本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

『教会教義学 神の言葉U/4 教会の宣教』「二十三節 聞く教会の機能としての教義学」「二 教義学の規準」その3−3

『教会教義学 神の言葉U/4 教会の宣教』吉永正義訳、新教出版社に基づく

 

カール・バルト『教会教義学 神の言葉U/4 教会の宣教』「二十三節 聞く教会の機能としての教義学」「二 教義学の規準」(169−190頁) その3−3

 

引用文中の(≪≫)書きは、私が加筆したものである。また、既出の引用については、その文献名を省略している場合がある。
(論述における様々な重複は、今後も含めまして、それは、あくまでも、理解し易くするためのものでもありますが、私自身のその存在・その思考・その実践において、私自身のものとするためでもありますし、また私自身のためでもありますので、ご了承ください。正直に言えば、もうひとつあって、それは、バルトを、単純にしかし根本的にそして包括的に理解することを目指した拙著だけで、バルトを、根本的包括的に理解することができるのかどうかという実証的実験を行うためでもありますので、ご了承ください。また、注意はしておりますが、引用の不備や誤字脱字等の不備について、もしそうしたことがありました場合にはご容赦ください)

 

二十三節 聞く教会の機能としての教義学
「聞く教会の機能としての教義学」について、バルトは、次のような定式化を行っている。

 

 教義学は、教える教会に対して、聖書の中に証しされた啓示の~の言葉を新しく聞くよう呼びかける。しかしそのことを教義学は、ただ、教義学の側でも、自分自身聞く教会の立場を取り、それであるから教義学自身、規準――聞く教会がそのようなものとして、その下に置かれているのを知っている規準――としての~の言葉に聞き従う間に(≪indem――井上良雄的に「聞き従うことによって」≫)、なすことができる。(103頁)

 

〔この定式の詳述〕
 この定式の詳述については、<カール・バルト『教会教義学 神の言葉U/4 教会の宣教』「二十三節 聞く教会の機能としての教義学」「一 教義学の形式的課題」その2−1>で行っていますので、参照してください。

 

註:「啓示の認識原理」であり「教会の宣教の批判と訂正」の規準・原理・法廷・審判者・支配者である<三位一体論>の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての客観的な対象として存在している「神の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性等々については、<カール・バルトの『教会教義学 神の言葉』および著作全般を根本的包括的に原理的に理解するためのキーワードとその内容について――幾つかの註>(2016年6月13日作成)、を参照してください。

 

