本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

バルトの信仰・神学・教会の宣教の原理と体系の完成――『教会教義学T/2』の完成にむかって

エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づく

 

 

バルトの信仰・神学・教会の宣教の原理と体系の完成――『教会教義学T/2』の完成にむかって
――1935年〜(1937年)〜1946年(385−470頁)――

 

はじめに――

 

 バルトは、その信仰・神学・教会の宣教の原理と神学体系を、真にバルトの処女作と呼べる『ローマ書』からはじまって、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』・『教会教義学T/1』・『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』・『福音と律法』を経由して、『教会教義学T/2』(邦訳の「U/1、U/2、U/3、U/4」)において完成させ、と言うことができる。なぜならば、「救贖論」は未完に終わったが、それ以降のバルトの『教会教義学』関係の著作は、それに基づいた言い換えであり・詳論だからである。したがって、バルト自身が述べているように、『教会教義学』を理解するためには、先ず以て『教会教義学』「T/1」・「T/2」に対する理解を必要とするのである。したがってまた、私たちにとって、井上良雄が、信仰・神学のその原理、その認識方法と概念構成それ自体において、根本的総体的究極的に一切の<自然神学>的なものを包括し止揚してそこから<「超」自然な神学>へと超出していく書物であるバルトの『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』と『福音と律法』の翻訳をした功績が非常に大きかったように、吉永正義が『知解を求める信仰』と『教会教義学』「T/1」・「T/2」を翻訳した功績は非常に大きいのである。いずれにしても、佐藤優が、独断的・恣意的・出鱈目に、「第三巻第四部(邦訳『創造論W』全四冊)だけは是非読んだほうが良い」(佐藤『はじめての宗教論』)というのは嘘で根本的な理解を阻む読み方であり根本的な誤謬に向かう在り方であり――このことは、日本キリスト教団の戦争責任の告白を思想の課題として扱うことをせず、ただメディア受けする場当たり的な発言や行動だけをしている佐藤や富岡幸一郎において実証されている――、また「トマスの『神学大全』とバルトの『教会教義学』を読んでおけば神学の概略がどうなっているか理解できるはずだ」という、大見得を切っていかにも全部を読んだふりしていた佐藤の言い方も眉唾ものなのである。

 

 さて、吉本隆明は、「ぼくは、キリスト教なんかもうやめた方がいいぞ、なんてあまりいいたくないのです。そうではなくて、……地獄は地獄で洗う……観念は観念で洗う」、理念は理念で洗う、キリスト教の普遍性は、その「自らの普遍性」の不信・堕落・「地獄で洗うという試みの中から、理論的な問題、組織的な問題あるいは実践的な問題というのを把えてゆかなければ足をすくわれる」、と述べた(『信の構造3――吉本隆明全天皇制・宗教論集』「国家と宗教のあいだ」)。このことは、何を意味するのか? それは、先ず第一に、キリスト教の信仰・神学・教会の宣教の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体において、@不信・非知・全非キリスト者(教)を包括する、という思想の課題を意味している。言い換えれば、A信・知・キリスト者(教)を、現にあるがままの不信・非知・全非キリスト者(教)に対して完全に開いて、という思想の課題を意味している。そういうキリスト教における普遍性の構成の問題である。いわば、キリスト教における往還思想の問題である。第二に、もう少し具体的に言えば、例えば、日本キリスト教団・教会の、天皇制国家による戦争への加担と戦後の戦争責任の告白は、ほんとうは、神の言葉の三形態――すなわち、啓示の「実在そのもの」であるイエス・キリストと、聖書の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)それ自体において、天皇制国家・政治的な近代国民国家(民族国家)を相対化し無化していく、という思想の課題を意味している。バルトは、「神の言葉の三形態」に信頼し固執して、的確に、次のように述べている――「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪一切の政治権力、政治的な近代国民国家・民族国家、天皇制国家等々≫)のともがらと成ることができようか (『カール・バルト著作集10』「教義学要綱」)。啓示の客観的現実性そのものであるイエス・キリストの名にのみ信頼し固執したバルトは、そのイエス・キリストによってのみ完了された救済と平和の場所において、一切の政治的な近代国民国家・民族国家等々を不可避な過渡的問題として捉えると同時に、究極的永続的課題としては、それら一切の<無化>を同在化・共時化・構造化させているのである。すなわち、バルトは、終末、救贖・完成においては、政治的な近代国民国家・民族国家等々、一切の政治的権力、支配は<無化>されてしまうという観点を持っているのである。したがって、バルトは、東西イデオロギー・権力も、ナチズムも、全体主義も、スターリニズムも、修正資本主義も、国家を第一義(価値)とする国家社会主義として理解し、そのような政治的権力、近代国民国家・民族国家、天皇制国家等々は一切駄目だと理解していたのである。それら一切から距離をとっていたのである。したがってまた、国家の現在的課題――すなわちその過渡的緊急的課題は、現実的な<社会>を第一義(価値)とする社会主義国家への超出にあって、先ずはそれを目指すべきであるが、国家の究極的永続的課題は、一切の、政治的国家、政治的権力、支配の<無化>にある、と理解していたのである。

 

 さて、前回も書いたが、その共同体が、南島的であれ、日本的であれ、中国的であれ、インド的であれ、その共同体は、人類史における<アジア的共同体>の段階として総括できる。この語り方に依拠して言えば、ローマ・カトリック主義、宗教改革諸派、近代主義的プロテスタント主義等、既存のキリスト教は、教派的等の差異性があるが、ほんとうは、根本的には――すなわちその原理・その認識方法と概念構成において、それらは、<自然神学>の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教の<段階>にあるそれとして<総括>できるのである。

 

 

バルトの信仰・神学・思想の原理と神学体系の完成に向かって――『教会教義学T/2』の完成にむかって

 

 さて、ここからは、ブッシュの『バルトの生涯』を、時系列的に辿ってみよう。 
(1)教会闘争の継続
 <自然神学>の系譜に属するキリスト教から自分を明確に区別した、バルト自身の信仰・神学・教会の宣教の原理に基づく不可避的な政治への関り方は、次のようなものである――先ず、バルトは、ドイツとの「密接な連帯感を持っていた」。「ナチスのほんとうの害悪」は、バルトにとっては、「第一戒に対するナチスの組織的蹂躙」にあったし、そのことに対する「他の諸国民の無関心さ」にあった。このような状況の中で、バルトは、ナチズム・ドイツ国家に対して「反対」・抵抗しなければならなかった(385頁)。それは、「かつて語った説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとし)おのずから実践に、決断に、行動になって行」くという形においてである。このような、バルトの信仰・神学・教会の宣教の原理に基づく不可避な政治との関わり・神学的実存・政治的実践の在り方は、戦後における「教義学要綱」(『カール・バルト著作集10』)に明確化されている――「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪一切の政治的権力・一切の政治的国家、天皇制国家等≫)のともがらと成ることができようか」。イエス・キリストの名にのみ信頼し固執したバルトは、その完了された救済と平和の場所において、一切の政治的権力・政治的国家・支配の問題を不可避な過渡的問題として捉えると同時に、究極的永続的課題としてはそれら一切の無化を構造化させているのである。すなわち、バルトは、終末、救贖・完成においては、それら一切は無化されてしまうという観点を持っていたのである。

 

