本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

キリスト教界時評――「戦後70 年にあたって平和を求める祈り」(日本キリスト教団 第39総会期第3回常議員会 2015年7月14日 可決)、について考える

キリスト教界時評――「戦後70 年にあたって平和を求める祈り」(日本キリスト教団 第39総会期第3回常議員会 2015年7月14日 可決)、について考える

 

 日本キリスト教協議会のホームページにも、この祈りの内容と同じような主調音で書かれた、「敗戦70年にあたって」という「平和」についての日本キリスト教協議会(NCC)「議長談話」(2015年8月7日 日本キリスト教協議会議長 小橋孝一)と「信仰による抑止力を」というNCC副議長・長矢萩新一のメッセージもあったが、時系列的に最初に出された日本キリスト教団・第39総会期第3回常議員会・2015年7月14日・可決「戦後70 年にあたって平和を求める祈り」は、次のようになっている――「私たちは今、世界の主なる神に祈ります。私たちは戦後70 年にあたって、アジア・太平洋戦争時、日本の戦争遂行に協力し、多くのアジア諸国の民に多大な苦しみを与えたことを悔い改め、二度と同じ過ちを犯すことがないために、真に平和を造り出すことができる知恵と力を与えてくださるように、今この時、神の憐みと導きを祈り願います。今、日本は、多くの憲法学者が憲法違反と指摘しており、多くの国民が懸念しているにもかかわらず、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、そのための安全保障法案を国会で議決しようとしています。この場合、私たちはそのことを憂い、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書2 章4 節) 平和の実現を願い、為政者が謙遜になり、国民の思いに心を寄せ、秩序をもって政治を司ることができるよう切に祈ります。また、国政に責任を負う者の中に、多くの重荷を負わせられている沖縄の人々のうめきや痛みをかえりみず、言論を封じようとする発言があることに心が痛むと共に、為政者のおごりを感じます。異なる意見に耳をかさず、懲らしめなければならないとうそぶいている権力の担い手たちが、異なる意見を真摯に聞く心を与えられるよう祈ります。為政者が、権力を担うことは民意の委託であることを覚え、民に聴き、民の痛みを知り、民を尊び、民に仕える心が与えられるよう祈ります。私たちは、私たち自身が経済性を優先させる罪に陥り、自分だけが良ければ良いとする思いをもって政治や人権に対して無理解・無関心となっていたことを悔い改めます。私たちに他者の痛みや嘆きを自らのものとして受けとめる心を与えてください。平和の君イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン」

 

 

 この祈りには、信仰・神学・教会の宣教における課題についての、またその現にあるがままの現実的な人間存在およびその人間の社会・世界・歴史における課題についての、その認識と自覚が欠けている、それゆえに切実さが欠けた祈りとなっている。またそれゆえに、何か、曖昧模糊としている。
 さて、この祈りの主調音は、人間的な意志的努力による平和の実現を神に祈るという形になっている。言い換えれば、この祈りは、先ず以てイエス・キリストにおける<完了>された救済・平和にのみ信頼し固執することに<集中>して平和を求める祈りではない、したがって、先ず以て、そのイエス・キリストにおける<完了>された救済・平和についての告白・証し・宣べ伝えを目指している祈りではない、それゆえに、そのイエス・キリストにおける<完了>された救済・平和にのみ信頼し固執し<集中>していくことを第一義としているというよりも、、むしろ人間による平和のための実践の意志的努力の必要性を主調音としている。それにもかかわらず、この祈りには、その現にあるがままの現実的な人間存在およびその人間の社会・世界・歴史における課題についての認識と自覚が欠けているのである。

 

