カール・バルト(その生涯と神学の総体像)

カール・バルトの生涯――「ただイエス・キリストの名だけ」(その2−1)

カール・バルトの生涯――「ただイエス・キリストの名だけ」(その2−1)
再推敲・再整理版です。

 

 1956年、バルトが70歳となる年は、彼にとって重要な年となった。何故ならば、200年前の1756年にモーツァルトがザルツブルクで生まれた年であったからであり、その年の「クララ・ハスキルがヘ長調のピアノ協奏曲を演奏した〔バーゼルの〕音楽ホールにおけるコンサートで、私はモーツァルト自身が突然舞台のそでに立っているのを幻のように見たのです。それはあまりにも現実味を帯びていたので、私は涙を流しそうになったほどです。(中略)いずれにしても今私は、モーツァルトが、その晩年にどのような姿をしていたかをはっきりと見たのです」という体験をしたからである。そして、バルトは、「私が、もしいつか天国に行くことになれば、そこでは誰よりも先ずモーツァルトを、それから次にアウグスティヌスとトマスを、そしてルターとカルヴァンとシュライエルマッハーを訪ねてみたいと思っています」と述べた。このバルトは、「私は、特に芸術的才能に恵まれた人間でも、芸術的素養のある人間でもなく、その上、救済史と芸術史のある部分を混同したり、同一視したりしようとは全く思わない。しかし、モーツァルトの音楽の黄金の音色と調べは、……福音としてではないが、神の自由な恵みの福音によって啓示された神の国の比喩として……若い頃から私に語りかけてきたものであり、繰り返し素晴らしい新鮮さをもって語りかけて来た」と述べている。また、「スイスのモーツァルト協会の委員」であったバルトは、モーツァルト記念祭における講演『モーツァルトの自由』において、「彼は(≪作曲家として、その自己表出と指示表出の構造としてある創造とその外化された表現における享受との全体性・総体性としてある≫)音楽を演奏(≪作曲、創造≫)しつづけ、演奏(≪作曲、創造≫)し終わるということがなかった」、「人間の限界と死について、はっきりと知った時でも、演奏(≪作曲、創造≫)することを止めなかった」と述べている。何故ならば、モーツァルトは、天才と言われながらも、また実際的に事実的に天才でありながらも、自分みたいに「作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた」人間は一人もいないし、「有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究」したし、「作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味する」というように書簡で述べているからである。われわれは、このようなモーツアルトの在り方と、イエス・キリストにおける啓示は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力を、キリストの霊である聖霊の証しの力を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動を、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)を与えることができる授与能力を、客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)を持っているから、その常に先行する神に後続する自由を与えられた人間の余裕性を認識し自覚していたバルトが、その余裕性において、現実と時代に強いられつつ、恣意的独断的にではなく、それ故に具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」、キリスト教に固有な類)を、自らの信仰・神学・教会の宣教における、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、自らの死の間際まで「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求めた」バルトの在り方とを重ね合わせることができる(『教会教義学 神の言葉』および『啓示・教会・神学』)。したがって、そこには、「魔神はひとりも住んでいない」、一つ一つレンガを積み上げるようして作品を創造していく努力があるだけである。

 

