カール・バルト(その生涯と神学の総体像)

カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2−2)

カール・バルトの生涯――<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の完成の書としての『教会教義学』へ向かって(その2−2)
再推敲・再整理版です。

 

 1937年の夏、『教会教義学T/2 神の啓示』(邦訳U/1:言葉の受肉・イエス・キリスト、U/2:聖霊の注ぎ・聖霊論、U/3:聖書、U/4:教会の宣教)が完成した。この書の完成は、もちろん終末論的限界の下ではあるが、一切の近代主義的神学(これは、近代主義国家を自由主義国家と呼んでもよいように、自由主義的神学と言ってもよい)を、総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を、具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書(預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)を自らの思惟と語りと行動における原理・基準・法廷・審判者・支配者とした信仰・神学・教会の宣教における原理および認識方法と概念構成それ自体において、根本的包括的に原理的に止揚し克服し、<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行したことを意味する。
 ブッシュは、バルトの『教会教義学T/2 神の啓示』(邦訳U/1:言葉の受肉、U/2:聖霊の注ぎ、U/3:聖書、U/4:教会の宣教)に依拠して、「『啓示の客観的現実性』とは、イエス・キリスト、すなわち『肉となり給う言葉』」、「その現実性において『人間に対する神の自由』が出来事となる『言葉』なのである」と述べている。この「肉となり給う言葉」の内容は、聖性・秘義性・隠蔽性において存在する「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方における「言葉の受肉」であって、その存在の本質としての「神性の受肉」ではないということが肝要な点である。また、「『啓示の主観的現実性』とは、聖霊のことであり、聖霊の現実性において(≪全き自由の神のその都度の全き自由の恵みの決断による、客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」により≫)『神に向かう人間の自由』が出来事」となる出来事――すなわち終末論的限界の下で信仰の認識としての神認識(人間的主観に実現された神の恵みの出来事、啓示認識・啓示信仰)が与えられる授与の出来事なのである。したがって、終末論的限界の下で与えられる信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)において終末、「完成」、復活されたキリストの再臨を待ち望むわれわれは、「召されていること、和解されていること、義とされ、聖とされ、救われていることについて語る時」、神の側の真実としてある客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」として「すでに」と、われわれ人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍にとって「いまだ」との啓示の弁証法において終末論的に語るのである。したがってまた、ドストエフスキーは、マルメラードフに、「ただ万人を憐み、万人万物を解する神様ばかりが、われわれを憐んで下さる」、「神さ まは万人を裁いて、万人を赦され」、「最後の日にやって来て」(復活されたキリストの再臨の日、「完成」の日、終末)、「……われわれに、御手を伸ばされる。その時こそ何もかも合点が行く!……誰も彼も合点が行く」と告白させているのである(『罪と罰』米川正夫訳、新潮出版)。また、私は、吉本隆明とカトリック作家の小川国夫との対談を読んだのだが、吉本が「キリストが実在していたかどうかは、たいして重要じゃないと思う」と述べたことに対して「いや、問題です」と答えた小川に、「あなたはキリストの復活を信じているのですか」と質問した時、小川は「信じています」と答えたという(『<信>の構造「対話篇」非知へ』「家・隣人・故郷」・「宗教と幻想」・「生死・浄土・終末」・「新共同訳<聖書>を読む」、春秋社および『超「20世紀論」下』、アスキー)。また、バルトは、バーゼルの刑務所でイエス・キリストの復活の出来事について、「ただ単に考えや夢の中にではなく、何か精神的にではなく、身体的に見、聞き、つかまえることできる形」における弟子への顕現の出来事について説教をしている――キリストの復活の出来事が「どのようにして……起こりえたか、また起こったか、……私はあなたがたと同じように、その理由を知らない。それは(≪われわれ人間の感覚と知識を内容とした経験的普遍に引き寄せて考えれば≫)人が信じないようなことだと言う以外に、単純な言い方はほかに存在しない。事実、当時でさえも、解き明かすことは愚か、書き記すことや説明することはできなかった」、「イエスの復活は、徹頭徹尾神の業であって、そのようなものとして、最高度に良くなされたが、しかし最高度に理解し難いもの」なのである、それ故に「当時でさえも、ただ認識(≪信仰≫)され、告白され、証しされ、宣べ伝えることができた」だけである、と(『カール・バルト著作集17 説教集下』「主を見た時 ヨハネ」蓮見和男訳、新教出版)。このような訳で、「平和に関するバルトの書簡」(寺園喜基訳)に即して考えると、われわれは、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて終末論的限界の下で与えられる信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)において、「神ご自身によって確立された」神の側の真実としてある(それ故に客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」としてある)イエス・キリストにおける「啓示と和解」、「救いと平和」という「この事実に向かって、眼と耳を」開かれ、「この事実に向かって、眼と耳を」開いて生きることがゆるされると言うことができる。そしてこの時、われわれは、観念の共同性(観念的な共同的形態)を本質とする国家の法的政策的言語の枠組みの中で平和主義を標榜しても、「平和は戦争より善いものであるということをくりかえし断言」したとしても、「それらのことは(≪自国の利害の堅持を第一義的に最優先し、一部国家支配上層の意思によって動員できる巨大で強力な国軍を持つ、戦争の元凶である民族国家が存在する限り≫)究極的に何の助けをももたらさないことは明白である」、何故ならば平和を実現するためには戦争を廃絶しなければならないから、戦争を廃絶するためには民族国家を止揚し無化しなければならないから。前述した信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)という信仰の出来事は、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意ができているところの、「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一」(『ローマ書』)であり、「永遠の(神との人間の)和解」(神の側の真実からする、神の人間との架橋)であり、神との間の「平和」(ローマ五・一)であり、それ故に神の認識可能性である内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神として「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち啓示・和解、起源的な第一の形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおいて、「神の用意の中に含まれて、人間にとって、神に向かっての、したがって神認識(≪信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰≫)に向かっての人間の用意が存在する」ということを根拠としているのである。まさに先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」と言うことができる(『教会教義学 神論』)。このことと共に、われわれは、徹頭徹尾、神の不把握性という終末論的限界の下で生かされている――Tコリント13・8以下。まさにイエス・キリストは、「顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間である。また、教会「教義学は教会の宣教に対して批判的であると同時に、また奉仕する形でかかわる」と述べている、すなわちそれは、教会の宣教の一つの機能であるということである。したがって、「言葉を与える主は、同時に、信仰を与える主である」から、教会の宣教の課題である聖書的啓示証言におけるイエス・キリストの出来事、その死と復活の出来事の宣べ伝えを目指すことのない「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会」における形而上学的な、自然神学的な「単なる知識」としての教義学は、「それがどんなに考え深い才知豊かな、また首尾一貫した仕方のものであっても、その教義学は教義学としては非学問的」なのである。ここで「非学問的」とは、フォイルバッハやマルクスやハイデッガーの客観的に正当性と妥当性のあるキリスト教批判の対象そのものであるということである、換言すれば「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を持たない人間を先行させた人間の側からする神との「混淆」・「混合」論、神との「共働」・「協働」論、「神人協力説」、それ故に神学と人間学と「混合学」、二元論的な福音宣教とそれから独立させた社会的政治的実践との「混合宣教」を目指す自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階にあるそれであるということである。また、「『教義学自身が倫理学でなければならず、また倫理学はただ教義学でありうるだけである』。……なぜなら、教義学が対象としている『教義』そのものが『終末論的な概念』だからである」と述べている。例えば、二元論的に対立させた「律法と福音」における律法は、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリストを「律法の目標」としないのであるから、すなわちキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法を律法としないのであるから、換言すればただ主イエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着せよという律法、それ故にあの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関における福音を内容とする福音の形式としての律法(「隣人愛」)であるすべての人々が純粋なキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えを律法としないのであるから、「律法の目標」は、現実的な近代市民社会の疎外態である観念の共同性(共同的な観念的形態)を本質とする政治的近代国家の法的政策的言語という形に、戦争の元凶である民族国家の枠組みを前提とした平和主義という形に、それが良きものであれ悪しきものであれ自然史の一部である人類史の自然史的過程における自然史的必然としての自然史的成果である経済社会構成の拡大・高度化、科学や技術の進歩・発達、その知識の増大・細分化、生活の利便性の向上等々を正直に直視しないところで為されるエコロジーという形に、人間的な「自然法」という形に、抽象的な「理性」や「民族法」という形に転倒されてしまうのである。この時、人間は、「律法を悪用する」「罪の法則」によって「善きものを反対物に変」える、「神の要求」(要請、命令、律法)を人間的欲求によって恣意的独断的に対象化され客体化された「十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告に過ぎないものへと変える」、そして「巨大な欺瞞」を惹き起す、ちょうど市民的常識・市民的観点が自己欺瞞に満ちているように。イエス・キリストにおいて「福音と律法」は、二元論的に対立せず、律法(神の命令、要求、要請)は、純粋なキリストの福音を内容とする福音の形式である。すなわち、ここで、福音の形式としての律法は、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、それ故に成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和の概念は、この救済概念に包括されたそれである)そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固着せよという律法(神の命令、要求、要請)であり、それ故に具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・基準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で純粋なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関においてすべての人々が純粋なキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えであるというように、イエス・キリストにおける「福音と律法」の教義は、倫理学なのである。言い換えれば、律法(神の命令、要求、要請)は、「福音の中核」であるイエス・キリストが、「律法を満たし・すべての誡めを遵守し給うたという事実から考えられなければならない」のである――このことが、「もろもろの誡命中の誡命、われわれの浄化・聖化・更新の原理、教会が教会自身と世に対して語らねばならぬ一切事中の唯一のことである」(『福音と律法』)。