二 教義学の規準(その3−3)
(2)
 人は現実的な私意・私利を精神とするこの市民社会の中で、それぞれの資質、生活、嗜好、職業、信条、思想、感情、意志を持って市民社会的生活、個別的私的現実的生活を強いられて生きており、具体的には一方で私人として、「私利・私意」に基づく利己主義的な私的他者との対立・争いの生活、利害共同性との対立・争いの生活と、他方であたかもそうした対立や争いのない観念的な法的政治的共同性によって統一された公的共同性の一員・公民としての生活との二重の生活を強いられて生きており、そうしたただ中における、「古代教会の異端からも、ローマ教会および新プロテスタント主義の神学」からも区別された福音主義的教会、換言すれば「ルター派の神学、改革派の神学、聖公会の神学」という「差異性」に対する「第一の前提」は、次の点にある――その「差異性」の自覚を手放さずに、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、三位一体論の唯一の啓示の類比としての~の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての、客観的な対象として与えられ存在している「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性における第二の形態を――すなわち起源的な第一の形態である単一性・神性・永遠性を本質とする~の第二の存在の仕方、~の言葉、啓示・和解、客観的な「啓示の実在」そのものである、まことの神にしてまことの人間イエス・キリストに直接的に唯一回的特別に召され任命された預言者および使徒たちの直接的な最初の第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、客観的な啓示の「概念の実在」、聖書的啓示証言におけるイエス・キリストを、媒介・反復することを通して、すなわちそれに聞き教えられることを通して、教会の主・頭であるイエス・キリストと間接的媒介的反復的に同一的となることを志向し目指すという点に、そういう仕方でキリスト教に固有な類・歴史性における「純粋な教え」を志向し目指すという点に、またそういう仕方で「ヒトツノ、聖ナル、公同の教会」を志向し目指すという点に、またそういう仕方でキリストにあっての神を尋ね求める「~への愛」とそういう「~への愛」に根拠づけられた「~の賛美」としての「隣人愛」――すなわちキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、~の命令・要求・要請、「もろもろの誡命中の誡命、われわれの浄化・聖化・更新の原理、教会が教会自身と世に対して語らねばならぬ一切事中の唯一のこと」、キリストの福音の告白・証し・宣べ伝えを志向し目指すという点に、またそういう仕方で福音主義的教会の「単一性」(「福音主義の事柄」、「福音主義教会の事柄」)を志向し目指すという点に、またそういう仕方で第三の形態の人間的な教会におけるキリスト教に固有な客観的な信仰告白・教義(類)の時間累積(歴史性)を志向し目指すという点に、あるのである。第三の形態に属する「カルヴァンと昔の改革派の信者たち」は、この「第一の前提を認めた」ことによって、「ほかの福音主義教会とその教え」に対して、すなわち福音主義的教会内部における異なった「神学的学派と思想方向の現実存在」に対して、「原則的に平和的・論争的な立場を取ったのである」、「特に福音主義的――教会的に(≪第二の形態である≫)聖書に拘束され、福音主義的――教会的に(≪第二の形態である聖書的啓示証言を媒介・反復する第三の形態として、すなわち聖書に聞き教えられる教会として≫)信仰告白するルター主義を考慮に入れた」のである。したがって、「カルヴァンと昔の改革派の信者たち」は、ルター主義の「聖餐論、キリスト論、選びについての教説」の中に「逸脱」を見たし、それに追随することはなかったのであるが、そういう仕方で、そのルター主義に対して「いかなる異端をも、したがっていかなる教会を分裂させる要因をも見て取ることはできなかった」のである。それに対して、19世紀における「ルター派・改革派的なあるいは改革派・ルター派的合同教義学」の企ては、第二の形態の聖書的啓示証言を媒介・反復するという、すなわち聖書に聞き教えられるという「福音主義的・教会的な信仰と思惟の仕方で企てられた」ものではなかったのである。言い換えれば、それは、~だけでなく人間も、人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求も、という人間の神化・~の人間化を志向し目指すところの、人間の自由な自己意識の類的活動に依拠した「新プロテスタント的な信仰と思惟」による企てであったのである。すなわち、それは、「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態、具体的には第二の形態に聞き教えられところでの「内的な一致」を志向し目指すそれではなかったのである。