 バルトにとって、「神学全体のキリスト論的集中化」の問題は、「キリスト論的方向付け」にあるのではなく、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方(性質、働き、業、行為、行動、活動、全き自由の神の全き自由の愛の行為の出来事としての全き自由の神の存在)、すなわち啓示者である父なる神の子としての「啓示ないし和解」、起源的な第一形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリスト、「イエス・キリストの名」が問題である――すなわち、キリスト教に固有な信仰・神学・教会の宣教のすべてはもちろんのこと、自然の一部としての人間、自然史の一部としての人間の類の歴史(人類史)の、人間の個とその現存性、人間の類とその歴史性の、生誕から死までのすべてを支配される主イエス・「キリスト御自身が問題なのです。あらゆるキリスト論との取り組みは……結局のところ、イエスの山上の変貌の起こった高い山での弟子たちの場合と同じように、彼らが目をあげると、イエスのほかには誰も見えなかった〔マタイ福音書17・8〕」、すなわち「イエス・キリストご自身」が問題である。したがって、このことを、例えば『福音と律法』および『教会教義学 神論』に即して言えば、次のように言うことができる――(1)「神は、神なき者がその状態から立ち返って生きるために、ただそのためにのみ彼の死を欲し給うのである……しかし誰がこのような答えを聞くであろうか。……承認するであろうか。……誰がこのような答えに屈服するであろうか。われわれのうち誰一人として、そのようなことはしない! 神の恩寵は、ここですでに、恩寵に対するわれわれの憎悪に出会う。しかるに、この救いの答えをわれわれに代わって答え・人間の自主性と無神性を放棄し・人間は喪われたものであると告白し・己に逆らって神を正しとし、かくして神の恩寵を受け入れるということを、神の永遠の御言葉が(肉となり給うことによって、肉において服従を確証し給うことによって、またこの服従において刑罰を受け、かくて死に給うことによって)引き受けたということ――これが恩寵本来の業である。これこそ、イエス・キリストがその地上における全生涯にわたって、ことにその最後に当たって、我々のためになし給うたことである。彼は全く端的に、信じ給うたのである(ローマ三・二二、ガラテヤ二・一六等の「イエス・キリストの信仰」(≪ギリシャ語原典ピスティス・イエスー・クリストゥーの属格≫)は、明らかに主格的属格として理解されるべきものである」(神の側の真実としてあるイエス・キリストが信ずる信仰による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」――このことが「福音と律法の真理性」における福音の内容である)イエス・キリストが問題である、(2)「『私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、(≪神の側の真実としてある≫)神の子が信じ給うこと(≪主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」――このイエス・キリストが信ずる信仰による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの≫)に由って生きるのだということである)』(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」(このことが、「今日に至るまで罪人の手に渡され・十字架につけられ・死んで甦られ給うたイエス・キリストにある『復活の力』」、「福音と律法の現実性」における勝利の福音の内容である)イエス・キリストが問題である、(3)先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意ができているところの、「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一」(『ローマ書』)であり、「永遠の(神との人間の)和解」(あくまでも神の側の真実からする、神の人間との架橋)であり、神との間の「平和」(ローマ五・一)であり、それ故に神の認識可能性である内的・内在的な聖性・秘義性・隠蔽性において存在する「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする三位一体の~の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち啓示者である父なる神の子としての和解ないし和解、起源的な第一の形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおいて、「神の用意の中に含まれて、人間にとって、神に向かっての、したがって神認識(≪信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事≫)に向かっての人間の用意が存在する」――すなわち総括的に言えば、常に先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」イエス・キリストが問題である。

 

 さて、バルトには、「登山は、……まったく喜びを与えなくなった」し、彼の「机に向かっての仕事のスピードは、目立って遅くなった」。身体検査の結果は良好であったが、70歳となったバルトは、生理的身体の老いの方からか、そのことによる意欲の衰退の方からか、老いを意識させられるようになった。「肉体的な意味で、ただゆっくりとしか回復しない深い疲労を感じた。今や彼は、……自分の年齢を意識するようになった」、すなわち生理的年齢を意識するようになったとあるから、バルトの老いの自覚は、生理的身体の老いの方からやってくるそれであったのであろう。ただバルトにおいては、「『教会教義学』を書きつづけ、完成するようにとの要求は、うなだれて手を休めてしまうこと」を「許されなかった」。

 

 1954年以来(1964年まで続いた)、バルトは、バーゼル刑務所での「多くの場合聖餐式とともに行われた」「祈りにおける説教」で、次のように述べた――「人間はみんな、被告訴人なのです。しかしその裁判官の席にすわっているのは、和解者であるキリストです」、「クリスマスを祝うのには大聖堂がふさわしいのか、それともより高級な人たちによって祝われるエンゲルガッセ礼拝堂がふさわしいのか、私には分かりません。しかし私としては、……刑務所でこそ、ふさわしく祝うことができると確信しています」、と。「教会は、(≪啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力の下で、客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて≫)人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うこと(≪純粋なキリストの福音≫)を聞くというこの一事によって、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」、「≪したがって、そうでない場合は≫どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」(『啓示・教会・神学』)。

 