(1)信仰・神学・教会の宣教における平和論については、先ず以てバルトのそれを扱うことがもっとも適切であるだろう。バルトは、平和について、次のように述べている(寺園喜基『バルト神学の射程』の中にある寺園私訳「平和に関するバルトの書簡」による)――バルト自身の平和の概念は包括的な救済概念と同じである。その救済概念は、「この世の神との和解」、「人間相互間の和解を直接その内に包含している和解」である。神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的実在(客観的現実性)としてある、「神ご自身によって、イエス・キリストの歴史において、その生涯と死において、すでに<完成>され、死人からの復活においてすでに啓示されているような、和解」、啓示・和解、である。したがって、私たち人間によって初めて「完成されねばならないような和解」(啓示・和解)ではなくて、神の側の真実としてのみある「神ご自身によって確立された和解」(天然自然や人間的な類的活動・人間的自然によって左右されることの全くない、客観的実在として・客観的現実性として存在する啓示・和解)である。したがって、ほんとうは、「イエス・キリストにおいては神と人間が、しかしまた人間とその隣人が平和的」なのであり、「敵としてではなく、忠実な同伴者、仲間として、共にある」のである。イエス・キリストにおいて平和(包括的な救済概念と同じ)は、「神ご自身が世界史のまっただ中に創造し見えるものとして下さった現実性」、すなわち<客観的実在・客観的現実性>として存在する<啓示・和解>なのである。ただ、神の側の真実としてのみあるこの事柄は、その啓示に固有な証明能力、啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて、終末論的限界の下で、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰、として授与されるものなのである。そして、「この贈り物はただ、われわれがこれを受けとることを待っている」。このような訳であるから、信仰・神学・教会の宣教における現状認識について言えば、私たちが「この事実に向かって、眼と耳を閉ざして生きているということが、悲惨」なのである、「悲惨」の根拠・原因なのである。そうした現状の中で、私たちは「平和は戦争より善いものであるということを」くりかえし「断言せねば」ならないのであるが、そうした現状の中では、「それらのことは究極的に何の助けをももたらさない」ことは「明白」なことなのである。なぜならば、この神の側の真実としてのみある<完了>された救済・平和の「贈物」に対して、人間の側は目と耳と心を閉じて「受け取ること」をしようとしないがために、一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ政治的近代国家・民族国家が存在しているからである。この世界と歴史は、経済の世界性とこの民族国家の一国性によって動いているからである。したがって、例えば、すでにとっくの昔に自然時空に死語化してしまった、モルトマン(人間)の自由事項とされた「御霊」の概念による、終末論的なものと人間の歴史との混淆論・混合論・協働論、あるいはリニアな神学的三段階的<進歩史観>、は、信仰・神学・教会の宣教においてだけでなく、状況的にも全く存在することはできないものなのであって、それゆえにそれは、「夢想」・「空論」でしかないものなのである。言い換えれば、世界が必要としている信仰・神学・教会の宣教における革命的認識は、「世界はイエス・キリストにおける神の愛によってすでに解放された世界である(≪完全な敗北者である「われわれ人間の失われた非本来的な古い時間」・「古い世」は、神の側の真実においては、それゆえに啓示・和解の客観的現実性・客観的実在においては、<すでに>、イエス・キリストの死と<復活>の出来事によって包括し止揚し克服されたところの、それゆえにその神の「勝利の行為」によって<完成>されたところの、「本来的な実在としてのイエス・キリストの新しい時間」であり・「新しい世のはじまり」である)≫)」ということにのみ信頼し固執し<集中>して、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしない」ところにあるのである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。したがってまた、キリスト教会とその成員の責務は、徹頭徹尾、啓示に固有な証明能力に信頼して、神の側の真実としてのみある、主格的属格としての「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)、神の義そのもの、福音、啓示・和解、啓示の客観的現実性・啓示の客観的実在、「啓示の実在」そのもの、「神の言葉の三形態」の「先ず以て第一義的な」第一の形態、天然自然や人間の普遍的実践的な類的活動や人間的自然に左右されない、イエス・キリストにおける<完了>された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和そのものを、その希望であるイエス・キリストを、告白し証しし宣べ伝えていくことにあるのである。キリスト教会やその成員は、その信仰・神学・教会の宣教は、その事柄への<集中>が肝要なのであって、それ以外のところへの<拡散>は何も生み出すことはないのである。
 このような訳であるから、バルトは、『教会教義学 神の言葉』論においても、次のように述べている――「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということ」がなされないままに、礼拝改革・社会的政治的実践・キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解とか、というような領域で、「何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考える」べきではない、と。また、教会の宣教(「神の言葉の三形態」の第三の形態)の規準を、聖書(教会に宣教を命じている、「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストと共に教会の宣教における原理である「神の言葉の三形態」の第二の形態、イエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)と同時に、それ以外の「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは「哲学、道徳、政治」等に置くべきではない、と。すなわち、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯して、絶えず繰り返しそれを媒介・反復すべきである、と。 また、バルトは、『福音と律法』では、次のように述べている――人間自身が対象化した「存在者レベルでの神」(偶像)・その神の名と呼びかけによる構想と企てにおける「神に対する熱心さの無知」は、神だけでなく人間も、という人間の自主性・自己主張・自己義認(無神性)の欲求に基づいているものであるから、「神の要求」を、人間によって恣意的に曲解された「十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告」に過ぎないものへと変えてしまう、この時、その人間のその存在・その思惟・その実践は、「罪」に「勝利を収め」させる熱心さ・「不従順」・「虚偽」となる、なぜならば、その「無数の儀文」は、「偶像崇拝」・「神冒?」を生じさせるからである、それに基づいて、ある者は「盲目的に」仕事へと没頭し、ある者は「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜する」、また、ある者は「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行う」ことに、ある者は「大規模な世界改良の偉大な計画」に邁進する、そしてまた、ある者は「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義」に邁進する、「まことに空の空なるかな、である。これらすべてのことが、一体何だろうか」、と。したがって、バルトは、『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』で、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」すべきである、「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」べきである、と述べたのである。