 

 1939年夏、『教会教義学U/1 神論』が書きあげられた。バルトは、「神の『完全性』を、厳格にイエス・キリストにおける啓示から理解しようとした」。「この神の『完全性』は、神の『本質』と同じであると考えた」、「この完全性を『神の愛の』完全性そのものとして、また『神の自由の』完全性そのものとして把握した」、この「神の完全性の二つの形式を明らかにするために、……神の『一つの』完全性として、一対の相互補完的な概念をそれぞれ説明した――実例を上げると、神の恵みと神性、憐れみと義、唯一性と遍在などである」。言い換えれば、バルトは、「神の本質の単一性と区別」(神の本質の区別を包括した単一性)における、「神的愛の完全性」としての「神の恵みと神聖性」、「神のあわれみと義」、「神の忍耐と知恵」、「神の自由の様々な完全性」としての「神の単一性と遍在」、「神の不変性と全能」、「神の永遠性と栄光」について論じた、ということである。「この世の徹底的な非神格化を意味する神の唯一性……について論じた」。言い換えれば、イエス・キリストにおいて自己啓示・自己顕現されたキリストにあっての神は、先ず以て内的・内在的なその完全性およびその自由性(自存性と独立性の概念の全体性・総体性)において「父なる名の内三位一体的特殊性」・「神の内三位一体的父の名」・「三位相互内在性」における神、すなわちその完全性およびその自由性(自存性と独立性の全体性・総体性)において聖性・秘義性・隠蔽性において存在する「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする「失われない差異性」における起源的な第一の存在の仕方であるイエス・キリストの父、父が子として自分を自分から区別した第二の存在の仕方である子としてのイエス・キリスト自身、愛に基づく父と子の交わりとしての第三の存在の仕方である聖霊(「父なる神と子なる神の愛の霊」、それ故に「愛は神にとって、最高の法則であり、最後的な実在である」)なる内的・内在的な三位一体の神である、それからまたわれわれのための神としてその「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」の中で三度別様に第一の存在の仕方であるイエス・キリストの父――啓示者・言葉の語り手・創造主、第二の存在の仕方である子としてのイエス・キリスト自身――啓示・語り手の言葉・和解主、第三の存在の仕方である「父ト子ヨリ出ズル御霊」・聖霊――啓示されてあること・「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)・救済主なる神である、すなわち全き自由の神の存在としての全き自由の神の全き自由の愛の行為の出来事全体である。この三位一体の神は、子としてのイエス・キリストの中で「創造主として、われわれの父」として自己啓示・自己顕現したのである。したがって、その存在の本質からして、父だけが創造主なのではなく、子と聖霊も創造主なのである、同様に父も創造主であるばかりでなく、子に関わる和解主であり、聖霊に関わる救済主でもあるのである。このように、聖書でイエス・キリストにおいて自己啓示・自己顕現されたキリストにあっての神は、「失われない差異性の中」で三つの存在の仕方(性質、働き、業、行為、行動、活動、バルトは近代的な「個体」概念と区別させるために「存在の仕方」と呼んだ)において三度別様に父、子、聖霊なる神であって、その存在は「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする「一神」、「一人の同一なる神」である。したがって、「三神」・「三の対象」・「三つの神的我」では決してないのである。したがってまた、内的・内在的な三位一体の神のその完全性およびその自由性(自存性と独立性の全体性・総体性)は、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における父、子、聖霊という三つの存在の仕方のその完全性およびその自由性(自存性と独立性の全体性・総体性)なのである。この「われわれに出会う」父、子、聖霊という三つの存在の仕方は、「啓示者、啓示、啓示されてあること」、「神の聖(≪隠蔽≫)、あわれみ(≪顕現≫)、愛(≪愛に基づく隠蔽と顕現の交わり≫)」、「聖金曜日、復活日、聖霊降誕日」、「創造主なる神、和解主なる神、救済者なる神」に対応している。この神は、「隠蔽」と「顕現」において、それ故に神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて終末論的限界の下で与えられる信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)において、「人間に対して自己を伝達」・啓示する(『教会教義学 神の言葉』)。このようなバルトの思惟と語りは、「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の下で語れている。したがって、神の愛を、「存在の類比」において、人間的な愛から思惟し語った場合、誤解と誤謬と曲解の陥穽に陥ることになるのである。言い換えれば、われわれは、神の愛を、具体的には「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りにおける原理・基準・法廷・審判者・支配者として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で語らなければならないのである、ちょうど神の側の真実としてある、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち啓示・和解である「イエス・キリストにおける神の愛」は、「神自身の人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一である」(『ローマ書』)というように、何故ならば「赦す神」は、たとえその人がまことの人間であっても人間に内在することは決してないからである、すなわちその存在の本質である「キリストの神性」が、「啓示と和解を生じさせる」からである。

