カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2−1)
カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2−1)
再推敲・再整理版です。
この『カール・バルトの生涯』について、さらに推敲し整理した論稿が下記のJimdofreeホームページにあります。
https://karl-barth-studies2.jimdofree.com/
このJimdoホームページの論稿は、現在のホームページにある論稿よりも文章構成に関しても内容に関しても、さらに推敲され整理されており断然読み易く・分かり易くなっていますから、最初からをこのJimdoホームページの論稿を読んだ方が大切な時間を有効に使えます。
バルトは、処女作『ローマ書』「第2版序言」からはじまって、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『教会教義学T/1』(邦訳T/1、T/2)、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』、『福音と律法』を経由して、『教会教義学T/2』(邦訳の「U/1、U/2、U/3、U/4」)および『教会教義学U/1・2』(邦訳の「T/1、T/2、T/3およびU/1、U/2、U/3」)において完成させた、と言うことができる。何故ならば、復活されたキリストの霊である聖霊に関わる「救贖論」(X)は未完に終わったが、それ以降のバルトの『教会教義学』関係の著作は、創造論、和解論、救贖論へと続く詳論だからである。したがって、バルト自身が述べているように、『教会教義学』を理解するためには、先ず以て『教会教義学』「T/1」(邦訳T/1、T/2)・「T/2」(邦訳の「U/1、U/2、U/3、U/4」)および『教会教義学U/1・2』(邦訳の「T/1、T/2、T/3およびU/1、U/2、U/3」)に対する理解を必要とするのである――何故ならば、実際にそうであるが、バルト自身が、「イエス・キリストにおける私の恩寵の神学として組織だてるという私の仕事に生じた変化の意義を見かつ理解するためには、一九三二年と三八年に現われた私の『教会教義学』の最初の二冊を、ある程度研究する必要がある」、と述べているからである(『バルトとの対話』)。したがってまた、佐藤優が、恣意的独断的に「第三巻第四部(邦訳『創造論W』全四冊)だけは是非読んだほうが良い」(『はじめての宗教論』)という仕方での読み方は、ただ根本的包括的な原理的な誤解と誤謬と曲解を生み出す読み方でしかないのである。
なお、バルトは、『バルトとの対話』で、救贖という概念について、新約聖書においては復活されたキリストトとそのキリストの再臨の間の聖霊の時代における「終末論的な用語」であるから、「完成という言葉の方が……よかったかも知れない」と述べている。このバルトは、『教会教義学 神の言葉』で、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて終末論的限界の下で与えられる「救済を信仰(≪信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事≫)の中で持つこと」は、「約束として持つこと」である。「われわれはわれわれの未来の存在を信じる。われわれは死の谷のさ中にあって、永遠の生命を信じる」。「この未来性の中で、われわれは永遠の生命を持ち所有する」。この「信仰の確実性」は、「希望の確実性」である。新約聖書によれば、「神の恵みの賜物である聖霊を受け」・「満たされた人」は、「召されていること、和解されていること、義とされ、聖とされ、救われていることについて語る時」、「すでに」と「いまだ」の啓示の弁証法において「終末論的に語る」のである。ここで、「終末論的」とは、「われわれの経験と感性」、換言すればわれわれの感覚と知識を内容とする経験的普遍にとっての<いまだ>であり、神の側の真実としてある、客観的な現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」として<すでに>ということである。『バルトとの対話』によれば、これが「和解された人間というわれわれの状況」である。すなわち、「自由の身になったという吉報を受け取った、牢獄の中にいる人のようなものだ。扉は開いている。しかし彼はまだ牢獄から外には出てしまってはいない」。したがって、バルトは、神の側の真実としてある、次の段階の「救贖」は、「『和解』以上のことを意味する」から、「完成(≪終末、復活されたキリストの再臨≫)という言葉の方が……よかったかも知れない」と述べたのである。
さて、吉本隆明は、「ぼくは、キリスト教なんかもうやめた方がいいぞ、なんてあまりいいたくないのです。そうではなくて、……地獄は地獄で洗う……観念は観念で洗う」、理念は理念で洗う、キリスト教の普遍性は、その「自らの普遍性」の「地獄で洗うという試みの中から、理論的な問題、組織的な問題あるいは実践的な問題というのを把えてゆかなければ足をすくわれる」と述べている(『信の構造3――吉本隆明全天皇制・宗教論集』「国家と宗教のあいだ」、春秋社)。このことは、何を意味するのか? それは、教会の宣教、その一つの機能としての神学は、聖書的啓示証言に信頼し固執し固着し依拠した教会の宣教、その神学におけるその原理およびその認識方法と概念構成それ自体において、不信、非知、<非>キリスト教を包括し止揚し克服するという神学における思想の問題を意味している。そういうキリスト教の普遍性の構成の問題を意味している。
