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2016年2月11日、朝日新聞デジタル記事――「信仰は衰え、国家は破壊された」、フランス知識人エマニュエル・トッド氏に聞いた(朝日新聞論説主幹・大野博人)、を読んで考えたこと

キリスト教界時評――2016年2月11日16時53分、朝日新聞デジタル記事――「信仰は衰え、国家は破壊された」、フランス知識人エマニュエル・トッド氏に聞いた(朝日新聞論説主幹・大野博人)、を読んで考えたこと

 

(1)朝日新聞論説主幹・大野博人:(悪い方へ悪い方へと回り続ける歯車をだれも止められない。そんな気分が世界に広がる。過激派といわれる勢力の暴力、難民や移民への排他的な反応、分断される社会。……その閉塞状況の読み解きに挑んだフランスの知識人、エマニュエル・トッド氏に聞いた)「15年前、米国同時多発テロが起きたとき、あなたは中東は近代への歴史的な移行期にある、と話してくれました。イスラム過激派と呼ばれる運動は、その流れへの激しい反動だと。今、起きていることもその表れでしょうか」。
フランス知識人エマニュエル・トッド:「奇妙なことに、中東について新たな宗教戦争という見方がよく語られます。シーア派とスンニ派の戦争だという。だが、これは宗教戦争ではない。イスラム圏でも宗教的信仰は薄れつつあります。人々がその代わりになるものを探している中で起きているのです」。「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません。彼らはニヒリスト。あらゆる価値の否定、死の美化、破壊の意思……。宗教的な信仰が解体する中で起きているニヒリズムの現象です」。
(2)朝日新聞論説主幹・大野博人:「欧米の対応はそこを見誤っているのでしょうか」。
フランス知識人エマニュエル・トッド:「アラブ世界は国家を建設する力が強くない。人類学者としていうと、サウジアラビアやイラクなどの典型的な家族制度では、国家より縁戚関係の方が重みを持っています。イラクのフセイン政権はひどい独裁でしたが、同時に、そんな地域での国家建設の始まりでもあった。それを米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義的思想を掲げ、国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊したのです」・「中東でこれほどまずいやり方はありません。今、われわれがISを通して目撃している問題は、国家の登場ではなく、国家の解体なのです」。
(3)朝日新聞論説主幹・大野博人:「信仰が薄れるにつれ、社会秩序を支えるにはますます国家が必要になるのに、逆に破壊するちぐはぐな対応というわけですね」。
フランス知識人エマニュエル・トッド:「つまるところ、中東で起きているのは、アラブ圏で国家を築いていく難しさと、米国などの新自由主義に起因する国家への敵対的な考え方の相互作用の結果なのではないかと思います」。
(4)朝日新聞論説主幹・大野博人:「あなたは新しい著書で、テロのあとの仏社会の側の動揺と迷走を分析しました」、
フランス知識人エマニュエル・トッド:「フランスは夜に入ってしまったようです。私が愛した多様で寛容なフランスは別の国になったように感じています」・「パリでテロを起こし、聖戦参加のために中東に旅立つ若者は、イスラム系だが生まれも育ちもフランスなど欧州。アルジェリア人の友人はいみじくもこう言いました。『なんでまた、欧米はこんな困った連中をわれわれのところに送り込んでくるのか』。あの若者たちは欧米人なのです」。

 

(5)フランス知識人エマニュエル・トッドは、2006年時の朝日新聞のインタビューにおいて、「核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい」、なぜならば、「核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる」からだ、また「中国をけん制するには、地政学的に見てロシアとの関係強化が有効なのです」(ウィキペディアの記事)、というように述べたという。

 

 

 先ず以て、このインタビューから明確に言えることは、両者共に、宗教から解放された国家、すなわち信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して語っているということである。したがって、その国家自体の過渡的――究極的な課題を提示することなく後景へ退けてしまって語っているということである。

 

 

(1)・(2)・(3)・(4)の記事について――
 先ずは、概略的に述べてみたい。

 

(1)フランス知識人エマニュエル・トッド:「イスラム圏でも宗教的信仰は薄れつつあります。人々がその代わりになるものを探している中で起きているのです」。「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません。彼らはニヒリスト。あらゆる価値の否定、死の美化、破壊の意思……。宗教的な信仰が解体する中で起きているニヒリズムの現象です」、について――
 このフランス知識人エマニュエル・トッドの世界認識・歴史認識の方法は、文明史的尖端性である西欧的段階あるいは<超>西欧的段階(信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家)を第一義性・価値性として前提し固定した<一面的>な空間的地域的な観点に基づいたそれにある、と言うことができる。「『イスラム国』(IS)もイスラムではありません・宗教的な信仰が解体した形態である」とあるのだが、イスラム原理主義に立脚したイスラム国は、むしろ、文明史尖端(<超>西欧的段階、高度消費資本主義段階、高度情報化社会)の歴史的現在・歴史的環境の中に存在しつつも、経済的基盤を資本制に置くところの信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を目指さず、宗教としてのイスラム法による政治組織(宗教が国家の役割を果たす国家の段階)、社会構成、文化構成を目指している、と言うことができる。したがって、イスラム国は、国家の解体を目指しているのではなくて、人類史のアフリカ的段階における宗教が国家の役割を果たしていた国家の段階を目指しているのである。自由を原理とする西洋近代を最高度に進歩した人類史の頂点として認識し自覚したヘーゲルは、宣教師等の報告を介して、その文明史的観点から<一面的>に、人間の類の歴史の人類史・世界史におけるブラック・アフリカを、他在であって自在、対自的であって対他的、自由、を誰ひとり認識し自覚していないところの、「自然のままの、まったく野蛮で奔放な人間」、「人間の心にひびくものがない」、「人間精神にとって神は雷(≪自然≫)以上のものでなければなりませんが、黒人はそう考えない」、「人間を食べる」、「子どもを売りとばす」、呪術宗教と絶対奴隷制の段階であると規定(『歴史哲学講義』)したのだが、この規定がその一面的な規定でしかないことは、例えば『日本奥地紀行』(人類史のアフリカ的・縄文的段階の名残りを留めていたアイヌ人)、『民族で見るアメリカ』(人類史のアフリカ的・縄文的段階の名残りを留めていた北米インディアン)から知ることができる。したがって、ニュース映像から流れてくるイスラム原理主義に立脚したイスラム国が行っている非戦闘員の一般民衆を巻き込んだ爆弾テロ・自爆テロ、公開処刑、斬首等の行為は、ニヒリズムに基づいたテロ行為というよりも、彼らのその意識・思考・認識・行為が、人類史のアフリカ的段階の<一面>へと退化・退行したところのそれである、と言うことができる。文明史的尖端にある意識・思考・認識・行為の<一面的>な観点からすれば、それらの事柄は残忍・残虐・非道に違いないのだが、人類史のアフリカ的段階に退化・退行したイスラム原理主義に立脚したイスラム国の意識・思考・認識・行為の観点からすれば、残忍・残虐・非道ではない、と言うことができるのである。なぜ、それが人類史のアフリカ的段階の<一面性>でしかないかと言えば、前述したように例えば独立革命以前の北米におけるイングランド系移民である「コロニスト」(植民者)や「セトラー」(定住者)は、<インディアンや同国人の死体を食す>くらいに飢餓や疫病の流行等の困難を極めた植民であったが、人類史のアフリカ的段階にとどまっていたインディアンはそうした彼らに対して平和的で親切であった、からである(『民族で読むアメリカ』)。また、やはり人類史のアフリカ的段階・縄文的段階にとどまっていたアイヌ人は、互いに殺し合う激しい争乱の伝統を持たないし、善悪・道徳の観念、高度な宗教を持たないが、誠実、高貴、立派な生活を送っている、「純潔であり、他人に対して親切であり、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある」、からである(『日本奥地紀行』)。独立革命以前の北米におけるキリスト教徒、イングランド系移民の在り方を垣間見る時、親鸞の認識や自覚には、それゆえに吉本隆明の親鸞論には、現実性と妥当性がある、と言うことができるのである――『歎異抄』の親鸞は、唯円に対して、その現にあるがままの人間は、善人であれ、悪人であれ、聖人であれ非聖人であれ、宗教者であれ非宗教者であれ、キリスト者であれ非キリスト者であれ、仏教者であれ非仏教者であれ、老いであれ若きであれ、知識人であれ非知識人であれ、教えるものであれ教えられるものであれ、誰であろうと、現実的な戦争とか愛憎問題とか利害対立等々とかの不可避な「機縁」さえあれば、自分が意志しなくとも、人一人だけでなく多数の人を殺し得るということを述べて、その究極的観点(還相的観点)において、自己欺瞞に満ちた市民的観点・市民的常識(往相的観点)から超出したのである。マルクスが述べているように、人間は自然の一部として動物的存在である。言い換えれば、発生学者の三木成夫に依拠して個体の発生について吉本が述べているように、人間の個体は、自然の一部としての身体――植物的部分(生体の植物的機能器官、植物神経系に属する自律神経器官、呼吸器官・循環器官・消化器官等「植物器官」としての「内臓器官」)・動物的部分(生体の動物的機能器官、動物神経系に属する視覚・聴覚等の「動物器官」としての「感覚器官」)と、人間的部分(感覚に依存する「心・精神」と内臓に依存する「心・精神」との構造としてある「人間固有の器官」があり、それは「意識領域」と、「核」・「中間層」・意識領域と接した「表層面」によって構成される「無意識領域」との構造としてあり、人はこのような構造において、「現実世界」と関係している)、の構造としてある(詳論は、後述する)。このような訳で、ある契機があれば、人間の動物的部分が前景化することがあり得る、と言うことができる。実際的に、人類史・世界史において、例えば経済的基盤を農耕に置いていた人類史のアジア的段階にあった江戸期末期まで火刑・焚刑や斬首刑や獄門刑(さらし首)が行われていたし、経済的基盤を資本制に置きつつも復古主義的な人類史のアジア的段階における観念的遺制の<天皇制>国家の支配上層・軍部によって、太平洋戦争末期にはイスラム国的なことが沖縄戦で行われたし、また内閣情報局に直接的に関わることによってNHKや朝日新聞もその戦争に加担したし、火刑・焚刑は近世まで世界各国で行われていたのである。武器を持たない非戦闘員の一般民衆を無差別に殺害することはすべてテロと言うべきであるから、近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家のアメリカ・ブッシュ政権(ネオコン・新保守派)がイラクの石油権益の主導権を獲得するということを真意として軍事介入しイラクの非戦闘員である一般民衆の生活場に劣化ウラン弾を撃ち込んだこともまさにテロというべきなのである。そのイラク戦争においてだけでなく、吉本によれば、アメリカは、「太平洋戦争のとき」にも、「連合艦隊司令長官・山本五十六が航空機に乗っていたのを察知すると、……ブーゲンビル島上空で撃墜」しテロ行為を行ったのである。このように<反>テロを標榜するアメリカ自身がテロを行っているのである。「米国などの新自由主義」は、「国家の解体」を目指すものではなく、国家を第一義性・価値性として前提し固定する国家主義的なそれなのである。したがって、それは「国家の解体」を目指すものだと語るトッドは、錯誤と誤謬に陥っているのである。いずれにしても、近代国家を第一義性・価値性として前提し固定して、<一面的>に論じては間違うのである。したがって、バルトも、次のように述べている――「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没したことはなかっただろうか」(『バルト自伝』)。
 これだけで、このインタビューに登場する朝日新聞論説主幹やフランス知識人が、先ず以て、西欧における近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して、その<一面的>な観点から、党派的にそれを善や正義や正当だと考えて語っていることを知ることができる。このような訳で、トータルな世界認識・歴史認識の方法は、トッドのような<一面的>な空間的地域的な特殊的差異的な観点だけでは錯誤と誤謬に陥ってしまうから、その空間的地域的な特殊的差異的な観点と、時間的人類史的・世界史的な世界普遍的共通的な観点との構造性にあるのである。すなわち、トータルな世界認識・歴史認識の方法は、空間的地域的な特殊的差異的な観点と時間的人類史的・世界史的な世界普遍的共通的な観点との構造的把握にある、と言うことができる(詳論は、後述する)。
 戦争体験の自省に立脚した吉本は、次のように述べている――アメリカ(西欧)のそれであれ反アメリカ(反西欧)のそれであれ、西側のそれであれ反西側のそれであれ、戦争自体が、テロ自体が、「悪」であり「犯罪」であって決して許されることではない、という「理念と原則」が必要である、と。戦争廃絶(戦争を廃絶しなければ世界の平和はない、そのためには一部国家支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門・軍隊組織を持つ民族国家を止揚し無化しなければならない)の構想が、それゆえに国家論・革命論における過渡的――究極的な課題の構想が、未来に向かって<超>西欧的段階における現在を止揚することを考察することは、人類史・世界史の母胎・母型・原型であるアフリカ的・縄文的段階にまで時間を遡及して考察することと同じであるという方法における世界認識・歴史認識の構成が必要なのである。個よりも公に第一義性・価値を置いて強制的に戦争やテロへと駆り立て、自国や相手国の武器を持たない非戦闘員の一般民衆を殺害すること自体が「悪」であり「犯罪」であって決して許されることではない、という「理念と原則」が必要である。この意味において、憲法第九条は守るべきものなのである。マルクスが、「私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないものであるからである」(『資本論』)と述べている時、それは、<個人>としのそれではなく<制度>としての資本家が独裁のために議会制民主主義(それゆえに、選挙制度を通して選出された国会議員は国民全体の奉仕者では決してない)を必要とするから、不可避的に、議会制民主主義は擬制民主主義としかならないのである。高級官僚は、そのための、法の下での法による行政に基づく政治的近代国家の職能団体なのである。もちろん、国会議員が国民全体の奉仕者で決してないのと同じように、地方議会の議員も住民の奉仕者では決してないのである。今週行われた自民・公明・民主によって強行採決された名古屋市の市議会議員報酬の大幅値上げの暴挙をみても分かるように、市議は住民の奉仕者では決してないのである。このように、観念(幻想)の共同性を本質とする政治制度、議会制民主主義や普通選挙制度は、ほんとうは、擬制されたそれでしかないのである。したがって、対内的に国家を国民に開いていくという国家の過渡的課題は、先ず以て国民に関わる一切の重要法案については直接民主制・国民投票制を導入することにあるから、選挙制度を媒介とした間接民主主義を第一義性・価値性として前提し固定して論じたり語ったりする諸大学知識人や諸著述家や諸マス・メディア等はその政策的言語や法的言語によって体制に加担していくことになるのである。この時、国民(国家)を守るためという政策的言語を通して、諸大学知識人や諸著述家や諸マス・メディアは、「あらゆるこじつけを駆使して合理化し」、国民を体制推進へと導いていこうとするのである。このようにして、「国家の政策を、知識人があらゆるこじつけを駆使して合理化し、それを大衆が知的に模倣し、行動では国家以上に国家の政策を推進」し、支配(政治的国家、政治的権力)に直通していくことになる(『思想の基準をめぐって』)。このことは、消費税増税論議等々でも行われたし、行われている。彼らは、防衛論議においても、戦争廃絶・世界平和の構想、それゆえに国家論・革命論の過渡的――究極的な課題については語らずに、戦場に赴く必要のない場所・「死ぬ恐れのない」場所・「安全な場所」に自分を置いて、一方で国民に対しては、平然と、戦争の可能性や軍隊のない国家はあり得ないと軍隊の必要性を強調するのである。しかし、戦争で死ぬのは、自国においても相手国においても、いつも、大多数の被支配としての一般国民・一般民衆、一般民衆の家族や親族や友人なのである。
 吉本は、次のように述べている――理念や理想の課題と現実や実際の課題との間には落差があるとしても、先ず以ては過渡的課題へ、そして究極的課題(理念や理想)へ、と少しでも近づいて行くべきであるから、人類史はそこへ向かって進んできたのだが、自分は現実主義者で国家の問題も社会の問題も現実重視でいくいうことで、過渡的課題や究極的課題における理念や理想を構想し持たない場合、それは、「国家や社会というものを固定的に考えることが現実的に考えることである」と錯誤し誤解しているのであって、そのような次元での論議は「バカ話に近づくだけ」であるから、その場合には「本質的な話」を行うことはできない、と。例えば、近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して考え語る、朝日新聞論説主幹やフランス知識人エマニュエル・トッドがそれである。ほんとうは、人類にとって重要な課題は、個体的自己としての諸個人の日常生活(諸個人の生活史と精神史、その総和としての世代、それゆえに「『大衆』という理念を欠いた人類の歴史、世界史というのは意味がない」)における「全き自由(完全な自由)」と平等な社会の実現にある。したがって、佐藤優が、『はじめての宗教論』で、恣意的独断的出鱈目に、神学研究の本質と責務は「個人の救済、具体的な人間の救済です。人類という抽象的なものの救済ではありません」と述べた時、それは全くの「バカ話」の水準にあるものなのである。したがってまた、ほんとうは、信仰・神学・教会の宣教の課題に引き寄せて言えば、次のように語るべきなのである――それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯してそれを媒介・反復するキリスト者における信仰・神学・教会の宣教における究極的包括的永続的な告白・証し・宣べ伝えの言葉は、学問的等々の小難しい事柄にあるのではなく、神と人間との無限の質的差異の下で、神の時間・啓示の時間・救済史・永遠と人間の時間・人間が人間的に所有する人間の啓示認識・歴史・有限との無限の質的差異の下で、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示・和解、平和)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける<完了>された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和にあるのである。

 

 

(2)フランス知識人エマニュエル・トッド:「米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義的思想を掲げ、国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊したのです」・「われわれがISを通して目撃している問題は、国家の登場ではなく、国家の解体なのです」、について――
 前述したように、先ず、「新自由主義」・「新自由主義思想」というものは、ほんとうは、経済的自由至上主義・至上市場主義経済・「小さな政府」を目指しているだけであって、それゆえに「国家の解体」を目指しているのではないのであって、その本質は、近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定する国家主義的なそれにあるのである。したがって、この認識と自覚は、錯誤と誤謬に陥らないために必要なことなのである。また、トッドは、アラブ世界というのは、その典型的な家族制度において、「国家」(人類史の西欧的段階において登場した、宗教から解放された、すなわち信教の自由の保障がされた政教分離の近代的国家、自由主義国家、政治的近代国家、民族国家、国民国家)より「縁戚関係の方が重みを持っているから」、「国家」を「建設する力が強くない」と語るのだが、それは違うのであって、アラブ世界における特にイスラム原理主義に立脚したイスラム国家は、宗教としてのイスラム法が重みをもっているから、宗教が国家の役割を果たしていた人類史のアフリカ的段階に退化・退行した国家の段階を目指しているのである。しかし、一方で、このアラブ世界といえども、文明史尖端(<超>西欧的段階、高度消費資本主義段階、高度情報化社会)の歴史的現在・歴史的環境のただ中に存在していることは確かである限り、科学・技術の進歩発達がそうであるように、文明史的尖端へと進歩発展していくことは自然史的必然に属しているから、いったん資本主義の洗礼を受けたならば、それを志向すれば、遅延したり速度を速めたりしながら、<超>西欧的段階、高度消費資本主義段階、高度情報化社会へと進んで行くに違いないのである。

 