 さて、「人は神学的な対立においては、……まさにキリスト(≪「~の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態のイエス・キリスト、具体的には第二の形態の聖書的啓示証言におけるイエス・キリスト――このイエス・キリストを媒介・反復するすることを通した、すなわちそれに聞き教えられることを通した、第三の形態における間接的媒介的反復的なイエス・キリスト≫)にあって相分かれているのであって、決して(≪第三の形態に属する人間的な≫)ひとつの教会の権利、あるいは教会的なひとつの思想方向の権利のゆえに、ましてやひとりの個人的な意見の権利のゆえに分かれている」のではないのである。言い換えれば、教会の宣教に対して連帯責任性を持ち、教会の宣教における補助的奉仕であり一つの機能である教義学の、それゆえに教会の宣教の、原理・規準・法廷・審判者・支配者としての起源的な第一の形態であるイエス・キリストは、具体的には第二の形態である聖書的啓示証言(聖書的啓示証言におけるイエス・キリスト)は、先ず以て第一義的に、第三の形態に属する徹頭徹尾人間的な教会の宣教の客観的な信仰告白・教義における「一切の思惟、洞察、解釈、省察の前提」なのである。したがって、第三の形態である教会においては、「~の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態のイエス・キリスト、具体的には第二の形態の聖書的啓示証言におけるイエス・キリスト、この聖書的啓示証言におけるイエス・キリストを媒介・反復するすることを通した、すなわちそれに聞き教えられることを通した第三の形態の客観的な信仰告白・教義における間接的媒介的反復的なイエス・キリスト――すなわち、これらキリスト教に固有な類・歴史性に信頼し固執し連帯して「純粋な教え」を志向し目指す過程における「共通な信仰告白を解釈する上での相違……が問題であることが示され得るような学派と思想傾向だけが許され、また正当であることができるのである」。不可避的な親子関係から相対的に改革派教会に属したバルトの明確な神学的な立場は、次の点にあった――「(≪終末論的限界の下で絶えず繰り返し、キリスト教に固有な類・歴史性における「純粋な教え」を尋ね求めるために、「~の言葉の三形態」の関係と構造における起源的な第一の形態であるイエス・キリスト、具体的には第二の形態である聖書的啓示証言におけるイエス・キリスト、この≫)一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派(≪教派、学派、思想傾向、時流や時勢、社会的政治的な言説や運動等≫)に仕えなければならないことはない……、一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」という点にあった。この立場から、バルトは、差異性と単一性について、次のように述べている――「人がルター派教会、改革派教会、聖公会について語る時」には、「同じひとつの教会、すなわち福音主義教会、ひとつの、聖なる、公同の、使徒的教会」(単一性)の「三つの形態」(差異性)について語っているのである、と。したがって、不可避的な親子関係に規定されて相対的に改革派に属したバルトは、終末論的限界の下で、あの客観的な対象として与えられ存在している「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態を、それゆえに具体的には第二の形態を媒介・反復することを通して――これらはイエス・キリストを主・頭とする第三の形態である教会の宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者である――、換言すればそれに聞き教えられることを通して「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」・単一性を志向し目指すこととなるのである。この立場に立って、異端やローマ・カトリックだけでなく、ルター派教会、改革派教会、聖公会という福音主義的教会の三形態を、包括し止揚しようとしたのである。ここに、根本的包括的に原理的に理解したところでのバルトの「エキュメニカルな神学」論・「エキュメニズム」論・「エキュメニカル運動」論があるのである。言い換えれば、ルター派教会、改革派教会、聖公会という福音主義的会における差異性は、「個人的な、地域的な、あるいは歴史的な珍奇な在り方や独善が問題なのではなく」、客観的な対象として与えられ存在している「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態であるイエス・キリスト、具体的には第二の形態である聖書的啓示証言におけるイエス・キリストにのみ信頼し固執する立場において、それゆえに根本的包括的に原理的に、異端やローマ・カトリックだけでなく、三者を包括し止揚してその枠組みから超え出て行くことが問題なのである。この意味において、バルトは、「わたしの知っている限りでは、十六世紀および十七世紀の改革派の者」は、「福音主義教会内部での教派的対立に対して」、曖昧ではない明確な「平和的で、論争的な態度」を取っていた、と述べている。しかし、「ルーズな態度」における19世紀における「ルター派・改革派的なあるいは改革派・ルター派的合同教義学」の企ては、「既に信仰告白の共通性が疑わしい程度に応じて、その差異性の中での信仰告白の解釈は疑わしいものとならざるを得なかったし、これらの解釈は、結局」、「根本において」は「ルーズな態度」で済ませてしまうことができる「風変わりな特殊性と独善……という性格を持」っていた。この合同教義学において認識された「対立」は、「共通の信仰告白を解釈するに当たっての相違」の対立、「純粋な神学的学派および思想方向としての」対立ではなくて、「合理主義者と超自然主義者の間の対立であり、後には自由主義者、積極主義者、そして両者を調停する思想方向の間の対立」でしかなかった。