カール・バルト(その生涯と神学の総体像)

カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2−1)

カール・バルトの生涯――東西問題、ブルトマン問題、『教会教義学 和解論』問題(その2−1)
再推敲・再整理版です。

 

 1946年、バルトは、バーゼル大学学長の職の要請を断って、夏学期だけという限定においてではあったが、ドイツ再建に尽力するために、バーゼル市教育局から有給休暇を与えられて、「客員教授」としてボンに帰ることになった。何故ならば、世界大戦後のバルトは、世界的な課題を担うために、第一に、『教会教義学』の完成を目指すこと、第二に、「ドイツにおける諸般の問題に対する……直接の協力や、他の諸国においても時折要求される協力を、個々の具体的な機会のみに制限する」こと、第三に、食糧等の物質面でも援助の努力をすることという道を選んだからである。

 

 さて、バルトは、西ドイツ初代連邦首相のコンラート・アデナウアーとの話し合いにおいて、彼に対して、「キリスト教民主党の結成はよくないと強く警告した」。何故ならば、バルトは、「教会と政治課題との間には不可避の関係がある」が、教会が「自由な、なにものにも依存しない言葉」を宣べ伝えるために、その政治的「課題をキリスト教政党を結成するという方法で解決すべきではない」と考えていたからである、換言すれば「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待しなければならない」と考えていたからである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)、また「幼稚な反共主義」者であり事実的政治屋のキリスト教神学者のラインホルド・ニーバーによるバルトに対する政治的強要や政治的陰謀が、まさに宗教化・倫理化された西側イデオロギーによる「啓蒙の<恐喝>」でしかなかった体験思想を踏まえて、「西の獅子」に「抵抗」できなければ、「東の獅子にも抵抗」できないと考えていたからである(前掲書)、また「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになって」おり、「国家は支配であり、文化は支配」であり、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没したことがある」からである(『バルト自伝』)、それ故に「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』」と言ってはならないと考えていたからである(『啓示・教会・神学』)、換言すればバルトは、欧米、ロシア、中国等、その政治的近代国家・民族国家の枠組みにおける法的政策的言語を含めて、それらすべてから対象的になって常に距離をとるべきであるし・距離をとっているべきであると考えていたからである。

 

 バルトは、大戦後のヨーロッパの状況認識の一つを、東西陣営からの「深刻な脅威」に取り囲まれたただ中にあるという点に置いた。この状況認識において、バルトは、『キリスト者共同体と市民共同体』の講演において、次のように述べた――「国家は、『教会の外にあるが、イエス・キリストの支配圏の外にあるのではない』」、イエス・キリストは「両者を支配する主であり給う」から、両者は「その起源をも、中心をも共有する」、それ故に両者はその起源・中心を、イエス・キリストに置くべきである、それ故にまた「自然法による国家の基礎づけをも、この世界の『自律性』の教説をも排除すべきである」、それ故にまた「教会の政治的無関心にも、またこの世との名誉ある連帯以外でのキリスト者の政治的行動にも、さらにまた、キリスト者の主である方の法廷以外のいかなる場所における彼らの政治上の決断にも反対すべきである」、と。言い換えれば、バルトは、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会、その一つの機能としての神学、その思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者としての、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉(「啓示の実在」そのもの)、それ故に具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)「以外のいかなる場所における彼らの政治上の決断にも反対すべきである」と述べたのである。このような訳で、「キリスト者は政治面では、『……キリスト教信仰に関しては匿名で』登場すべき」であって、「キリスト教政党といったものを結成して登場すべきではない」と述べたのである。このことを、『教会教義学 神の言葉』では、次のように思惟し語られている――イエス・キリストが、われわれ人間に対して、第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書およびその聖書を自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、それに信頼し固執し固着し連帯した教会の宣教を通して「同時的となる時と所」、「『神われらと共に』が神ご自身によってわれわれに語られるところ」においては、「われわれは神の支配のもとに入ることを承認し確認する」。したがって、われわれは、「世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会として承認し確認する」。すなわち、「自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけであることを承認し確認する」。このような訳で、イエス・キリストにおける神の自己啓示としてのキリストにあっての啓示は、われわれ人間の、その個と現存性その類と歴史性の生誕から死までのすべてを見渡せ、それ故に「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所なのである、それ故にまたその場所は、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教における福音が、「理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと」、「鋭さをなくした」「十字架象徴論へと」、「イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎない神秘主義へと変わって行く」ことが見渡せる場所でもあるのである。

 