 バルトは、70歳の祝賀会において、祝意を表明した「彼の学生たち」に対して、「有難いことだと思った」が、「しかし彼らが、自分たちはバルトの弟子だと考えないように警告しようとつとめた」。何故ならば、バルトは、「自分の生涯の成果」を「一つの新しい学派(≪党派主義的思想、党派主義的共同性≫)の形成に終わってしまうこと」を、決して「願わ」なかったからである。言い換えれば、バルトにとっては、「この世には関心をもつべき名前はただひとつ存在するだけだから」である。すなわち、「この世には関心をもつべき名前はただひとつ」、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間「イエス・キリストの名」だけだからである。このイエス・キリストにおいては、神の側の真実として、それ故に客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」として、神の側から、「善人たちと悪人たち、幸福な人たちと不幸な人たち、キリスト者と異教徒たち、西方の人たちと東方のひとたち」との枠組みは取り除かれ、両者は架橋され、両者は「仲間として、確実に、そして非常に間近に見る」ことができるようにされているのである。このイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」、「キリスト教使信の中心」は、キリスト教世界・教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」、「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信、非キリスト者、非キリスト教、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているのである(『カール・バルト教会教義学 和解論T/1』「和解論の対象と問題」)。したがって、バルトは、「どうかあなた方」は、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教がそうであるように、「私の名」だけでなく、「他のすべての名を持ち上げないでください」、学派、教派、党派、党派主義的共同性、党派的多元主義を持ち上げないでくださいと述べたのである(Tコリント1・10以下)。したがってまた、バルトは、彼自身がパウロ(第二の形態の神の言葉としての聖書的啓示証言)および聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求めたアンセルムス等を媒介・反復したように、「あなた方は、(≪そういう仕方で、≫)私が語ることを通して、あの方(≪起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト≫)が語り給うことへと導かれる時にこそ、あなた方は私を正しく理解するのです」と述べた。したがってまた、バルトは、<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと向かうベクトルを持った「よい神学者は、(≪生来的な自然的な人間の自由な自己意識・理性・思惟の類的機能の無限性、人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍、人間学的な哲学原理・認識論・世界観、人間の自己意識の対他的意識(実践的意識)にのみ一面化固定化されたコミュニケーション論等々を第一次化・価値化し、そしてそれらに依拠する自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階における≫)理念や原理や方法というような家には住みません」と述べた。

 

 1956年の誕生日は、バルトにとって、彼の『ローマ書』以来の神学的歩みを総括する機会となった。その場合、バルトは、『ローマ書』の時の自分と1956年の時の自分は、「ある人が少し性急に主張したように、新しいバルトになったわけでは」なかった。言い換えれば、バルトの処女作『ローマ書』「第2版序言」の「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固執するという<方式>は、最後の最後まで堅持され貫徹されている。「私の記憶によれば、私の神学の発展途上の段階で、次の段階へ向かう最も近い二、三歩の歩み以上の見通しや、計画をもったことはありませんでした。この最も近い数歩の歩みは、……(≪現実と時代が強いてくる≫)新しい状況に出会うごとに、いつも私に与えられる必然性と可能性をめぐって、私が画いている像からくる印象に基づいています。(中略)私がそれを捕えたと思う以上に、向こうから私を捕える新しいものの前に立たされたのです」。

 

 1956年9月25日、アーラウで開催されたスイス牧師連合会で、バルトは『神の人間性』について講演した。「神の神性とは、『それ自身人間性の性格をもっている神性のこと』」である――すなわち、ご自身の中での神の内的・内在的な「神の神性において」、その内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち啓示者である父なる神の子としての和解ないし啓示、起源的な第一の形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおいて、「また神の神性と共に、ただちに神の人間性もわれわれに出会う」のであり、それ故にこのように「正しく理解された神の神性こそが、その人間性を包括するもので」ある。したがって、バルトは、同書で、「神が神であるということがいまだに決定的となっていないような人」は、換言すれば「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固執するという<方式>を持っていないような人は、あるいはそのことについて認識し自覚していないような人は、あるいは総括的に言えば自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞と循環を繰り返しているような人は、「今神の人間性について真実な言葉としてさらに何か言われようとも、決してそれを理解しないであろう」と言うのである。「神の神性についての命題」は、「あらゆる種類の、敬虔な、自由主義的な(≪近代主義的な≫)、『積極主義的な』、人間中心主義神学の遊戯」に対して「対抗」「できたし・またできる」のである。すなわち、それは、神学における思想的武器なのである。したがって、この「神の人間性」は、厳格・厳密に、徹頭徹尾、「神の神性において」、「また神の神性と共に、ただちにまた神の人間性もわれわれに出会う」というように理解しなければならないのである。したがってまた、ただ現実と時代に強いられたところで、その全体性・総体性において、ある「一方が中心部から周辺へ、強調された主文章からさほど強調されない副文章へ」と退いたりするだけなのである、換言すれば除外されたり削除されたりするわけではないのである。すなわち、「第二の方向転換」としての「神の人間性」の「主文章」化は、その全体性・総体性において、「第一の方向転換」の「神の神性」の「主文章」化と「対立」関係にあるのではなく、その主文章化と副文章化とのベクトル変容は、あくまでも現実と時代から強いられた言表なのである。

 