 さて、こうしたバルトの、告白教会そのもに対する批判は、次の点にある。それは、
ア)彼らは、イエス・キリストにおける神のみを神とする、またイエス・キリストをのみ頭とする、教会として、第一戒の告白が、ナチズム、全体主義国家の支配に対する「単に一つの<宗教的な>決断」・「教会政治上の決断を意味するだけでなく」、「事実上一つの政治的決断を意味するということ」を、理解していなかった、という点にある。
イ)彼らは、「その宣教の自由と純粋性のために闘ったが、例えばユダヤ人に対してとられた処置……取り扱い……弾圧」等については「沈黙した」、という点にある。(387・388頁)
 こうした中で、バルト自身は、先の「神学的根拠」・第一戒の告白に基づいて、「ナチス国家に対するキリスト者の直接的な政治的抵抗の必要性を認識し始め」たし、事実「ナチス国家に対する政治的抵抗も含む抵抗運動の方向へと前進した」(389頁)。バルトは、「ドイツ教会の試練と苦悩」を、「プロテスタント改革派教会内に自覚的に生きるすべてのスイス人」・「スイスのプロテスタント主義に対する問い」として受けとめた(390頁)、このバルトの神学的実存・政治的実践を、次のようなバルトに見出すことができる――「スイス(≪スイスの、人間の、世界の、人類の、自由≫)をナチズムからまもるために私は軍隊に参加」し、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」・「規準はただ方向を与えることしかできない。(中略)ある特定の瞬間になした決断はおそらく、もっとも重要なキリスト教の教義よりもっと重要であるかもしれない」(『バルトとの対話』)。こうしたバルトに、スイスのナチ党員だけでなく、オックスフォード<グループ>運動(「エミール・ブルンナーも、そのとりこにな」った)の参加者や宗教社会主義者たちは、対抗した(391頁)。戦争がある一部の支配上層の意思によって動かすことができる軍隊組織(国軍)を擁する民族国家によるものであり、その内的本質が観念の共同性にある限り、その観念の共同性を無化しえない限りは戦争廃絶はあり得ないのであるから、また人間は理性的にだけ生きているわけではなく、愛憎問題という情念の世界も持っているし、動物的側面も持っているから、道徳再武装によって平和をもたらすことは決してできないのである。バルトは、自然神学の系譜に属する、神だけでなく人間も、という人間の欲求・自主性・自己主張に基づく「神に対する熱心さの無知」は、すなわち対象化された人間の自己意識に過ぎない人間の管理するプログラムを「神の名において、神の呼びかけのもとに」(トゥルナイゼン『ドストエフスキー』)行おうとする宗教社会主義、キリスト教的道徳主義、「様々な敗残者」に対する博愛的配慮や教育的配慮、勤勉・禁欲・節制、「大規模な世界改良の偉大な計画」、正義としての大衆同化・大衆迎合・大衆啓蒙<主義>は、必ず次のような事態を惹き起こすことをよく認識し自覚していたのである(バルト『啓示・教会・神学』)。「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪彼自身の対象化された自己意識・彼の管理するプログラム≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかったのである。神と人間についての独断的な観念に基づく独断的に考え出された救いの計画と救いの方法が支配するところ、そのようなところでは、その意図がたとえどのように心から善いものであり、敬虔なものであっても、神に対しても人間に対しても、真に奉仕が行われることはないであろう。またそのようなところには、教会は存在しないのである。そのような救いの計画と救いの方法の独断性が、神に余りに僅かしか信頼せず、人間に余りに多く信頼するという点に現われるということは、疑いない」(『啓示・教会・神学)。

 

(2)神学上の仕事の進行――『教会教義学T/2』の完成にむかって
ア)1936年の講演:『神の恵みの選び』(『カール・バルト著作集3』)
 神の恵みの選び、「すなわち予定は、恵みの中にある恵みを意味している、しかし、恵みの中にある恵みは、恵みの中にある神の自由と支配である」(395頁)。それは、啓示の客観的現実であるイエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済・平和そのもののことである。それは、「福音と律法の真理性」の成就者であるイエス・キリストご自身が「福音と律法の現実性」の成就者そのものである、ということである。言い換えれば、ロマ3・22、ガラテヤ2・16等の「イエスの信仰」は、あくまでも神の側の真実としてのみある主格的属格としてのそれである、ということである。この詳論は、すでに根本的究極的な宗教改革を目ざすバルトにおける最重要の書物として、『福音と律法』論および『神の恵みの選び』論で論じたので、ここでは省略する。
 1936年から37年の冬学期に、バルトは、バーゼル大学で、『神学の思考の根本形式』と題して「学術講演」を行った。その内容は、「神学の思考の根本形式は、その思考が聖書的、批判的、実践的でなければなら」、というものであった。また、したがって、それは、「その研究対象」――すなわち、「聖書の証言における神の言葉としてのイエス・キリスト」にのみ信頼し固執する必要がある、というものであった。このことを、もっと具体的に、もっと根本的に、もっと総体的に言えば、それは、三位一体論の唯一の類比としての神の言葉の実在の出来事である「神の言葉の三形態」――すなわち、人間に向かって語られる神の自己啓示・実在そのものであるイエス・キリストと、また「聖書」の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)に信頼し固執する必要がある、ということである。バルトは、このことを、「それ以前に語られた神ご自身の言葉……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っている」・「われわれ以前の人々によってなされた教義学的作業の成果」は、「根本的には……真理が来るということのしるし」である、という言い方で述べている(『教会教義学 神の言葉』)。すなわち、全くオリジナルな信仰・神学・教会の宣教というものはないのであり、あくまでも啓示の「概念の実在」(類・歴史性)を媒介・反復するという仕方で、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求め」(『啓示・教会・神学』)ることにおいて、その信仰・神学・教会の宣教に、個性や時代性を刻んでいく以外にないのである。(397頁)

 

イ)1937年3月初め、スコットランドのアバディーン大学で「『自然神学』についての認識とその普及を求める」「ギフォード講演の第一部」を依頼されたのであるが、近代主義に対してだけでなく、一切の<自然神学>・<自然神学的なもの>に対して、徹頭徹尾全面的に抗するバルトは、「『自分はあらゆる自然神学に反対する、人も知る敵対者である』という事実を明確に思い出してもら」う手紙を書いたのだが、その講演依頼は「取り消」されることはなかった。そのため、バルトは、<自然神学>を否定的に媒介するという形で、「神のみが神であること」について、また「キリスト啓示から出発して『神の栄光と人間の栄光』の相関性」について語った(398・399頁)。このような、その信仰・神学・教会の宣教のその原理およびその認識方法と概念構成それ自体において、一切の<自然神学>・<自然神学的なもの>を、徹底的に・根本的に・包括的に・究極的に、包括し止揚してそこから超出したバルトの反<自然神学>論は、すでに詳しく論じたので、ここでは省略する。

 

 また、バルトは、『神認識と神奉仕』について講演をし、「神認識」と「神奉仕」を同在性・共時性・構造性において理解したし、また「神奉仕」における「教会の神奉仕(礼拝)」と「政治的神奉仕」も同在性・共時性・構造性において理解した。このことの具体的な内容は、今回の「はじめに」や「(1)教会闘争の継続」の論述の内容からだけでも、すぐに、イメージできるし認識できる。

 

 1937年3月に、ロンドンで「三〇人の教会関係の幹部たち」との交流において、イギリス人の「特別な気質」――すなわち、「自然神学、敬虔主義、1890年代のスタイルの<歴史批評>、包括的教会(これは特に英国国教会〔聖公会〕の自慢のスタイルであった)、道徳上の楽観主義、活動主義」的な気質を見出した。イギリス教会関係者の「われわれは、告白教会のために何をすればよいのか」という問いに対して、バルトは、「バルメン宣言第一項への厳粛な同意です」と答えた。このことは、第一戒に固執すること、具体的には、神と人間との無限の質的差異の認識と自覚、イエス・キリストの啓示の出来事に対する信頼と固執、すなわち「神の言葉の三形態」における人間に向かって語られる神の自己啓示である神性を本質とするイエス・キリストにのみ信頼し固執すること、その「キリスト啓示」をのみ自らの信仰・神学・教会の宣教のその原理およびその認識方法と概念構成とすること、そしてそのことに基づいた神学的実存に促されること、である。(399・400頁)

 

