カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2−2)
カール・バルトの生涯――成熟の書としての『福音と律法』への道程(その2−2)
再推敲・再整理版です。
この『カール・バルトの生涯』について、さらに推敲し整理した論稿が下記のJimdofreeホームページにあります。
https://karl-barth-studies2.jimdofree.com/
このJimdoホームページの論稿は、現在のホームページにある論稿よりも文章構成に関しても内容に関しても、さらに推敲され整理されており断然読み易く・分かり易くなっていますから、最初からをこのJimdoホームページの論稿を読んだ方が大切な時間を有効に使えます。
バルトとトゥルナイゼンは、1933年10月から『不定期出版の双書』(後に、『今日の神学的実存』となる)を刊行した。この刊行は、編集活動が禁止される1936年10月まで続いた。これとは、別に、1934年4月以降、『福音主義神学』という雑誌も刊行された。バルトは、この雑誌の刊行と同時に、1933年10月に、講演『決断としての宗教改革』を行っている。そこでバルトは、根本的包括的な原理的な自然神学批判と、それに対する「糾弾」の必要性について述べている――教会は、「イエス・キリスト」をのみ根拠・原理・原動力とすべきであって、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教のように、キリストにあっての神・キリストの福音だけでなく、あの「存在者レベルでの神」・その「福音と民族」を根拠・原理・原動力とすべきではないから、後者の「在り方」を批判し「糾弾」することを「決断」すべきである、と述べている。そして、バルトは、その講演で、ナチズムに加担するそうした教会の自然的な信仰・神学・教会の宣教<運動>に対して、「無制限に、喜びに満ちて」抵抗せよ、「彼らの槍を撃て! その槍は空洞だから」と呼びかけた。1933年12月に、「御自身がユダヤ人であり、異邦人とユダヤ人のために死に給うたイエス・キリスト(≪すなわち、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」におけるイエス・キリスト≫)を信じる信仰をもちながら、今や確実に日程にのぼっているユダヤ人の侮蔑と迫害に、簡単に協力することはできない」、という説教を行った。こうした「かつて語った説教の一貫した繰り返しが(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」、という点に、バルトの神学的実存の在り方があった。
1933年の終わりに、「ドイツ・キリスト者による教会の異質化に対する抵抗」――すなわち「組織的・教会的な規模」での抵抗が行われ始めてきた。それは、先ず「マルティン・ニーメラーの指導の下」での「牧師緊急同盟」であり、「それからさらに広い基礎の上に告白教会が設立された」。このドイツ告白教会の「戦いは、ナチズムそのものに対するものではなかった」・教会自体が外在的に「将来においても教会でありつづけるかどうかという問題をめぐった」もので扱い方が「狭い」ものであったが、バルトは「差し当たりは、……この線上のみで活動」した。1934年初め、告白教会の形成と確立にとって重要な「改革派教会大会」が行われた。この大会の「中心議題」は、バルトによって起草された『今日のドイツ福音主義教会における宗教改革信仰告白の正しい理解に関する宣言』の取り扱いにあった。大会では、この宣言の採択と共に、改革派連盟所属とドイツ・キリスト者所属とは「両立しえないとの決議」が行われた。バルトの宣言の「一つの主要なテーゼ」は、「今日の『本当の問題』」は、「聖餐式の問題」にあるのではなく、「教会闘争における教会の抵抗のあらゆる可能性」の根拠・原理・原動力である「第一戒の問題」、すなわちキリストにあっての「神の本質の単一性と区別」(神の本質の区別を包括した単一性)における「父なる名の内三位一体的特殊性」・「神の内三位一体的父の名」・「三位相互内在性」としての完全で自由な、聖性・秘義性・隠蔽において存在する「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする内的・内在的な「一神」・「一人の同一なる神」、この神の内的・内在的な「失われない差異性」における起源的な第一の存在の仕方としてのイエス・キリストの父、この父が子として自分を自分から区別した第二の存在の仕方としての子としてのイエス・キリスト自身、愛に基づくこの父と子の交わりである第三の存在の仕方としての聖霊――この内的・内在的な三位一体の神をのみ神とせよという第一戒の問題≫)」の死守にあった。