 

 また、一方で、教条主義者ではないバルトは、神学における思想家として、「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」、しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、(≪近代以降の宗教的形態である科学主義、あるいは、理性主義、感覚主義、エコロジーの極限に想定される天然自然主義、自由主義、新自由主義、マルクス主義、民族主義、フェミニズム、アンチフェミニズム等々≫)一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、(≪一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ民族国家・政治的近代国家が存在する限り、戦争の可能性があるのであり、それゆえに≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」、と述べたのである。それに対して、この祈りの起草者(その賛同者)は、おそらく、形而上学的一面的固定的抽象的な思考をする教条主義的な平和<主義>者に違いないのである、それは、ちょうど、佐藤優や冨岡幸一郎が、一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ国家を第一義・価値とする、形而上学的一面的固定的抽象的な思考をする教条主義的な国家<主義>者であるように。バルトは、「(≪緊急的課題に直面して、あくまでも相対的に守るべき対象として、自由および直接民主制と武装永世中立の≫)スイスをナチズムからまもるために私は軍隊に参加」し(実際に参加したのである、『バルトの生涯』に軍服姿の写真がある)、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」、と述べたのである。「平和を求める祈り」の起草者(その賛同者)とは全く違って、このバルトには現在においても差し迫った切実さを感じることができるのである。そして、このバルトは、「規準はただ方向を与えることしかできない。(中略)ある特定の瞬間になした決断はおそらく、もっとも重要なキリスト教の教義よりもっと重要であるかもしれない」、と述べている。また、バルトは、『啓示・教会・神学』では、「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・ある経済社会構成体を基盤とする「国家は支配であり、文化は支配」である。したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」、と述べている。そのことに自覚的でない現存する教会や教団の教会政治や教団政治を眺めてみれば、やはりその政治において、「絶えず新たな支配が行われるような仕組み」になっている、種々の権力闘争が行われている。このような現状をバルトは、次のように的確に批判している――「教会の存在と現状が、……福音から考え・行動し・処理されているということを語っていないならば、教会の説教も福音宣教も虚しいものとなるであろう。教会みずからが、……その行為と態度によって、自己の内なる政治をこの使信に合わせてゆくこと(≪政治的近代国家・政治的権力を無化していくこと、自己の内なる政治を無化していくこと≫)を全然考えないとしたならば、どうして世は、王とその御国の使信を信ずるであろうか」(『キリスト者共同体と市民共同体』)・「(中略)キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪一切の政治的近代国家・政治的権力≫)のともがらと成ることができようか」 (『教義学要綱』)。イエス・キリストにのみ信頼し固執し<集中>したバルトは、その神の側の真実としてのみある<完了>された救済・平和の場所において、政治的近代国家・政治的権力の問題を不可避な過渡的問題――国家を、国民投票制度・直接民主制の拡大によって国民にどこまでも開いていく問題、国家主義的社会主義から現実的な社会を第一義・価値とする社会主義的国家への移行の問題、「堕落しない共同体」・「理想的な共同体」の構成の問題、ロシアや中国は決して社会主義国家ではなく国家を第一義・価値とする国家主義的社会主義国である――として捉えると同時に、究極的課題としてはその政治的近代国家・政治的権力、「自己の内なる政治」の無化を構造化させているのである。すなわち、バルトは、終末、再臨、救贖・完成においては、政治的近代国家・政治的権力も無化されてしまうという観点を持っているのである。したがって、権力を実体的に考え、前述したような革命の過渡的課題と究極的課題を持たず、ヒトラー暗殺計画企ての権力闘争へと向かったボンヘッファーは、バルトも述べていたように「夢想家」だったのである。彼らの権力闘争は、全く、質の良いものではなかった。
 この「平和を求める祈り」の起草者(その賛同者)も、次の事柄を認識し自覚していないのである。すなわち、ほんとうに平和を求めるならば、戦争の根を絶たなければならない、そしてほんとうに戦争の根を絶つためには、一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ観念の共同性を本質とする政治的近代国家・民族国家を無化しなければならない、国家論・革命論における過渡的課題と究極的課題を持っていなければならない、いずれにしても、そうした政治的近代国家は現存し続けている、したがって、現在、世界は、形而上学的一面的皮相的固定的抽象的なグローバリズムの下で動いているのではなくて、そうした経済の世界性、と、民族国家の一国性――アメリカにおけるキリスト教も加担した新保守主義と結びついた小さな政府を目指す新自由主義もそうである、修正資本主義における国家を第一義・価値とする国家主義的社会主義としての政治的近代国家・自由主義国家もそうである、ロシアや中国も概念の厳格な意味で社会を第一義・価値とする社会主義国家ではなく国家を第一義・価値とする国家主義的社会主義としてそうである、このような民族国家の一国性――の中で動いている、したがってまた、国際連合も、そうした民族国家における大国主義・安保理常任理事国の拒否権(5大国拒否権)、を中心に民族国家単位で動いている、という事柄を認識し自覚していない。