 さて、そのイギリス旅行の帰路、パリでピェール・モーリィと会って、「新しい国際的神学雑誌『ドクトリーナ』の計画について……相談した」が、バルトは、「新たな妥協主義の危険に対する不安から、この計画を中止した」。したがって、バルトは、トゥルナイゼンやモーリィは参加したが、9月にオックスフォードとエディンバラで開催された楽観主義的な、寛容主義・「妥協主義」に基づく「エキュメニカル会議への参加を意識的にとりやめた」。なぜならば、バルトは、その神学・信仰・教会の宣教のその原理およびその認識方法と概念構成それ自体で、「エキュメニカル運動……を遂行できると考えていた」し、楽観主義的な、寛容主義・「妥協主義」に基づく「公式のエキュメニカル運動には懐疑的」であったからである。したがって、バルトは、そのような「国際的な舞台の上で……引き出すことができるものといえば、……いつも相も変らぬ妥協が、関の山」でしかない、と述べた(400・401頁)。また、そのようなエキュメニカル運動は、キリスト教界<共同性>に閉じられたものでしかないところの、党派性、党派的共同性、党派的多元主義に過ぎないものである。それに対して、バルトの立場は、明瞭・明確である――それは、その信仰・神学・教会の宣教のその原理およびその認識方法と概念構成それ自体において、またその神学における往還思想において、信、知、キリスト者(教)を、現にあるがままの不信、非知、非キリスト者(教)に対して<完全に>開くことである。「神はご自身との共同性の中に生きてい給う。そして神は人間との共同性の中に生きてい給う。そして人間は他人との共同性の中で生きている。共同性ということが、人間が神に似ていることの根拠だ。……教会なきところではイエスはキリストであり給わない。教会は永遠よりえらばれたものだ。そして、キリストは、その頭としてありつづけ給う。……個々人と共同体の対立は近代的な対立であって、新約聖書のものではない。……新約聖書の「体」の概念はこの対立を超えたものだ」(『バルトとの対話』)。このように、バルトにとって、イエス・キリストにおいては、近代主義的に個と共同性は逆立し対立するのではなく、正立し平和なのである。それだけではなく、神性を本質とするイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性・キリスト教界共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」へ向かっての運動において、その現にあるがままの不信、非知、非キリスト者(教)、全人間・全世界・全人類に対して、<完全に>開かれているのである(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 「和解論の対象と問題」)。このことは、バルトの『教会教義学』に対するそれは「一つの閉じられた『正統主義的な』体系」であるという「非難」を、根本的に打ち砕くものである。また、このことは、「近代プロテスタント主義の、ますます増大する粗暴さと退屈さと無意味さ」を、根本的に打ち砕くものでもある。(404・405頁)

 

ウ)1937年の夏、『教会教義学T/2 神の啓示』(邦訳U/1:言葉の受肉・キリスト論、U/2:聖霊の注ぎ・聖霊論、U/3:聖書、U/4:教会の宣教)が完成した。この完成は、もちろん終末論的限界の下ではあるが、一切の近代主義・<自然神学>あるいは<自然神学的なもの>を、根本的に、包括的に、究極的に、包括し止揚してそこから超出した、現在から未来に生きる、最善最良の、バルトの<「超」自然>な信仰・神学・教会の宣教の、その原理およびその認識方法と概念構成、すなわちその体系が、<完成>したことを意味している。したがって、私は、現在、邦訳『教会教義学U/1 神の啓示』「言葉の受肉」・キリスト論まで論じてきたわけで、これからもそれを継続していこうと思うのだが、バルトの邦訳『教会教義学T/2 神の啓示』「三位一体の神」についてはすでに論じているので、この「三位一体論の神」から十分、バルトの言葉の受肉・キリスト論や聖霊の注ぎ・聖霊論や聖書論や教会の宣教論を理解できるように思える。例えば、ブッシュは、バルトの『教会教義学T/2 神の啓示』(邦訳U/1:言葉の受肉・キリスト論、U/2:聖霊の注ぎ・聖霊論、U/3:聖書、U/4:教会の宣教)に依拠して、「『啓示の客観的現実性』とは、イエス・キリスト、すなわち『肉となり給う言葉』、その現実性において『人間に対する神の自由』が出来事となる『言葉』なのである」・「『啓示の主観的現実性』とは、聖霊のことであり、聖霊の現実性において『神に向かう人間の自由』が出来事となる」・「教義学は教会の宣教に対して批判的であると同時に、また奉仕する形でかかわる」・「『教義学自身が倫理学でなければならず、また倫理学はただ教義学でありうるだけである』。……なぜなら、教義学が対象としている『教義』そのものが『終末論的な概念』だからである」、と述べている。このことは、第一に、今回の論述との関わりで言えば、先述した神の恵みの選び、「すなわち予定」は、「恵みの中にある恵み」、その「恵みの中にある恵みは、恵みの中にある神の自由と支配」を、神の側の真実・啓示の客観的現実であるイエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済そのものを、意味している。すなわち、「福音と律法の真理性」の成就者そのものであるイエス・キリストご自身が、「福音と律法の現実性」の成就者そのものであるということを、神の側の真実、啓示の客観的現実性、<主格的>属格としての「イエスの信仰」そのものであるということを、意味している(『福音と律法』)。第二に、神自身においてのみ「実在であり真理」である<自由>な神の自己啓示であるイエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事(啓示の主観的現実化)に基づいてのみ初めて、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰が可能であるということを、またそれに依拠した信仰の類比・関係の類比を通して初めて人間の自己認識・自己理解・自己規定が可能であるということを、意味している。しかし、神の語りは、その都度の神の自由な決断に基づくものであり、また人間はいつも終末論的限界の下にあるのであるから、その人間の認識・信仰が、「キリスト教的語りの正しい内容の認識として祝福され、きよめられたものであるか、それとも怠惰な思弁でしかないかということは、神」自身の決定事項なのであって、私たち人間の決定事項ではないのである。したがって、私たちの、その認識・信仰、教会の一つの機能である教義学は、「『主よ、私は信じます。私の不信仰を助けて下さい』というこの人間的態度に対し神が応じて下さるということに基」づいて成立しているのである。したがってまた、私たちは、次のように言わなければならないのである――「人間が人間自身の力によって、自然的な能力・その悟性・その感情に応じて、認識しうるもの、それは精々、最高の実在・絶対的存在のようなもの・絶対に自由な力の精髄・一切事物を超越する存在の精髄であろう。このような絶対最高の存在・このような究極最深のもの・このような『物自体』」、対象化された人間の自己意識の類的本質、「存在者レベルの神」・その神への「信仰」は、「神とは何の関りもない」、と (『カール・バルト著作集10』「教義学要綱」)。(402−405頁)

 

 バルトは、『教会教義学U/1 神論』において、「神はただ神によってのみ認識される」ということを、「神がすでに(教会の中で)認識(≪信仰≫)されているという前提」、「さらに神を認識することがいつも純粋な恵みであ」り・「この恵みには神認識の一定の形式」・「信仰ノ類比」・関係の類比、「神の言葉の三形態」で言えば「啓示の類比」が対応することを前提として論じた。このことは、前述した事柄の内容の言い換えである。一言で言えば、神認識、啓示認識・啓示信仰は、終末論的限界の下で、神と人間との無限の質的差異と「啓示に固有な証明能力」に基づいてしか、全く不可能である、ということである。バルトは、「フォイエルバッハの議論に対しては、神認識の真の『対象』は〔人間ではなく(≪対象化された人間の自己意識の無限性・類的本質としての神ではなく、神と人間との無限の質的差異における≫)〕神であると答えた。そして自然神学に対しては、この〔真の〕『対象』は啓示においてのみ(≪「啓示に固有な証明能力」に基づいて≫)認識されるという命題で対応した」。詳しくは、私の論じた「<自然神学>とは何か――バルトの、究極的包括的根本的な<自然神学>批判の、根拠・原理・原動力」を参照されたい。
 なお、『教会教義学U/1 神論』は、1939年夏に書きあげられた。この「神論」は、『教会教義学 T/1』(邦訳『教会教義学T/2 三位一体の神』)の内容が踏襲されている。バルトは「神の『完全性』を、厳格にイエス・キリストにおける啓示から理解しようとし」た・「この神の『完全性』は、神の『本質』と同じであると考えた」・「この完全性を『神の愛の』完全性そのものとして、また『神の自由の』完全性そのものとして把握した」・この「神の完全性の二つの形式を明らかにするために、……神の『一つの』完全性として、一対の相互補完的な概念をそれぞれ説明した――実例を上げると、神の恵みと神性、憐れみと義、唯一性と遍在などである」・「この世の徹底的な非神格化を意味する神の唯一性……について論じた」(417頁)。これらは、すべて、「三位一体の神」の内容を踏襲した論述である――聖書でイエス・キリストにおいて自己啓示された神は、「失われない差異性の中」で三つの「存在の仕方」(性質・行為・働き)において「三度別様」に父・子・聖霊なる神であって、その「存在」は「失われない」単一性・神性・永遠性を「本質」とする「一神」・「一人の同一なる神」である。したがって、「三神」・「三の対象」・「三つの神的我」ではなく、父、子、聖霊の三つの「存在の仕方」の、単一性・神性・永遠性を「存在の本質」とする「一人の同一なる神」、すなわち「三位一体」の神である。したがってまた、単一性・神性・永遠性を「存在の本質」とする神の完全さ・自由さは、父・子・聖霊の三つの「存在の仕方」の完全さ・自由さである。「われわれに出会う神」である父、子、聖霊の三つの「存在の仕方」は、「啓示者、啓示、啓示されてあること」、「神の聖(≪隠蔽≫)、あわれみ(≪顕現≫)、愛(≪父・隠蔽と子・顕現の愛に基づく交わり≫)」、「聖金曜日、復活日、聖霊降誕日」、「創造主なる神、和解主なる神、救済者なる神」の三つの「存在の仕方」に対応している。この神は、「隠蔽」と「顕現」において、またその都度の自由な決断において、「人間に対して自己を伝達」・啓示する(『教会教義学 神の言葉 三位一体の神』)。バルトは、この「三度別様」の「三つ」を、「他との関係なしにそれ自身で存在している」近代的な「個体」と区別させるために、「人格の名で呼ぶことを避け」て、「存在の仕方」と呼んだ(エーバハルト・ブッシュ『バルト神学入門』)。三位一体の根本命題に即して理解すれば、聖霊なる神は、「三度目」に、父と子の二つの存在の仕方から生じる「一つの存在の仕方」である。しかし、この聖霊の存在の仕方は、父と子の啓示に対する「特別な第二の啓示」ではない。聖霊は、「父なる神と子なる神の愛の霊」である。ここに、聖霊の「起源」がある。この聖霊において、父と子(≪神的対関係≫)は、愛に基づく完全な共存的な関係・交わり(≪神的共同性≫)においてある。すなわち、聖霊は、その「交わり」の中で、「父は子の父」・「言葉の語り手」であり、「子は父の子」・「語り手の言葉」であるところの行為・性質・働きである。ここに、神は愛・愛は神であることの根拠がある。「愛は神にとって、最高の法則であり、最後的な実在」である。愛は、自由がそうであったように、神自身においてのみ「実在であり真理」である。