 

 因みに、吉本隆明の「親鸞」論は、浄土教理(知)の課題を、往相回向・縦超・非俗・往相浄土・聖道の慈悲・衆生の緊急的相対的部分的な救済という過渡的課題(知の往相的な意味的世界、自然的過程)と、還相回向・横超・非僧・還相浄土・浄土の慈悲・衆生の包括的総体的永続的な救済という究極的課題(知の還相的な価値的世界、意識的自覚的過程)との構造において扱われている。人類史的(世界史的)にアジア的段階にあった鎌倉時代において最高水準の世界思想は、「一切の衆生救済を説く浄土教理」にあった。親鸞にとって、「聖道の慈悲」(往相浄土)は困窮・疲弊する者を「不憫におもい、悲しみ、助けてやることである。けれども思うように助けおおせることは、きわめて稀なことである」。この往相過程における救済は、緊急的相対的部分的であって、過渡的な救済としかならないから、一切の衆生を究極的包括的総体的永続的な救済に導くことはできない。したがって、自分が現に身近に接している「食物の飢え」等で困窮・疲弊している具体的な一人の人や一部の人を施しや奉仕によって緊急的相対的部分的に救済しようとする課題は、往相的な過渡的課題に属しているのである。それに対して、「浄土の慈悲」(還相浄土)は、「念仏をとなえて、いちずに仏に成って、大慈大悲心をもって思うがまま自在に、衆生をたすけ益することを意味するはずである」――この阿弥陀仏の側の真実にのみ信頼し固執し固着すれば、一切の衆生の究極的包括的総体的永続的な救済は可能となるだろう。このように親鸞は思想したのである(『吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」および「親鸞の教理ついて」春秋社、『未来の親鸞』春秋社、『今に生きる親鸞』講談社、『最後の親鸞』春秋社、『親鸞復興』春秋社)。

 

 1938年、バルトは、バーゼル大学の神学部長に就任した。その夏学期の「洗礼についての演習」で、「初めて『小児洗礼に対するカルヴァンの根拠づけに関して、どうしても完全に否定的な結論』に到達せざるをえなかった」。

 

(3)「政治的神奉仕」
 この政治的神奉仕も、バルトの場合、徹頭徹尾、神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>の堅持と、神の側の真実としてあるイエス・キリストにのみある啓示と和解、救済と平和に信頼し固執し固着するという立場におけるそれである。したがって、バルトのそれは次のようなものである――「私は……『今日の神学的実存』誌の第一号において……何も新しいことを語ろうとしたのでは ……ない。すなわち、われわれは神と並んで、いかなる神々をも持つことはできないということ、聖書の聖霊は、教会をあらゆる真理へと導くのに十分であること、イエス・キリストの恵みは、われわれの罪の赦しとわれわれの生活の秩序にとって十分であることを語った。但し、私がまさにこのことを語ったのは、それがもはやアカデミックな理論などといった性格にはとどまりえず、むしろ、私がそういうものにしようともせず、また実際にそうしなかったのに、それが呼びかけ、要求、戦いの標語、信仰告白にならざるをえなかったという状況においてであった」、それが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、「かつて語った(≪キリストの福音の≫)説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」。すなわち、キリストの福音についての説教の一貫した繰り返しの言葉が、必然的に行動へとつれて行った。

 

 1938年3月、バルトは、「〔ドイツ第三〕帝国」が「オーストリアを併合したまさにその時」、「アバディーンでギフォード講演の第二部を行うために」、イギリスを訪問した。この講演の「第十九講」は、「政治的神奉仕」を内容としていた。そこで、バルトは、その奉仕には、「『ある種の政治的権力の保持者に対する積極的抵抗』を含むと主張した」。このことは、バルトが、国家の支配に対する政治的実践の原則を、観念の共同性(共同的な観念的形態)を本質とする国家の暴力に対しては暴力で、国家の理念に対しては理念でという点に置いたということを意味する。したがって、ある国家形態の観念の共同性である法的政策的な言語の枠組みの中で停滞と循環を繰り返すということではない。したがってまた、バルトは、チェコの「フロマートカ宛て書簡において……ヒトラーの武装の脅威と攻撃に対する武装抵抗を呼びかけた」のである。このバルト自身は、あくまでも国家形態の相対的評価において「スイスをナチズムからまもるために……軍隊に参加」し、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、……射殺しなければならなかったであろう」というような政治的実践を行ったのである。また、このバルトは、「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」、しかし「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)、われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない、したがってわれわれは最後の手段のために、(≪自国の利害を第一義的に最優先し一部国家支配上層の意思によって動員できる巨大で強力な国軍を持つ戦争の元凶である民族国家が存在する限り、≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」、と述べている(『バルトとの対話』)。また「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」、過渡的なものであれ「国家は支配であり、文化は支配である」。したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」と述べている、すなわちそれらから対象的になって距離をとるべきことを述べている(『啓示・教会・神学』)。したがってまた、バルトは、ルター派の「二王国論」(「福音宣教から独立し、それと抵触しない『自己決定の権利』を国家に与えている」「忌まわしい」「二王国論」、二元論的な「二つの統治の区別」)は、「教会の禍なる政治上の受動的姿勢の根本原因」であって、それは根本的包括的な原理的な誤謬と迷妄性に基づくものであると主張した。このバルトは、現実的な近代市民社会の疎外態、すなわち共同的な観念的形態に過ぎない国家は最後的究極的には無化されるべき対象であるから、それ故にあくまでも過渡的な形態として、現実的な「『すべての市民の責任ある活動の上に』建設される共同体こそ(≪大多数の被支配としての一般大衆、一般市民、一般国民にどこまでも開かれた共同体こそ≫)が、福音にもっともふさわしい国家形態であると主張した」。このように、バルトは、佐藤優や富岡幸一郎とは全く違って、決して、国家を第一義性(価値性)とする国家主義を目ざしてはいないという点である。言い換えれば、バルトの言う「国家への積極的な責任ある参与」とは、終末論的限界の下で、その過渡性における相対的評価において、その国家の過渡的形態としては、現実的な社会を第一義性(価値性)とする社会主義的なそれを意味しているだろうし、国家を大多数の被支配としての一般大衆、一般市民、一般国民にどこまでも開いていくということを意味していたと言うことができる。何故ならば、不可避な政治家バルトは、東西イデオロギー(権力)も、ナチズムも、全体主義も、スターリニズムも、ロシアも、中国も、修正資本主義も、近代主義国家・自由主義国家・民族国家も、議会制民主主義(擬制民主主義)も、もっと敷衍してアメリカにおけるキリスト教も加担した新保守主義と結びついた小さな政府を目指す経済的自由至上主義・至上市場主義経済としての新自由主義も、国家を第一義性(価値性)とする国家主義を前提としたそれでしかないことをよく知っていたからである。