(1)教会闘争の継続
自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教から自分を明確に区別したバルトの政治との不可避的な関り方は、次のようなものである――先ず、バルトは、ドイツとの「密接な連帯感を持っていた」。「ナチスのほんとうの害悪」は、バルトにとっては、「第一戒に対するナチスの組織的蹂躙」にあったし、そのことに対する「他の諸国民の無関心さ」にあった。このような状況の中で、バルトは、ナチズム・ドイツ国家に対して「反対」・抵抗しなければならなかった。それは、「かつて語った(≪キリストにあっての神・キリストの福音の≫)説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとし)おのずから実践に、決断に、行動になって行」くという仕方においてである。
さて、こうしたバルトの、告白教会そのものに対する批判は、次の点にある。それは、第一に、彼らは、イエス・キリストにおける神をのみ神とするイエス・キリストの教会として、またイエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの教会として、第一戒の告白が、ナチズム、全体主義国家の支配に対する「単に一つの宗教的な決断」、「教会政治上の決断を意味するだけでなく」、「事実上一つの政治的決断を意味するということ」を理解していなかったという点にある、第二に、彼らは、「その宣教の自由と純粋性のために闘ったが、例えばユダヤ人に対してとられた処置……取り扱い……弾圧」等については「沈黙した」という点にある。
こうした中で、バルト自身は、先の「神学的根拠」・第一戒の告白に基づいて、「ナチス国家に対するキリスト者の直接的な政治的抵抗の必要性を認識し始め」たし、事実「ナチス国家に対する政治的抵抗も含む抵抗運動の方向へと前進した」。バルトは、「ドイツ教会の試練と苦悩」を、「プロテスタント改革派教会内に自覚的に生きるすべてのスイス人」・「スイスのプロテスタント主義に対する問い」として受けとめた――このバルトは、国家の過渡的形態としてあくまでも相対的に評価できる「スイスをナチズムからまもるために私は軍隊に参加」し、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」・「規準はただ方向を与えることしかできない。(中略)ある特定の瞬間になした決断はおそらく、もっとも重要なキリスト教(≪第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会≫)の教義よりもっと重要であるかもしれない」(『バルトとの対話』)と述べている。こうしたバルトに対して、スイスのナチ党員だけでなく、オックスフォード<グループ>運動(「エミール・ブルンナーも、そのとりこになった」)の参加者や宗教社会主義者たちは対抗した。
(2)『教会教義学T/2』の完成にむかって
1936年の講演『神の恵みの選び』において、バルトは、神の恵みの選び、「すなわち予定は、恵みの中にある恵みを意味している、しかし、恵みの中にある恵みは、恵みの中にある神の自由と支配である」、と述べている。すなわち、「予定説」は、「イエス・キリストにある救いの自由な表現そのもの」である。言い換えれば、それは、「真に罪なき、従順なお方イエス・キリスト」自らが、われわれ人間に代わって、われわれ人間のために、「見捨てられた人間となり、その罰を引き受け給うたということ」、すなわち神の恵みに対して、イエス・キリスト自らが、われわれ人間に代わって、われわれ人間のために、「福音と律法の真理性」と「福音と律法の現実性」の全体性・総体性において、端的に信じ給うたということ、律法を成就・完了されたということ、われわれ個体的自己として全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)を成就・完了されたということである、これが「神の最高の義」である。このことは、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」、成就・完了された個体的自己として全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリストを信ずるということ、イエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着するということに関して、第一次的な契機はわれわれ人間には全く何もないということを意味している。したがって、このイエス・キリストにおける出来事の内容は、あの「啓示と信仰の出来事」に基づいて与えられる啓示認識・啓示信仰を通して、生来的な自然的な人間は、「神の恵みに敵対」し、「神の恵みによって生きようとしないが故」に、「このことこそ、第一に恵みが解放しなくてはならない人間の危急であった」ということをわれわれ人間に自己認識・自己理解・自己規定させるのである。したがってまた、われわれは、その客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて、「神の選び」を「イエス・キリストの復活において認識」し、「神の放棄」を「イエス・キリストの十字架において認識」することができるのである。また、その啓示認識・啓示信仰を通して、「われわれが本当に神の啓示を認識する時」、「われわれは初めて」、その信仰の類比において、「神に対する人間的反抗」、「神の敵」、「神に相対して、自分の力を誇り、まさにそのことの中でこそ罪深い堕落した人間として自分自身」を、またそのような「人間の世」を自己認識・自己理解・自己規定することができるのである。