 「キリスト教的・神学的公理というものがあるとするならば、それは」、「真の証人」としての「復活のキリスト」(「成就された時間」)の事実、すなわち「イエス・キリストは……まことに復活し給うたという事実」にある。何故ならば、「福音書の中ではすべてのことが受難の歴史に向かって進んでおり、しかもまた同様にすべてのことは受難の歴史を超えて甦り・復活の歴史に向かって進んでいる」からである、換言すれば「旧約(≪「神の裁きの啓示」・律法≫)から新約(≪「神の恵みの啓示」・福音≫)へのキリストの十字架でもって終わる(≪「失われた非本来的な」、「否定的判決」を受けた、≫)古い世」・時間は、復活へと向かっているからである。そして、このキリストの復活(「成就された時間」)の出来事は、主イエス・キリストが支配する「新しい世(≪時間≫)のはじまり」であるからである(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、「第一の、キリスト教的行為」は、その死と復活の出来事における主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリストをのみ信ぜよ、イエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固着せよという神の命令・要請・要求(キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法)に生きることであり、感謝の応答としての「啓示についての……証し」に生きることである。
 さて、前述したことについて、ブッシュは、「一人の証人という姿において」、「啓示と和解に『協力しつつ』参与する」ことである、と述べている。このブッシュの「啓示と和解に『協力しつつ』参与する」という思惟と語りにおけるイエス・キリストにおける「啓示と和解」と人間の側からする「『協力しつつ』参与する」との直接的無媒介的な結合という思惟と語りは、換言すれば全く以てバルト自身の思惟と語りでは決してない思惟と語りは、意図したあるいは意図しないブッシュ自身にある自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教における人間の側からする神との「混淆」・「混合」論、神との「共働」・「協働」論、「神人協力説」における思惟と語りであると言うことができる。したがって、いかにもバルトがそのように思惟し語っているかのように記述されたバルト自身とは似て非なるブッシュ自身の自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教における「啓示と和解に『協力しつつ』参与する」という思惟と語りを、バルト自身の<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階における思惟と語りに即してもっと厳格・厳密に規定するとすれば、それは、第三の形態に属する教会の宣教、その一つの機能としての神学、その思惟と語りと行動は、具体的には「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(この「隣人愛」は、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請であり、それは、すべての人々が純粋なキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えのことである)という連関において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指していくということである。<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階にあるバルトは、このような媒介性・反復性をもっているのである。何故ならば、イエス・キリストにおける啓示は、啓示自身に固有な証明能力を、キリストの霊である聖霊の証しの力を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動を、神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)を与えることができる授与能力を、聖霊の業である「啓示されてあること」――すなわち客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)等を持っているからである。このような訳で、ここでも、意識されたそれであるのか、無意識的なそれであるのか、ブッシュにある自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階の痕跡と残像が散見されるのである、それ故にわれわれは、ブッシュが神学における知識人であるかもしれないが、神学における思想家ではないということを知るのである。

 

 バルトは、「礼典」について、「『第一の<司式者>はイエス・キリスト自身であり』」、「そして第二の司式者は……牧師ではなく『会衆全体』である」、また「サクラメントに関しては、『ただひとつのサクラメントが存在するだけであり、それは死人から復活された方自身である』」と述べた。

 

 1957年から58年にかけての冬学期の演習で、バルトは、近代のルター主義(「ヴェルナー・エラートの教義学」)と取り組んだが、それには、「一方に陰鬱な歴史的運命論が、他方には……強引」な「教派主義」が貫かれており、それ故にその教義学においては「聖書の使信の中心点を、まさにはるか遠くからやっと見つけ出せるといった体系的構築」がなされており、その「学派の著作」に「驚き……立ちすくん」でしまった。それだけでなく、それは自然時空へと死語化していく以外にはない水準の著作として、それ故にそれは、現在から未来に生きることができない水準のそれとして、「あまりにも非生産的な」ものとして、それ故にまた「次の学期の演習」の対象としようとは思わなかった。

 

 1958年、バルトは、現実と時代に強いられて、「核武装の問題に取り組むように定められた」。バルトは、「東の人間も西の人間も、この問題の中で動き始めた狂気に反対して、立ち上がるべきである。……これは、生命の危機の問題である」と述べた。また、バルトは、「世界の強国に、必要な場合には核兵器の一方的廃棄に踏み切るよう要請した」。ただ核兵器は、軍事的に最後的な戦略兵器であるから、もしもそれを実際的に使用したとすれば、その最初の瞬間からすべてが終わりとなり、それ故に戦争遂行それ自身が不可能となる――このように、バルトは認識していた。したがって、それが良きものであれ悪しきものであれ経済社会構成の拡大・高度化、科学や技術の進歩・発達、その知識の増大、生活の利便性の向上等は、自然史の一部である人類史の自然史的過程における自然史的必然としての自然史的成果に属することであるから、それ故に法的政策的に遅延させることはできても停滞させたり逆行させたりすることはできないものであるから、それが最後的には人類の破滅をもたらすものだとしても、それ故にまた尖端的な技術を利用した軍事技術や軍事力の高度化はさらに進んでいき強力化していくことが必然だとしても、自制の働かない自滅志向や世界破滅志向の大国やそういう指導者・指導層でない限りは、世界大戦化したり実際的に核兵器を使用したりすることはないと言うことができる。したがって、重要な問題は、世界平和のためには戦争の元凶である民族国家をいかに葬るかという、その問題を明確に提起する点にあるのである。したがって、現存する世界が、経済の世界性と自国の利害を第一義的に最優先する民族国家の一国性を単位として動いている中で、現存する国家の枠組みやその紛争の調停機関である「拒否権」を持つ米中露英仏常任理事国5カ国主導の国連安保理による平和の試みは成功しないことは自明なことである(たとえ常任理事国5カ国の「拒否権」が放棄・剥奪されたとしても民族国家が現存する限りは、それが地域的なそれであれ、民族国家が介在した戦争はなくなることはない)。バルトの「核武装の拒否」は、第一に、「核戦争」は「すべての人間の絶滅をもたらす」ものであるからであり、第二に、それは、「すべての国家とすべての国民のため」になるからである。「すべての国家」における大多数の被支配としての一般大衆、一般市民、一般国民の一人ひとりを、その家族や親族や友人を死に追いやることがないためである。当然、このバルトは、「スイスの核武装にも反対した」。