 

 1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発した時、バルトは、「心に苦悶を抱きつつも」、一方で「ヒトラー体制の終焉」が「確かに始まった」ということを、また現実的な社会を第一義性・価値性としない共同的な観念的形態である国家を第一義性・価値性とする国家主義的な「ナチズムとボルシェヴィズムとの連帯……が今や公然と明らかになった」、ということを「信じた」。

 

 このバルトは、政治的神奉仕、政治的実践における明確な原則を持っていた。それは、次のようなものである――「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」、「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まるべきである」、「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」――すなわち、両者から対象的になって距離をとり、両者に対して抵抗すべき時には抵抗すべきである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。
 また、このバルトとボンヘッファーとの差異性は、次の点にある――バルトの場合は、神の側の真実としてあるイエス・キリストにおける「啓示と和解」・「救済と平和」にのみ信頼し固執し固着する宣教(説教と聖礼典)の繰り返しの言葉が、「おのずから」状況に抗する信仰的神学的実存へと駆り立てて行くというものであった。このバルトにとって、ステパノの殉教の本質は、その苦難の「行為」にはなく、その福音にのみ信頼し固執し固着する「おのずから」必然的に状況に抗する信仰的神学的実存へと駆り立てて行く「言葉」にあった(『教会――活ける主の活ける教団』「証人としてのキリスト者」)。それに対して、ヒトラー暗殺計画の陰謀を企てたボンヘッファーの場合は、「キリスト証言は、(≪二元論的な≫)言葉と行為とをもってする説教者と聴衆とを要求する」という点にあった。しかも、1944年7月に起こった国防軍将校らによるヒトラー暗殺計画の共犯者として処刑されたボンヘッファーの信仰・神学・教会の宣教のベクトルは、バルトとは違って、この世における、キリストの許しのもとでの、自然神学的な神との「共働者」論に基づいたキリストを範型とした「行為」、イエスへの従順と服従の「行為」、正義の体現「行為」にあった。そして、ナチス国家を実体的に考えていたボンヘッファーの場合、そのイエスへの従順な服従行為は、事実的なヒトラー暗殺計画へと向かう政治的実践にあった(ボンヘッファー『説教と牧会』森野善右衛門訳、新教出版社および関田寛雄『「断片」の神学』、日本基督教団出版局)。われわれは、この両者の根本的包括的な原理的な差異性を、バルトが、徹頭徹尾、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着するベクトルを持っていたのに対して、ボンヘッファーは、人間的契機の直接性を介在させる目的格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストを信じる信仰)による「神の義」という自然的な信仰・神学・教会の宣教における神との「共働」・「協働」・「協力」関係を目指すベクトルを持っていたという点に見出すことができる。

 

 1938年10月、ドイツにおいて、「バルトの全著作の販売が禁止された」。

 