 

(2)平和の根拠を、支配層が「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ書2 章4 節)ことに置くならば、せめて、このイザヤ書にあるように人類史における経済社会構成体を農耕に置いたアジア的段階における言葉を、現在的な高度消費資本主義段階における言葉に置き換えた思考と認識と構想が必要であるだろう(分かりやすくするために、吉本隆明の『情況へ』・『マルクス――読みかえの方法』・『母型論』・『マス・イメージ論』に依拠しながら書いてみる)。平和を伴う、すなわち一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ政治的近代国家・民族国家の無化――過渡的な課題としては、例えば国民に対して国家をどこまでも開いていくために国民投票制度(直接民主制)を拡大していく必要がある――を伴う、人間の社会的現実的な究極的総体的永続的な解放のためには、世界普遍性としてある、農耕を経済的基盤(アジア的段階において発生した日本の天皇制は経済的基盤を農耕に置いた)としたアジア的段階の前の段階にまで歴史を遡及して、人類史の原型・母型・母胎であるアフリカ的縄文的(原日本的・原日本人的・原日本文化的)段階における種々の贈与制の歴史的批判的な調査・解明に基づくその再構成に基づく、すなわち民族国家(政治的近代国家)の枠組みを超え出た世界的規模での技術的・産業的・経済的な地域特性化に基づく、贈与制の構成、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論の構成が必要であって、それができれば経済社会構成体を資本制におく西洋近代を超え出て、次の段階に超出することができる、というそうした思考と認識と構想を提示することが必要であるだろう。言い換えれば、人類史的過程において現在的課題を考えることは、世界普遍性としてある人類史の原型・母型・母胎にまで時間・歴史を遡及して現在を止揚することである、現在から未来に生きる言葉を語ることである。

 

 この祈りの起草者(その賛同者)には、次のような状況認識が欠けている。情報科学や情報技術の高度化は人間の感覚を研ぎ澄まし、高度消費資本主義社会は現実的な衣食住の日常を第一義としない豊かなイメージ価値を消費する社会として、身体的な肺病等に代わって正常と異常との境界を行き来する精神の病を生み落した。作家の中村うさぎは、消費資本主義社会の只中に漂泊する自分自身について――1992年新宿伊勢丹のシャネルで「衝動買い」したときから、「眠っていた欲望」が暴走し始めた、その後、60万円の革のコートを購入するのだが、その代金を「カードで支払った時、すさまじい快感に襲われ」た、「以来、海外ブランド物を買いあさる」、一度に買い込む金額は、100万円、200万円とエスカレートしていき、「印税が底をつき、カードが使用停止」になった、「自宅の水道やガス、電話が料金未納で止められたこと」もあった、買物依存症がおさまったとき、今度は美容整形に走り、現在「顔で原型をとどめているのは口と鼻先の二カ所だけ」となった、「以前なら年をとれば容貌が劣化し、静にあきらめていけた。現代人はあきらめられない地獄に突き落とされている」、「私は消費社会の漂泊者でいたい」、と書いている(「朝日新聞」夕刊、2006年9月22日)。現在、毎日、テレビから、このような事態を彷彿とさせる映像が流れている。この事態の本質は、衣食住の生活的必要に依拠しない消費行動にある。消費資本主義の「高度な資本システム」的必然がもたらす無意識世界(システム価値・共同幻想)が人を動かしている事態である。すなわち、その「システム化された文化の世界」(≪無意識世界の共同性≫)は、意識的に対応可能な「制度、秩序、体系的なもの」・「物の系列」に「マス・イメージ」を付加することを強いて、「虚構の価格上昇力」を形成する。例えば、労働量・労働時間が同質・同量の化粧品であっても、一流銘柄や見た目に美しい色や形の容器に入れることで実質的な交換価値とは別のイメージ価値が付加されるのであるが、その場合その商品は、衣食住に必要な商品である前にイメージとしての商品・ブランドとしての商品である。そうした商品が、マス・メディアを通して毎日のように流され続けていくために、大衆の無意識世界にそうした商品を身に付けたいという欲望を生み落としていく。そして、無意識的に「そうやってしか存在できなくなったとすれば」、その事態は、自分の意志によるのではなく「システムの意志によっている」ということができる。すなわち、制度が人間の意識を変えたように――戦後過程における資本主義制度と自由主義国家制度の成熟が人々に私的利害と恣意的自由の優先意識を根付かせ、共同体至上意識がいつも個体性を超えて行くところに・滅私奉公に特徴があった、アジア的日本的な政治的ナショナリズム・忠君愛国の意識と社会的ナショナリズム・立身出世の意識を、拡散・希薄化・衰退させていったように、それゆえに共同幻想としての・観念の共同性としての滅私奉公等の日本的なナショナルなものは、キリスト教界において、その退行意識において、『神の痛みの神学』の北森嘉蔵に憑依したし、現在では佐藤優や冨岡幸一郎、等々に憑依しているように――、「システムの意志」・システム的価値が人々の無意識世界を形成している事態である。そして、「このシステム的な価値は、社会制度や国家秩序の差異によって左右されない世界普遍性をもった様式」として、意識的に対応できる「制度・秩序・体系的なものに象徴される物の系列」を衰退・解体させている。しかし、このシステム的な文化は、「実体から遠く隔てられ、判断の表象」を喪失しているから、その度合に応じて「白けはてた空虚にぶつかる度合」が決定され、生活的実感を希薄化させている。

