本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−4)

新年を迎えて考えたこと――教条主義化した1967年「日本基督教団 戦争責任の告白」<再考>について(その5−4)

 

 教団の戦責告白は、また現存する教団(教会)は、先ず以て<まさに>教会の主・頭であるイエス・キリストをのみ愛するが故にということを第一義性・価値性として無条件に前提するのではなく、無条件に「祖国」、国家、政治的近代国家、民族国家を前提し、「<まさに国を愛するが故にこそ>」という祖国愛を第一義性・価値性としているのである。したがって、私たちは、この教団の戦責告白が情緒性と曖昧性の中で無条件に前提している祖国愛の対象としての「国」・「祖国」、政治的近代国家、民族国家について、もう少し掘り下げて再考してみる必要があるのである。
 私は、ここで、自らの戦争体験を自省することによって得られた知識人の敗北の構造について、世界をトータルに把握できる世界認識の方法を持っていなかった点に、また「国家の政策を、知識人があらゆるこじつけを駆使して合理化し、それを大衆が知的に模倣し、行動では国家以上に国家を推進」し、支配(国家権力)に直通していく大衆の存在様式を把握できなかった点等においた吉本に依拠して、国家について考えてみたい。市民社会の疎外態としての国家は、市民社会の外にあるから、官僚機構を介して市民社会と接触するのであるが(官僚機構の下で、法の支配の下での法による行政に基づく<政治的国家>の職能団体である制度としての官僚は、その権力の意志表現としての法的政策的言語に、<市民社会>内部の官僚制、個別的な職業的人間の職能団体、部分的共同意志を媒介するのであるが)、この官僚機構は、両者の対立・争いを社会的に現実的に止揚し克服するというよりも、ただ観念の共同性(共同幻想)を本質とする権力の意志表現としての法によって「固定した対立」・争いを媒介するだけなのである。したがって、人間が社会的な現実的な諸矛盾や諸利害による対立・争いのある市民社会の中で、その社会の本質を観念的な法的政治的共同性(共同幻想としての国家)として疎外する時、すなわち自己還帰しない逆立した疎遠な観念的な法的政治的共同性(共同幻想としての国家)によってその対立・争いを止揚する時、人間は、社会的現実的にと観念的政治的にとの二重の生活を強いられることになるのである。言い換えれば、近代市民社会の中において、具体的に私人として、「私利・私意」に基づく利己主義的な私的他者との対立・争いの生活、利害共同性との対立・争いの生活と、一方であたかもそうした対立・争いのない観念的な法的政治的共同性(共同幻想としての国家)によって統一された公的共同性の一員(公民)としての生活との二重の生活を強いられるのである。こうした中で、市民は、市民社会の疎外態である国家の側からする<国家試験>を受けて合格すれば「官僚になれる資格を持っている」のであるが、「このことは、……(≪すべての市民に開かれているわけではないから、≫)もともと市民に市民的な権利がないことを象徴しているに過ぎない」のである。「マルクスによれば、官僚政治は、市民社会を内容とし、市民社会の外にある国家の形式<主義>であり、それをひとつの集合としてみた時、<国家意識>であり、<国家意志>であり、<国家権力>であり、それは、<実在>の国家と並んだ<幻想>の国家である」。擬制民主主義でしかない議会制民主主義の下で、「立法権は、国家が市民社会を(≪憲法に基づいた法的≫)普遍性によって組織しようとする権力(≪この意味でまた立法権は、憲法を覆う権力≫)である……」。法制的中枢としてある「憲法は、立法権に法律を与えるから、……立法権の外に……法の外にある。この憲法の性格は、政治としての国家(≪共同幻想としての国家≫)と現実の非政治的国家(≪<非>共同幻想としての国家、経済的国家≫)の間をつなぐ調整弁の役割を持つものである」(『カール・マルクス』)。したがって、観念の共同性(共同幻想)を本質とする国家の考察においては、国家の内的本質と外的本質という二重構造を考慮しなければ錯誤に陥ることになる。すなわち、第一に、社会福祉、道路・交通・通信・上下水道・ガス・電気・学校・病院・公園等の産業や生活関連の社会資本の整備を行う国家の「社会機能」があるが、そうした経済社会構成(経済的基盤)に対応する「経済的国家」が、外的本質としての国家である。