(4)第二次世界大戦の暗雲の下で
 1939年9月1日、第二次世界大戦が勃発した。
1939年秋、「戦争がいよいよ激しくなり始めた時」、バルトは、『教会教義学U/2 神論』(邦訳『神論U/1』)の「枠組の中で予定論の章に到達した」。ブッシュは、その「予定論」から引用して、「1936年のハンガリーでの場合(『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」)よりはるかに徹底的に……次のように考えたことによって」、バルトの「革新」は実現した、と述べている。その引用箇所には次のようにある――「恵みの選びの教説は、決定的に、かつ明白に福音として理解されなければならない……この教説は然りと否との彼岸に中立的に立っているのではない……然りと否とをではなく、その実質において、その主張と根源と視野の中で然りを語っているということである。恵みの選びは福音の総計なのである」。ここで「革新」と「福音の総計」の内容は、「福音と律法の真理性」と「福音と律法の現実性」との全体性・総体性と言ってよく、それ故に『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」の内容の豊富化と深化と言った方がよいのである。何故ならば、1935年のバルメンでの講演「福音と律法」(成熟の書としての『福音と律法』)は、最後的な宗教改革性、すなわち「革新」性を持っているからである。「イエス・キリストにおいて、まずある『個人』が選ばれたのではなく『教団』が選ばれたのである。……イスラエルは、自分の選びに抵抗する人間を表すために選ばれたのであり」、また一方で「まさに『開かれた多数』の前」における「『選ばれた教団』は神の恵みの福音を宣教する」ために選ばれたのである。ここで、ブッシュは、「はるかに徹底的に」と述べているのであるが、ほんとうのところは、『教会教義学U/2 神論』「予定論の章」の内容は、『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」と全く同じ内容の踏襲なのであり、その豊富化と深化なのである。
 さて、『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」において、「予定説」は、「イエス・キリストにある救いの自由な表現そのものである」。言い換えれば、それは、「真に罪なき、従順なお方」イエス・キリスト自らが、われわれ人間のために、われわれ人間に代わって、「見捨てられた人間となり、その罰を引き受け給うたということ」、すなわち神の恵みに対してイエス・キリスト自らが、われわれ人間のために、われわれ人間に代わって、神の側の真実において端的に信じ給うたということである(主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」)。これが「神の最高の義」である。このことは、イエス・キリストをのみ信ずるということ、イエス・キリストにのみ固着するということに関して、第一次的な契機はわれわれ人間には全く何もないということを意味している。すなわち、このイエス・キリストにおける啓示と和解の出来事の内容は、「生来人間は、神の恵みに敵対」し、「神の恵みによって生きようとしないが故」に、「このことこそ、第一に恵みが解放しなくてはならない人間の危急であった」ということを、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて与えられる信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)を通して、われわれ人間に自己認識・自己理解・自己規定させるのである。また、われわれは、その啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて、「神の選び」を「イエス・キリストの復活」において認識させられ、「神の放棄」を「イエス・キリストの十字架」において認識させられるのである。また、その啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて、「われわれが本当に神の啓示を認識する時、われわれは初めて」、その信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)に依拠して、その信仰の類比において、「神に対する人間的反抗」、「神の敵」、「神に相対して、自分の力を誇り、まさにそのことの中でこそ罪深い堕落した人間として自分自身」を、「またそのような人間の世を認識」させられるのである。内的・内在的な三位一体の神の、われわれの神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方における「十字架のイエス・キリストこそが、神に選ばれたお方」である。人間は、「そのままでは恵みを受け取る状態にはない」し、また自分でそのような状態にすることもできない(何故ならば、われわれ人間は、人間論的な自然的な人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、生来的な自然的な「自分の理性や力によっては……全く信じることができない」から、また生来的に自然的に「神に敵対し神に服従しないわれわれ人間は、肉であって、それゆえ神ではなく、そのままでは神に接するための器官や能力を持ってはいない」から)。したがって、「もし人がその恵みを受け取り得たとすれば、そのこと自体が恵みなのである」。すなわち、「私たちの召命・義認・聖化」は、われわれ人間的契機の直接性において「私たち自身の中に生起するのではなく」、徹頭徹尾全面的に、「イエス・キリストの御業として、私たちのために、私たち自身の中に生起する」のである。このように「恵みの選びを認識する時」、われわれに「要求する洞察」は、「イエス・キリストを信ずる信仰の二重の洞察」、すなわちパウロの「神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込めたのであるという二重の洞察」は、福音の内容そのものである神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着せよという「イエス・キリストを信ずる信仰」(これこそが、先ず以てキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法である)において明らかとなるのである。何故ならば、われわれが、その福音を内容とする福音の形式としての律法に生きようとしなければ、われわれは、その信仰に全く生きていないし・全く生きようとしていないし・全く生き得ていないということを、また常に神から遠ざかり・遠ざかり続けているということを、また罪を新たな罪を犯し続けているということを、また自主性・自己主張・自己義認の欲求(それ故に無神性・不信仰・真実の罪)のただ中に生きているということを、自己認識・自己理解・自己規定することはできないからである。イエス・キリストが「聖霊の特別な働きとして約束」したものは、「慰め主としての霊」と「真理の御霊」であるが、聖霊は、聖書の中の「キリスト教原理を、覆いをとって明らかにする」、「キリストについて語ることができる能力」(ヨハネ一四・二六)であり、「上からのよき賜物」である。この「聖霊の注ぎ」により「聖霊を持つ」ということは、「キリストにおいて起こった和解にあずかること」であり、「キリストと共に、死から生命への方向転換におかれること」である。この二つの方向転換において「イエス・キリストにあっての神の啓示の要素(≪客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事の主観的側面≫)としての霊の本質」は、「キリストにある自由」を意味している。この「キリストにある自由」とは、「キリストの奴隷」となることであるが、それは、前述した福音の内容そのものである神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着せよという「イエス・キリストを信ずる信仰」に生きるということである、あの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)という連関に生きるということである。パウロの語る「すべての人」においては、「放棄される危険の全くない選ばれた者とか、選ばれる約束も一切ないほど放棄された者が存在するという考えは、はっきりと排除」されている。したがって、これは、イエス・キリストにあるときにおける「威嚇」である。しかし、われわれは、イエス・キリストにおいて与えられた「約束」によって、この「威嚇から解放」されている。すなわち神の側の真実としてある主格的属格として理解された「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリストにおいては、この威嚇は、包括され止揚された威嚇、「克服された威嚇」である。何故ならば、「すべての人」を救うために、「罪なきただ一人の選ばれたイエス・キリスト」が、「この怒りを正しい怒りとして引き受けて下さったが故」に、われわれは「イエス・キリストにあって死なないで、生きるであろうという約束が与えられている」からである。神は「すべての人をあわれむために、すべての人を不従順の中に閉じ込めた」については、「神の自由な恵みの選びにおいてということであるから、罪の増し加わったところには、恵もますます満ちあふれた」ということができる。ここにおいて、新たな啓示認識を得ることができる。すなわち、それは、イエス・キリスト自身に対する人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求(無神性・不信仰・「真実の罪」)は、イエス・キリスト自身によって包括され止揚され克服されたそれであるということである。また、それは、イエス・キリストは、われわれ人間に対して、イエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し「固着」する霊を授与されるということである。したがって、われわれが、「イエスは主なり」と告白する時、それは、「聖霊の注ぎ」によるのであり、「上からのよき賜物」なのである。したがってまた、バルトは次のように語るのである――マルコ福音書の「信じます。不信仰な私を、お助け下さい」・「信じます。信仰のないわたしをお助け下さい」。「私たちが神に向かって語る。『ああ……!』というこの小さな嘆息」、それは、「すべての祈りの源」である。「そこにはただ、神の子の全く素直な赦しがあるだけである。あなたが祈れない時、この赦しを用いるのが、あなたのなすべきことである」(『カール・バルト著作集3』「神の恵みの選び」)。また、「選ばれた教団」については、『教会教義学 和解論』にも踏襲されている――共同性に価値をおくヘーゲルは、人間中心主義から神と人間との無限の質的差異を止揚したところにおいて、神自身にとって「最高に必要であり必然的であるのは教団であって、教団の精神であることによって初めて神は精神となり神となることができる」と述べている。ここにおいては、内的・内在的な三位一体の神の、それからわれわれの神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における三つの存在の仕方における自由(自存性と独立性の全体性・総体性)ということが認識されていない事態が惹き起こされているし、人間の自由な自己意識・理性・思惟の類的機能の無限性を、すなわち「人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆」が惹き起こされている。それに対して、バルトは、「個々の人間による和解の主体的実現という問題は、絶対に欠くことの出来ない問題」ではあるが、「イエス・キリストにおいて客観的に起った和解の主体的実現は、まず第一に教団において、イエス・キリストの聖霊の業として遂行される」と述べている。このことは、バルトが個と教団との関係において、神学的な共同性価値論に立っているということを意味している。この場合、「私自身は、ヘーゲルが好きだという弱みを持っていますし、そしていつでもヘーゲル的に考えるのが好きです」と述べていたバルトは、神学における思想家として、先ず以て「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持しつつ、具体的には「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りの原理・基準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求めるという信仰・神学・教会の宣教における原理および認識方法と概念構成それ自体において、ヘーゲル哲学を紙一重で超えようとしたのである。したがって、バルトのその神学的な共同性価値論は、現実的な個や家族や社会から逆立的に疎外された観念の共同性である国家共同性価値論とは全く異なったものなのである、またそれは、ヘーゲルのような客観的精神の弁証法的展開の果てに想定される哲学的な国家的共同性価値論とは全く異なっているのである。したがってまた、バルトは、総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教と抗するために、まず「神の霊と人間の精神の全面的な区別が強調されなければならない」、そしてその「啓示の主体的現実」(信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事)を、「人間の業としてではなく、まさに(≪神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての≫)神の霊の行為(≪「聖霊の注ぎ」≫)としてとらえることによって、聖霊を、神の似姿の『唯一の現実』として、人間の『恩寵に敵対する態度』に立ち向かって戦うものとして、実存を超えたところにある神の子としての身分の創造者として理解」しなければならないと述べたのである。したがってまた、バルトは、神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を適用して、「神の霊」、「聖霊は、人間精神と同一ではない」、「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」、聖霊によって更新された人間理性も聖霊ではない、人間理性は常に人間理性であり続ける、と述べたのである(『教義学要綱』)。その上で、「(聖霊と密接に関連して)記されている」、「真理の柱、真理の基礎」とは、「神の教団」・「イエス・キリストの教団」・「使徒ヨリノ唯一ノ聖ナル公同教会」のことであって、その「イエス・キリストと個人的関係を持つ」その「肢々」としての「一人一人のキリスト者」・「キリスト者個人」のことではない、と述べたのである。