 

(3)「多くの憲法学者が憲法違反と指摘」、「多くの国民が懸念」、「国民の思いに心を寄せ」「国政に責任を負う」「為政者」の「謙遜」、「私たちは、私たち自身が経済性を優先させる罪に陥り、自分だけが良ければ良いとする思いをもって政治や人権に対して無理解・無関心となっていたことを悔い改めます」、という言葉が並べられているのだが、その言葉には現実性がないから、読み手のこちら側には切実感を伴って伝わってこない。
 憲法を法制的中枢とする法の支配の本質は、法・国家(政治的近代国家・政治的権力)を媒介とした、現存の経済社会構成体を主導するある利益・利害集団の権益を最優先する点にある。なぜならば、現存する経済社会構成には諸利害の対立・諸矛盾が存在するからである。支配の側の<制度>としての官僚(法の支配の下での法による行政に基づく政治的国家の職能団体)・政治家・資本家は、諸個人の現実的な家族や市民社会の生活過程を第一義とはしない。なぜならば、彼らは、市民社会内部の官僚制・個別的な職業的人間の職能団体・部分的共同意志を媒介とするからである。この支配構成は、観念の共同性を本質とする法・政治的近代国家を疎外(外化)した第一義性・価値としての主体はこちら側にあるにもかかわらず、その第一義性・価値を向こう側の法・政治的近代国家の側に移行させてしまうところで成立している、すなわちそれは、ヘーゲル国家哲学におけるような国家共同性価値論の陥穽に陥ることなくそのことを対象的に把握して・認識し自覚して第一義性・価値をこちら側の主体に自己還帰させる、ことができないことによって、第一義性・価値を自らが疎外(外化)した向こう側の法・政治的近代国家の側に移行させてしまうところで成立している、と言うことができる。
 完成された政治的近代国家の場合、人間の思惟や現実的生活において、天上の観念的非日常性(政治的共同性)と地上の現実的日常性(市民社会生活・個別的私的現実的生活)との二重の生活が強いられる。私人として、市民社会の精神である「私利・私意」に基づく利己主義的な私的他者との対立・争いの生活、利害共同性との対立・争いの生活と、一方であたかもそうした対立や争いのない法的政治的共同的観念によって統一された公的共同性の一員・公民としての生活との二重の生活を強いられる。この完成された政治的近代国家における国家の問題は、観念の共同的形態・観念の共同性を本質とする国家と個別的私的現実的生活の場である市民社会との問題として現われる。したがって、ここで、国家の問題(革命論の問題)は、国家の無化を伴う人間の社会的現実的な究極的総体的永続的な解放の問題として現われる。すなわち、それは、可能であるのかどうかは別として、究極像としては、様々な現実的な諸問題・諸矛盾の解決を、現実的な個の現存に自己還帰させる高次に更新された対自的でもあり対他的でもある精神(自己意識)を持つ個を媒介とした社会の構成の問題として現れる。
 さて、ミシェル・フーコーは、『セックスと権力』で、マルクスは資本主義の分析の際に、「労働者の貧困という問題に出くわして自然の希少のためだとか計画的な搾取のせいだとかといった、ありきたりの説明を拒」んだ、なぜならば、資本主義制度における生産は、制度的必然・「その基本的法則によって必然的に貧困を生産せざるをえない」ものだからである、すなわち、資本主義制度は、「何も働き手を飢えさせるために存在しているわけではないが、かといって彼らを飢えさせずに発展することもできない」ものだからである、したがって、「マルクスは搾取を告発するかわりに、生産を分析した」、と述べている。マルクス自身も、『資本論』で、「私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないものであるからである」、と述べている。言い換えれば、自然史の一部である人類史の自然史的過程における、良きものも・悪しきものも生み出す、経済社会構成体の拡大・高次化、科学や技術や生産様式の発達、その知識の増大、生活の利便性の向上、は自然史的必然なのである、人間の意志で停滞させたり逆行させたりすることができない自然史的必然なのである。