本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

バルトの生涯――ほんとうの処女作『ローマ書』第2版へ向かって(その2の2)

エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づく

 

バルトの生涯――ほんとうの処女作『ローマ書』第2版へ向かって(その2の2:86−178頁)
――個と類・歴史性と現存性を生きたバルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書』第2版へ向かって:1−178頁――

 

 バルトは、1911年、牧師としてザーフェンヴィル教会に赴任し、そこで、1921年まで生活し・喜怒哀楽し・思惟し・意志し・活動した。ここで、重要なことは、バルトは、このザーフェンヴィル時代に、処女作『ローマ書』第二版の思想に向かって成熟した、ということである。すなわち、、ここで、バルトは、それ以後の彼の全著作に貫徹される、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異の思想を確信をもって確立した、ということである。この「あとにはなにがくるのか? 現実と時代とがかれに強いたものが、ひとつの思想の展開としてやってくる」(吉本隆明『思想家論』「カール・マルクス」)。バルトの著作には、この思想の一貫性がある。例えば、この神と人間との無限の質的差異に基づいて、徹頭徹尾全面的に、神の側の真実の出来事、主格的属格としての「イエスの信仰」、イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済(史)、啓示の客観的現実性が、『福音と律法』で展開される。「『神の人間性』に見る後期バルトの神観」で、時系列的判断と一方通行的な形而上学的思考によって後期バルトの変節論を書いた牧師は、処女作『ローマ書』第二版の思想に向かって成熟した以降のバルトの思想の一貫性を、全く理解できないのである。したがって、バルト自身は、このような神学者や牧師や著述家がいるであろうことを予想して、誤謬と誤解と曲解がないように、『神の人間性』において、「神の神性において」、「また神の神性と共に、ただちにまた神の人間性もわれわれに出会う」という書き方で表現すると共に、「神が神であるということがいまだに決定的となっていないような人は、今神の人間性について真実な言葉としてさらに何か言われようとも、決してそれを理解しないであろう」、とも述べたのである。このように、神と人間との無限の質的差異の思想は、晩年の『神の人間性』(1956年)にも貫かれているだけでなく、『カント』・『ヘーゲル』や、根本的で究極的な宗教改革書としての『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』(ルター批判)や『福音と律法』(「イエスの信仰」の主格的属格理解、啓示の客観的現実性)や、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』、『教義学綱要』(「聖霊は、人間精神と同一ではない」)、『教会教義学』にも貫かれているのである。先ず以て、この神と人間との無限の質的差異の思想こそが、自然神学の系譜に属する、人間の側からする、人間の恣意性からする、神の人間化・人間の神化、神・福音の理念化、神・福音の有神論的形而上学化、神・福音の「われわれに管理されるプログラム」化、キリスト教的なカルト宗教集団化、と抗することができる唯一の思想的武器である――「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪対象化された人間の自己意識の意味的世界・人間の管理するプログラム≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかったのである。神と人間についての独断的な観念に基づく独断的に考え出された救いの計画と救いの方法が支配するところ、そのようなところでは、その意図がたとえどのように心から善いものであり、敬虔なものであっても、神に対しても人間に対しても、真に奉仕が行われることはないであろう。またそのようなところには、教会は存在しないのである。そのような救いの計画と救いの方法の独断性が、神に余りに僅かしか信頼せず、人間に余りに多く信頼するという点に現われるということは、疑いない」(カール・バルト『啓示・教会・神学』)。
 ここまで書けば、86−178頁において、バルトに何が起こったかを結論づけることができる。それは、再度述べれば、バルトは、このザーフェンヴィル時代に、処女作『ローマ書』第二版の思想(神と人間との無限の質的差異の思想)に向かって成熟した、ということである――思想的には、「このザーフェンヴィル時代に……私の道の決定的な、本質的転換が起こった。この方向転換によって、私のその後の外面的な経過も決定されることになった」(88頁)。バルトは、1921年10月、ザーフェンヴィル教会で「退任説教」をし、ゲッティンゲンへ向けて出発するのであるが、それは、バルトにとって、神学者として、また神学における思想家として、一切の自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教に対する、根本的で究極的な宗教改革の道に踏み込むことでもあったのである(172−178頁)。