したがって、バルトは次のように述べている――「最後」的には、ルター派教会、改革派教会、聖公会という福音主義教会内部における「神学的学派と思想方向の現実存在」、その「純粋な神学的学派と思想方向の対立」の課題は、その「対立」をそれぞれに真理があるというように「永遠化」永続化させてしまう多元主義・混合主義・調停主義・折衷主義・「無頓着主義」の「俗説」にあるのでは決してなくて、終末論的限界の下で、イエス・キリストを主・頭とする第三の形態の教会の宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者であり客観的な対象として与えられ存在している「~の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態に、具体的には第二の形態に聞き教えられることを通して「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」・単一性を志向し目指すという立場において、その「対立」を包括し止揚して行くところにあるのである、と。なぜならば、「それが対立であり続けようとしないところでだけ、純粋であることができる」からである。すなわち、「純粋である」ためには、「それらの対立を主張するに当たって最後的には常にただ、それらの対立を(≪あの「一つの事柄に仕え」ることによって、包括し止揚して≫)克服することが問題」なのである。言い換えれば、「純粋である」ためには、第三の形態の人間的な福音主義教会におけるそれまでの世紀、それまでの世代における対立した信仰告白の「凌駕」が、すなわち第一の形態の権威に、具体的には教会の宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者としての第二の形態の聖書の権威に聞き教えられる過程を経た、「信仰告白の共通的な解釈の達成」、教会の客観的な信仰告白――すなわちキリスト教に固有な類の時間累積を志向し目指すことが肝要なのである。したがって、キリスト教に固有な類・歴史性としての、第三の形態に属する「共通な信仰告白から」、それゆえに第三の形態において「共通に承認された(≪第二の形態の≫)聖書の権威から」、「異なった神学的学派と思想方向」は、「相互に全く真剣に聞き合」うことによって、「必要な場合には自分自身の立場」を、的確に「訂正して行くよう要求されているのである」。現存する教会の現実存在に属する私たちは、このことを、バルトが次のような自らの体験を介して述べていることに注意を向ける必要がある――@1948年バルトは、「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇(≪その戦争とその悲惨さに加担したところの、近代以降の、近代主義的な、~だけでなく人間も、人間の自由な自己意識・思惟・理性の類的活動による自主性・自己主張・自己義認の欲求もという神と人間、神学と人間学との混合論・協働論・共働論に信頼し固執し、~の人間化・人間の神化を原理とした自然神学の系譜に属するすべての教会の宣教、その成員、神学、神学者、説教、説教者、著述、著述家、その傾倒者や同調者、たち≫)」が『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」(『バルト神学入門』)、A第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」。「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した。「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(『バルトの生涯』)。このような訳で、バルトは、次のように述べている――「何かある伝承あるいは何かある特殊な在り方を……原理的に保持することが問題である」ところの第三の形態における「信仰告白的な態度」――すなわち、第一の形態の、それゆえに具体的には第二の形態の啓示の「真理が問題ではない」ところの第三の形態における「信仰告白的な態度」は、「禁じられている態度である」、と。したがって、寛容な点について言えば、「カルヴァンの聖餐論および標準的な改革派の信仰告白書に直面して」「改革派の者たち」は、そのことについて、「聖餐論の起源的なツヴィングリ的な理解の仕方に固執した訳ではなく」、カルヴァンが「一五四九年のチューリッヒ一致信条についての討論で、ブリンガーと論争した時」のように、「繰り返し(≪第三の形態に属するキリスト教に固有な類・歴史性における≫)ルターに聞いたということ」、換言すれば彼らはそのことをキリスト教に固有な類・歴史性における起源的な第一の形態の第三の形態にとっての具体性である第二の形態の「聖書」によって「語られている」こととして聞き教えられたということ、それゆえに第三の形態に属する「自分に向かって語」ることができたし、「語」ることが「許された」ということ、である。「彼らは、……特にドイツで起こったルター主義との直接的な向かい合いの中で、あくまでこの態度を堅持した」。「確かに、改革派の聖餐論」はその「キリスト論」を含めて「ルター派の者たちにから見てただくだらない妥協への誘いかけのように思われ」たし、「結局は徒労に終わった」のだが、「十六世紀および十七世紀」における「昔の改革派の者たち」は、「ルター主義の関心事を聞き、自分自身の教説の記述の中に取り入れようとする努力」を為した。彼らは、「どんな犠牲を払っても合同主義神学者であろう」とはしなかった。彼らは、必然性不可避性としてある、<客観的>な対象として与えられ存在している「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯して、絶えず繰り返し、その第一の形態に、具体的には第二の形態に聞き教えられるという立場において、「開いた態度を……守りぬいたのである」。