したがって、例えば究極的永続的な課題において平和を求めて資本主義を根本的に批判するためには、政治的近代国家の無化を伴う、資本制的生産様式(交換価値論)とは異なる新たな生産様式(新たな価値論)を構成しなけれならないのである。また、先にも書いたのだが、個としての人間の意識に、どうして価値の多様化と共同性統括力の衰退と関係意識の拡散・希薄化をもたらす恣意的自由と私的利害の優先意識を根付かせたかと言えば、それは、戦後過程における資本主義<制度>と自由主義国家<制度>の成熟によっているのである。この平和への祈りの起草者(その賛同者)が、「私たち自身が経済性を優先させる罪に陥り、自分だけが良ければ良いとする思いをもって政治や人権に対して無理解・無関心となっていたことを悔い改めます」と祈っても、読み手に切実感を感じさせられないのは、これらのことを認識し自覚して祈られていないからである。したがって、「経済性を優先」、「自分だけが良ければ良いとする思い」、という切実感のない皮相的な言葉となってしまうのである。なぜ、この祈りの起草者(その賛同者)は、そのような皮相的な言葉を並べることはしないで、神の側の真実としてのみある、客観的現実性・客観的実在としてある、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示・和解)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける<完了>された救済・平和にのみ感謝を持って信頼し固執することに<集中>した祈りに徹しないのだろうか。バルトは、徹頭徹尾、この単一性・神性・永遠性を本質とする「イエス・キリストの名」にのみ感謝を持って信頼し固執することに<集中>して、政治的なドイツ教会闘争・反ナチ闘争を闘い抜いたし、またバーゼルの刑務所での社会的な説教奉仕等々もなしとげたのである。
 反体制を標榜するから反体制であるわけではないのと同じように、反体制的発言をする人たちも、知識・思想を往還させることをしないで、ただ知識の往相過程(知識にとっての自然過程)を一方通行的に上昇していくエリート主義や外部注入的な大衆啓蒙を標榜する知識人やメディアは、法的言語や政策的言語を介して、その政治的近代国家・政治的権力(体制)に加担して行くのである。いろいろな大義名分をつけられて語られる消費税増税論議について言えば、知識人・メディアは、ほんとうは、財政赤字は政府債務残高のことであって、その赤字の責任は全面的に制度としての官僚・政治家・政府支配上層にあるにもかかわらず、その支配上層に対する徹底的な追及はしないで、その責任を消費税増税必要論で一般大衆・一般市民に転嫁することに加担したのである。すなわち、政治的近代国家・政治的権力(体制)に加担したのである。したがって、そうした消費税増税は本末転倒もはなはだしい、と最も正当性のある発言をしていた名古屋市長の河村たかしを称賛することをせずに片隅に追いやってしまったのである。これらの事態は、知識人やメディアのベクトルが、大多数の被支配としての一般大衆・一般市民の全体の幸福に向いていないことの証左なのである、知識人・メディアのベクトルが体制的であることの証左なのである。吉本隆明は、自らの戦争体験を自省することによって得られた知識人の敗北の在り方を、大多数の被支配としての一般大衆を戦争へと駆り立て彼らの家族や親族や友人を死に追いやった「国家の政策を、知識人が(≪法的言語や政策的言語を介して≫)あらゆるこじつけを駆使して合理化し、それを大衆が知的に模倣し、行動では国家以上に国家を推進」し、支配(政治的権力)に直通していく大衆の存在様式を把握できなかった点においた(『思想の基準を巡って』・『日本のナショナリズム』)。この「平和への祈り」の起草者(その賛同者)は、信仰・神学・教会の宣教において、このような自省的認識と自覚を持って書いているのだろうか。