 

  パウロはその時代の子としてその時代の人々に語った。けれどもこの事実よりはるかに重要な事柄は、いま一つの事実、すなわち彼は神の国の預言者ならびに使徒としてあらゆる時代のあらゆる人々に語っている、ということである。(中略)わたしは専ら歴史的なものの裏に聖書の精神を洞察しようと心がけた。聖書の精神は永遠の精神なのである。かつての重大問題は今日もなお重大問題であり、今日の重大問題で単なる偶然や気まぐれでない事柄は、またかつての重大問題と直結している。(『カール・バルト著作集14』「ローマ書」)
  私が「方式」なるものをもっているとすれば、それは、私がキェルケゴールのいわゆる時間と永遠との「無限の質的差別」なるものの否定的および肯定的意味をあくまで固守した、ということである。「神は天にいまし、汝は地に在り」。私にとっては、この神とこの人間との関係、ないしはこの人間と神との関係が聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である。哲学者たちは人間の認識をおびやかすこの危機を根原と呼ぶ。聖書はこの十字路にイエス・キリストを見る。(前掲書)
  われわれは神を「信じ」つつ、実はわれわれ自身を義とし、享楽し、崇拝している。……われわれの敬虔は、あらゆる仕方で謙虚と感動を表しながら、実は神御自身に逆らうことをその本質とする。われわれは時間を永遠と混同する。それがわれわれの不逞である。そしてそれが、キリストを除外した場合の、すなわち復活の此岸における、ないしはわれわれが糾正されない先の、われわれの対神関係である。この場合、神自身は神と認められず、神と称するものは、実際には人間自身なのである。(同書)

 

 ここからは、バルトの足跡を、時系列的に辿ってみよう。
1)バルトは、「一二年間の牧師生活の間」、説教や堅信礼教育に「骨折りを惜しまなかった」(93頁)。そして、バルトは、説教の準備に熱心であった――「彼は説教の準備にまる二日をかけ、『五回も初めから書き直し』」た。また、その説教を、教会員に「深い印象を与える」ために、「ただ読み上げるというのではなく、……原稿から離れて自由に話した」。しかし、彼の説教のスタイルは、まだ、「自由主義神学者のスタイル」を保持していた。また、その説教の内容は、「近代神学的説教」であった。すなわち、「シュライエルマッハーを、宗教改革の天才的再興者として称賛して」いた。(88・89頁)。このザーフェンヴィル時代を、バルトは、後年になって後悔している――(1925年)「私は結局のところ、ザーフェンヴィルの牧師としてはまったくうまくやれなかったという思いが私を苦しませます」(92頁)。このような体験の思想化から、後年バルトは、次のように説教論を構成した――説教の無条件的な出発点と目的は、「新約聖書において聞く啓示、和解」=イエス・キリストの死と復活の出来事の啓示、その内容である「インマルエル、神われらと共にいます」である。したがって、私たちは「キリストからすべてのことを期待しなければならない」。このことが「終末論」である。したがってまた、「キリスト教的終末論とは、キリスト論にほかならない」。ここで説教は、「感謝と確信と共に期待の態度と行動」である。「第一の来臨(≪誕生・死と復活≫)と第二の来臨(≪終末・完成≫)との間(≪聖霊の時代≫)に、説教と、また同時にキリスト者の生活全体」とがある。説教は、説教者の自由事項や独占事項ではないのであるから、自分自身の言葉から由来すべきではなく、どのような場合であれ、その形式と内容において、「聖書への絶対的信頼」に基づく、「聖書講解であることの義務」を負っている。「説教者が、実際の生活にはなお多くのことが必要であって聖書は生きるために必要なことを言いつくしていない(≪近代主義的等の人間の感覚や知識を内容とする経験・情報が不足している≫)、と考えるようなことがある限り、彼は、この信頼、信仰を持っておらず、真に信仰によって生き」ようとしていないのである。福音は、「われわれの思考や心情の中にあるのではなく、聖書の中にある」から、私たちは、「思想」、「最高の習慣、最良の見解、そのようなものいっさい」を、聖書に「聴従」することの前で、「放棄」しなければならない。その「聖書は神の言葉となる」ところで、「聖書は神の言葉なのである」。すなわち、聖書に「聴従」するために、神のその都度の自由な決断に基づく啓示の出来事と信仰の出来事において、その神の言葉の「出来事」の運動の中において、聖書によって導かれなければならないのである。説教者にとって、「彼らに語らなければならない彼ら自身に関する真理」は、「神がすでに為した」「わたしの前にいるこの人々のために、キリストは死に、甦られた」――神、罪深きわれらと共に、ということである。すなわち、説教は、牧師や神学者や著述家が、恣意的で皮相的な、くだらない知識や独り言の駄弁と戯言を語ることではないのである(バルト『説教の本質と実際』)。