1936年から37年の冬学期に、バルトは、バーゼル大学で、『神学の思考の根本形式』と題して「学術講演」を行った。その内容は、「神学の思考の根本形式は、その思考が(≪具体的には「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者として≫)聖書的、批判的、実践的でなければなら」というものであった。また、したがって、それは、「その研究対象」――すなわち、第二の形態の神の言葉である「聖書の証言(≪預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」≫)における神の言葉としてのイエス・キリスト」(起源的な第一形態の神の言葉、「啓示の実在」そのもの)にのみ信頼し固執する必要があるというものであった。バルトは、このことを、「それ以前に語られた神ご自身の言葉(≪起源的な第一の形態の神の言葉、それ故に具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言)……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っている」し、「われわれ以前の人々によってなされた(≪具体的には聖書的啓示証言を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で依拠した第三の形態の神の言葉である全く人間的な教会の一つの機能である≫)教義学的作業の成果」は、「根本的には……真理が来るということのしるし」であるという言い方で述べている(『教会教義学 神の言葉』)。
1937年3月初め、スコットランドのアバディーン大学で「『自然神学』についての認識とその普及を求める」「ギフォード講演の第一部」を依頼されたのであるが、近代主義(自由主義)に対してだけでなく、一切の自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教に対して、徹頭徹尾全面的に抗するバルトは、「『自分はあらゆる自然神学に反対する、人も知る敵対者である』という事実を明確に思い出してもら」う手紙を書いたのだが、その講演依頼は「取り消」されることはなかった。そのため、バルトは、「聖書の主題」である神と人間との無限の質差異の下で「神のみが神であること」について、また「キリスト啓示から出発して『神の栄光と人間の栄光』の相関性」について語った。すなわち、それは、例えば次のような思惟と語りにおいてである――聖書的啓示証言「Tコリント二・八、ヤコブ二・一によれば、イエス・キリスト」は、「<栄光>(≪聖、全能、永遠、力、善、あわれみ、義、遍在、知恵等≫)の<主>であり給う」――「そのような方として、認識され承認され」ている。しかし、このことは、「自明的ではない」。何故ならば、このことは、「常に」、主と栄光とを切り離して認識する「切り離し」の「危険」性に曝されているからである。第一に、神は、その<栄光>を止揚し捨象された仕方で、「<主>として、点的にあるいは線的に見られ理解される」という「危険」性に曝されている、換言すれば神は、先行するわれわれ人間の「定義に従って、過度に愛し、過度に自由な仕方で存在」し、「そのようなものとして……集約的な……また無限に狭い本質」として、それ故にそのように定義された神(人間的理性や人間的欲求やに対象化され客体化された神)が、「多種多様の動きを持った世を、特に人間」を、「相対して持つようになり、それとの関係の中で(≪神は後続的に≫)自分自身動きを受け取ることでもって初めて生きたものとなり、そこで初めてわれわれにとって、内容充実、具象性、明瞭性、それと共に実在性を得て来る本質として見られ理解される」という「危険」性に曝されている。したがって、ここでの先行する人間によって定義された神の「神的対処の仕方」は、「神の性質の中に基礎づけられ」た常に先行する神の「本来的な」「神的対処の仕方」ではないところの、換言すれば「経綸」――すなわち徹頭徹尾、存在的にも、認識的にも、内在的にも、外在的にも、その完全性・自由性(自存性と独立性の全体・総体)において常に先行するところの、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における起源的な第一の存在であるイエス・キリストの父(啓示者、言葉の語り手、創造主)、父が子として自分を自分から区別したところの第二の存在の仕方である子としてのイエス・キリスト自身(啓示、語り手の言葉、起源的な第一の形態の神の言葉、和解主)、愛に基づく父と子の交わりとしての第三の存在の仕方である聖霊(啓示されてあること、客観的に存在する「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性、救済主)なる神の「本来的な」「神的対処の仕方」ではないところの、われわれ人間「自身の性質の中に基礎づけられている一種の神的対処の仕方」(人間自身が、<主>として先行した、人間的理性や人間的欲求によって対象化され客体化された「存在者レベルでの神」の対処の仕方、全く人間的な「対策的な経綸」、その偶像神の名と呼びかけによる救い・平和・幸福の企て)なのである、それ故に常に先行する神の「本来的な」「神的対処の仕方」(性質、動き、働き、業、行為、行動)を「わがまま勝手に」止揚し捨象した全く人間的なそれなのである。