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新元号「令和」をめぐって

新元号「令和」をめぐって

 

 政府が閣議決定したこの新元号は、大宰府長官・大伴旅人に関わる「万葉集の『梅花の歌三十二首』の序文にある『初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす』(初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香)の文言を出典とした」という、すなわち「中国の古典(漢籍)」ではないという。そして安倍首相は、新元号の「令和」について(これは私が感じたことであるが、その私が思うには、万葉集には民衆の東歌や防人の歌が含まれているということで、日本のすべての)「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」と述べて、「一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めた」と述べ、また(これも私が感じたことであるが、その私が思うには、首相の場合は、おそらく宗教的対象としての権威としての天皇ということを念頭において)「いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値がある。そうした思いで決定した」と述べている。また、この記事との関連で、「決定段取りに『安倍カラー』」――すなわちそれは、「我が国の悠久の歴史、薫高き文化、そして四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄はしっかりと次の時代にも引き継いでいくべきだ」という記事も載っていた(読売新聞4月2日)。
 因みに、長谷川美千子という埼玉大学教授は、生き神様としての天皇の憲法への規定を復古的に語り、憲法の象徴天皇制の規定は「曖昧な言葉」だとして、その実質を「無私」なる自己としての天皇の寛容な「祈る者」としての宗教的側面におくべきことを生真面目に論じている(平成17年『文芸春秋3月特別号』文芸春秋)。

 

 これら安倍首相の発言に対して生じてくる<胡散臭さ>の感情は、何に因るのだろうか。その感情を解放するために、その<胡散臭さ>の感情の原因について、私なりに箇条書きにしてみる。
(1)万葉集の防人の歌は、筑紫地域・壱岐・対馬等の防備のために強いられて派遣された東国民衆の悲惨で苛酷な防人(派遣的兵役)の歌であるから、また現在自衛隊志願者数が減少している中、首相は、国民がそうした東国民衆のように国のために仕えることが「美しく心を寄せ合う……文化」(権威としての天皇を中心とした日本の国の文化)の育成になると言おうとしているように見える。

 

(2)経済的基盤を農耕に置き、人類史におけるアジア的段階の特質としてある未分化のままの政治制度(共同性)と道徳(個体性)との混在(ヘーゲル『歴史哲学講義』)の段階にある聖徳太子の十七条憲法は、その第1条に<和をもって貴しと為し、背き逆らわないようにせよ>という文言を置いている、またその第16条に<民、すなわち農民を使役する時には、先ず以ては貢納量の維持・増加および支配の側の衣食のために、その繁忙期の春から秋までの季節は使役すべきではなく、閑散期の冬の季節に使役するべきである>という文言を置いている。このことから、われわれは、その条文が、決して、経済的基盤を農耕に置いた社会における民・農民を第一義的に大切にせよという法ではないことを知ることができる。しかし、義務教育の小中学校においては、おそらく<和をもって貴しと為す>という一面だけが強調されて教えられていると思う。高校においてもそうかもしれない。

 