 

2)理性(思惟)を自覚した人間は、「自然から区別され」た自由な人間である。この理性(思惟)の使用は、「神に対する人間の使命である」、とバルトは述べている。またバルトは、「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性(≪善意志≫)にあるとするような信仰である」としたカントを称賛している(93頁)。ここにおいては、バルトは、神と人間との無限の質的差異を揚棄した人間に内在する神的本質を標榜するヘーゲル哲学を包括し止揚して、そこから超出していく神学における思想の課題に対して、まだ無自覚である。したがって、バルトは、フォイエルバッハの宗教批判に対しても無自覚である。言い換えれば、バルトは、まだ、神自身においてのみ「実在であり真理」である自由、その神自身のその都度の自由な決断による、イエス・キリストの啓示の出来事と信仰の出来事(聖霊の注ぎを必要とする)に基づく人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰、それに依拠した信仰の類比・関係の類比・啓示の類比を通した人間の自己認識・自己理解・自己規定という、その認識方法と概念構成に対して無自覚である。

 

3)その自覚のためには、「現実と時代」がバルトに加担しなければならない。それは、バルトにとって、先ず「牧会活動」への「集中」から惹き起こされた。すなわち、「私は、自分の教会の中で具体的に目撃した階級対立によって、初めて現実の生活の持つ現実の問題性に触れることになった」・「私の主な勉強は、(≪「自由神学の線にそった本来の研究の続行」ではなく、≫)〔今や〕工場法立法とか保険制度とか労働組合論といったものに向かい、私の心は、私が労働者の側に立つ態度をとったことから引き起こされた、地域の、州内部における、激しい闘争に引きこまれて行った」。バルトは、労働組合を結成せず低賃金の劣悪な労働環境における労働者に対して、「理論を教え、実際の支援によって援助し、組織的な行動に導」こうとした(99・100頁)。「マルクスの完結した体系は、……理論が彼を実践のほうへ必然的につれてゆくようにできあがっていた」。このマルクスは、「ただ労働者への実行をよびかける活動こそ重要だというもっともらしいことをいう<目覚めた労働者>の使徒」に対して、「はっきりした基盤のうえにたたず労働者を扇動することは、馬鹿げた使徒と、それにききいる馬鹿げたロバをつくりだすだけだ」・「無知が役にたったためしはない」、と述べたという(『思想家論』「カール・マルクス」)。
 次に1912年の「父の死の床」での言葉であった――「主イエスを愛することが主要な事柄である。学問でも、教養でも、文献批評でもない。神との生きた結びつきが必要である。それを与えられるように、われわれは主なる神に祈り求めなければならない」(98頁)。しかし、だからと言って、バルトが、一切の近代主義や一切の自然神学的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教を包括し止揚して、そこから超出したわけではない、そのような神学における思想的課題を自覚したわけでもない。神学においてだけでなく、政治的社会的な実践においても、それは護教的態度や「社会主義の宗教的変容」化を目指したものではなかったが、バルトは、まだ思想的に未熟であった。