このように、「もしも神が栄光の主であり給わないならば」、またキリストにあっての神がわれわれ人間の「言葉のすべての比喩的な性質にもかかわらず、何の留保もなしに事実います」というのでないならば、またキリストにあっての神が「ただ単に(≪われわれのための神として≫)われわれにとってだけでなく、また(≪ご自身の中での神として≫)ご自身の中ででもいます」というのでないならば(換言すれば「神の内三位一体的父の名」・「父なる名の内三位一体的特殊性」・「三位相互内在性」における内的・内在的な三位一体の神というのでないならば)、またキリストにあっての神が、存在的にも認識的にも、内在的にも外在的にも、その完全性・自由性(自存性と独立性の全体・総体)において「います」と言うのでないならば、「そのことは、神を信じる信仰にとって危険なことであり、最後的な根底において致命的なことである……」のである。したがって、「聖書は、われわれに対して」、聖性・秘義性・隠蔽性において存在する「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストを、その完全性・自由性(自存性と独立性の全体・総体)において、「<栄光>の<主>であり給う」というように、「神の本質の単一性と区別」(神の本質の区別を包括した単一性)の中で証ししているのである。すなわち、聖書的啓示証言は、われわれに対して、「神の栄光を証しすることによって、まさに(≪イエス・キリストが≫)栄光に満ちた方……として本来的なまことの神(≪旧約聖書における「ヤハウェ」、新約聖書における神・「テオス」あるいは主・「キュリオス」≫)であることを証ししている」のである。このようにして、第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である「聖書は、われわれを、(≪イエス・キリストにおける啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、きりすとの霊である聖霊の証の力、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて終末論的限界の下で≫)神ご自身を信じる真剣な、本来的な信仰へと呼び出す」のである。このような訳で、「<主>がその<栄光>と一つであるというこの聖書的な単一性(≪イエス・キリストは、「<栄光>の<主>であり給う」という「全体性」・総体性≫)を証しし記述することが、神的完全性についての教説の課題」なのである。預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」としての第二の形態の神の言葉である「聖書は、(≪第三の形態の神の言葉である全く人間的な教会に属する≫)われわれに対して、神の栄光を証しすることによって」、「神のすべての栄光は、栄光の主としての(≪キリストにあっての≫)神ご自身の中に集中され、集約され、統一されている」ということを証ししているのである。したがって、第三の形態の属する全く人間的な教会の宣教、その一つの機能としての神学は、その聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、そのことを証ししなければならないのである。したがってまた、人間の類の時間性における書かれた歴史に登場する「あらゆる種類の主権者」・「主人たち」、「世界史的個人」、さまざまな「神の代理者および奉仕者」を証ししているのではないのである。「ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち「啓示の実在」そのもの、起源的な第一の形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません」(Tコリント3・21−23および3・11)。このように、聖書的啓示証言は、栄光の主としての<純粋>な「イエス・キリストの名」(「人間の歴史的形態」)、<純粋>なキリストの福音、<純粋>なキリストにあっての神を証ししているのである。したがって、第三の形態の属する全く人間的な教会の宣教、その一つの機能としての神学は、その聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、そのことを証ししなければならないのである。
また、バルトは、『神認識と神奉仕』について講演をし、先ず以て神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて終末論的限界の下で与えられる「神認識」(信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)と「神奉仕」を、二元論的に対立させた理論と実践という仕方で理解するのではなく、区別を包括した単一性において理解した。したがって、バルトは、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会は、第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・起源・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、「神奉仕」(教会の宣教)における「教会の神奉仕(礼拝)」と「政治的神奉仕」(社会的政治的実践)を、二元論的に対立させた仕方においてではなく、その全体性・総体性において為していかなければならないというように理解した。したがって、バルトは、二元論的に対立させた教会の宣教と教会の社会的政治的実践という「混合宣教」を根本的包括的に原理的に批判した。