 1946年5月17日からはじまった夏学期において、バルトは、「教義学の本質と目的」を「話し始める」ために『教義学要綱』について講義した。バルトの教会教義学を「よく知っている人は、この講義の中に『ほとんどまったく新しい素材を見出す』ことはできなかった」。このことは、当然なことで、『ローマ書』、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』、『福音と律法』、『教会教義学』「神の言葉」・「神論」までレンガを積み上げるように蓄積されてきたその「要綱」であるからである。したがって、「『ほとんどまったく新しい素材を見出す』ことはできなかった」ということを述べたり・知ったりすることが重要なことではない。すなわち、その著作でバルトが「聖霊は、人間精神と同一ではない」、「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」、聖霊によって更新された人間理性も聖霊と同一ではないという思惟と語りにおいて、そのような認識方法と概念構成において、『ローマ書』「第2版序言」にある神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を貫徹していることを見出すということが重要なことなのである。したがって、ブッシュは、先ず以てこのことを書くべきなのである。バルトは、この講義において「生涯……はじめて」、「一語一語しっかりと吟味した原稿を持たずに講義をした」。このバルトは、「私は、ただストレートに学問的な教師であろうとすることは不可能」であったし、「私は、決してそういう教師ではなかったし、またそれ故にそういう地位にはまったく〔適して〕いませんでした」と述べている。また、バルトの「この講義の中心のテーゼの一つは、……『ただひとりの主がいます。この主は、世界の主なるイエス・キリストである』……ユダヤ人イエス」であるという点にある。さらにまた、バルトは、「キリスト教信仰が、人間を分裂させ、違った人たちを差別しようとするなら、それは恐ろしいことであろう。キリスト教信仰は、まさに人間を一つにし、結び合わせることのできるもっとも強力な原動力である」と述べている。何故ならば、バルトにとって平和の概念は包括的な救済概念と同じであり、その救済概念は、神の側の真実としてある、先行する神の側からする「この世の神との和解」、「人間相互間の和解を直接その内に包含している和解」であり、「神ご自身によって、イエス・キリストの歴史において、その生涯と死において、すでに完成(≪成就・完了≫)され、死人からの復活においてすでに啓示されているような、和解」であり、それ故にわれわれ人間によって初めて「完成(≪成就・完了≫)されねばならないような和解」ではなくて、「神ご自身によって確立された和解」であり、それ故に「イエス・キリストにおいては、神と人間が、しかしまた人間とその隣人が平和的であり」、「敵としてではなく、忠実な同伴者、仲間として、共にある」のであり、イエス・キリストにおいて平和は、「神ご自身が世界史のまっただ中に創造し見えるものとして下さった現実性」であり(神の側の真実としてある、客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」として「すでに」であり)、それ故に「この贈り物はただ、われわれがこれを受けとることを待って」おり、それ故にわれわれが「この事実に向かって、眼と耳を閉ざして生きているということが、悲惨である」からである(「平和に関するバルトの書簡」寺園喜基訳)。

 

 さて、ドイツ人たちは、「シュトゥットガルト罪責告白」にも拘わらず、1946年から47年にかけて「諸教会が『教会の根本的再建』の労苦を担わず」に、「罪責を認めようとしない態度と結びついた」「十六世紀の博物館」か「中世の博物館」への「復古主義に身をゆだね」はじめていたことに対して、バルトは非常に「残念に思った」。バルトは、1948年、「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇」が、すなわち総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞と循環を繰り返している、先行させた人間からする神との「混淆」・「混合」、神との「共働」・「協働」、神人協力、神学と人間学との「混合学」、二元論的な福音宣教とそれから独立させた社会的政治的実践との「混合宣教」を目指す神学者や牧師やキリスト教的著述家たちの近代劇が、「『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」と述べている(エーバハルト・ブッシュ『バルト神学入門』)。また、バルトは、第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」・「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した・「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」と述べている(『バルト自伝』)

 