 

 1938年、バルトは、バーゼル大学の神学部長に就任した。その夏学期の「洗礼についての演習」で、「初めて『小児洗礼に対するカルヴァンの根拠づけに関して、どうしても完全に否定的な結論』に到達せざるをえなかった」。(405−407頁)

 

(3)「政治的神奉仕」
ア)この政治的神奉仕も、バルトの場合、神と人間との無限の質的差異の認識と自覚、神性を本質とするイエス・キリストにおける救済と平和に対する信頼と固執、に基づいたものである。1938年3月、バルトは、「〔ドイツ第三〕帝国」が「オーストリアを併合したまさにその時」、「アバディーンでギフォード講演の第二部を行うために」、イギリスを訪問した。この講演の「第十九講」は、「政治的神奉仕」を内容としていた。そこで、バルトは、その奉仕には、「『ある種の政治的権力の保持者に対する積極的抵抗』を含むと主張した」(409頁)。このバルトの政治的神奉仕の内容は、389・390頁にも通じるものであって、それは具体的には、次のようなバルトの神学的実存・政治的実践の在り方に見出すことができる。それは、このことである――バルトも、国家の支配に対する政治的実践の原則を、国家の<暴力>に対しては<暴力>で、国家の<理念>に対しては<理念>で、という点に置いた。したがって、バルトは、チェコの「フロマートカ宛て書簡において……ヒトラーの武装の脅威と攻撃に対する武装抵抗を呼びかけ」た(412頁)。したがって、重複するが、バルト自身、「スイス(≪スイスの、人間の、世界の、人類の、自由≫)をナチズムからまもるために……軍隊に参加」し、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、……射殺しなければならなかったであろう」・「規準はただ方向を与えることしかできない。(中略)ある特定の瞬間になした決断はおそらく、もっとも重要なキリスト教の教義よりもっと重要であるかもしれない」、と述べている(『バルトとの対話』)。したがってまた、バルトは、ルター派の「二王国論」は、「教会の禍なる政治上の受動的姿勢の根本原因」であって、それは根本的な誤謬と迷妄性に基づくものである、と主張した(410頁)。このバルトは、「『すべての市民の責任ある活動の上に』建設される共同体こそが、福音にもっともふさわしい国家形態であると主張した」。この言葉は、注意を要するもので、前半の言葉を念頭に置いて考えなければならないのであって、すなわちバルトは、決して、<国家>を第一義(価値)とする国家主義を目ざしてはいない、という点である。そのことは、バルトが、国家の支配に対する「<受動的>服従」の拒否と「ある種の政治権力の保持者に対する積極的抵抗」を主張していることですぐに分かる(410頁)。言い換えれば、バルトの言う「国家への積極的な責任ある参与」とは、終末論的立場において、彼は、国家の過渡的形態としては、<社会>を第一義(価値)とする社会主義的国家を考えていた、という点である。なぜならば、権力を実体的にのみ考えている国家主義者・佐藤優のような事実的政治家ではない、不可避な政治家バルトは、東西イデオロギー・権力も、ナチズムも、全体主義も、スターリニズムも、修正資本主義も、国家を第一義(価値)とする国家社会主義として総括できることを、よく知っていたからである。

 

 1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発した時、バルトは、「心に苦悶を抱きつつも」、一方で「ヒトラー体制の終焉」が「確かに始まった」ということを、また「ナチズムとボルシェヴィズムとの連帯……が今や公然と明らかになった」、ということを「信じた」(421頁)。また、バルトは、終末論的立場から、終末においては、一切の政治的権力・国家は無化されてしまう、という観点も持っていた。こうした不可避的な政治家・バルトのことが、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの神学」者や牧師や著述家には理解できないのである(『カール・バルト著作集8』「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ」)。

 

イ)バルトは、政治的神奉仕・神学的実存・政治的実践における明確な原則を持っていた。それは、次のようなものである。
@「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」するべきである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。
A「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」べきである(前掲書)。
B「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」(同書)。
C「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」。しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、(≪民族国家・政治的近代国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない。と同時に、戦争廃絶のために、先ず以ては国家社会主義を包括し止揚した社会主義国家への超出という緊急的相対的過渡的課題だけでなく、一切の政治的権力・政治的近代国家を無化する究極的総体的永続的課題を持っていなければならない(『バルトとの対話』)。
D「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・「国家は支配であり、文化は支配」である。したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」」(『啓示・教会・神学』)。

 

 また、このようなバルトとボンヘッファーとの神学的実存の根本的な差異は、次のような点にあった。
 バルトの場合は、神の側の真実である神性を本質とするイエス・キリストにおける福音(インマヌエル、救済と平和)にのみ信頼し固執する説教や宣教の繰り返しの言葉が、「おのずから」状況に抗する神学的実存へと駆り立てて行く、というものであった。そのバルトにとっては、ステパノの殉教の本質は、その苦難の「行為」にはなく、その福音にのみ信頼し固執する「言葉」にあった。それに対して、ヒトラー暗殺計画の陰謀を企てたボンヘッファーの場合は、彼の『説教と牧会』に即して言えば、「キリスト証言は、言葉と行為とをもってする説教者と聴衆とを要求する」という点にある。しかも、そのボンヘッファー――1944年7月に起こった国防軍将校らによるヒトラー暗殺計画の共犯者として処刑された――の信仰・神学・神学的実存のベクトルは、バルトとは違って、この世における、キリストの許しのもとでの、自然神学的な神との「共働者」論に基づいたキリストを範型とした「行為」、イエスへの従順と服従の「行為」、正義の体現「行為」にあった。そして、ナチ国家を実体的に考えていたボンヘッファーの場合、そのイエスへの従順な服従行為は、事実的にはヒトラー暗殺計画へと向かう権力闘争・政治的実践にあった。私たちは、この両者の根本的な差異を、バルトの神学的実存の根拠が主格的属格としての「イエスの信仰」・啓示の客観的現実性にあるのに対して、ボンヘッファーの神学的実存の根拠が自然神学的な目的格的属格としての「イエスの信仰」・啓示の主観的現実性にある点に見出すことができる。ここで注意すべき点は、このボンヘッファーにおける啓示の主観的現実性の概念は、神の自由な恵の行為としての聖霊の注ぎによる啓示認識・啓示信仰の<主観的現実化>の概念とは全く違うものである、という点である。すなわち、それは、フォイエルバッハの宗教批判の対象そのものである、対象化された人間の自己意識の類的本質・意味的世界・「人間の管理するプログラム」に過ぎないということである。あるいは、ハイデッガーが揶揄・批判した「存在者レベルでの神」・その神への「信仰」に過ぎないということである。