 

 バルトは、予定論のすぐ後に、神の戒めの教説を「倫理学の原理論」として置いた。そのブッシュの引用の内容――倫理学は「イエス・キリストの認識に基礎づけられるのであるが、それは、イエス・キリストが……聖化する神であると同時に聖化された人間でもあるからである」、「神から要求をつきつけられることなしには、この福音を聞くことはできない」。倫理学は「恵みの倫理学である」という内容は、まさしく、『福音と律法』の内容の踏襲である。すなわち、律法はキリストの福音を内容とする福音の形式であるのだが、このことは、律法がなければ、われわれ人間は、現実的に福音を所有することができないということを意味している。それでは、律法とは何か? それは、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリストをのみ信ぜよという神の「要求と強請」(神の命令、律法)であり、「恩寵への召喚」のことである。したがって、福音・恩寵が「告知」・「証し」・「宣教」される時、「私は私のものではなく、私の真実なる救い主イエス・キリストのものだ」、イエス・キリストにのみ信頼し「固着」せよ、という福音を内容とする福音の形式としての律法が建てられるのである。したがってまた、この神の律法(神の人間に対する要求、要請、命令)は、人間はただの人間でしかない以上、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち神の愛の行為の出来事としての神の存在であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストを模倣することではないし、イエス・キリストが信じたように信ずるということでもないのである。すなわち、それは、「福音の中核」であるイエス・キリストが、「律法を満たし・すべての誡めを遵守し給うたという事実」から考えられなければならないから、キリストの福音に対する素直な感謝の応答であり、あの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法)という連関におけるキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えにあるのである。何故ならば、福音を内容とする福音の形式としての律法においては、第一に、われわれ人間に対して、「罪と死の法則」の律法・「汝斯く斯くなるべし」という要求から、「生命の御霊の法則」・「汝斯く斯くならん」という約束へと回復せしめられているからである、第二に、「遂行せよ」と求める要求から、「信頼せよ」と求める要求へと回復せしめられているからである。したがって、われわれは、『生命の御霊の法則』である律法によって「イエス・キリストにあって解放された」のであるから、「われわれが己の解放を与えられるためには、彼に固着し得る」だけなのである(『福音と律法』)。このバルトの論述内容は、「バルタザールから多くの批判」を受けたが、その批判は、「本来的に印象に残るような反批判(≪客観的な正当性と妥当性をもった根本的包括的な原理的な批判≫)ではないもの」だったのである、換言すればバルタザールのそれは、外皮的皮相的なそれであったのである。

 

(5)抵抗
 バルトにおいては、それが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、「かつて語った(≪純粋なキリストの福音についての≫)説教の一貫した繰り返し」が、「(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行く」というものであった、必然的に行動へとつれて行くというものであった。このバルトは、「もはやかつてのように政党に入党することはなかった」。何故ならば、バルトは、「スイス人として……キリスト者として」、経済的基盤を資本主義に置く天皇制国家における宗教的側面としての天皇制信仰のような「ナチズムの誤った信仰の恐るべき力動性に、根本的に息長く抵抗できる」ためには、「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>および第一戒の堅持、また神の側の真実としてあるイエス・キリストにおける啓示と和解、救済と平和への信頼と固執と固着が必要であるということを「確信」したからである。バルトは、体験思想において、最終的に離脱した宗教的社会主義における「そこでの人間の困窮と人間に対する助けとが、聖書が理解しているほどには、真剣に理解されておらず、深く理解されていなかった」と述べている(『教会――活ける主の活ける教団』「証人としてのキリスト者」)。この場所から、バルトは、非人間性を強要する「ニヒリズムによる革命」を目ざす「ヒトラーのような人物には無条件に――しかも精神的にも、軍事的にも、抵抗しなければならない」と述べたのである。したがって、バルトは、「1939年に勝手に考え出されて、承認された」、スイスの「軍事的中立の統合的中立への解釈変更」に対して、「初めから否」と言ったのである。
 様々な「非難」や「批判」や「反感」を惹き起こした1939年末から1940年初めにかけてのバルトの「決然とした抵抗を呼びかける」「公開書簡」において、彼は、次のように述べている――「『ヒトラー主義の中には、律法と福音、この世の秩序と霊的秩序、この世の権力と霊的権力との関係についてのマルティン・ルターの誤謬』」(「福音宣教から独立し、それと抵触しない『自己決定の権利』を国家に与えている」「忌まわしい」誤謬、二元論的な「二王国論」・「二つの統治の区別」論の誤謬)が、二元論的な「律法と福音」の枠組における「律法の目標」を人間的な「自然法」や抽象的な「理性」や「民族法」へと転化してしまう誤謬が、「はっきりと現われており、それによってやがてドイツ人の自然的異教は『イデオロギーに変容し……強化された』」、と。
 1940年4月、ナチス国家との相対的評価に基づいて「スイスをナチズムからまもるために」、バルトは、54歳の時、「武装補助軍」に志願し軍人になった。「銃砲射撃訓練」、「軍事技能訓練も受け」、「兵器庫の前で歩哨にも立った」。「そして私は時折……心から喜んで……その九五パーセントは教会に行かない人たちであったが、説教をした。そして私はその機会に、ほんとうに人間に向かってなされる説教が、本来どのようなものでなければならないかを、もう一度改めて学んだ」。これらのことだけからでも、次のようなバルトの申し開きが、まさに客観的に言って正しいことが分かるであろう――「(中略)私の神学的思惟は、神の主権と、キリスト教の使信全体の終末論的性格と、キリスト教会の唯一の課題としての純粋な福音の宣教の強調に中心があり、またそれにこれまで中心をおいてきた。現実の人間を考慮しない(『神はすべてであって人間は無である!』)抽象的な超越神、現代にとっての意義を伴わない抽象的な終末の待望、この超越的な神にのみに専念し、深淵によって国家や社会から分離された同様に抽象的な教会――それらすべては、私の頭に存在したものではなくて、私の本を読んだ(≪悪意ある、あるいは「私の本を読ん」で誤解と誤謬と曲解をした≫)多くの人々の頭のなかに、また特に私についての評論をしたり、一冊の本を書いたりした人々(≪大学の学者、牧師、キリスト教的著述家等々≫)の頭のなかにのみ存在していた」(『バルト自伝』)。

