日本の原像――吉本隆明と梅原猛(その2 「ロゴスの深海――親鸞の世界」)
梅原猛・吉本隆明『対話 日本の原像』中央公論社に基づく
(その2)「ロゴスの深海――親鸞の世界」
先ず、梅原は、日本が仏教を受け入れていく基盤として、「国家神道という枠ではくくれない」、原日本の「土着の宗教思想」・原始神道・自然宗教を考えている。この土着の信仰の原型は、「アイヌとか沖縄の信仰に残っている」。それは、人間は死ぬと、魂が肉体を離れて「山に行」き、そこで「魂が浄化されて」、「先祖の待っている」「天に行く」、そして「いつかその魂は子孫になって還ってくる」、という考え方(「来世思想」)である。この場合、死は、「あまり恐ろしくないこと」である。「八重山」に、「此の世は仮の宿だからあちらの世界に生きなさい」、という「死者を送る言葉」がある、という。アイヌにも、そういう思想がある、という。こういう考え方の中に、仏教が死後における「浄土」という概念を導入した、理論づけた。吉本も、「日本土着の思想にはあまりいい言葉」がなかったから、仏教が「浄土」という概念を与えた、と述べている。また、「来世信仰」・「原始的な日本の宗教」は、人が死ぬと、魂が肉体から離れて(『維摩経』・『勝鬘教』)、山の頂きか・海の彼方の島かに行って、その魂がまた村里・「村の誰かのところに帰って来れる」という信仰が、仏教の「輪廻思想で立体化される」、と述べている。
梅原によれば、阿弥陀浄土の典型が熊野であり、熊野の本宮の神は阿弥陀仏の権現である。したがって、「熊野参りは神さま参りであり、同時に阿弥陀浄土信仰である」。この土着の宗教(神)と結びついた浄土教を、「純粋仏教」に帰すところに、「法然と親鸞の日本の思想史の中における意味がある」。吉本によれば、親鸞は、『三経義疏』を著わした聖徳太子を「倭国の教主」と呼んで、「衆生の心の中に如来蔵があること」が説かれている『勝鬘教』と、「煩悩の中に如来の種子がある」ことが説かれている『維摩経』に惹かれた。『法華経』もよく読んでいた。
梅原は、「何万年前には、地球上に普遍的に存在していた」「日本の古代宗教の姿をもっとも残すと見られる」アイヌの宗教について、次のように述べている――「熊も木も貝も」、「天国では動物も全部人間の形で生きている」・「その熊や木や貝がこの世の中に現われて」、「熊になり、木になり、貝になる」。「なんのために」?――「それは自分の身をあげる」ためにである。それが身あげ(みやげ)」である。神は、「熊の形、木の形、貝の形をとって、この世にやって」くる。したがって、「それをみやげとしていただいて、そのかわりその魂をもういっぺん天に送」る。「こういう宗教儀式が古代日本の宗教の中心儀式になっていた」。梅原は、近代主義的な人間の感覚や知識を内容とする経験に依拠すれば、「これは信じがたい」ことである、と述べている。しかし、一方で、近代主義的世界の現実と時代が強いる課題を考えるとき、そういう思想は「素晴らしい考え方のような気がしてしょうがない」し、「すごくひかれれる」、とも述べている。また、吉本も、@「歴史的イエスをどこまで限定できるかとか、できないとか、そういう立証のしかたや歴史観があるわけでしょう。ぼくはいまでもそれほどの重要性があるとはおもってないんです。それからそれがほんとうに、そういうふうに実証できているともおもえない」と述べ(『信の構造2―全キリスト教論集成』)、A「神話にはいろいろな解釈の仕方があります。比較神話学のように、他の周辺地域の神話との共通点や相違点をくらべていく考え方もありますし、神話なるものはすべて古代における祭式祭儀というものの物語化であるという考え方もあります。また神話のこの部分は歴史的〈事実〉であり、この部分はでっち上げであるというより分け方というやり方もあります。そのどの方法をとっている場合でも、この説がいいということは、いまのところ残念ながら断定できません。プロ野球で三割の打率があれば相当の打者だということになるのと同じように、神話乃至古代史の研究において、打率三割ならばまったく優秀な研究者であるとわたしはおもっています。じぶんでそれ以上の打率があるとおもっているやつはバカだとかんがえたほうがいいとおもいます」、とも述べている(『敗北の構造』「南島論」)。