次のようなバルトの言葉によって、そのことがよく分かる――「正しい社会主義は、今の社会主義者がやっているようなものではなく、イエスが実践したようなものである」・「イエスの人格の本来の内容は、社会・運動という二つの言葉に集約される」・したがって「神の前に通用する精神は、社会主義的精神である」・「社会主義の諸要素」は「福音の適用の重要な部分」である。バルトは、「これらの諸要求に答えるために、労働者たちを政治的に教育し、啓蒙することによって応援するという形で参加しようとした」(101・102頁)。先ず第一に、このように外部注入によって大衆を啓蒙しようとするバルトは、神学・知識における思想的課題について無自覚である。すなわち、神学・知識の頂へと向かう一方通行的な往相過程から、逆に、その還相過程において、自らが「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実的生活」・「貧しい、低きにいる民」にまで意識的に下降していく往還思想の構成は、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』(『説教の本質と実際』)等まで待たねばならなかった。第二に、聖書に依拠した、人間の「困窮」の理解に対して無自覚である。このことについても、例えば、『証人としてのキリスト者』等まで待たなければならなかった。すなわち、聖書における「困窮」理解は、神から遠ざかり・遠ざかり続け・罪を新たな罪を犯し続けている、人間の自主性・自己主張・無神性・真実の罪にある。その人間の救済にある。バルトは、「人間そのもの」は、「キリストなしの人間は破滅したものだということ以外の何を、語り得るであろう」、と述べている。ここで、「破滅」したものとは、「多少破滅したものということではなくて」、徹頭徹尾全面的に、「全く破滅したものだということである」。したがって、「キリストは、われわれを、われわれのために死ぬということに以外の仕方では、救い得給わなかった。われわれは、そういうことによって救われるという以外の仕方では、救われ得ないのである」。私たちは、キリスト者でなくても、自分が現に身近に接している「食物の飢え」で困窮している具体的な一人の人や一部の人を施しや奉仕によって相対的・部分的に救済しようとするだろう。「人の苦しんでいるのを、われわれが実際に見る場合には、当然われわれは、助けを待ち設ける」だろう。この飢餓等で困窮している人たちを目前にして食糧を提供することは、思想にとって過渡的な考え方・緊急の課題に属している。「しかし、ご注意願いたいが、私はかつては、宗教社会主義者であった。そして、それから離れたのである。それは、そこでは人間の困窮と人間に対する助けとが、聖書が理解しているほどには、真剣に理解されておらず、深く理解されていないということを、見るように思ったからである」(『教会――活ける主の生ける教団』「証人としてのキリスト者」)。バルトは、聖書に、神の側の真実である主格的属格としての「イエスの信仰」、すなわちイエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済(史)を見い出したのである。この課題は、還相的な究極的永遠的課題に属している。第三に、この当時のバルトは、まだ、往相的課題としての観念的な法的政治的解放の部分性相対性過渡性と還相的課題としての現実的な人間的社会的解放の総体性究極性永続性との構造としてある革命像に対して無自覚だった。