 

 1942年3月、バルトは、『教義学U/2 神論』の「印刷が完成に近づいていた時、再び軍務に就いた。

 

(6)神の善き創造 
 1942年の夏学期に、バルトは、「創造についての教説」(創造論)の講義に入った。創造論の「原理」・「中心点」は、創世記の「最初の二つの章の内容」の「展開」にある。それは、終末論的限界の下で、その「物語を語り直すことである」。それは、「啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力に信頼」するということ、また「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」から、「別の言葉で同一のことを言うことである」ということ、それ故に「キリスト教理の他の側面と同様に」、具体的には「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りの原理・基準・法廷・審判者・支配者として、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、「物語を語り直すことである」。したがって、それは、「『自然的に』認識可能な『対象』」ではない。何故ならば、「聖書の中で物語られているもろもろの歴史」は、「史実史」や「神話」ではなく、「ただ、(一人、あるいは何人かの)物語者が物語られた歴史に対して、多かれ少なかれ(主観を交えて脚色しており、そういう意味で)干渉し、関与するという「一般的な歴史性(Geschitlichkeit)を含んではいるが史実史(Historie)ではない」「歴史物語あるいは古譚の要素を持ったもの」であり、「中立的な観察者」として「聖書の中に証しされている啓示の『史実的な(historisch)』確かさを問う問い」は、「聖書にとっては全く縁遠いもの」であり、「聖書の証言の対象にとって異質なもの」であり、その聖書の証言に対して、「それを聞くもの、見る者、信じる者である非中立的な観察者」にとっては、啓示(起源的な第一の形態の神の言葉、「啓示の実在」そのもの)、聖書(第二の形態の神の言葉、最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)、教会(第三の形態の神の言葉、教会の<客観的>な信仰告白および教義)の中に「同時に啓示の秘義があったし、あり続けた」からである。したがって、その非中立的な観察者だけが、聖書の中の歴史について、「史実的」には「全く何も確かめられない」ということ知らされたし、「啓示の出来事にとって重要でないものだけ」・「啓示とは別の何かだけ」しか確認できないということを知らされた。聖書の中の歴史は歴史物語あるいは古譚であって、そのような「神と人間との間に起こったもろもろの歴史」は、「神的な側面」からは、常に、人間が人間的に所有する人間の一般的な歴史認識の彼岸・外にあるものである。すなわち、「聖書証言の報知における歴史(Geschichte)」・「特殊な歴史〔的出来事〕」については、いかなる「『史実的な(historisch)』判断」もあり得ないのである(『教会教義学 神の言葉』)。
 1942年夏、バルトは、「洪水のように増大したユダヤ人亡命者流入に深い精神的動揺を覚えた」。バルトは、ベルン政府が「一万人の亡命者の入国を拒否したという事実、受け入れられた亡命者の取り扱いが恥ずかしいものでしかなかった事実」に「大きなショックを受けた」。バルトのユダヤ人「亡命者に対する援助の要求」の根拠は、次の点にあった――第一には、ユダヤ人は、「救い主の肉につながる兄弟である」というキリスト教的根拠にある。第二には、「正義と憐れみの最後の拠点」としてスイスを求めた点にある。第三には、「亡命者の中に、……われわれが免れていた運命を見た」からである。
 バルトは、「政治に関する限り、発禁処分中の著作家、講演者」であるだけでなく、警察によって電話の「盗聴」もされていた。
「1943年1月22日にはトリポリが、31日にはスターリングラードが陥落」し、「1944年6月6日には〔連合軍の〕フランス侵入が開始され」、「第二次世界大戦の転換点」であったが、「新しい問題が迫って来るまで沈黙を守ろうと考えた」。
 1943年5月7日、バルトは、「グヴァット(トゥーン州)」で、『教会の洗礼論』について講演をした。ブッシュによれば、その内容は次のようなものであった――「洗礼というサクラメント」は、「人間の救済をひき起こす(「因果論的」)というのではなく、キリストにおける人間の核心を象徴的に形どることによって、人間に救済を証明する(「認識論的」)のである」、キリストにあっての神・キリストの福音に感謝をもって信頼し固執し固着して生きるという認識と自覚、決断と態度を介在させるというその帰結として彼は、「小児洗礼の拒否と、受洗者は洗礼の受動的な対象であることをやめて、再び自由な、すなわち自由に決断し、自由に告白する……イエス・キリストのパートナーにならなければならない」というものであった。バルトは、「洗礼慣習をこのように変えることによって……『コンスタンティヌス帝以来のキリスト教世界(コルプス・クリスチアヌム)におけるプロテスタント教会の存在』の放棄」・「民族教会の今日の形態」の「放棄」を目指した。バルトの言うこの「コンスタンティヌス帝以来のキリスト教世界(コルプス・クリスチアヌム)」は、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞と循環を繰り返すキリスト教的世界として総括できる(この意味で、自由、人権、民主主義、政治的近代国家という概念は、「キリスト教という宗教の産物」であり、「神のアナロジー」であるから、キリスト教は「世俗的な価値の起源」であると述べた橋爪大三郎・大澤真幸の『ふしぎなキリスト教』は正当性と妥当性があるのである)。このバルトは、「教会が、小児洗礼と手を切るならば、もちろんもはや国家教会、また集団教会としての民族教会ではありえないであろう」と述べた。したがって、バルトは、『教会教義学 神の言葉』では、次のように述べたのである――第一に、第三の形態の神の言葉である教会は、「正しい注釈」を、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としてのイエス・キリストに(起源的な第一の形態の神の言葉に)、そして預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」である聖書(第二の形態の神の言葉)に基づいて行わなければならない、第二に、教会は、「正しい注釈」を、「最終的に……教会の教職の判決に、……間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問の判決に、依存させてしまってはならない」、第三に、「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということがなされないままに」、「礼拝改革」とか、「キリスト教教育」とか、「教会と国家および社会との関係」とか、「国際間の教会的な相互理解というような領域で、何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考えてはならない」、第四に、教会は、宣教の規準(・原理・法廷・審判者・支配者)を、すなわちその思惟と語りと行動における規準(・原理・法廷・審判者・支配者)を、聖書と同時に、「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは人間学的な「哲学、道徳、政治」、人間学的な哲学原理・認識論・世界観等に置いてはならない、第五に、教会は、「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとしてはならない、第六に、教会は、ある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとしてはならない、と。
 1944年2月、バルトは、「ビールとキルヒベルク」で、『イエスと国民』について講演し、「『イエス』を……偽の『羊飼い』によって欺かれた……『人たち』とかかわりをもつ人物として描いた」。この講演は、「『教会教義学W/2』に収録された」。
 1944年戦争の終わりの時期に、バルトは、教会「教義学をたゆまず書き続けること」に、自身の「最も重要な寄与」を見出したと同時に、「スイス=ソヴィエット連邦協会」と、ロシア人抑留者の救援活動等々にも参加した。

