北海道への旅――「お試し体験住宅」の生活と北海道旅行記(その6)
北海道への旅――「お試し体験住宅」の生活と北海道旅行記(その6)
7月8日(水)
晴。この日は、まずサロベツ原生花園をめざして出発した。この原生花園も、小清水原生花園と同じように「原生」とあるのだが、それは天然自然を意味してはいない。また、この原生花園は、ラムサール条約湿地であり、利尻・礼文サロベツ国立公園エリア内にある。
さて、私が、このサロベツ原生花園を訪れるのはこれで三度目である。以前、働いている時に夏季休暇をとって訪れたのは、二度とも8月に入ってからだった。その時には最盛期を過ぎていたと思うのだが、まだエゾカンゾウが今回よりももっと多く咲いていたように記憶している。一度目より二度目、二度目よりも今回と、エゾカンゾウについてだけみても直観的にも観察的にも非常に少なくなっきているように思える。今回は、群生して咲いているなと実感できる花や場所を見つけることができなかった。9月2日の日経電子版には、園芸植物ハナショウブの原種であるノハナショウブの自生地が急減している、という記事が載っていた。このノハナショウブも、この原生花園に咲く代表的な花であることは、「サロベツ原生花園 サロベツ湿原センター」のパンフレットを見れば分かる。このノハナショウブに関しても、以前来た時はもっと咲いていたと記憶している。
この原生花園は、天然自然の花園ではないことは先に書いたが、かつてここでは浚渫船で泥炭が採掘されていた。そのため、泥炭産業館も併設されている。また、ここサロベツの地名は、「昔アイヌの人たちがこの地域をサル・オ・ペッと呼んでいたことに由来します。日本語に訳すと湿原を流れる川という意味になります」、と湿原センターのパンフレットには書いてあった。WEB上のアイヌ語辞典等によれば、「サル」は「カヤ・葦(葦の生えている湿地帯も指す)」、「オ」は「〜に入る、〜を入れる(特に意味の無い場合もある)」、ペッは川、を意味していることになる。そうすると、アイヌの人たちの形態認識の仕方に従えば、サロベツは、「葦の生える川」、「葦の生えている湿地帯」を流れる川、「サル・オ・ペッ」、ということになる。湿原センターのパンフレットによれば、「1万年ほど前、サロベツ周辺は海とつながる大きな湖」で、「そこに生えた植物が枯れて、分解されないまま泥炭となって積み重なり、約6千年かけてできたのが今の湿原」、ということである。実際、サロベツ川がサロベツ原野を蛇行しながら、幌延ビジターセンターの近くにあるパンケ沼(野鳥観察舎と展望デッキのあるパンケ沼園地まで木道が敷設されている、駐車場はビジターセンターの方にも園地の方にもある)まで流れている。ここで、興味を惹きつけるのは、「サル」という言葉である。『古事記』(次田真幸、講談社)によれば、大和朝廷が支配した現世的な日本本土自体、「稲の生育に適した」葦の生える国だった、「あらゆる現世の人々」が生きている「葦原の中津国」だった。なお、パンケ沼園地は、以前訪れた時の体験に基づいて言えば、ある時間帯には、誰もいなくなって、自然の音しか聞こえてこない場所となる。また、WEB上のアイヌ語辞典等に基づいて言えば、パンケ沼は、サロベツ川の<下の方向>・川下にある沼、ということになる、パンケ沼はまさにその通りなのである、そしてまた、「沼・湖」は、アイヌ語で、両者共に「トー」と言う。
私たちがこのサロベツ原生花園を訪れた時には、人は少なく、十人弱しかいなかった。まさに、閑散としていた。そのため、当然にも、この場所には、中国系の観光客は訪れてはいなかった。今回以降、北海道への旅――「お試し体験住宅」の生活と北海道旅行記で書くことになる、多くの中国系の人たちが観光に訪れていた美瑛町の四季彩の丘や中富良野町のファーム富田とは全く異なる光景だった。
この日の私の計画失敗談――それは、18時前後にはお試し住宅に帰ることができるということで計画を立てて出発したのだが、サロベツ原生花園に行く前に、洗濯ものを乾燥させようと徳田地区商業エリア内にあるコインランドリーに寄ったことにある、また名寄市お試し住宅使用料3,500円を支払うために郵便局にも寄ったことにある。そのため、目的地に向かうことができたのは、10時頃になってしまった。まず、無料の名寄美深道路を走り、国道40号で目的地に向かい、途中道の駅なかがわで昼食をとり(量が丁度よさそうだったので私はミニラーメン380円、細君は地元の豚を使った豚カツ定食880円を食べた)、目的地に着いたのが14時頃となってしまった。この時点で、秋田県男鹿半島のような断崖絶壁等の起伏美はないのだがこれぞ北海道の海岸線と実感できる日本海側を稚内市ノシャップ岬へと通じる道道106号(稚内天塩線、オロロンライン)を通って、宗谷岬と宗谷丘陵へと向かい、浜頓別町のクッチャロ湖を経由して、お試し住宅に帰る、という計画は取り止めることにした。計画失敗となった。