 

4)1913年3月、ネリ・ホフマンと婚姻する(103頁)。

 

5)バルトは、自然神学的な人間学的神学・「一つの『宗教哲学』の形成という形で、さらに先に進まなければならないのではないかと自問した」。1916年、ヘルマン・クッターと出会い、後になって否定的に媒介することになるという意味で、「決定的な影響」を受ける。また、バルトは、クッターを通して、社会運動と平和運動に熱心なレオンハルト・ラガツのいたグループと接触する。このクッターとラガツが、1906年にスイスの宗教社会主義運動を発足させた人物である。その機関誌は『新しい道』であった。また、その体系は、「教会は社会主義が、神の国の先行現象であるとの態度決定すべきだという理論」にあった。この体系的思考に対しては、バルトもトゥルナイゼンも反対した。しかし、そのバルトは、スイスにおける社会民主主義の実現の必要性を論じている。また、バルトは、『新しい道』誌に、「資本主義の『罪悪』は神なしの世界の指標である」という見解も載せている(104−115頁)。バルトの、この神と人間、神学と人間学との混在の中で論じられた見解は、純粋に人間学的領域においてはもちろんのことであるが、神学の領域においても、ミシェル・フーコーの次のような見解に比べたら、その本質に届かない位相のものである。なぜならば、バルトには、「私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないものであるからである」(『資本論』)、という認識が欠けているからである。また、バルトのその自然神学的な見解は、神と人間、神学と人間学との混淆・共働におけるそれとして、神学としても、人間学としても、非自立的で中途半端なそれでしかない位相のものだからである。
 さて、純粋に人間学的立場から、マルクスは資本主義の分析の際に、「労働者の貧困という問題に出くわして自然の希少のためだとか計画的な搾取のせいだとかといった、ありきたりの説明を拒」んだ。なぜなら、資本主義制度における生産は、制度的必然・「その基本的法則によって必然的に貧困を生産せざるをえない」ものだからである。すなわち、資本主義制度は、「何も働き手を飢えさせるために存在しているわけではないが、かといって彼らを飢えさせずに発展することもできない」ものである。したがって、「マルクスは搾取を告発するかわりに、生産を分析した」のである(『ミシェル・フーコー』「セックスと権力」)。
 資本主義が悪や欠陥を持っていることは、制度的必然として原理的に自明なことである。しかし、資本主義は「人類の歴史の無意識(≪自然史の一部である人類史における自然史的過程≫)の生んだ……最高の出来栄えの作品」である。したがって、「資本主義が産みだした文明も文化も人類の最高の作品」である。したがってまた、資本主義には「悪」と「欠陥」・搾取・貧困があるから資本主義が産みだした「文明や文化や商品も悪」で欠陥があると資本主義を批判しその文化や文明を批判しても、その「最高の作品たる根拠を揺るがすことはできない」。すなわち、その根拠を揺るがし資本主義を超えるには、資本主義とその資本主義が生み出した文明や文化や商品を包括し止揚する以外にない。言い換えれば、@還相的な究極的永続的課題として、根本的に資本主義を包括し止揚するためには、資本制的生産様式(交換価値論)とは異なる新たな生産様式(新たな価値論)を構成しなければ不可能である。その可能性は、吉本に依拠して言えば、世界普遍性としてある人類史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階にまで遡及し、その段階における種々の贈与制の歴史的批判的な調査・解明に基づくその再構成にある。すなわち、民族国家の枠組みを超えた世界的規模での技術的・産業的・経済的な地域特性化に基づく贈与制の構成、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論の構成にある。それができれば、経済社会構成体を資本制におく西洋近代を超え出て、次の段階に超出することができる。A往相的な過渡的緊急的課題としては、例えば「西武」や「電通」や「自民党の手先」であっても、優れたCM作家の優れたCMは評価すべきであるから、創造的な批判は、それを包括し止揚してそれを超えた作品を創造する以外にない(吉本隆明『マルクス―読みかえの方法』)。
 バルトの場合、その神学の原理それ自体において、その神学の認識方法と概念構成それ自体において、一切の近代主義と一切の自然神学的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教を包括し止揚して、そこから超出したところでの、次のような神学における自立した思想的原則を保持するようになるのは、処女作『ローマ書』第二版の思想の確立以降であった。
【教会の宣教を「より危険なものにしてしまう」教会の宣教の在り方】(『教会教義学 神の言葉』に基づく)
@教会の宣教が、時流や時勢や人間学に、また人間の感覚や知識を内容とする経験に、取り残されるのではないかという不安の中で自主的なプログラムを打ち立てる場合、教会の宣教の「規準としての聖書の性格」・「聖書の自由な力」は喪失される。
A教会の宣教が、「正しい注釈」を、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としてのイエス・キリストの啓示に、そしてその証し・証言・証人としての聖書に基づくことをしないところにある。
B教会の宣教が、「正しい注釈」を、「最終的に……教会の教職の判決」に、また「間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問の判決に、依存させてしまう」ところにある。
C教会の宣教が、「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということ」がなされないままに、礼拝改革・社会的政治的実践・キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、「何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考える」ところにある。また、その宣教の規準を、聖書と同時に、「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは「哲学、道徳、政治」等におくところにある。
D教会の宣教が、「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとするところにある。
E教会の宣教が、ある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとするところにある。
【神学的実存における思想的原則】
@「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」するべきである。(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)
A「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」べきである。(前掲書)
B「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」。(同書)
C「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」。しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したが
って、われわれは最後の手段のために、(≪民族国家・政治的近代国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」。このように、自然神学的な神学者や牧師や著述家とは違って、神学における<思想家>でもあるバルトは、教条主義者ではない。(『バルトとの対話』)
D「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・「国家は支配であり、文化は支配」である。したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」。(『啓示・教会・神学』)

 