そしてまた、カトリック作家の小川国夫も、吉本の「あなたはキリストの復活、再臨を信じているのですか」という問いに対して、イエス・キリストにおける信による、信の否定の否定において、すなわち不信を包括し止揚した信において、「信じています」と答えている。このように、彼らは、質のよい思想家の貌を持っている。それに対して、近代主義を骨肉にまで受け入れたキリスト教的著述家の佐藤優は、一方通行的な皮相的な言葉で、「神学がなくても信仰は成立しますが、高等教育を受け、『天にいる神』をもはや素朴に信じることができなくなったわれわれには神学(≪知識≫)が必須です。われわれは『天にいる神』をほんとうに信じていませんが、ほんとに信じていないことを口にしてはいけないというのが、キリスト教信仰の第一の前提です。だからこそ神学(≪知識≫)が不可欠なのです。神学的な操作(≪非神話化等の操作≫)を経ない限り、われわれは古代の世界像をもっているキリスト教を信じることはできないということです」、と述べている(『はじめての宗教論 右巻・左巻』)。この語り方は、佐藤が、神学における思想や本質的な三位一体論を持たないだけでなく、近代主義に抗しない近代主義的な自然神学的な著述家であることの証左である。それよりは、すなわち佐藤自身の恣意的な薄っぺらな「存在者レベルでの神への信仰」よりは、「むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がいい」に決まっている(木田元『ハイデッガーの思想』)。
最後に、「日本のアカデミズム」の限界性について、両者とも次のような共通認識を持っている――仏教学者の「石田瑞麿さんが……親鸞のこの読み方は間違いだと指摘しているところがあるんですけど」、「親鸞のことを研究するのに親鸞が読んだ読み方を間違いだというのは、おかしい」。なぜならば、親鸞は、不可避的にそう読む必要性から「わざとそう読んだかもしれない」からである(吉本)。「中国の禅を調べてみると『心塵脱落』」とあって、道元の「身心脱落」という言葉は出てこない。それは、道元の造語であって、道元の個性・独創性である(梅原)。バルトが、ローマ書3・22等の「イエスの信仰」の理解について、自然神学の系譜に属する既存の目的格的属格理解を揚棄して、主格的属格理解に立脚したその言葉は、時代を越えて現在から未来に生きるための、現実と時代から強いられた、彼自身の個性・独創性・思想の言葉である。それは、根本的で究極的な宗教改革を目指す言葉である。
さて、梅原猛は、『地獄の思想 日本精神の一系譜』中央公論社において、「地獄の思想」について、次のように述べている。
1)「俗仏教」、現世利益優先の新興宗教における善因善果・悪因悪果という因果応報的な地獄・極楽の思想には、「軽蔑の眼を投げてもよい」。
2)地獄思想と極楽思想は「別の思想」であって、地獄思想は極楽思想よりも古く・規模が大きく・近い、ものとしてある。地獄は、地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、生老病死の四苦・八苦の世界である人間道、煩悩も死もある天道、という六道の一つである。この六道は、煩悩の世界、死の世界、解脱できない世界、「否定の世界」、「苦の世界」である。それに対して、極楽は、遠く「西方十万億土のかなたにある国」・世界である。
3)地獄の思想の起源は、「紀元後一世紀ころ」である。この地獄の思想は、「仏教のほとんどすべての宗派において存在する」。しかし、「死後に人間が行く西方浄土、極楽を説くのは、仏教においても浄土教」系のみである。したがって、極楽絵図は、「浄土教の寺にしかみない」。確かに、人生・生活は、喜怒哀楽の連続性に、苦と楽の弁証法に、ほんとうの実姿があるから、ここで、地獄とは、対象化された煩悩・苦悩の純化された世界である。すなわち、その場合、現世は、煩悩・「苦悩の場所、地獄」である。
4)仏教の中から大乗仏教が出現したのは、「人生否定の哲学から、ふたたび人生肯定の哲学にかえろうとしたから」である。そして、「法華経、華厳経、大日教など」が生み出され、「永遠の生命の思想に達した」。この「永遠の生命の思想は密教において頂点」をなし、その場合、「釈迦のかわりに大日」如来が尊敬された。このように、大乗仏教には、人生「否定の哲学」と「肯定の哲学」を同在させている。