さて、オロロンライン(私は知らなかったが、狭義には、天塩町までをオロロンライン、天塩町から稚内市までを宗谷サンセットロード、と呼ぶらしい)は、自動車で走ると爽快な気分になることができる道路で、少なくとも幌延ビジターセンターから日本海側に出て稚内市までは、一度は走ってみる価値がある道路である。電柱がほとんどない、左手には日本海の海岸線と利尻富士を、右手には原野を、眺めることができる広大な自然の中をほとんど直線的に延びた道路で、交通量も多くはなくほんとうに気持よく走ることができる道路である。ただ、逆に言えば、速度超過になり易いところなので、交通安全と交通取り締まりには注意を要する。
前述したような訳で、時間的に余裕がなくなり、これは最初から計画していたことであるが、サロベツ原生花園のある豊富町の豊富温泉(町営温泉入浴施設ふれあいセンター)で入浴して帰ることにした。私は65歳以上で380円、細君は65歳未満で510円であった。毎月26日は「ふろの日」で大人が250円になるということであった。この源泉掛け流しの豊富温泉には、一般浴場と湯治専用浴場があった。この温泉は、石油の試掘によって開湯した温泉で、また「放射性ラジウムエマナチオン(ラドン)を含む(含有率は世界第6位)硼酸油性食塩温泉と呼ばれ、貴重な薬効成分を豊富に含有した比類なき良質の温泉」で、皮膚病の湯治客が多い、ということである。
さて、名寄市に着いたらすでに19時を過ぎていたので、この日は、徳田地区商業エリア内にあるイオンに寄り、2割引きのキャベツ入りたこ焼126円と鰻入り握り寿司544円、5割引きの穴子押寿司205円、値引きなしのごぼうサラダ(小)138円を購入し、お試し住宅に帰って食べた。私の細君は免許証を持ってはいても運転はしないので、ずっと運転していた私は疲れて、食事を済ませ少し休んでから布団に入った。
この日のサロベツ原生花園の様子は、下記の写真の通りでした。手前に一輪咲く黄色い花はエゾカンゾウです。後方に利尻富士が望めます。
7月9日(木)
晴れ。この日は、名寄市にある薬用植物資源センターに行った。受付に置いてあるノートに自分の住所と氏名さえ書けば、無料で見学できる。
私は持続性心房細動という持病を持っているのだが、この場合、心臓の機能が二割ばかり低下しているということである。そのため、かつて岐阜県多治見市に住んでいた時に通院していた医院のお医者(循環器専門)さんから強心剤のジキタリスと抗血小板剤のバイアスピリンを処方されていたのだが、定年退職と同時に引っ越しをした場所にある現在私が通院している医院のお医者(循環器専門)さんはそれは古い治療の仕方であるということで、現在は、全身性塞栓症の発症抑制剤・抗凝固薬のエリキュースと頻脈抑制剤・ベータ遮断薬を服薬している。そのため、以前は時々起っていた頻脈性心房細動の発作はなくなった。このことを考えると、持病持ちの人は、お医者さんの知識の量・質と自分の病気治療に適したお医者さんとの出会いが大切なことが分かる。公益財団法人の日本心臓財団のホームページには、やはり「内服による心房細動のレートコントロールでは、ジギタリスは運動時の心拍数上昇を抑えないため」、「ベータ遮断薬が第一選択となっています」、とあった。なお、同じホームページには、「ゴッホの作品に黄色が多用されている(緑の野原を黄色に描いています)のは、てんかんに対して処方されていたジギタリスの副作用である黄視症の影響と主張する学者もいます」、とも書いてあった。しかし、全くの素人であるが、私が考えるには、画家の中には、色覚が異常であるか正常であるかに関係なく、<緑色>を主題として作品形成をしている人もいるから、そのように断定することはできないに違いない。言い換えれば、ゴッホは、意識的に<黄色>を主題とした作品形成をしていた、という言い方もできる。ゴッホ研究者は、どのように批評しているのだろうか?