 1947年、バルトは、『聖書の権威と意義』について講演し、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における「唯一無比」の第一の形態の神の言葉であり「啓示の実在」そのものであるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書(聖書的啓示証言、最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)こそが、教会の宣教の原理(・規準・法廷・審判者・支配者)であり、「教会にとってもこの世にとっても基準」(・原理・法廷・審判者・支配者)であるから、「エキュメニカルな一致」は、「このように規定された聖書の権威が有効性をもっているか否かによって、真のものであるか、幻想であるかがきまる」というエキュメニカル運動に対する自分の立場について述べた。したがって、人間の一面だけを拡大鏡にかけて全体化されたところの人間理性や人間の「寛容の精神」による多様主義や党派主義や党派的多元主義あるいは折衷主義は、決して「エキュメニカルな一致」ではないのである。
 このことを前提として、バルトは、『教会――活ける主イエス・キリストの活ける会衆』において、「『会衆の集いの出来事』として考える教会理解から、『……教会の上なる権威の概念の全体を……解体し、……すべてを会衆を基礎として再構築』」した。このことは、『啓示・教会・神学』に即して言えば、第一に、教会は、(≪客観的なイエス・キリストの啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて≫)人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うことを聞くというこの一事によって、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」、第二に、それ故にそうでない場合は、「どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」、というように言うことができる。
 バルトは、夏学期に、「『改革派正統主義』を弁護するためではなく」、『ハイデルベルク教理問答書』の講義を行った。その講義内容は、第一に、聖書的啓示証言におけるキリストの福音は、「人間の所有となった死せる宝」ではない、キリストの福音は、自然神学はもちろんのこと「あらゆる神学」が、「人間から離れ」、具体的には「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、「キリストを指し示す奉仕を行うことのみを願っている。そしてそれが行われるところでのみ、教会は生きる」、第二に、キリスト教的思惟は、キリスト教に固有な類としての第二の形態の神の言葉である「聖書に基づいているのと同様に、(≪キリスト教に固有な類の時間性において、聖書に信頼し固執し連帯した第三の形態の神の言葉である全く人間的な改革派の≫)『父祖たち』にも……結びついている」、第三に、その改革派の父祖たちの「『普遍プロテスタント的認識は、今日のドイツの神学と教会に起こっている最も憂慮すべき……教派主義(≪党派主義、党派主義的思想、党派主義的共同性、党派的多元主義≫)』に対抗する手段となりうる」というものであった。また、バルトは、「キリスト教の啓示の特殊性は、それが生の危急にかかわる、肯定的な、絶対的な、すべての人間にかかわる出来事」ということについても述べている。何故ならば、「すべての人間にかかわる出来事」としての「キリスト教の啓示の特殊性」は、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、すなわち成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものにあるからである。

 

 1948年、バルトが直面した問題は二つあり、第一には、ブルトマンの非神話化の問題であり、第二には東西対立における教会の宣教の問題あった。
 バルトがブルトマンに「疑念を抱いた」点は、彼の「『新約聖書本文の解釈の規準』として用いた『実存主義的図式』に対してであった」。したがって、バルトは、「ブルトマンに対して教会政治上の処分を行うこと」に対しては反対した。何故ならば、近代主義的神学あるいは近代主義的な信仰・神学・教会の宣教、総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で循環するブルトマン神学は、教会政治的処分によっては根本的包括的に原理的に止揚し克服することはできないからである。したがって、バルトは、「よりよい神学を持って」、すなわち<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教をもって、「歴史的前提や歴史的結果からのみ解明しうるという『一つの方法の強制』を拒否」しようとした。バルトの根本的包括的な原理的なブルトマン神学に対する批判は、次の点にある――ブルトマンの実存論的聖書解釈にとって、「聖書記事」は、そして「新約聖書の使信そのもの」も、その「表象形式の神話」も、「人間の自己理解の表明」であり、それ故にそれは、現存する人間の自由な自己意識・理性・思惟があるいは人間的欲求が対象化した人間の物語世界、意味的世界、「存在者レベルでの神」(偶像神)の表明であり、それ故にまたそれは、不信、非本来性から信、本来性への実存的移行の表明であり、人間の言語によって対象化された実存の表明であり、「聖書記者たちの実存的主張」であるから、そのように「理解し、解明されなければならない」ということになる。このブルトマンは、先ず以て第二の形態の神の言葉である「聖書記事」(聖書的啓示証言、最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)から起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト(「啓示の実在」そのもの)の出来事を「取り去って」、それからさらに「聖書記事」(聖書的啓示証言、最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を前述したような仕方で第二次化し、そうして彼の物語世界、意味的世界、「存在者レベルでの神」(偶像神)を第一次化し、この第一次化した彼の物語世界、意味的世界、「存在者レベルでの神」(偶像神)に「従事することにおいてのみ真であり、重要であるものに形式変換し、転釈する」ということになる、それ故にこのブルトマンにとっては、これらの作業が、「非本来的存在から本来的存在への」、「過ぎゆく存在から将来の存在への移行の歴史」であり、「信仰」であり、「説教」であるということになる。ここに、ブルトマンの聖書解釈における前期ハイデッガーの哲学原理に基づく「絶対的規準としての先行的理解と解釈学的原理」がある。ブルトマンは、「新約聖書の釈義に役立つ新しい哲学的な鍵」を、前期ハイデッガーの哲学原理に見出したのである(『カール・バルト著作集3』「ルドルフ・ブルトマン」小川圭治訳、新教出版社)。このブルトマンの場合、その存在、その現前性、その被制作性、その被企投性、その言語、そのシンボル体系、その不可避な類と歴史性の第一次性を自覚した、すなわち人間中心主義的な人間的現実存在(思索者・詩作者)の自由なその思考、その現存性、その時間化(差異化)と存在了解、その企投性の限界性を自覚した後期ハイデッガーの転回によって、言い換えれば、個と類――歴史性と現存性が出会う出来事、「存在の生起の出来事」を自覚した後期ハイデッガーの転回によって、バルト自身も述べているように、ブルトマンはハイデッガー自身によって足をすくわれてしまったのである。このようなブルトマンに対して、ハイデッガー自身が、客観的な正当性と妥当性とをもって、根本的包括的な原理的な批判と「揶揄」を加えている――「『今日まさにこのマールブルクでは、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりは『むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』、『いわゆる存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか』」、と(木田元『ハイデッガーの思想』岩波書店)。ブルトマンは、「神話的世界像と神話的人間像は時代の経過とともに、われわれの前から消え去ってしまう」し、われわれの「眼前存在」、現前性は「近代的な世界像、人間像」にあるから、それ故に「神話形式のままでは、新約聖書の言表」、すなわち「語られた内容の表現は理解できない」から、それは「非神話化されなければならない」と思惟し語るのであるが、バルトは、次のように思惟し語るのである――「聖書註解者」は、「だれに対して」、「誠実と真実をささげるべきなのか?」、「責任的応答をなすべきなのか?」「同時代の人たちの思考の前提に対してか?」、「そこから形成された理解の規準に対してか?」、否である、われわれは、「十字架につけられ、復活したイエス・キリストにおけるわれわれの実存という場所において、われわれの信仰より以前にも、信仰なしでも、……不信仰に抗して」も、「われわれのために生きて、われわれを支配」し、「われわれを愛し給う(≪先行する≫)イエス・キリスト」を、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて「認識し、持つことができることを示すということ以外の何が問題となるのだろうか?」(「ルドルフ・ブルトマン」)。