 

 神の側の真実としてある「キリストの福音」は、神と人間との無限の質的差異の下において、「『現在の冷戦において互いに対立し、相争っているイデオロギーと利害と権力を越えた』雲の上」、すなわち<彼岸・外>にある。バルトは、「神学的思考と社会・政治的思考との、あらゆる同一化の試みと、また両者のあらゆる並行化と類比化の試みに対して……もっとも激しいアレルギー拒絶反応を示した」。何故ならば、「その場合には、(福音という)類比の主体がもっている類比の客体(当該の神学者の政治的洞察や見解)に対する優位が明白に、逆転不可能な形で確保され、見えつづけるということがなくなってしまう」からである。すなわち、神学者の思惟や欲求やが対象化したその「神学者の政治的洞察や見解」が、換言すればその神学者が対象化したに過ぎない「存在者レベルでの神」の「福音」が、聖書的啓示証言におけるキリストの福音と同一化されてしまうからである。そこでは、その神学者の都合で、「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>が手離されてしまっているのである。したがって、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞と循環を繰り返す「神学者の政治的洞察や見解」と同一化された福音は、フォイエルバッハやハイデッガーの根本的包括的な原理的なキリスト教批判(宗教批判)の対象そのものへと転化してしまっているのである。このことは、バルトにおいては、「社会的・政治的無関心を容認することではなく、むしろ決断による『態度決定』」を意味していた。このことは、詳しく言えば、バルトにおける神学的実存の在り方は、それが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、「かつて語った(≪あの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関における純粋なキリストの福音の≫)説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」という点にある、換言すればキリストの福音とは独立させたところで、声高に社会的政治的実践が必要だと叫ばなくても、あの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関における純粋なキリストの福音の宣教の繰り返しが、われわれを、「ある状況下において、その状況に抗するそれとして」、必然的に実践へとつれ出すのである。したがって、バルトは、次のように述べている――「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということがなされないままに」、「礼拝改革」、「キリスト教教育」、「教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考えてはならない」、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」、と(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。

 

 「東独問題と核問題に対する姿勢のために」、「さまざまな反対意見や無理解に直面して、〔反体制派の〕『非国教徒輩』と見られていると感じた」「孤立の中」で、バルトは、「倦み疲れてはならない、さらに前進を!」と自分に言い聞かせた。

 

 1958年の夏、バルトは、「彼の視点」から、「哲学者と神学者の間にある対立と協力関係」について論文を書いている。「両者は共に『唯一の……真理の全体』に直面しており、しかもその真理は、両者を凌駕しているので、両者は共に『天上の高みから下に向かって』語ることはできないという前提」に基づいて、バルトは、「神学者は『その素朴さを恥じることなく、彼の思考と言説の道が、それを通ることによって哲学者の道はそこでは完全に断ち切られるほど厳格な形で、神学者に提示される唯一の真理の全体とは、イエス・キリストのことである……と、直接、無条件に答える』」と述べた。このことは、明らかに、『ローマ書』「第2版序言」にある「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の言い換えである。それにも拘らず、ブッシュは、このテーマは、「それまで」バルトが「直接とり上げたことがない」それであると述べているのであるが、それは全く違うので、バルトの処女作『ローマ書』「第2版序言」から一貫性をもって堅持されているそれなのである。ブッシュ自身、この本で、神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を共有したバルトとヤスパースとの関係を記述していながら、また混合せず自立して「哲学者が哲学者として、また神学者が神学者として、考え、語り、書く」ということにおいて「協力関係」は成立すると記述しながら、そのことを全く忘れ去ってしまっているのである。バルトは、『教会教義学 神の言葉』においても、次のように述べている――「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」。「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」。またその場合、「哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる」。キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった」。また、「それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」、と。また、ブッシュは、バルトが、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わるところから始まる」、すなわち神学も哲学と同様に理性的な知的営為ではあるが、具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリストと教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷として為される教会の宣教の一つの機能としての「神学は方法論的には、ほかの学問のもとで何も学ぶことはない」というバルトの思惟と語りを全く忘れ去ってしまっているのである(『バルトとの対話』)。