(3)朝日新聞論説主幹:「信仰が薄れるにつれ、社会秩序を支えるにはますます国家が必要になるのに、逆に破壊するちぐはぐな対応というわけですね」・フランス知識人エマニュエル・トッド:「中東で起きているのは、アラブ圏で国家を築いていく難しさと、米国などの新自由主義に起因する国家への敵対的な考え方の相互作用の結果」、について――
 先ず、「信仰が薄れ」たから「国家が必要」であるという主張は、この朝日新聞論説主幹も、近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定した国家主義に立脚して<一面的>に語る現実<主義>者であることの証左である。言い換えれば、近代における宗教的形態が科学<主義>にあったように、その主張は、部分を全体とした、宗教の尖端的形態としての近代国家に対する信仰であり、それゆえに国家の過渡的――究極的な課題を持たない、国家を対内的に国民に対外的に他国に開いていくという過渡的課題をもたない、また個体的自己としての全人間の社会的現実的な究極的総体的永続的な解放の構想を持たない、場当たり的な主張に過ぎないものなのである。それだけでなく、「信仰が薄れ」という言い方では「イスラム国」について何も説明したことにはならないのであって、それであるから、時間的、人類史的・世界史的、世界普遍的共通的な観点が必要なのであって、この観点を導入すると、「イスラム国」というのは、宗教としてのイスラム法に立脚した、宗教が国家の役割を果たしていた、政治組織(一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門・軍隊組織を持つ国家)、社会構成、文化構成を目指す人類史のアフリカ的段階の<一面性>へと退化・退行した、それゆえに自爆テロ、公開処刑、斬首刑を行い得る組織、と言うことができるのである。また、前述したように、経済的自由至上主義・至上市場主義経済・「小さな政府」を目指す新自由主義は、「国家への敵対的な考え方」ではあっても、国家の解体・無化を構想する考え方ではないのであって、それゆえに国家を第一義性・価値性として前提し固定する国家主義的なそれなのである。言い換えれば、朝日新聞の論説主幹もフランス知識人トッドも、彼らは、文明史的尖端にある信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して語っているだけなのである。このような一面的な観点だけでは、イスラム国の行っている自爆テロや公開処刑や斬首刑を倫理的道徳的に野蛮・残忍・残虐・非道としか指摘できないから、イスラム国について現実性と妥当性を持って説明することはできないのである。
 ほんとうは、国家を論じる場合には、国家の過渡的――究極的な課題、究極像としてある観念の共同性を本質とする政治的近代国家の無化を伴う、個体的自己としての全人間を社会的現実的に究極的総体的永続的に解放していく課題を念頭に置いて論じなければならないのである。したがって、信仰・神学・教会の宣教において個体的自己としての全人間・全世界・全人類の救済・平和について論じる場合には、バルトのように、先ず以て、神と人間との無限の質的差異の下における、それゆえに「啓示は歴史の賓辞ではない」という下における、終末論的限界の下における、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある、「イエス・キリストの信仰」の属格の主格的属格理解に基づく、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示・和解、平和)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける<完了>された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和について論じる以外にはないのである(『福音と律法』)。また、マルクス自身を媒介した吉本の国家論・革命論のように、近代国家を否定的に媒介して、国家を対内的に国民に対外的に他国に開いていく過渡的課題・社会を第一義性・価値性とする社会主義的国家へと移行させていく過渡的課題と、国家を無化して諸個人の日常生活(諸個人の生活史と精神史)において「全き自由(完全な自由)」と平等な社会を実現していく、人間の社会的現実な究極的総体的永続的な解放という究極的課題を、念頭に置いて論じる以外にはないのである。そしてまた、宮沢賢治の『農業芸術概論綱要』や『よだかの星』にあるように、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」、全体が幸せにならなければほんとうの幸せとはならない、という課題を念頭に置いて論じる以外にはないのである。
 前述したように、「国家を<棄揚>する」課題に対する「理想的な共同体」や「堕落しない共同体」を志向する考察において先ず以て重要なことは、現存する文明史的尖端における近代国家を否定的に媒介して、国家を対内的に国民に対外的に他国に開いていく過渡的課題・社会を第一義・価値とする社会主義的国家へと移行させていくことにある。しかし、それは、思想にとって「過渡的」な考え方・相対的課題・「緊急的課題」に属している。したがって、そのような一面的な観点だけでは思想にとっては片手落ちであって、思想にとっての「究極的課題」は、「共同体あるいは共同体を観念的に支配する共同的な幻想」を「結局は全部」棄揚し止揚し無化していくところの究極像まで考察を推進していくところにある(吉本隆明『マルクス―読みかえの方法』)。例えば、目前にした飢餓で困窮している人に、食料を提供することは思想にとって過渡的な考え方・相対的課題・緊急的課題に属している。なぜならば、飢餓で困窮する人たち全てを究極的総体的永続的に救抜することができないからである。したがって、思想にとっての究極的課題は、飢餓で困窮する人たち全てを究極的総体的永続的に救抜するところにあるから、その究極的課題について、それが良きものであれ悪しきものであれ人類史が時間累積させてきたところの肯定的成果(それゆえに架空性ではないそれ)を媒介・反復することを通して、その究極的な理念・理想を<構想>するところにある。「物質的な力は物質的な力によって倒さねばならぬ。しかし理論もまた、それが大衆をつかむやいなや、物質的な力となる」(マルクス『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』、城塚登訳、岩波書店)。したがって、知識・理論が、社会構成、支配構成、文明――文化構成の時代水準によって変容する大衆像や大衆的課題を繰り込むことができれば、反体制的な「物質的な力」となり得るのであり、それゆえにそうでない場合は、その知識・理論は、その内部でだけ自己満足的に円環し架空性として浮遊するだけなのである。
 吉本は、宗教性の観念の基本的性格について、次のように述べている――それは、第一に、祖先を信仰するという、南島に「宝庫のごとく保存されている一種の祖霊信仰」の段階にある場合には、「宗教性の観念が、少なくとも家族の共同性(対・性なる観念の共同性)から逸脱しないで出てくる」から、観念の共同性を本質とする国家へと至ることはできないそれである。それは、第二に、それが「海の向こうには神の国」・「常世の国」・「ニライカナイ」があって、「そこから神がやって来て村々にお祝いをしてまた帰って行くという、来迎神信仰」の段階にある場合には、その本質は「共同宗教」であるから、観念の共同性を本質とする国家共同性へと至ることができるそれである。すなわち、この「来迎神信仰にともなって、まず田の神信仰、稲作到来信仰が現れる」のだが、それが共同宗教という意味で、それは、観念の共同性を本質とする国家共同性へと至るところの、マルクスが述べた共同宗教(宗教が国家の枠割を果たす)から法(法が国家の役割を果たす)へ、法から国家(宗教からの国家の解放、すなわち信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家)へと至る宗教である。
 さて、近代国家を<政治的国家>として捉えるということは、経済的基盤(経済社会構成)を資本主義制度に置く資本主義社会を前提とするということである。すなわち、現在、<産業構造>的には天皇制の基盤であった農耕村落共同体は解体していると言えるから、政治権力としての天皇制・制度としての天皇制ファシズムは解体し終焉している、と言うことができる。それだけではなく、戦後憲法の象徴天皇制の規定により、憲法上も政治権力としての天皇制の問題は終焉している、と言うことができる。しかし、天皇制は「現在、資本主義の<影の部分>」として、「<政治>的な標的としては副次的なものに過ぎない」のだが、観念の共同性を本質とする人類史のアジア的段階の観念的遺制である宗教性としての天皇制は残存しているから、天皇制が存在した経済的基盤を農耕に置いた人類史のアジア的段階からさらに時間を遡及してプレ・アジア的(アフリカ的・縄文的段階)にまで考察を進めていくことで天皇制の「根底をつきくずさなければ」「一木一草にまで染みついているという問題は解決」できない。なぜならば、宗教性としての天皇制の根強さは、次のような事態をみれば分かるからである――長谷川美千子という埼玉大学教授は、生き神様としての天皇の憲法への規定を復古的に語り、憲法の象徴天皇制の規定は「曖昧な言葉」だとして、その実質を天皇の寛容な「祈る者」としての宗教的側面におくべきことを生真面目に論じている。この教授は、人類史的・世界史的観点を持つことをしないで、8世紀編纂の『古事記』に依拠して、すなわち人類史のアジア的段階における特殊日本を第一義性・価値性として前提し固定して、宗教的側面としての天皇の祈りを一億数千万人の人類のための始源的な祈りだと主張して、平然と、人類史のアジア的段階においてのみ世界普遍性共通性を持ち得た自然を原理とする天皇を中心とした日本が世界のすべてだと錯誤し誤解しているのである(平成17年『文芸春秋3月特別号』)。この教授と同じように、失政時における免罪符の要として、自民党憲法試案検討委員の政治家・中曽根元首相は「天皇元首制」を表明し、森元首相は「天皇神格化」を表明しているのである。現在の日本のキリスト教界においては、国家を第一義性・価値性とし前提し固定して国家主義を標榜する佐藤優が、権威(宗教性)としての天皇と権力としての国家という国家体制、天皇制国家を、復古主義的に叫んでいる。このような訳で、現在、錯誤し誤解し誤謬に陥らないために、フーコーの述べた「生――権力」・「知――権力」論等も引き寄せながら、複雑多義にわたる権力概念を解きほぐしていかなければならなくなっているのである。教育現場では、愛国心教育が取りざたされている。これらの事態は、社会の危機のとき日本においていつも発生する復古的傾向である。ここでいう愛国心は、西欧における認識と異なっている。西洋近代のヘーゲルにとって愛国心は、真理に基づかない「主観の思いこみ」ではなく、また「異常な犠牲や行動へとむかう気持ち」でもなく、「自由を原理」とする理性的な「真理に根ざした」主観的確信であり、個人の確信であり、「共同体的なもの」へ参画する、あるいは「共同体的なものと一体化する」、他在であって自在、対自的であって対他的、自由な自己還帰する自己意識の対他性としての政治意識なのである(『法哲学講義』)。日本の戦後過程における資本主義制度の高度化と自由主義国家制度の成熟によって、私利・私意の優先意識、私的利害と恣意的自由の優先意識の前景化によって衰退しているとはいえ、アジア的な特質は、共同性がいつも個体性を超えていく(個よりも公を優先していく)ところにあるから、日本においては、愛国心を愛社心と置き換えても同じような事態を惹き起こす可能性がある。例えば、日本の経済界に眼を向ければ(「中日新聞」朝刊、2005年3月4日、「落日の王国(第2部西部「総帥」の実像)」)、前西武鉄道社長の自殺や「株問題の核心を知る」コクドの総務部次長の自殺は、個体性が企業の共同性から侵蝕された死であるといえる。これは、今から10年くらい前の出来事である。現在は、私利・私意の優先意識、私的利害と恣意的自由の優先意識のさらなる前景化によって、また終身雇用制度や年功序列型賃金制度の衰退・解体、55歳あるいは50歳昇給停止制度の導入によって、さらに衰退しているのではないだろうか。しかし、日本は現在、高度消費資本主義の段階にあるとはいえ、日本の社会像を考える場合、「意識・認知・感性に関わるものが『手段』の分野を染めあげているところでは『アジア的』ということを考慮に入れなければならい。『アジア的』意識がどんなふうに『手段』の分野で存在しているか、あるいはどういうふうに産業・芸術・文学の分野で存在しているかという問題」は考慮に入れなければならない。なぜならば、文明史的には、日本は完全に「西欧先進型の社会」に移行しているとはいえ、産業・芸術・文学等の領域で、人類史のアジア的段階におけるアジア的要素が残存しつづけている特異性が日本にはあるからである。
 さて、政治的権力と宗教的権力を有した天皇制が成立していたのは奈良朝以前の初期天皇制の時期だけであり、天皇制的な専制君主が、「機構化されたのは律令官制による」が、「日本的なデスポットとしての天皇制」の特徴的威力は、「政治的権力に直接たずさわっているときも、間近にあるときも、遠ざかって棚上げされているときも、<天皇制>が一貫してその背後に<観念>的な<威力>を発揮していたという事実にある」(『思想の基準をめぐって』)。すなわち、国家を共同幻想、観念の共同性の一形態と考えず、土台−上部構造論において天皇制の問題を扱えば、前述したように、戦後資本主義の高度化、それゆえに私利・私意を精神とする市民社会の成熟によって天皇制の問題は終焉したことになるが、天皇制のもうひとつの側面である宗教的権力(威力)、共同幻想、観念の共同性としての天皇制は観念的遺制として現在においても残存しつづけているのである。その天皇には、チベット仏教のダライ・ラマ――偉大な僧侶・師(ヘーゲル『歴史哲学講義』には、「原始仏教では死んだ人間があがめられるのに、ラマ教では生きた人間があがめられる」とある)と同じ<生き神様>としての威力は残っているのである。このように、宗教性としての天皇制は、観念的遺制として残存しつづけているから、埼玉大学教授のように、いつでも、日本の自然思想の伝統である世界普遍性を無視した民族性を強調する権力は復古してくるし、また自己と異質な外部的な産業的思考や個人主義的思考に対しても「権力」として復古してくるのである。
 マルクスによれば、人間は自然の一部である。この個体的自己としての全人間は、普遍的実践的な、全自然(@自己身体、A他者身体、B第一次的に天然自然、また人間化された自然・人間的自然、すなわち外界としての自然)との、相互規定的な対象的活動を行う。ここに、肉体的身体的および精神的意識的な、個体的自己としての全人間の類的な活動や生活がある。それは、個体的自己としての人間諸個人による全自然の対象化であり・非有機的身体化であり・人間化であり、そのことによってまた人間は、人間の自然化・人間的自然として有機的自然となる。個体的自己としての人間諸個人による全自然の非有機的身体化によって生み出された人間的自然は、それが感覚的客体としては孤立しているのだが、現実的な生活過程においては媒介的に他の人間と関係づけられているから、それは協働関係としての社会を構成する。このことは、人間の歴史的行為(人類史的・世界史的過程における個体的自己の成果の世代的総和として、歴史の継起)である。すなわち、このことは、自然史の一部である人類史の自然史的過程・文明史的過程のはじまりであるのだが、その過程において、それぞれの経済社会構成体(その社会の経済的基盤)の段階に見合ったさまざまな観念諸形態が生み出されいくことを意味している。この自然史の一部としての人類史・世界史の自然史的過程である経済社会構成体の拡大・高度化、科学・技術の発達やその知識の増大、生活的利便性の向上、その時間累積は、自然史的必然に属しているから、その人類史的成果が良きものであれ・悪しきものであれ、さまざまな規制等によって遅延させることはできても、停滞させたり逆行させたりすることはできないのである。したがって、その人類史の自然史的過程において生み出された悪しき成果である<核兵器>は、自然史的必然として、倫理道徳の対象ではないのである。また、その過程においていったん生み出された・疎外され外化された観念諸形態は、それ自体の展開過程と増殖過程を持ち時間累積されていくのである(このような訳で、マルクス自身は、唯物<主義>者でも、経済<決定>論者でも、ないのである)。したがって、そのような時間累積を持っている観念諸形態は、それが観念を本質としているから、逆行や退化や退行や復古もするのである。「私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない」と述べたマルクスは、個体的自己は自由でなければならない、ただ「制度としての経済には不平等があってはいけない」と考えた。したがって、不平等のない経済<制度>あるいは不平等のない<制度>としての経済を構想するために「搾取を告発するかわりに、生産を分析した」のである(ミシェル・フーコー)。このような訳で、貧困格差の問題は支配上層の責任であると同時制度的問題であるから、それを個人の倫理的道徳的問題に転嫁してはいけないのである。さらに犯罪的で悪質なのは、いつも場当たり的に、国民生活を守るためにという大義名分を掲げて、ほんとうは責任なき一般国民・一般民衆に負担を強いる諸大学知識人、諸著述家、諸マス・メディアは、財政赤字は政府債務残高のことであって、その赤字の責任は全面的に<制度>としての高級官僚・政府支配上層にあるにもかかわらず、その高級官僚・支配上層に対する徹底的な告発や責任追及はしないで、いつも、その責任と負担を大多数の被支配としての一般国民・一般民衆に転嫁して、消費税増税必要論等々という政策的言語によって支配の体制に・国家に加担していくのである。なぜならば、彼らは、大多数の被支配としての一般国民・一般民衆を第一義性・価値性とはしないで、一方的一面的に現存する国家を第一義性・価値性として前提し固定して考え論じているからである。したがって、ここでも原則は、大多数の被支配としての一般国民・一般民衆は、諸大学知識人、諸著述家、諸マス・メディアの知識や情報を、そのまま鵜呑みにしたり模倣したりすることをしないで、あくまでも自らの生活実感と身近な生活圏やその生活過程の考察に基づいて、自分なりの判断をした方がいいのである。

 

(4)フランス知識人エマニュエル・トッド:「私が愛した多様で寛容なフランスは別の国になったように感じています」、について――
 多様で寛容なフランスといえども、それは観念的な多様性であり寛容性であるから、<現実的>な諸矛盾の噴出や諸利害の対立がない時はいいのだが、自分の・自分たちの身近な生活や生活圏やその生活過程に差し迫った<現実的>な諸矛盾の噴出や諸利害の対立が起こりはじめたならば、すなわち自分が・自分たちが<現実的>な被害を被り出すようになった時には、一般的に人は、自分の・自分たちの生活や生活圏や生活過程を守るために、そういう事態から自分を・自分たちを守ろうと考え行動し出すに違いないのである。「多様で寛容なフランスは別の国になった」と感じたこのフランス知識人は、自分の身近な生活や生活圏や生活過程が差し迫った<現実的>な諸矛盾の噴出や諸利害の対立に巻き込まれていないに違いない。また、西欧経済を主導するドイツの移民対策の寛容さには、現在的には、ドイツ労働市場における労働力不足下において労働力を必要とする<制度>としての資本家の要求という経済的理由があるに違いない。

 

 さて、ここからは、もう少し詳しく述べてみたい。

 

 ウィキペディアによれば、@フランスの人口学・歴史学・家族人類学者であるエマニュエル・トッドの世界認識の方法は、世界の家族制度を分類し、その家族型と社会の関係を提示し、近代化の過程の指標を、識字率向上と脱宗教化に置き、それが受胎調整(出産率低下)と近代的なイデオロギーの誕生を惹き起こす、という点にある。したがって、「識字率向上と脱宗教化の交差」した「フランス北部」において、「女性の出産率低下」と「フランス革命」(「世界最初のイデオロギー的爆発」)が誕生した、という。
 文明史的には、イスラム圏もその尖端(西欧的段階あるいは<超>西欧的段階)へと近づいて行くということは、それは自然史的必然に属しているから言えるのだが、宗教、法、国家は、<観念>の共同性を本質としているから、国家の構成については、人類史のアフリカ的段階における宗教が国家の役割を果たしていた国家の段階に逆行・退化・退行することがあり得るというべきであるにもかかわらず、トッドは、人類史の西欧的段階における近代国家を第一義性・価値性として前提し固定して、<一面的>に、「イスラム圏でも着実に識字率が上がり、出産率が下がっている」から、イスラム圏も「西欧に近付きつつある」、と錯誤し誤解して語っているのである。さらに、トッドは、例えば、ロシア・中国等、息子はすべて親元に残り、大家族を作り、親は子に対し権威的で、兄弟は平等であり、いとこ婚は禁止され、基本的価値を権威と平等に置くところの、外婚制共同体家族は、共産主義との親和性が高く、共産主義勢力の分布とほぼ一致する、という。このように、<一面的>な空間的地域的な観点を軸にして述べているトッドは、人が、人間の類・歴史性――人間の個・現存性の構造を生きるということ、個――対・性(身体を座とする、対・性なる意識、対・性なる観念、対・性なる幻想、その対幻想の共同性としての家族)――三人以上を構成要素とする社会的政治的な共同性、の関係と構造を生きるということ等に対して全く注意を払わず無自覚的なのである。すなわち、部分を拡大鏡にかけ全体化して、錯誤と誤謬に陥っているのである。人類の理想的な究極像である<自由>と<平等>な社会を目指す共産主義でもない国家主義的社会主義国家に過ぎないロシアや中国等を共産主義として論じてしまう錯誤性と誤謬を犯しているのである。それだけでなく、、ロシアも中国も平等ではないし、欧米や日本と同じように、官僚制(共産党)と大企業主導の社会である。また、トッドは、ドイツ、オーストリア、スイス、スウェーデン、日本、朝鮮半島、台湾、ユダヤ人社会等、子供のうち一人(一般に長男)は親元に残り、親は子に対し権威的であり、兄弟は不平等であり、基本的価値を権威と不平等に置くところの、直系家族は、秩序と安定および自民族中心主義を好む、という。直系家族は非平等社会を構成する、という。ここで、非平等とは積極的な不平等社会のことである、という。このように、トッドは、<一面的>に空間性地域性を軸として、諸家族制度における基本的価値意識(それぞれの家族制度における価値観――価値を、自由、平等、不平等、非平等、権威、慣習に置くことは、特定の家族制度のもとで生まれ刷り込まれていく先験的な価値意識のことである)の差異性が、社会構成・支配構成・文化構成の差異性を生む、ということを言いたいのである。さらに、トッドは、家族構造の研究を通じて、日本が非常にヨーロッパ的であり、特にドイツやスウェーデンに近いことを見出し、日本特殊論を否定した、という。トッドは、この発見は生涯最大の衝撃の一つであった、という。トッドは、<一面的>な文明史的観点しか持っていないから、<超>西欧的段階、高度消費資本主義段階、高度情報社会化にある日本に残存する日本的特殊としての人類史のアジア的段階における観念的遺制の問題について無自覚なのである。例えば、アジア的段階における宗教は、人間の意志によって自然を動かすことはできないと考える点でアフリカ的段階と異なるが、自然のいたるところに神が宿っていると考える点で同じ自然崇拝の段階にある。内面的な仏教も、自然を内面の原理としている。曹洞宗の道元は、只管打座による身心脱落や自己放下における自然との合一を目指した。八百万の神、多神教、神社詣は世界史のアジア的段階における名残りである。なぜならば、ご神体は山の上にある神聖な岩や樹木や滝であって、神社は参拝する場所に過ぎないからである。
 このようなトッドの<一面的>な空間的地域的な観点、論理では、例えば、人類史のアジア的段階における自然を原理とする観念的遺制の残存する日本的特殊性の問題や、人類史の文明史的尖端を歩んでいる西欧に残存する人類史のアフリカ的段階の観念的遺制である「樹木崇拝の名残り」(アニミズム)等々について説明することはできないのである。すなわち、トッドのような空間的地域的な差異性の比較論においては、それらのことを論理的に根拠づけて説明することはできないのである。したがって、吉本は、「人類の歴史……は、……(自然史の一部である人類史の自然史的過程における文明史は、自然史的必然として進歩しながら)新しい段階に突き進むわけですけれども、その際に(≪生み出された・疎外された・外化された制度、宗教等々の観念諸形態は、それらが生み落されるや否や、それらは、自然史的過程とは別の、それぞれの展開過程と増殖過程を持って時間累積されていくから、またそれらは観念を本質としているから、≫)古いものは決して滅びるわけでも、なくなってしまうわけでもなくて、それはそれなりの変化の形態をとりながら、やはり現在まで続いてくる(≪歴史的に時間累積されており、またそれら観念諸形態は観念を本質としているから、人類史の自然史的過程における文明史とは違って、逆行や退化や退行もするし、実際的に、人は、逆行や退化や退行を行うのである≫)……ことが非常に一般的な構造です」、と述べている。このように、空間的、地域的、特殊的差異的な観点だけでは世界認識・歴史認識において錯誤と誤謬に陥ってしまうから、その観点と、時間的、人類史的・世界史的、世界普遍的共通的な観点との二重的構造的なトータルな世界認識・歴史認識の方法を必要とするのである。この時、はじめて、人類史の<超>西欧的段階にある、地域・日本にも根強く残存する人類史のアジア的段階における自然を原理とする観念的遺制や、地域・西欧にもある人類史のアフリカ的段階(プレ・アジア)におけるアニミズムの観念的遺制の名残りについても説明することができるのである。
 空間的、地域的な「ナショナルなもの、日本的なもの(中略)とインターナショナルなものを対立概念と考えて、インターナショナルなものは普遍的なもので、世界的なものだと考える考え方は……疑わしい」のであって、空間的、地域的な「ナショナルなものと対立する」のは人類史・世界史における世界「普遍的なもの」・世界共通的なものなのである(『吉本隆明が語る戦後55年』)。「時間(≪人類史的・世界史的、世界普遍的共通的なもの≫)と空間(≪地域的、特殊的差異的なもの≫)を同時に共有する段階という概念」――すなわち「連続性と断続性」の構造としてある段階概念は、例えば、先ず以って、人類史・世界史の母胎・母型・原型であるアフリカ的・縄文的(プレ・アジア的)段階が、世界普遍性共通性として、差異としての空間的な地域、アフリカ黒人地域、北米インディアン地域、<原>日本縄文人地域、それゆえ樹木崇拝(アニミズム、フレイザー『金詩篇』)の名残のあるその当時に樹木崇拝をしていた西欧人地域、に存在していた、というトータルな世界認識・歴史認識を可能とするのである。また、経済的基盤を農耕に置いた空間的な地域・アジアを中心とするアジア的段階が、人類史・世界史の尖端性として存在していた時には、その段階が人類史・世界史のプレ・アジア的段階(アフリカ的・縄文的段階)を包括し止揚した段階として、世界普遍性共通性を獲得していたのである。また、経済的基盤を資本主義(生産資本主義)に置いた空間的な地域・欧米を中心とする西欧的段階が人類史・世界史の尖端性として存在していた時には、その段階は、前述した人類史・世界史のアジア的段階を包括し止揚した段階として、世界普遍性共通性を獲得していたのである。したがって、人類史のアジア的段階における観念的遺制としての天皇制国家の下で経済的基盤を資本主義に置いた戦前の地域・日本も、文明史的には西欧的段階にあった、と言うことできるのである。また、現在、経済的基盤を資本主義(消費資本主義)に置いている空間的な地域・欧米を中心とする<超>西欧的(消費資本主義的)段階が人類史・世界史の尖端性として存在している時には、その段階は、前述した人類史・世界史の西欧的(生産資本主義的)段階を包括し止揚した段階として、世界普遍性共通性を獲得しているのである。このように、この段階は、現在、世界普遍性共通性を獲得しているから、空間的な地域、西欧、アメリカだけでなく、日本、等々も包括しているのである。このような訳で、日本における現在的な危機は、「……骨肉にまで受け入れた西欧近代というものの部分で西欧とおなじ危機に陥っています。その一方で、西欧的にいえばアジア的という概念で括られる思想的伝統、習慣、風俗、社会構成、文化を引きずっています。そうすると、現在日本のもっている危機の意味あいは二重」(『世界認識の方法』)にある、と言うことができるのである。ここで、「西欧的にいえばアジア的という概念で括られる思想的伝統、習慣、風俗、社会構成、文化を引きずってい」る問題を止揚することは、人類史・世界史のアジア的段階の考察に停滞するということではなくて、アジア的段階の前のアフリカ的段階・縄文的段階にまで、<原>日本、<原>日本人にまで、歴史的な時間を遡及して考察するということなのである。このことは、それ自体、天皇制の止揚・無化にも繋がることなのである。また、ここで、二重の危機とは、第一には、日本も、欧米と同じにように文明史的な尖端性における危機を同時代的に課せられているということ、すなわち<超>西欧的(高度消費資本主義的)段階における課題、その現在的課題、その現在を止揚する課題を課せられているということであり、第二には、アジア的概念で括られる日本的特殊としてある自然思想の伝統に根ざした復古的傾向の問題を課せられているということなのである。なぜならば、危機的状況下でいつも登場してくるものは、日本においては、西欧とアジア(日本)という党派主義的な二元論的対立論であり、「私」よりも「公」を優先する意識であり、世界普遍性共通性としてある文明史的尖端性を無視したアジア的概念で括られる自然を原理とした民族性の強調であり、愛国心の強調であり、儒教思想等の復古的利用であるからである。したがって、そうした党派主義的な二元論的対立論を克服するためには、現在的課題を、すなわち現在を止揚する課題を、文明史的尖端としての現在から未来を構想するということが、同時に、人類史のアジア的段階の前の人類史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階・縄文的段階にまで歴史的な時間を遡及して考察することでもなければならないのである。梅原猛は、『日本という国 歴史と人間の再発見』で、「中国はやはり中国意識、中華思想を捨てて、アジアの一員として考える。(中略)日本もかっての大東亜共栄圏の思想を捨てて、やはり自分がたいへん迷惑をかけた過去の歴史を背負った、そういう戦後経済的に発展した国だという意識で臨めば、中国もそのようなことになってくる。(中略)アジアの思想をアジア人がよく考えて、それが今後、世界性を持つんだということをはっきり主張していかなくてはダメです」と述べているのだが、このような<一面的>な空間的な地域・アジアを観点とした世界認識・歴史認識の方法では、西欧とアジアとの党派主義的な二元論的対立論を止揚し克服することはできないのである。また、E・W・サイードは、『オリエンタリズム』で、西欧にとって差異としての「東洋人(オリエンタリズム)」は、西欧社会における差異としての「諸要素(犯罪人、狂人、女、貧乏人)」と結び付けられたと述べているのだが、このような<一面的>な空間的な地域・中東を観点とした世界認識・歴史認識の方法では、西欧と中東との党派主義的な二元論的対立論を止揚し克服することはできないのである。フランス知識人(哲学者)のミシェル・フーコーは、西欧的段階の産物である近代国家を第一義性・価値性として前提し固定して語る、すなわち国家主義(ナショナリズム)を前提し固定して語るトッドとは違って、西欧思想の危機と帝国主義の終焉について自覚的であった――@「私に興味があるのは、西欧の合理性の歴史とその限界です……」。「西欧思想の危機と帝国主義の終焉は同じものです」。そうした中で、「時代を画する哲学者は一人もおりません。というのも、……西欧哲学の時代の終焉であるからです」、A「西欧とは、世界のある特定の地域であり、世界史上のある特定の時期にあるものです」。その西欧は、近代以降において、世界普遍性を獲得した地域・「普遍性誕生の場」である。この意味で、「西欧思想の危機とは、すべての人々の関心を引き、すべての人々にかかわり、世界のあらゆる国々の諸思想、あるいは思想一般に影響を及ぼす危機なのです」、B「たとえばマルクシズムは、(中略)一つの思想形態……一つの世界ビジョン、一つの社会機構となりました。(中略)マルクシズムは現在、明白な危機のうちにあります。それは西欧思想の危機であり、革命という西欧概念の危機、人間、社会という西欧概念の危機なのです。それはまた全世界にかかわる危機……です」(『フーコーと禅』)。
 さて、文明史的尖端に位置する西欧的段階を包括し止揚した<超>西欧的段階の<一面的>な観点だけの場合、人類史・世界史のアジア的段階における地域・アジアは、次のように規定されてしまう――文明史的尖端にある西欧であれ、人類史・世界史のアジア的段階を経由しているのだが、西欧は、速やかにその段階を痕跡もないようにして超えていったから、他在であって自在、対自的であって対他的、自由を原理とする文明史的尖端性にあることを自覚していた西欧にとって、停滞と循環を繰り返す自然を原理とする東洋というのは異質で未発達な地域であり、そうした思考の対象であり、啓蒙の対象であり、経済的政治的には西欧の経済的市場や資源確保の対象であり、それゆえに、後進地域への帝国主義的な植民地支配の対象でしかなかったのである。西欧のアジアに対する未発達性や異質性の記述は、例えば次のようなものである――吉本は、西欧にとって、四季のさまざまな風物に対して、論理によってではなく心情によって無常や喜怒哀楽を感じとっていく自然思想や、普通の人たちがある悲しみを短歌の韻律に載せて表現し得る豊かな情緒性は異質として映った、というように述べている。写生を重んじる俳句は西欧でも受け入れられ易いが、豊かな情緒性が必要となる短歌は受け入れられるのは難しい。農耕を経済的基盤とするアジア的段階の特徴として、「春のはじめに皇帝は犠牲を捧げ、豊年を祈るために親耕を行う。皇帝が土地を耕し、皇后が糸を紡ぐのはシナの政治の根本方針です」(『イエズス会士中国書簡集 社会編』平凡社)。現在の日本においても、テレビ映像で流されるように、天皇が豊年の農耕祭儀を行い、皇后が養蚕し糸を紡ぐ在り方は遺制として残っている。モンテスキュー『法の精神』には、皇帝が毎年行う開田の儀式について書かれた記述がある。また、前掲書には、東洋の法律について、キリスト教を壊滅させた日本の法律の起源は「残酷とおびえ」にあると同時に、「生まれつき死を軽視」するものであるから、そのことは「日本の(≪江戸期の≫)法律の無力」の証左である、という記述がある。東洋の都市については、「デリーまたはアグラのような一つの首都全体がほとんどまったく軍隊だけによって生活」し、それゆえ東洋の都市は「野原よりいくぶんましで、いくぶん気持ちよく設営された一つの野営地に過ぎない」(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』前掲書)。東洋の技術や知識について、西洋では版画術からすぐひき続いて印刷術が起こったが、シナ人は「版画の技術をもちながら印刷術をものにすることができなかった」。「大砲用の火薬をもっていたのに、大砲を空想する」ことができなかった(『中国の医学と技術』平凡社)。中国人は「ヨーロッパ人より先にいろいろと知識を得ているが、知識の応用のしかたを知らなかった。磁石や印刷術などがそうです。……火薬の発明もヨーロッパ人より早かったが、大砲の鋳造はイエズス会士の手」をかりなければならなかった。「ラプラスは、中国に月食や日食の古い報告や記録があるのを見て、中国の天文学をほめたたえましたが、それはむろん学問の体をなしていない」(『歴史哲学講義』)。このような訳で、フーコーは、例えば、人類史・世界史のアジア的な段階においてのみ世界普遍性共通性を持ち得た<一面的>な内部的観点によって、錯誤と誤解に基づいて「からだと心とが一つになるという体験、自分とそとの世界とが一つになるという体験、それは世界的に普遍なものですね。禅が国際性を持ち世界性を持つということは、その点からも十分わかるわけですね」と述べた臨済禅の僧に対して、内部の観点と外部の観点という二重的構造的な観点を持って、「禅はキリスト教の神秘主義とは全く違うものだ(中略)キリスト教の精神性と、それに結びついた技術においてきわめて印象深いのは(中略)いや増す個別化が探究されているということです。個々人の魂の奥底にあるものを、その個人に把握させようとするのです。『おまえが何者であるのか、私に語れ』――これこそがキリスト教の精神性なのです。禅においては、精神性にまつわる一切の技術は、逆に個人を非個別化する――個性を破る傾向がある」、と述べたのである。この場合、フーコーの異議申し立ての方に、現実性と妥当性があることが分かる。なぜならば、「精神と自然との直接的な統一の段階」というものは、自然を原理とする人類史・世界史のアジア的段階においてのみ、世界普遍性共通性を持ち得たからである
 吉本は、次のように述べている――ヘーゲルもマルクスも、アフリカ的段階を世界史に組み入れる必要はないと考えた。しかし、「米ソの二極対立が終わって以降は、アフリカ的段階が、ますます重要な要素として世界史の視野の中に入ってきた」・「まだ、アフリカ諸国のほとんどは近代国家とまではいかず、部族連合国家であるとか、種族的な血縁関係を拡大しただけの国家であるといった状況であるが、独立国家的になってきた」。現存するアフリカ諸国は、いろいろな段階が混在している。西欧並みの都市ができて、外面的には西欧的段階に入ったところもあれば、森林を伐採した土地で農業を営むアジア的段階に入ったところもあり、世界史のアフリカ的段階における採取経済をおこなっているところもある。文明史的尖端性にある西欧的段階を包括し止揚した<超>西欧的段階における現在的課題、現在を止揚する課題、現在から未来を考察し構想することは、時間を世界史のアフリカ的段階にまで遡及して考察することと同じであるという点に、現在でも歴史哲学は成立できるのである。したがって、この人類史的・世界史的に西欧的であると同時にアフリカ的である地域・アフリカは、文明史的尖端性にある西欧的段階を包括し止揚した<超>西欧的段階をさらに包括し止揚して、次の段階へと移行していくことができる可能性があるのである。こういう状況の中で、先進国とアフリカ諸国の間には、返済の見込みのない借款があるから、世界規模・地球規模で、換言すれば国家を他国に開いていくという形で、すなわち対等な立場で、先進国側は資金をアフリカ側は資源の保全を前提として資源を贈与し合う、先進国側は資金供与をアフリカ側は資源の保全を前提として資源供与をし合うというように、人類史・世界史におけるアフリカ的段階が世界史の視野の中に入ってきたのである。なぜならば、文明史的尖端性にある資本主義が諸悪や諸欠陥や諸矛盾を持っていることは、制度的・システム的必然として原理的に自明なことであるのだが、資本主義は「人類の歴史の無意識(≪自然史の一部である人類史における自然史的過程≫)の生んだ……最高の出来栄えの作品」・最高の出来栄えの「文明や文化や商品」(それゆえに、倫理・道徳の対象ではないところの自然史的必然としての作品、文明や文化や商品)であるから、それゆえに、現在の課題、現在を止揚する課題を考えるという時、その「最高の作品たる根拠」、資本主義とその資本主義が生み出した文明や文化や商品を否定的に媒介しなければならないから、現在を止揚する課題を考えること――資本主義を包括し止揚し克服することが、同時に、世界史のアフリカ的段階にまで時間を遡及して考察することと同じでなければならない、からである。言い換えれば、資本制的生産様式(交換価値論)とは異なる新たな生産様式(新たな価値論)を構成しなければならない、ということである。その可能性は、人類史・世界史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階において世界普遍性共通性としてあった贈与制の歴史的批判的な調査・解明に基づくその再構成にあるのである。すなわち、国家を他国に開いていく民族国家の枠組みを超えた世界的・地球的規模での技術的・産業的・経済的な地域特性化に基づく贈与制の構成、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論の構成にあるのである。それができれば、経済社会構成を資本主義におく<超>西欧的段階を超え出て、次の段階に超出することができる。日本の古代から近世・江戸時代くらまで物々交換という贈与経済があった。一方は貨幣を提供し、他方はモノを提供するという贈与経済もある、原始・未開のアフリカ的段階では、一方はあるものが余っていて、他方は別のものが余っているということで、それぞれ取り替え合う円環的贈与経済があった。地代形態は文明の発達と共に、労働地代、生産物地代、貨幣地代と発達したが、現在でも田(土地)を貸してそれに見合った収穫物(米)を受け取る、ということが遺制として残っている。アフリカ的段階では、王が民衆に食料等を無償で与え、その見返りとして、王は民衆を奴隷売買の対象とするとか、民衆の生命奪取を行っていた。民衆は王に精神的に絶対的に帰依し、民衆と王の間では物質的なモノと精神的価値(無形なモノ)との交換が行われていた。現在の貨幣経済は等価交換を基本としているが、アフリカ的段階の贈与における交換も、等価交換の一つの在り方である、と言うことができる。近代主義経済とは違った等価交換の在り方を模索しなければならないから、貨幣経済以前にあった経済制度に範を求めながら西欧的段階を包括し止揚した<超>西欧的段階(高度消費資本主義段階)の次の、新しい段階の制度の構成が必要なのである。すなわち、<平等>な<制度としての経済>の構成が必要なのである。そのためには、世界規模・地球規模で国家を、対内的にも対外的に開いていくことが必要なのである。また、戦争が廃絶された、世界的に平和な社会、の実現のためには、民族国家を否定的に媒介した、国家の過渡的――究極的な課題の構成、究極的に国家の無化を伴う国家論・革命論の構成、が必要なのである。したがって、自分は現実主義でいくという「バカ話」に基づいた、近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定した主張・言説は、論外なのである。

