本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

拙著の『全キリスト教、最後の宗教改革者カール・バルト』関係

拙著の『全キリスト教最後の宗教改革者 カール・バルト』関係記事一覧

はじめに(2−1)

 このサイトを立ち上げた理由について書かせて頂けば、それは次の点にあります。先ず以て私は、一般信徒と牧師が共に、現在から将来に生きることができるキリスト教・教会・信仰・神学を目指すことを切望する一キリスト者だからです。また、私は、不信とむなしさと不確かさと不安の蔓延した現在から未来に生きることができ...

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はじめに(2−2)

 ここまで理解できれば、全キリスト教を、バルトの「超自然な神学」におけるキリスト教・教会の宣教・信仰・神学と、自然神学の系譜に属するローマ・カトリック主義的な信仰・神学・教会の宣教、近代主義的プロテスタント主義的な信仰・神学・教会の宣教、アジア的日本的な自然原理に依拠した近代主義的プロテスタント主義...

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神学・知識の課題(3−1)

 この課題は、言い換えれば、「すべての大学社会の神学、何らかの抽象を以って始められ何らかの空論に終わるところの神学」(バルト)、それに類する神学、すなわちリアリティなき神学に依拠した神学者や牧師や著述家によるバルト論において、根本的なところで曲解され続けているバルトのその信仰・その神学の認識方法およ...

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神学・知識の課題(3−2)

 世界的な神学者で牧師で思想家でもあるバルトも、その神学の認識方法および概念構成において、吉本と同じ問題意識を持っていました。1948年バルトは次のように書いています―「600万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去...

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神学・知識の課題(3−3)

2)佐藤は、『右巻』で「究極的な救済をどう得るかという視座から宗教について考察」すると述べ、『左巻』では神学研究の本質と教会の責務は、「個々人の救済、具体的な人間の救済です。人類という抽象的なものの救済ではありません」、と尤もらしく聞こえる言葉で根本的な誤謬に普遍性の後光をかぶせて断定的に述べていま...

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カール・バルトのほんとうの読み方・ほんとうの分かり方

 先ず以て、下記の事柄を押さえておくことが必要でしょう。 私たちは、一般のキリスト者だけでなく、キリスト教に興味関心のある一般の方も、世界的な神学者で牧師で思想家でもあるカール・バルトの、神の側の真実=ローマ書3・22およびガラテヤ書2・16等の「イエスの信仰」の属格の主格的属格理解=徹頭徹尾全面的...

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カール・バルトのほんとうの読み方・ほんとうの分かり方――バルト対、エーバーハルト...

 橋爪大三郎・大澤真幸の対談『ふしぎなキリスト教』の「あとがき」には、「『キリスト教入門』みたいな本なら、山ほど出ている。でもあんまり、役に立たない。『信仰の立場』を後ろに隠して、どこか押しつけがましく、でもにこにこ語りかける。さもなければ、聖書学あたりの知識を、これならわかるかねと上から目線で教え...

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カール・バルトのほんとうの読み方・ほんとうの分かり方――バルト対、滝沢克己、八木...

 私には、バルトに師事した滝沢克己は、西洋近代の洗礼を受けながら、一方でアジア的日本的な自然を原理として自然神学的なインマヌエル論を展開した哲学的神学者であるように思えます。そして、その哲学的神学の位相は、次に引用する言葉に尽きると言っていいと思います。「もはやいかなるキリスト者も、「聖書」や「イエ...

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カール・バルトのほんとうの読み方・ほんとうの分かり方――バルト対、富岡幸一郎

 バルトは、自然神学的な神学群に属するアウグスティヌス、中世スコラ哲学の「キリスト啓示・自然啓示二元論」、「中世末期の人間の行為義認論」、ルターを含めて「それにプロテストはしたがその自然神学をその根本において止揚できなかった宗教改革者」、「宣教は人間の側に『結合点』を求めなくてはならず、また『結合点...

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バルトとルターの根本的かつ究極的な差異性

 バルトは、1)『ヘーゲル』においては、神と人間との無限の質的差異を揚棄してしまったヘーゲルの根本的問題を、2)『福音と律法』・『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』においては、自然神学的なローマ・カトリック主義、近代主義的プロテスタント主義、ルターの宗教改革やシュライエルマッハーやブルトマン等、アジ...

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バルトとボンヘッハーの神学的実存の根本的な差異性

 クラッパートと寺園喜基は、「時代の現実との関連における神学」=「状況連関神学」について、それは、「キリストと同じ形になること」を目指す形成倫理学だと言います。またそれは、「神学的なもの」と「政治的なもの」=「倫理―隣人愛―仕える教会―信徒―民主主義的社会主義―平和運動」との「必然的関係」および「正...

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バルトの根本的な自然神学的聖霊論批判――バルト対、ルドルフ・ボーレンと佐藤司郎と...

シュライエルマッハーとの訣別: バルトは、「よい聖霊論」だったら、自然神学の系譜に属する「シュラエルマッハーおよびすべての近代主義に対する最高の批判になっただろう」と述べています。一切の近代主義・自然神学的な神学群や教会の宣教に抗するバルトのこの言葉は、神と人間との混淆論・共働論を超出したところで構...

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啓示認識の可能性

啓示の実在=イエス・キリストの名=啓示の客観的現実性、聖書の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性) バルトの、神学における思想としての良質な三位一体論と、神性を本質とするイエス・キリストにおける「福音と律法」の「真理性」と「現実性」と...

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バルトの根本的なブルトマン神学批判

序論 神性を本質とするイエス・キリストにおける啓示=イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済・救済史(福音の歴史・神の時間・神の側の真実・啓示の客観的現実性)と歴史(人間の歴史・人間の時間)との無限の質的差異について、『教会教義学 神の言葉』に即して整理すれば、次のように言うこ...

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