1937年3月に、ロンドンで「三〇人の教会関係の幹部たち」との交流において、イギリス人の「特別な気質」――すなわち、「自然神学、敬虔主義、1890年代のスタイルの<歴史批評>、包括的教会(これは特に英国国教会〔聖公会〕の自慢のスタイルであった)、道徳上の楽観主義、活動主義」的な気質を見出した。イギリス教会関係者の「われわれは、告白教会のために何をすればよいのか」という問いに対して、バルトは、「バルメン宣言第一項への厳粛な同意です」と答えた。このことは、第一戒、神と人間との無限の質的差異、キリスト論的集中、神の側の真実としてあるその死と復活の出来事における主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」に固執し固着することであると言うことができる、それ故に「世界の救い(≪平和≫)を何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求 め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、(≪キリストにあっての≫)神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを(≪キリストにあっての≫)神から、(≪キリストにあっての≫)神からすべての善きものを期待するべきである」、「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ(≪純粋なキリストの≫)福音に、無償の恩寵によって、素直に止まるべきである」と言うことができる(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。
さて、そのイギリス旅行の帰路、パリでピェール・モーリィと会って、「新しい国際的神学雑誌『ドクトリーナ』の計画について……相談した」が、バルトは、「新たな妥協主義の危険に対する不安から、この計画を中止した」。したがって、バルトは、トゥルナイゼンやモーリィは参加したが、9月にオックスフォードとエディンバラで開催された楽観主義的な、寛容主義・「妥協主義」に基づく「エキュメニカル会議への参加を意識的にとりやめた」。何故ならば、バルトは、信仰・神学・教会の宣教におけるその原理およびその認識方法と概念構成それ自体で、「エキュメニカル運動……を遂行できると考えていた」し、楽観主義的な、寛容主義・「妥協主義」に基づく外皮的皮相的な「公式のエキュメニカル運動には懐疑的」であったからである。<バルトのエキュメニカルな神学>は、その神学の総体像からすれば、次のような点にあるからである――第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会は、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類とその類の時間性としての歴史性)の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉を、それ故に具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書(預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法としての「隣人愛」)という連関において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ、教会」を目指していくという点にあるからである、この時、先行する神の側の真実としてあるイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、キリスト教の教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」へ向かっての運動において、その現にあるがままの不信、非知、非キリスト教、非キリスト者、われわれ個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して、<完全に>開かれるのである(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 「和解論の対象と問題」)。したがって、バルトは、そのような「国際的な舞台の上で……引き出すことができるものといえば、……いつも相も変らぬ妥協(≪現存する人間は寛容の精神性や理性性だけで生きてはいないのであるから、寛容の精神や理性的対応等に基づく党派主義、党派的多元主義の容認という妥協、妥協主義≫)が、関の山」でしかないと述べたのである。バルトは、次のように述べている――「教会の宣教をより危険なものにしてしまう」のは、教会の宣教(説教と聖礼典)が、すなわち「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということがなされないままに」、「礼拝改革」とか、「キリスト教教育」とか、「教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考える」ところにある(『教会教義学 神の言葉』)。