 

(7)「わたしはあなたがたの友なのだ」
 1944年7月23日、バルトは、デュレートで、『今日の時代におけるキリスト教会の約束と責任』について講演し、「義人を救うためではなく、罪人を救うために来たり給うた方であるイエス・キリストの御前に明確に立つ民族」は、「神が審き給う」た「ユダヤ民族」とその民族と「類似性を持つ……ドイツ民族」である、それ故に「神が審き給う」たことを、「われわれがもう一度審き直すということは、われわれの課題とはなりえない」と述べた。「今やこの十五年間の歴史だけでなく、もっと長い歴史の一章が終わった」。しかし、このバルトの感じ方・考え方を理解した者はいなかった、この思惟と語りを理解した者はいなかった。バルトは、「『第三帝国の崩壊』直後の最初の時期に、「すでに姿を現わしはじめたあらゆる失望と脅威」を見出した――「キリスト教の使信をその根源から革新する問題や、その使信を今開かれた新しい状況に適用するといった問題よりも」、「形式的秩序体制に対する旧態依然たる関心やあらゆる新奇なものへの関心」や「教派主義と教権主義への関心」や「相も変わらず誰が指導者になるか、その人はどのグループの出身かが問題」とされ、「教会の会衆の問題」は除外されたという事態を見出した。

 

 1945年の初め、バルトは、講演『ドイツ人とわれわれ』において、「今や際限もないほど徹底的に打ち負かされたドイツに対するスイスのかかわり方について」述べた――「あなたがた、あまり同情できない人たち、ヒトラーの息子たちと娘たち、残忍な親衛隊の兵士たち、悪辣な秘密警察の無頼漢たち、悲しんでいる妥協者たちとナチ協力者たち、こんなに長い間、総統と呼ばれる男の後を、愚かにも辛抱強く走り続けたすべての家畜の群れのような人たち……わたしは……あなたがたが何者であり、何をしてきたかは問わない。わたしはただ、あなたがたがもうお終いであることを、また良くも悪しくも、いずれにしても最初からやり直さなければならないことを知っている。わたしはあなたがたに元気を出して貰いたいのだ。今からあなたがたと共に、新たにゼロから始めたいのだ! ここにいる人たち、このスイス人が、何時も尊重してきた彼らの民主主義的・社会主義的・キリスト教的理念のゆえに高慢になって、あなたがたに関わろうとしないときでも、わたしたちはあなたがたを招いている」、と。このバルトは、『証人としてのキリスト者』で、次のように述べている――「心を頑固にし福音を認めない人間」や「異教徒」に対して、「恵みから語り、恵みについて語るという以外のこと」をなすことはできない。すなわち、そうした人々に呼びかけることができるのは、「私がその人をその中に置くことによってではなく」、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」、成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものである「イエス・キリストがすでにその人をその中に置いてい給うことによってである」。したがって、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的なわれわれは、「キリストにあるものとしての人間のために、努力し得るにすぎない」。このバルトの信仰・神学・教会の宣教における完全な開放性について、ブッシュは、バルトの言葉を引用しながら、次のように述べている――「教会は、(中略)信仰(≪・神学・教会の宣教≫)の完全な開放性において理解されなければならない。その信仰(≪・神学・教会の宣教≫)の開放性においては、『イエス・キリストは<マルクス主義者>のためにも死に給うたのだが、また<資本主義者>と<帝国主義者>と<ファシスト>のためにも死に給うた』ということから出発することができる」、と。『カール・バルト教会教義学 和解論T/ 1』「和解論の対象と問題」においては、次のように述べられている――イエス・キリストにおいては、個と共同性は逆立し対立するのではなく、正立し平和なのであるが、それだけではなく、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち啓示・和解、起源的な第一の形態の神の言葉であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」、「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」――すなわち「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信、非キリスト者、非キリスト教、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているのである。何故ならば、神と人間との無限の質的差異の下において、神の側の真実としてあるイエス・キリストにおける神の自己啓示は、その啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力を、キリストの霊である聖霊の証しの力を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動を、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性として客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)を、神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みに出来事)を与えることができる授与能力を持っているからである。ここにおいて、われわれは、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉を、それ故に具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者とするという「他律的服従」と、そういう仕方で終末論的限界の下において絶えず繰り返し、<純粋>なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求めていく「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関に生きる決断と態度を為す「自律的服従」とを目指すのである。キリストにある人間の自由は、このように規定できるのであって、先行させた人間の恣意的独断的な「わがまま勝手に」ということとは違うのである。まさにここに、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を止揚し克服して、<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行できる入り口があるのである。

 

 1948年、バルトは次のように書いた――「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇」が、すなわち総括的に言えば、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞と循環を繰り返している、先行させた人間からする神との「混淆」・「混合」、神との「共働」・「協働」、神人協力、神学と人間学との「混合学」、二元論的な福音宣教とそれから独立させた社会的政治的実践との「混合宣教」を目指す神学者や牧師やキリスト教的著述家たちの近代劇が、「『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」(エーバハルト・ブッシュ『バルト神学入門』)。バルトは、さらに言う――第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」・「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した・「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(『バルト自伝』)。