 

 バルトは、パウル・ティリッヒが「訪れ」た時、「彼は人間的には魅力のある人物」だと思ったが、「神学の内容(≪その「神学的認識方法」≫)は……(≪私とは≫)まったく異なったものです」と述べた。この意味は、ティリッヒのそれは、まさに自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階におけるそれであったから、バルトは「まったく異なったもの」だということである。吉永正義は、『バルト神学とその特質』において、「ブルンナーの神学、ブルトマンの神学、ティリッヒの神学、ポスト・ブルトマニヤンの神学」を総括する意味で、「バルトは『ブルトマンも説教するが、ブルトマンの説教は説教にならないで講演(≪自己表現としての説教≫)になってしまう』というが、これは……核心をついたブルトマンに対する批判というべきではないだろうか」と述べているが、まさに聖書を前期ハイデッガーの哲学原理で捕囚したブルトマンの説教は、シュライエルマッハーと同じように、その前期ハイデッガーの哲学原理に依拠して対象化された彼自身の自己意識(物語世界・意味的世界、「存在者レベルでの神」の世界)の外化、表現そのものとして、「自己表現としての宣教」を企てたものなのである。しかも、その聖書註解は、キリストにあっての神に対してではなく、人間中心主義的に、近代主義に、近代人に、近代的な哲学原理に、その時々の思想傾向や文化的傾向に配慮し責任的応答をしようとしたものなのである。

 

 生理的身体の方からやってくる老いに対してバルトは、「以前より多くの休暇を取り、その休暇中にも、……ただ休養するだけのより長い息抜きの時間」を必要とした。また、「学期の仕事」遂行のために、パイプのタバコをふかし、「窓を開け放って」寝ることや「朝の冷水シャワーは規則正しく熱心に実行」し、「夜の深呼吸と、朝の体操」も行った。それだけでなく、「いろいろな種類のビタミン剤」等もとった。そうした中で、「多くの愛すべき、面白い訪問者たち、しかしまた同じくらい多くの時間食い以外の何ものでもないような訪問者たち」の「来訪を受けなければならなかった」、ちょうど阪神・淡路大震災の時、「武器を持って神戸市役所かどこかに押しかけて行って、被災者の住めるような建物をすぐにつくってくれと、(≪全く責任のない・全く責任をとることもできない一般≫)職員を脅かした」その「じぶんがやったことを得々としゃべる」ために、吉本隆明にわざわざ電話をかけて「多くの時間食い以外の何ものでもない」牧師のように。

 

 1959年から60年にかけての冬学期と、1960年の夏学期に、バルトは、「カルヴァンの演習」を行った。バルトは、『キリスト教綱要』の「新しい版の序文」に、「カルヴァンは――ルターと違って――天才ではなかった。むしろ良心的な聖書釈義家であり、厳密で堅実な思想家であり、同時にキリスト教的、教会生活の実践に倦むことなく……努力する神学者であった」、「彼は……自分の研究結果を受け入れるように強制することなく、むしろ自分の研究を取り上げて、自分の足跡をたどりながら、新しい結果に向かって進んでいくことを求める。『カルヴァン主義者』というものがあるとするならば、それは、カルヴァンの『綱要』によって、自分自身の目と耳を用いて、カルヴァンにとって問題であった真理に従って行くことを学んだキリスト者、また神学者以外でありえない」と書いた。このバルトは、「ドイツ人はまさにこのような意味でルターを教師とすべきであると、……しばしば要望した。彼自身も、ともかくそれとは違った意味で、カルヴァンの弟子であろうとは思わなかった。またさらに、彼自身も、それとは違ったいかなる意味においても、自分の学生たちにとっての教師となろうとは思わなかった」。バルトにおいては、徹頭徹尾、「ただイエス・キリストの名だけ」が問題であった。

 

