていく危険性を持っているのである。何故ならば、そのような知識・思想、そのような集団・共同性は、党派的な知識・思想、党派的な集団・共同性として、世界史的普遍性、すなわち人類史的普遍性に対して、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民に閉じられていくからである。したがって、徹頭徹尾、「イエス・キリストの名」にのみ感謝をもって信頼し固執して、イエス・キリストをのみ教会の主・頭としたバルトが、教会の宣教を、その思惟と語りを、「より危険なものにしてしまう」のは、ある「特定の人種、民族、国民、国家の特性・利益と折り合」おうとするところにある、と述べたことは全く正しいことなのである(『教会教義学 神の言葉T/1・2』)。ある一面に、ある一部に閉じられていく宣教、その思惟と語りは、党派性、党派的思想、党派的集団、党派的共同性、党派的多元主義へのベクトルを持っているそれなのである。
さて、人類史におけるアジア的段階概念で括ることのできる日本に根強く残る伝統的な自然思想について、芹沢俊介は、『主題としての吉本隆明』で、吉本の史観の拡張論(『アフリカ的段階について 史観の拡張』)に依拠して、次のように述べている――例えば「日本語は今どうあるのかを考えることは、日本語はどこからきて、どこに行こうとしているのかを考えることだ。そうしないと日本語はある段階(≪例えば8世紀の奈良時代、人類史におけるアジア的段階≫)に停滞し、そこでナショナルなもの(参照――下記の〔注1〕)をはじめとしてさまざまな政治的、文化的世界の意図を付着させてしまう。日本語の起源の追究について、政治的文化的意図を付着させてはいけないということだ(≪参照――下記の〔注2〕≫)。(中略)ある段階の真理(≪例えば、世界史的普遍性、すなわち人類史的普遍性の観点に立てば、世界史的な地域としてのアジアにおける修身斉家治国平天下という政治思想は、経済的基盤を農耕に置いていた人類史のアジア的段階においてのみ世界普遍性を獲得し得ていたそれなのである≫)――ナショナルなもの――は、それ以前(≪人類史的に、世界のどの地域にも存在していた世界普遍性を持っている、人類史の原型・母型・母胎、例えばブラック・アフリカ的段階、縄文的段階、先住の北米インディアン的段階等≫)のあるいはそれ以後(≪例えば、近代以降これまでにおいて世界普遍性を獲得していた、しかし現在危機に見舞われている「西欧の危機」、西欧の終焉・死以降≫)の段階の真理を無条件で主張することはできない」(参照――下記の〔注3〕)、と。言い換えれば、人類史の西欧的段階における「西欧の危機」の問題、すなわち現在を止揚し克服すること、資本主義の終焉・死、西欧の終焉・死を考えること、すなわち人類史の未来を考察することは、アジア的段階のある社会的な政治的なナショナルなもので置き換えることでは決してなくて、人類史的にどの地域にも存在していた人類史の原型・母型・母胎であるアフリカ的段階や縄文的段階等にまで、交換価値論ではなくその段階に存在していたさまざまな贈与価値論にまで、時間を遡って掘り下げ考察することでなければならないのである。なぜならば、文明史的な尖端性にある現在において、天皇制的なものの無化にとって重要な南島論やアイヌ論を人類史のアジア的段階を基軸にして扱った場合には、尖端と土俗の対立、先進地域と後進地域の対立、都市と農村の対立、西欧と第三世界の対立の問題としてのみ扱われて、それ以上でもそれ以下でもなくなってしまうからである、史観を拡張することはできないからである、人類史のアジア的段階に閉じられてしまうからである。したがって、人類史のアジア的段階の日本における言語や宗教祭儀や権力の構成等天皇制的なものの無化のためには、人類史の原型・母型・母胎における例えばアイヌにまで時間を遡って掘り下げ考察することでなければならないのである、また例えば南島の基層を考察し掘り下げていくことでなければならないのである(吉本『琉球弧の喚起力と南島論』)。したがってまた、縄文、アイヌ研究を行っているにもかかわらず、人類史のアジア的段階に立脚して、「アジアの思想をアジア人がよく考えて、それが今後、世界性を持つんだということをはっきり主張していかなくてはダメです」(梅原猛・上田正昭『日本という国 歴史と人間の再発見』大和書房)と主張している梅原猛の思惟と語りの方法を、そのような地域アジアを基盤としたナショナルな思惟と語りの方法を首肯することはできないのである。なぜならば、前述したように、地域アジアを基盤としたそうした考察と扱い方では、西欧とアジアの対立論、尖端と土俗の対立論で終わってしまうからである。