 

 人類史・世界史におけるアジア的概念において括ることのできる日本に根強く残る伝統的な自然思想の問題点について、芹沢俊介は、『主題としての吉本隆明』(春秋社)で次のように述べている――「日本語は今どうあるのかを考えることは、日本語はどこからきて、どこに行こうとしているのかを考えることだ(≪現在的な課題、現在を止揚する課題は、人類史・世界史における現存する歴史的現在・歴史的環境を媒介・反復することを通して未来を考察し構想することであると同時に、世界史のその母胎・母型・原型にまで時間を遡及して考察することでもある≫)。そうしないと日本語はある段階に停滞し、そこでナショナルなものをはじめとしてさまざまな政治的、文化的世界の意図を付着させてしまう。日本語の起源の追究について、政治的文化的意図を付着させてはいけないということだ。(中略)ある段階の真理(≪例えば、アジア的な段階における経済的基盤を農耕に置いた天皇制。また、例えば、経済的基盤を資本制に置いた信教の自由が保障された政教分離の自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して語る近代主義的な朝日新聞論説主幹の大野博人やフランス知識人のエマニュエル・トッド≫)――ナショナルなもの――は、それ以前のあるいはそれ以後の段階の真理を無条件で主張することはできない(フーコーと対談した臨済禅の僧が、人類史のアジア的段階においてのみ世界普遍性共通性を獲得し得た自然を内面の原理とするアジア的な特質を拡大鏡にかけて、外部の観点をもたずにその内部の観点だけに依拠して「からだと心とが一つになるという体験、自分とそとの世界とが一つになるという体験、それは世界的に普遍的なものですね」と語った時、根本的な錯誤と誤解に陥っていたのである。したがって、それとは逆に、空間的地域的に文明史的尖端の地域・西欧(欧米)の観点からのみ、<一面的>に、イスラム原理主義の残忍さ・残虐さ・非道さを指摘し批判する場合も、根本的な錯誤と誤解に陥るのである。

 

 さて、先述したようにトッドは、「日米欧は世界経済の三極であるが、ヨーロッパ経済の中心はドイツであり、社会的、長期的、工業的である点で日本経済とよく似ている。これに対しアメリカ経済は個人主義的、短期的、脱工業的であり、資本主義の形態が異なる」、という。しかし、客観的な産業構造におけるドイツの第三次産業の割合は、2014年の時点の統計によると70パーセント弱である、日本も2010年の統計によると同じ位である。アメリカは、2010年の統計によると80パーセント弱である。客観的な産業構造から言えば、欧米、日本とも、第三次産業中心の高度消費資本主義の段階、<超>西欧的段階にある、と言うことができる。したがって、課題は、部分を拡大鏡にかけて全体化した、また根本的ではない微小な差異を拡大鏡にかけて全体化した、空間的地域的な類型化に課題があるのではなく、その文明史的尖端における諸矛盾の噴出・諸利害の対立の中における現在的課題、現在を止揚する課題を、それが良きものであれ悪しきものであれ、人類史が生み出し時間累積させてきた成果を批判的考察すること・批判的に媒介することが、同時に、人類史の母胎・母型・原型(アフリカ的・縄文的段階)へ時間を遡及して考察することと同じであるである、というトータルな世界認識・歴史認識の方法にあるのである、そのことを通した理念や理想の構想にあるのである。
 情報科学や情報技術の発達・「交通量の発達」は、人間の感覚の拡大や知識の増大や生活の利便性の向上をもたらすだけでなく、企業に労働時間の短縮や人件費等の経費の削減をもたらす。しかし、例えば、企業の側に労働時間の短縮による人件費等の経費の削減をもたらすというとき、そうした利点は<部分>でしかない。なぜならば、労働時間の短縮は、経費削減等によって企業経営とその利潤追求にとっては多くの利点があるということは言えるのだが、一方で、被雇用者の側においては、労働時間の短縮は、被雇用者の方の労働時間の短縮をもたらすわけではなく、その分被雇用者が、精神・心の集中度をその質と量において増大させなければならないということでもあり、「実質的には今までの何倍」もの「濃密な労働」を強いられるということになるからである。言い換えれば、「精神や心」を酷使しすり減らすことになり、第三次産業への産業構造の高次化は、テクノストレスや境界型精神病(正常と異常の境界を行き来するそれ)を必然的に増大させることになるのである。現在の経済的社会構成は流通産業・情報産業等の第三次産業が主体となったことで、人間にとって<部分>でしかない対他的なコミュニケーション性を重視した社会をもたらしているのであり、それゆえにその事態は、例えば、学校生活で言えば明るい子や積極的な子は「好ましい」・「良い」、暗い子や消極的な子は「好ましくない」・「悪い」というように、人間にとってもっとも大切な本来的な「価値」としての対自的な「精神や心」の面を考慮しなくなる事態を惹き起こしているのであり、「引きこもりとか、精神的な病気」を蔓延させているのである。すなわち、<超>西欧的段階における社会は、第二次産業が主体であった社会における身体的な肺病等に代わって、正常と異常との境界を行き来する精神の病を生み落しているのである。
 また、経済社会構成が製造業中心の生産資本主義中心の社会においては、ひとつの生産には様々な媒介的労働があり、その過程でのある労働とある生産物との間には直接的関係性があり、労働時間と生産量の間も可視的であった。したがって、生産の場における人間関係も直接的で可視的な関係性を有していた。しかし、経済社会構成がサービス産業など第三次産業中心の消費資本主義社会においては、労働と生産物との関係は間接的で労働時間と生産量の間も不可視的になる。すなわち、例えば、流通産業においては、商品をAからBに移動させるだけで価値を生み出すようになっている。労働量・労働時間が同じ同量同質の商品も、容器がありきたりか美しいかというイメージの違いによって商品の価値に差異を持たせることができる。こうした経済社会構成に生きる人間の関係は、間接的で不可視的であるから関係意識の希薄化を加速化させていくことになる。この関係意識の希薄化は、先ず以て戦後日本の資本主義制度の高度化と自由主義国家制度の成熟が生み出した、<私利>・<私的>利害の優先原理(意識)と<私意>・<恣意的>自由の優先原理(意識)によっている。その優先原理・優先意識は、共同体至上意識(民衆の、観念の共同性、共同意識、共同幻想)が個体性を超えて行く(共同体至上意識によって個体性が侵食されていく)という戦前の「滅私奉公・公益優先な意識」に基づき縦へ、すなわち国家権力へと集中していった、忠君愛国の政治的ナショナリズムや、立身出世の社会的ナショナリズムという大衆ナショナリズムを衰退させていった。このような関係意識の横への拡散は、共同体の統括力や企業組織等への帰属意識の衰退だけでなく、地域や家族における関係意識の衰退をももたらした。2006年6月12日の読売新聞の全国世論調査によれば、関係意識の希薄感や喪失感は、大都市部だけでなく小さな町村部にまで及んでいることが分かった。「社会の人付き合いや人間関係が希薄になっていると思う人は、2000年7月の前回調査よりも7ポイント増え、80%に達した。希薄になっていると思う人は、大都市よりも、中小都市や町村で急激に増えており、人のつながりの喪失感が大都市部だけでなく、全国的に広がっていることが浮き彫りとなった」。こうした状況は、人を、個人的な世界に内閉化させていく。そして、そうした状況を生きてきた世代にとっては、有名なスポーツ選手や有名な歌手等々と、アメリカの大統領やマルクス等々とは、等距離、等質、等価値、同じ重さの存在でしかなくなっている。また、高度な情報化社会は、倫理・道徳を強いる教員や校長や教育委員会の実態、正義に関わる警官や弁護士等の実態、仁術を旨とすべき医者の実態、政策的言語や法的言語を介して結局は支配の体制に加担していく諸知識人や諸著述家や諸マス・メディアの実態、日常的な教育と親和性の場所の家族の実態、最高に国民全体の奉仕者であるべき高級官僚や国会議員の実態、地方住民の奉仕者であるべき知事・市長や地方議員の実態、等々の<負の側面>を総体的に裸形化させている。対意識・対観念・対幻想の共同性である家族についての、秋田県教育委員会の調査によれば、「家庭の教育力」について「低下していない」と回答した人は6%であったが、「低下している」と回答した人は68%で、悩みや不安を抱えている人は66%であった。地方都市においても、家族の衰退・解体が進行しているのである(ヤフー・ニュース――河北新報、2006年8月21日)。これらの裏返された表現が、現在における、絆、恩返し、等である。
 社会全体の時間性は、客観的な産業構造における中心的産業・企業によって主導される。現在、人の日常性、生活の仕方や生活過程における感じ方・考え方が、衣食住に重心を置くのではなく、高度消費資本主義段階、高度情報化社会において、例えば、諸マス・メディアを通して毎日流され続けているファッション・美容・グルメ・旅行・健康・ペット等々の情報(話題)に対する共有願望(皆と一緒でありたいという感じ方・考え方)によって、さまざまな流行に追い立てられている。吉本は次のように述べている――産業構造が物の<生産>を主とする第二次産業の段階にある場合は、その中の主たるリーダー企業の時間性が社会全体の時間性を支配していく。同じように、産業構造が物の<消費>を主とする第三次産業の段階にある場合は、その中の主たるリーダー企業の時間性が社会全体の時間性を支配していく。すなわち、リーダー<産業・企業>の循環時間(生産→流通→消費)が社会全体の時間性を支配する。したがって、例えば、現在のように、サービス・情報産業がリーダー企業の場合は、情報化社会を主導する情報産業の時間性が社会全体の時間性を支配することになる。このことは、産業においてだけでなく、それを基盤とした物(情報・ファッションとしての衣服)や人間の心・精神(情報・ファッションとしての衣服の共有意識・共同幻想・観念の共同性)においても起こる。しかし、そうした高度情報化社会の社会像は、「それ自体として希望でも絶望でもありえない」・「体制的でも反体制的でもありえない」。なぜならば、それは、自然必然史に属する事柄だからである。すなわち、「たまたま体制を担う権力によってタクトをふられる」というだけである。したがって、「倫理をはさみこんでそれに意味をつけようとする試み」は退けられなければならない(『ハイ・イメージ論T』)。また、高度情報科学・情報技術におけるメディアを通して、「映像的人間」と「現実的人間」が等価値化・同一化される「混合空間」が生み出されている。高度情報科学・情報技術における映像は、「人間をある意味形成……あるイメージ形成の場所に引き込んでゆく」ことができる場所を生み出した。したがって、現実的人間が映像的人間に憑依され易くなっている。情報科学や情夫技術の高度化は人間の感覚を拡大し研ぎ澄まし、高度消費資本主義社会は現実的な衣食住を第一義としない豊かなイメージ価値を消費する社会として、異常と正常との境界を行き来する精神の病を生み落しし、自己の身体そのものが消費の対象とされている――作家・中村うさぎは、「買物依存症」がおさまったとき、今度は「美容整形に走り」、現在「顔で原型をとどめているのは口と鼻先の二カ所だけ」となった・「以前なら年をとれば容貌が劣化し、静かにあきらめていけた。現代人はあきらめられない地獄に突き落されている」・「私は消費社会の漂泊者でいたい」(「朝日新聞」夕刊、2006年9月22日)と述べている。正常と異常との境界を行き来する、この消費社会における中村の感じ方・考え方は、作家・中村の固有性としてあるのではなく、一般の老いから若きに至るまでその通りだと言い得るところがあある。このことは、毎日のテレビ映像や散歩を通して、日常性の中で体験的に知る得ることである。ヤフーニュース(12月16日、16時18分配信)に、「風俗をセーフティーネットに生きる女性は、特別な存在ではなくなりつつある。高騰する学費をまかなうために風俗を選ぶ都会の女子大生も、後を絶たない」という記事があった。この記事で、驚愕して、「え!?」と思ったことがある。それは、父のリストラを契機として、学費と私費留学費のために大学2年の時に風俗嬢となった、現在は志望企業に内定をもらっている、大学4年の女子大生のことだった。ここまでなら、苦労したんだな、という話なのだが、それゆえに驚愕したのは、次のような言葉にあった――「こんなにお金がもらえるの、って驚きました」・「1カ月くらいで……30万円は超え」て、「全然風俗を辞める気が起こらなくて、まだ続けています。奨学金の返済があるから就職しても辞めません」・「微笑みながら」「風俗という仕事があって、本当に良かった……」、というくだりである。この、「微笑みながら」「就職しても辞めません」というこの言葉には経済的理由以外の含みもあって、それは、「微笑みながら」自己身体を消費の対象とするという含みとイメージ(ブランド)としての商品を身に付けることへの欲望を満足させたいという含みであって、奨学金を返済した後も、また婚姻した後も、さらに続けるという含みがあるように思われる。このような「『女子大生風俗嬢』は、特に都内の有名私立大学で増えている」、という。「40年前と比べて、国立大学の学費は15倍、私立大学でも4倍以上に跳ね上がっている」が、「大卒男子の初任給は2倍強にしかなって」いない。「苦労して普通の就職ができたとしても、一度心身の不調やリストラ、親の介護などで仕事を失えば、生きる術を奪われかねない。特に都会では、生活コストは重くのしかかってくる。30代、40代の働き盛りの世代にとっても『下流化』は人ごとではない」。終身雇用制度と年功序列型賃金体系が衰退・解体している中で、「いまパートや派遣などの非正規雇用が4割を占めている。つまり、職場が担ってきた福祉のセーフティーネットからこぼれ落ちる人が増えている」。「6人に1人の子どもが貧困状態とされ」ている。このような不信・むなしさ・不安が蔓延した状況下においては、社会は不安定になるに決まっているのである。世界の中において非常に安定していた社会を構成していた日本を、このような不安定な社会にしまった張本人は、構想力を持たない場当たり的な、何でもかでも欧米依存の高級官僚、政治も学問もアメリカ依存の無能な政治家小泉純一郎であり無能な経済学者の竹中平蔵である。扇動家の小泉純一郎は、勇ましい言葉を投げかけて、人類史・世界史のアジア的段階の日本における肯定的な良き成果(日本の社会を安定化させた終身雇用制度と年功序列型賃金制度)まで破壊してしまったのだが、、マルクス自身が述べていたように、何でも破壊すればいいわけではないのである――半アジア・半西欧の「ロシアは、近代の歴史的環境の中に存在し、より高い文化と時を同じくしており、資本主義的生産の支配している世界の市場と結合している。そこで、この生産様式の肯定的成果をわがものにすることによって、ロシアは、その農村共同体のいまなお前古代的(≪人類史・世界史の古典・古代の前段階であるアジア的段階≫)である形態(≪相互扶助意識の肯定的成果≫)を破壊しないで、それを発展させ変形することができる」(『資本主義的生産に先行する諸形態』)。

 