 

 1938年10月、ドイツにおいて、「バルトの全著作の販売が禁止された」(412頁)。

 

(4)第二次世界大戦の暗雲の下で
 1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発した。
ア)1939年秋、「戦争がいよいよ激しくなり始めた時」、バルトは、『教会教義学U/2 神論』(邦訳『神論U/1』)の「枠組の中で予定論の章に到達した」。ブッシュは、その「予定論」から引用して、「1936年のハンガリーでの場合(『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」)よりはるかに徹底的に……次のように考えたことによって」、バルトの「革新」は実現した、と述べている。その引用箇所には次のようにある――「恵みの選びの教説は、決定的に、かつ明白に福音として理解されなければならない……この教説は然りと否との彼岸に中立的に立っているのではない……然りと否とをではなく、その実質において、その主張と根源と視野の中で然りを語っているということである。恵みの選びは福音の総計なのである」。言い換えれば、それは、イエス・キリストにおける「福音と律法の真理性」と「福音と律法の現実性」との同在性・共時性・構造性としてある、ということである。「イエス・キリストにおいて、まずある『個人』が選ばれたのではなく『教団』が選ばれたのである。……イスラエルは、自分の選びに抵抗する人間を表すために選ばれたのであり」、また一方で「まさに『開かれた多数』の前」における「『選ばれた教団』は神の恵みの福音を宣教する」ために選ばれたのである。ここで、ブッシュは、「はるかに徹底的に」と述べているのであるが、ほんとうのところは、『教会教義学U/2 神論』「予定論の章」の内容は、『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」と全く同じ内容の踏襲なのである、言い換えと詳論なのである。(425・426頁)

 

 「予定説」は、「イエス・キリストにある救いの自由な表現」そのものである。言い換えれば、それは、「真に罪なき、従順なお方」イエス・キリスト自らが、私たち人間に代わって、「見捨てられた人間となり、その罰を引き受け給うたということ」、すなわち神の恵みに対してイエス・キリスト自らが、私たち人間に代わって、「福音と律法の真理性」と「福音と律法の現実性」の同在性・共時性・構造において、端的に信じ給うたということである。これが「神の最高の義」である。このことは、イエス・キリストを信ずるということ、イエス・キリストにのみ信頼し固執するということに関して、第一次的な契機は私たち人間には全く何もないということを意味している。そのイエス・キリストにおける啓示の出来事の内容は、生来人間は、神の「恵みに敵対」し、「神の恵みによって生きようとしないが故」に、「このことこそ、第一に恵みが解放しなくてはならない人間の危急」であったことを私たち人間に自己認識させる。そして私たちは、その啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて、「神の選び」を「イエス・キリストの復活」において認識し、「神の放棄」を「イエス・キリストの十字架」において認識することができる。そしてまた、その啓示認識に依拠した信仰の類比を通して、すなわち「われわれが本当に神の啓示を認識する時、われわれは初めて」、神に対する人間的反抗、「神の敵」、「神に相対して、自分の力を誇り、まさにそのことの中でこそ罪深い堕落した人間」として自分自身を、またそのような人間の「世」を自己「認識」・自己理解・自己規定することができる。さて、神性を本質とする「十字架のイエス・キリストこそが、神に選ばれたお方」である。人間は、「そのままでは恵みを受け取る状態にはない」し、また自分でそのような状態にすることもできない。したがって、もし人がその恵みを受け取り得たとすれば、そのこと自体が恵みなのである。すなわち、「私たちの召命・義認・聖化」は、私たち人間的契機の直接性において「私たち自身の中に生起」するのではなく、徹頭徹尾全面的に、「イエス・キリストの御業」として、「私たちのため」に、「私たち自身の中に生起」するのである。このように恵みの選びを認識する場合、私たちに要求する洞察は「イエス・キリストを信ずる信仰の二重の洞察」、すなわちパウロの「神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込めたのである」という二重の洞察は、福音の内容そのものである主格的属格としての「イエスの信仰」・「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」・啓示の客観的現実性と、すべての人間に対する神の要求である福音を内容とする福音の形式としての律法である「イエス・キリストを信ずる信仰」(バルトは「を」に強調点を付している)において明らかとなる。なぜならば、啓示の出来事と信仰の出来事に基づく啓示認識、それに依拠した信仰の類比を通した自己認識において、私たちがその福音を内容とする福音の形式である律法にのみ生きようとしなければ、私たちは、その信仰に全く生きていないし・全く生きようとしていないし・全く生き得ないということを、また常に神から遠ざかり・遠ざかり続けているということを、罪を新たな罪を犯し続けているということを、自主性・自己主張・無神性・不信仰の只中にある真実の罪人であるということを、自己認識することはできないからである。パウロの語る「すべての人」においては、「放棄される危険の全くない選ばれた者とか、選ばれる約束も一切ないほど放棄された者が存在するという考えは、はっきりと排除」されている。したがって、これは、イエス・キリストにあるときにおける「威嚇」である。しかし、私たちは、イエス・キリストにおいて与えられた「約束」によって、この「威嚇から解放」されている。すなわち主格的属格としての「イエスの信仰」・「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」・啓示の客観的現実性においては、この威嚇は、止揚された威嚇・克服された威嚇である。なぜならば、「すべての人」を救うために、「罪なきただ一人の選ばれた」イエス・キリストが、「この怒りを正しい怒りとして引き受けて下さったが故」に、私たちは「イエス・キリストにあって死なないで、生きるであろう」という約束が与えられているからである。神は「すべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込め」たについては、神の自由な恵みの選びにおいてということであるから、「罪の増し加わったところには、恵もますます満ちあふれた」ということができる。ここにおいて、新たな啓示認識を得ることができる。すなわち、そのことは、イエス・キリスト自身に対する人間の自主性・自己主張・無神性・不信仰・「真実の罪」の一切は、イエス・キリスト自身によって止揚され克服されたそれである、ということである。また、そのことは、その啓示の主観的現実化のために、すなわち啓示認識・啓示信仰のために、イエス・キリストは、私たち人間に対して、イエス・キリストにのみ信頼し「固着」する霊を授与されるということである。したがって、信仰の出来事としてのイエス・キリストを信ずる・「イエスは主なり」と告白する場合、それは聖霊の注ぎ・聖霊との交わりにおけるそれでありその賜物なのである。したがってまた、バルトは次のように語るのである――マルコ福音書の「信じます。不信仰な私を、お助け下さい」・「信じます。信仰のないわたしをお助け下さい」。「私たちが神に向かって語る。『ああ……!』というこの小さな嘆息」、それは、「すべての祈りの源」である。「そこにはただ、神の子の全く素直な赦しがあるだけである。あなたが祈れない時、この赦しを用いるのが、あなたのなすべきことである」。これは、まさしく不信をそのあるがままに包括し止揚した・克服した、信における還相的な言葉である(『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」)。また、「選ばれた教団」については、『教会教義学 和解論』にも踏襲されている――共同性に価値をおくヘーゲルは、神自身にとって「最高に必要であり必然的であるのは教団」であって、「教団の精神であることによって初めて神は精神となり神となることができる」、と述べている。それに対して、バルトは、「個々の人間による和解の主体的実現という問題は、絶対に欠くことの出来ない問題」ではあるが、「イエス・キリストにおいて客観的に起った和解の主体的実現は、まず第一に教団において、イエス・キリストの聖霊の業として遂行される」と述べている。このことは、バルトが個と教団との関係において、神学的な共同性価値論に立っていることを意味している。この場合、「私自身は、ヘーゲルが好きだという弱みを持っていますし、そしていつでも<ヘーゲル的に考える>のが好きです」と述べていたバルトにとって、神学における思想家として、信仰・神学・教会の宣教のその原理およびその認識方法と概念構成それ自体において、ヘーゲル哲学を紙一重で超えなければならないのである。したがって、バルトのその共同性価値論は、現実的な個や家族や社会から逆立的に疎外された観念の共同性である国家共同性価値論とは全く異なったものでなければならない。また、それは、ヘーゲルのような客観的精神の弁証法的展開の果てに想定される哲学的な国家的共同性価値論とは全く異なっていなければならない。したがって、バルトは、一切の近代主義・自然神学的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教と抗するために、まず「神の霊と人間の精神の全面的な区別」が強調されなければならない、そして、その「啓示の主体的現実」化を、「人間の業としてではなく、まさに神の霊の行為としてとらえることによって、聖霊を、神の似姿の『唯一の現実』として、人間の『恩寵に敵対する態度』に立ち向かって戦うものとして、実存を超えたところにある神の子としての身分の創造者として理解」しなければならない、と述べた。その上で、「(聖霊と密接に関連して)記されている」、「真理の柱、真理の基礎」とは、「神の教団」・「イエス・キリストの教団」・「使徒ヨリノ唯一ノ聖ナル公同教会」のことであって、その「イエス・キリストと個人的関係を持つ」その「肢々」としての「一人一人のキリスト者」・「キリスト者個人」のことではない、と述べた。バルトはこのことで、神と人間との無限の質的差異の認識と自覚の重要性と、啓示の実在そのものであるイエス・キリストにおける啓示の出来事と、また聖書の証言・証し教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)に信頼し固執し続けていくことの重要性を述べているのである。もう少しそのことを明確にするために、私たちは、バルトの「私は、福音宣教から独立し、それと接触しない、『自己決定の権利』を国家に与えている、いまわしいルター派の教説をこれまで決して承認しようとはしなかった。(中略)私の神学的思惟は、神の主権と、キリスト教の使信全体の終末論的性格と、キリスト教会の唯一の課題としての純粋な福音の宣教の強調に中心があり、またそれにこれまで中心をおいてきた」、という言説に耳を傾けてみる必要がある(『バルト自伝』)。