前述したような思考方法に対して、吉本、次のように述べている――本居宣長が、『古事記』にあらわれた8世紀以降の日本を問題にしたように、すなわち宣長が「もののあわれ」とは、『古事記』神話をそのあるがままに受け入れるということであり、それゆえ詩歌の起源は『古事記』に最初に出てくる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」にあると述べたように、また天皇制に文化的な価値観(漢学的な美意識)を収斂させていった三島由紀夫のように、「歴史的に<天皇制>を問題とするとき、歴史時代的に(≪8世紀以降の人類史のアジア的段階におけるそれとして≫)これを問題にしたらだめで歴史時代以前の視点(≪アジア的段階の前の、人類史の原型・母型・母胎である縄文的段階の視点≫)を包括する眼で問題にしなければ、在日朝鮮人問題や南島問題や島嶼住民俗の問題を包括する」ことはできない、と。言い換えれば、現在的に日本語の起源の問題を考えること、その問題を止揚し克服することを考えること、すなわち未来を考えることは、8世紀以前の人類史のアジア的段階の前にまで、すなわち起源としての日本人、起源としての日本、起源としての日本語にまで時間を遡って掘り下げ考察することでなければならないのである。神であり人であり、尊ばれると同時に蔑まれた<神人>は、人類史のアジア的段階においては、差別用語ではなく、非農耕民を総称した呼び方であり、その非農耕民は村のはずれで手厚く処遇されたのである。処遇からすれば、天皇も<神人>の一人であった。ただ天皇は、政治的に専制君主として権力を有していた。また、天皇族の祭儀は、それより古い中国や南島の祭儀に基づいたものであり、儒教や仏教の知識も農耕技術も大陸からの輸入によるものであった。すなわち、祭儀ひとつとっても、天皇族独自の祭儀はなかった。このことを、その起源である大和朝廷が成立した古墳時代以前にまで時間を遡って掘り下げ考察することで根拠づけることができれば、天皇制的なもののを無化することができるのである。この無化の課題は、日本においてまだ「山の民」と「海の民」と「陸の民」の「相互変換が可能であった共同体の水準」、「<法>が法以前の<宗教>的な<威力>であったときの共同体の水準」、「国家が国家以前の共同体の水準」であった時期にまで遡って考察していくところにある、換言すれば人類史の鳥瞰図の時間軸をアジア的な段階以前にまで拡張させて考察していくところにある。またこのことは、同時に、現在的課題を考えること、現在を止揚し克服することを考えること、すなわち未来を考えることでなければならないのである。なぜならば、天皇制という「歴史時代の一国家の歴史は、千数百年」に過ぎず、「そういうものに、人類的にも生活的にも文化的にも価値を収斂させるわけにはいかない」からである(『思想の基準をめぐって』)。しかし、時代錯誤も甚だしいキリスト教的著述家の佐藤は、復古的な国家主義者として、<権威>としての天皇と<権力>としての国家という国体を主張しているのである。このような訳で、前述したような仕方で、南島論や在日朝鮮人問題やアイヌ問題は扱われなければならないのである。すなわち、現在において天皇制的なものを相対化し無化することを考えること、すなわち未来を考えることは、その可能性の宝庫としての南島の基層にまで時間を遡及して考察することという点に南島の問題はあるのだし、在日朝鮮人の問題を止揚し克服すること、未来を考えることは、渡来人以前にまで時間を遡及して考察することという点に在日朝鮮人問題はあるのだし、そしてアイヌの問題は、次の点にあるのである――近代以降、人類史において世界普遍性を獲得していた「西欧の危機」、現在的問題、現在を止揚し克服することを考えること、すなわち人類史の未来を考えることは、農耕を経済的基盤としたアジア的段階の前の、人類史の原型・母型・母胎にまで、アイヌ、縄文期、起源としての日本人、起源としての日本語、起源としての国家(「国家以前の共同体」の水準であった国家の段階)にまで時間を遡及して考察することなのである、換言すればアフリカ的段階、白人進出以前の二万年前から先住する征服併合された被支配民である北米インディアン的段階等にまで時間を遡及して考察することなのである。そういう仕方で、人類史におけるある地域・ある段階の問題を、世界史的普遍性、すなわち人類史的普遍性の問題に連帯させることができるのである、世界史的普遍性、すなわち人類史的普遍性に対して開くことができるのである。
〔注1〕:アジア的段階における日本的特殊性、例えば現在は横へと拡散し衰退しているとは言え、かつては縦へと集中していた滅私奉公的な忠君愛国の政治的ナショナリズムや立身出世という社会的ナショナリズム。
〔注2〕:作家・詩人であり、セゾンコーポレーションの会長でもあった堤清二・辻井喬は、「『伝統』をはき違えるな」という2003年3月30日の朝日新聞朝刊の記事の中で、本居宣長等の詩歌を例に挙げて次のように述べている――「中学のとき、(中略)『敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花』という歌を習いました。教師は、<国のために>忠誠を誓って潔く散れと宣長も言っている、だから<そういう国民>になれ、それが日本の伝統だ、と繰り返した。でも宣長は、大和心とは「もののあわれ」を知ることだといいたかったのであって、『潔く散るのが大和心』と伝えたのだとは、私は思わない」。