 

(4)理論だけでなく実践も、言葉だけでなく行為も、あるいは理論や言葉よりも先ずは実践や行為を、という形而上学的一面的固定的抽象的な在り方では駄目なのであって、理論それ自体があるいは言葉それ自体が、おのずから、実践や行為へと向かわしめる水準・質を持ったものでなければならないのである。バルトの神学的実存の在り方は、言葉だけでなく行為も、理論だけなく実践も、という二元論にはないのであって、それゆえにそれが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、ある不可避な契機に強いた場合において、恩寵が「告知」・「証し」・「宣教」される時・「私は私のものではなく、私の真実なる救い主イエス・キリストのものだ」・イエス・キリストにのみ固着せよという、福音を内容とする福音の形式である神の律法・命令・要請・要求を聞いて、イエス・キリストにおける福音にのみ感謝をもって信頼し固執し<集中>した、「かつて語った説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)<おのずから>実践に、決断に、行動になって行った」という在り方にあったのである――「私は……『今日の神学的実存』誌の第一号において……何も新しいことを語ろうとしたのでは……ない。すなわち、われわれは神と並んで、いかなる神々をも持つことはできないということ、聖書の聖霊は、教会をあらゆる真理へと導くのに十分であること、イエス・キリストの恵みは、われわれの罪の赦しとわれわれの生活の秩序にとって十分であることを語った。但し、私がまさにこのことを語ったのは、それがもはやアカデミックな理論などといった性格にはとどまりえず、むしろ、私がそういうものにしようともせず、また実際にそうしなかったのに、それが呼びかけ、要求、戦いの標語、信仰告白にならざるをえなかったという状況においてであった」(『バルトの生涯』)。マルクスの場合も、「マルクスの完結した体系(≪自然哲学、経済学、観念あるいは幻想の共同性としての共同宗教・法・政治的国家論・革命論≫)は、当時も(そしていまも)よく理解されていなかったが、理論がかれを実践のほうへ必然的につれてゆくようにできあがっていた」(吉本隆明『カール・マルクス』)。このことは、信仰・神学・教会の宣教においても同じことなのであって、それゆえにそのような信仰・神学・教会の宣教の原理・認識方法と概念構成が肝要なのである。したがって、バルトは、他者に対して、二元論に基づいて、福音宣教だけでなく、社会的政治的実践も必要だから、意識的意志的に社会的政治的な参加や発言や実践もすべきである、とは決して語らないのである。それだからこそ、バルトの場合は、他者がたとえ無関心であっても、発言しなくても、動かなくても、逆行しても、退行しても、自らは「かつて語った(≪イエス・キリストにおける福音についての≫)説教の一貫した繰り返し」の言葉によって、<おのずから>、必然的に、神学的実存へと駆り立てられていくのである。

 

(5)現在から未来に生きる言葉を探し求めた神学における思想家のバルトは、多元主義者、党派的多元主義者では、なかった――(≪私たちは単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける啓示、この≫)一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派(≪教派・学派・思想傾向・文化傾向・さまざまな主義や主張・時流や時勢・ある社会的政治的実践等々≫)に仕えなければならないことはない……、一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」、というように。同じように、詩人であり文芸批評家であり思想家でもある吉本隆明は、「対立する双方に真理があるというような俗説(≪多元主義、多元的党派主義等≫)が、世界史的に流布され、流通している」中で、自らの立場において、両者を包括し「止揚しなければならないということが思想的な問題」である(『思想の基準をめぐって』)、と述べた。また、両者とも、理論だけでなく実践も、言葉だけでなく行為(行動)も、あるいは理論や言葉よりも実践や行為(行動)が必要、という二元論の立場を採らなかった。吉本は、例えば、観念の出自とその自体性において、観念論か唯物論かというような二元論の立場を採っていない、身心相関論等においても、二元論の立場をとっていない。マルクス自身も、唯物主義者ではない、経済決定論者ではない(私のホームページ参照)。

 