 また、トッドは、ドイツや日本やユダヤ人社会等、子供のうち一人(一般に長男)は親元に残り、親は子に対し権威的であり、兄弟は不平等であり、基本的価値を権威と不平等に置くところの、直系家族は、秩序と安定および自民族中心主義を好み、積極的な不平等社会としての非平等社会を構成する、という。しかし、日本の江戸期にも男女の平等性はあったのである。人類史・世界史のアジア的段階にあった地域・日本の江戸期の離婚制度における男性の側の三行半と、女性の側の衣類や家具や持参金に対する財産権的な対抗措置という男女の平等性の在り方は、アジア的段階の前、すなわち血縁の氏族共同体を基礎とする原始的段階(アフリカ的・縄文的段階)においては世界普遍性共通性としてあったところの、所有権や管理権はなかったとしても女性から女性への財産等の相続・継承という、また家族においては妻の自主性や自由の度合が大きかった「母系制」(祖父江孝男『文化人類学入門』)の遺制として、位置づけることができるのである。したがって、江戸期の男女平等性は、個人原理に基づき明確に法制化された西欧近代の萌芽では決してなく、逆に世界史のプレ・アジア的段階・アフリカ的段階・縄文的段階の観念的遺制として位置づけ得るのであって、その意味でそれは新しいことでも進歩的でも革新的でもない。また、世界史のアジア的段階における、自分の所属する村落が世界のすべてであるという閉じられた農耕村落共同体の在り方は、「出産・婚礼・葬儀・病気・火事・旅行・建築・法要・水害・負傷の際の相互扶助」の自然感情・意識を育むが、一方で未開の心性や「村八分」や「世間体」や、村落以外のことに対する無関心をはりつかせており、共同体至上意識がいつも個体性を越えていくという負の心性も有しているので、それらは人間個体を抑圧したり、自死に追い込んだり、共同体構成を中央集権化させたりする根拠ともなるものなのである。
 人類史・世界史のアジア的段階における中国にも孟子の「民本主義」と「易姓革命」論があるから、すでに中国にも西欧的段階が存在したのではないかという主張(金谷治『中国思想を考える 未来を開く伝統』中央公論新社)がある。しかし、その主張の問題点について、吉本の、方法としての「時間――空間の<指向性変容>」論・「構造的時空置換」論に基づいて扱えば、次のように<否>と答えることができる。すなわち、第一に、世界史のアジア的段階においては、人びとの間に、近代市民社会の成立に根拠を有する、西欧近代の特徴である他在であって自在、対自的であって対他的、自由な自己意識の無限性という自由の原理の認識や自覚がなかった、第二に、「民本主義」と「易姓革命」論の内容は世界史のアジア的段階の前、プレ・アジア的段階・アフリカ的段階・縄文的段階における絶対的専制の遺制・名残り・心性・認識構造に依拠していたということができる。アフリカ的段階において王は、政治制度としても、土地所有者としても、絶対的専制君主ではあったが、「疾病のような凶事が襲ったり、失政をまねいたり、天変地異などが永く続いたりすると、王の無能や不手際とみなされ、罷免されたり、殺害されたり、障害の生けにえ にされた。この意味で王は裏返された絶対奴隷だともいえた」からである(『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。「王殺しの伝承」も残っている(山口昌男『文化人類学への招待』)。そうした絶対的専制君主の後者の在り方が、孟子のいうところの「民を貴しと為し、社稷これに次ぎ、君を軽しと為す」や、武王による殷から周への王朝革命(殷周革命)における「民衆にデタラメをして忠義な家来をないがしろにするようなのは本当の」王ではないから、「そんな者は殺してしまってもかまない」とされる王の在り方に対応しているということができる(『中国思想を考える 未来を開く伝統』)。ヘーゲルは、「中国ではすべての個人の平等がたてまえとされ、統治権は皇帝という中心に集中して、特殊な個人が自立したり主体的な自由を獲得することがなかった」(『歴史哲学講義』)と述べているのだが、その「平等のたてまえ」とは世界史的なプレ・アジア段階・アフリカ的段階・縄文的段階における、氏族制の遺制・名残りとしてそうであったということができるのである。
 「ガタリという思想家が宇野(邦一)さんという日本の文学者の『日本とは何だと思うか?』という質問に答え」たその内容について、吉本は次のように述べている――ガタリが言いたいことは、「現在の世界のどんな国家や社会でも受け入れの固有な選択性をもっている。ところが、日本は……アジア・アフリカからきても西欧社会からきても、あらゆる思考方法はこの中で一種の修正を蒙りつつも受け入れられて消化されてしまう。その意味では日本は無選択で、これが日本が『世界都市』だということの大きな根拠だ」ということである、と。このような、自然を原理とする人類史・世界史のアジア的段階における日本的特殊性は、芸術・文学の分野においては、「イメージの独特な柔らかさとか甘さとか、あるいは独特な優美さとか」、「さまざまな構造」において残っている、産業においては、「独特のアジア型の経済体が残って、日本の産業をプラスにしたりマイナスにしたりする度合を強めている」。空間的地域的な<一面的>な観点しか持たないトッドの世界認識の方法では、ヘーゲルと同じように、次のような折口信夫の「自歌自註」についても、説明することはできないのである。折口は、「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」(釈迢空)を「自歌自註」して、「もとより此歌は、葛の花が踏みしだかれてゐたことを原因として、山道を行った人を推理してゐる訣ではない。人間の思考は、自ら因果関係を推測するような表現をとる場合も多いが、それは多くの場合のやうに、推理的に取り扱うべきものではない。これは、紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじましてゐる処を歌った」と述べている。折口の情緒性にとっては、「紫の葛の花が道に踏まれて、色を土や岩などににじましてゐる処」に、「色あたらし。」と「切れ目」を入れざるを得ないほどの「新しい感覚」を体験したのである。この折口の詩歌の在り方に対して、他在であって自在、対自的であって対他的、自由な自己意識の無限性を認識し自覚した、自由を原理とする西洋近代の代表者のヘーゲルの芸術美は、明確である――「芸術美は精神からうまれ、くりかえし精神からうまれる美であって、精神とその産物が自然とその現象よりすぐれているのに見合って、芸術美も自然の美よりすぐれているのです。……精神こそが一切をそのうちにふくむ真の存在であって、すべての美は、すぐれた精神とかかわり、すぐれた精神のうみだしたものであることによって、はじめて本当に美しいといえるのです」(『美学講義』)。 
 トッドは、ドイツや日本やユダヤ人社会等、基本的価値を権威と不平等に置くところの積極的な不平等社会としての非平等社会を構成する、という。ドイツも、日本も、経済的基盤を<超>西欧的段階の高度消費資本主義段階に置くところの、信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家であるから、先ず以て、次のように言うべきなのである――文明史的尖端における私利・私意を精神とする近代市民社会の上に聳え立つ完成された近代国家、政治的近代国家において、人は、その思惟や現実生活において、天上の観念的日常(政治的共同性における国民的・公的観念生活)と地上の現実的日常(市民社会における個別的私的現実生活)との二重の生活が強いられる。具体的に、私人として、一方で、私利・私意に基づく利己主義的な私的他者との対立・争いの生活、他の利害共同性との対立・抗争の生活と、他方で、あたかもそうした対立や抗争のないところの、観念の共同性を本質とする法によって統一された公的共同性の一員・公民・国民としての観念的生活という二重の生活が強いられる。なぜならば、宗教から解放された観念の共同性を本質とする近代国家、自由主義国家、政治的近代国家において、人は、社会的現実的に究極的総体的永続的に解放されていなくても(しかし、観念的法的政治的に相対的部分的過渡的には解放されている)・自由でなくても(しかし、恣意的には自由であり得る)・平等でなくても(しかし、経済的社会的に不平等であっても、観念的法的には平等であり得る)からである。したがって、この宗教から解放されたところの完成された政治的近代国家の段階においてはじめて、国家の問題は、現世的問題、政治的近代国家の<批判の問題>となるのである。この、宗教、法、国家へと至る観念の共同性を本質とする国家は、最下層の共同幻想(風俗・習慣、心性、宗教等)を含めて全ての共同幻想を包括した最高位の共同幻想(観念の共同性)としてある。この国家の国家意志(共同幻想、観念の共同性)は、刑法・民法等を規定する法制的中枢としてある憲法として構成される。国家は、そうした観念の共同的形態あるいは共同的な観念あるいは観念の共同性として、具体的で現実的な市民社会に対峙する。その場合、国家は、その具体的で現実的な市民社会に対して、ちょうど個体的自己の観念が身体を座として持つように、可視的な政府・官僚機構(法の支配の下での方による行政に基づく政治的近代国家における職能団体)・政府系企業という擬制された身体性をもって対峙するのである。このことは、アメリカにおいても、イギリスにおいても、フランスにおいても、同じである。ただ、自然を原理とする人類史のアジア的段階における観念的遺制を残存させている日本の場合には、次のようなようなことがあり得る――人類史のアジア的段階における「中国では君主が家長として人々の上にたちます。国家の掟は法律的な条項だけでなく、道徳的条項をもふくんでいて、だから、主観が自分の意思の内容を知るといった内面的な事柄までが、外面的な法令として強制される。(中略)それは、道徳律が国家法のようにあつかわれ、法律が道徳をさだめるものとうけとられているからです 」(ヘーゲル『歴史哲学講義』)、ということがあり得る。言い換えれば、人類史のアジア的段階における原理は、自然原理としての「天」であり、それは「道」であり、未分化のままの政治制度(共同性)と道徳(個体性)との混在であり、その自然原理の体現者は、徳あるものとして天命を授けられた専制君主(親・父)であり、そのもとに臣民(子)がいて相互に徳を実践することによって、「修身斉家治国平天下」が成立するのであり、その場合、個や家族や社会や国家は地続きに国家に包摂されてしまうのであり、それゆえに被支配は支配の暴政や抑圧や暴挙に対して、天然自然の災害を受け入れるように受け入れていくことになる、ということがあり得るのである。それに対して、人類史のアジア的段階を痕跡もないように速やかに通過した地域・西欧における西欧的段階において国家は、規模としてはその基盤である市民社会よりも小さな<政府>として認識し自覚されているのである。言い換えれば、自由を原理とする地域・西欧における西欧的段階において観念の共同性を本質とする政治的近代国家は、国家を第一義性・価値性とする国家主義としてのそれであるが、それは、少なくとも自己意識においては、自己還帰する、他在であって自在、対自的であって対他的、自由な、自己意識が対象化したそれとして認識され自覚されているのである。すなわち、この西洋近代においては、個と共同性は、対立し逆立するそれとして把握されているのである。したがって、重要なことは、国家論・革命論における過渡的――究極的な課題についての構想と提示にあるのである。したがってまた、国家について、。近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して論じてしまったならば、それは「バカ話」としかならないのである、すなわち「本質的な話」とはならないのである。

 

 さて、議会制民主主義は<擬制>民主主義である。吉本は、次のように述べている――先ず以て、<民主の実体>は大多数の被支配としての一般大衆・一般国民にある。したがって、知識(理論)の課題は、その一般大衆・一般国民を歴史の主人公とするために、知識(理論)が社会構成・支配構成・文明的――文化的構成の時代水準によって変容するその大衆像と大衆的課題を絶えず繰り返し繰り込んで行くことが必要となるのである。したがって、このとは、大衆同化、大衆迎合、大衆啓蒙とは全く違うものなのである――「物質的な力は物質的な力によって倒さねばならぬ。しかし理論もまた、それが大衆をつかむやいなや、物質的な力となる」(『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』)、これである。市民主義的知識人は、「個人の原理はすべてに優先する」という。そして、その「個人の原理」は国家の原理を超えるという。しかし、ほんとうはこう言うべきなのである――個人原理は、「恣意性のうえに成りたった個人原理、恣意的自由、(中略)のうえに成りたつ自由(≪戦後日本の資本主義制度の高度化と自由主義国家制度の成熟がもたらした法的政治的な自由に基づくそれ≫)であるから、市民社会における個人の特殊原理を尊重するというのは、まさに(中略)近代国家の意識(≪その基盤・座である市民社会の私利・私意の精神、私的利害と恣意的自由を優先する意識≫)というもの、換言すれば近代国家というものを想定せずしては成りたたないもの」である。したがって、「そういう個人原理が近代国家の原理を超える」ことはあり得ないのである。なぜならば、近代国家なくして個人原理はないからである(『国家・家・大衆・知識人』)。人間の存在様式は、個――対・性・その対の共同性としての家族――社会的政治的共同性を生きるという点にあるのだが、歴史的には西欧近代、人類史・世界史の西欧的段階に至ってはじめて、家族から個が分離されてきたのである。このことは、人類史・世界史の西欧的段階に至ってはじめて、個体的自己というものが認識され自覚された、と言ってもいいのである。
 また、1960年代後半の大学紛争における大学知識人の在り方については、吉本は次のように総括している――戦中・戦後にかけて知識的過程を歩み、戦後過程において民主主義(市民主義あるいは進歩主義)を標榜した大学知識人は、大学紛争に対してその収拾のために、「たとえ一人であっても」自らの思想で思想的に学生たちに対峙するのではなく、もっとも安易で卑劣な機動隊導入という技術的対応で立ち向かった。このことは、大学知識人が、大学の自治と学問研究の自由を外在的権力に譲り渡したことを意味した。それだけでなく、大学知識人の知識が、現実の状況と関わらせることなく、その架空性における知識内部で円環し――バルトは、このことを、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』で、「すべての大学社会の神学」は「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの神学」であると述べている――、「戦後二十年を経て来た(思想の)蓄積」を果たしてこなかったことを露呈させたのである。このことは、「戦後民主主義」が、「学園紛争のなかで、思想的に完全に終」わったことを意味している。また、丸山真男が『現代日本の革新思想』のなかで、吉本のような評論家等を「心情的ラジカリズムを持っている連中」として批判したことに対して、吉本は、「大学教授が偉いとか、優秀であるとかいえるのは、自己の専門の学問の領域で、一定年数研鑚をつんだとか、そういう意味でいえるのであって、それ以外の意味では決して偉くも何ともない」のであり、「問題は、そういう発言が自然に出て来る基盤で、この社会が通用せしめている特権に対して、全く自覚的でないという」点にあるのである。したがって、市民社会の秩序、すなわち市民社会に流通している価値観や常識が容認しているものを、無自覚に受け入れるか、自覚的に無化させていくかという問題は、資質の問題であると同時に、思想の問題でもあるのである(『大学論』)。 また、吉本は、丸山と異なって、「公」や社会の利害よりも「私」的利害を優先する原理(意識)を、戦後的価値として、過渡的な、「真性の『民主』(ブルジョア民主)」の確立や大衆の自立の契機として把握した。なぜならば、それは、ブルジョア民主を包括し止揚(無化)して、ほんとうの、民主を構成し得る物質的現実的基礎(契機)となるものだからである。また、なぜならば、それは、日本の大衆がはじめて共同体至上原理という共同幻想の呪縛から解放される物質的現実的基礎(契機)となるものだからである。「理論もまた、それが大衆をつかむやいなや、物質的な力となる」のである。すなわち、ほんとうは、戦後日本の資本主義制度の高度化と自由主義国家制度の成熟がもたらした「私的利害の優先原理」(意識――大衆の無意識の共同性)を、過渡的課題として先ず以てそれを物資的現実的基礎として、真性の「民主」(ブルジョア民主)への契機として評価しない限り、ブルジョア民主主義を包括し止揚して超えることはできないという把握の仕方に、知識人における思想の課題はあったのである。
 また、敗戦から安保闘争を経て大学紛争、そして消費資本主義段階に入る1973年頃に至るまでの戦後過程における資本主義制度と自由主義国家制度は、大衆像と大衆的課題に次のような変容をもたらした。すなわち、その戦後社会の制度自体が、大衆に「公」や「社会の利害」よりも「私」的利害を優先させていく「私」的利害の優先原理(意識)を浸透させていった。そして、その意識は、共同体至上意識がいつも個体性を超えていくという戦前の大衆における縦へと集中していった「滅私奉公」意識に基づく大衆ナショナリズムを衰退・解体させ、横へと拡散させていった。と同時に、その意識は、共同性の統括力を衰退させ、さまざまな場で関係意識を衰退させ希薄化させていった。しかし、日本の「大衆」は、初めて「滅私奉公」意識の外部に出て、「真性の『民主』(ブルジョア民主)」の確立や自立への道の端緒についた。すなわち、日本の「大衆」は、ブルジョア民主主義を包括し止揚していく端緒についた。また、その意識は、革命の究極像としてある、国家の無化・死滅への契機ともなり得るものとしてあった。したがって、このような日本の大衆の成熟を、戦後的価値として知識人が自らの知識・思想に繰り込んでいくところに知識人における知識・思想の自立の課題はあった。「人間が立ち向かうのはいつも自分が解決できる課題だけである。というのは、(中略)課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめている場合にかぎって発生する」からである(マルクス『経済学批判』)。 また、吉本は、一国革命を評価する花田清輝のコミュンターン式インターナショナリズムを批判し、インターナショナリズムの本質は「国家権力によって疎外された人民による国家権力の排滅と、それによる権力の人民への移行――そして国家の死滅の方向に指向される」 ところに置いた。「それぞれの国家権力のもとでの個々の人民 のたたかいの動向の総和以外に世界史の動向とか、革命のインターナショナリズムなどは存在しない」 。ここで重要なことは、たたかいの主体である人民とは、「人民としての自分自身と、その連帯としての大衆」のことである(『民主主義の神話 擬制の終焉』)。

 

 現在においても、「共同幻想の高度な水準は依然として国家」にある(『吉本隆明全著作集14 国家・家・大衆・知識人』)。「共同幻想に対して個人幻想(≪個体的自己の自己観念、対自的で対他的な自由な自己意識≫)の世界に属する文学・芸術というものは、必ず逆立する」。したがって、「文学で政治に奉仕しよう」という政治や文学の立場は止揚されなければならないものである(『吉本隆明全著作集14 人間にとって思想とはなにか』)。また、ロシア革命は、人間の政治的観念的な相対的部分的過渡的な解放である「政治体制の幻想的な革命である政治革命」であって、人間の社会的現実的な究極的総体的永続的な解放である「社会革命を意味するもの」ではなかった。したがって、その場合には、「文学は個人における内面の自由、恣意性、自由な仮象としてしか現れない」(『吉本隆明全著作集11 共同幻想論』)のである。国家の共同性は、第一に、社会福祉、道路・交通・通信・上下水道・ガス・電気・学校・病院・公園等の産業や生活関連の社会資本の整備を行う国家の「社会機能」、経済社会構成に対応する国家、「経済的国家」と、第二に、国家の内的本質、観念の共同性としての「幻想としての国家」(共同的な宗教が国家の役割を果たす国家の段階、法が国家の役割を果たす段階、国家の宗教からの解放の段階、すなわち信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家の段階)との二重構造において考察する必要がある。この国家の二重構造性に基づいて、ある地域性を有した地域的国家が存在するのである。したがって、戦前の日本における天皇制国家のように、経済社会構成を資本主義制度に置きながら、観念の共同性を本質とする幻想的的国家(観念の共同的形態としての国家)を、人類史・世界史のアジア的段階における観念的遺制である宗教としての天皇制に置くことができるのである。国家は、権力の意志を法によって表現する。すなわち、国家は、法の構造、権利義務構造を国家の権力構造へと垂直化させていく。初原的国家段階以前の法概念において法は、農耕法的概念としての天津罪と、婚姻法的・呪術法的概念である国津罪との混在としてあった。こうした法概念は、「宗教的な共同意志」として「呪術的」になるか、「政治的な共同意志」として「明瞭な刑罰性の概念」となるか、という二重構造性を持っている。田圃の侵犯の罰則は、宗教的な権力のところでは清払によって罪は解消されるが、現世的な政治的な権力のところでは、下戸(一般大衆)は奴婢階級の地位に格下げされる。このように混在的な法概念は、経済社会構成体の発展と、共同体の共同幻想(観念の共同性)の自体的展開と自己増殖過程において明確に分離されていく。すなわち、AによるBの田地に対する侵害は、AのBに対する侵犯という水平的な法概念から、法を占有する支配権力自体に対する侵犯行為という垂直的な法概念に転化されていく。基本形としてA・B・Cの合意に基づく法(共同幻想、共同の意識、個体的自己の対他意識の共同性)におけるAのBに対する水平的な侵犯行為は、A・B・Cの中の法を占有する者に対するAの垂直的な侵犯行為へと転化されていく。このとき、法は法的<権力>となる。このように観念の共同性を本質とする「国家というものと国家権力(≪垂直化した権力関係≫)」とが違うように、「法というものと法権力」とは、それが水平的か垂直的かという点で差異がある。このように、3人以上の集団を基本とする共同性において、もともと水平概念であったものが垂直的な概念に転化されていくことが、本質的に個体的自己の自己幻想・自己観念・自己意識が共同幻想と逆立していく根拠である。階級概念も、現実的で具体的な個別的な市民社会では、労働者の子が資本家であったり、資本家の子が労働者であったりというように百人百様の現れ方をする。しかし、経済社会構成を中枢とする理念としての市民社会においては、一方が資本家なら他方は非資本家であるというように、垂直的な概念に転化する。マルクスが述べたように、「資本家や土地所有者」は「経済的範疇の人格化」、すなわち経済的範疇において抽象化された人格であり、その限りで、「階級関係と階級利害の担い手である」。したがって、マルクスは、「決して個人を社会的諸関係に責任あるものにしようとするのではない」と述べたのである(『資本論』)。本質的に共同幻想と逆立する共同幻想はないから、全ての共同幻想は、共同体の個々の成員に対して権力に転化してしまうことになる。したがって、個体の自己幻想において、国家を「風俗、習慣的な慣行律」、家族的習慣、宗教、法まで含めて共同幻想の一態様として認識し自覚的に把握するとき、少なくとも観念の共同性を本質とする国家を第一義性・価値性として措定しそれから抑圧されていく錯誤だけは犯さずに済むのである。日本における国家の起源は、歴史に登場する九州の邪馬台国や近畿・大和盆地を基盤とした大和朝廷にあるのではない。また、国家の起源は不可視な共同幻想、すなわち観念の共同性を本質としているから、古墳・土器・武器等の考古学的資料の科学的分析によっては本質的には解明できないのである。したがって、本質的に解明できるとする主張は「タダモノ論」(唯物<主義>)でしかないのである。「国家が法律を作ったのではなく、まず宗教があって、それが法律になって、それから国家(近代国家)が生まれた」のである。すなわち、共同的な宗教から法へ、法から国家へと流れくだる「国民国家というものは、宗教のもっとも新しいかたち」なのである。国家もその一形態であるが、「あらゆる共同幻想は消滅しなければならないということは、究極の<読み>としてはっきりしておかなければならない」。「これは究極の<読み>、いいかえれば、<思想>の原理」、「構想力の問題」であるから、「<空想>としてではなく言い切るべき問題として存在」している(『吉本隆明全著作集14』「国家論」)。したがって、文明史的尖端にある近代国家、政治的近代国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して論じているトッドは、フーコーが異議申し立て・揶揄・批判した「形而上史学的な歴史の科学」の信奉者に過ぎないと言えるのである。したがって、観念の共同性を本質とする政治的近代国家の止揚と無化の課題は、その共同幻想の階梯を書かれた以前の過去にまで、時間を遡及して考察していかなければならないのである(『超恋愛論』)。また、フーコーは、統治には、「生−権力」的な政治的合理性を必要とする、と述べている(『全体的なものと個的なもの――政治的理性批判に向けて』)。このことは、支配は被支配を鏡とする、と言い換えることができる。日本の古代に例をとれば、聖徳太子の『十七条憲法』の16条に、農民を使用する場合には、農閑期の冬にすべきであって春から秋にかけては使用すべきではない、というように規定されている(相賀徹夫『日本大百科事典 11』小学館)。この春から秋にかけては農民を使用すべきでないという規定は、確かに農民のためのものではあるが、その主旨は、支配の側の経済的基盤が農耕にあり貢納制を採用していたから、農耕の周期と季節の周期が一致する春から秋にかけては農民には農耕に専念させるべきであるというところにある。このように、農耕の主体は農民であり、その生産物の処分・享受は農民の側にあるにもかかわらず(なぜならば、農業の基本は、先ず以て「自給自足」にあり、次に「余剰分を市場で売る」ことにあるから)、農民に関わる規定の制定権は農耕を経済的基盤とし貢納制を採用する支配の側が持っていたから、この16条の規定は、その支配の維持と強化にあることが分かるのである。余談であるが、吉本は、次のように述べている――農業の基本は「自給自足」であって、「余剰分を市場に出荷する」、点にある。しかし、ロシア・マルクス主義は、「全き自由(完全な自由)」ということを、また制度としての経済における最大限の平等性の実現ということを理念・政策とせず、農業と工業の循環を最適化する計画経済の管理を国家(共産党、高級官僚)に置いて失敗した、と。

 

