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日本の原像――吉本隆明と梅原猛(その1 「日本精神の深層」)

梅原猛・吉本隆明『対話 日本の原像』中央公論社に基づく

 

(その1)「日本精神の深層」

 

 先ず以て、吉本も梅原も、表現の違いはあれ共に、人類史において世界普遍的に存在したその母胎・母型・原型であるアフリカ的段階・縄文的段階にまで遡及し考察する必要性を述べている、その段階を歴史的批判的に調査し解明することを述べている。
吉本――
1)共同幻想の問題、すなわち制度的政治的問題の観点からすれば、「日本の歴史」と、経済的基盤を農耕に置き、人類史のアジア段階概念における生産様式論、すなわち土地は村落の所有、さらには総括的な共同体の統括者・専制君主のものという土地の総括的な共同体所有と貢納制をとった「天皇家の歴史」・「初期の大和朝廷以降の国家」の歴史は決して同じではなく、前者の歴史の方が後者の歴史よりも「ずっと古く」、人類史における世界普遍的な母胎・母型・原型にまで遡及できるものを持っている。 
 神が「高千穂の峰に天降」るという信仰は、「縄文時代あるいは弥生初期からあった巨石・磐座・樹木信仰と同じもの」である。また、「初期の天皇が大和盆地」に入り、「そこで地域国家らしきものを造っていくときの信仰のありかたは、沖縄の聞得大君の即位のやり方と同じ」である。すなわち、それは、「一種の巨石信仰あるいは樹木信仰、……あるいは小高い丘の頂点から神が降りてくる」という類型に入る。聞得大君の即位式・「お新下し」の場所は、ニライカナイからやってくる神々が降臨する御嶽である。とすれば、その信仰は、天皇家・「農耕民に特有な信仰」と言うよりも、それよりももっと古い、そこに「前からいた先住民の信仰」と言うこともできる。
2) 「さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」(『古事記(中)』次田真幸全訳注)――「『さねさし』は相模につく枕詞であり、アイヌ語の地名によくある『たねさし』と同じで『突き出た細長い土地』という意味」である(『詩人・評論家・作家のための言語論』 )。この自然の地勢の名称である「突き出た細長い土地」を経て、その場所の固有名詞であるアイヌ語の地名「たねさし」へと固定化されていく過程は、「形態認識の起源と系列」を指示している(『ハイ・イメージ論 T』「形態論」)。「相模は半島のように突き出た場所」であるが、「先住していた人たちは、そういう地形を『さねさし』あるいは『たねさし』と呼んでいた」。つまり、支配としての大和朝廷は、被支配の先住民(起源としての日本人)の「さねさし」あるいは「たねさし」を枕詞として相模(相武)という言葉に接木することによって、支配と被支配との均衡を企てた。「枕詞の中に地名を二つ重ね」た「春日の春日」もそれであって、これも「とても古い、原型にちかいタイプの枕詞」である。
梅原――
1)「仏教も日本に来ると現世肯定の思想となる。これが即身成仏の密教思想とか、現世に浄土をみる日蓮の思想となって現れ」ている。また、天台本覚論のように、日本において仏教は、山川草木悉皆仏性とか「『山川草木悉皆成仏』という考え方」になる。「これは中国でできた考え方ですが、中国では今一つ有力な思想になりません。しかし、こういう考え方が、日本仏教の主流の考え方になったのは、それはやはり、アイヌの思想にはっきり残存しているように、一切の生きとし生きるもの、動物も植物もすべて、人間と同じ魂を持っていて、この世にそれぞれの仮装をつけて現れるにすぎないという考え方が、その根底にあったから」である。「日本の土着宗教の最も基本的な哲学は、……霊の循環」である。「その霊魂が人間・動物・植物みんな共通で、そういう生死の輪廻を無限に繰り返しているという世界観は、旧石器時代の人間に共通したもので、とくに狩猟採集文化が後代まで続いた日本では非常に色濃く残っている」。
2)記紀神話を、天皇族・大和朝廷の神からではなく、土俗民の神・土俗の神の方から読む必要がある――「記紀神話を、天つ神からではなく国つ神の方から読むことが可能ではないでしょうか」。「アマツカミ主体」の「記紀史観」においては、日本の国家は、「渡来の農耕民(≪父系≫)が土着の狩猟民(≪母型≫)を支配してつくった国」である。「アマテラスオオミカミというのは明らかに農耕民族の神だし、その孫のニニギノミコトも農耕民族として日本に来た」。しかし、日本には、すでに、「土着のクニツカミ」がいた。したがって、「われわれは今は、クニツカミを重視した歴史観を考え」ていく必要がある。
3)キリスト教におけるイエス・キリストの再臨と最後の審判という世界観は、「ニーチェのいうように復讐心の末世への投影である」。「原日本の世界観」は、人間を含めて生物の「生死の輪廻を無限に繰り返」す循環思想・世界観にある。「ニーチェは永劫回帰の世界観をニヒリズムの克服のため一つの倫理的要請として考えるが、おそらくこれは狩猟採集時代において人類がずっと抱き続けた世界観であったにちがいない。それをニーチェのように意志の立場で要請するのではなく、自然の立場から見直す必要」がある。すなわち、人類史の母胎・母型・原型である自然性における縄文的な心(循環思想)の立場から見直す必要がある。言い換えれば、地上の楽しさ・素晴らしさ・現世肯定の考え方の様式・感じ方の様式・行動の様式における霊の循環の立場から見直す必要がある。したがって、この循環思想における不幸は、地獄に行くことではなくて、「霊がこの世にとめられて天に行けず、従って生まれ変わることができない」点にあった。したがってまた、その霊は、自然の循環のように、肉体に宿り、現世を肯定的に謳歌し、そして死んで山に戻り、天に戻り、そしてまた再びこの世に還ってくる、という点にあった。

