カール・バルト(その生涯と神学の総体像)を理解するためのサイト

◎カール・バルトの生涯を<トータルに>把握する

――この論述については、<再>推敲および<再>整理が完了済です――

◎カール・バルトの生涯を<トータルに>把握する記事一覧

◎カール・バルトの生涯――カール・バルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書...

カール・バルトの生涯再推敲・再整理版です。エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社、1989年に基づくはじめに ブッシュは、「はじめに」で、表出と表現あるいは創造と享受という言語表現の言語の指示表出性あるいは享受の側面に依拠して、「バルトの生涯のさまざまな段階の中でどの段...

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◎カール・バルトの生涯――カール・バルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書...

カール・バルトの生涯再推敲・再整理版です。カール・バルトの生涯の思想を決定づけた処女作『ローマ書』「第2版」へ向かって(その2−2) 1911年、バルトは、牧師としてザーフェンヴィル教会に赴任し、そこで、1921年まで生き・生活し・喜怒哀楽し・思惟し・牧会し・神学し・意志し・活動した。ここで、重要な...

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◎カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改...

カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2−1)再推敲・再整理版です。 バルトは、1920年代を、「『時の間』の時代と見て、生き」た。バルトの神学体系において、内容的な意味での処女作『ローマ書』第2版へ向かっ...

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◎カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改...

カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2−2)再推敲・再整理版です。 ブッシュは、バルトの『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』について、簡潔に、次のようにだけ説明している――バルトは、第一に、シュライエルマ...

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◎カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2−1)

カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2−1) 再推敲・再整理版です。 先ず以て、この『ルートヴッヒ・フォイエルバッハ』を経由させた成熟の書としての『福音と律法』は、神の側の真実としてあるその死と復活の出来事における主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリ...

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◎カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2−2)

カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2−2)再推敲・再整理版です。 バルトとトゥルナイゼンは、1933年10月から『不定期出版の双書』(後に、『今日の神学的実存』となる)を刊行した。この刊行は、編集活動が禁止される1936年10月まで続いた。これとは、別に、1934年...

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◎カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての...

カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2−1)再推敲・再整理版です。 バルトは、処女作『ローマ書』「第2版序言」からはじまって、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『教会教義学T/1』(邦訳T/1、T/2)、『知解を求める信仰 ...

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◎カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての...

カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2−2)再推敲・再整理版です。 1937年の夏、『教会教義学T/2 神の啓示』(邦訳U/1:言葉の受肉・イエス・キリスト、U/2:聖霊の注ぎ・聖霊論、U/3:聖書、U/4:教会の宣教)が完成し...

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◎カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(...

カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2−1)再推敲・再整理版です。 1946年、バルトは、バーゼル大学学長の職の要請を断って、夏学期だけという限定においてではあったが、ドイツ再建に尽力するために、バーゼル市教育局から有給休暇を与えられて、「客員教授」とし...

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◎カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(...

カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2−2)再推敲・再整理版です。 1951年、バルトは、通常の授業に専念するために、バーゼル大学の学長の職を「再び辞退した」。したがって、「パウロのヨーロッパ到着一九〇〇年記念祝典のためのアテネへの招待」も断った。そして...

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◎カール・バルトの生涯――「ただイエス・キリストの名だけ」(その2−1)

カール・バルトの生涯――「ただイエス・キリストの名だけ」(その2−1)再推敲・再整理版です。 1956年、バルトが70歳となる年は、彼にとって重要な年となった。何故ならば、200年前の1756年にモーツァルトがザルツブルクで生まれた年であったからであり、その年の「クララ・ハスキルがヘ長調のピアノ協奏...

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◎カール・バルトの生涯――「ただイエス・キリストの名だけ」(その2−2)

カール・バルトの生涯――「ただイエス・キリストの名だけ」(その2−2)再推敲・再整理版です。 エルンスト・ヴォルフの「六〇歳記念論文集への寄稿」文で、「ブルトマン主義者たちが、神の救済行為の『私ノタメニ』の要素を強調しているのを見て」、バルトは、「『ワレワレノ外ニ』という基本的な前提が破棄されずに」...

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