 「日本の国家というのは、近代国家として、せいぜい百(≪五十≫)年、それから日本の古代国家・律令制国家・天皇制国家としてせいぜい千数百年です。それならば、天皇制国家以前に(≪すなわち原日本に≫)、国家以前の国家はなかったと考えたら、歴史をまちがうことになる……。……それ以前に(≪すなわち原日本に≫)、国家以前の国家というのは」あったのである。国家以前の国家を考察するという場合、「せいぜいさかのぼって千数百年」の「弥生式国家は、他愛のないもの」であって、「少なくとも四、五千年の範囲でわが国家(≪わが原日本の国家≫)というものはかんがえられ」る。また、それと同じように、日本列島には、「旧石器時代またはそれ以前から」先住民・原日本人が「住んでいた」のであって、決して天皇制国家成立以降においてではないのである。この認識と自覚は重要である。近代国家を<政治的近代国家>として捉えるということは、資本主義社会を前提とするということである。すなわち、現在、産業構造的には天皇制の基盤であった農耕・農耕村落共同体は解体されているから、政治権力としての天皇制・制度としての天皇制ファシズムはほとんど解体していると言える。それだけではなく、戦後憲法の象徴天皇制の規定により、憲法上も政治権力としての天皇制の問題は終焉していると言える。しかし、宗教としての天皇制は「現在、資本主義の<影の部分>」として、「<政治>的な標的としては副次的なものに過ぎない」のだが、「<歴史>的に根底をつきくずさなければ」「一木一草にまで染みついているという問題は解決」できないのである。すなわち、そうしない作業を行わないならば、その問題を止揚し無化することはできないのである。政治的権力と宗教的権力を有した天皇制が成立していたのは奈良朝以前の初期天皇制の時期だけであり、天皇制的な専制君主が、「機構化されたのは律令官制による」が、「日本的なデスポットとしての天皇制」の特徴的威力は、「政治的権力に直接たずさわっているときも、間近にあるときも、遠ざかって棚上げされているときも、<天皇制>が一貫してその背後に<観念>的な<威力>を発揮していたという事実にある」(『どこに思想の根拠をおくか 思想の基準をめぐって』)。国家を観念の共同性(共同幻想)の一形態と考えず、土台――上部構造論において天皇制の問題を扱えば、戦後資本主義の成熟と高度化、すなわち市民社会の成熟によって天皇制の問題はほぼ解体・終焉したことになるのだが、天皇制のもうひとつの側面である宗教的権力(宗教的威力)としての天皇制は人類史・世界史のアジア的段階における観念的遺制(なぜならば、天皇制の経済的基盤であった農耕は、現在、客観的な指標である産業構造的に衰退・解体しているからである)として今も残存し続けているのである。このように、「象徴天皇」という曖昧な規定と共に、宗教性としての天皇制は、人類史・世界史のアジア的段階における観念的遺制として残存しつづけているから、いつでも、人類史・世界史における世界普遍性共通性を無視した日本の自然思想の伝統である日本的特殊としての民族性を強調する権力は復古してくるし、また自己と異質な外部的な産業的思考や個人主義的思考に対しても「権力」として復古してくるのである。したがって、その起源である大和朝廷が成立した以前にまで時間を遡及して考察し追究し、そうした自然思想の伝統を止揚し無化していく必要があるのである。吉本の『共同幻想論』の意味は、「日本の南島を中心とした風俗習慣が、一種の母権制を保存していて、その風俗習慣を追究していくことで、共同幻想という考えのなかに、歴史的なもの(≪その段階においてどの地域においても世界普遍性共通性としてあったところの、人類史・世界史におけるプレ・アジア的段階とアジア的段階の差異性≫)をはめこめる」ことにあったからである。すなわち、この後者の南島における「母権制の遺制」は、日本「本土における天皇制以前の段階を保存していると理解」して考察し追究していけば、南島から日本本土の「天皇制」を相対化し止揚し無化できるのである。したがって、ほんとうは、南島出身の「沖縄学者、民俗学者」・知識人は、この観点に立脚して南島から日本の国家・天皇制的遺制を相対化し止揚し無化すべきであったにもかかわらず、その学問的なモチーフを、日本本土の日本人との同一化およびその「差別」の「解消」に置いてしまったのである(『吉本隆明が語る戦後55年 3』)。

 

 さて、吉本の『知の岸辺へ 家族・親族・共同体・国家 日本〜南島〜アジア視点からの考察』および『敗北の構造 南島論』)によれば、次のように言うことができる――
(1)人類がとってきた婚姻の段階――婚姻の三形態
 この婚姻の三形態は、どこの地域においても――すなわち、南島、日本本土、アジア諸国、太平洋の島、ヨーロッパにおいても、世界普遍的共通的に存在していた。
ア)共同婚の段階――この婚姻形態は、「集団婚」、「自由な婚姻」ではなく、「男・女の結合が共同体によって規制された形態」・共同体によって「先験的に、……習慣的に、……掟的に規制された婚姻形態」であり、婚姻形態の原型である。したがって、南島、日本本土、アジア諸国、太平洋の島、ヨーロッパも、この人類史のアフリカ的・縄文的段階の婚姻形態を経由した。
@この婚姻形態は、村落共同体における「成人式を終えた男女が共同体の共通の広場」、すなわち「共同の……住居」・「夜なべ宿」(「琉球、沖縄」)、「若者宿」・「寝宿」、という男女の集まりにおいて成立する(「野遊び」・「浜遊び」という共同の住居においてではない形態もある)。そして、これらの宿は、「部落共同体の共同性……の象徴」・「共同体の権威の象徴」である。
A「共同体の各成員」や「共同体の中の家族」にも属さない、それゆえにあくまでも「部落共同体の共同性」に属する、それら「部落共同体の共同性……の象徴」・「共同体の権威の象徴」である宿は、婚姻における<地縁性>としての「居住性の原点」となる。
 したがって、このことから言えば、そうした宿で「自由に相手を選択して、……婚姻が成立」して、「実質上の婚姻が済んだ後で親の承認を得る」という「自由恋愛」的な形態が「一世代または二世代前にあった」(吉本がこの発言をした昭和47年を基点に考えて)という民俗学者の報告は間違いである。その考え方の誤謬は、人類史における「共同婚」の段階についての無知から生じている。
イ)招婿婚の段階――母系的な家族形態、「家族の財産の所有権とか祭の継承」等が「母親から娘へと……相続」「継承され」ていく家族形態における婚姻形態である。娘のいる家に、親の「黙認」の下で、「一定の入口……から男性がしのんで……現実上の婚姻が成立する」婚姻形態である。
 7,8世紀をその起源とし、日本の近代国家の「最高の統治者」・「最高権威」・「最高威力」とされてきた天皇一族の婚姻儀礼――すなわち、「けしきばみ」(婿方からの求婚のほのめかし)から始まって、「文使」(婿方の近親者が求婚の打診に行く)、「婿行列」(夜に婿が嫁の家に行く)、「火あわせ」(両家の結合としての共火儀礼)、「沓かくし」(嫁方が婿のはいてきた履物を隠す「入婿の承認」)、「衾覆フスマオオイ」(性行為としての「共床儀礼」)、「後朝使キヌギヌシ」(共床儀礼から三日目の「露見(三日餅)」まで婿は嫁方に通うのだが、その間に、男女は「恋歌をとり交わす」)、「露見トコロアラワシ(天皇一族では三日餅ミカノモチ)」(嫁の親への露見、嫁の親の承認、「嫁方でついた餅を、親とか近親者が一緒に食べ」る儀式)、「婿行列」(婿は、母系的な嫁方の家族の一員として、婿方の親とか近親者に挨拶回りを行う)で終わる婚姻儀礼は、このように、現在でも、形式上は嫁をもらうというようになっているのだが、儀礼的には、「日本でいえば奈良朝末から平安朝にかけて」行われた招婿婚段階の儀礼(意識)にある。この招婿婚段階にある天皇一族の婚姻儀礼一つとってみても、原日本的・原日本人的な(1)の「共同婚」の段階より新しいから、婚姻形態を(1)にまで遡及して考察し追究していく時、理念的には、天皇制を、天皇制<国家>を、相対化し無化することができるのである。
ウ)家族婚・見合婚の段階――母系的な家族形態ではなく、「母方、父方、男性方あるいは女性方、それが同等の重さを持って考えられ」ている双系的な家族形態における婚姻形態である。両家の仲介人による見合の後で相互の承認の下に婚姻が成立する。
(2)古代の家族形態、古代家族の空間と時間の構造
 対幻想とは、個体の自己意識(自己幻想)が、<性>・<対>の意識を伴わせた関係のことである。したがって、吉本は、個体と個体との関係は、依然として個体と個体との関係であるとする現象学的な人間理解を根本的に批判して、個体が他の個体、すなわち他者と関係する場合の根源的な関係の仕方は、男性または女性としての人間という一対のペアとなった<性>的関係(<対>幻想・<対>観念)である、と述べている。「そこで、家族というのが問題になるわけですけれども、家族というものはなにかというと、対幻想の領域を意味しております」(『吉本隆明全著作集14 個体・家族・共同性としての人間』)。「家族とは何か。それは人間の個体が性」・「男または女」として現れざるを得ない場所である。「そういう世界が現実的な場面、場所を獲得すれば、それが家族である」。ここで、性的な関係とは、生理的なものと観念的なものとの構造である。この対幻想・対観念の共同性である「家族」、その「家族の集団の共同性の次元を、ある共同性がいささかでも離脱したとき、国家を形成する<可能性>を得たことを意味する」。その場合、国家と共同体を同等として扱う場合、まず「家族または家族集団の共同性をいささかでも離脱した共同性」であるかが問題となる。しかし、例えば「法的に、あるいは宗教的に、風俗、習慣的に、ある一つの規範を成立せしめた」場合、その規範の大きさが、国家の「さまざまな公的機関が行使する規範の大きさ」と同等であると考えられる場合、共同体という概念と国家という概念とを同等とみなし得る。「しかし、しばしばその共同性の規範が、国家的規範と同じ大きさで現われるとは限らないことがありうる」。例えば、現在の日本の国家と市民社会との関係において、日本の国家は法的な意味での国家として、憲法を持ち、法律を持ち様々な規定と規制がなされている。それに対して、人は経済社会構成体を中核とする市民社会の中で生活している。この場合、私たちは、日常的には、国家の憲法とか法とかを念頭に置かずに生活しているのだが、そのことは、「市民社会(≪共同体≫)の概念のほうが国家(≪共同体≫)という概念よりも大きい」・広いということを意味しているのである(『敗北の構造 南島論』)。
 家族の本質は性そのものにあるから、家族形態は、その性に基づいて発展していく――「742年における部落のおさぐらいの位置にある人」の戸籍――例えば「大和朝廷の根拠地に割合に近い」、当時の先進地域である「近江の国の大友但波史族広麻呂計帳」(家族形態の戸籍)には、戸主や寄口や奴隷階級である「奴と婢」の記述がある。
 方法としての<時間――空間の指向性変容>・<構造的時空置換>に依拠して言えば、その空間的地域的な近江の国の家族形態の中に――すなわち、人類史におけるその段階的な断層・差異性を累積させた時間の中に、日本の・「日本人の歴史の婚姻形態の全ての段階」を見出すことができる。すなわち、その家族形態の戸籍から、人類史のアフリカ的段階・縄文的段階における<共同婚の段階>――奴と婢は、「若者宿とか、共同体が共有している箇所で、婚姻を結ぶ共同婚的段階の婚姻形態以外に想定できない――、人類史のアジア的段階における<招婿婚的段階>――村落「共同体から疎外されているけれども、自分自身は……共同体の基本成員と違った次元に、家族形態を取ることができなかった……戸主の近親者、あるいは非近親者」であるが「何らかのつながりのある者」である寄口は、「家屋としても居住性としても戸主の居住性と別個」の妻と同居できる「棟を与えられるとか、そういうふうな形で存在する以外」になかった者であるから、この寄口においては招聘婚的段階の婚姻形態を想定せざるを得ない――、人類史のアジア的段階における<家族婚的段階>――「戸主あるいは、その戸主一族の直接家族における家族婚的段階の婚姻形態を想定できる――、というものを「想定することができる」。言い換えれば、その先進的地域における一家族形態は、「人類がとってきた婚姻形態の様々の段階を包括」している・時間累積させている、ということである。
 したがって、家族形成(その意識形態・婚姻形態・家族形態)の在り方を、空間的な地域的差異性の比較に求める――すなわち、先進地域(当時の関西)と後進地域(関東、例えば安房国)との差異性の比較に求める古代家族形態の研究者の研究意識・方法は、一面的部分的な「単純な発展段階論」のそれであるから、錯誤性と迷妄性に陥ることになる。
さて、家族・家族の集団と、国家・共同体を媒介するものは、親族概念であり、親族組織・親族体系である。
ア)家族の共同性から親族の共同性への転化――兄弟姉妹関係と双系的親族関係
@家族形態における性的関係と親族展開における性的関係の差異
<家族形態>における性的関係は、「性的親和性あるいは反発性」を基本的な基軸とする。
<親族展開>における性的関係は、「性的親和性あるいは反発性」と「性的なタブー・禁制」との構造を基本的な基軸とする。すなわち、<親族展開>における性的関係には、「性的なタブー・禁制」の概念が含まれる。
A南島における親族組織の構造
◎親族展開は、「地縁優勢の契機を持」ち、「宗教的結合の契機を保存する」、性的な関係としての兄弟姉妹を基本的な基軸として発展する。
「所有権……宗教権……が母親から娘(≪娘がいない場合は、「父方のほうの伯母・叔母」≫)に相続されていく」母系的な相続形態において、「男の兄弟は家族から出ていくより仕方がない」(「出ていかなくても、その家族の直系の相続人からは除外される」)。この場合、その兄弟は「階層によって」、共同婚の形態をとるか、招婿婚の形態をとるか、家族婚の形態をとるか様々であるが、「その直系の家族からは疎外されていく」。また、この場合、その男の兄弟と姉妹との関係を持続させる根拠は、第一には、「祖先を同じくする」という点にあり、第二には、「様々の儀礼習慣の中」――例えば、「オナイ髪関係」という「儀礼習慣」の中に見出すことができる。南島には、兄弟と姉妹との関係は、禁制において直接的な性行為はないのだが、「長く漁に行く……とき」、「無事にうまく漁がいくように、その漁師の妻ではなく姉妹のどちらかの髪の毛を持っていく」という「オナイ髪関係」の「儀礼習慣」の中に存在している。このような兄弟・姉妹関係は、家族の共同性を親族の共同性へと転化させ、親族展開を発展させていく根本的な基軸である。
 こうした「家族の分化過程において、生理的な意味での性のタブーはますます強固になり、かつ可能性としてはますます減少するにもかかわらず、親和関係としては緩くはなってもわりあいに持続しうる、究極的には断ち切れない関係」、そうした「観念の血縁性」が兄弟姉妹の関係性にはある。
 現在は、「直系的、単系的な家族関係から外れた」、「母方の親戚、父方の親戚」、両者共に、同等の重さを持って考えられている「双系的な親族関係、親族組織」が一般的である。それに対して、兄弟姉妹関係を軸とする親族展開は、「儀礼習慣」として存続している。いずれにせよ、南島には、「兄弟姉妹関係を基軸として展開される親族体系が著しく残っている」という点に「最大の特徴がある」。それは、家族の共同性から親族の共同性への転化の契機・根拠として重要なものである。
 なお、「いろいろな手伝いをしたり相互扶助をしたり……する『組』」・「寄り集まり」や、一部士族階級の間で行われてきた、男系、父系だけが集まって、一族の共同墓地・門中墓を守る祭祀を営む門中組織は、「二〜三百年以上を遡ることはでき」ず、武士道と儒教的イデオロギーに促されてできたもので、「重要なものでもない」し、「家族の共同性から親族の共同性へと転化できる契機を持たない」ので親族組織と呼ぶことはできない。
◎親族展開の基本的な基軸は、それ以外には、第一に「財産権とか所有権とか」の所有の問題があり、第二には「宗教的な祭祀権の継承」の問題がある。
イ)親族展開から共同体への転化の契機、親族形態の終焉と共同体への展開の契機――グスク祖型と血族→地縁変化
 第一に、対幻想・対観念・対意識の共同性である家族が親族として展開される次元を離脱した共同性を「共同体」と呼ぶ。その契機は、@「祖先」は同じでも「血縁から地縁へ」と転化しやすい、A「<性>的親和性がゆるく、そのため永続しやすい」、B「往古」の母系制において、「宗教的な権威の相続と継承」が母から娘へと相続されていた、という点で、「同世代の兄弟姉妹を軸とした親族展開の仕方」にある。「父系、男系の地縁的な結合」である南島の「門中や組」は、@家族的基盤を持たない、A「近世以前にさかのぼることができない」から、その契機となり得ない。
 第二に、親族組織の展開が共同体へ転化する契機は、@親族名称と親族呼称が一致することにある。A親族組織の展開の仕方が「宗教を表出する」ようになることにある。B親族組織の展開が、倫理的規範、家族の祭祀宗教等宗教的に、土地所有等経済的に、家族の存在の仕方と矛盾をきたすようになった時である。
 共同体に転化した共同性の祖形は、宗教からと、所有関係から考察できる。(『<信>の構造3――吉本隆明全天皇制・宗教論集成 共同体の起源についての註』、『敗北の構造 宗教としての天皇制』、『敗北の構造 敗北の構造』、『敗北の構造 南島論』)。
@親族展開(血縁的結合、村落的結合、集落結合)から共同体への転化の契機
 親族展開(血縁的結合、村落的結合、集落結合)から共同体への転化の契機は、「親族展開の仕方」――すなわち、その肉体的血縁的、「相互経済的(≪土地所有≫等)、宗教的、政治的」関係が、具体的な生活過程においても観念過程においても、「血縁性に矛盾をきたしたとき」・「親族を構成する個々の家族にとって矛盾をきた」した時――すなわち、親族関係がある家族にとっては「全く重荷ではない」(「利益である」)けれども、ある家族にとっては「非常に重荷である」(「大変不利」である)という矛盾が生じた時、血縁性を基軸とした「親族展開は終焉」する。ここに、親族展開が共同体へ転化する契機がある。このように、「血縁性に矛盾をきたしたときに出てくる地縁的形態……を村落が取った場合には、それはいわば共同体の萌芽である」。
A共同体の祖型
 南島において、村落共同体における城(グスク・グシク)は、「村落共同体の成員全部の共有地として考えれていた」のだが、ここは、女性にとって、神のいる、神の「天降る聖所」、「礼拝する拝所」である<御嶽>であり、ここに籠って村落共同体を「守護する神託を得ていた」。また、ここは、男性にとって、他の共同体との抗争の時に、村落を守る砦であった。この共同体の場合、それは、すでに家族と分離した異なった次元に転化している。この村落共同体は、「より大きな共同体あるいは国家に転化」するものである。
 この城(グスク・グシク)には、村落共同体の支配者(首長である按司)の屋敷・「居住地……同時に防衛する城」という意味でのそれ(例えば、琉球王朝時代の首里王府の首里城)があるが、こうしたグスクは、その祖型・古型にまで遡ることができないから、「余り重要ではない」。それに対して、「グスクの祖型」・「古型」を保存している、「村落のはずれの丘陵地……やあるいは平地」にある、「支配、口碑」、「文献」・「口述伝承」などからも不明な「野面積みの石垣遺構」(祭器、土器が出土する)としてのグスクは重要である。ただ、このグスクの遺物だけでは「わが国の奈良朝後期までしかせいぜいさかのぼれない」。しかし、この丘陵地村落共同体は、「稲作農耕以前の丘陵地畑作と狩猟段階を想定することができ」、祖形・古形に近いものと考えられるから重要である。このように、「地勢のうえに展開される考古学的な遺跡の集積や推移と、習俗や制度のような眼に見えない体制が重層された考古学的な様相とは、全く別途なものとみなさなければならない」。この母系的な共同体では、首長が行政権・政治的権力を兄弟が握り、その首長の姉妹が祭祀権・宗教的権力を掌握していた、ということができる。この共同体の土地所有について言えることは、いずれにせよ「グスク――御嶽をめぐる森林の聖域」は「共有地」であった、ということである。そして、「この聖域は、村落の女性神人の所管に属していた」、ということである。
 この「女性神職者(あるいは村落の女性)だけが籠ったり、近づいたりできる場所だった」丘陵地の石垣遺構のグスクは、農耕を経済的基盤とした人類史におけるアジア的段階より前の「非常に古い時代(≪人類史のアフリカ的段階・縄文的段階≫)において」、このグスクを中心に、「非常に古い集落が営まれていた」ことを例証する遺構である。そして、農耕が大きなウエイトを占めきたとき、その集落は、丘陵地から平野地へと移る。その場合、その村落共同体は、山側・「丘陵に近いところの森」を、「神聖な場所」(本土のヤシロの代用である「鎮守の森」)、すなわち「森の木自体に神性がある」・「木」に神が降臨するとして、「信仰の対象としていった」。このように、村落共同体が平野部に住居を移した時、「森林信仰」が生じる。南島の「ウタキ」(御嶽)がそれであるが、そのウタキを遡れば、共同体の祖型・古型に辿り着く。
ウ)包括的共同体の形成過程――直列型、略奪型と南島、日本、アジア的共同体
@南島の包括的共同体の形成過程の特徴は、直列型展開・直列共同体形成にある。
 まず、祖型に近い村落共同体・グスクが「幾つか集まって作られている共同体」・「間切」・「マキリ」(「本土で……字」「概念に……該当する」)があって、それが統合して本土で「県」・「郡」概念に該当する中山、北山、南山という三山の共同体(国家以前の国家)が形成され、その内の中山の尚氏が勢力を拡大して武力的に北大と南山を制圧して「琉球王朝(首里王朝)」・統一王朝・包括的共同体を形成した。形成過程は下から上へであるが、体制的には「上から下へ序列がきまる」体制であって、「南島の人々の意識形態……を、ある程度規定している面がある」。この共同体形成の仕方は、世界普遍的共通的な「一つの大きな典型である」。
A日本本土の統一国家成立の起源・包括的共同体の形成過程の特徴は、直列型展開と接合型展開との混合・直列共同体形成と接合共同体形成との混合にある。
 日本本土における後者の接合型展開・接合共同体形成とは、次のような国家形成のことである。国家の本質を観念の共同性として考えた場合、直列型展開・直列共同体形成を辿らなくても、全く違う国家や勢力が「横あいからやって来て」、現にある既存の共同体(支配上層、政治制度、政治権力)を<接木>の構造によってかすめ取れば、国家「共同体の首長として、統合」し「支配する」ことができる。ここに、日本的特殊としての支配の構造がある。天皇制国家(権力)が、国家として、「村内法の規定されている小部落、あるいは小部族を統一」していく支配の構造は、全く異なった支配の側の法をその村内法に覆いかぶせて「接木」し国家形成をしていくというものであるが、その場合、時間の経過とともに、その「継目が分からなくなってしま」うから、「統一国家を形成したものは、もともと天皇制の権力で、古い神話時代までさかのぼれるという一種の虚構がつくられていく」、点にある。氏族共同体の段階では「親族の本質的な要素はあまり消滅」しない。したがって、「地域的、あるいは(≪土地所有をめぐる≫)経済社会的な利害関係の共同性、あるいは排他性から生じてくる共同性とのぶつかり合いの中で、血縁的親和性が、宗教とか風俗、習慣としては保存されえたとしても、制度としては保存されない場合」、その共同体は、「部族的な国家と呼ぶ」ことができる。また、観念の共同性を本質とする国家の場合、「種族が異なり、言語が異なり、風俗、習慣が異なるもの」が、「横あいからやってきて」、自分たちの法等をかぶせて「接木」し、既存の「氏族国家」、「部族国家」、「国家を掌握」し、「グラフト国家」・「接木国家」として統一することが可能なのである。
 また、日本語という場合、その日本語は、一般的に8世紀以降、すなわち奈良時代以降の日本語について言われるように、「日本民族」も、「文化的、……言語的に統一性をもった」ところの「統一国家が成立した以降」について言われる。しかし、奈良時代以降の日本語と起源としての日本語との間には差異があるように、日本民族と起源としての日本人との間にも差異がある。それは何故かと言えば、支配としての天皇制・「統一国家を成立せしめた勢力の共同幻想」は、被支配としての先住民(起源としての日本人)の共同体における「法、宗教、……風俗、習慣」等の「共同幻想」と「接木」を行うことによって成立しているからである。例えば、第一に、経済的基盤を農耕に置いた支配としての大和朝廷はその法構成において、被支配の先住民に属する呪術的・婚姻的な部分を国津罪として下位に残し、その国津罪に支配の法に属する農耕的な天津罪を「接木」することによって、「支配と被支配との均衡」を企てたからである。第二に、支配としての大和朝廷は、被支配の先住民(起源としての日本人)の言葉である「さねさし」を枕詞として下位に残し、その枕詞に支配の言葉である相武(現在の相模)を「接木」することによって、「支配と被支配との均衡」を企てたからである(『古事記』――「さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」)。このよう訳で、起源としての日本語について考える場合は、「日本語」が成立した以前にまで時間を遡及して考察し追究していかなければならないように、起源としての日本人(<原>日本人)について考えるばあいにも、日本人・「日本民族」という概念を成立させた以前にまで時間を遡及して考察し追究していかなければならないのである。
Bアジア的共同体
 マルクスがゲルマン的共同体の前段階の古典古代(ローマ・ギリシャ)の前に挿入したアジア的段階概念は、空間的地域的概念であると同時に時間的人類史的な概念、すなわち「時間的な推移形態のひとつ」としてのそれであり、人類史における農耕を経済的基盤とした段階概念でもある。言い換えれば、人類史のアジア的段階においては、空間的地域的なアジアが人類史・世界史にとって世界普遍性共通性として成立していた、ということである。したがって、現在の文明史的尖端にある地域・西欧は、アジア的段階に長い間停滞していた地域・アジアとは違って、その段階を速やかに通過しただけであって、西欧もやはり人類史のアジア的段階を経由してきた、ということである。したがってまた、地域・西欧であれ、アジア的段階以前の人類史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階を経由したのであり、それゆえに、地域・西欧にも人類史のアフリカ的段階・縄文的段階における樹木(自然)崇拝の名残り(フレイザー『金枝篇』)がある、ということである。このことは、吉本の方法としての<時間――空間の指向性変容>・<構造的時空置換>に妥当性がある、ということの例証である。片田舎は単なる後進地域・片田舎ではなく、「片田舎……は、……都」であると言うためには、「ある歴史的時間性というものが思想的定義の中に入ってこなければならない」。その時、その片田舎は、文明史的尖端性の歴史的環境・歴史的現在の中に存在する片田舎である。したがって、その片田舎が、文明史的尖端性に少しでも触れれば、そしてそれを志向すればすぐにでも文明化していくことになるのである。すなわち、方法としての<時間――空間の指向性変容>・<構造的時空置換>を必要とするのである。その時、トータルな歴史認識・世界認識が可能となるのである(『<信>の構造3 吉本隆明全天皇制・宗教論集成』「南島の宗教祭儀について」)。マルクスが述べていたように世界史的に言えば、「未開の種族もまた世界史的現在」・「世界的同時性」・「現代性」の中に存在しているのである――「もしもロシア(≪人類史・世界史における半西欧的・半アジア的段階のロシア≫)が世界において孤立しているとしたら、ロシアは、西ヨーロッパが原始共同社会の存在以来現状にいたるまでの長い一連の発展を経過してはじめて獲得した経済的征服を、独力でつくりあげなければならないであろう。(中略)しかし、……、ロシアは、近代の歴史的環境の中に存在し、より高い文化と時を同じくしており、資本主義的生産の支配している世界の市場と結合している。そこで、この生産様式の肯定的成果をわがものにすることによって、ロシアは、その農村共同体のいまなお前古代的(≪人類史における古典・古代的、ギリシャ・ローマ的段階の前の段階の、アジア的段階≫)である形態(≪相互扶助意識等の肯定的な成果≫)を破壊しないで、それを発展させ変形することができる」(『資本制生産に先行する諸形態』)。この認識と自覚は必要である(『知の岸辺へ』「家族・親族・共同体・国家 日本〜南島〜アジア視点からの考察」)。
 さて、マルクスの共同体の段階概念の基準は、「土地所有」にある。そして、アジア的共同体の「土地の所有者」は、ひとにぎりの「共同体の……首長、君主」・「その側近」であって、大多数の被支配としての個々の成員は「土地の私有者ではなくてただ保有しているだけ」、というものである。アジア的共同体の場合、「ひとにぎりの君主、またその周辺のメンバー」(土地所有者)によって、国家は形成される。したがって、個々の土地を保有して耕作するものは、国家の構成員とはならない。そうすると、それら共同体の概念と国家は一致しないことになる。なぜならば、「社会は、そのなかに存在する社会のメンバーが構成するもの」でありながら、「社会の上層に(≪ごく一部の土地所有者を構成員とする≫)国家」があり、社会の構成員でありながら国家に対して「なんら関与していない」とか少ししか関与しないとか「その関与の度合いがまったくちがっている」からである。いずれにせよ、その共同体が、南島的であれ、日本的であれ、中国的であれ、インド的であれ、その共同体は、人類史・世界史における<アジア的>段階のそれとして総括できる。
 このアジア的段階においては、専制君主共同体に対して住民は、物神すなわち「霊威(権威)」としての専制の「貢納」(制)――物に付いている宗教的な霊威・霊力を与えられた住民がその専制の政治的権威を受容し貢納する――と、制度と生産物の占有、すなわち賦役を包括した生産物の貢納(制)と、軍役(制)に服することで、土地の使用が認められた。すなわち、人類史・世界史のアジア的段階において、家族の家と農具と庭畑地の所有が認められ、共同体から家族が分離されてきたのである。それと引き換えに、専制共同体は、狭小な日本の場合は小規模なそれでよかったが、農耕を経済的基盤としていたからその維持のために、灌漑工事や河川の整備や軍事的保護都市の構築を請け負った(吉本『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。このように、農耕を経済的基盤としたアジア的専制の成立の条件は、水利灌漑工事の請負にある。また、アジア的共同体を大規模な灌漑工事を要した「内陸性」(中国等)と小規模の灌漑工事で済んだ「島嶼性」(日本・南島等)とに分けることができる。日本的デスポット、総括的共同体は、吉本が『常陸風土記』や『古事記』に基づいて述べているように、大規模な灌漑用水工事を必要とせず、井戸や池を掘る・傾斜地に水を貯水する工事を行う「小規模、狭領域のデスポットだということ」で、「はじめに自然の水源をおさえたものがデスポットに近づき、つぎに小規模な灌漑用水工事を、技術的に手に入れます。この技術は大陸からの導入です。そこで日本的デスポットは、中国の冊封体制に迎合」しながら、「国家本質を手離さない」で「接木国家」を形成していくことを体得していった。したがって、日本独自のデスポットの「解明のひとつは、日本的デスポットの成立過程を、前共同体との関連においてはっきりさせること」にある。また、その「時間的な遡行が、同時に現在的な政治権力にたいするより包括的な、より世界的な把握であるような視点の発見」でもあるという方法が必要がある(『どこに思想の根拠をおくか 思想の基準をめぐって』)。吉本は、世界普遍性共通性として存在した人類史・世界史のアジア的段階の理解に対する、混乱した扱われ方を指摘しつつ、それゆえ本質的問題からずれていくことに歯止めをかけるために、アジア的段階概念を次の三つの事柄に整理した――@共同体論としてのアジア的段階概念、すなわちのアジア的農耕村落共同体内部の内在的構造の明確な把握の問題である。この事柄は、農耕村落共同体の規模や、その共同体が育む相互扶助感情や、逆に自分の所属する村落が世界のすべてであるという閉じられた在り方が生み出す未開の心性や村八分や、村落以外のことに対する無関心や、アジア的な風土的自然環境(広大な 砂漠・平地帯を有する、気候・地形)から経済的基盤を農耕においた農耕村落共同体における農耕民(循環と停滞)と神人(進歩と発展の契機)と呼ばれた非農耕民との関係性を扱うものである。アジア的共同体の当初において、農耕以外の職業に携わる人たちは「神人」(民俗学)と呼ばれた。それは、尊ばれると同時にさげすまれる存在であった。神人は、天皇もそうであった、具体的には芸能者・宗教者・鍛冶屋・ハンセン病・非農耕民、ざるやかごを生産する竹細工師、海部民のことであったが、農耕民・狩猟民・海部民は相互転換が可能であった。A生産様式論としてのアジア段階概念、すなわち土地の総括的な共同体所有と貢納制、土地の共同体的所有と分配方式の明確な把握の問題である。この事柄は、土地の総括的な共同体所有のなかで、共同体至上意識がいつも個体性を超えてしまうアジア的心性や、家族の住居・農具・庭畑地の所有が認められていたのだが、それらも村落のもの延いては総括的な共同体のものとみなしてしまう思考様式が形成された、ということを扱うものである。このように、アジア的段階を痕跡もなく速やかに通過した地域・西欧とは異なり地域・アジアは、非常に長期間、自然の循環に見合った停滞と循環を繰り返す、自然を原理とした(内面的な仏教は、自然を内面の原理とした)人類史のアジア的段階にとどまっていたから、そうした心性・思考様式・行動が無意識(民衆の無意識的な観念の共同性)の層にまで浸透していった。土地は村落の所有、ひいては総括的な共同体の統括者・専制君主のものであるという心性・思考様式・行動を無意識(民衆の無意識的な観念の共同性)の層にまで蓄積させた。B 政治形態論、政治権力論としてのアジア段階概念、すなわち支配共同体と被支配共同体との関係、アジア的専制、中央集権体制の明確な把握の問題である。この事柄は、支配共同体としてのアジア的専制は、被支配共同体に対して支配を及ぼしたのだが、下層の農耕村落共同体の個々の農民等に対しては具体的に支配を及ぼそうとはしなかった、ということを扱うものである。支配共同体は、従前の村落共同体の掟等を排除するのではなく、<接木>することで支配を完成させた。すなわち、総括的支配共同体は、それ以前からあった下層の農耕村落共同体の、自然的規定や風俗や習慣や文化等にできるだけ手を加えないで切り捨てることをしないで温存していくという支配の形態をとった。
 また、日本において、現存する危機に対処し現存する危機を処理しようとするときいつも復古してくるのは、日本の自然思想の伝統である。宗教性としての天皇制は、今でも観念的遺制として残存しつづけているから復古してくるのである。その場合、いつでも、それは、あくまでも人類史のアジア的段階においてのみ世界普遍性共通性があっただけであるにもかかわらず、それは人類史的・世界史的普遍性だとして、日本の自然思想の伝統である民族性を強調する権力として復古してくるのである。また、自己と異質で外部的な産業的思考や個人主義的思考に対しても「権力」として復古してくるのである。そしてその場合、それらを支えるのは、どんなにひどい権力の支配をも自然災害を受け入れていくように受け入れていく民衆の意識(民衆の共同幻想、民衆の観念の共同性)であり、それは、いつも個体性を超えていく共同体至上意識であり、村八分の意識であり、反個人主義であり、中央への委任意識等である。天皇制論も、南島論も、状況論も、知識的課題も、思想的課題も、全く認識し自覚しないままに、一面的で独断的な「バカ話」に終始しているところの、バルト読みのバルト知らず、それゆえにマス・メディアの組織性の後光に守られた下で、@「権威」としての天皇・天皇制の護持とその権威と権力の分離による国家体制(国体)を主張する国家主義者である、佐藤優は、退行的復古的なキリスト教的マス・メディア的著述家に過ぎないし、A国家を第一義性・価値性として前提し固定して靖国神社参拝推進論を展開するキリスト教的マス・メディア的文芸評論家の冨岡幸一郎も、佐藤と同じ穴のむじなである。このような彼らが、もしも、戦争廃絶を口にし、それゆえに平和を口にしたら、それは論理的に矛盾であるから、それゆえにその彼らの言葉をそのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいのである。このような者たちがバルトを論じていることが、日本キリスト教界の末期的症状を証明しているのであり、またその現状の最悪さは、彼らを根本的包括的に原理的に批判できないところの、日本キリスト教団立の神学者たちであり、一般の神学者たちであり、日本キリスト教団の幹部たちであり、日本キリスト教団の牧師たちであり、日本キリスト教界の知識人たちである。これはある牧師から聞いたことであるが、日本の仏教が葬式仏教化しているのと同じように、現在ドイツでも、キリスト教が葬式キリスト教化しているらしい。バルトは、戦後に次のように述べた――「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」。「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した。「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(カール・バルト『バルト自伝』)。
 いずれにしても、日本においては、まだ山の民と海の民と陸の民の相互変換が可能であった共同体の水準、「<法>が法以前の<宗教>的な<威力>であったときの共同体」の水準、「国家が国家以前の共同体」の水準であった時期にまで時間を遡及して考察していく、すなわち鳥瞰図の時間軸を拡張させて考察していく必要があるのである。なぜならば、天皇制という「歴史時代の一国家の歴史は、千数百年」に過ぎず、「そういうものに、人類的にも生活的にも文化的にも価値を収斂させるわけにはいかない」からである。日本的デスポットは、「小規模、狭領域のデスポットだということ」で、「はじめに自然の水源をおさえたものがデスポットに近づき、つぎに小規模な灌漑用水工事を、技術的に手に入れます。この技術は大陸からの導入です。そこで日本的デスポットは、中国の冊封体制に迎合」しながら、包括的な観念の共同性という「国家本質を手離さない」で接木国家を形成していくことを体得していった。したがって、日本独自のデスポットの「解明のひとつは、日本的デスポットの成立過程を、前共同体との関連においてはっきりさせること」にある。「これは前古代的、あるいはアジア的共同体への遡行ということだけをいみするのではなく、時間的な遡行(≪すなわち、さらに遡って、人類史の、アジア的段階の前の、プレ・アジア的段階としてのアフリカ的縄文的段階にまで時間を遡及すること≫)が、同時に現在的な政治権力にたいするより包括的な、より世界的な把握であるような視点の発見を意味する」(『どこに思想の根拠をおくか 思想の基準をめぐって』)。