(3)歴史学者で東京大学史料編纂所の本郷和人教授は、「『令』は上から下に何か『命令』する時に使う字。国民一人ひとりが自発的に活躍するという説明の趣旨とは異なるのではないかというのが、まずひとつ批判の対象にならざるを得ない」と述べている。また、本郷氏はこれらを踏まえ、「普通に使うと使役表現となり、中世の人に読ませると『人に命令して仲良くさせる』となる。日本の古典から取ることは何の問題もないと思っているが、どうも自発的な感覚ではなくなってしまう」と述べている(ヤフーニュース、4月3日)。漢和辞典によれば、「令」には、「法令」、「命令」、「県令」、「よい(善)」の意味があり、「令月」は「よい月」、「陰暦の2月の別名」(現在の春の季節)の意味があるという。また、二つ目の問題点として、WEB上には、「新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(岩波書店)の補注」に、「『令月』は『仲春令月、時和し気清らかなり』(後漢・張衡『帰田賦・文選巻十五』)とあるとして、万葉集巻五、梅花の歌32首の序において使われている令月の用例として文選巻十五記載の張衡による『帰田賦』の句」という記事がある。
 これらのことを考慮して包括的に言えば、「令和」は、万葉集から引用しているから新元号は<純粋>に「初の国書」から生まれた元号であると支配層や一部知識人が強調したとしても、その万葉集は、中国の律令、文学、思想(儒教、仏教、老荘思想等)から強力に多くの影響を受けているであろう大伴家持(高級官吏としての知識人たちの一人)が編纂したものであるから、それ故にその根を中国の政治制度、文学、思想(儒教、仏教、老荘思想等)に持っていると言うことができる。したがって、<純粋>に日本によるものから生まれた元号であると言うことはできないのである。「ひとつの作品でさえそれを知りつくすために、作品から作家の性格へ、作家の性格から生活や環境へ、生活や環境から時代や社会へとのびてゆくすべての連環を解き明かさなければならない……。根もとをほりおこし、土壌をしらべ吸いあげられた養分を分析するというようにそれは膨大な労力の積み重ねを要する。文学の批評家たちがやっている仕事は、この膨大な連環の一部を拡大し、そこに自分の好みや関心が集中する中心を投げこんでいるわけだが、じっさいそれ以外にはほとんど術がないのである」、それ故に「……批評家は、自分の批評方法こそが正当だなどと主張……」してはいけないのである(吉本隆明『言語にとって美とはなにか』)、その一部を拡大鏡にかけて全体化して主張してはいけないのである、その一部を抽象して形而上学的に固定化してはいけないのである。
 このような安倍政権のような在り方の日本は――もちろん民主党政権の日本も全く同類であったが、また日本のどの政党が政権をとっても同じであるが――、アメリカ寄りのあるいはロシアまたあるいは中国寄りの雑多性はあっても政治的に世界に開かれる可能性はないから、<現>中国の習近平国家主席にも、中国の周辺国に過ぎない(本心は属国位のレベルにある)と評価されてしまうのである(ただ胡錦涛政権下では『大国』とされていていた)。<現>中国の対日政策の底流にあるのは、日本は政治的な世界性を持った「米国」や「ロシア」のような「『大国』ではなく『周辺国』」であるという認識である、すなわち日本は、「ベトナム、ラオス、韓国などと並ぶ『周辺国』」という認識である。言い換えれば、中国の対日政策の底流にあるのは、アメリカとの貿易摩擦による経済減速下において、「米けん制」に対してアメリカ寄りの日本はまだ「利用価値」があるという認識である(読売新聞、2019年3月9日)
 歴史的事実として、人類史におけるアジア的段階の経済的基盤は農耕であったが、その農耕技術も中国から輸入されたものである。『イエズス会士中国書簡集 4社会編』(平凡社、矢沢利彦編訳)には、「春にはじめに皇帝は犠牲を捧げ、豊年を祈るために親耕を行う。皇帝が土地を耕し、皇后が糸を紡ぐのはシナの政治の根本方針です」と述べられている。このことは、現在の日本において、毎年テレビ映像で流されるように、天皇が豊年の農耕祭儀を行い、皇后が養蚕し糸を紡ぐ在り方は<遺制>として残っている。また、モンテスキュー『法の精神 中』(岩波書店、野田良之他訳)にも、皇帝が毎年行う開田の儀式についての記述がある。このような訳であるから、支配上層や一部知識人が、様々な場面で、これは<純粋>に日本に固有のものだという時、<嘘>になるのである。

 