 

イ)バルトは、予定論のすぐ後に、神の戒めの教説を「倫理学の原理論」として置いた。そのブッシュの引用――倫理学は「イエス・キリストの認識に基礎づけられるのであるが、それは、イエス・キリストが……聖化する神であると同時に聖化された人間でもあるからである」・「神から要求をつきつけられることなしには、この福音を聞くことはできない」・倫理学は「恵みの倫理学である」――の内容は、まさしく、『福音と律法』の内容の踏襲である。すなわち、律法は福音を内容とする福音の形式であるのだが、このことは、律法がなければ、私たち人間は、現実的に福音を所有することができない、ということを意味している。それでは、律法とは何か? それは、神の側の真実・啓示の客観的現実性・神の義・福音の内容・イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済・平和そのものであるそのイエス・キリストを信ぜよ、という神の「要求と強請」であり、「恩寵への召喚」のことである。したがって、福音・恩寵が「告知」・「証し」・「宣教」される時、「私は私のものではなく、私の真実なる救い主イエス・キリストのものだ」、イエス・キリストにのみ信頼し「固着」せよ、という福音を内容とする福音の形式である律法が建てられる。したがってまた、この神の律法(神の人間に対する要求)は、人間はただの人間でしかない以上、神性を本質とするイエス・キリストを模倣することではない。また、それは、イエス・キリストが信じたように信ずるということでもない。すなわち、それは、「福音の中核」であるイエス・キリストが、「律法を満たし・すべての誡めを遵守し給うたという事実」から考えられなければならないから、素直な感謝の応答・告白・証し・宣べ伝えにある。なぜならば、福音を内容とする福音の形式である律法においては、@人間に対して、「罪と死の法則」の律法・「汝斯く斯くなるべし」という要求から、「生命の御霊の法則」・「汝斯く斯くならん」という約束へと回復せしめられているからである、A「遂行せよ」と求める要求から、「信頼せよ」と求める要求へと回復せしめられているからである。したがって、私たち全人間・全世界・全人類は、『生命の御霊の法則』である律法によって「イエス・キリストにあって解放された」のであるから、「われわれが己の解放を与えられるためには、彼に固着し得る」だけなのである(『福音と律法』)。このバルトの論述内容は、「バルタザールから多くの批判」を受けたが、その批判は、根本的なものではなく、「本来的に印象に残るような反批判では」なかった。批判は、単純に根本的に包括的になされなければならない。(426・427頁)

 

(5)抵抗
 バルトにとって、彼に政治的神奉仕・神学的実存・政治的実践は、それが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、「かつて語った説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」という在り方にあった。そのバルトにとっては、ステパノの殉教の本質は、その苦難の「行為」にはなく、その福音にのみ信頼し固執する「言葉」にあった(『教会―活ける主の活ける教団』「証人としてのキリスト者」)。したがって、バルトは、「もはやかつてのように政党に入党することはなかった」。なぜならば、バルトは、「スイス人として……キリスト者として」、「ナチズムの誤った信仰(≪宗教としての天皇制信仰≫)の恐るべき力動性に、根本的に息長く抵抗できる」ためには、宗教としての「ナチズムの誤った信仰(≪宗教としての天皇制信仰≫)」の誤謬性と迷妄性を根本的に包括し止揚してそこから超出した、ほんとうの信仰、すなわち神と人間との無限の質的差異・第一戒の認識と自覚、イエス・キリストにおける救済と平和に信頼し固執する信仰を必要とするということを「確信」したからである。この場所から、バルトは、非人間性を強要する「ニヒリズムによる革命」を目ざす「ヒトラーのような人物には無条件に――しかも精神的にも、軍事的にも、抵抗しなければならない」、と述べたのである。そして、自由が存在し得る共同体・そうした共同体に役立つ自由の追求を目指したのである。したがって、バルトは、「1939年に勝手に考え出されて、承認された」、スイスの「軍事的中立の<統合的>中立への解釈変更」に対して、「初めから否」と言ったのである。
 このことだけでなくそれ以降もでもあるが、様々な「非難」や「批判」や「反感」を惹き起こした1939年末から1940年初めにかけてのバルトの「決然とした抵抗を呼びかける」「公開書簡」において、彼は、次のような、まさしく自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教に対する根本的な批判――すなわち「『ヒトラー主義の中には、律法と福音、この世の秩序と霊的秩序、この世の権力と霊的権力との関係についてのマルティン・ルターの誤謬』」が、それに類する者たちの<律法→福音>の枠組における「律法の目標」を人間的な「自然法」や抽象的な「理性」や「民族法」へと転化してしまう誤謬が、はっきりと現われており、それによってやがてドイツ人の自然的異教は『イデオロギーに変容し……強化された』」という根本的な批判を行った。
 1940年4月、「スイス(≪スイスの、人間の、世界の、人類の、自由≫)をナチズムからまもるために」、バルトは、54歳の時、「武装補助軍」に志願し軍人になった。「銃砲射撃訓練」、「軍事技能訓練も受け」、「兵器庫の前で歩哨にも立」った。「そして私は時折……心から喜んで……その九五パーセントは教会に行かない人たちであったが、説教をした。そして私はその機会に、ほんとうに人間に向かってなされる説教が、本来どのようなものでなければならないかを、もう一度改めて学んだ」。
 1942年3月、バルトは、『教義学U/2 神論』の「印刷が完成に近づいていた時、再び軍務に就いた。 (427−446頁)

 

(6)神の善き創造 
ア)1942年の夏学期に、バルトは、「創造についての教説」・創造論の講義に入った。この「神の創造と人間の被造性との認識」も、イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいてのみ初めて、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰として可能な事柄である。創造論の「原理」・「中心点」は、創世記の「最初の二つの章の内容」の「展開」にある。それは、終末論的限界の下で、その「<物語>を語り直すことである」。それは、「キリスト教理の他の側面と同様に」、「神の言葉の三形態」に信頼し固執すべきことであって、「『自然的に』認識可能な『対象』」ではない。バルトは、聖書の中の「物語」を、次のように理解している――「聖書の中で物語られているもろもろの歴史」は、史実史や神話ではなく、「ただ、(一人、あるいは何人かの)物語者が物語られた歴史に対して、多かれ少なかれ(主観を交えて脚色しており、そういう意味で)干渉し、関与する」という「歴史物語あるいは古譚の要素を持ったもの」である。「中立的な観察者」として「聖書の中に証しされている啓示の『史実的な(historisch)』確かさを問う問い」は、「聖書にとっては全く縁遠いもの」であり、「聖書の証言の対象にとって」異質なものである。しかし、その聖書的証言に対して、それを「聞くもの、見る者、信じる者」である「非中立的な観察者」にとっては、啓示・聖書・教会の宣教の中に「同時に啓示の秘義があったし、あり続けた」。したがって、その非中立的な観察者だけが、聖書の中の歴史について、「史実的」には「全く何も確かめられない」ということ知らされたし、「啓示の出来事にとって重要でないものだけ」・「啓示とは別の何かだけ」しか確認できないということを知らされた。聖書の中の歴史は歴史物語あるいは古譚であって、そのような「神と人間との間に起こったもろもろの歴史」は、「神的な側面」からは、常に、人間が人間的に所有する人間の一般的な歴史認識・概念の彼岸・外にあるものである。すなわち、聖書証言の報知における歴史(Gschichte)・「特殊な歴史〔的出来事〕」については、いかなる「『史実的な(historisch)』判断」認識・概念もあり得ないのである。