彼らは、「模範的」な態度、立場を守り抜いたのである。しかし、あの「ルーズな態度」の19世紀における「ルター派・改革派的なあるいは改革派・ルター派的合同教義学」の企ては、あの「昔の改革派の者たち」の「模範的」な態度、立場を破壊してしまったのである。したがって、あの19世紀の企ては、改革派とルター派の差異性に対して、客観的な対象として存在している、イエス・キリストの証人、証言としてのキリスト教に固有な類・歴史性である「~の言葉の三形態」に信頼し固執し連帯したところで真剣な「興味」を持たなかったし、またその第一の形態を、具体的にはその第二の形態を原理・規準としたところで反省過程を持たなかったがゆえに、「一般的な、宗教史的、精神史的、文化史的な違いに対して、……より多くの興味を示したのである」。そうした彼らは、「カルヴァン主義」、「ルター主義」の名の下で、16世紀および17世紀における「聖書の真理を問うかつての問いの真剣さ」を後景へと退け排除してしまって、ある者たちは近代主義的な人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍の尊重と中世的思考に退行したところでの人間学に対する神学の優位性を空想し主張しながら非自立的で中途半端な人間学との混合的な神学や教会の宣教に興味を示したのである、またある者たちは、特定の党派、主義との、「特定の人種、民族」との、特定の「哲学」との、特定の「国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制」との、混合的な神学や教会の宣教に興味を示したのである。このような訳で、第二の形態である聖書が教会に宣教を義務づけているのであるから、教会の宣教(説教と聖礼典)、教会的教義学、それゆえに福音主義的な教会、福音主義的教義学が要求する「信仰告白的な態度」、その「信仰告白性」――すなわちその「思惟形式であり思惟規則」は、起源的な第一の形態と共に、教会の宣教および教会教義学における「決定的な前提であり、源泉である」――すなわち自ら絶えず繰り返し自己吟味し自己批判し自己否定して的確に訂正していかなければならない教会の宣教における具体的な原理・規準・法廷・審判者・支配者としての聖書を媒介・反復するという点に、換言すればそれに聞き教えられるという点にあるのである。このことは、第三の形態における第二の形態の聖書性の類比――信仰の類比、関係の類比である。第三の形態に属する「信仰告白あるいはルターやカルヴァンの書物の注釈は、ちょうど聖書釈義が教義学の特別の課題でないのと同じように、教義学の特別の課題ではない」のであって、それゆえに第三の形態である教会の教義学は、あくまでも~のその都度の自由な恵みの決断による客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事を必要とするのであるが、すなわち啓示認識・啓示信仰の授与の出来事を必要とするのであるが、キリスト教に固有な類・歴史性としての「教父と信仰告白の神学をただ、教義学自身自主的に為す」「服従」においてだけ、換言すれば第二の形態の「聖書の中に証しされている」起源的な第一の形態の「~の言葉の下に服する」「服従」においてだけ、換言すれば起源的な第一の形態に、具体的には第二の形態に聞き教えられるという仕方においてだけ、教会の宣教における「模範として奉仕」することができるのである。したがって、教会の教義学は、「事実それらのものから学ぶことの中で」、換言すればそういう仕方でキリスト教に固有な類(教会の客観的な信仰告白・教義)の時間累積に奉仕することによって、「その信仰告白的な態度を実証するのである」。「人はただ霊ニ従ッテ信仰告白的であることができる。肉ニ従ッテ信仰告白的であろうとするものはそもそも信仰告白的でないであろう」。なぜならば、それが「キリスト教的語りの正しい内容の認識として祝福され、きよめられたものであるか、それとも怠惰な思弁でしかないかということは、神ご自身の決定事項」なのであって、人間自身教会自身の決定事項ではないからである。したがって、ルター派教会、改革派教会、聖公会という福音主義的教会における差異性に対して、「神学的学派あるいは思想傾向の差異性だとみなすようにという(≪第二の形態の聖書を第三の形態の教会の宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者とする≫)改革派教会の提言」は、「同じひとつの教会、すなわち福音主義教会、ひとつの、聖なる、公同の、使徒的教会」(単一性)の「三つの形態」(差異性)において語られているのであるから、その「聖書と教会の関係についての改革派的な受け止め方にとって」、具体的には第二の形態の「聖書がすべての教えの規準および源泉として承認されているところではどこにおいても」、それゆえに「ルター派教会」においても、「すべての教えの違いにも拘わらず、ひとつの、聖なる、公同の、使徒的教会をみてとることは、まさに本質的なことであり、改革派教会と神学は、自分を放棄することなしに、そのことを」堅持しなければならないのである。したがって、三位一体論の唯一の啓示の類比としての~の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての、客観的な対象として与えられ存在している「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯して第三の形態において真剣な単一性と差異性の「提言、問いかけ」を持たないところの、「気楽」で「ルーズ」な「カルヴァン主義」や「ルター主義」は「空想の産物」でしかないのである。