第二に、先に述べたように、天皇制国家が、天皇制的な宗教、儀礼、法、制度等の中に、接ぎ木的に最下層の共同幻想である自然規定、風俗・習慣、心性、文化等を包摂し重層的に時間累積させているように、観念の共同性を本質とする「共同幻想としての国家」が、共同的な宗教、法、国家へと馳せ下る内的本質としての国家である。この国家の本質としての二重構造に基づいて、ある地域性を有した地域的国家が存在する。本質的に共同幻想(共同観念、共同意識)と逆立する共同幻想はないから、全ての共同幻想は、共同体の個々の成員に対して逆立して権力に転化する。ただ、自己身体を座とする個体内部での自己幻想(対自的な自己意識としての自己観念)と共同幻想(対他的な自己意識としての自己観念)は、自己身体を座として持つが故に、その個体内部における共同幻想(対他的な自己意識としての自己観念)が抑圧的で支配的であると実感し認識し自覚したならば、個体内部での対自的な自己意識としての自己観念を第一義性・価値性として認識し自覚することによって、その個体内部での対他的な自己意識としての共同幻想(社会的意識、政治的意識)に第一義性・価値性を置く共同性価値意識(共同性価値論、共同性価値観)を転倒させることで、個体内部での対自的な自己意識としての自己観念を自己救抜(自己解放)することは可能である。また、身体を座として持つ個体の自己幻想において、国家は「風俗、習慣的な慣行律」、家族的習慣、宗教、法まで含めて同じ「共同幻想の<一態様>」であるものとして意識的自覚的に把握する時、少なくとも国家の共同性を第一義性・価値性として措定し抑圧され支配されていく錯誤だけは犯さずに済むことになるのである。また、観念の共同性を本質とする重層的に時間累積させてきた不可視な国家の内的本質は、観念を本質としているから、歴史に登場する九州の邪馬台国や近畿大和盆地を基盤とした大和朝廷にはないのであって、それ故に外在的な可視的な古墳・土器・武器等の考古学的資料の科学的分析によってはその内的本質は解明できないし、それ故にまた観念の共同性を本質とする国家の内的本質を止揚し無化することはできないのである。したがって、出来得るとする主張は「タダモノ論」でしかないのである。「国家が法律を作ったのではなく、まず宗教があって、それが法律になって、それから国家(近代国家)が生まれた」のである。すなわち、共同的な宗教から法へ、法から国家へと流れくだった近代国家、「<国民国家>というものは、(≪共同≫)宗教のもっとも新しいかたち」(共同宗教としてのキリスト教の最後的形態)である(『国家論』)。
 さて、「<種族の父>も<種族の母>も<トーテム>も、たんなる<習俗>や<神話>も、<宗教>や<法>や<国家>とおなじように共同幻想のある表われ方である」・「わたしは国家を国家そのものとして扱おうとはしなかった。<共同幻想のひとつの態様>としてのみ国家は扱われている」(『共同幻想論』「序」)。「共同幻想は、圧殺される負担を知りながら、不可避に疎外された負担」である。何故ならば、それを疎外した主体はこちら側にあるにもかかわらず、第一義性・価値性は、いつも疎外されたものの側に移行してしまうからである。言い換えれば、共同幻想を疎外した、自己身体を座とする自己意識(対自的な自己意識と対他的な自己意識との構造)が、その対他的な自己意識としての共同幻想(社会意識、政治意識)を、第一義性・価値性としての対自的な自己意識(個的、対的意識)の側に自己還帰(自己回収)することができずに、それ故に自らが疎外した共同幻想の方へと第一義性・価値性を移行させてしまうからである。このようにして疎外された共同幻想は、換言すればもはや自己身体を座としない共同幻想は、まさにそれ故にそれは、それ自体の自己展開過程と自己増殖過程を持って時間累積させていくのである、共同宗教から法(権力の意志表現としての法)へ、法から国家へと歴史的に時間累積させていくのである。このような訳で、「人間にとって共同幻想は、個体の幻想(≪自己身体を座とする自己幻想、自己観念、自己意識、自己思想≫)と逆立する構造をもっている」。しかし、教団の戦責告白は、このような「国」・「祖国」、政治的近代国家、民族国家を前提し、「<まさに国を愛する故にこそ>」という祖国愛に第一義性・価値性を置いているのである。このような教団の戦責告白を、私たちは、バルトと共に、決して首肯することはできないのである。