6)1914年8月、第一次世界大戦が勃発した。ザーフェンヴィルの住民たちも、「多数『国境警備』に召集された」。バルトも、「何回か、夜間に小銃で武装して『村の警備』」にあたった。問題は、バルトの「ドイツにおける先生たちのほとんど全部」を含めて、「九三人のドイツの知識人」は、皇帝ヴィルヘルム二世とその首相ベートマン=ホルヴェークの戦争政策への支持を表明した点にあった。この戦争イデオロギーへの「倫理的屈伏によって、彼らの聖書釈義や教義学」、「倫理学」や「説教の世界全体」が根底から崩されることになった。このことを契機に、「バルトの批判は、……十九世紀の神学全体にまで及ぶようになり、ついにシュライエルマッハーにまで達した」。それだけでなく、「ドイツ社会民主党」も、「戦争イデオロギーに屈服した」。しかし、バルトは、その社会民主党に対する「批判を行った」が、1915年入党する。なぜならば、その当時のバルトは、「大戦勃発後、キリスト教と社会主義のどちらも、『改革』を必要としており、……『真のキリスト者は社会主義者にならなければならない』……真の社会主義者はキリスト者でなければならない」、と考えていたからである(116−121頁)。ここには、まだ依然として、自然神学の系譜に属し続けている、バルトがいる。

 

7)バルトは、1915年11月15日、「バーゼルで『戦争の時代と神の国』と題して講演を行った」。この講演は、処女作『ローマ書』第二版の思想に向かって成熟していく萌芽、と言うことができる。なぜならば、その講演は、「人間的な改革の試み」や「世俗内の領域」からは、「なにも新しいものは期待し得ない」ということを、確信をもって認識し自覚したものだったからである――「世界は世界である。しかし神は神である」。処女作『ローマ書』第二版の思想に向かって成熟した以降のバルトの語り方は、例えばこうである――バルトは、究極的な平和を希求する場合も、人間の究極的な困窮からの解放も、徹頭徹尾全面的に、神の側の真実である主格的属格としての「イエスの信仰」、啓示の客観的現実性、全人間・全世界・全人類のイエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済(史)から語る。したがって、バルトは、人間的な過渡的・緊急的・相対的・意志的努力は必要だとしても、終末論的限界において、その人間的試みが成功するとは少しも考えていないように語るのである。バルトは「神の人間性」において、人間自身の「素晴らしさ」を語るのであるが、人間の感情・理性・意志・実存・構想等を含めた人間的自然や人間的能力や人間的試みの根本的かつ究極的な限界性をも語るのである。また、「神の人間性」という概念と、その「神の人間性」から与えられた人間の人間性との無限の質的差異についても語るのである。すなわち、人間における労働や性・夫婦・家族や理性や感情や意志や実存や言語が対象化した文明や文化等の人間的自然(人間の人間性)の一切は、「神の人間性」ではないということを語るのである(『教会教義学 神の言葉』、『神の人間性』、『福音と律法』)。
 このバルトは、「<政治的牧師>というものを、どのような形にせよ、たとい社会主義的なものであっても、誤りだ」と考えていたが、一方で、当時はまだ社会主義を「現に働いている」「神の国の……しるしの一つ」と考えていた彼は、「人間として、また市民としては……社会主義の側に立」った。しかし、1916年の説教において、「神学する姿勢に対する根底的な転換」を果たす。それは、「神は神であることを承認すること」・「神について語ることの原理的な困難さの認識は、すでにそれだけで神についての正当な認識である」という確信と自覚である。この根底的な転換と並行して、バルトは、「ますます宗教社会主義のグループから遠ざかって行った」。(122−133頁)

 