5)アイヌ、琉球の原日本人・「原始的日本人は、おそらく楽天的な生命肯定の思想に生きていた」。そして、「このような自然的神崇拝に生きていた日本人に、仏教は、より思弁的な否定の哲学と肯定の哲学を同時に与えた」。
6)「日本の思想を流れる……三つの原理」は、
第一に、「生命の思想」であり、それは、自然生における自然崇拝(自然宗教)としての原始「神道(≪「多神的な自然崇拝≫)と密教(≪「多を統一する宇宙神」・「大日如来」・自然神の崇拝≫)」に係わる。密教が「日本の土地に根づいた」のは、それが原始「神道と思想を共通」にしていた点にある。密とは、自然的な「素晴らしい生の力」であり、それは、「自然のなかにあるとともに、われわれの身心のなかにもある」。この密教によって、初めて「神仏混合」がなされた。
第二に、「心の思想」・「唯識学」であり、それは、「感覚的意識」、「理性的意識」、「無意識的意識」、「宇宙的意識」という「心についての詳細な分析」学・段階論である。「華厳にせよ、天台にせよ、密教にせよ、すべてこの心の論を教説の中心部にすえている」。
第三に、「地獄の思想」であり、それは、天台(最澄)が日本に「もっとも深く普及させたものである」。すなわち、それは、六道の「観相」、人間の「煩悩の相」・「煩悩の姿、迷いの姿、魔の姿」の「凝視」である。なぜならば、「煩悩にしばられていては菩提はなく、煩悩をはなれても菩提はない」からである。
7)親鸞は、恵心僧都源信以来の「死者の救済者」としての阿弥陀仏と、源信以来もっとも尊重された『観無量寿経』をしりぞけた。「『阿弥陀経』もあまり著書に引用していない」。すなわち、親鸞は、「正定聚」の境位の世界を重視した。「生者のための仏」・阿弥陀仏を重視した――「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終をまつことなしに、来迎をたのむことなし。信心のさだまるとき、往生また、さだまるなり。来迎の儀式をまたず。正念というのは、本弘誓願の信楽さだまるをいうなり。この信心をうるゆえに、かならず無常涅槃にいたるなり。この信心を一心という」(『末燈鈔』)。また、親鸞は、『大無量寿経』を中心的経典に置いた。すなわち、「本当の阿弥陀仏は、死においてではなく、生においてわれわれに語りかけてくる阿弥陀仏」である。したがって、「死においてわれわれの前にあらわれてくる阿弥陀仏」は、「真の阿弥陀仏の化身」である。
吉本隆明に依拠して言えば、親鸞にとって往相過程と還相過程を構造化し得る場所は、浄土と現世の中間、死後の浄土――この「真の〈悟り〉の世界」・浄土は、人間の意識が喜怒哀楽もない生死もない「無機物に移行したときの意識状態にいちばんよく似ている」――に対して現世における「化身土」・「仮仏土」へ移行したところにある「正定聚」の境位の世界にあった。この「正定聚」の世界は、「真仏土(阿弥陀仏の西方浄土)」・罪や穢れのない清浄な「真の〈悟り〉の世界」ではないが、そこへの入り口としての仮の仏土の世界・仏になり得る資格を有した世界である。またその世界は、生と死の「中間」の場所で、「生の方も照らし出せるし、死の方も照らし出せる場所」である。浄土が見えて、現世も見える「死の場所」である。また、親鸞にとって真実の信仰とは、一切の自力の計らいを為すことなく、「阿弥陀如来の光の中に」包摂され、そしてその「光の中に包まれたときに」、阿弥陀仏の「五却思惟の願」における第十八願が遂げられるところにある。ここに、形も色もなく「無」である阿弥陀仏の方からやって来る「信楽」がある。ここに、親鸞の最後の思想の「自然法爾」がある。それは、「おのずから」「弥陀の本願の光明」(無碍光)に包まれて称名念仏を為し得る場所である、ということになる。一念義でも、阿弥陀仏の「おのずからの計らいでみな浄土へ往生できる(『大無量寿経』)」。第十八願の信仰は、不可避的に、「向こうから来るという形でしか……成り立たない」。すなわち、それは、人間が意志してもたらすことはできない(『吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」・「親鸞の教理ついて」春秋社、『未来の親鸞』春秋社、『今に生きる親鸞』講談社、『最後の親鸞』春秋社、『親鸞復興』春秋社、『日本の原像』)。