 

 さて、 泉靖一は、『世界の名著71 マリノフスキー レヴィ・ストロース』(中央公論)で、次のように述べている――「人類学は人類そのものを対象とする科学として19世紀半ばに成立し、人類の文化的側面を対象とする民族学(文化人類学) は、20世紀の前半までは西欧中心主義の科学であった。つまり、西欧文化を民族学の研究対象から除外し、西欧における未開をも認識しようとする学問とはなり得ず、植民地主義的科学・学問として研究対象を非西欧文化に固定化した。しかし、20世紀後半にはいると、民族学の研究対象は、文化の異質性から等質性へ、民族から人類へと移行した」。しかし、この事柄で重要なことは、先述した吉本のような、現実性と妥当性を持ったトータルな世界認識・歴史認識の方法にあるのである。
 吉本は、家族とは何かという問いに対する民俗学者や文化人類学者における定義について、中根千枝の『家族の構造』を対象として、その見解に対して、次のような批判を加えている――「『家族は、最小の、そして第一義的な社会集団で、人類のあらゆる社会にみられる普遍的な制度(institution)である。この見解はこれまでの人類学の研究によって実証され、これについては疑問をはさむ余地はない』。疑問をはさむ余地はない……というのですよ。(中略)『家族は……社会集団』というでしょう。なぜこういういい方がだめだと考えるかと申しますと、『社会集団』ということばの定義が必要になるからです。(中略)ということは、こういう家族の把握の仕方は本質的ではないということです」(『敗北の構造 南島論』)。情緒性において<家>という対幻想(対観念・対意識)の共同性が国家の共同幻想に逆立した形で侵蝕を受けていく大衆の<家>とは異なり、法的言語を媒介として国家の幻想的な共同性に抵触していく・加担していく契機をもつ「知識人のいとなむ友愛的な<家>の理念の延長線において」、学問集団や文学集団等知識人の社会的共同性は、「私恨が私恨として語られることはなく、また情緒は情緒として語られることは」なく、「憎悪を憎悪として語」られることはなく、「瞋りを瞋りとしてのべるという自由さも素直さ」もなく、「いつでも、公的名分によって私的な関係が捨てられるのだという論理」に基づいて、私的な情緒的関係性を公的共同性として擬制するのである。ここに、「わが国の近代主義知識人の特有性」・欠陥がある。したがって、近代主義的知識人との「思想的連帯」はあり得ないのである(『自立の思想的拠点 情況とはなにかY』)。それに対して、大衆の<家>の理念や<家>の共同性について、吉本は次のように述べている――知識にではなく生活に重きを置く「大衆(≪現在、高度情報社会下において、言語的・映像的マス・メディアの発達によって、状況的に「非言語的、非映像的な存在」としては存在できなくなっている。すなわち、量的にも質的にも書かれ話されるマス・コミュニケーション下に登場する知的大衆と化した≫)のいとなむ<家>の理念は、社会的共同性に延長しても、けっして、人情や情緒を拒否するか拒否しないかという選択の恣意性をあたえられていない(≪なぜならば、大衆は生活の不可避性を生きているから。しかし、現在、人は、マス・コミュニケーションによって毎日流され続けている豊かなイメージ価値の虚構の下で、不可避的な衣食住の生活的実感を希薄化させられている≫)。そこでは、それ以外にとりうる現実がないために、情緒的であり人情的であり、ある場合には非人間的であるにすぎない。そこでは、依然として公共性についての問題でさえも、私感情によって表明されるかもしれない。だが、知識人の社会的共同性とはちがって、友愛的な<家>の理念を拡大した個人主義的な感情によってではなく、(中略)孤立した個人として私感性を(≪その「自由さ」「素直さ」を持って≫)行使する……」。知識にではなく生活に重きを置く大衆の「<家>の共同性(対幻想・対観念・対意識の共同性である対的共同性)は、習俗、信仰、感性の体系を、現実の家族関係と一見独立して進展させることはあっても、けっして社会の共同性をまねきよせることも、国家の共同性をまねきよせることもしない。<家>の共同性が、社会や国家(このふたつは相互規定的である)をまねきよせるものとしたら、それは社会や国家がただ家族の成員の社会的幻想の表出を、ちょうどヴェールをはぎとるように、かすめとってゆく(≪侵食していく≫)点においてだけである(≪支配は、いつも、被支配を鏡とする≫)。ここでもまた、大衆の原像(≪その、社会構成、支配構成、文明――文化構成の時代水準によって変容する大衆像・大衆的課題≫)は、つねに<まだ>国家や社会になりきらない過渡的な存在であるとともに、すでに国家や社会もこえた何ものかである」(『自立の思想的拠点 情況とはなにかY』)。一対の男女が疎外する対幻想およびその対幻想の共同性である家族とは何かと言えば、自己の<自然>としての自己身体・生理的身体が、他者の<自然>としての他者身体・生理的身体を男あるいは女として、すなわち性あるいは対として区別すること・差異として認識し自覚することは矛盾であるから、個体的自己と個体的他者を男または女として区別するために、どうしても男あるいは女、性あるいは対という観念(概念)を疎外するよりほかにその矛盾を止揚し解消することはできないのである。ここで疎外とは疎外(自己矛盾)の止揚・解消のことである。したがって、対幻想とは、個体の意識、身体を座とする対自的な自己意識(自己意識の対自性)が、対・性の意識を伴わせた関係のことである。吉本は一対の男女の対幻想や対幻想の共同性としての家族について、次のように述べている――「つまり、人間の個体が他者と関係する根本というのはなにかといいますと、それはけっして個体と個体という概念が関係つけられるのではなくて、そのときにはかならず性としての人間というものが問題になってきます。つまり、男性または女性としての人間ということが、人間の個体が他者と関係するばあいの根源を支配している関係つけなんです」・「現象学的な人間理解によれば、たとえば個体と個体との関係は、依然として個体と個体との関係なんですけれども、しかしわれわれは個体が他の個体、つまり他者と関係する場合には、かならず性として関係するということを、根源的な関係の仕方だというふうにかんがえております」・「性としての人間というものが他者と関係する最初の関係の仕方を、われわれは対幻想の領域というふうによんでいます。対幻想の領域というのは、一対のペアになった幻想性の領域ということです。それが、人間の個体が他者と関係する関係の仕方の根源を支配するものです。そこで、家族というのが問題になるわけですけれども、家族というものはなにかというと、対幻想の領域(≪対幻想の共同性≫)を意味しております」(『個体・家族・共同性としての人間』)。「フロイトは集団の心(共同幻想・共同意識・共同観念)と男・女のあいだの心(対幻想・対観念・対意識)の関係を集団と個人の関係とみなした。しかし男・女のあいだの心は、個人の心(自己幻想・自己観念・自己意識)ではなく、対となった心(対幻想・対観念・対意識)である。そして集団の心と対なる心が、いいかえれば共同体とそのなかの<家族>とが、まったくちがった水準に分離したとき、はじめて対なる心(対幻想)のなかに個人の心(自己幻想)の問題がおおきく登場するようになったのである。もちろん、それは近代以降に属している<家族>の問題である(『共同幻想論 対幻想論』)。人間の存在様式は個――対・性・その共同性としての家族――共同性(社会的政治的なそれ)を生きるところにあるのだが、歴史的には、人類史の西欧的段階においてはじめて、家族から個が分離されてきたのである。このような訳で、「人間の観念がうみだす総体の世界をおさえ切るということが、それだけで人間を救済するわけではない」が、「それぞれ異なった次元を構成する観念の総体性(≪個――対――共同性≫)をおさえることは、それをのっぺらぼうの世界とみなすことからくるすべての錯誤から、人間を脱出させることは確か」なことなのである。したがって、「錯誤から脱出するということは、すくなくとも現在の課題としては、ほとんどすべての課題の発端である」ということができる。人間存在には、第一に自己が自己自身に関係する<個体>的自己の世界がある。それは、「他人には理解できない内面を含めた、その人の心のもち方」の世界である。またそれは、他人と通じ合うことは第二義的な個体の内面世界のことである。この内面世界は、吉本言語論で言えば自己表出の世界である。したがって、この世界においては、他者の意見は参考にしかならないのであって、各人の内面の問題は各人で解決していくよりほかない世界である。第二に、個体的自己が社会と関わる「<社会>的な個人」としての世界がある。具体的には、仕事・納税・消費・選挙行動等において自分はどう振舞うかという世界である。この領域に関わる国家を含めた集団構成の問題は、集団の基本単位である三人の集団構成から類推していくことが必要な世界である。第三に、個体的自己が一対の男女・夫婦(性)として振舞う世界であり、またその一対の夫婦の対幻想(対意識、対観念)に基づく共同性である「<家族>の一員としての個人」として振舞う世界である。これら人間存在の三様式は、次元が違うものであるから、それぞれの世界における問題の本質的な解決の仕方にも差異がある。例えば、対的領域の問題は、本質的には対的領域において解決されるべきであって、国家の共同幻想である法的制度的行政的解決は第二義的で部分的な解決の仕方でしかないのである。すなわち、その場合は、家族を含めて対幻想が、自立でき得ていないことの証左なのである。例えば、老人問題は、経済的生活の面や地域で見守るべき問題として社会的な問題・<社会的な共同性の問題>であり、法的制度的政策的行政的な措置の問題・<政治的な共同性の問題>であり、家族における親孝行という関係意識が希薄化している現代的な家族における<家族の問題>(対的幻想の共同性の問題)であり、自分の死の迎え方として子どもと一緒に暮らして畳の上で死にたいという百人百様の老人諸個人の内面の問題・<個体的自己の問題>でもある。老人問題は、このように本質的にまた総体的に解決できなければ、究極的総体的永続的な解決とはならないのである。また、「専業主婦」は、その個体が「家族の一員としての個人」の部分に重点を置いているので、「社会的な個人」としての部分には比重をかけていない在り方である。また、「仕事人間」という場合は、「社会的な個人」の部分に比重をかけているので、「家族の一員としての個人」の部分には比重をかけず家族問題に無関心な在り方である。この事例とは異なって、個体の内面の問題に比重をかけることで、家族領域や社会領域における問題に無関心な在り方もある。個体の自己幻想を本質として創作活動をする「優れた文学者はいつも痛ましさの感じを伴っている」。「文芸作品を読むものに、じぶんだけのためにかかれているように感じさせる要素は文学者が創作のためにたんに労力や苦吟を支払ったからではなく」、「恋人」か「家庭」か「社会の序列」か「現実にいきてゆくために必要な何かを棒にふってしまったことと対応している」のである。このような訳で、人は、「のっペらぼう」な均質な空間を生きているのではないのである。いずれにしても、大切なことは、他者の意見を参考にしながらも、真に受けずに「自分の知識や教養がどんなに貧」しくとも人間の三つの存在様式・三位相について自覚的に「自分自身で考え抜」いていくことが必要なのである(『吉本隆明・鮎川信夫対談 家族とは何か』、『13歳は二度あるか――「現在を生きる自分」を考える』、『文芸的な、余りに文芸的な』)。

 