 

 1948年、バルトは、邦訳『教会教義学 創造論U/3』を書きあげた。ブッシュは、このバルトの『教会教義学 創造論』について、次のように述べている――すなわち、「キリスト論的基礎づけの上に立って」、第一に、「人間論はキリスト論ではないが、『人間イエスは、啓示する神の言葉であるから……神によって造られた人間存在についてのわれわれの認識の源泉である』」。第二に、神学以外の人間学的な「諸科学は、……個々の『人間的なものの現象』を認識することはできるしそれ自体の真理性もあるのであるが、『真の人間』そのものを認識することはできない」、「真の人間」は、まことの神してまことの人間である「イエス・キリストにおいて」、換言すれば神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて終末論的限界の下で与えられる信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)において、「はじめて認識可能となる」。ブッシュは、さらに続けてその「真の人間」は、「神の恵みにあずかっている罪人のことである」と述べている。このブッシュの思惟と語りについても、「そのまま鵜呑みにしたり模倣したりすることをしない方がいい」のである。その神学の全体性・総体性において「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持したバルトは、「真に罪なき、従順なお方」である「真の人間」は、まさに内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方(性質、働き、業、行為、行動、活動。全き自由の神の全き自由の愛の行為の出来事としての全き自由の神の存在)であるイエス・キリスト自身のことであって、それ故にブッシュの言う「神の恵みにあずかっている罪人のこと」では決してないことは明らかなことなのである。このことは、バルトが、『教義学要綱』で、「聖霊は、人間精神と同一ではない」、「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」、聖霊によって更新された人間理性も聖霊と同一ではないと述べていることを考え合わせれば明らかなことである、それ故に「神の恵みにあずかっている罪人」を「真に罪なき、従順なお方」である「真の人間」と同一化することはできないのである。「神の恵みにあずかっている罪人」は、常にただの人間として「神の恵みにあずかっている罪人」(神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて与えられる人間的主観に実現された神の恵みの出来事に与る罪人)であり続けるのである。復活されたキリストと復活されたキリストの再臨(終末、「完成」)までの間の聖霊の時代に現存するわれわれが「真の人間」となる出来事は、復活されたキリストの再臨(終末、「完成」)を待たなければならないのである。このような訳で、「真に罪なき、従順なお方」である「真の人間」は、イエス・キリストのみである。したがって、人間論的な自然的人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、「罪深く堕落」しているし、「神に……反抗」し、「神に敵対し神に服従しない」し、「肉であって、それゆえ神ではなく、そのままでは神に接するための器官や能力を持ってはいない」し、生来的な自然的な「『自分の理性や力(≪知力、感情力、悟性力、意志力、自然を内面の原理とする身体的修行等々≫)によっては』全く信じることができない」ところのただの人間なのである。「人間の人間的存在がわれわれの人間的存在である限りは、われわれは一切の人間的存在の終極として、老衰・病院・戦場・墓場・腐敗ないし塵灰以外には、何も眼前に見ないのであるが、しかしそれと同時に、人間的存在がイエス・キリストの人間的存在である限りは、われわれがそれと同様に確実に、否、それよりもはるかに確実に、甦りと永遠の生命以外の何ものも眼前にみないということ――これが神の恩寵である(『福音と律法』)。