 

 さて、統一的な部族社会の法(共同幻想)の罪罰概念は、宗教的と政治的との二重の構造を持つ。例えば、第一に、罪を犯したら罰として爪を剥がされて共同体から追放されるという「物件の代償」と「追放」が伴うものがある、ここでは刑法と刑罰が結びついている。第二には、穢れが物件として観念的に擬制され、「けがれを祓う」ことが、「物件を代償する」ことになるというものである――この清祓によって罪が解消するという「清祓」概念は、宗教から法へ転化する場合の中間に位置するものである。このように、いったん刑法と刑罰行為概念が政治的に分離されてくると、罪罰概念は、現世的な政治的権力の概念として純化されていくことになる(『吉本隆明全著作集14』「幻想としての国家」)。「邪馬台的な段階においても、統一部族国家においても、<法>的な概念が呪術的な宗教的な段階をすでに離脱して、公権力による刑罰法の概念に転化」し、共同幻想が高次化していたということができる(『吉本隆明全著作集14』「幻想としての人間」)。ただ、邪馬台や初期天皇制国家における法(共同幻想)の特異性は、罪が二重構造において把握されていたところにある。すなわち、同じ田圃の侵犯に対して、世襲的な「<宗教的>な王権の内部では田地の侵犯に類する行為は<清祓>の対象であるが、<政治的>権力の次元ではじっさいの刑罰に価する」対象であった。しかし、律令制の導入により大和朝廷が支配を完成させていくと、「農耕法的な要素を<共同幻想>の<法>(≪天つ罪≫)として垂直的(権力的)に抽きだし」、すなわち天津罪の対象である他人の田圃の侵犯は、田圃の所有者Aと侵犯者Bとの所有関係における侵犯であるという「水平的な概念」から、侵犯者Bの権力自体の共同幻想(刑法・刑罰と代償・補償)に対する侵犯であるという「権力体系自体の問題」(「垂直的な概念」)に転化させ、「のこされた近親相関、獣姦のような<国つ罪>を、他の清祓対象とともに<私法>的な位置に落」すという仕方で、すなわち清祓の対象であった国津罪の対象である兄妹相姦も、その兄妹の権力自体の共同幻想(刑法・刑罰と代償・補償)に対する侵犯として、流刑・処刑の刑罰という「垂直的な概念」へと転化させるという仕方で、法(共同幻想)の整序を行った。この場合、大陸の制度だけでなく、大陸の知識、すなわち仏教や儒教も介在させた。そして、例えば、近親相姦等に対する罪意識を自覚化させた。このようにして、法(共同幻想)は、「権力自体の意志表現」となった。日本における起源としての国家の問題は、「日本列島を総轄」した「単一の国家の成立」時期の問題でもないし、「九州に邪馬台国連合が成立」した問題でもないのであって、それは、「権力自体の意志表現」としての法構成・法体系(法的言語)が、国家の権力意志である「共同幻想」へと「垂直的に転化」され集中されていくところにある問題である(前掲書)。ここに、人類史のアジア的段階の日本における共同幻想としての天皇制国家の階梯がある。

 