8)親鸞にとっては、「自分自身の悪」が、自分自身にある「深い煩悩」・「名利欲」・「虚偽の心」が、「愛欲ノ広海ニ沈没」する自分自身が、地獄の只中にいる自分自身が、問題である。このような「悪性かぎりない私がどうして救われることができよう」。したがって、親鸞にとって阿弥陀仏は、「なによりも悪なる人間を救う不可思議きわまる光であった」。親鸞にとって救いは、徹頭徹尾全面的に、向こう側から、阿弥陀仏の方からやってくるものであった。「われわれの救い」は、全く以て、「阿弥陀仏のはからい」によるものである。「阿弥陀仏が向こうの方から手をさしのべて、極悪非道なわれわれを救ってくれるのだ」。この意味で、「親鸞の教え」は、まさしく、バルトが言うように、「キリスト教の異教的証し」である。したがってまた、親鸞は、人間の本質としての悪を、自分自身の悪を隠蔽はしない、自分自身の本質的な深い悪・煩悩を、そしてそのことに対する絶望を凝視するのである(『教行信証』)。
9)親鸞は繰り返し、「われわれのごとき悪なる人間を救ってくれた阿弥陀仏を、ほめたたえ、その教えを聴かしてくれた法然をほめたたえる」、と述べている。ここでは、念仏は、「浄土を求める口称念仏」ではなく、「ただ阿弥陀仏の偉大な力をほめたたえる感謝の念仏」である。
10)親鸞は、「他力の信者が行く極楽」としての「真実仏土」と、自力作善の人が行く「化仏土」(「五百年間のあいだ、閉じ込められて仏をみない」「一種の極楽」)を分けたが、阿弥陀仏はどのような悪人をも救済する「絶対の慈悲を持った仏」であるから、「地獄」は喪失している。ここで、「真実仏土」と「化仏土」への差異化の基準は、善悪の行為にはなく、信仰の質にある。
11)東洋の地獄と西洋の地獄の差異
「仏教において、地獄は……苦の世界である」。そして、「地獄は……人間に世界の真相を教えるものである」。それに対して西洋の「強烈な地獄のイメージ」をもたらした「キリスト教にとって、地獄は……罪の世界である」。「キリスト教にとって、人間は原罪を背負うものである以上、地獄へ落ちる可能性を持つが、キリストを信じることによって、この地獄行きから解放される。したがって、キリスト教の地獄は人間の本質と深くかかわり合いをもつものではない。信仰を持つ人は、地獄に落ちる人を冷たくながめることができる」。この梅原のキリスト教理解は、自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教、それを支える神学者・牧師・著述家たちの言説に対しては、正当性のある理解である。言い換えれば、この梅原の理解の責任は、梅原自身に帰すことはできないものである。また、自由、人権、民主主義、共同の幻想を本質とする政治的近代国家・民族国家という近代的な概念は、自然神学の系譜に属する「キリスト教という宗教の産物」であり・「神のアナロジー」であり、その意味でキリスト教は「世俗的な価値の起源」である、と述べた橋爪大三郎の『ふしぎなキリスト教』も、正当性がある。なぜならば、自然神学の系譜に属する神は、対象化された人間の自己意識の類的本質あるいは意味的世界や人間の管理するプログラムとしての神(フォイエルバッハ)・「存在者レベルでの神」(ハイデッガー)・その神への信仰でしかないから、その意味で自由、人権、民主主義、共同の幻想を本質とする政治的近代国家・民族国家は自然神学的な「キリスト教という宗教の産物」であり「神のアナロジー」であるからである。しかし、このことは、一般論として語られてはならず、自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教と、バルトの「超自然」な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教との厳密な差異性のもとで語られなければならない事柄なのである。したがって、この後者の「超自然」な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教からすれば、梅原や橋爪のキリスト教理解は間違っている、と言うことができる。さらに、梅原の言う「キリストを信じる」「信仰を持つ人」は、「超自然」なバルトの信仰・神学・教会の宣教・キリスト教においては、本質的にあり得ないことである。