 

 さて、ブッシュが引用している箇所の内容は、やはり、三位一体の神の内容が踏襲されており、その言い換えであり・詳論である、と言うことができる。 第一に、三位一体の根本命題に即して理解すれば、父なる神は、創造主としての神である。神の「存在の本質」としての一神、神の単一性・神性・永遠性の認識を保証するのは、神と人間との無限の質的差異における「父なる名の内三位一体的特殊性の認識」、すなわち神自身においてのみ「実在であり真理」である自在性の認識・自在であって他在としての自由の認識・区別を包括した自己同一性の認識にある。ここでバルトが、神と人間との無限の質的差異の概念と「父なる名の内三位一体的特殊性」の概念によって、ヘーゲル哲学を紙一重で超えていることを、私たちは理解することができる。したがって、次のように言うことができる。神と人間との無限の質的差異の下で、神の「存在の本質」は、単一性・神性・永遠性にあるから、父は子として「自分を自分から区別」するし自己啓示する神として自分自身が根源である。したがって、その区別された子は父が根源であり、愛に基づく父と子の交わりである聖霊は父と子が根源である。この神は、子の中で「創造主として、われわれの父」として自己啓示する。また、父だけが創造主なのではなく、子と霊も創造主である。同様に、神の「存在の本質」から言えば、父も創造主であるばかりでなく、子に関わる和解主であり、聖霊に関わる救済主でもある。イエス・キリストが父として啓示する神は、「われわれの生を、死を通して永遠の生命に導くために死を欲し給う」神である。したがって、私たち人間を永遠の生命に導くために、「ゴルゴダにおいて、イエス・キリストにあって、イエス・キリストと共に、われわれすべてのものの生命が十字架につけられた」のである。また、バルトは、「内被造世界での、……父という呼び名は確かに真実である」が、「非本来的なもの」であり、「神の内三位一体的父の名の力と威厳に依存」しているものとして、すなわちその啓示認識に依拠した信仰の類比・関係の類比を通して理解されなければならない、と述べている。また、例えば、ヘーゲルにおける、他在であって自在としての自由の概念、自由な人間の自己意識の対自的で対他的な構造を紙一重で超えるためには、神自身においてのみ「実在であり真理」である「自由」という概念を必要とするのである。この時、ヘーゲルの言う人間におけるそれは、啓示に固有な証明能力に基づく啓示認識に依拠した信仰の類比・関係の類比を通した自己認識・自己理解・自己規定として成立するのである。
 第二に、「創造された世界」における「神の愛」と「われわれの世界」における「イエス・キリストの事実の中における神の愛」との間には差異がある。すなわち、後者の神の愛は、『福音と律法』の「真理性」と「現実性」の構造における神の愛を意味している。それは、「まさしく神に対し罪を犯し、負い目を負うことになった人間の失われた世界に対する神の愛」である。すなわち、「和解ないし啓示」は、「創造の継続」や「創造の完成」ではない。この意味は、「和解ないし啓示」は、神の「存在の仕方」の差異性における「第二の存在の仕方」であるイエス・キリストの「新しい神の業」である、ということである。それは、「神的な愛の力」・「和解の力」である。イエス・キリストは、和解主として、創造主のあとに続いて、神の「第二の存在の仕方」において「第二の神的行為を遂行」したのである。この神の「存在の仕方」の差異性における「創造と和解のこの順序」に、「キリスト論的に、父と子の順序、父(≪啓示者≫)と言葉(≪啓示≫)の順序」が対応しており、「和解主としてのイエス・キリスト」は、創造主・父に先行することはできない。しかし、父・子は共に神自身のその「存在」において単一性・神性・永遠性を本質としているから、この従属的な関係は、「存在の本質」の差異性を意味しているのではなく、「存在の仕方」の差異性を意味している。言い換えれば、このことは、父なる神の存在の仕方の中での一人の神(存在の本質)・子なる神の存在の仕方の中での一人の神(存在の本質)・聖霊なる神の存在の仕方の中での一人の神(存在の本質)、という神の「存在の本質」(単一性・神性・永遠性)とその神の人間へと向かう「存在の仕方」(性質・行為・働き)における自在であって他在である神の自由を意味している。「創造が無からの創造であるように、和解は死人の甦り」である。「われわれは創造主なる神に生命を負うているように、和解主なる神に永遠の生命を負うている」。この神の自由において創造は、「契約の外的根拠」として、イエス・キリストが始原であり中心であり終極である「恵みの契約の歴史のための場所設定」である。また恵みの契約の歴史は、「創造の内的根拠」として、創造の目標であるその契約の歴史の始原であり、中心であり、終極であるイエス・キリストご自身である。それは、父なる神と子なる神と「父ト子ヨリ出ズル御霊」の三一論的な神自身の自己啓示、自己認識・自己理解・自己規定である(『教会教義学 神の言葉』「三位一体の神」)。神性を本質とするまことの神でありまことの人間である「イエス・キリストにおける神の愛」は、神自身の「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一である」(『ローマ書』)。

 