 

(3)
 教会の宣教は、それゆえにその補助的奉仕である教義学は、ある歴史的な社会構成・支配構成・文明的文化的構成の時代水準・時代状況のただ中におけるそれであるのだが、それゆえにそこから惹き起こされる課題に強いられるそれであるのだが、それゆえにその課題を引き受けなければならないのであるが、そしてこのことは時流や時勢や大衆的動向や思想傾向や社会的政治的言説等に流されたり同化したりする点にあるのではないし、また議会制民主主義、資本制社会(近代市民社会)――政治的国家という枠組みにおける即自的な法的言語や政策的言語に依存する点にあるのでもないのである。言い換えれば、「教義学が服従しなければならない規準」についての「具体的な第三の要求」――すなわち、第三の形態における人間的な「教義学(≪教義学者≫)および教会の宣教(≪説教者≫)の第三の具体的な形式規定」、「思惟形式」・「思惟規則」は、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、教会に宣教を義務づけ「教会を基礎づけている」教会にとって起源的な第一の形態の具体性であるその直接的な最初の第一の啓示の「概念の実在」である第二の形態の「聖書」(聖書的啓示証言)に聞き教えられることを通して、イエス・キリストを主・頭とする「教会」として、それぞれの世紀、それぞれの世代におけるキリスト教に固有な類(教会の客観的な信仰告白・教義)の時間累積(歴史性)を生きて「教会を形成」した「父祖たちと信仰告白に耳を傾けなければならないのと同じように」、「今日教える教会そのものに対しても」、「~の言葉」を、今日現在において今日現在に向かって語られた言葉として「自分の耳で聞こうとする」「教会的な態度」にあるのである。ここでバルトのこの「教会的な態度」は、『ローマ書』からの一貫性を保持している――「パウロはその時代の子としてその時代の人々に語った。けれどもこの事実よりはるかに重要な事柄は、いま一つの事実、すなわち彼は神の国の預言者ならびに使徒としてあらゆる時代のあらゆる人々に語っている、ということである。(中略)聖書の精神は永遠の精神なのである。かつての重大問題は今日もなお重大問題であり、今日の重大問題で単なる偶然や気まぐれでない事柄は、またかつての重大問題と直結している」。この『ローマ書』の言葉との関わりで、バルトは、最終的に離脱した宗教的社会主義での体験を次のように総括している――「そこでの人間の困窮と人間に対する助けとが、聖書が理解しているほどには、真剣に理解されておらず、深く理解されて 」いなかった(『証人としてのキリスト者』)、というように。このように、第三の形態の教会にとって起源的な第一の形態の具体性であるその直接的な最初の第一の啓示の「概念の実在」である第二の形態の聖書的啓示証言に信頼し固執し連帯した未来に生きる言葉に依拠したバルトのそれぞれの著作における言葉は連鎖しているのである。私自身、キリスト者を含めて、不信とむなしさと不安と不確実性のただ中に生きることを強いられている現在、終末論的限界の下で、ただイエス・キリストのみ、「イエス・キリストの名」のみ、という啓示認識・啓示信仰に感謝を持って信頼し固執して生きるキリスト者であろうとするならば、バルトのように、聖書的啓示証言における単一性・神性・永遠性を本質とする~の第二の存在の仕方、~の言葉、神の子、啓示・和解、客観的な「啓示の実在」そのもの、~の側の真実としてのみあるローマ書3・22あるいはガラテヤ書2・16等の主格的属格としての「イエス・キリストの信仰」(『福音と律法』)、完了・成就された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和、まことの神にしてまことに人間イエス・キリスト、「イエス・キリストの名」にのみ感謝を持って信頼し固執する以外にはないのである。したがって、バルトは、『平和に関するバルトの書簡』(寺園喜基の私訳――『バルト神学の射程』)においても、一昨年の日本基督教団の「平和を求める祈り」やカトリックの「抗議声明」とは徹頭徹尾根本的包括的に原理的に全く異なって、次のように述べている――平和の概念は包括的な救済概念と同じである。その救済概念は、「この世の神との和解」、「人間相互間の和解を直接その内に包含している和解」である。「神ご自身によって、イエス・キリストの歴史において、その生涯と死において、すでに完成され、死人からの復活においてすでに啓示されているような、和解」である。したがって、私たち人間によって初めて成就・「完成されねばならないような和解」ではなくて、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的実在・客観的現実性としてある「神ご自身によって確立された和解」である。「イエス・キリストにおいては神と人間が、しかしまた人間とその隣人が平和的」なのであり、「敵としてではなく、忠実な同伴者、仲間として、共にある」のである。イエス・キリストにおいて平和は、「神ご自身が世界史のまっただ中に創造し見えるものとして下さった現実性」である。~のその都度の自由な恵みの決断による客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事を必要とするのであるが、「この贈り物はただ、われわれがこれを受けとることを待っている」のである。したがって、あの日本基督教団祈りやあのカトリックの声明が、私たちが、「この事実に向かって、眼と耳を閉ざして生きているということが、悲惨」なのである。したがってまた、そうした中で、私たちは「平和は戦争より善いものであるということを」繰り返し「断言せねば」ならないのだが、「それらのことは究極的に何の助けをももたらさない」ことは「明白」なのである。このような訳で、世界が必要としている革命的認識は、「世界はイエス・キリストにおける神の愛によってすでに解放された世界である」ということに感謝を持って信頼し固執して、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしない」(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)ところにあるのである。このような訳で、教会の宣教に対して連帯責任性を持ち、教会の宣教における補助的奉仕であり一つの機能である教義学の思惟と語り、「教会的な態度」は、「教える教会と共に祈りの交わりの中で、過去から現在を通って未来へと進まなければならず、徹頭徹尾教える教会と共に、神の啓示と和解という善き業のゆえに神に感謝し、~をほめたたえなければならず、教える教会と共に、全教会がこの善き業に対して絶えず犯しているすべての過ちのゆえに悔い改めなければならず、教える教会と共に聖霊を、換言すれば、~の言葉を新しく、よりよい仕方で、より決然と聞き、それからまた~の言葉の祝福を受ける可能性を、願い求め」るという点にあるのである。