 

 さて、両者の差異は次の点にある、と言うことができる。
1)吉本は、外在的な文明史的観点の一方通行性だけでなく、内在的な精神史的観点から、さらにもっとそれ以前の人類史の母胎・母型・原型としての未開原始の段階(アフリカ的段階・縄文的段階)にまで歴史を遡及して考察することで、現在においても成立できる新たな歴史哲学の概念を目指した。言い換えれば、吉本の場合は、思想にとって往相的な緊急的過渡的な課題である現在を止揚する課題と同時に、その還相過程において究極的永続的な課題である人類史をその母胎・母型・原型の段階にまで遡及し考察して、その段階を調査し解明していく課題も同時に扱うことで、両者を架橋していくという点にあった。これは、梅原の言う「楕円構造」という言い方もできる。
2)それに対して、梅原の言う「楕円構造」は、地域アジアにおける日本学(アイヌ学・縄文学)を普遍化しようとするものである、と言うことができる――「狩猟採集、縄文時代というのは、世界共通なんです。(中略)普遍的なんです」と述べつつ、(≪地域アジアにおける思想が≫)「今後、世界性を持つんだということをはっきり主張していかなくてはダメです」、と述べている(『日本という国 歴史と人間の再発見』)。それは、「縄魂弥才」――「縄文の魂に弥生の知恵」というものである。なぜ、弥生の知恵が必要なのか? それは、例えば「科学技術がなかったら1億2000万人は生きられない」(『日本という国 歴史と人間の再発見』)から、「先進的な文明や文化の輸入も必要」である、という点にある。この場合、梅原の楕円構造における後者の課題は、現在を止揚する課題ではなく、付随的課題でしかない、と言うことができる。
 梅原は、「進歩から循環へ(中略)社会構造が循環型社会にならなくてはいけない(中略)循環できないようなものは、もう製造すべきでないと思う。そういう意味で、私は原子力発電に対しても反対です」、と述べている(『日本という国 歴史と人間の再発見』)。この梅原は、この吉本との対談でも、「自然支配あるいは自然破壊を肯定する人間中心の哲学」、「マルクスを含めて、現代のほとんどの哲学」は、「人間の自然支配を無条件に善と見て、そして、歴史を一方的に進歩発展と考える歴史観を普遍的に正しいと考えた」、と述べている。しかし、マルクスも吉本も、自然史の一部である人類史における自然史的過程は、善悪の問題・倫理の問題とはなりえず、ただ進歩発展することを必然とするから、その進歩発展は自然史的必然である。したがって、進歩発展の流れは、個人の意志や個人意志の集合によっては押しとどめようのない自然史的必然である、と述べているだけである――「私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないものであるからである」(『資本論』)。科学技術の進歩発展、その知識の増大、生活の利便性の向上等々の文明史的な進歩発展は、そこで発生する技術的な諸課題を含めて自然史に属している。したがって、原子力発電も、文明史の進歩発展段階の過渡的な一形態であるとすれば、次のように言わざるを得なくなる――原発問題の本質的な課題の設定は、原発が科学的技術的領域に属しており自然史の一部である人類史における自然史的過程の進歩発展段階の一つだとすれば、想定される最大・最悪の災害や事故に対する技術的な解決策と安全確保と安全管理が可能であれば存立は可能であるし、そのことが不可能であれば存立は不可能であるという問題である、と。