ここには、宣長が「もののあわれ」とは、『古事記』神話をそのあるがままに受け入れることであり、それゆえ詩歌の起源は『古事記』に最初にでてくる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」にあると述べたのに対して、それに異を唱えた宣長の師・賀茂真淵や折口信夫を介して詩歌の起源を論じた吉本とはまた別の問題が述べられている。ここに登場する教師に代表されているのは、共同体至上意識が個体性を超えてしまう滅私奉公的なアジア的日本的特殊としての負の心性や、国家の共同幻想から対象的になって距離を取ることができずに、そうした共同幻想に侵蝕されてしまった自己幻想・自己思想の敗北した在り方にあるのである。それだけでなく、その教師に代表されているのは、思想の自立の根拠である大衆原像(時代状況によって変容していく大衆像や大衆的課題を内包したそれ)を、自らの自己思想に繰り込んでいく還相的回路を持たないがゆえに、書かれた歴史には登場しない被支配としての大多数の一般大衆に対して閉じられていく敗北的な在り方にあるのである。それに対して、辻井の自己思想・自己幻想は、自己身体を座とする対自的な自己意識を第一義性・価値性として認識し自覚することによって、そうしたそれ自体の自体的展開過程と自己増殖過程を持つ共同幻想に対して対象的になって距離を取ることを志向し目指す在り方を示している。
〔注3〕:吉本は、トータルな「世界認識」の方法による思惟と語りにおいて、「思想の問題としての国家」について、次のように述べている――「思想の問題としての国家は、あるがままの大衆の存在様式の原像からうみだされた共同的な幻想として成立」するというのは、「あるがままの<原像>」としての大衆は、社会的・政治的な状況に「着目」せず、<生活>の自然過程において状況に抗し得ない分だけ、そこで疎外された共同幻想は、逆立した形で国家の共同幻想を支えるものとなる。したがって、「社会の構成を生活過程の水準をはなれてはかんがえることがない」生活者大衆の<生活>思想は、大衆の逆立した鏡としての法的政策的言語(権力の意志表現としての法的政策的言語)によって表現された国家の共同幻想と「逆立し矛盾する」ことになるのである。例えば、この事態は、公共の福祉に基づく土地収用法を適用し、強制的に農民の土地を収用していったところの国家の共同幻想と、土地は農民の生活的基盤であるとする三里塚農民の<生活>思想とが逆立していった関係にみることができる。このような支配――被支配の権力関係の中で、権力の意志表現としての法的政策的言語(国家の共同幻想、観念の共同性)によって、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民は、例えば生活基盤を農業に置いた三里塚農民の土地のように、社会的公共性、「公共の福祉」という大義名分の下で、その個と家族は後景へと退けられ、政府による土地の強制収用が執行されるのである、沖縄の辺野古移設もそのような仕方で行われているのである。このような現実的な契機を通してはじめて、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民は、国家、政治的近代国家、民族国家が、個や家族を支配・強制・抑圧する機関であることを実感的に知ることになるのである。したがって、文学的・学問的・社会的・宗教的・政治的な知識人・知識的集団(その共同性)は、逆立した形で国家の共同幻想を支えていく「大衆の社会生活としての存在とは逆立」しながら、「しかも大衆の幻想の共同的な鏡である国家と必然的に衝突」していくところに、第一義的な思想的課題を置かざるを得ないのである。ここで言う「第一義的な課題」は、文学的・学問的・社会的・宗教的・政治的な知識人・知識的集団(その共同性)が、自らの知識・思想の内部に、意識的自覚的に、思想にとっての普遍的な価値基準としての社会的存在の自然基底である大衆の原像、すなわち「いつも経済社会的な構造と一緒に変化」しつづけ、生活している生活者大衆の像とその大衆的課題を繰り込んでいくところにあるのである。この「第一義的な課題」は、国家論の課題、すなわち革命論の課題に引き寄せて言えば、具体的には、擬制民主主義としての議会制民主主義の下でどこまでも閉じられていく国家の共同性を、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民にどこまでも開いていくところにあるのである、次には観念の共同性を本質とする国家に第一義性・価値性を置くのではなく、現実的な社会に第一義性・価値性を置くところにあるのである、究極像としては、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民を、社会的に、すなわち現実的に、究極的総体的永続的に解放していくところにあるのである、それ故に観念の共同性を本質とする国家を無化するところに、それ故にまた被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民を歴史の主人公としていくところにあるのである。