佐藤は、「カール・バルトのエキュメニカルな神学への道」において、次のように述べている――(1)「エキュメニズムという言葉はオイクメネーという聖書のギリシャ語から来たものです。オイコスというのが家という意味で、それと関連するオイクメネーは、人の住んでいる土地、つまり世界、を意味します。エキュメニズムとはエキュメニカルな運動とほぼ同義で、一九世紀の海外伝道の経験をふまえて二十世紀に入ってとくに盛んになった、世界教会を目指す、世界の教会の一致を目指す思想、あるいはその運動を指します」、(2)バルトは「エキュメニズム、ないしエキュメニカル運動」に対して「『あらゆるたぐいの批判を口にしてきた』人でもあったのです」が、そのバルトが「『私の関心は、いつも、エキュメニカルな神学、つまりある特定の教派の狭い範囲の中に包摂されない神学を教えることでした』(一九六二年一一月,インタビュー)」と語った、(3)バルトは、「新しい形態」のエキュメニズムは、「教会の一致ということが、目的論的・動的に」、すなわちバルトによれば、「相互的、市民的寛容の理念」によってではなく、「イエス・キリストに基づく一致において、彼のための一致として、すなわち、世における世のための彼の御業の証しのための一致として」「理解され始めたときに起こった」、と。私は、(3)については首肯できる。しかし、その佐藤の思惟と語りにおける問題点は、佐藤が、「特定の教派の狭い範囲の中に包摂されない神学」を目指したバルトというように述べながら、バルトがキリスト教の教会共同性・教団共同性に閉じられていく党派性をも包括し止揚し克服していったその思想性については述べていない点にある。すなわち、佐藤は、教会共同性という枠組みを前提としているからだと思うのだが、その教会共同性の完全な開放性という観点がないという点にある。しかし、バルトはきちんとそういう観点を持っているのである。完全な開放性を持つバルトの神学におけるその原理およびその認識方法と概念構成は、次の点にある――先行する神の側の真実としてあるイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、キリスト教の教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」へ向かっての運動において、その現にあるがままの不信、非知、非キリスト教、非キリスト者、われわれ個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して、<完全に>開かれているのである。さらに、佐藤は、次のように述べている――「教会の一致はすでにイエス・キリストにおいて与えられているということです。それは、諸教会がその実現を目指さなければならない目標ではありません(自己目的にはならない!)。その上で諸教会の一致は、この世におけるイエス・キリストの証しのために目的論的かつ動的に追求されるべき課題なのです。そして彼によれば、その一つの『良い実例』が、バルメン会議(告白教会の第一回教会総会)であり、そこで採択された『バルメン宣言』にほかなりませんでした」、と(佐藤は、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」大学知識人の常として、告白教会、バルメン宣言の一面だけを拡大鏡にかけて全体化して述べているのである)。因みに、先ず以てバルト自身は、「バルメン宣言」について、「良い実例」とは述べていないのであって、次のように述べているのである――(1)バルメン宣言の「本文は、福音主義教会がその信仰告白という形で(≪「あらゆる」≫)自然神学の問題と対決した出来事の初めての記録」であった、しかし(2)「ユダヤ人問題を『決定的に重要なものとして組み込まなかった』ことを(≪その宣言には、ユダヤ人問題に対する開放性がなかったことを≫)、『重大な失敗』だと考えるようになった」、それ故にバルトは、告白教会そのものに対して、第一に彼らは、イエス・キリストにおける神をのみ神とするイエス・キリストの教会として、またイエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの教会として、第一戒の告白が、ナチズム、全体主義国家の支配に対する「単に一つの宗教的な決断」、「教会政治上の決断を意味するだけでなく」、「事実上一つの政治的決断を意味するということ」を理解していなかった(すなわち彼らの場合には、「理論が彼を実践の方へつれてゆくようにできあがって」いなかった、換言すればキリストにあっての神・キリストの福音の繰り返しの宣教が政治的決断および政治的実践にまで必然的につれてゆくようにできあがっていなかった)、第二に彼らは、「その宣教の自由と純粋性のために闘ったが、例えばユダヤ人に対してとられた処置……取り扱い……弾圧」等については「沈黙した」(彼らの宣言には、ユダヤ人問題に対する開放性がなかった)というように総括している(『カール・バルトの生涯』)。このことは、バルトの『教会教義学』に対するそれは「一つの閉じられた『正統主義的な』体系」であるという悪意に満ちた誤解と誤謬と曲解における「非難」を、根本的包括的に原理的に打ち砕くものである。また、このことは、「近代プロテスタント主義(≪近代国家が自由国家と同じであるように、自由プロテスタント主義と言ってもよい≫)の、ますます増大する粗暴さと退屈さと無意味さ」を、根本的包括的に原理的に打ち砕くものである。