8)「神学のABCを改めて学び直す」試み、すなわち「旧・新約聖書を講読し、注解することからやり直す試み」から『ローマ書』第一版へ――バルトは、1921年に「初めて大声で」、「もはやシュライエルマッハーを信頼することはできないと、……語った」のであるが、このことは、一言でいえば、自らの神学の原理そのもの、自らの神学の認識方法と概念構成それ自体で、一切の近代主義・一切の自然神学的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教の巣窟であるヘーゲル哲学を包括し止揚して、そこから超出していくことを意味していた。1916年、バルトは、「神学のABCを改めて学び直す」試み、具体的には「旧・新約聖書を講読し、注解することからやり直す試み」により、「見よ、聖書の各書がわれわれに向かって語り始めたのである――しかも、当時の<近代>神学学派の中で聖書が語るのを聞かねばならないとわれわれが考えていたのとは、まったく違った形で語り始めた」のである。バルトは、「ローマ書と取り組」み、「読みに読み、書きに書いた」。それは、「博士論文」としてでもなく、売る目的のためでもなく、「ただ自分のために書いた」。自己解放のために書いた。「<われわれの敵対者たち>からパウロを奪いかえすために」書いた。その場合、「使徒パウロが……聖書の証言の真理性と明証性への導き手となった」。バルトは、シュライエルマッハーからも、マールブルク時代の教師たちからも、ラガツと宗教社会主義からも、離反していくことになる。
 1917年の講演『聖書における新しい世界』で、「聖書においては、『歴史』ではなく、道徳でもなく、宗教でもなく、一つのまったく『新しい世界』が」、「神についての人間の正しい思想ではなく、人間についての神の正しい思想が」、「姿を現わした」、と述べた。バルトは、社会的問題に関しては、労働組合の結成に主要な関心を持っていたが、1917年の末には、彼は「直接宗教社会主義運動から脱退した」。また、1917年のロシア革命の問題点について、バルトは、@プロレタリア独裁は階級制廃止と矛盾する、A前衛・職業革命家による独裁・一党独裁は中央集権化を惹き起こす、B民主主義の持つ欠陥は民主主義の廃止によっては改善されない、と述べている。1919年の講演『キリスト教的生活』においては、「神の国の絶対他者性」が明確化された――「神の国は神の国である。われわれは、神的なもののアナロギアから人間的現実への移行というものをどれだけラディカルに考えても十分だとはいえない」・「新しいエルサレルは、新しいスイスとか革命によって実現される未来国家などとは、なんの関係もない。むしろ新しいエルサレムは、その時が来ると、神の偉大な自由によって地上に到来するのである」。この神の自由の概念は、まだヘーゲル哲学を超え得ない位相のものである。すなわち、神と人間との無限の質的差異における神の自由は、神自身においてのみ「実在であり真理」である、という概念規定を要するのである。この時初めて、ヘーゲルの自由概念を包括し止揚して、そこから超出した位相を獲得できる。そして、バルトは、神自身においてのみ「実在であり真理」であるという概念によって、ヘーゲルを紙一重で超えたのである(『教会教義学 神の言葉』)。(134−153頁)

 