 1960年、バルトは「彼自身が臨時の拘置所付牧師、教誨師として、繰り返して直接直面した刑務所と拘置所の機構の問題について、基本的な解明を行った」。「犯罪者になる神の予定というものが存在するかという質問」に対して、バルトは、次のように答えている――「犯罪者への病的素質」といったものは存在するが、「悪への神の予定などというものは存在」しない。「存在するのは、道を見失ったすべての人間を『救済するという神の予定(すなわち神の恵み)』だけ」である、また「『健康な人たち』も、良くない(「危険が少ないとは言えない」)素質を負っています」、と。この言葉は、吉本の親鸞論に即して言えば、人間論的な自然的人間、教会論的なキリスト教的人間、聖職者、宗教者、学者、評論家、校長を含めた教師、警察、検察、弁護士、裁判官、医者、看護師、道徳家、誰であろうと、現実的な利害対立とか愛憎問題とか戦争とか等の不可避な「機縁」(契機)さえあれば、悪をなし得るし、傷害も犯し得るし、自分が意志しなくとも、人一人だけでなく多数の人を殺し得るという究極的観点(還相的観点)において、自己欺瞞に満ちた市民的観点・市民的常識(過渡的な往相的観点)から超出した思惟と語りであると言うことができる。 1960年、バーゼル大学は創立500年の記念祭の祝賀会を行ったが、その時「鉄のカーテンの向こう側の諸国からのあらゆる客」を「排除」しようとした「多数派」の「ヤスパース……と、意見が対立」し、バルトは、西側の「招かれる資格のある客」と東側の「資格のない客」とに分けることに「抗議する文章を書いた」。

 