言い換えれば、それは、「人間のために神の前で、神に向かってなされる教会の語り、そして人間のところに教会が預言者的に近づいて行くことの前提を形造っている(人間のためになされる)その祭司的な仲介の声」という点にあるのである。バルトは、ここで、「一箇の権威ある伝承」への「ローマ・カトリック的な逸脱」、すなわち第三の形態に属するものを啓示の認識源泉とする「ローマ・カトリック的な逸脱」、すなわち「教会の教えの決定的な源泉として教会の典礼が名ざされている」「ローマ・カトリック的な逸脱」を批判的に指摘しつつ、「教皇ケレスティヌス一世」の「神ノ恵ミニツイテ」の次のような「祈祷の規準」の言葉を正当性があるものとして引用している――「……聖ナル民ノ指導者タチハ、自分ニ託サレタ職務ヲ果タス時、人類ヲ代表シ、全教会ト協力シテ、~ノ慈悲ニヨリスガリ次ノコトヲ乞イ求メ、祈ルノデアル。未信者ニ信仰ガ与エラレ、偶像崇拝者ガソノ不信仰カラ解放サレ、ユダヤ人ノ心カラ覆イガ取リ除カレテ真理ノ光ガ現ワレ、異端者ガカトリックノ信仰ヲ受ケ入レテ秘跡ニ到達シテ天国ノ憐レミノ広間ガ開カレルヨウニト祈ルノデアル。……コレハ完全ニ、~ノワザトシテ感ジラレルモノデアルカラ、コノヨウナ人タチヲ照ラシ、善ニ移ラセル~ニ対シテ、常ニ感謝ト賛美トガササゲラレルノデアル」。因みに、これは、人間における一方通行的に信の頂へと上昇的に向かっていく信の往相過程からする言葉である。それに対して、その信の頂から再び不信へと意識的に下降する、それゆえに人間の信と不信を架橋する信における思想の言葉、人間における信の還相過程からする言葉を持ったキリスト者がバルトでありカンタベリーのアンセルムスである――@「『私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば <私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>、ということである)』(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」(『福音と律法』)・「『もちろん福音をわたしは聞く、だがわたくしには信仰が欠けている』」その通り――一体信仰が欠けていない人があるであろうか。一体誰が信じることができるであろうか。自分は信仰を「持っている」、自分には信仰は欠けていない。自分は信じることが『できる』と主張しようとするなら、その人が信じていないことは確かであろう。(中略)信じる者は、自分が――つまり『自分の理性や力(≪意志力、感情の高揚、只管打座による身心脱落や自己放下における自然を内面の原理とする自然との合一という禅的修行等≫)によっては』――全く信じることができないことを知っており、それを告白する。聖霊によって召され、光を受け、それゆえ自分で自分を理解せず(中略)頭をもたげて来る不信仰に直面しつつ(中略)『わたくしは信じる』とかれが言うのは、『主よ、わたくしの不信仰をお助け下さい』という願いの中でのみ〔マルコ九・二四〕、その願いと共にのみであろう」(『福音主義神学入門』)、A「いかなる人間もほかの者に教えることができないことを教えることができ、また繰り返し教えるであろうことを信頼していた客観的な根拠」(~の側の真実としてのみある、起源的な第一の形態、客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリスト、第三の形態にとっては具体的には聖書的啓示証言におけるイエス・キリスト)、すなわち「信仰の対象そのものの客観的根拠」の「力強さを念頭において」(啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、キリストの霊である聖霊の証しの力、~のその都度の自由な恵みの決断による啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく終末論的限界の下で人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰の授与の「力強さを念頭において」)、「非キリスト者をキリスト者として、不信者を信者として語りかけ」、「信者と不信者の間の深淵を超え」出て、その枠組みを超え出て、「彼が自分を不信者たちに対して不信者たちと同類の者としておき、不信者たちを自分と同類の者として受けとる」ことができた、換言すれば信と不信を架橋することができたのである(『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)。
 さて、ここで、「われわれは、いくつかの限界設定を明らかにする」ことによって、「教会的な態度の要求をさらによく理解することができる」――@教会の宣教における補助的奉仕であり一つの機能である教義学の「教会的な態度」、「具体的な形式規定」、「思惟形式」・「思惟規則」は、「無時間的に思惟し、語る教義学の可能性を閉め出す」。なぜならば、それは、ある歴史的な社会構成・支配構成・文明的文化的構成の時代状況のただ中におけるそれであるから、それぞれの世紀、それぞれの世代において、キリスト教に固有な類・歴史性の連続性を生きると同時に、それぞれの時代性も刻まなければならないからである。したがって、教義学が、「とりすました無意図性の中で、聖書と教義を通して開示された存在的および認識的な関連を追い求め」、「そのほかの哲学と競合する、あるいは協力して働くキリスト教哲学として」教義学的研究と記述をするならば、「自分の課題」を放棄することになるのである。~の言葉の自己運動における~の言葉の実在の出来事であり、それゆえにキリスト教に固有な類・歴史性である第二の形態の「聖書」と第三の形態の「教義」は、「そのような研究と記述のための有用な源泉という性格を持っていない」のである。ただ、太宰治が『正義と微笑』で書いたように、また吉本隆明のように言うことはできる――例えば、「イエスは身を起こして言われた。 『「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女(≪姦通の女≫)に石を投げなさい。』(中略)これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」という聖書の言葉が、すべての人間の内面の普遍性に届く水準を持った超一流の言葉であると言えるように、「……<奇跡>(中略)たとえば、お前は癒された、立てといったら癩患者が立ち上がった……。 これは自分流(≪文芸批評あるいは思想≫)の言葉でいえば、比喩なんです。比喩の言葉というのは、あるばあいにはストレートな真実の言葉よりもっと真実を語るということがありうるわけで、これを実在論に還元してしまうと、田川健三はそうだとおもいますが、こんなのでたらめじゃないか、こういういいかげんなことを書いてる本だという以外にないわけです。しかし言葉としての聖書というのは、信仰の書として読んでも、文学書として読んでも、あるいは思想の書として読んでも、どんな読み方をしょうと人間をのめり込ませる力があるとすれば、これは叡知じゃないとこういうことは言えないという言葉が、そのなかに散らばっているからです。たとえばイエスが、『鶏が三度なく前に私を否むだろう』と言うと、ペテロは(≪あの使徒ペテロでさえ≫)そのとおりなっちゃったみたいなエピソードをとっても、人間の<悪>というのが徹底的にわかっていないとだめだし、心というのがわかっていないとだめだし、同時にこれはすごい言葉なんだというのがなければ、やっぱり感ずるということはないとおもうんです」(『<非知>へ――<信>の構造 対話編 吉本×末次 滝沢克己をめぐって』)と言えるのである。