9)1918年の講演『社会におけるキリスト者』で、バルトは、「キリスト御自身つまり神の国」は、「あらゆる既成のものに先立つように、あらゆる革命にも先立つ革命である」と述べて、キリストを、「宗教社会主義」に、「社会民主主義」に、「絶対平和主義」に、「教養ある人たちの自由主義」等に、人間の「お好み次第に世俗化すること」に対して、「否定をつきつけ」た。しかし、一切の近代主義、一切の自然神学的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教に対する思想的武器としての、神と人間との無限の質的差異に下でのキリストの神性性についてはまだ明確に述べられていない。そのためには、例えば『ローマ書』第二版や『教会教義学 神の言葉』や『福音と律法』を待たなければならない。しかし、その前に、バルトは、処女作『ローマ書』第二版の思想に向かって成熟しなければならない――イエス・キリストが、私たち人間に対して、聖書および教会の宣教を通して「同時的となる時と所」・「『神われらと共に』が神ご自身によってわれわれに語られるところ」においては、「われわれは神の支配のもとに入る」ことを承認し確認する。したがって私たちは、「世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会」として承認し確認する。すなわち、「自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけである」ことを承認し確認する。また、人間の義認の唯一の根拠である「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」を、すなわちイエス・キリストが「律法の終わりとなられた方」であることを聞かず承認せず、神だけでなく人間の欲求・自主性・自己主張もという神との「共働者」であることを求め続ける人間は、主格的属格としての「イエスの信仰」にのみ信頼し固執せよという「神の要求」を、人間的な「自分自身の要求」に、「自分で満足させ得る要求」に変えて、「神的な『汝は斯くなすであろう』を変じて」、「人間的な余りに人間的な『汝は斯くなすべし』」をつくり上げる。そして、ある者は「盲目的に」仕事へと没頭し、ある者は「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜する」。また、ある者は「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行う」ことに、ある者は「大規模な世界改良の偉大な計画」に邁進する。そしてまた、ある者は「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義」に邁進する。「まことに空の空なるかな、である。これらすべてのことが、一体何だろうか」。
 1920年、バルトは、『ローマ書』第一版「において展開した考え方を、さまざまな観点から」、「集中的研究によって新しく批判的に再検討」した。当時バルトは、「コリント第U」の連続説教において、『ローマ書』における「ユニバーサリスト的見解に反して」、キルケゴール的な単独者の概念や啓示の弁証を展開している――「光は喜びを与えるとともに目をくらませる。風は、爽快にするとともに寒さにふるえ上がらせる」・「神関係は自由な関係である。それは、前もってすべての人にかかわるのではなく、先ず第一に単独者にのみかかわる」。この場合、バルトにとって、すでに、シュライエルマッハーは破綻した役立たずの神学者でしかなかった。ハルナックもそうだ。そして、バルトは、ずっと一貫してキルケゴールの神と人間との無限の質的差異の概念は手離さないのであるが、単独者の概念は、後年、包括し止揚せざるを得なくなる――バルトは、「個々の人間による和解の主体的実現という問題は、絶対に欠くことの出来ない問題」ではあるが、「イエス・キリストにおいて客観的に起った和解の主体的実現は、まず第一に教団において、イエス・キリストの聖霊の業として遂行される」と述べている。このことは、バルトが個と教団との関係において、神学的な共同性価値論に立っていることを意味している(『カール・バルト教会教義学 和解論T/1』)。また、バルトは確信をもって、「すべての人間はキリストの実質上の兄弟である」、「キリスト者になる以前でも、彼は、(≪そのあるがままで≫)キリストにおける神との連続性の中にいる。ただ、彼はそのことをまだ発見(≪認識・自覚≫)していない」だけである、と述べている(ゴッドシー編『バルトとの対話』)。(154−164頁)

 

10)バルトは、『ローマ書』第二版を「根本的に新しく書き直す決心を」し、1920年の秋から1921年の夏までに完成させた。そして、その本は、1922年に出版された。トゥルナイゼンは、「日ましに出来上がって行く原稿の初めから終わりまで」深くかかわり協力した。それは、共同作業といってもよかった。トゥルナイゼンは、「内容を深め、説明をより明快にし、意味を鮮明にする数多くの書き込み」をした。バルトは、その「ほとんどすべてを、そのまま受け入れた」。そして、『ローマ書』第二版からは、「汎神論的色彩は消え」た。このことは、「超自然な神学」への第一歩でもあった――この第二版は、「十九世紀とその世紀末の神学より優れた神学を導入する」という試みであり、「前世紀の自由主義神学と、<積極主義>神学が神をもはや神として承認していない」ことに対する「徹底的批判」であった。「聖書の主題」は、「われわれが学んできた文献批評的釈義や信仰的釈義に反して」、「人間の宗教や宗教的道徳」ではなく、またへーゲルの言う人間に内在する神的本質というような「人間自身の隠れた神性でもなく」、「神の神性であった」――「神! われわれは、この言葉によってなにを言っているのか知らない。信仰者は、われわれがそれを知らないことを知っている」。すなわち、「自然の世界に対立するだけでなく、精神の世界にも対立する神の自主性と独自性、つまり、特に人間に対する関係における神のまったく独自な存在と力と主導権である」。
 さて、バルトにおける弁証法的な眼は、バルトの思想的な資質ともいえる――「学校と宿屋と工場と教会と墓場、そして最後にすべての家家は、それぞれの形で、いかに人びとが喜んで生きたいと願っているかを語っている。しかしわたしたちの美しい故郷にも、すべての屋根の下、すべての道、すべての人の心の中にも、天国と地獄の間の大きな激しい戦いが荒れ狂っている」、「われわれ人間は、二つの世界の間の放浪者である。この世界では故郷を喪失し、あの世界ではまだ定着する家を持たない。しかしまさにこのような放浪者として、われわれはキリストにおいて神の子なのである」。
(165−178頁)