 さて、民族国家(国家共同性)の神(第一義性・価値性)は、共同幻想としての国法(「権力自体の意志表現」)である。この国法が宗教から離脱して行く度合いに応じて、宗教の問題は国家の問題へと、最後的には共同宗教としてのキリスト教の最後的形態である政治的近代国家の問題へと、すなわち天上の問題から現世の問題へと馳せ下っていく。しかし、このことは、すなわち共同宗教が「市民社会の精神(差別性の原理)」に転化しただけに過ぎないところの、人間の共同宗教からの観念的な政治的解放(法的な、自由・平等、信教の自由の保障)は、人間の現実的な究極的総体的永続的な社会的解放ではないのである。人類史の西欧的段階における共同宗教を起源とし国法を媒介として国家に転化する、宗教、法、国家の問題は、次のように言うことができる――プロイセン王国において国家の問題は、キリスト教とユダヤ教の宗教対立が問題である。すなわちユダヤ人問題としてある。なぜならば、ユダヤ人は、キリスト教を宗教とする国家に対して、宗教的対立の中にあるからである。したがって、この国家の段階では国家の問題は、宗教的対立の問題として、政治的近代国家の問題とはなってはいない、すなわち現世的問題(政治的近代国家の批判の問題)となっていない。それに対して、政治的近代国家への途上にあるキリスト教国家としてのフランス立憲国家において国家の問題は、天上の問題、すなわち観念の共同性を本質とする信教の自由という憲法(国法)の問題として、人間の部分的な観念的な法的政治的な解放の問題であり、宗教的対立の問題と法的政治的対立の問題が併存している。それに対して、北アメリカ自由主義国家は、法的政治的に信教の自由が保証された政治的近代国家である。政教分離と信教の自由が保障されたこの段階において、国家の問題は、現世的問題、すなわち政治的近代国家の批判の問題となる。何故ならば、人間は社会的に、すなわち現実的に自由でなくても、解放されていなくても、観念の共同性を本質とする国家は自由主義国家であり得るからである。しかし、その場合、現実的な近代市民社会の中で人間は、恣意的に自由であり得るだけである、また経済的社会的な不平等や格差があっても、法的には平等であり得るだけである。このように完成された法的政治的に政教分離と信教の自由が保障された自由主義国家、政治的近代国家の場合、その中で人間は、その思惟と現実的生活において、天上の観念的非日常性(あたかも対立・争いのない法的政治的に統一された自由・平等の公的共同性の一員としての生活、公民としての生活)と地上の現実的日常性(市民社会生活、個別的私的現実的生活)との二重の生活が強いられるのである。擬制民主主義でしかない議会制民主主義の下で、政治的近代国家を第一義性・価値・天国として頂いているところの現実的な近代市民社会においては、人は誰であれ、ある職業、生活、資質、感情、思考、思想、意志を持った私人として、「私利・私意」に基づく利己主義的な私的他者との対立・争いの生活、利害共同性との対立・争いの生活を強いられるのである。このように、人類史の西欧的段階において、共同<宗教>としてのキリスト教の最後的形態は政治的近代国家である。
 前述したように、観念の共同性を本質とする国家は、共同幻想の一態様であるが、「あらゆる共同幻想は消滅しなければならないということは(≪無化されなければならないということは≫)、究極の<読み>としてはっきりしておかなければならない」・「これは究極の<読み>、いいかえれば、<思想>の原理」、「構想力の問題」であるから、「<空想>としてではなく言い切るべき問題として存在」しているのである(『吉本隆明全著作集14』「国家論」)。したがって、私たちは、バルト共に(詳論は、5−5)、無条件に「国」・「祖国」、政治的近代国家、民族国家を前提し、「<まさに国を愛するが故に>」という祖国愛に第一義性・価値性を置く教団の戦責告白は、その最初から観念の共同性を本質とする国家に、政治的近代国家に、民族国家に包摂されてしまっているそれであるから、決して首肯することはできないのである。吉本が「すべての共同幻想の解体が思想的課題だ」と述べていることに対して、村瀬学は「すべての『共同幻想』を『悪』として解体するような発想は吉本さんのなかにはないのではないでしょうか」と述べている(村瀬学『次の時代のための吉本隆明の読み方』洋泉社)。しかし、本当は、吉本自身は、全ての共同幻想は止揚され無化されるべきものであると考えている。風俗・習慣(共同幻想・共同意識)は、性、すなわち対の<時間性>としての父母の世代と子の世代としてあるから、この性・対の<時間性>である父母の<世代>から子の<世代>へという仕方で、世代間において新たに何かを付加されながら受け継がれていく。したがって、その問題は、その習俗(共同幻想)に権力性や支配性や抑圧性があるかどうかの判断と実践の問題である。例えば、村(町内)の鎮守の祭り(共同幻想)の寄付について、それは、抑圧的な宗教(共同幻想)ではなく、個人の自由な意志を許す習俗(共同幻想)として権力的支配的抑圧的でないものであるならば許容してもよいし・権力的支配的抑圧的ならば許容できないという判断と実践の問題である、それゆえにその習俗(共同幻想)の在り方が寄付を払わない者は「村八分」にするという抑圧的な負の面があるとするならば、やはりその習俗(共同幻想)も止揚し無化すべき対象としてあるという判断と実践の問題である。

 