 いずれにしても、教会にとって起源的な第一の形態の具体性である啓示の「概念の実在」である第二の形態の聖書的啓示証言を媒介・反復した第三の形態のそれぞれの世紀、それぞれの世代における教義は、「関係について」ではなく、それぞれの世紀、それぞれの世代における「出来事について」、「事柄についてではなく」、それぞれの世紀、それぞれの世代における「行為について」、「それとしての存在についてではなく」、それぞれの世紀、それぞれの世代における「現実存在について」、語っているのである。したがって、それらの「出来事、行為、……現実存在が問題である限りにおいてだけ」、それらの「関係、事柄、存在について」、換言すれば三位一体論の唯一の啓示の類比としての~の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての、客観的な対象として存在している「~の言葉の三形態」(キリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性について語るのである。起源的な第一の形態の~の言葉は、具体的には第二の形態の聖書的啓示証言における~の言葉は、教会の宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、「教会を基礎づける」「教会の学園であることができるだけである。詳しく言うならば、特定の時に、特定の場所で、~の言葉の現実存在を通して基礎づけられ、保持される教会の学園であることができるだけである」。教義学は、「聖書と教義の中で、自分で立てた問いに対する答えを尋ね求めるのではなく、……人間的なもろもろの問いを立ててよいところの指示……を受け取らなければならない」のであるから、その出来事が惹き起こされることを祈りつつ客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて授与される啓示認識・啓示信仰に依拠した信仰の類比・関係の類比を通して、キリスト者を含めたその現にあるがままの現実的な人間存在における人間についての、社会、世界、歴史についての、自己認識・自己理解・自己規定を得るようにしなければならないのである。教義学は、具体的には教会にとって起源的な第一の形態の具体性である啓示の「概念の実在」である第二の形態の聖書的啓示証言を媒介・反復することを通して、すなわちそれに聞き教えられることを通して、「教会がその働きをなして行くために、その戦いを戦っていくために、またその避けることのできない誘惑と苦難のために、必要としている反省的熟慮」に「奉仕しなければならない」のである。歴史的現存性のただ中において、それぞれの時間、それぞれの時代水準・時代状況、それぞれの世紀、それぞれの世代、「それぞれの困窮と希望」を生きる教会の宣教における補助的奉仕である教義学は、「自分ではっきりそう言明しているように、あくまで戦ウ教会の道具」、機能なのである。それ以外のもとして存在することはできない。
 教義学の「教会的な態度」、「具体的な形式規定」、「思惟形式」・「思惟規則」は、客観的な対象として存在している「~の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性を後景へと退け排除した「観察する主体の空想の恣意の中に、その起源とその正当性を持って」、すなわち「論理的な、歴史的な、言語的な、また法的な」、また政策的な「偶像」崇拝において「審美的に思惟し、語る教会の可能性を閉め出す」。したがって、議会制民主主義、資本制社会(近代市民社会)――政治的近代国家の枠組みにおける法的言語や政策的言語に束縛された一昨年の日本基督教団の「平和を求める祈り」やカトリックの「抗議声明」は、否定的に再吟味・再検証されなければならない。教義学は、このような偶像崇拝から自らを区別し「自らを清潔に保つ時、ただそのような時にだけ、……繰り返し自分の対象の美しさに出会い、期せずして純粋に感謝に満ちた考察となることができ、……またそのような感謝に満ちた考察とならなければならない……」のである。
 教義学の「教会的な態度」、「具体的な形式規定」、「思惟形式」・「思惟規則」は、「自分自身を昔の時代に戻しながら、教会の過ぎ去ったどこかの世紀から思惟し語る」、すなわち「誠実に現代の教会から語っているのではな」い「ロマンチックな教義学……の可能性を排除する」。このことからも、前回も述べたように、ルドルフ・ボーレンの聖霊論的説教論に依拠した中世的思考に退行した人間学に対する神学の優位性の主張に基づく人間学的神学者あるいは神学的人間学者の佐藤司郎の思惟と語りは、バルト自身にとって、そして私にとっても、教義学の「教会的な態度」からして徹頭徹尾、首肯することができないものなのである。なぜならば、その佐藤の主張は、教会の宣教が歴史的現存性に強いられたそれであり、その補助的奉仕としての「教義学が教会の歴史と不断に接触していなければならず、教義学が(≪絶えず繰り返し、第三の形態のそれぞれの世紀、それぞれの世代の教会が、「~の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態に、具体的には第二の形態に聞き教えられることによって≫)すべての時代のまことの教会とひとつである一致の中で思惟し、語らなければならないということ」――この教義学の信仰告白的態度から逸脱したものだからである。ここで、教義学が「すべての時代のまことの教会とひとつである一致の中で思惟し、語らなければならない」とは、「教義学が自分を原始教会の教義学として打ち出さなければならないとか、あるいは四世紀、十六世紀、十七世紀の教義学として打ち出さなければならないということを意味」しているのではなく、ある歴史的現存性に強いられたそれぞれの世紀それぞれの世代の教会におけるキリスト教に固有な類(教会の客観的な信仰告白・教義)の時間累積(歴史性)の過程の中で「思惟し、語らなければならない」ということを意味しているから、中世的思考に退行した思惟と語りを為す佐藤の主張は、教義学の信仰告白的態度から逸脱したものなのである。