(6)この「平和を求める祈り」の起草者(その賛同者)は、先ず以て、個人のレベルにおいて、また教会単位のレベルにおいて、そしてまた日本キリスト教団レベルにおいて、個人に対しては個人で、組織に対しては組織であるいは個人で、批判することができる、ということが批判の原則であるから、次に述べるような誤謬にメディア的組織性の後光をかぶせて語る国家主義者の佐藤優や冨岡幸一郎に対して、根本的包括的な原理的な批判を加えているのだろうか。そうした批判を済ませたうえで、この「平和を求める祈り」を提示しているのだろうか。なぜならば、ほんとうに、「平和を求める祈り」をなそうとしたならば、おのずから、必然的に、全くの誤謬にメディア的組織性の後光をかぶせて、戦争の根である、一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ国家・政治的近代国家(自由主義国家、民族国家)を第一義・価値として語っている国家主義者の佐藤や冨岡を、根本的包括的に原理的に批判しておく必要があるからである。
 堀江貴文が「日本も大統領制にしたほうがいい」と言ったことに対して、それは「天皇を戴く日本の体制変革につながるということであなた(≪佐藤優≫)は反対している。そして天皇制に関連して『護憲』に言及していますね」、と竹村健一が聞いたことに対して、佐藤は次のように答えている――それは、憲法9条を守ろうという護憲論ではなく、「基本」的に、憲法第1章第1条―8条の護憲、「国体の護持も含め」た「権威」としての天皇、「天皇制の堅持」、「立憲君主制」のための「護憲」である、と。この佐藤は,一方では、「神学がなくても信仰は成立しますが、高等教育を受け、『天にいる神』をもはや素朴に信じることができなくなったわれわれには神学が必須です。われわれは『天にいる神』をほんとうに信じていませんが、ほんとに信じていないことを口にしてはいけないというのが、キリスト教信仰の第一の前提です。だからこそ神学が不可欠なのです。神学的な操作(≪非神話化等の操作≫)を経ない限り、われわれは古代の世界像をもっているキリスト教を信じることはできないということです」、と書きながら、他方では、人類史におけるアジア的段階、せいぜい7,8世紀以降に成立した「権威」としての天皇、天皇制については、そのまま信じろ、非論理で信じろ、と言うのである。このように天皇制の思想的課題を認識し自覚していない佐藤は、人類史におけるアジア的段階(天皇祭儀をみても分かるように、天皇制はアジア的段階における農耕を経済的基盤としている)の前の段階、すなわち縄文的段階における<原>日本・<原>日本人・<原>日本文化にまで時間・歴史を遡及して考察することをしないのである、そうすることを放棄するのである、戦争の廃絶のために一部支配上層の意思によって動かすことができる軍事部門を持つ民族国家(政治的近代国家)を無化する構想も持たず、それゆえに人間の社会的現実的な究極的総体的永続的な革命の究極像も持たず、「権威」としての天皇、天皇制を信奉せよ、国家のために生命を捧げた英霊を祀る靖国神社を参拝せよ、と要求するのである。佐藤は、キリスト教の外在的な量的拡大を目指して、「靖国神社にクリスチャンが参拝するようにならないと、日本のキリスト教は土着化しない。土着化しないと広がらない」・「国家というのは重要な概念」だ・したがって、この「国家のために生命を捧げた人をどう受けとめるかは、どの宗教でも最重要問題」であるから、「靖国神社の問題」は、「キリスト教徒がどのような国家観を持つかという問題」だ、と述べているのである。まさに、佐藤は、典型的な国家を第一義・価値とする国家主義者なのである。さらに、佐藤は、関東学院大(現在はどこに所属しているか知らない)の靖国神社参拝推進論者の国家主義者・富岡幸一郎も靖国神社に参拝すべきだと主張していることを紹介している。佐藤は、「権威」としての天皇・天皇制の護持に基づく権威と権力の分離による国家(国体)、国家主義を標榜しているのである。したがって、「平和を求める祈り」の起草者(その賛同者)は、このような恣意的独断的出鱈目な佐藤の論理では戦争は廃絶できないから、それゆえに平和はあり得ないから、それゆえにそのような誤謬にメディア的組織性の後光をかぶせて語っている佐藤や冨岡を、おのずから、必然的に、根本的包括的に原理的に批判する必要があるのである。この「平和を求める祈り」の起草者(その賛同者)は、先ず以てその批判を済ませた上で、この「平和を求める祈り」を祈っているのだろうか。  1952年サンフランシスコ講和条約により日本の主権が回復して以降、天皇は、靖国参拝を行っていたが、富田朝彦元宮内庁長官のメモによると、1978年10月17日、靖国神社の松平永芳宮司がA級戦犯の14人を合祀するようになって以降は、「参拝しない」ことが「私の心だ」ということで、靖国参拝を行わなくなった、ということである。当時の統帥権者(それゆえに戦争責任がある)だった天皇自らが靖国神社参拝に対する考え方をこのように変えたにもかかわらず、またほんとうは戦争廃絶(平和)を目指すべく戦争責任の告白を行った日本キリスト教団や教会に所属しながら、誤謬にメディア的組織性の後光をかぶせて、バルトの自然神学論を高校倫理レベルの知識で皮相的に論じていた靖国神社参拝推進論者の国家主義者・冨岡も、佐藤と同じ穴の狢である(私のホームページの、佐藤優に対する根本的包括的批判(5本の記事)、「昭和天皇実録」公表と吉本隆明「天皇制(論)の難しさ」等、参照)。
 どうしてこのことを書くのかと言えば、この平和を求める祈りには、すなわちこの祈りに賛同した教会の宣教に関る牧師・神学者・成員たちには、「アジア諸国の民に多大な苦しみを与えたことを悔い改め」る言葉や「沖縄の人々のうめきや痛みをかえりみ」るという言葉はあっても、この日本に住み生活する大多数の被支配としての一般大衆を戦争へと駆り立て彼らの家族や親族や友人を死に追いやった「国家の政策を、(教会の宣教に関る牧師・神学者・成員を含めて、法的言語や政策的言語を介して)知識人があらゆるこじつけを駆使して合理化し、それを大衆が知的に模倣し、行動では国家以上に国家を推進」し、支配(政治的権力・国家)に直通していく大衆の存在様式を把握できなかった、という自省の言葉が全くないからである。このことが全く表明されていないこの祈りの起草者やそれに賛同した教会の宣教に関る牧師・神学者・成員たちは、戦前と同じような状況が惹き起こされた場合、また戦前と同じ轍を踏むに違いないのである。したがって、バルトは、下記のように書いたのである。

 

 戦後すぐの1948年、バルトは次のように書いた――「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇(≪神だけでなく人間も――否、人間を中心として神も、という近代主義、自然神学の段階で停滞と循環を繰り返す信仰・神学・教会の宣教、牧師・神学者・キリスト教的メディア的著述家・教会の成員≫)」が『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」。まだあるのだ。第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」。「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した。「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」。現在でも、この言葉は、通用するのであって、自然時空に死語化してはいないのである。