このこととの関連で言えば、イエス・キリストをのみ主・頭とする「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を志向し目指すイエス・キリストの教会は、完了・成就された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和そのものであるイエス・キリストにのみ感謝を持って信頼し固執して、先行するイエス・キリストにおける神の愛の下で、あの「神への愛」・「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」、すなわち<純粋>なキリストの福音をすべての人びとが<現実的>に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えという連環と循環における、その存在、その思惟、その実践でなければならないだろう。吉本は、『遺書』で、次のように述べている――現存する国家を開くという問題は、憲法改正時における国民投票だけでなく、例えば日本の被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民がテロの標的になりかねないところの日米同盟に基づく自衛隊のイラク派遣の問題にあったように、その一般市民・一般大衆・一般国民の生命や生活の持続や安全に関わる法案については、<国民投票>を実施する旨、憲法にそういう<国民投票>条項を付加していくところにある、議会に対する解散請求等憲法へのリコール権の規定は、「議会制民主主義に対する異議申し立ての手段」であり、そのリコール権があれば「国家は国民に対して開」かれるから、観念の共同性を本質とする法的政治的な国家の権力性の無化の課題としてある「次の段階に移行できる条件を持つこと」ができる、言い換えれば、一部国家支配上層に国家共同性の権力性を集中させ国家共同性を閉じさせないことが重要なことなのである、このような物質的基礎の上に、換言すれば抽象的な空論ではないところのこのようなリアリティある思想(観念)において、共同幻想の書き換えの問題が登場してくる、と。また、吉本は、『吉本隆明全著作集13』「模写と鏡」で、次のように述べている――社会の中枢にある経済過程は世界性を有しているから、大衆が自らの生活の充足度の水準によって、社会の構成の時代水準を自覚的に思考し、判断し、評価していくところで獲得していく生活思想(意識的自覚的に対象化された生活過程の認識、生活思想)は、「世界性」を有しており、<民族>国家の幻想的・観念的な枠組みを超えて「世界連合」が可能となる。その国家において被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民が貧困と飢餓に困窮し疲弊しているとすれば、それは、その民族国家(具体的には政府、国家支配上層、制度としての官僚・政治家)の社会構成の失政によるものであり、徹頭徹尾、その国家支配上層の責任である。なぜならば、「この世界に、(中略)実在するのは、少数の支配層と多数の被支配層との差別と矛盾だけであり、この実在する矛盾は、現在のところ各国の国家本質の実体」、すなわち各国政府(具体的には、国家支配上層、制度としての官僚・政治家)の「もとにあり、それ以外のところには存在していない」からである。したがって、国家の「歩み」に対する「正しい判断」や「『見張り』の使命」を果たすことを志向し目指すところの、究極的には個体的自己としての全人間の社会的な現実的な究極的総体的永続的な解放を志向し目指すところの、それ故に国家の無化を志向し目指すところの文学的・学問的・社会的・宗教的・政治的な知識人・知識的集団(その共同性)における「大衆がたえず噴出させる」大衆像と大衆的課題の把握は、「ただここから源泉をくみ、ここから出発」しなければならないのである。それと同時に、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民は、自らの思惟や知的関心を、一方通行的に知的に上昇して行く知識・観念の自然過程には向けず、貧困と飢餓に困窮し疲弊する自らの生活の水準を凝視し、現存する社会構成を判断し、批判していくところで生活思想を構成していくとき、民族国家の幻想的な枠組みを超えて、「世界性」を獲得し、民族国家の枠組みを超えた世界の被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民と連帯できるのである、世界普遍性を獲得することができるのである。したがって、民族としての<地域アジア>へ、<地域韓国>へ、<マイノリティ>へとどんどん閉じられていく思惟や語りおよび実践については、再考を必要とするのである。言い換えれば、国家論(すなわち、究極像を、個体的自己としての全人間の社会的、現実的な究極的総体的永続的な解放と、すべての共同幻想の無化、国家の無化に置く革命論)および人類史的普遍性あるいは世界史的普遍性に全面的に開かれた歴史哲学の構成の課題について明確に提起することもしないで、「ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹」という民族としての、<地域アジア>へ、<地域韓国>へ、<マイノリティ>へと閉じられていく教団の戦責告白にあるような思惟や語りおよび実践は、再考すべきなのである。