 それでは、ここで、自己身体を座としないところの、それ自体の自体的展開過程と自己増殖過程を持って時間累積させる共同幻想(共同観念・共同意識)を止揚し無化する方法は、どのようなものであるのかについて、吉本に引き寄せて例示してみる。
 吉本は、『共同幻想論』で、次のように述べている――大陸の農耕技術・律令・制度・仏教・儒教・知識を占有し、経済的基盤を農耕に置いた天皇制的な宗教、儀礼、法、制度を持っていた支配としての天皇族、天皇制国家は、先住していた被支配の最下層の共同幻想である自然基底、風俗・習慣、心性、文化等を包摂するという仕方で支配を構成した、と。また、吉本は、次のようにも述べている――日本語という場合、その日本語は、一般的に8世紀以降、すなわち奈良時代以降の日本語について言われるように、「日本民族」も、「文化的、……言語的に統一性をもった」ところの「統一国家が成立した以降」について言われる。しかし、奈良時代以降の日本語とそれ以前の起源としての日本語との間には差異性があるように、「日本民族」と起源としての日本人との間にも差異性がある。それは何故かと言えば、先に述べたように、支配としての天皇制「統一国家を成立せしめた勢力の共同幻想」(支配の側の共同幻想)は、被支配としての先住民(起源としての日本人)の共同体における「法、宗教、……風俗、習慣」等の「共同幻想」と「接木」を行うことによって、支配と被支配との均衡を企てたからである。この時、そのような「接木」の構造に基づく支配の共同幻想に対して、大衆自らが「自らの所有してきたものよりももっと強固」に、「自らのものであるかの如く錯覚」することで、その支配に直通していったところに、すなわちそうした支配の共同幻想を天然自然の災害を受け入れていくように受け入れ支配を下から支えていったところに、「古代における大衆」の敗北の構造はあったのである(因みに、敗戦時に、自分たちを戦争へと駆り立て家族や親族や友人を死に追いやった天皇制国家支配上層に対して、またNHKや朝日等のメディアや知識人に対して、徹底的な抗議や反抗をすることなく、むしろそうした権力、またそうしたメディアや知識人を天然自然の災害と同じように受け入れていく在り方に、大衆の敗北の構造はあったのである)。このように支配は、被支配としての大多数の一般大衆を歴史の主人公に据えるためにあるいはその現実的な困窮や怒りや哀しみ等の大衆的課題を救抜するために大衆を支配の鏡とするわけではなくて、<逆>に、支配はいつも、その支配を武力的に強化するだけでなく、その支配を観念の共同性(法、政策、制度)の構成においても強固とするために、大衆を支配の鏡とし、支配の共同幻想に大衆像と大衆的課題を繰り込んでいくという仕方で、大衆的基盤(支配の共同幻想の物質的基盤、リアリティ)を得るように努めるのである。このように、支配はいつも、まず第一に自らの利害を優先するが故に、支配は大衆を<逆立>した鏡とするのである。この時、本質的に共同幻想と逆立する共同幻想はないから、全ての共同幻想は、共同体の個々の成員に対して権力に転化しまうことになるのである。したがって、自己身体を座とする対自的な自己意識と対他的な自己意識の構造としてある個体の自己幻想において、国家を、「風俗、習慣的な慣行律」、家族的習慣、宗教、法まで含めて共同幻想の一態様として自覚的に把握する時、すなわち第一義性・価値性を観念の共同性を本質とする国家にではなく、徹頭徹尾、個体の自己幻想に意識的自覚的に置く時、少なくとも国家の共同性に第一義性・価値性を置くことで抑圧され支配されていく錯誤だけは犯さずに済むのである。
 また、天皇制国家は、被支配の先住民(起源としての日本人、縄文人、アイヌ人)の言葉である「さねさし」を枕詞として下位に残し、その枕詞に支配の言葉である相武(現在の相模)を「接木」することによって、支配と被支配との均衡を企てたのである(『古事記』に、「さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」、とある)。このような訳で、8世紀以降に成立した「日本語」、「日本民族」、天皇制国家というものを相対化するためには、その起源である大和朝廷が成立した古墳時代以前にまで時間を遡って考察しなければならないのである。例えば、次のようにである――「『さねさし』は相模につく枕詞であり、先住民のアイヌ語の地名によくある『たねさし』と同じで『突き出た細長い土地』という意味」である。この自然の地勢の名称である「突き出た細長い土地」を経て、その場所の固有名詞であるアイヌ語の地名「たねさし」へと固定化されていく過程に、「形態認識」の起源と系列を見出すことができる。「相模は半島のように突き出た場所」であるが、起源としての日本人、「先住していた人たちは、そういう地形を『さねさし』あるいは『たねさし』と呼んでいた」、「『さねさし』あるいは『たねさし』」と形態認識していた。すなわち、天皇制国家は、被支配の先住民(起源としての日本人、縄文人、アイヌ人)の「さねさし」あるいは「たねさし」を枕詞として相模(相武)という言葉に接木することによって、支配と被支配との均衡を企てたのである。このような仕方で、支配は、被支配の言語、「法、宗教、……風俗、習慣」(共同幻想)を、経済的基盤を農耕に置く支配の法や言語や法等(共同幻想)の方へと垂直的に集中化させていった。そのような垂直的な集中過程の中で、被支配の先住民(起源としての日本人)の「さねさし」あるいは「たねさし」という枕詞は削り落とされ、最後的には支配としての言葉であった相武(現在の相模)が共同規範語(標準化された日本語、標準語)として存続されていくことになった。また、日本「民族あるいは種族としての言葉以前、つまり種族語になる以前の言葉」である旧日本語には、換言すれば概ね「30%から40%くらいの割合で、南と北の方の言葉にのこっている」、例えば「琉球語とか、もっと先の八重山語……、そこでは三母音……『あいう』しかないと考え」ると、「『雲(くも)』という言葉は五母音(中略)だけど、三母音だとしたら『O』がないから『くむ』になるわけで」、「琉球語では『雲』のことを『くむ』と発音」するところの旧日本語には、換言すれば「三母音の言葉の方が、古くからあり、日本語の基層になっている」旧日本語には、「奈良朝以後に、漢字を借りて表意的、また表音的に文字に表されて古典語とか近代語とか呼ばれているものを日本語とかんがえると、日本語という枠組みからはみだしてしまう表意や表音」があり、「それは、『記』『紀』の神話や神名のなかに、また『万葉』や『おもろさうし』や『アイヌの神話』や日本列島の『地名』のなかに、遺出物のように保管されている」のである。天皇制的なものの無化の課題を、起源としての日本における宗教祭儀の問題で扱えば、南島の視点から宗教的祭儀を調べ、その新しい形態とその古形を調べることで、天皇制固有のものとされてきた宗教祭儀を相対化し無化することができるし、天皇が行っている農耕的な宗教祭儀も天皇制に固有な祭儀ではなく、農耕を経済的基盤に置いていた地域アジア・中国ではそれ以前から行われていたのであって、すなわちそれも、天皇制に固有なものではないのである(参照――下記の〔注〕)。したがって、「文字表記がなされなかった以前にまで時間を遡行して、日本語とはなにかを考える必要がある」のである(『敗北の構造』、『南島論』、『詩人・評論家・作家のための言語論』、『ハイ・イメージ論T』「形態論」、『こころから言葉へ』、『吉本隆明の文化学』、『母型論』、『マス・イメージ論』)。

 

 さて、近代国家・国民国家は、標準の言語(共同規範語)、共通的類似的な風俗・習慣(共同幻想)、文化(共同幻想)によって統一された観念の共同性を本質とする「民族国家」である。そして現在、世界は経済の世界性と民族国家の一国性を単位として動いている。この民族国家は、自国の利害を守るために、一部国家支配上層の意思によって動員することができる強大強力な軍事組織を持っている。すなわち、この民族国家は、いつも、意識的にか不可避的にか戦争の可能性を宿している。したがって、本当に、真剣に、現実的に、平和を祈り求め願うならば、換言すれば戦争廃絶を祈り求め願うならば、先ず以て、そのような現存する民族国家を止揚し無化し廃滅する以外にはないのである、この認識と自覚が必要なのであり、そのような現存する民族国家の無化の課題、それ故にその無化の方途を明確に提起しなければならないのである。このような訳で、そのような認識と自覚を持たないままに、ただ無条件に情緒的に皮相的に現存する「国」・「祖国」、政治的近代国家、民族国家を前提し、「<まさに国を愛する故にこそ>」という祖国愛を告白することは、決して許されることではないのである。したがって、私たちは、バルト共に(詳論は5−5)、そのような仕方で「<まさに国を愛する故にこそ>」という祖国愛を告白する教団の戦責告白を、決して首肯することはできないのである。御多分に漏れず私の知る限り、神の側の真実としてのみある、それ故に客観的現実性、永遠的実在としてある、完了・成就された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和そのものである「イエス・キリストの名」にのみ(具体的には、聖書的啓示証言におけるそれにのみ)感謝をもって信頼し固執し連帯したバルトを除いては、この日本に限定してみても、日本基督教団の「戦争責任の告白」や「戦後70年にあたって平和を求める祈り」や日本基督教団と在日大韓基督教会総会との協約締結やカトリックの「抗議声明」等に関わる起草者や指導層、またそれに賛同した牧師や神学者たちの内誰一人として、戦争の元凶は民族国家の現存にあるという認識と自覚を持ってその無化の課題(それ故にその方途)を明確に提起した者は一人もいないのである。いずれにしても、前述したように、民族国家には、言語や法をとってみても起源的な伝統的根拠があるわけではないのである。したがって、吉本が言うように、この民族国家(共同幻想)の「民族」の概念は、人類学や民俗学に属してはいないのである、換言すれば観念の共同性を本質とする国家統一のために、標準語と共通性・類似性のある風俗習慣(共同幻想)、文化(共同幻想)に基づいて「民族」(共同幻想)は形成されたのである。そうして、政治的な役割と機能、すなわち観念的な法、政策、制度等の構成は「国家」に、社会的な役割と機能、すなわち現実的な経済活動、社会的生活、日常生活は「社会」に分離し、それに見合って人も配分されているのである。

 

〔注〕:『イエズス会士中国書簡集 4社会編』には、次のように書かれている――「春にはじめに皇帝は犠牲を捧げ、豊年を祈るために親耕を行う。皇帝が土地を耕し、皇后が糸を紡ぐのはシナの政治の根本方針です」。現在の日本においても、テレビ映像で流されるように、天皇が豊年の農耕祭儀を行い、皇后が養蚕し糸を紡ぐ在り方は遺制として残っている。モンテスキュー『法の精神』には、「皇帝が毎年行う開田の儀式」について書かれている。

 

 

 先にも述べたことであるが、共同的な宗教から法へ、法から国家へと辿る国家の内的本質である共同幻想は、長い歴史的な時間の過程を通して、あるものは下層に蹴落とされ、あるものは習俗に移行し、あるものは垂直的に共同的な法、国家(権力)へと辿り着いたのである。したがって、長い歴史的な時間の過程を通して累積されてきた観念の共同性を本質とする国家を止揚し無化するためには、逆に、その長い歴史的な時間を遡及し掘り下げ考察していくという仕方でしか、国家の内的本質である共同幻想を止揚し無化していくことはできないのである、換言すれば暴力革命ではそのような国家を止揚し無化し廃滅することはできないのである。したがって、バルトも述べているように、権力は実体ではないから、現存する国家の現在的課題、換言すれば革命の課題を明確に提起しないままに為された、イエスへの従順と服従としての正義の体現行為――すなわち、具体的にはヒトラー暗殺計画の陰謀としてのボンヘッファーの政治的権力闘争は、その最初から「夢想」でしかなかったし、たとえそれが成功裡に終わったとしても、ヒトラー政権よりもさらにもっと酷い新たな政治権力の構成で終わってしまうものであったかもしれないのである。したがってまた、現存する擬制民主主義としての議会制民主主義の下での国家の権力の意志表現としての法的政策的言語に対して、同じ枠組み土俵上で、そうした法的政策的言語を介して下からの構造改革(主義)で対応しようとするところの、そのような教会の存在・思考・実践はすべて、現存する国家の権力の意志表現である法的政策的言語(共同幻想)に包摂されてしまうだけなのである。かつて、大衆原像(社会構成・支配構成の時代水準によって変容していく大衆像とその大衆的課題を内包したそれ)に対しては閉じられたところの、戦後民主主義(擬制民主主義としての議会制民主主義)を立場とした市民民主(主義)的知識人・進歩(主義)的知識人(集団)は、恣意的独善的に、「個人の原理はすべてに優先する」とし、その「個人の原理」は「国家の原理」を超えると言った。しかし、政治的近代国家の下での「個人原理」は、「恣意性のうえに成りたった個人原理、恣意的自由、(中略)のうえに成りたつ自由であるから、市民社会における個人の特殊原理を尊重するというのは、まさに(中略)近代国家の意識というもの、つまり(≪宗教から解放された国家が自由となったというだけの、それゆえに個体的自己としての全人間が、社会的に、すなわち現実的に自由になったのではないところの≫)近代国家」、自由主義国家、政治的近代国家を無条件に前提としたそれなのである。したがって、「近代国家(≪権力の意志表現としての共同幻想、すなわち法制的中枢としての憲法的規定≫)なくして個人原理はない」から、そのような戦後民主主義(擬制民主主義としての議会制民主主義)における近代国家を基盤とした「個人原理が近代国家の原理を超える」ことはないのである。彼らの個人原理は、意識的自覚的に、自らの思想の中に、戦後の自由主義国家制度と資本主義制度の成熟がもたらした私的利害の優先意識――この意識は、かつての共同体至上意識がいつも個体性を超えてしまう滅私奉公に基づく忠君愛国の政治的なナショナリズムや立身出世という社会的ナショナリズムを衰退させたと同時に、家族関係等さまざまな場面で関係意識の衰退をもたらしたのであるが――を獲得した大衆像とその大衆的課題(大衆的基盤)を引き寄せ媒介させた革命論を明確に提起でき得ていないのであるから、「近代国家の原理を超える」ことはできないのである(『吉本隆明全著作集14』「国家・家・大衆・知識人」)。

 

 このような訳で、私たちは、バルトと共に、教団の戦責告白のように、無条件に「国」、「祖国」、政治的近代国家、民族国家を前提して、「<まさに>」その現存する「<国を愛する故にこそ>」という祖国愛に第一義性・価値性を置いて戦責告白を告白することは決してできないのである。また、私たちは、バルトと共に、一方で、平和を祈りながら、他方では、戦争の元凶である「<まさに>」民族国家、「<国を愛する故にこそ>」というような矛盾に満ちた祈りや告白や主張をすることは決してできないのである。私たちは、バルト共に、先ず以て、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態の神の言葉(具体的には、その第二の形態の聖書的啓示証言のそれ)にのみ感謝をもって信頼し固執し連帯する教会(その成員)として、先行するイエス・キリストにおける神の愛の下で、主イエス・キリストをのみ愛すると告白し、それ故にイエス・キリストをのみ教会の主・頭とした「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を志向し目指すと告白するのである。

 

 さて、吉本は、田山花袋の作品である生活者大衆としての『一兵卒』と知識人の丸山真男の「一等兵」体験を、次のように比較考量して論じている――花袋が描いた「日露戦争の一兵卒が『満州』の地で、野戦病院からぬけだし、前線の原隊にたどりつこうとして、途中で『脚気衝心』でたおれたとき、末期の眼にうつしたものは、(≪天皇制国家そのものである統帥権者の天皇の顔でも、政府要人の顔でも、出身地の議員の顔でも、全くなくて≫)母の顔、妻の顔、欅で囲まれた郷里のおおきな家、うらの磯、あおい海、漁夫の顔」であった。それに対して知識人で市民民主主義者である一等兵の丸山が敗戦直後に抱いた感情は、「『どうも悲しそうな顔をしなけりゃならないのは辛いね』という<余裕>であった」。この一兵卒体験の差異性は、時代的な差異によるものではなくて、現実的な「生活によって大衆であったものと、(≪観念的な、その自然過程において、一方通行的に知識的に上昇して行く知識・≫)思想によって知識人であったものとの抜きがたい断絶を象徴」している。人は、「生活」・現実的な生活的日常(日常的世界)に重心をおくことによって大衆である時、「その『思想』を現実的な体験のうしろにおしかくす」し、逆に意識的にか不可避的にか「思想」・観念的な知識的日常(非日常的世界)に重心を移行させることによって知識人である時、「その現実的な体験を『思想』のうしろにおしかくす」のである。「わたしたちはたれも大なり小なり(≪その現実と観念との総体性を生きる≫)総体的な存在である」、それゆえに「大なり小なり『思想』か、あるいは『生活』かによって生きる」ほかはない。「思想」・観念的な知識的日常に重心をおいて生きる心から「悲しそうな顔」ができなかった丸山の敗戦直後に抱いた感情は、「『生活』によって大衆であった無数の『一兵卒』の血まみれた生活史」と「思想」に重心を置いた丸山自身の「自己の生活史」との「断絶と隔離」を象徴している、換言すればその思想・知識が被支配としての大多数の一般大衆に閉ざされた知識人・丸山を象徴しているのである(『丸山真男論』)。かつて自民党議員であった加藤絋一は、小泉首相の靖国参拝問題ではじまった靖国問題への世論の動向について、次のように述べている――昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示した発言が報道された時点では靖国参拝の反対派が多くなったが、当時の小泉首相が靖国参拝後「いつ行っても国際問題にしようとする勢力がある」と話した時点から靖国参拝の賛成派が増え逆転現象が起きた。このことは「束縛のない自由な社会になったものの、何がいいのかみんながわからなくなって浮遊しているように映ります」、と(朝日新聞朝刊、2006年9月17日)。因みに、『使徒的人間――カール・バルト』を書いたバルト読みのバルト知らずの国家に第一義性・価値性を置く富岡幸一郎は、<平然>と、靖国参拝推進を主張しているのである。佐藤も、富岡と同じ国家主義の下で、権威としての天皇と権力としての国家の国体を、<平然>と、主張しているのである。彼らは、戦前に朝日新聞やNHKの大手メディアが、知識人が、その法的政策的言語を介して、天皇制国家による戦争に加担し、被支配としての大多数の一般大衆を、その家族や親族や友人を死に追いやっていったその敗北の構造を、全く認識し自覚していないのである、それ故にその敗北の構造を全く考えることができないのである。しかし、根本的な問題は、第一に、戦争責任の告白を行った教団(教会)そのものが、その指導層が、戦前における教団(教会)の敗北の構造を、全く認識し自覚していないという点にあるのであり、それ故にその敗北の構造を全く考えることができないという点にあるのである。また、それは、第二には、佐藤や富岡たちのような主張に対して、教団(教会)の指導層の内の誰一人として、今なお、根本的包括的に原理的に批判できていなという点にあるのである。佐藤や富岡のようなキリスト教的著述家にある軽率で明る過ぎる<不気味さ>は、別に彼らや教団(教会)やその指導層や私たち一人一人のキリスト者に特有なことではなくて、現存する一般のごく普通の、男にも、女にも、老いにも、若きにも、子供にも、家族にも、社会にも蔓延している重さや暗さが包括され自覚されていない軽率で明る過ぎる<不気味さ>である。「平家ハ、アカルイ。(中略)アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」(太宰治『右大臣実朝』)。