イ)1942年夏、バルトは、「洪水のように増大したユダヤ人亡命者流入に深い精神的動揺を覚えた」。バルトは、ベルン政府が「一万人の亡命者の入国を拒否したという事実、受け入れられた亡命者の取り扱いが恥ずかしいものでしかなかった事実」に「大きなショックを受けた」。バルト自身のユダヤ人「亡命者に対する援助の要求」の根拠は、次の点にあった――第一には、ユダヤ人は、「救い主の肉につながる兄弟である」というキリスト教的根拠にある。第二には、「正義と憐れみの最後の拠点」としてのスイスを求めた点にある。第三には、「亡命者の中に、……われわれが免れていた運命を見」たからである。
 バルトは、「政治に関する限り、発禁処分中の著作家、講演者」であるだけでなく、警察によって電話の「盗聴」もされていたのであるが、そして「1943年1月22日にはトリポリが、31日にはスターリングラードが陥落」し、「1944年6月6日には〔連合軍の〕フランス侵入が開始され」、「第二次世界大戦の転換点」であったが、「新しい問題が迫って来るまで沈黙を守ろうと考えた」。
 1943年5月7日、バルトは、「グヴァット(トゥーン州)」で、『教会の洗礼論』について講演をした。ブッシュによれば、その内容は次のようなものであった――「洗礼というサクラメント」は、「人間の救済をひき起こす(「因果論的」)というのではなく、キリストにおける人間の核心を象徴的に形どることによって、人間に救済を証明する(「認識論的」)のである。その帰結として彼は、小児洗礼の拒否と、受洗者は洗礼の受動的な対象であることをやめて、再び自由な、すなわち自由に決断し、自由に告白する……イエス・キリストのパートナーにならなければならない」、というものであった。バルトは、「洗礼慣習をこのように変えることによって……『コンスタンティヌス帝以来のキリスト教世界(コルプス・クリスチアヌム)におけるプロテスタント教会の存在』の放棄」・「民族教会の今日の形態」の「放棄」を目指した。このバルトの言う「コンスタンティヌス帝以来のキリスト教世界(コルプス・クリスチアヌム)」は、一切の自然神学・自然神学的なもの系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教として<総括>できる。この意味で、自由、人権、民主主義、国家という近代的な概念は、「キリスト教という宗教の産物」であり、「神のアナロジー」であるから、キリスト教は近代主義的な「世俗的な価値の起源」である、と述べた橋爪大三郎・大澤真幸の『ふしぎなキリスト教』は正当性があるのである。したがって、バルトは、その事態を神学における思想の課題として、その信仰・神学・教会の宣教のその原理、その認識方法と概念構成それ自体において、一切の近代主義・自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教を根本的に包括し止揚してそこから超出していこうとしたのである。バルトは言う――「教会は、小児洗礼と手を切るならば、もちろんもはや国家教会、また集団教会としての民族教会ではありえないであろう」。したがって、私たちは、「再び自由な、すなわち自由に決断し、自由に告白する……イエス・キリストのパートナーにならなければならない」という言葉から、例えば、(3)のア)のバルトの政治的神奉仕・神学的実存・政治的実践における明確な原則を、すぐにイメージすることができるであろう。また、次のような、バルトの教会の宣教における原則を、すぐにイメージできる――@聖書また教会の宣教において神は、イエス・キリストの父、子としてのイエス・キリスト自身、父と子の霊である聖霊であり、このような三位一体の神として自己啓示する。したがって、この啓示が教会の宣教の客観的な信仰告白と教義である三位一体論の根拠である。この三位一体論は、神論の決定的に重要な構成要素であり、「啓示の認識原理」である。したがってまた、「教会の宣教の批判と訂正」は、常にこの三位一体論に即して行わなければならない。なぜなら、この三位一体論を啓示認識の原理としない場合、すぐに神性否定のキリスト論や半神・半人キリスト論や三神論や神と人間・神学と人間学との混淆論・共働論という自然神学的なキリスト論・聖霊論・神論に埋没していく以外にないからである。A教会は、「正しい注釈」を、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての啓示の実在そのものであるイエス・キリストに、そしてイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」である聖書に基づいて行わなければならない。B教会は、「正しい注釈」を、「最終的に……教会の教職の判決に、……間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問の判決に、依存させてしま」ってはならないのである。C「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということ」がなされないままに、礼拝改革・社会的政治的実践・キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、「何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考え」てはならないのである。D教会は、宣教の規準を、聖書と同時に、「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは「哲学、道徳、政治」、人間学的な哲学原理・認識論・世界観等に置いてはならないのである。E教会は、「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとしてはならないのである。F教会は、ある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとしてはならないのである(『教会教義学 神の言葉』)。
 1944年2月、バルトは、「ビールとキルヒベルク」で、『イエスと国民』について講演し、「『イエス』を……偽の『羊飼い』によって欺かれた……『人たち』とかかわりをもつ人物として描いた」。この講演は、「『教会教義学W/2』に収録された」。
 1944年戦争の終わりの時期に、バルトは、教会「教義学をたゆまず書き続けること」に、自身の「最も重要な寄与」を見出したと同時に、「スイス=ソヴィエット連邦協会」と、ロシア人抑留者の救援活動等々にも参加した。(447−456頁)

 

(7)「わたしはあなたがたの友なのだ」
 1944年7月23日、バルトは、デュレートで、『今日の時代におけるキリスト教会の約束と責任』について講演し、「義人を救うためではなく、罪人を救うために来たり給うた方であるイエス・キリストの御前に明確に立つ民族」は、「神が審き給う」た「ユダヤ民族」とその民族と「類似性を持つ……ドイツ民族」である、と述べた。したがって、「神が審き給う」たことを、「われわれがもう一度審き直すということは、われわれの課題とはなりえない」。バルトにとって、ほんとうの課題は、一切の近代主義・自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教を根本的に包括し止揚してそこから超出していくところにあった――「今やこの十五年間の歴史だけでなく、もっと長い歴史の一章が終わった」(459頁)。しかし、このバルトの感じ方・考え方を理解した者はいなかった。バルトは、「『第三帝国の崩壊』直後の最初の時期に、「すでに姿を現わしはじめたあらゆる失望と脅威」を見出した(469頁)。それは、次のようなことである。「キリスト教の使信をその根源から革新する問題や、その使信を今開かれた新しい状況に適用するといった問題よりも」、「形式的秩序体制に対する旧態依然たる関心やあらゆる新奇なものへの関心」や「教派主義と教権主義への関心」や「相も変わらず誰が指導者になるか、その人はどのグループの出身かが問題」とされ、「教会の会衆の問題」は除外された、という事態である(465・466頁)。1948年、バルトは次のように書いた――「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇(≪近代以降の、神と人間・神学と人間学との混淆論・共働論に信頼し固執した自然神学的な神学者や牧師や著述家たち≫」が『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」(エーバハルト・ブッシュ『バルト神学入門』)。まだあるのだ。第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」・「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した・「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(『バルト自伝』)。『人類の知的遺産バルト』を書いた大木英夫も、「コルプス・クリスチアヌム」について述べながら、バルトにおける根本的包括的究極的なあの課題については理解していないし自覚していないのである。したがって、大木は、自ら翻訳した自然神学的な宗教哲学者エーバーハルト・ユンゲルの「訳者あとがき」で、ヘーゲル主義の亜流そのものでしかない「ユンゲルのバルト解釈は、バルト後を確定した」、「バルト後の誰もが無視できない一つの流れ、誰もがそこを回避出来ない一つの道を決定した」、「これは日本の知的読者の中にも新しい論議を発火させる焦点となるかも知れない」、という馬鹿げた評価を平然としてしまうのである。このユンゲルと大木を即自的に評価する佐藤優も同類である。これで、日本では神学者として・メディア的著述家として通用し流通してしまうのだから、私たちはやり切れなさを感じるのである。(458・459頁)

 

 1945年の初め、バルトは、多くの場所で、講演『ドイツ人とわれわれ』において、「今や際限もないほど徹底的に打ち負かされたドイツに対するスイスのかかわり方について」述べた――「あなたがた、あまり同情できない人たち、ヒトラーの息子たちと娘たち、残忍な親衛隊の兵士たち、悪辣な秘密警察の無頼漢たち、悲しんでいる妥協者たちとナチ協力者たち、こんなに長い間、総統と呼ばれる男の後を、愚かにも辛抱強く走り続けたすべての家畜の群れのような人たち……わたしは……あなたがたが何者であり、何をしてきたかは問わない。わたしはただ、あなたがたがもうお終いであることを、また良くも悪しくも、いずれにしても最初からやり直さなければならないことを知っている。わたしはあなたがたに元気を出して貰いたいのだ。今からあなたがたと共に、新たにゼロから始めたいのだ! ここにいる人たち、このスイス人が、何時も尊重してきた彼らの民主主義的・社会主義的・キリスト教的理念のゆえに高慢になって、あなたがたに関わろうとしないときでも、わたしたちはあなたがたを招いている」、と(458・459頁)。バルトは、『証人としてのキリスト者』で、次のように述べている――「心を頑固にし福音を認めない人間」や「異教徒」に対して、「恵みから語り、恵みについて語るという以外のこと」をなすことはできない。すなわち、そうした人々に呼びかけることができるのは、「私がその人をその中に置くことによってではなく」、イエス・キリストがすでにその人をその中に(≪イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済・平和、神の側の真実としての啓示の客観的現実性の中に≫)置いてい給うことによってである」。したがって、私たちは、「キリストにあるものとしての人間のために、努力し得るにすぎない」。このバルトの信仰の完全な開放性について、ブッシュは、バルトの言葉を引用しながら、次のように述べている――「教会は、(中略)信仰の完全な開放性において理解されなければならない。その信仰の開放性においては、『イエス・キリストは<マルクス主義者>のためにも死に給うたのだが、また<資本主義者>と<帝国主義者>と<ファシスト>のためにも死に給うた』ということから出発することができる」、と。(460−469頁)

 

 人間を知り尽くした、人間の内面の普遍性に届く言葉――「律法学者たちやファリサイ派の人々」が、姦通をしていた女を連れてきて、モーセの「律法」を根拠にして、イエスを試すために、彼に対して、「石で打ち殺す」べきかどうかを問うた時、イエスは、「かがみ込み、指で地面に何か書き始められた」が、「彼らがしつこく問い続けるので、……身を起こして」、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われた。すると、「年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った」。そこで、イエスは、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい」(先ず以て、この福音の言葉がある――全人間・全世界・全人類の<罪>を包括し止揚する・その神性を本質とするイエスご自身の「死と復活」によってのみ克服する福音の言葉がある)、「これからは、もう罪を犯してはならない」、と言われた(ヨハネ8章)。