 さて、作家・詩人であり、セゾンコーポレーションの会長でもあった堤清二(辻井喬)は、「『伝統』をはき違えるな」の新聞記事のなかで、本居宣長等の詩歌を例に挙げて次のように述べている――「中学のとき、(中略)『敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花』という歌を習いました。教師は、国のために忠誠を誓って潔く散れ(≪玉砕せよ≫)と宣長も言っている、だからそういう国民になれ、それが日本の伝統だ、と繰り返した。でも宣長は、大和心とは「もののあわれ」を知ることだといいたかったのであって、『潔く散るのが大和心』と伝えたのだとは、私は思わない」(『朝日新聞・朝刊、2003年3月30日』)。ここには、宣長が「もののあわれ」とは、例えば『古事記』神話をそのあるがままに受け入れることであり、それ故に詩歌の起源は『古事記』に最初にでてくる「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」にあると述べたのに対して、それに異を唱えた宣長の師・賀茂真淵や折口信夫を介して詩歌の起源を論じた吉本隆明とはまた別の問題が述べられているのだが、ここに登場する教師に代表されているのは、共同体至上意識が個体性を超えてしまうアジア的な負の心性や、国家の共同幻想から対象的になれずに、そうした国家の共同幻想に侵蝕された自己意識・自己幻想・自己思想の敗北した在り方にある、換言すれば個−対−共同性を地続きの構造において捉え国家の共同性に第一義性・価値性を置いていく敗北した在り方にある。
 吉本は、『言語にとって美とはなにか』で、次のように述べている――「ひとつの作品」は、「ある個性的な、もっとも類を拒絶した中心的な思想をどこかに秘しているひとりの作家をもっている」。「そして、ひとりの作家」は、「かれにとってもっとも必然的な環境や生活をもち」、「その生活、その環境は中心的なところで一回かぎりの、かれだけしか体験したことのない核をかくしている」(自然時空に規定されたある体験は、一回性を本質としているから)。また、「あるひとつの生活、ひとつの環境」は、「もっとも必然的にある時代、ひとつの社会、そしてある支配の形態のなかに在り、その中心的な部分は、けっして他の時代、他の社会、他の支配からはうかがうことのできない秘められた時代性の殻(≪「異質な中心」≫)をもつ」。このことは、「同じ時代、同じ社会、同じ支配の下での他の作品」に対してだけでなく、「同じひとりの作家」の「別のひとつの作品」に対しても言うことができる。すなわち、言語の<意味>を構成する対他的となった「言語の指示表出の中心」、「言語の指示意識」、自己意識の対他的意識、実践的意識は、「外皮では対他的な関係にありながら中心で孤立している」(この実践的意識の外化、外化された実践的意識は、「他の人々にとって存在するとともに、そのことによってはじめて私自身にとっても実際に存在するところの現実の意識」として、コミュニケーションによる相互理解に根拠を与える。一方で、人間には、他者からはどうしても窺い知ることができない人間的意識、対自的意識、言語の自己表出の意識がある)。と同時に、「あるひとつの作品」は、「たんに同じ時代の同じ社会の同じ個性がうんだ作品のたいしてではなく、異なった時代の異なった社会の異なった個性にたいして、決定的な類似性や共通性の中心をもっている……」。「この類似性や共通性の中心は、言語の自己表出の歴史として時間的な連続性をなす……」。言語の<価値>を構成する他者からはどうしても窺い知ることができない「言語の自己表出性」、言語の自己表出の意識、自己意識の対自的意識、人間的意識は、「外皮では対他的関係を拒絶しながらその中心で連帯している」。吉本が、『万葉集』のなかの柿本人麻呂の詩歌「近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」を、「ぼくが最もいい詩のひとつだとおもう」と評価するとき、吉本は時代を超えて綿々と続く言語の時間的な連続性の根拠である言語の自己表出性に関わっていると言うことができる。これと同じようなことは、次のような引用に見ることができる――「歴史とは個々の世代(≪個体的自己の成果の世代的総和、類≫)の継起にほかならず、これら世代のいずれもがこれに先行するすべての世代からゆずられた材料、資本、生産力(≪また性・家族や言語≫)を利用(≪媒介・反復≫)する」(マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』)、また「もしもロシアが世界において孤立しているとしたら、ロシアは、西ヨーロッパが原始共同社会の存在以来現状にいたるまでの長い一連の発展を経過してはじめて獲得した経済的征服を、<独力>でつくりあげなければならないであろう。(中略)しかし、……、ロシアは、近代の歴史的環境(≪資本主義という世界史的尖端性、歴史的現存性≫)の中に存在し、より高い文化と時を同じくしており、資本主義的生産の支配している世界の市場と結合している。そこで、この生産様式の肯定的成果をわがものにすることによって、ロシアは、(≪人類史のアジア的段階における≫)その農村共同体のいまなお前古代的である形態(≪人類史における古典・古代の段階の前のアジア的段階における相互扶助意識≫)を破壊しないで、それを発展させ変形することができる」、また「ロシア(≪地域ロシア≫)における共産主義的所有の形態は、それ自身、(≪自然史の一部である人類史の自然史的過程における≫)諸発展の全系列(≪時間的な連続性におけるそれぞれの段階≫)を経過した、前古代的な型(≪すなわち人類史における古典・古代の段階の前のアジア的段階の型≫)のもっとも近代的な形態である」(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』)。

 

 このような訳で、吉本は、太宰治の「人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない」(『或る実験報告』)という思惟・語りとヴァレリーの「もともとオリジナルな文人なぞは、在りはしないのだ。真にこの名に値する人々は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。しかし、わしはオリジナルな文人だぞ! という顔をする人間はある」・「剽窃家というのは、他人の養分を消化しきれなかった者の謂である」(『文学論』)という思惟・語りを引用して、「人間は、現実においてはばらばらにきりはなされた存在であることを認識したとき、ほんとうは連関と共通性を手に入れ、また不幸にしてこの現実で連関のなかにある存在だと認めたとき孤立しているのだ」と述べたのである(『言語にとって美とはなにか』)。

 

(4)太平洋戦争中に玉砕(天皇のために・天皇制国家のために潔く散ること・死ぬこと)を報ずる大本営発表の前奏曲として流された「海ゆかば」は、大伴家持の「賀陸奥国出金詔書歌」(『万葉集』巻第十八)に依拠している(例外として、戦勝した真珠湾攻撃の成功の際にも流されたという)――「(中略)……大伴家の遠い祖先の神、その名を大来目主と呼ばれてお仕えしてきた職柄、海を行くなら水につかる屍(となり)、山を行くなら草むす屍(となっても)、大君の側でこそ死のう、自分の身を顧みるような事はするまいと誓いを立て、立派な男の潔いその名を昔から今現在に至るまで伝えてきた、その先祖の末なのだ。(中略)」(桑名博史監修『万葉集 古今集 新古今集』三省堂)。「海ゆかば」は、現在も軍艦行進曲(軍艦マーチ)の中間部において聞くことができるという、その「海ゆかば」は、大日本帝国政府による国民精神総動員強調週間制定の際、NHKから依頼されて信時潔が1937年に作曲したものだという。NHKは国民の戦意高揚に加担していたのである

 

 このような訳であるから、この新元号に関しても、われわれは、自分たちを戦争へと駆り立て他国の被支配としての民衆を含めて自分や家族や親族や友人やを死に追いやることのある、支配からの情報や、知識人の知識や、メディア的な情報を、そのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいのである。