2019年を迎えて考えたこと――国連の大国主義と世界食糧計画、「銃を突きつける子ども」(WFP)等々について
2019年を迎えて考えたこと――国連の大国主義と世界食糧計画、「銃を突きつける子ども」(WFP)等々について
(4−1)――国連の大国主義と世界食糧計画(WFP)
国連広報センターによれば、「国連憲章のもとに、国際の平和と安全に主要な責任を持つのが安全保障理事会である。国際連盟との重要な違いの1つは、その決定を強制する能力を持っていることである。理事会は15カ国で構成される。常任理事国5カ国(中国、フランス、ロシア連邦、イギリス、アメリカ)と、総会が2年の任期で選ぶ非常任理事国10カ国である。各理事国は1票の投票権を持つ。手続き事項に関する決定は15理事国のうち少なくとも9理事国の賛成投票によって行われる。実質事項に関する決定には、5常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票が必要である。(≪戦争の元凶である民族国家、すなわち自国民族国家の権益を守り維持するために「拒否権」を行使する5大≫)常任理事国の反対投票は「拒否権」と呼ばれ、その行使は決議を「拒否」する力を持ち、決議は否決される。これまで、5常任理事国すべてがいろいろな折りに拒否権を行使してきた(≪経済の世界性と民族国家の一国性を単位として動いている世界の中で、また覇権をめぐって民族国家間で政治的軍事的等の圧力的行使が行われる中で、また様々な政治的党派性や部族的党派性や宗教的党派性も存在している中で、また経済支援も多くは覇権をめぐるものである中で、国連安全保障理事会を介在させた国際平和と安全というのは、絵に描いた餅に過ぎないと言うことができる≫)。常任理事国は、提案された決議を完全には支持できないが拒否権によってそれを阻止することを望まない場合は、投票を棄権することができる。それによって、必要とされる9票の賛成投票を得る事ができれば、その決議は採択される。理事会の議長はアルファベット順に1カ月ごとに交代する」。このように、世界は、経済の世界性と、結局は自国の利害・既得権益・覇権を優先する民族国家の一国性を単位として動いている限り、すなわち戦争の元凶である民族国家がそういう仕方で存在する限り、平和はあり得ないし、それ故にそういう民族国家の止揚・無化・死滅を明確に提起しない平和運動や国連中心主義は絵に描いた餅でしかないと言うことができるのである、世界の平和のためには世界中から戦争をなくさなければならないのだが、そのためには戦争の元凶である民族国家をなくさなければならないということは自明なことなのである。
(4−2)――「ロシア軍 2020年までに千島列島や北方領土に地対艦ミサイルを増強」(ヤフーニュース、共同、2018年12月30日)
「ロシア軍が2020年までに千島列島や北方領土に地対艦ミサイルを増強し、全域を覆って防衛線をつくる構想があることが30日分かった。共同通信がロシア当局の内部文書を入手した。米国に対抗する核戦力の拠点となっているオホーツク海を守る上で、北方領土を戦略上、重視していることを裏付ける内容」である。「実行に移されれば、日本との平和条約交渉への影響は必至だ。ロシア当局筋は文書が今年夏以降に作成されたと説明」している。「記載されている軍備計画をプーチン大統領が承認したのかどうかは不明だが、千島列島における軍備増強などは、直近のロシアメディアの報道と符合する」。この動向も、世界が、経済の世界性と民族国家の一国性を単位として動いている限り、必然的な動向である。原則無きその無茶苦茶さ・酷さの大小・多少はあるとしても、「海上自衛隊のP1哨戒機が(≪戦争能力を持った一民族国家の≫)韓国海軍艦艇から射撃用の火器管制レーダーを受けたとされる問題」(戦争能力を持った一民族国家の攻撃的な挑発行為であるから、アメリカなら有無を言わせずすぐに反撃したとも言われている)に対する韓国側からのあらゆる面でされる辻褄の合わない反論・非難の対応も、その変形であると言うことができる。
このような訳で、バルトが、次のように述べていることは全く妥当性があるのである――イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの教会は、「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとすべきではない(『教会教義学 神の言葉T/1・2』)、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」るべきではない、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」すべきである、「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)、「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」、「国家は支配であり、文化は支配」である。したがって、 「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」(『啓示・教会・神学』)。
(4−3)――中国の一帯一路構想
2013年にはじまった中国の一帯一路構想(習近平が提唱した中国広域経済圏構想)について言えば、中国が、自国民族国家の権益を守り維持しようとすることは自明のことであるが、しかしその覇権性を押し隠しながら、経済の世界性に規定されて「一帯一路」を目指しており、それ故にそれは、決して民族国家の一国性を止揚・無化・克服しようとする試みではないと言うことができる。EU(欧州連合)は民族国家の枠組みを超え出ようとする試みであったが、現在それは、先のニュース記事等にもあるように、様々な内在的および外在的な要因によって危機に瀕している。
さて、私が調べた限りのことで言えば、「一帯」とは、「中国西部から中央アジアを経由してヨーロッパへと続く『シルクロード経済ベルト』」を指し、「一路」とは、「中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸を結ぶ『21世紀海上シルクロード』」を指している。「ロシアのムルマンスクの埠頭を開発して、ヨーロッパ―ロシア―日本―中国というルートである(北極海経路)――これは、ロシア大統領・プーチンが一帯一路と北極海航路の連結という形で提唱」し、これを「中国は『氷上シルクロード』と呼んでいる」。「『北有?路 南有新加坡』(北の釧路 南のシンガポール)として日本の釧路港をアジアの玄関口、北のシンガポール港という位置づけで……公表されている」。「中国遠洋海運集団はドイツから釧路港に穀物を輸送した他、日本の商船三井は中国企業と合弁して北極海航路でロシアのLNGを運んでいる」。「さらに北京・モスクワ高速鉄道からアメリカ大陸と繋ぐ、高速鉄道構想もある」、「中南米諸国とは『太平洋海上シルクロード』の構築で合意している」。これらは、「世界的な物流網戦略」である。現在、「一帯」構想において、「中国・義烏とスペイン・マドリードを結ぶ貨物列車」が運行されており、「スペイン公共事業省によると、輸送にかかる日数は船便の場合より10日以上短縮できるという」。また、「中国・義烏とイギリス・ロンドンを結ぶ貨物列車」等もあるという。この「一帯一路」構想も、世界が経済の世界性と民族国家の一国性を単位として動いている限り、自国民族国家の権益を守り維持することが第一義となるから、この「一帯一路」構想に、世界性としてある生活の不可避性、生活の普遍性に生きる世界の大多数の被支配としての一般大衆を第一性・価値性として繰り込まれなければ、すなわちこの構想に民族国家の止揚・無化・克服の構想を包括できなければ、結局は、大国の覇権主義の陥穽に陥るほかないと言うことができる。
さて自国民族国家の権益を守り維持するための戦争の元凶であるところの、それぞれの民族国家は、一部国家支配上層の意思によって動員できる巨大で強大な軍事組織・国軍を持っている。ライブドア・ニュース(2018年11月3日)によれば、「米国の軍事力評価機関『グローバル・ファイヤーパワー』の発表した2018年の軍事力ランキングでは、日本が8位だったのに対して、中国は米国とロシアに次ぐ3位だった」、と言う。また、世界の地域には、日本も関係している西ヨーロッパの軍事同盟であるNATO・北大西洋条約機構(反共に依拠したロシアの排除とドイツの非ナチ化のために、1949年の北大西洋条約により、核抑止力を持つアメリカを盟主として誕生した)がある。それに対して、東西冷戦の終結(1989年、ブッシュとゴルバチョフによるマルタ米ソ首脳会談で「冷戦は終結した」と宣言された)、東欧の民主化、1990年ドイツの再統一(東西ドイツの統一)、ソビエト連邦の崩壊により1991年に解体したが、それまで東欧諸国の軍事同盟ワルシャワ条約機構(WTO)が存在していた。それが解体したとは言え、ロシアはもちろんのこと中国も、現在、世界第2,3位の軍事大国である。両国とも、国連安保理の5大常任理事国に属している。
一部国家支配上層の意思によって動員することができる巨大で強大な軍事力を持つ民族国家は、次のような事態を惹き起こす――(私が調べた限り)1968年のチェコスロバキア変革運動(プラハの春)時に、民族国家を前提とした1648年のウェストファリア条約で規定された「内政不干渉の原則」(国連憲章にも受け継がれている)を、ソ連が一方的に破ってチェコに軍事介入するに際して根拠とした原理(論理)が、「制限主権論」で、それは、「社会主義陣営全体の利益の為には(≪結局は、民族国家としてのソ連の権益および覇権を守り維持するという目的のためには≫)、そのうち一国の主権を制限しても構わない」(ブレジネフ・ドクトリン)というものである。「1979年のアフガニスタンへの侵攻でもこの論理が用いられた」。また、「内政不干渉の原則を尊重しつつも、人道的な保護を目的とする場合に限っては例外的に武力介入を伴う内政干渉が許容される」とする「人道的介入」も、「当事国政府に対する事前許可を得ない武力介入を正当化する」原理(論理)を根拠としているから、「制限主権論と軌を一にする」。イラクの石油利権の問題が根にあるとされる、そして同様にその根に繋がるとされるフランスやドイツやロシアや中国などが強硬に反対する中で、「人道的介入」を原理(論理)として惹き起こされた2003年のアメリカ・ブッシュによるイラク戦争も「制限主権論と軌を一にする」ものである。
(4−4)――「飢えた赤ちゃん 銃を突きつける子ども 日本人が見たイエメン危機」(ヤフーニュース、バズフィードジャパン、2019年1月6日)
「『子どもが戦争に動員されている』という情報は、本当だった。世界食糧計画(WFP)のイエメン事務所で働く山崎和彦さん(55)は2018年11月、中東のイエメンの首都サナアから、西部の港町ホデイダに向かっていた。(≪経済の世界性と民族国家の一国性を単位として動いている世界の中で、宗教的党派性にも規定された戦争の元凶である民族国家が介入することで、≫)イエメンでは2015年から、サウジアラビアなどの連合軍に支えられたイエメン政府軍と、イランが支援する反政府軍の間で、激しい内戦が続いている。山崎さんの仕事は、内戦によって引き起こされた食料危機にあえぐ人々に」、「物流を整備して人々に食料を届けること」である。「しかし、イエメンの主要港湾の一つで、WFPも食料の陸揚港としているホデイダまでの道のりは、厳しかった。約20カ所にわたって『子ども兵士』が銃をぶら下げた検問が設けられ、そのたびに書類を出して説明した」。「険しい山岳地帯」の「複雑な地形は、イスラム教全体では少数なシーア派の信仰などイエメン各地の多様性を育んできた一方で、大規模な軍事作戦が難しく、内戦を長引かせる一因ともなっている」。「検問を設けているのは、主に『フーシ派』と呼ばれるイスラム教シーア派の組織がつくる反政府軍」である。イエメンでは「今、人口の7割に当たる2000万人が食糧危機に陥っている。うち約24万人は緊急支援がなければ生命の危機に瀕する状況だ」。「山崎さんがたどり着いたホデイダの街は、ゴーストタウンのようになっていた。逃げられる人はすでに逃げ、残っているのは、避難するあてやお金のない人たちだけだった。戦争は社会のさまざまなセーフティーネットを剥ぎ取り、貧富の差を残酷なまでに拡大してみせる。貧しい人ほど、社会的に不利な立場に置かれた人ほど、より危険に直面し、犠牲になりやすい構造があるのだ」。このように、戦争によって身体的にも生活的にも一番痛手を受け、家族や親族や友人を死に追いやられるのは、全く何の責任もない大多数の被支配としての一般大衆である。「宿舎から数百メートル先に爆弾が落ちた。基幹病院のある地域の周辺でも、戦闘が起きた」。「忍び寄る飢餓2018年12月にスウェーデンで各派の協議が行われ、ごく一部での停戦が決まったが、(≪宗教的党派性にも規定された戦争の元凶である民族国家が存在し介入するため≫)全体の状況は改善していない」。「そこに忍び寄っているのが、飢餓だ。激戦地や険しい山岳地帯の奥など、食料などの支援を届けるのが難しい地域ほど、被害は深刻だからだ」。「イエメンはアラビア半島の南西端にある。北部や西部などは山岳地帯が広がって降水量が多く、農業が営まれてきた。サウジアラビアなどに広がる砂漠地帯と異なり気候面で恵まれていることから、古来緑豊かな『幸福のアラビア』と呼ばれてきた。とはいえ、近年は増える人口に食料供給が追いつかず、多くを輸入に頼ってきた。その物流が戦乱で寸断され、各地で飢えが広がっているのだ」。「イエメンには、独特な石焼き鍋の『サルタ』など、豊かな料理の伝統があるが、それを人々が楽しめる日々は去って久しい」。(≪宗教的党派性にも規定された戦争の元凶である民族国家が存在し介入するため、≫)「移動には上空を支配するサウジ軍の『許可』が必要」で、その許可を取るために、「国連職員であっても、車で移動するためには、まずサウジアラビアを中心とする連合軍に行き先と経路、車の種類とナンバーなどを事前に連絡」する必要がある。「地上は反政府軍の支配が続いていても、その上空はサウジやアラブ首長国連邦の戦闘機が飛びかい、制空権を握っている。戦闘機から撃たれないためには、事前に連絡を入れる必要があるのだ」。再び内戦が勃発したのは、「2015年のことだった。国民の4割を占めるシーア派の武装組織『フーシ派』の民兵が、首都サナアの大統領官邸を占拠して政権掌握を宣言」し、「支配地を広げ、イエメン政府軍との内戦」がはじまってからである。「シーア派の間では、中央政府に不当に虐げられているという感情が強かったのだ。フーシ派には、同じ(≪宗教的党派としての≫)シーア派のイランが支援した。ミサイルなどの兵器も供与しているとみられる。それに対抗し、サウジアラビアなどがイエメン政府軍に付いた」。「同じイスラム教でも宗派の異なる(≪宗教的党派としての≫)スンニ派の『盟主』を自認するサウジは、シーア派大国のイランを最大の敵とみなしている。そのイランが、国境を接するイエメンに地歩を築くことを許さない。それが介入の最大の理由だ。そして、イエメン内戦への介入を主導したのは、国防相でもあるムハンマド・ビン・サルマン皇太子だ」。「ムハンマド皇太子は、2018年秋にサウジのイスタンブール総領事館で起きた反体制派ジャーナリストの殺害を指示したのではないかとの疑惑が浮上した。しかし、サウジ国内では『側近の暴走』として側近らだけが訴追された。(≪経済の世界性と自国民族国家の権益保持のために≫)米国のトランプ大統領も皇太子の関与に関しては不問に付した。トランプ氏が、サウジの膨大な石油資源と資金力の前に目をつむったのではないかという疑いは、拭えていない。イエメン内戦も、サウジとアラブ首長国連邦という石油大国が政府軍を支え、米国と対立を続けるイランがもう一方を支えているだけに、(≪経済の世界性と自国民族国家の権益保持のために≫)米国も『テロ対策』の名目で一部で空爆を続けるほかは、停戦に向けた大きな動きを見せていない。こうして、イエメンの国内はズタズタになった」。「イエメンにはすでに、アルカイダ系の『アラビア半島のアルカイダ(AQAP)』や、『イスラム国(IS)』の支部が主に政府軍の支配地域で影響力を広げている」。
このような訳で、平和を求め(それ故に戦争を廃絶し)、飢餓と困窮をなくし、世界全体が幸福になるためには、過渡的課題と究極的課題を念頭に置いたところでの、国家論、すなわち革命論が必要なのであるが、その世俗的な究極像は、世界性を持つ生活に重きを置く大多数の被支配としての一般大衆における生活の普遍性と生活の不可避性を究極の党派性として、観念の共同性を本質とする国家の止揚・無化・死滅を伴う、個体的自己としての全人間の現実的な社会的な総体的永続的な解放を志向し目指さすところにしかないのである。その世俗的な究極像に対しては、バルトに引き寄せて言えば、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの教会に属するわれわれキリスト者は、神の言葉の第三の形態である全く人間的な教会の宣教、またその一つの機能としての神学において、ただひたすら、神の側の真実としてある、それ故に客観的現実性としてある、成就と執行としてある、永遠的実在としてある、「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする三位一体の神の第二の存在の仕方(性質、働き、業、行為、行動)、神の子(三位一体の神の起源的な第一の存在の仕方であるイエス・キリストの父が子として自分を自分から区別した子としてのイエス・キリスト自身)、啓示・和解、起源的な第一の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神コこそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおいて完了・成就された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和にのみ感謝を持って信頼し固執し固着し続けて、その純粋なキリストの福音を、あの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関の中で、志向し目指していくところにしかないのである。