マタイ26・6−13、マルコ14・3−9、ヨハネ12・1−8において、イエスは、イエスに注いだ香油を高く売ればある一部の「貧しい人々に施すことができたのに」とベタニアの女を叱責した弟子たちの過渡的な相対的・一面的・部分的な「施し」の言葉に対して、究極的な、神の側の真実としてある、それ故に客観的な現実性としてある、永遠的実在としてある、包括的・総体的な個体的自己としての全人間・全世界・全人類の救済・平和の言葉を投げかけている。イエスの言葉は、ある一部に閉じられていくのではなく、すべての人びとに開かれているのである。したがって、イエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執したバルト(具体的には、「聖書への絶対的信頼」に基づいていたバルト)の次のような思惟と語りは、信仰・神学・教会の宣教における思想の課題にとって意味深いものである――「先行する他のもろもろの時代のその問題意識にも……、真に耳を傾けることが出来るようになる」ために、西欧近代を頂点とした歴史の直線的な進歩・発展というヘーゲルの思想を、「直ちに全面的に放棄」しなければならない(『ヘーゲル』)、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおいては、近代的に個と共同性は逆立し対立するのではなく、正立し平和なのである・それだけではなく、そのイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」、(「イエス・キリストの名」、啓示・和解、起源的な第一の形態の神の言葉、<純粋>なキリストの福音を内容とする)「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」、「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信、非キリスト者、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して<完全>に開かれているのである(『カール・バルト教会教義学 和解論T/1』「和解論の対象と問題」)。また身近な農民のために、口先だけではなしに、本当に身も心も尽くした宮沢賢治は、その思想の往還において、全体と個との幸福(救済・平和)について、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『宮沢賢治全集第12巻』「農業芸術概論綱要」)、全体が幸せにならなければ、個体的自己としての全人間(個と全体)が幸せとならなければ、ほんとうの幸せとはならない(『よだかの星』)、と述べている。このことは、全面的に首肯することができる。何故ならば、確かに人は、自分の意志とは無関係に、すなわち不可避的にさまざまな境遇の中に生誕し生きることを強いらるのであるが、人は誰であれ、大なり小なり幸と不幸の、明るさと暗さの、笑いと涙の、喜怒哀楽の弁証法を生きるほかないのであるから、ある一面にだけある部分にだけ固定的に閉じられて行ってはならないのである、やはり宮沢賢治のように、幸福(救済・平和)は全体に開かれていることが、開いていくことが肝要なことなのである。言い換えれば、被支配としての大多数の一般市民・一般大衆・一般国民に対して開かれていなければならないのである。もしもそうでないとしたならば、その思惟と語り、その実践は、主観的にはたとえそうではないと主張しようと、客観的には、まさに党派的思想、党派的集団、党派的共同性、党派的多元主義におけるそれでしかないものなのである。バルトは確信をもって語るのである、「すべての人間はキリストの実質上の兄弟である」、「キリスト者になる以前でも、彼は、(≪その現にあるがままで≫)キリストにおける神との連続性の中にいる。ただ、彼はそのことをまだ発見(≪「啓示と信仰の出来事」に基づいて与えられる信仰の認識としての神認識、すなわち啓示認識・啓示信仰に生きることを≫)していない」だけである。このような訳で、イエス・キリストをのみ主・頭とする第三の形態に属する全く人間的な教会の、その存在・その思惟・その実践は、あの、先行するイエス・キリストにおける神の愛の下で、あの「神への愛」、「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(純粋なキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法)、すなわちすべての人びとが<純粋>なキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えという連環と循環の中になければならないのである。