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北海道への旅――「お試し体験住宅」の生活と北海道旅行記(その1)

北海道への旅――「お試し体験住宅」の生活と北海道旅行記(その1)

 

 

 7月1日(水)の11時にフェリー(7月17日までは、フェリー代が格安)で苫小牧西港に着き、日高道沼ノ端西IC→道央道苫小牧東IC→千歳恵庭JCT→道東道足寄ICから一般道を走って中標津町にある「お試し体験住宅」に到着したのは、18時頃であった。そのため、当日は、夕食はつくらないで「お試し体験住宅」にいちばん近いAコープけねべつ(計根別)店で夕食を購入して食べることにした。
 この「お試し体験住宅」(2人以上で宿泊することが条件としてある)は、宿泊代・蒲団代・清掃代・水道光熱費代等全て込みで29,000円/1週間・2人(3LDKで6人くらいは宿泊できるので、6人で行けばさらに格安)である。ただ、トイレは簡易水洗トイレ(はじめて見、はじめて体験した)で、朝9時頃から夕方5時頃までは道東の各所に出かけていたのでよかったが、ずっと下水道設備の整った住宅に住んでいる私には、トイレのまわりのトイレ臭が少しきつかった。しかし、安いから贅沢なことは言えないだろう。本当のことを言えば、この道東に関しては、町の中心部まで車で5分ほどという清里町の新しく便利そうな「お試し体験住宅」<羽衣棟>に申し込んだのだが、抽選で外れてしまった。
 さて、やはり、北海道の夏は本州とは違っていた。この中標津町は、朝晩、寒かった。この「お試し体験住宅」にいる間のことであるが、朝晩は寒く、6泊7日の内で4回、朝晩にストーブを焚いた(7月1日に「お試し体験住宅」に案内された時、担当の方がストーブを利用できるように設定してくれた)。
 なお、はじめて知ったことであるが、途中、休憩のために立寄った道の駅あしょろ(足寄)銀河ホール21には、松山千春ギャラリーがあった。松山千春は、足寄町出身らしい。
 2日(木)は、前日の移動で少し疲れたので、食料の買い出しだけにした。食料を含めて生活用品がすべてそろった東武サウスヒルズ中標津というスーパーがあった。ただ、このスーパーまで「お試し体験住宅」から車で30分くらいかかる。この所要時間は別にして、中標津町には、コープ札幌中標津店等々もあったし、町立中標津病院という総合病院もあったし、中標津空港もあった。
 「お試し体験住宅」の周辺から中標津町のことを知るとすれば、中標津町はまさに酪農の町であるということを、実感的に知ることができる。中標津町は酪農の町、町の匂いはもちろん、風景も、道も、そうである。しかし、この場所は、社会構成や支配構成の時代水準のただ中で、酪農を不可避的な生活の基盤としている人たちの喜怒哀楽の場所である。それまで静まり返っていた2日(木)の早朝に分かったことであるが、北海道は日の出の時間がはやく日の入りの時間がおそいからか、早朝からトラック(?)やトラクター(?)が動き出していた。
 余談になるが、芥川龍之介は、『大川の水』という作品を書いている。「自分は、大川端に近い町に生まれた(≪「東京下町」の「体裁を繕ふ為により苦痛を受けなければならぬ中流下層階級」の家庭に生まれ、そのことに対する「嫌悪感」・「劣等感」とそうした自分に対する「罪意識」を抱いた≫)。……幼い時から、中学を卒業するまで、自分はほとんど毎日のように、あの川を見た。水と船と橋と砂州と、水の上に生まれて水の上に暮しているあわただしい人々の生活(≪「生活的人間」、そうした下町下層庶民に「願望」と「慰安」≫)とを見た。真夏の日の午すぎ、やけた砂を踏みながら、水泳を習いに行く通りすがりに、嗅ぐともなく嗅いだ河の水のにおいも、今では年とともに、親しく思い出されるような気がする」・「自分は、昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落したいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした。この心もちのために、この慰安と寂寥とを味わいうるがために、自分は何よりも大川の水を愛するのである」・「この三年間、自分は山の手の郊外に、雑木林のかげになっている書斎で、(≪「芸術的人間」・「知識的人間」として≫)平静な読書三昧にふけっていたが、それでもなお、月に二、三度は、あの大川の水をながめにゆくことを忘れなかった。動くともなく動き、流るるともなく流れる大川の水の色は、……ちょうど、長旅に出た巡礼が、ようやくまた故郷の土を踏んだ時のような、さびしい、自由な、なつかしさに、とかしてくれる。大川の水があって、はじめて自分はふたたび、純なる本来の感情に生きることができるのである」・「もし自分に『東京』のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのになんの躊躇もしないであろう。ひとりにおいのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する『東京』の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、『東京』を愛し、『東京』あるがゆえに、生活を愛するのである」(『大川の水』)。吉本隆明は、次のように述べている――「わたしがおおく反撥したのは芥川の自殺にいたる道程を社会思想的な行きづまりだという考えと、芥川の文学的本領は芸術のための芸術にあるという通説とであった。芥川の全生涯の作品をひと通りたどったものは誰でも、芥川自身が自分を<芸術的人間>〜<生活的人間>のはざまにに位置づけ、あるばあいにはこの二つの矛盾に引裂かれ、あるばあいにはその一方に吸引されては、他の一方から引き戻されるといった繰返しとして、じぶんで位置づけているのをはっきり理解できるはずである。(中略)<芸術的人間>〜<生活的人間>の混融と矛盾と反撥しあいのなかに、(≪自殺の問題等≫)芥川的問題の核心はあった」(『悲劇の解読』「芥川龍之介」)。『吉本隆明全著作集7』「芥川龍之介の死」・『匂いを読む』「芥川龍之介のばあい」。

 

 下の写真は、「お試し体験住宅」付近の風景です。この広大な風景写真だけで、酪農の町中標津町を垣間見ることができるでしょう。2日(木)、町の中心部(東武サウスヒルズ中標津・コープ札幌中標津店等々)と源泉掛け流しの養老牛温泉湯宿だいいち(日帰入浴600円/人――ナトリウム・ナトリウム塩化物・硫酸塩泉)に出かけた時に撮影した写真です。