 

 1948年、哲学者カール・ヤスパースがバーゼル大学の同僚として加わる。1958年のバルトのヤスパース宛ての手紙にはこうある――ヤスパースの教室は2階の最も大きな「第二講義室」であった。それに対して、バルトの教室はその真下の「少し小さい……第一講義室」であった。『学部の争い』(カント)は以前からあったが、どちらが優位かなどという争いは「傍観者たちの争い」であって、バルトとヤスパースは、両者とも、学問的領域の差異性および「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を認識し自覚していた。

 

 1948年、バルトは、アムステルダムで開催された第一回世界教会協議会における「四冊の大会準備パンフレットに対する彼の態度表明」を含めた主題講演の招請を契機に、状況が強いる政治的な東西問題への取り組みだけでなく、ほんとうは自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教を目指すそれであるのか、それとも<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教を目指すそれであるのかについて、「本質的に考える」べき課題であったところの「合同促進運動(エキュメニカル運動)」にかかわらざるを得なくなった。その招請は、1月にあったのだが、エキュメニカル運動に対して「懐疑的で」「さまざまな面で批判的発言をしてきた」バルトは、「最初……拒絶の意向を示した」。しかし、その「心は変わって」、エキュメニカル運動を不可避的な課題として認識し自覚したバルトは、『世界の無秩序と神の救済計画』というテーマで講演を行った。
 この講演の主調音は、「先ず神の救済計画について語った後に、初めて世界の混乱について語るべきだ」という点にあった。このことは、聖書的啓示証言を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者としたそれであって、それ故に「旧約(≪「神の裁きの啓示」・律法≫)から新約(≪「神の恵みの啓示」・福音≫)へのキリストの十字架でもって終わる古い世」・「まことの過去」は、そのキリストの復活の出来事(「成就された時間」)によって「克服」されて「新しい世」・「まことの未来」がはじまるのであるが、そのキリストによる勝利の行為は、「敗北者もまた依然としてそこにいる(≪世界の無秩序・世界の混乱も依然としてそこにある≫)ところの勝利の行為」であるということを意味している(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、「キリスト教界はこの世の危急を人間的な仕方で描き出したり、人間的に批判したりする」だけであるならば、その危急を人間的に「克服するための人間的な計画を立て、処置する」だけに終わってしまうことになる。大会準備のパンフレットには、「神自身のみが完遂することができ、神がまったく御一人で完遂しようとしておられることを」、「われわれが、キリスト者として、教会人として神に代わって実行しなければならない」とあった――このパンフレットにある自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の強い響きに対して、当然にも、バルトは批判した。何故ならば、その場合、必然的に、人間的理性や人間的欲求やによって対象化された「存在者レベルでの神」、その「神の名において、神の呼びかけのもと」に、先行させた人間の側からする神との「混淆」・「混合」、神との「共働」・「協働」、「神人協力」において、人間の「神への反逆」が行われるからである――「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪彼の人間的理性や人間的欲求やによって対象化された彼の物語世界・意味的世界としての善意≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかった。神と人間についての独断的な観念に基づく独断的に考え出された救いの計画と救いの方法(≪平和の計画と平和の方法≫)が支配するところ、そのようなところでは、その意図がたとえどのように心から善いものであり、敬虔なものであっても、神に対しても人間に対しても、真に奉仕が行われることはないであろう。またそのようなところには、教会は存在しないのである。そのような救いの計画と救いの方法(≪平和の計画と平和の方法≫)の独断性が、神に余りに僅かしか信頼せず、人間に余りに多く信頼するという点に現われるということは、疑いない」(『啓示・教会・神学』)。このバルトは、次のように述べた――「われわれは、この悪い世界を善い世界に転換させる者とはなり得ない」、何故ならば「神は世界に対する主権をわれわれに譲り渡さなかった」からである、したがって「われわれは、この世界の政治的、社会的無秩序のただ中にあって、(≪主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」としてのイエス・キリストのみを信ぜよ・イエス・キリストにのみ固着せよということが、それ故にあの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関において、すべての人々がキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えにおいて≫)神の証人となることが、……われわれに求められていることのすべてである」と述べた。 