 ブッシュは、バルトが和解論における特殊倫理学を論じるはずであった『教会教義学W/4断片 キリスト教的生の基礎づけ』(邦訳「キリスト教的生<断片>」)について、次のように述べている。第一に、本来バルトが「目論んだ配列を、しばらくの間放棄」して、彼は、「主の祈りを手引きとして、キリスト教生活のさまざまな実践上の諸側面」を論じたいと考えた、第二に、しかし「これらすべてに先立って」、「キリスト教的生活の基礎づけの論述として」「洗礼論が展開されることになっていた」、第三に、洗礼論は、イエス・キリストを主・頭とする教会が、神的側面(あくまでも「神の言葉の三形態」関係と構造・秩序性における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身に、それ故に具体的にはその第二の形態の神の言葉である選書的啓示証言に基礎づけられているという意味においてであるが)と人間的側面との全体性・総体性において論じられているように、洗礼論も、「神御自身の業としての聖霊による洗礼」と「礼拝における人間の業としての水による洗礼」との全体性・総体性において論じられることになっていた、第四に、聖餐論が、「締めくくりとして、また仕上げとして」、「キリスト教的生活の革新と保持との論述として取り扱われることになっていた」。この場合、バルトは、「聖餐を、神御自身によって、神のみによってもたらされた、……『革新と保持』に直面する教会の服従の行為として、……理解しようとした」。すなわち、聖餐を、「その自己犠牲におけるイエス・キリストの現臨に応答し、彼の将来(≪復活されたキリストの再臨、終末、「完成」≫)を待ち望む感謝の表明として」理解しようとした、第五に、洗礼論においても、1943年の洗礼論の場合と同じように、「再び乳幼児洗礼は決定的に拒否された」、第六に、バルトは、「イエス・キリストの復活と聖霊の注入だけを、聖礼典と呼びたいと考えた」。「このような聖礼典がキリスト教的生活を基礎づけるという限りにおいて、彼は『聖霊による洗礼』について論じたいと思った」。バルトによれば、「聖霊による洗礼」は、神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の下にあるものとして、「純粋に人間の行為としての水による洗礼」と「厳密に区別されなければならない」と考えた。この「純粋に人間の行為としての水による洗礼」は、「イエス自身が受けた洗礼にその根拠を持」っている。また、この「水による洗礼」は、「聖霊による洗礼」の側から授与される、第七に、「主の祈り」の「アバ、父よ」という呼びかけは、「キリスト教的エートスの根本的行為」である。『教会教義学 神の言葉』によれば、イエス・キリストが「聖霊の特別な働きとして約束したもの」は、「慰め主としての霊」と「真理の御霊」であるが、聖霊は、「聖書の中のキリスト教原理を、覆いをとって明らかにする」、「キリストについて語ることができる能力」授与(ヨハネ一四・二六)であり、「上からのよき賜物」であり、「聖霊はみ子の霊」であり、それ故に「子たる身分を授ける霊」であり、「聖霊を受けることによって」、「イエス・キリストが神の子であるという概念」を根拠として、われわれは「神の子供」、「世つぎ」、「神の家族」であり、「『アバ、父よ』と呼ぶ」(ローマ八・一五、ガラテヤ四・五)ことができるのであり、また「和解者が神の子であるがゆえに、……和解、啓示」の受領者(神のその都度の自由な恵みの決断による「聖霊の注ぎ」により和解に与った者)たちは、受領者と授与者との無限の質的差異の下において、「神の子供」なのである、第八に、バルトは、「御名をあがめさせ給え」、すなわち「神の栄光のための熱心」について、神の、隠蔽性と顕現性において展開した。ブッシュは、一方で、バルトが「神の国は人間によって実現されることも、準備されることもあり得ず、この世界に対してだけでなく、キリスト教世界に対しても『全く独自ナ要因』であるということを、……強調した」と述べている。それにも拘らず、他方で、バルトが「『自然神学』に対する徹底した批判の後に……神は『世界』にとっても……主観的にではないが、しかし客観的には知られていると語ったことは、……注目すべきことである」と述べて、いかにもバルトがここではキリストの啓示とは独立した何か客観的なそのようなものが存在するという「自然神学」を容認したように受け取ることができるような曖昧な語り方をしている。<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階に移行しているバルトが「客観的には知られている」ことというのは、もっと厳格に厳密に語るとすれば、そのことは、キリストの啓示とは別の何かが客観的に存在するということではなくて、聖霊の業としての「啓示されてあること」――すなわち三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)が客観的可視的に存在しているということを意味していることは明らかなことである。人間論的な自然的人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、われわれは徹頭徹尾神の不把握性の下にあるのであるから、終末論的限界の下で、神の側の真実としてある、イエス・キリストにおける啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、キリストの霊である聖霊の証しの力、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動等を必要とするのである。これが、<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行したバルトの思惟と語りである。
 因みに、バルトは、『カール・バルト 和解論W キリスト教的生断片』「はしがき」で、次のようなことを述べている――「聖晩餐(その自己犠牲におけるイエス・キリストの現在に答え彼の将来を待ち望みつつ為される感謝としての聖晩餐)」、「神の和解の業に対応する自主的性格を持つキリスト者の(人間的!)業」――この思惟と語りは、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」ということを前提とした思惟と語りであって、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階における先行させた人間の直接性における神だけでなく人間も、人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求もという神と人間との「混淆」・「混合」論を、神と人間との「共働」・「協働」論を、「神人協力説」を述べているのではない――、「和解論を締めくくるキリスト教倫理の冒頭に述べられた洗礼」、「今日では、非常に好んで、そして非常にしばしば(あまりにも好んで、そしてあまりにもしばしば)、神に対して成人になったと称するについて、語られている。……そのような世よりも私にとって興味があるのは、神と世に対して成人になるべき人間である。成人のキリスト者と成人のキリスト者の群れである。神に対して活きた希望を懐き、世において奉仕し、自由な信仰をし、絶えず祈る、彼らの思惟、言説、行動である。そして、私の考えでは、霊と火による洗礼において起こるのは、そのようなキリスト者また教会として責任を負うことの解放の開始であり、水による洗礼において起こるのは、そのような責任遂行へとキリスト者また教団が歩き始めることである」。これらのことから、「嬰児洗礼の風習ないし悪習に対する……反対」という結果が生じてくる。しかし、この問題のある「嬰児洗礼」(この風習ないし悪習は、「新約聖書によっては基礎づけられず、ようやく三世紀以降に認められるもの」である)に関する問いは、「特に、古い神学的自由主義の代表者たちに対しても、その『歴史的・批判的』方法の新発見を大声で自慢している最新の神学的自由主義の代表者たちに対しても、向けられ」ているにも拘わらず、自由主義国家が近代主義国家のことであるのと同じように、神学における自由主義者・近代主義者である彼らにおいては、「神とその現実存在の三一性に至るまで、すべてのものが、そこでは『非神話化』され得るのに、この問題に関して」は、彼らを「森の中の最も深い沈黙のようなものが支配している」、彼らは、この問題を、真剣に取り扱おうとはしない。これだけのバルトの思惟と語りを聞くだけでも、この最晩年に生きるバルトが、自由主義神学・近代主義神学(近代神学)に「回帰」・復古・逆行・退行していないことは確実であるということを、われわれは承認し確認することができるであろう。「私は、この嬰児洗礼の問題においてある種の突破が起こることによる全面的な恢復を、教会に期待してはいない。しかし、教会がすべてのより良い知識や良心に反対して、千何百年来そうして来たように、かたくなに洗礼の水をあのように恐れげもなく乱費することを続ける限り、教会がどうして、今日いろいろな方面から言われているように……その本質にふさわしく伝道的教会(したがって成人せぬ教会ではなく成人した教会)であり得るであろうか」・「教会が、神に対しても教会自身の使信に対しても、また外面的あるいは内面的に『壁ノ外ニ』いる人々に対しても、責任を負い得ないそのような仕方で、教会の人的構成の後継ぎについての心配を、静めることができると、かたくなに考えている限り、どうして教会が、他の世の人々に対して、信用できるものであり得るであろうか」・「この改革を回避することに固執しようとする限り、最上の教会論も、われわれにとって、何の役に立つであろうか」。