 ここで、もう一度、トータルな世界認識・歴史認識の方法について整理しておきたい。
 キリスト教における信仰・神学・教会の宣教におけるトータルな世界認識・歴史認識の方法について、バルトは、イエス・キリストにおける啓示の場所に立脚して、次のように述べている――先ず以て、それは、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある、それゆえにまた徹頭徹尾全面的に神と人間との協働・共働・混合を排除した、「イエス・キリストご自身が信ずる信仰」という<主格的属格>としての「イエス・キリストの信仰」(ローマ3・22、ガラテヤ2・16および2・19以下等)の場所である。すなわち、イエス・キリストにおいて<完了>された個体的自己としての全人間、人間の類としての全世界、人間の類の歴史としての全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和の場所である。したがって、それは、聖書的意味で、次のような、ほんとうの、キリスト教信仰・神学・教会の宣教が、すべて見渡せる場所である。すなわち、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯して、それを媒介・反復することを通して、キリストにあっての神を尋ね求める「神への愛」と、その「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」――これは、福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請であって、イエス・キリストにおける福音、イエス・キリストの死と復活、インマヌエル、の告白・証し・宣べ伝え――、ということが見渡せる場所である。神と人間との無限の質的差異の下において、聖性・隠蔽性・秘義性を本質とする神の不把握性の下において、終末論的限界の下において、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある神の時間・啓示の時間・救済史・永遠と人間の時間・人間が人間的に所有する人間の啓示認識、その類と歴史性・人間の歴史・有限との無限の質的差異の下において、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示・和解、平和)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストが、私たち人間に対して、聖書および教会の宣教を通して「同時的となる時と所」・「『神われらと共に』が神ご自身によってわれわれに語られるところ」においては、「われわれは神の支配のもとに入る」ことを認識し承認し確認する、それゆえに「われわれは」「世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会」として認識し承認し確認する、それゆえにまた「自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけである」ことを認識し承認し確認するのである。この時、そのイエス・キリストにおける啓示の場所は、<自然神学>の段階で停滞と循環を繰り返すキリスト教信仰・神学・教会の宣教における福音が、「理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと」・「鋭さをなくした」「十字架象徴論へと」・「イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎ」ない「神秘主義へと変わって行く」ことが見渡せる場所であると共に、私たち人間の、その類・歴史性――個・現存性の生誕(初源)から死(終末)までのすべてを見渡せ、また「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所であることを認識し承認し確認するのである。このように、バルトは、イエス・キリストにおける啓示の場所に立脚しているのである。吉本の場合は、繰り返しになるが、埴谷雄高のように階級なき社会という架空の未来から現在を考察するのではなく、工業や農業のコンピューター管理化の事態にあるように、第3次産業が第1次産業や第2次産業を包括している歴史的現在を媒介して、すなわち文明史的尖端にある<超>西欧的段階、高度消費資本主義段階を媒介して、未来に生きるところの、現在的課題、現在を止揚する課題を考察し構想することは、人類史・世界史の母胎・母型・原型であるアフリカ的縄文的段階にまで時間を遡及して考察することと同じである、という点にある。
 世界認識・歴史認識において、世界性、世界同時性と言う場合、現在の世界の各国・各地域の社会構成・支配構成・文明的――文化的構成を、<一面的>に、空間的地域的に、特殊性差異性において把握するだけでは錯誤し誤謬を犯してしまうことになるから、空間的地域的に、特殊性差異性にと、時間的に歴史的<段階>的に世界普遍性共通性にと、の構造性・共時性において把握することを意味するのである。言い換えれば、各国・各地域は、自然の風土とか地勢とか気候とか種族とかが違う。したがって、この空間的な地域性という言葉は偶然性・偶発性という言葉に置き換えられるのだが、その地域性・偶然性・偶発性だけの<一面的>な観点だけの場合、特殊性差異性しか見えない。しかし、時間性、歴史的段階(連続性と断続性の構造)という観点を導入すると、世界普遍性、世界共通性が見えてくるのである。イスラム教とキリスト教を地域(空間性)の観点だけで見ると、差異性しか見えないが、歴史的段階(時間性)の観点を導入すると、世界共通性・世界普遍性が見えてくるのである。日本の天皇制とチベットのダライ・ラマは、<一面的>な地域的な観点だけだと差異しか見えないのだが、歴史的段階(時間性)の観点を導入すると、人類史のアジア的段階(農耕を経済的基盤とするアジア的専制制度下)における「生き神様」信仰の制度化という世界普遍性・世界共通性が見えてくるのである。この「生き神様」信仰の制度は、アフリカ的段階の「生き神様」信仰が<制度化>されたものである。残忍・残虐・非道な自爆テロ等を行うイスラム原理主義を批判する日本も、太平洋戦争時に、「天皇という『生き神様』を守るためには自分の生命を犠牲にしてもいい」ということで、沖縄戦等で同じようなことをしてきたのである。NHKも朝日新聞も、内閣情報局に加担することによって、その戦争に加担し、一般民衆を、一般民衆の家族や親族や友人たちを戦場へと駆り立て死に追いやったのである。
 連続性と断続性の構造における時間累積としてある人間の類の歴史――人類史・世界史の母胎・母型・原型は、人類史・世界史の初源において世界普遍性としてあった「アフリカ的段階」(日本で言えば、縄文的段階)のことである。すなわち、人類史のアフリカ的段階においては、人は「歴史の胎内(≪母胎・母型・原型≫)にくるまれて」存在していたのであり、その歴史的時間の母胎・母型・原型は、世界的普遍性共通性として、地域アフリカ(先住民・黒人)においても、地域北米(先住民・インディアン)においても、地域オーストラリア(先住民・アボリジニ)においても、アジア的な天皇制国家以前の地域・<原>日本(<原>日本人、縄文人、アイヌ人)においても、存在していたのである。それゆえに現在においてもその母胎・母型・原型の下で刷り込まれ形成された意識や思考や認識や行為は、人の無意識の層に残存している、と言うことができるのである。したがって、フレイザーが『金詩篇』で書いた、樹木崇拝(人類史のアフリカ的段階におけるアニミズム)の名残りが、西欧近代においても残存しているのである。このように、人類史・世界史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階は、地域・アフリカを意味するだけではなく、世界中のどこにでも、西欧にも、日本にも、中東にも、世界普遍性共通性として存在していた人類史の段階としてあるのである。このような訳で、人類史・世界史において時間性、歴史的<段階>(連続性と断続性の構造における時間累積)という観点を導入すると、偶然性・偶発性(空間的な地域的特性、差異性)というものも包括し止揚することができるのである。すなわち、このように、空間性・地域性という<一面的>な観点だけに対して時間性、歴史的<段階>という観点を導入することによって、そのある段階にあった世界普遍性、世界共通性も同時に見えてくるのである。それに対して、各国、各地域は、自然の風土、気候、種族が違うから、空間性、地域性という<一面的>な観点だけの場合、偶然性・偶発性(空間的な地域的特性、差異性)だけしか見えなくなるのである。したがって、その<一面的>な観点だけの場合は、錯誤と誤解に陥ることになるのである。
 人類の類の歴史――人類史・世界史における段階(アフリカ的・縄文的な段階、アジア的な段階、西欧的な段階、<超>西欧的な段階)の差異は、例えば、「土器の紋様」の差異だけでは<段階>の差異と花らないから、「制度の違い、宗教の違い、種族の違い等」が含まれていなければならないのである。例えば、経済史における地代形態の発展段階は、労働地代(経済的基盤を狩猟採取に置くアフリカ的・縄文的段階)、生産物地代(経済的基盤を農耕に置くアジア的段階)、貨幣地代(経済的基盤を資本制に置く西欧的段階)にあるのだが、それは連続性と断続性の構造における時間累積としてあるから、現在でも、田畑を貸してその地代を生産物で受け取ることが行われているのである。アフリカ的段階は、地勢的には田畑が多いアジア的段階とは異なり草原が多い段階であり、宗教的には「自然がまだ宗教になっていない段階」であり、自然からの離陸の度合(人間の自然からの分離の度合い、自然の対象化の度合い、自然の人間化の度合い)からいえば「動物と人間が環境(中略)に対してあまり違った感じ方とか、振舞い方ををしていない段階」である。言い換えれば、個体史でいえば「胎内的な段階」(胎児から乳児期までのそれ)である。「人間も動物と同じように、そこに何か食べ物があったら」狩猟や採取したりして食べた段階である。自然と人間は一体化していて「矛盾がないように振舞」っていた段階である。言い換えれば、人間は「自然を自然宗教として自分の外に取り出すこと」ができなかった段階、すなわち自己意識が自然を対象的に把握できなかった段階・自己意識が自然から対象的になって距離をとり得ていなかった段階である。西欧的段階を包括し止揚した<超>西欧的段階(産業構造的に経済社会構成を消費資本主義に置く)の空間的な地域・西欧と、地域・アフリカには差異があるのだが、現在でも西欧にも樹木崇拝(人類史のアフリカ的段階におけるアニミズム)の名残りがあることを見れば、時間的・歴史的<段階>的には世界普遍性共通性を見出すことができるのである。言い換えれば、西欧も、人類史のアフリカ的段階を通過してきたのであり、その観念的遺制を残存させている、ということが言えるのである。
 ここでアフリカ的段階は、原始共産制や原始回帰論の展開でも、エコロジー思想や山岸イズムに対する賞賛論の展開でもないのである。そして、このことは、自然史的必然としての科学・技術の発達やその知識の増大や文明の進歩・発展・成果に対する、すなわち西欧的な文明・文化に対する全面的な賞賛論の展開でもないのである。エコロジストのいう自然は、究極的には天然自然であるから、エコロジーの極限に想定されるのは、反科学・反技術・反産業的思考と行動にある。この意味でエコロジーは、人類史の部分を全体とする錯誤を犯しているのである。しかし、エコロジーは、西欧文明が一面的な文明史的観点だけから非価値化した天然自然への再考を呼び起こしている。このような訳で、いずれにしても、観点の<一面化・固定化>は錯誤や誤謬を犯すことになるのである。自然は、自己身体、他者身体、天然自然だけでなく、全人間(<全>個体的自己)の普遍的実践的な肉体的・身体的――精神的・意識的な全自然との相互規定的な対象的活動における成果(個体的自己の成果――この個体的自己の成果の世代的総和が人間の類の歴史の継起となる)としての人間化された自然、人工的自然、人間的自然、非有機的身体、都市環境をも包括できる二重の観点、構造的観点が必要なのである。また、原始共産制の極限に想定される理想像は、私有制と個人主義の否定にある。しかし、持たざる者であり弱者である被支配の側の個体的自己の肉体的・身体的――精神的・意識的な類的な生活や活動を考慮しない際限なき利潤の追求と政治支配、他者を現実的に侵害していく利己主義は制限され止揚され克服されるべきであるが、私有制と個人主義は、現在における人類史の最高の到達点であり成果として、それゆえに人類史の未来を構想する上で原則的に媒介・反復すべき物質的現実的契機として存在しているものである。したがって、ここで現在的課題、現在を止揚する課題を扱う場合は、人類史の母胎・母型・原型にまで歴史の時間を遡及し考察すると同時、文明史的な尖端性における人類史・世界史の成果としての私有制と個人主義を否定的に媒介・反復する必要があるのである。原始共産制は、国家以前の共同体による生産手段の共有化と分配の平等に基づいて、一般民衆の衣食住を保障する共同体的な在り方が人類史に存在していたこと教えてくれているから、文明史的現在に立脚して、それを高次な形で再構成することで人類史的世界史的時間に累積させていくことが必要なのである。また、農耕を経済的基盤としたアジア的段階論の変形ともいえる山岸イズムはどこに時代錯誤や誤謬があるかと言えば、1970年代のヤマギシズム生活実顕地調正機関本庁への「参画誓約書」の様式に依拠して言えば、文明史的成果としての私有財産制の否定が記載されている点にあるのであり、アジア的な共同体の在り方を理想とする、<一面的・固定的>な復古主義的主張にあるのである。その主張の主調音は、農業を中心とした生活と、全財産の本庁への無条件委任およびその財産の本庁(山岸イズム共同体)による全面的な処分許可誓約、にあるのである。
 このような訳で、吉本は、次のように述べている――人類史・世界史において世界普遍性共通性を持った「未明の社会の風習や生活を現在も保存しながら同時に、(≪人類史・世界史の文明史的尖端にある≫)西欧やアメリカの近代文明の洗礼をうけて高度な文明社会を実現した諸都市をも現存させている(≪空間的な地域≫)『アフリカ』大陸を典型として択べば、世界のどの地域にもあてはまる普遍性をもった『段階』という概念を取り出すことができる」。都市論としてのアフリカは、自然史的には、いつか、森林や草原(都市論でいうアフリカ的段階)は農地(都市論でいうアジア的段階)に転換されてしまう。しかし、一方で、高次の贈与制を介在させた都市計画を立案できれば、第1次産業、第2次産業、第3次産業の適切な割り振りをした理想的な人工都市を造り得る可能性も有している。ここに、現在の地域「アフリカ的社会の特徴」があり、地域アフリカ的世界の人間の類の歴史――人類史・世界史的な舞台への登場の物質的現実的な契機がある。さらに現在においては、個体発生に関わる三木成夫の研究成果、南島語やアイヌ語の研究成果、南島やアイヌの宗教の研究成果等によって、人類史・世界史において世界普遍的に存在したアフリカ的段階の内在の精神を、迷妄性においてではなく科学的に取り出し把握することができるようになっている。この人類史・世界史におけるアフリカ的段階は、どうして、ヘーゲルにとっては非人間的で野蛮で残忍で価値なき世界であり、吉本にとっては史観の拡張における人類史・世界史の母胎・母型・原型の段階であるのか。吉本は、認識の歴史という観点を導入して、次のように述べている――「臣下を勝手に殺す王様の行為を残忍で非人間的なものと見るヘーゲルの尺度は、近代主義的な尺度で、それは絶対に発展していく、それが人間の歴史だ、というのがヘーゲルの考え方です。もし発展という考え方ではなく、認識の歴史として進化するという考え方をとれば、殺す行為はそのときの民衆にとっても王にとっても残忍という意味はまったくなくて、一つの共同体のもつ儀礼的なパターンとして理解した方が正当だということになってきます。残忍だと近代主義的に解することは必ずしも全体的な解釈にならない。一面的に解したにすぎない(中略)」(『吉本隆明が語る戦後55年8』)。言い換えれば、このことは、トータルな世界認識・歴史認識の方法は、文明史的尖端の歴史的現在において流通している価値意識や思考様式や認識水準の観点と、人類史・世界史において世界普遍性共通性として存在していた人類史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階にまで時間を遡及し考察して得られるその段階において流通していた価値意識や思考様式や認識水準の観点との構造性・共時性にある、ということである。この時、近代主義的な観点からは、残忍・残虐・非道としてのイスラム国の行う自爆テロ・公開処刑・斬首を説明することができる。西洋近代の洗礼を受けていた日本においても、太平洋戦争末期の沖縄戦においてイスラム国と同じようなことを行ったのである。独立革命以前のイングランド系移民である「コロニスト」(植民者)や「セトラー」(定住者)は、先住民のインディアンに対して同じようなことを行ったのである。文明史的にはその尖端性へと向かうことは自然史的必然としてあるから、空間的な地域・日本の場合もそうだったのだが、地域・中東も、地域・アフリカも、資本主義の洗礼を受けるや否や、そしてそれを志向するや否や、その発展の速度や度合いの差はあれ、その尖端性へと向かって行くに違いないのである。すなわち、現在、中東諸地域・諸国も、人類史・世界史の<超>西欧的段階の歴史的現在(産業構造的に第三次産業を主とした消費資本主義的段階を尖端とする経済の世界性と民族国家の一国性の歴史的現在)のただ中に、その「歴史的環境の中に存在」しているのであるから、文明史的には不可避的に、近代への「移行」を強いられているということができるのである。このことは、自然史的必然に属している事柄であるから、イスラム原理主義といえども、遅延させることはできても逆行させたり退行させたり停滞させたりすることはできないことなのである。その証拠に、イスラム原理主義であっても、一方で不可避的に近代的な情報機器・情報網・情報操作や兵器を使用している。しかし、他方で宗教そのものの段階から言えば、イスラム原理主義は、経済的基盤を資本制に置く近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家に見合った宗教的段階にある世俗化・<倫理化・道徳化>された尖端性にある近代主義的プロテスタント主義的キリスト教とは違って、宗教が国家の役割を果たすイスラーム法(イスラム教のそれ)に基づく社会構成・支配構成、文化構成、地域構成を目指しているから、その意識や思考や認識や行為は人類史・世界史のアフリカ的段階に退化・退行していると言うことができるのである。したがって、このようなイスラム原理主義におけるテロの背後には宗教の問題、信念、信仰、という信の問題があるのであって、この信が個人の領域から離れて観念の共同性を本質とする組織――国家・政治・軍事(力)と結びつくと<強力>となるのである。さらに、イスラム原理主義の意識や思考や認識や行為の段階は、人類史・世界史のアフリカ的段階におけるヘーゲルの指摘した<一面性>に、すなわち一つの在り方に偏在(ヘーゲルの指摘が一面的であるのは、人類史・世界史のアフリカ的段階にあった北米インディアンや日本のアイヌ人の在り方を見ればよく分かることである)しているから、武器を持たない非戦闘員の多くの一般民衆をも平然と自爆テロで犠牲にしてしまうことになるのである。このことは、一般民衆を巻き込んだ爆弾テロ・自爆テロ、公開処刑、斬首刑、略奪等、テレビ映像から実感的に知ることができることである。したがって、テロ実行者において残忍・残虐・非道な自爆テロや公開処刑や斬首が横行しているとすれば、それは、その実行者における意識や思考や認識や行為が人類史の未開・原始の時代においてその<一面性>としてあった意識や思考や認識や行為に<逆行>・<退化>・<退行>しているかあるいはその実行者が生きている<地域>が依然としてそのような人類史の未開・原始の段階を残存させているか、である。したがって、そうした行為に対して<ひどい>・<耐えられない>・<理解できない>と感じたり考えたりする場合は、文明史の進歩と共にそういう残忍性・残虐性を払拭すべく社会の構成を意志してきた人類史の尖端性(歴史的現在)における意識や思考や認識や行為に依拠しているからなのである。しかし、人類史・世界史は、人間の類の歴史の時間累積としてあるから、人類史・世界史の尖端性(歴史的現在)を生きる者であれ、人類史・世界史の未開・原始の段階における意識や思考や認識や行為への<逆行>・<退化>・<退行>は可能性としてあるのである。
 テレビ映像から流れてくる、一般民衆を巻き込んだ爆弾テロ・自爆テロ、公開処刑、斬首刑、略奪等、を繰り返すイスラム原理主義の残忍性・残虐性・非道性の報道に触れる時、一方において、空間的な地域・日本においても人類史のアジア的段階にあった江戸期において、斬首や獄門(幕末から明治維新期における新撰組組長・近藤勇のそれ)、火刑・焚刑(近世まで世界各国でも)も行われていたのである。それだけでなく、例えば、経済社会構成を尖端的な西洋近代の資本主義制度に置きながら、人類史・世界史のアジア的段階における観念的遺制である天皇制国家の下で行った太平洋戦争末期の沖縄戦において、日本は――その支配上層・日本軍は、命令によって非戦闘員の一般住民を<集団自決>させただけでなく、一般住民の虐殺・食料強奪も行ったのである。また、それだけでなく、西欧的段階から<超>西欧的段階の先頭を走っている近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、民族国家、国民国家のアメリカも、近代的戦争は民族国家間の争いであるという意味で、その首謀者である国家支配上層同士だけが相互殺戮し合うことは許容されるとしても、イラクにおける石油権益の主導権を得ようとしたアメリカにとっての「ならずもの国家」・イラクに「民主主義と人権尊重と蛮行の解除を根付かせる」ことを標榜して行われたアメリカの一部支配上層によるイラク戦争で、イラクの非戦闘員である一般民衆の生活や安全や人権を無視して、その生活場に劣化ウラン弾を撃ち込み殺戮するテロ行為を行ったのである。民族国家が行ったから、それはテロではない、ということは決して言うことはできないのである。非戦闘員の一般民衆を無差別的に殺戮すれば、それはテロ行為である。したがって、シリアの反政府組織に対して無差別空爆を行い、非戦闘員の一般民衆を殺戮すれば、そのロシアも、テロ行為を行っのである。
 もっと言えば、今でもいつも正義漢ぶって報道しているNHKや朝日新聞は、太平洋戦争時に、情報宣伝、言論・思想・マスコミ統制を行う(内閣)情報局に加担することによって、すなわち戦争に積極的に加担することによって、一般民衆の家族や親族や友人を戦場に送り出し死に追いやっていったのである。したがって、ここでも、次のような原則が妥当する。NHKや朝日新聞等々が報道するから、その政策的言語や法的言語は正しいとして、またNHKや朝日新聞等々が招いているから、その知識人・専門家・著述家の政策的言語や法的言語は正しいとして、それらの発言を、そのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいのである。
 文明史的尖端性にあるこの日本(アメリカはその典型)において、個人の領域においてあるいは対・性・家族の領域において、あるいは集団の領域において、老いから若きに至るまで、残忍・残虐・非道な犯罪や殺害が、日常化して惹き起こされていることを、テレビ映像や新聞記事によって知ることができるのだが、この場合、日本が文明史的尖端性にあることを考えれば、ある不可避的な契機によって、その実行時において、その実行者の意識や思考や認識や行為が人類史の未開・原始の時代における意識や思考や認識や行為に<逆行>・<退化>・<退行>していたからである、と言うこともできる。なぜならば、この人類史の母胎・母系・原型の未開・原始の時代の意識や思考や認識や行為は、人間の類の歴史の時間累積としてあるから、それは、その歴史的現在を生きる人間の無意識の深層の一部を構成しているからである。また、人間は自然の一部として、動物的存在であるから、その動物性の前景化による、と言うこともできる。また、情報科学や情報技術の発達、高度情報社会化、高度消費資本主義段階の下で、正常と異常との境界を行き来する精神の病が蔓延してから、と言うこともできる。「政治支配や産業支配とは位相がちがう特異な位置」にあるテレビ局等々の「映像共同体」から毎日のように「虚像を実体であるかのように流布」され続けているから、それゆえにその高度な映像世界と現実世界との行き来・交換が容易になってしまったから、と言うこともできる。

 