 バルトは、アムステルダム世界教会協議会に参加後、「教会とその一致の問題」を扱った分科会で、神学の学科として「教義学」・「信条学」と並んで「教会一致運動論というべきもの」が必要であると述べたという。しかし、だからと言って、バルトの場合は、「教会一致運動論というべきもの」が必要であると述べたその一面だけを拡大鏡にかけて全体化してバルトを論じたりしたら、誤解・誤謬・曲解の陥穽に陥ることになるのである。バルト自身の終末論的限界の下でのエキュメニカル運動の観点・原理は、次の点にあると言うことができる。第一に、「キリスト中心主義の観点こそ」が、「キリストの神性」の観点こそが、一切の近代主義的神学(自由主義的神学)、総括的に言えば「あらゆる『自然神学』に対抗」し得る神学における思想的武器である。この観点こそが、教会教義学の「創造に関する第三分冊を書くことを可能としたものである」。第二に、邦訳『和解論T/4』において、1950年の冬学期バルトは、カトリックのフォン・バルタザールと同様に、「皆、さまざまなやり方で、さまざまな強調点をおいて、神学と、またエキュメニカルな相互理解のあらゆる試み」が「信仰の創始者また完成者」、「『信仰の導き手であり、またその完成者』(ヘブル書12・2)である中心」イエス・キリストに、「まったく新しい目を……向けようとしていると思われた」と書いている。また、1964年、学生たちとの対話で、「教皇の不可謬」について語り合った時、フォン・バルタザールが「教皇のことを話すのはもう止めて、イエス・キリストについて話しましょう」と言ったのに対して、バルトは、「それなら私たちは同意見だ」と答えた。第三に、バルトは、カトリックのフォン・バルタザールが『教会教義学』において「追求されたイエス・キリストへの集中とそこに含まれているキリスト教的現実概念への集中に関する事柄を」、「力強く理解している」と考えていたのであるが、その彼がバルトの「キリスト中心主義を……承認しただけでなく、同時に(≪そのことを≫)『キリスト論的狭隘化』と呼んで批判した」時、バルトは、「それ以来彼に対してもまた保留をつけざるをえな」くなった。何故ならば、バルトにとって「合同促進運動(エキュメニカル運動)」は、旧態依然とした自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を目指すそれであるのか、それとも<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を目指すそれであるのかについて「本質的に考え、取り組まなければならない」課題であったからである。したがって、バルトは、「さまざまな視点に立つ永遠の(≪外皮的皮相的な≫)調停」に「長い時間付き合っていると、……ひどく疲労」した。バルトの<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階におけるエキュメニカル運動の観点・原理は、具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の宣教、その一つの機能としての神学、その思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指していくという点にあるのである。
 このような訳で、バルトは、理性的な相互承認・相互制約あるいは「寛容の精神」、それによる党派主義、党派主義的思想、党派主義的共同性、党派的多元主義を許容し合う一致、折衷主義的一致、そうした一致は、人間の恣意的独断的な私意・私利によってすぐ崩壊してしまうものであって、全く駄目なエキュメニカル運動であると考えたのである。そのことは、ここに登場するフォン・バルタザールを見てもすぐに分かるし、「ドイツのルター派の人々」を見てもすぐに分かるのである。したがって、バルトも、神学における思想家として、吉本隆明のように、「対立する双方に真理があるというような俗説が、世界史的に流布され、流通している」中で、「自らの立場」において、両者を「包括し止揚しなければならないということが思想的な問題である」(『どこに思想の根拠をおくか』「思想の基準をめぐって」)と考えたのである。バルト自身は、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、それ故に成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものである、その死と復活の出来事におけるイエス・キリストにおける出来事――この「一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派(≪党派主義、党派主義的思想、党派主義的共同性、党派的多元主義、学派、教派、思想傾向、社会的政治的な言説や運動等々≫)に仕えなければならないことはない……、一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」と述べたのである(『教会教義学 神の言葉』)。大いなる悪意と誤解と誤謬と曲解をもって恣意的独断的に、「キリスト一元主義というあてこすりの言葉・合言葉」でバルトを「非難」する者たちがいたのであるが、そうした者たちは、世界<思想>とはどういう次元のものであるのかということを、全く認識し自覚していない者たちでしかないのである。