なぜならば、キリスト者を含めて人間はすべて、徹頭徹尾全面的に、無神性・不信仰・真実の罪、自主性・自己主張・自己欲求、を本質としているからである。また、「超自然」なそれにおいては、神自身による善人や悪人に対する「万人の裁き」はあっても、地獄はあり得ない。なぜならば、全人間・全世界・全人類の救済と平和は、徹頭徹尾全面的に、神の側の真実としての、イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済(史)=啓示の客観的現実性、に根拠づけられているからである。この救済と平和は、神の側の真実の方からのみやってくるからである、すなわち自力の信仰や意志は通用しないからである。バルトの「超自然な神学」においては、神の側の真実=イエス・キリストの啓示=啓示の実在==啓示の真理、永遠=超歴史=啓示の時間=救済史は、常に、徹頭徹尾全面的に、神と人間との無限の質的差異の下で、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰=信仰告白・教義、人間の時間・歴史の、彼岸・外にある。ここに、私たちは、一切の近代主義・一切の自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教に抗する、神学における思想家バルトの貌を垣間見ることができる。
余談として――
小保方晴子問題の報道を見ていると、そして再調査棄却(最終的に懲戒免職?)を決定した調査委員会の委員の中にも、かつての論文で切り貼りをした奴が三人いるということを考えると、共同体至上意識がいつも個体性を越えていく日本的(アジア的)共同性の問題が、まだ根強く残っている、と言うことができる。小保方は、どんな手段を使っても、徹底的に、理化学研究所組織とたたかって、その研究所組織を叩き潰してもらいたいと思えてくる。しかし、その場合、小保方自身は疲弊してしまうだろうな、とも思える。そのことを思うだけで、自分自身も疲れてくる。しかし、組織に対して個としてたたかっている小保方には、頑張ってもらいたいと思う。<国民>に対して一つくらい嘘をついて何が悪い、とうそぶいた小泉純一郎に比べたら、どうっていうことはないことである。小泉の場合とは違って、小保方の場合は、国民諸個人を現実的に侵害することにはならないから、すなわち小保方自身の研究実績の問題であるから、もう一度、地道な実験を積み重ねて研究していく機会と場所を与えてやればいいことである。
神的側面と人間的側面の構造としてあるイエス・キリストを頭とする教会も、それが人間的側面における教会である限り、その人間的側面としての教会は、一方でどんなに平和な事・綺麗事を語っていても、その存在、その思考、その実践は、「私利、私意」(マルクス)の精神が支配する市民社会の縮図においてあるから、世俗主義の只中にある。すなわち、人間的側面における教会・教団には、権力闘争はある、利害の対立はある、貧困格差はある、差別はある、大学閥がある、貧乏教会も富裕教会もある、党派主義・学派主義・宗派主義・教派主義はある、高賃金牧師も低賃金牧師もいる、高い退職金牧師も無退職金牧師もいる(私の聞いた話によれば)、淫乱もある、煩悩が渦巻いている、等々、という具合である。私の体験から言えば、ある教会(組織)のホームページに牧師に問い合わせ歓迎とあったので、聖書研究に出席したいと思っていた私はメールで問い合わせをしたが、全くの梨の礫だった。おそらく、その自然神学的な教会の牧師は、「私利、私意」から返信をしなかったに違いない。また、「後任牧師の選任」基準を、「外国留学」と「学位」においている教会がある、という(『「断片」の神学』)。この「後任牧師の選任」基準における意識構造も、佐藤優の高等教育を受けた者と受けなかった者とに分けて信仰・神学・知識の差異性を語る語り方も、まさしく未開心性として天皇制的な意識構造に通底しているものである。このように、近代主義を骨肉にまで受け入れているとしても、それが観念を本質としている以上、未開心性を温存させていることはあり得るのである。したがって、私たちは、知識人、神学者、牧師、著述家、の知識や、党派・学派・宗派・教派の知識や、メディア情報を、そのまま鵜呑みにしたり模倣したりしてはいけないのであって、必ず、自分自身の信仰体験、神学、思想、生活、実感、喜怒哀楽、知識を介して考えてみる必要があるのである。