 吉本は、『詩人・評論家・作家のための言語論』・『心とは何か』・『人生とは何か』で、個体の発生について、植物部分・動物部分(自然としての自己身体)と人間的部分の構造としての人間について、発生学者の三木成夫に依拠しながら次のように述べている――人間の胎児は、「生物の歴史を胎内」で体験する。胎児は、受胎してから、先ず魚類の「水棲動物の段階」から爬虫類・両棲類の「陸棲動物の段階」に移行(「上陸」)する。このとき胎児の顔は、魚類的な顔から爬虫類的な顔になっていく。この事態は、母親のつわりと母親の「こころ・精神」の変調とともに始まる。受胎から3ヶ月ほどたつと胎児は「レム睡眠の状態」で夢をみはじめる。5、6ヶ月になると、胎児は触覚・味覚という感覚能力が備わるが、ここに感覚に依存する「心・精神」の働きの起源がある。6ヶ月以降になると感覚器官の全部が揃い、聴覚によって胎児は母親の心臓音や母・父や親族の声を聞き分けるようになる。そして受胎後7、8ヶ月になると、意識が芽生える。胎児はこの「心・精神」の働き獲得してから、母胎内で母親との内的な「内コミュニケーション」をはじめる。母親の恐怖感や夫婦喧嘩による心理的打撃・喜怒哀楽・出産したくないという胎児への拒否感情・愛情の無さ等、そのような母親の精神や心の状態の変化はすべて胎児に伝わり、胎児の「心・精神」に刷り込まれていく。胎児が母親の「心・精神」の状態に反応したり「萎縮」したりすることが、超音波映像によって医学的に確かめられている。
 ここで「内コミュニケーション」は、「一歳未満まで、人間は言葉というものを持っていない」のであるが、「言葉(≪表意的な言葉≫)を介さずに、思いや考えが伝わる伝わり方」のことを言う。それは、胎児期と乳児期において獲得される。このように、受胎後5,6ヶ月で、胎児と母親との母胎内における表意的な言葉によらない内コミュニケーションは成立し、胎児期から1歳未満までに「相手の考えやイメージを察知する能力」、すなわち表意的な言葉によらない内コミュニケーション能力の原型や「内コミュニケーションの過敏さ、鋭敏さ」の「原型」が形成される。ここで、察知能力とは思い込み能力のことである。これは巫女における託宣能力の根拠となるものである。このような仕方で、母胎内では、世界の全てである母親と胎児との間で「栄養の交換、感情の交換、こころの交換」が行われている。乳児にとっては、「栄養摂取、排便、睡眠の世話」をしてくれる「母親あるいは母親代理」との関係が世界の全てである。人類史・世界史における未開・原始(アフリカ的段階・縄文的段階)は、「人間の個体の発生でいえば、胎内的な段階」のことである。この胎内的段階は、仏教でいえば「前世」であるが、科学的には「胎内体験」のことである。したがって、人類史・世界史における未開・原始における「言葉(≪表意的な言葉≫)以前の心の世界」あるいは未開・「原始社会のコミュニケーションの世界」は、胎児期や1歳未満の乳児の心の世界あるいは内コミュニケーションの世界を考察することと同じである。したがってまた、表意的な言葉を覚えて以降は、「内コミュニケーション」から「外コミュニケーション」へと移行していくことになる。
 さて、人間の「心・精神」の世界は、「意識領域」と、「核」・「中間層」・意識領域と接した「表層面」によって構成される「無意識領域」との構造としてある。したがって、人は、このような構造において、「現実世界」と関係している。そして、無意識領域が「現実世界」と直接的に接しているのは、人間の「心・精神」のうち、意識領域との境界にある無意識領域の「表層面」においてである。この三層で構成されている無意識領域の出自は、胎児期と生まれてから1年間の乳児期における母親との関係の在り方によって形成される。この無意識領域の構造的把握は個体の問題や家族の問題を扱う上で重要なものである。なぜならば、例えば家族問題の著書の多くは、家族問題を無意識の表層面だけで論じたり、表層面と中間層とを混同して論じているからである、人間の「心・精神」における部分を全体とする錯誤を犯しているからである。また、病的な異常さを呈した個体の問題や家族の問題は、当事者の無意識の「核」のところまで究明され論じられなければ究極的な解決に至ることはできない。したがって、病的な異常さを呈した個体的自己や家族的自己における究極的課題は、当事者の無意識の「核」にある「心・精神」の傷を治癒することにあるから、無意識の核に傷を負った当事者の個体史を胎児期や乳児期にまで遡って究明していくところにある。統合失調症(精神分裂病)における作為体験としての妄想・幻覚は、「思い込み」の「過剰・体系化(幻覚の占有)」として、「内コミュニケーション」の異常によるものである。また、この病には、この「幻覚」と同時に、「顔を水の中につけて、顔をあげずにそのまま死ぬことができる」という「意味の異常」が現れる。すなわち、精神の異常は、「幻覚というイメージの異常」か「意味の異常」としてある。正常な人間でも神経過敏な人は「対手が何を考えているか表情ですぐ分かる」ことができる。男性は、愛する対手の女性に対して、思い込みを含めて、女性が何を感じているかを表情や仕種の変化で感じ取ることができる。そうすることができ得る根拠は、胎児期や乳児期における「母親との内コミュニケーションの体験」を根拠としている。すなわち、現在を生きる個体の考え方や感じ方や行動の仕方の原型は、胎児期や乳児期における母親との「内コミュニケーション」の体験に依拠している。同じように、このことを人類史・世界史に敷衍すれば、現代を生きる人間の考え方や感じ方や行動の仕方の原型は、人類史の母胎・母型・原型である「未開・原始の時代」(アフリカ的段階・縄文的段階)の人間に依拠している。
 この「内コミュニケーション」に対して、表意的な言葉を覚えて以降の「外コミュニケーション」は、現実の世界と意識領域との関係における、感覚に依存する「心・精神」の働きによるコミュニケーションである。したがって、冷たい接し方や言葉を「持続的にある期間」繰り返し受けた場合、その人間の「心・精神」は大きな傷を受けることになる。言い換えれば、温かく優しい接し方や言葉を受けた場合、感覚に依存する「心・精神」の働きによるコミュニケーションは、相互了解や相互理解を生み出し得ることになる。すなわち、感覚に依存する「心・精神」の働きによるコミュニケーション世界において心に傷を負った者は、「心・精神」の傷の原因となったコミュニケーションの改善によってその病を治癒させることができる。しかし、人間は感覚に依存する「心・精神」の働きが疎外する意識領域だけでなく、内臓に依存する「心・精神」の働きが疎外する無意識領域をもっているから、感覚に依存する「心・精神」の働きによるコミュニケーションを円滑に行うだけでは、相手の「心・精神」を掴むことはできない。すなわち、相互に「心・精神」を通い合わせ相互了解し相互理解することはできない部分も有している、換言すれば相手の「心・精神」の無意識の層にまで下降していかなければ、ほんとうは相手の「心・精神」は掴めず、相互了解し相互理解することは不可能な部分も、人間は有している。したがって、ある個体の無意識の「核」に「心・精神」の病や異常がある場合は、その「核」にまで下降できなければ治癒することは不可能なのである。バルトは、『教会教義学 神の言葉』で、人間の対自的意識に関わる言葉で、「われわれ人間の間の伝達は――われわれが人間一般として互いに相対立して立つ限り――事実いかに問題的であるということを念頭に置くならば」、「一体、誰が誰を知っているのであろうか」、と述べている。
 さて、人間には三つの器官ある――第一には、生体の植物的機能器官、植物神経系に属する自律神経器官、呼吸器官・循環器官・消化器官等「植物器官」としての「内臓器官」である。第二には、生体の動物的機能器官、動物神経系に属する視覚・聴覚等の「動物器官」としての「感覚器官」である。第三には、「心・精神」としての「人間固有の器官」である。この「人間固有の器官」である「心・精神」は、感覚に依存する「心・精神」と内臓に依存する「心・精神」との構造としてある。また感覚に依存する「心・精神」の働きと内臓に依存する「心・精神」の働きの起源は、筋肉などの「体壁から神経がつながっている感官器官」と、植物系の神経で動かされている「腸とか肺とか胃とか心臓とか」の「内臓器官」とが分離されたところにある。さらに遡って言えば、原始的な感覚器官である臭覚機能が、内臓器官の一つである呼吸器官から分離されたところにある。人間の「心・精神」の働き(内面の構造)は、内蔵器官に依存した「心・精神」の働きによる表出と、感覚器官に依存した「心・精神」の働きによる表出の構造としてある。このことを「言語理論と結び」つけると、次のように言うことができる――言語の心的過程、内部構造、表出過程における言語の構造は、植物系神経(自律神経器官)・内臓器官に依存した「心・精神」の働き(無意識領域)に対応した言語の「自己表出」と、運動系・動物系神経(感覚器官)に依存した「心・精神」の働き(感性的認識→悟性的認識→理性的認識という意識領域)に対応した言語の「指示表出」の構造としてある。前者の言語の自己表出の典型的な例は、作家の中上健次の「短編でも長編でも百枚だって正味ついやすのは三日なんです(中略)単純に言うと神がかりみたいになって、言葉が出る」(『俳句の時代』)という在り方にある。すなわち、その言語の「自己表出」が、言語にとっての価値構成に関わり、その言語の指示表出が言語にとっての意味構成・物語構成に関わる。「個体としての人間」は、自然としての「身体の枠組み」があって、自然としての「身体の枠組みの像はさまざまな観念の母胎をなす」。このことは、三木成夫のいい方で述べれば、「大脳」は「感覚の母胎」をなし、「内臓」は「それ以外のものの母胎」をなす(『ハイ・エディプス論』)、ということである。例えば、都会を好み都会に固執しながらも、森林セラピーにあるように人が樹木の中に佇み「心・精神」を落ち着かせたり癒されたりするのは、個体の自己身体にある植物系の神経を根拠としているからである。また、動物セラピーにあるように人が犬等動物によって「心・精神」を落ち着かせたり癒されたりするのは、個体の自己身体にある動物系の神経を根拠としているからである。こうした人間の「心・精神」の在り方は、人類史・世界史に敷衍して言えば、人類史・世界史における歴史的「現在」は「未開・原始の時代」の意識や思考や認識や行為を重層化させているということができる。人間の「心・精神」の世界、その成り立ち、その病気、その異常等の問題は、胎児期・乳児期からの内臓に依存した「心・精神」の働きと、感覚に依存した「心・精神」の働きとの関わり合いの「集積」の中から発生してくる。したがって、「外コミュニケーション」に関わる意識領域や「内コミュニケーション」に関わる無意識領域における「心・精神」に負った傷の度合と質によって、「心・精神」を正常の状態に維持できたり、異常の領域に移行させられたり、正常と異常との境界域を行き来したり、コミュニケーションの改善で治癒できたりそれだけでは治癒できなかったりすることになる。このような具合であるし、また人は、人間存在の三様式である個――対・性・その共同性の家族――社会政治的共同性を生きる者であるから、社会構成や支配構成を維持するために、場当たり的に法制度によって出生率等の改善を目指したとしても、それだけでは究極的総体的な解決とはならないのであって、それゆえにそれは一面的相対的な解決としかならないのである。
 出産後すぐに距離をとる西欧における母と子の関係は、自由な、内面性を豊富化させ、その内面性に基づく「内面の論理」や精神文化を発達させる。このことは、西欧の文学や哲学によく現れている。その対極にある出産後すぐに添い寝と母乳で育てる日本における母と子の関係は、「内面の論理」については豊富化させないのだが、「情感」の繊細さ「情緒の論理」を発達させる。この場合、重要なことは、どちらに価値があるかということにはない。なぜならば、両者における「心・精神」の在り方は、人間の「心・精神」の構造としてあるものだからである。ただ日本における母と乳児の関係の在り方の場合、母親の身体状態、生活状態、夫婦関係の状態、子との心的関係状態、「母親の心の事情は……出産した新生児、乳児」の無意識領域に「そのまま刷りこまれ」ていく。心の中で胎児に対して拒否的になったり愛情無く授乳したとすれば、その母親の心の在り方は、乳児の無意識の層に刷り込まれていく。したがって、「母親がかわいがるふりしても、ほんとうはかわいくないとおもっていれば」、その母親の「心・精神」の在り方や接し方は乳児に全て伝わっていく。したがってまた、例えば、生誕後授乳されていた乳児から母親をすぐに引き離せば、その乳児の無意識に自殺願望を植え付けることになる。感受性が豊かな太宰治や三島由紀夫の自死はそこに根拠がある。このような訳で、乳児と母親との関係が良好であるかないかによって子の「心・精神」が病気や異常を呈するかどうかが決まり、良好でない場合は「子どもが長じて思春期になって、心の病気になったり異常」になったりする可能性は高まる。なぜならば、乳児にとって母親が世界の全てであるから、乳児に対する母親の「心・精神」の在り方や接し方が悪ければ、乳児にとって全世界がよくないことと同じこととなるからである。ここに、日本における家庭内暴力や親殺し子殺し等が発生してくる根拠がある。
 さて、高度「機械化」を制御する「人工脳化」という高度情報化を目指す「情報科学の専門家には、世の中が便利になると人間の精神も発達するという人」がいるのだが、それは、人間の感覚に依存する「心・精神」の部分を全体とする錯誤や誤解に基づいた主張である、と吉本は述べている。さまざまな情報の取り出しを可能とした情報伝達の頂点にあるインターネット、身体内部の細部の情報を取り出せるMRIや超音波等「感覚器官の働きを助けてその機能」を発達させ拡大させる非有機的身体としての「情報科学の生み出す装置」によって発達させられる人間の精神は、「大脳」に関係する「視聴覚系を主とする感覚的な部分」・「五官の部分」だけである。それは、<感性的認識→悟性的認識→理性的認識>に関わる領域であり、映像・音楽の高度化や科学・技術の知識の発達・増大や生活の利便性を向上させるが、人間の精神の働きのうち「内臓」に関係する「情念」・「非感覚的な部分」・「心の奥底」・心の「中心」にある無意識部分は発達させることはできない。したがって、それは、人間の精神<全体>を発達させるわけではないのである(『僕なら言うぞ』、『超恋愛論』)。また、科学・技術の発達と共に、産業構造が高度化することで、農業における生産管理や工場における生産ライン管理や流通管理や商品管理を合理化・効率化することにより、労働時間の短縮と生産量の増大をもたらすことができる。非有機的身体としての自動車や鉄道や飛行機等によって足の機能を延長・拡大させることができ、移動空間の拡大と移動時間の短縮をもたらすことができる。非有機的身体としての電子顕微鏡やMRIや超音波の装置によって身体内部の詳細像と詳細な情報を得ることができる。
 先述したように、文明が進歩し宗教も発達していくと、呪術的未開の宗教が国家の役割を果たしていた国家の段階、そして法が国家の役割を果たしていた国家の段階から、最後的に宗教の発達した宗教から解放された尖端的形態である近代国家となる。このように国家へと転化した共同宗教の最後的形態である近代国家は、信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家である。この国家に対応した宗教は、信仰・神学・教会の宣教のその存在・その思考・その実践が、世俗化・<倫理化・道徳化>された近代主義的プロテスタント主義的キリスト教である。したがって、この意味でのその民族的宗教としての近代主義的プロテスタント主義的キリスト教(正確には、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」(偶像)を崇拝する<自然神学>の段階の系譜に属するキリスト教)は、その民族国家と運命を共にするのである。すなわち、一方が倒れれば、他方も倒れるのである。言い換えれば、<自然神学>の段階の系譜に属する近代主義的プロテスタント主義的キリスト教は,民族国家の死滅と共に死滅するのである。その時、人は、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」(偶像)を崇拝する近代主義的プロテスタント主義的キリスト教を信じなくなるのである。なぜならば、その時、人は、一切の価値・第一義性を、その共同宗教の最後的な形態である民族国家に置くのではなく、他在であって自在、対自的で対他的、自由、な現実的な個の現存に自己還帰させることができるようになるからである、その時には個体的自己の他在であって自在、対自的であって対他的、自由、な自己意識は、「存在者レベルの神」(偶像)へと第一義性・価値性を疎外しなくなるからである、すなわち、その時には、その個体的自己は、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルの神」(偶像)を、他在であって自在、対自的で対他的、自由、な自己意識の類的本質の一つに過ぎないものであるということを認識し自覚するようになるからである。
 橋爪大三郎が『不思議なキリスト教』において、通俗的な言い方で述べていたように、人権、自由・平等(観念的法的部分的相対的なそれであって、現実的社会的総体的究極的なそれではない)、民主主義(制度としてのブルジョアジーは独裁のために議会制民主主義を必要とするから、不可避的に議会制民主主義は擬制民主主義としかならないのである。したがって、選挙制を媒介した間接民主主義を標榜・宣伝する大学知識人やマス・メディア等はその政策的言語や法的言語によって支配の体制に加担していくことになるのである。少なくとも対内的には国家を大多数の被支配としての一般国民・一般民衆に開いていくために、国民にかかわるすべての重要法案については直接民主制・国民投票制を導入すべきであるし、対外的にも国家を開いていく必要があるのである)、国家(宗教からの国家の解放、信教の自由が保障された政教分離の近代国家)という近代的な概念は、「キリスト教という宗教の産物」であり・「神のアナロジーである」なのである。この意味でキリスト教は「世俗的な価値の起源」なのである。その典型的なキリスト教は、世俗化した<倫理化・道徳化>した近代主義的プロテスタント主義的キリスト教なのである。バルトが、『カント』において、「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性にあるとするような信仰である」とした「カントは、本源的であるゆえに、すでに前もってわれわれの理性に内在している神概念の再想起としての神認識という点で、(≪神の人間化、神学の人間学化、キリスト教の世俗化、<脱>キリスト教化、キリスト教の信仰・神学・教会の宣教の倫理化・道徳化を目指す自然神学的な≫)アウグスティヌスの教説と一致する」と述べた時、この言葉は、近代主義的プロテスタント主義的な世俗化、倫理化・道徳化された<宗教>としての信仰・神学・教会の宣教を批判した言葉なのである。具体的に言えば、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」崇拝・偶像崇拝を目指した<自然神学>の系譜に属する近代主義的プロテスタント主義的キリスト教の信仰・神学・教会の宣教は、「神の要求」を、人間的な「自分自身の要求」に、「自分で満足させ得る要求」に変えて、「神的な『汝は斯くなすであろう』を変じて」、「人間的な余りに人間的な『汝は斯くなすべし』」をつくり上げたのである。それは、「神の要求」を、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」(偶像)の要求に、人間自身・教会自身によって恣意的に曲解された「十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告」、倫理道徳一般に過ぎないものへと変えたのである。この時、教会(その成員)の、その信仰・その神学・その宣教について言えば、またその存在・その思考・その実践について言えば、教会(その成員)それぞれが人間的に恣意的独断的に曲解して、ある者は「盲目的に」仕事へと没頭するようになったし、ある者は「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜」するようになったし、ある者は「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行」うようになったし、ある者は「大規模な世界改良の偉大な計画」に邁進するようになったし、ある者は「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義」に邁進するようになったのである。この時、教会(その成員)は、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示和解、客観的な「啓示の実在」そのもの)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、キリストの霊である聖霊の証しの力、啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて授与される終末論的限界の下での人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰、それ自身が聖霊の業である唯一の啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯して、それを媒介・反復することを通してキリストにあっての神を尋ね求める「神への愛」と、その「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(イエス・キリストの死と復活の出来事の告白・証し・宣べ伝え――なぜならば、この福音を内容とする福音の形式としてのこの律法、神の命令・要求・要請がなければ、人は、福音を所有することができないからである。この意味で、福音を内容とする律法は、本来的に人を「生命に導くべきもの」・「神の恩寵を証しするもの」なのである)を、後景へと退けてしまったのである。

 

 さて、イスラム原理主義、イスラム国について、「社会秩序を支えるにはますます国家が必要になるのに、逆に破壊するちぐはぐな対応」と、観念の共同性に過ぎない政治的近代国家・民族国家を第一義・価値性として前提し固定して語る朝日新聞論説主幹は、国家論・革命論の過渡的――究極的な課題についての認識も自覚もない主幹である。これでは、その政策的言語は、その最初から、支配の体制に加担していくことは自明なことなのである。このことは、この朝日新聞の論説主幹が、太平洋戦争時における天皇制国家とその戦争への朝日新聞の加担を、戦後以降、現在においても、全く自省していないことの証左なのである。

 

 文明史的尖端にある近代国家を第一義性・価値性として前提し固定して論じているフランス知識人トッドは、ウィキペディアによれば、「世界の歴史は主に先進国で形作られるのであって」、「イスラム圏はそもそも最重要の地域ではなく」、「近代化の先頭にいるのはトルコではなくイラン」であって、「イスラム脅威論を否定」し、「キリスト教が欧米の近代化を妨げなかったように、イスラム教にも近代化を妨げる力は無い」とした、という。このように西欧近代を第一義性・価値性として前提し固定して西欧的危機の課題を持たないトッドは、フーコーが異議申し立て・揶揄・批判した<宗教>としての「形而上史学的な歴史の科学」の信奉者のように思われる。この知識人は、「近代化の過程では必ず伝統の崩壊による混乱が生じる」と述べているのであるが、連続性と断続性の構造の時間累積としてある人類史・世界史の段階における伝統は、それが良きものであれ悪しきものであれ観念的遺制として残るのであるから、近代化以降においても、人類史・世界史におけるアフリカ的段階あるいはアジア的段階の伝統への復古や逆行や退化や退行はあり得るのである。例示してみよう。権威としての天皇と権力としての国家との国家体制・天皇制的国家を目指す国家主義者の佐藤優は、アジア的日本的な観念的遺制へと逆行・退化・退行した復古主義者なのである。この観念的な迷妄性を生きている佐藤が、現存している場所は、産業構造的に高度な消費資本主義段階(<超>西欧的段階)にある高度情報社会下にある日本のただ中なのである。世界の構図を考える場合には、宗教にも段階があるという観点を持つことが必要なのである。近づきつつあるのではなく、産業構造的に言えば、イスラム圏も、西欧的段階(経済的基盤を産業構造的に第二次産業を中心とした生産資本主義の段階)を包括し止揚した<超>西欧的段階(経済的基盤を産業構造的に第三次産業を中心とした消費資本主義の段階)の歴史的環境に同時代的に存在しているのである。したがって、その段階を志向すれば、日本のように、速やかにその段階に移行できるのである。その場合、それに対応した共同宗教としての宗教、法、国家における尖端性は、国家の宗教からの解放、信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家にあるのである。しかし、イスラム圏の国家の水準は、特にイスラム原理主義に立脚したイスラム国は、共同宗教としてのイスラム教におけるイスラム法(宗教)が国家の役割を果たす段階にあると言うことができるのである。すなわち、イスラム原理主義に立脚したイスラム国は、人類史・世界史におけるアフリカ的段階にある、と言うことができるのである。したがって、イスラム国が目指しているのは、政治的近代「国家の解体」ではなく、宗教が国家の役割を果たしていた人類史・世界史のアフリカ的段階におけるそれへの逆行・退化・退行なのである。したがってまた、フランス知識人のトッドが次のように述べたことは、世界認識・歴史認識における錯誤と誤解に基づいているのである、それゆえに明らかに誤謬なのである――「アラブ世界は国家(≪観念の共同性を本質とする、国家の宗教からの解放、信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家≫)を建設する力が強くない。人類学者としていうと、サウジアラビアやイラクなどの典型的な家族制度では、国家(≪前述した国家を第一義性・価値性とする国家主義的なそれ≫)より縁戚関係の方が重みを持っています。イラクのフセイン政権はひどい独裁でしたが、同時に、そんな地域での国家建設の始まりでもあった。それを米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義的思想を掲げ、国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊したのです」・「中東でこれほどまずいやり方はありません。今、われわれがISを通して目撃している問題は、国家の登場ではなく、国家の解体なのです」。言い換えれば、トッドにとって国家とは、文明史的尖端における西欧的な観念の共同性を本質とする信教の自由が保障された政教分離の近代国家、自由主義国家、政治的近代国家、国民国家、民族国家のことで、それを第一義性・価値性として前提し固定して、アラブ世界は、そうした国家を建設する力が強くない、と述べているのである。また、トッドは、「米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義的思想を掲げ、国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊したのです」と述べているのだが、それは間違いであって、新自由主義的思想も国家を第一義性・価値性としてそれを前提し固定した国家主義的なそれのである。

 

 さて、トッドは、「フランスは夜に入ってしまったようです。私が愛した多様で寛容なフランスは別の国になったように感じています」・「パリでテロを起こし、聖戦参加のために中東に旅立つ若者は、イスラム系だが生まれも育ちもフランスなど欧州。アルジェリア人の友人はいみじくもこう言いました。『なんでまた、欧米はこんな困った連中をわれわれのところに送り込んでくるのか』。あの若者たちは欧米人なのです」、と語っている。個人主義の原則は、他者を現実的に侵害しない、という点にある。したがって、彼らのテロが武器も持たない非戦闘員の一般民衆を標的にする限り、そしてテロ組織の戦闘員が難民の中に紛れ込んでやってくる限り、そしてまた国内的にも不信とむなしさと不安が蔓延している限り、そしてまた私利・私意が市民社会の精神である限り、そういう事態に対して、現実的に被害を受けた・被害を受けている側は、自分の・自分たちの身近な生活日常や生活圏や生活過程やその利害を守るために、寛容さを衰退させたり放棄したりするに違いないのである。おそらく、その場合は、トッドだって、そうするに違いないのである。

 

(5)ウィキペディアによれば、フランス知識人エマニュエル・トッドは、2006年の時、朝日新聞のインタビューに対して、次のように述べたという――「核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。インドとパキスタンは双方が核を持った時に和平のテーブルについた。中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい」、なぜならば、「核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる」からだ、また「中国をけん制するには、地政学的に見てロシアとの関係強化が有効なのです」、と。
 トッドは、近代国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して、「核を持てば軍事同盟から解放され、戦争に巻き込まれる恐れはなくなる」、という。しかし、その場合、戦争廃絶はあり得ないし、それゆえに平和な世界は構成されることはない。経済の世界性と民族国家の一国性で動いているこの世界において、また大国主義による国連の無力さの中で、地域的争い・戦争はなくなるわけがないのだし、イスラム国等によるテロの脅威がなくなるわけではない。国会等でよく言われる軍隊がなければ国家ではないというのは間違いであって、近代国家、民族国家は、国民一般の同意なしに軍事部門・軍隊組織を構成しその規則を作りその隊員を募集し、法律により国民を徴兵し、一部支配上層の意思によって戦争を惹き起こし、争いや戦争を望まない一般民衆を、その家族や親族や友人を戦場へと駆り立て、死に追いやっていくのである。それだけでなく、どのような戦争であれ、自国のそして相手国の、非戦闘員の一般民衆を殺戮することになるのである、ここが重要である。この場合、軍隊組織の隊員は自然発生的な民兵ではないのである。したがって、ほんとうは、現存する近代国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して論じてはいけないのであって、現存する近代国家、民族国家を否定的に媒介して、すなわち過渡的にはその国家を対内的にも対外的にも開いていく課題と究極的にはその国家を止揚し無化していく課題とを構造として持った上で、国家論・革命論は論じられなければならないのである。
 核兵器は戦略兵器である。トッドは、被爆国である「国民感情はわかるが、世界の現実も直視すべき」であるとして、戦争の元凶である民族国家を前提し固定して、「地政学的に危うい立場を一気に解決するのが核」だとして、日本が戦略兵器として核兵器を保持することを提言している。このことを知るとき、このトッドにインタビューをした朝日新聞は、そのような政策的言語を介して、国民の意識を核保有へと誘導しているということもできる。また、そのような政策的言語を介して、支配としての体制に加担している、と言うことができる。なぜならば、朝日新聞は、トッドが核兵器に対してどのような考え方を持っているのかを知っていてインタビューを要請しているからである。トッドからどうしてこのような発言が飛び出してくるかと言えば、この知識人が、国家論・革命論の過渡的――究極的な課題を認識し自覚しないで、それゆえに戦争廃絶と平和の問題を構想することをしないで、政治的近代国家、民族国家を第一義性・価値性として前提し固定して論じているからである。
 朝日新聞の論説主幹もこの知識人と同じ穴のむじなである。なぜならば、トッドの「米ブッシュ政権は、国家秩序に敵対的な新自由主義思想を掲げ、国家の解体は素晴らしいとばかりに戦争を始めて、破壊したのです」・「中東でこれほどまずいやり方はありません。今、われわれがISを通して目撃している問題は、国家の登場ではなく、国家の解体なのです」という発言に対して、朝日新聞論説主幹は、「信仰が薄れるにつれ、社会秩序を支えるにはますます国家が必要になるのに、逆に破壊するちぐはぐな対応というわけですね」、と述べているからである。それから、両者の認識における錯誤性と誤謬は、彼らの認識とは違って、米ブッシュ政権の「新自由主義思想」は国家を第一義性・価値性として前提し固定したそれなのであり、それゆえに、その真意は、決して「国家の解体」、「ISを通して目撃している問題は、……国家の解体」を目指すものではなくて、イラク(中東)における石油権益に対するアメリカ主導の確保にあったのである。