 

 1948年の夏学期には、ドイツ行きをやめて、共産主義政権の支配下にあるハンガリーの改革派教会の招待で、ハンガリー旅行に出かけた。このことで、バルトは、<不可避的>に強いられて、東西問題とかかわらざるを得なくなった。
 エミール・ブルンナーは公開書簡の形で、ラインホルド・ニーバーのように、バルトを容共主義者だと誤解して、「かつてナチズムに対してやったように、『それと同じ仕方で共産主義に反対し、信仰告白を貫くように呼びかけない』のはなぜかと問いかけた」。それに対して、バルトは、「精神的自覚のない、容易な原則主義」を拒絶すると答えた。何故ならば、バルトは、今日西側において、「ボルシェヴィズムは、かつてのナチの褐色シャツの脅威の下」で、「大きい危険があったような形」で、ロシア・マルクス主義を「神格化する」という危険性はほとんどないという状況認識を持っていたからである。このことは、バルトが、東西イデオロギー(権力)も、ナチズムも、全体主義も、スターリニズムも、自由主義国家も、民族国家も、修正資本主義も、現在で言えば新自由主義も、国家を第一義性(価値性)とする国家主義的なそれであって、それらはすべて駄目だというように理解していたことを意味している。その証拠に、バルトは、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没したことはなかったであろうか」と述べている(『バルト自伝』)。それだけではなく、バルトは、『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』において、「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」とも述べている。すなわち、重要なことは、常に、それらすべてから対象的になって距離をとり・距離をとっていることが必要であるという点にある。バルトは、次のように述べている――「私は、共産主義に対するあらゆる不安には賛成できません。ある国民が、良心を失っておらず、(≪常に、擬制民主主義としての議会制民主主義から対象的になって距離をとり、国家を第一義性(価値性)とせず、それ故に国家を大多数の被支配としての一般大衆、一般市民、一般国民にどこまでも開いていくという≫)その民主主義的な社会生活がしっかりできているならば、共産主義に対していかなる不安をもつ必要はありません。ましてイエス・キリストの福音を確信している教会は、まったくなんの不安もないはずです」(何故ならば、「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラトのともがらと成ることができようか」と言えるからである――『教義学要綱』)、「東と西というブロックの形成は、権力抗争、イデオロギー抗争に基づいており、教会がそのどちらかに加担しなければならないという理由はまったくない」、「現代のイエス・キリストの教会の歩む道」は、その全き自由の下での、「もう一つの別の、第三の、それ自身の道」(第三の形態の神の言葉に属する教会自身の道)でなければならない、と。1954年8月、バルトは、フロマートカに対して、「西側にある教会も、東側にある教会も……両側の体制派指導者の間にあって、この狭い道を求めつづけ、そして見つけなければならないのです」と述べた。

 

 バルトは、「『教会教義学 V/3』の「虚無」に関する節の「モーツアルトに関する特別補注」に、次のように書いた――「モーツアルトに比べるなら、バッハもまた洗礼者ヨハネにすぎ」ない、と。「バッハとバルトを隔てたのは、バッハのあまりに意図的で、あまりに技巧的な『宣教しようという態度』であった。他方、モーツアルトは、このようなわざとらしさから解放された、純粋な遊びの姿勢でバルトを引きつけた」。「純粋な遊びの姿勢」というよりも、常に先行する神に後続する自由を与えられた人間の余裕性と言った方が良い。何故ならば、イエス・キリストにおける啓示は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力を、キリストの霊である聖霊の証しの力を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動を、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)を与えることができる授与能力を、客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)を持っているからである。もっと包括的に言えば、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」からである。われわれは、徹頭徹尾、神の側の真実としてあるその死と復活の出来事におけるイエス・キリストにのみ(「成就された時間」、勝利の福音、「われわれ人間の更新を可能とするのは、今日に至るまで罪人の手に渡され・十字架につけられ・死んで甦られ給うたイエス・キリストにある復活の力」にのみ)感謝をもって信頼し固執し固着すればよいからである。また、われわれは、『福音と律法』に即して言えば、ルターに強烈に存在したところの、人間が「律法に対して全体的に不従順であるという事実における人間に生ずる生の不安」は、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのものであり、「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリスト――このキリストの復活(「成就された時間」)によって「克服された……慰められた……癒された不安、望みと喜びの確かな岸によって取りかこまれた不安にすぎない」からである、また罪の本質は人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求(無神性・不信仰・真実の罪)にあるのであって、「余りに性急に、余りに熱心に、念頭に置いて来た」「性的リビドー」(「『死んでいる』罪の成果の一部」)にあるのではないからである。