昼、薬草園からの帰りに、西條名寄店の1階にあるペリカンで昼食をとった。細君はグラタンセット880円、私は寿司6貫と味噌汁680円とそば200円、を食べた。それと、この日は少し暑い日だったから、カキ氷メロン180円を食べた。昼食後、この西條でまるごと有機うどんを購入してから、道の駅もち米の里なよろに寄り、サニーレタス、ピーマン、スナップエンドウ、ミニトマトを購入し、それから2個166円のよもぎ大福(甘さ控えめのこしあんで大きくて美味しい)も購入して、お試し住宅に帰った。少し休んでから、19時30分までに名寄市立天文台へ行くために、日本そばと野菜とよもぎ大福を食べて出かけた。プラネタリウム投影(「オーロラの調べ 神秘の光を探る」――自分がその映像の中にいるような感じにさせる、迫力のある映像だった)は20時からということで、天体望遠鏡のある階まで行ったら天文観測の専門員の方が、それまでの間に望遠鏡で土星を観察させてくれた。土星には環(輪)があって、その環(輪)の間には「カッシーニの間隙(カッシーニのすき間)」があるということなのだが、望遠鏡をのぞいて私が確認できたことは土星の環(輪)だけであった。確かに、土星の環(輪)がはっきりと見えた。プラネタリウムが終了した21時から再び天体観察の説明を望遠鏡を使って行ってくれた。東の方の夜空には、一等星で一番明るく輝く星――こと座のベガ(目印として、そのすぐ右下方に平行四辺形を形づくる四つの星が見える)があり、さらにその延長線上左下方には一等星のはくちょう座(十字形をしている)のデネブがあり、その延長線上少し遠方右下方にはわし座のアルタイルがあり、これら天の川の中で輝く一等星のベガ(織姫星)・デネブ・アルタイル(彦星)が「夏の大三角」を構成している。そのほか、夜空にレーザーポインターを照射して星座等を説明してもらえた。また、例えばM11という散開星団も観測させてくれたりする。このM11は、肉眼では星が散開していることは分からないが、望遠鏡を通して見ると、散開した多くの星の集まりであることが分かる。参加したある人が、「万華鏡のようだ」、と表現していた。天体観測中には、人工衛星や流れ星も見ることができた。21時から21時30分頃まで天体観測をさせてもらったのであるが、私は、今まで興味関心を持ち意識して天体観測をしたり天体に関する知識を得たことが全くなかったので、それゆえにその観測術や知識に関しては全くの素人であったから、天文観測の専門員の方の分かりやすい説明を聞くことができたことで、ほんの少しだけではあるが、天体観測に興味関心を持ち、その観測術と知識を得ることができたことは、ほんとうによかったと思い、感謝をしている者である。これだけでも、名寄市のお試し住宅が利用できて、ほんとうによかったと思う。一人分の無料券を頂いていたので、410円/人を支払うだけでよかった。機会があれば、また訪ねたい場所である。なお、夏の天体観測に関しては、虫が多いから虫よけが必要である。虫よけには、身体の露出した部分にほんの少量ハッカ油を塗るといい、と天体観測の専門員の方が教えてくれた。そして、そのハッカ油を少し手のひらにくれた。
この日は、北海道大学が所有する、ピリカ望遠鏡(公開天文台としては国内で二番目の大きさの望遠鏡らしい)は公開されなかったから、残念だった。因みに、ピリカとは、アイヌ語で、「良い、美しい」等を意味しているらしいから、ピリカ望遠鏡ならばもっと精度よく天体観察ができるに違いない。 お試し住宅帰った時には、10時を過ぎていた。この日は疲れたので、帰ってから音波式電動歯ブラシ(ごしごし磨かなくてもいいということで、心房細動を研究している掛り付けの内科医院のお医者さんに教えられた)で歯を磨きすぐに布団に入った。
名寄市のお試し住宅の生活体験期間も、中標津町のそれと同じように、移動日の7日(火)と和寒町のわっさむエココテージへの移動日の13日(月)を含めて7日間であった。そのため、中標津町の場合もそう思ったのだが、<短期的>なお試し住宅生活体験ではあっても、移動日もあるし休息日も必要であるし余裕をもって旅行をするためには、私たちが立てた計画からすれば、ほんとうは、最短の使用契約の場合でも2週間は必要であった。もしも、私たちが、ここを再度利用することができる機会が与えられたならば(というのは、希望者が多い場合、抽選となるから)、その時には、私たちは2週間で契約するに違いない。また、今回は初めてのことだったので、ワゴン車ではない私の普通車に余分なものをいっぱい積み込んでしまったのだが、今回の体験で実際的に何が必要かが分かったから、次回には余分なものは積み込むことないと思う。このような訳であるから、その機会があれば、その時には、ワゴン車ではない私の普通車にも、何とか圧縮した蒲団を積み込むことができないかどうか、再度、工夫をしてみたいと思う(何回目かの記事で、私の普通車では圧縮した蒲団も積み込むことはできない、と書いたが、今回の記事を書いていて何とか言い方法を見つけ出す工夫をしてみようと思うようになった)。工夫をして圧縮した蒲団を積み込んで出かけることができれば、その場合、この名寄市のお試し住宅ならば、お試し住宅の使用料は、500円/日・棟×14日間=7,000円だけで済むことになる。