 

 1949年夏、バルトは、「非神話化の問題の浪が大きくうねり始めた」時、邦訳『創造論V/1』の「結論部分において、(中略)天使を『神の純粋な証人』だと説明した」。そしてまた、バルトは、『ヒューマニズム』において、「福音においても、もちろん人間(≪人間の危急≫)が中心的問題である。しかしながら、福音から、人間について、人間のために(人間に反しても!)そして人間に向かって語るべきことは、(≪先行させた人間の側からする≫)さまざまなヒューマニズムが終わるところから始まる。われわれは、……すべてのヒューマニズムを(≪神の側の真実としてあるキリストの≫)福音によって理解することができ、さらにすすんで肯定し、承認することができる……。しかし、われわれは福音からすれば、最終的にはあらゆるヒューマニズムに反対しなければならない」と述べている。何故ならば、人間的なヒューマニズムは、結局は総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階におけるそれであるからである、ちょうど「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性にあるとするような信仰である」とした「カントは、本源的であるゆえに、すでに前もってわれわれの理性に内在している神概念の再想起としての神認識という点で、(≪自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階における≫)アウグスティヌスの教説と一致する」ように。バルトは、教会の宣教的意志・教義学的意志について、次のように述べている――第一に、「危険なことは、われわれがある哲学を学んで、それから神学の勉強を始め、そしてわれわれの頭にある哲学の法則に従わせようとすることだ。われわれは哲学を一つの道具として用いることはできる。しかし、もしヘーゲルやハイデッガーあるいはアリストテレスを絶対化(≪原理化・規準化・法廷化・審判者化・支配者化≫)するならば、聖書を聞き損なうことになる」。言い換えれば、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わるところから始まる」のであって、神学も理性的な知的営為ではあるが、「神学は方法論的には、ほかの学問のもとで何も学ぶことはない」、と(『バルトとの対話』)。第二に、「人は、(≪自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階の中において≫)全く別なもろもろの啓示概念、おそらくは普遍的な啓示概念を問うことができる」が、その場合、「人は(≪教会の宣教の一つの機能としての教会≫)教義学の課題を、手をつけずに放置しておくことになる」、と。何故ならば、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教は、イエス・キリストにおける啓示自身が持っている啓示に固有の証明能力を、キリストの霊である聖霊の証しの力を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動を、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)を与えることができる授与能力を持っていることを「信頼しない」からであるし、それ故に自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教は、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)が客観的可視的に存在しているにも拘らず、具体的にはその第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・キリストの福音(啓示と和解、救済と平和)を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指すことをしようとしないからである、と。
 このバルトは「神の人間性」において、人間自身の「素晴らしさ」を語るのであるが、人間の感情、理性、意志、構想等々の究極的限界性をも語るのである。また、バルトは、「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の下において、「神の人間性」という概念と、その「神の人間性」から与えられた「人間の人間性」との無限の質的差異についても語るのである。すなわち、人間における労働や性・夫婦・家族や共同性、人間の身体・肉体――意識・精神を介した普遍的で実践的な全自然(自己身体、性としての他者身体、宇宙を含めた外界としての自然)との相互規定的な対象的活動によって対象化され人間化された自然(非有機的な身体)、文明や文化等の一切は、「神の人間性」のそれではないということを語るのである。すなわち、バルトは、「神の人間性」について語ったのであるが、その人間性は、「人間によって考え出され、人間の実践によって確証されるような人間性が考えられているのではなくて」「むしろ、(≪その神の人間性において、≫)あらゆる人間の権利とあらゆる人間の尊厳の源泉であり規範である、人間に対する神の友愛が考えられているのである」(『カール・バルト著作集3』「神の人間性」)。

 

 1950年、バルトは、マルティン・ブーバーの講演を聞いて、ユダヤ人との差異性と「対話の難しさ」を知らされる。すなわち、バルトにとっては、律法は、キリストの福音を内容とする福音の形式のこと、すなわち主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」としてのイエス・キリストをのみ信ぜよ、イエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し「固着せよ」という神の命令・要請・要求のこと、それ故にあの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関におけるすべての人々がキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えのこと、「メシアは既に到来した、律法は既に成就された、道徳は単に感謝の行為である」ということであったが、ブーバーにおいては、「旧約聖書の半分」、「その怒りの雷雲の中に隠れていますヤハウェだけが、非常に印象深く語られる」ということを知らされた。