言い換えれば、それは、一切の自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教に対する根本的包括的な原理的な批判と抵抗にあった、すなわちそれは、「神の意志とわれわれの願いが一つになってしまうような自然啓示……が存在する」と主張する、「つまり『神の啓示と並んで……教会の使信と形態に関する人間の……自主的決定権がありうる』とする」自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教に対する、根本的包括的な原理的な抵抗にあった。1934年4月、バルトは、パリのプロテスタント神学部において、「彼の教義学の主要思想を総括する概観」としての「『啓示・教会・神学』という三概念について三回の連続講義」を行った。
1934年5月、ドイツ福音主義教会第1回告白会議において、「ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学宣言」(バルメン宣言)が採択された。この宣言の原理(バルトだけがそのことに対して自覚的であったかもしれない原理)は、一切の自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教を克服できる原理としての、「教会の主」である「イエス・キリスト」にのみ感謝をもって信頼し固執し固着するという点にあった。「誰が」・「何がそもそも世界と教会を支配しているのか」、「われわれは誰に耳を傾けなければならないのか」、「誰を信じ」、「誰に服従し」、誰に固執し固着しなければならないのか――それは、「われわれを結合するものは、一にして、聖なる、公同の、使徒的教会のただひとりの主」である「イエス・キリスト」のみである。この「主に対する信仰告白である」。バルトにとって、このバルメン宣言の重要性は、「この本文(テキスト)は、福音主義教会がその信仰告白という形で自然神学の問題と対決した出来事の初めての記録」という点にあった。ただバルトは、後に、「草案にユダヤ人問題」を「組み込まなかった」ことは、「『重大な失敗』だと考えるようになった」。
1934年の夏、ブルンナーは、『自然と恩寵』という論文で、「正しい自然神学の復帰こそが(≪近代主義を骨肉にまで受け入れた≫)現代の神学世代の課題である」と主張した。このブルンナーが「存在ノ類比」というローマ・カトリック主義の根本的包括的な原理的な曲解と誤謬と「危険に陥っている」ということを見抜いたバルトは、「直ちに反応して」、『ナイン!――エミール・ブルンナーに対する答え』を書いた。何故ならば、ブルンナーの理論は、教会に、自然神学に基づく根本的包括的な原理的な曲解と誤謬と危険を繰り返させるものでしかないからである。具体的には、中世スコラ神学が「キリスト啓示とならぶ自然啓示を認める自然神学を立てたことが、中世末期の人間の行為(業)による義認の考え方に道を開いた。宗教改革者たちは、この業による義認を批判攻撃したが、その神学的根底としての自然神学の批判にまで徹底しなかった。宗教改革者のこの非徹底性が、ルター派的二元論を支え(≪この二元論は、ローマ3・22およびガラテヤ2・16等のギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」の属格の目的格的属格理解を根拠としている≫)としてドイツ・キリスト者の民族の神、『非ユダヤ的英雄』イエスの信仰の登場を可能とした」からである。したがって、ブルンナーのように、「キリストの啓示の外に人間の理性に『神と人間の結合点』としての役割を与えることは、『200年以上にわたって教会の荒廃を準備してきた』あの誤りを再びくりかえすことになる」、とバルトはブルンナーを根本的包括的に原理的に批判したのである。
ルター主義的神学者の倉松功は、『ルターとバルト』で、次のように述べている――「『ルターによれば文明の建設と発展は理性・知能の課題であり、全人類の課題であり、特定の宗教の特権ではない。ルターの二つの統治の区別は、かれの文明論の恒常的基礎である。その区別が人間の責任と活動の分野を自由にしている。(中略)被造物的・生物的現実……の中にわれわれに直接出逢う当為の要求が自然に存在する。その要求こそ心に記された理性の基本的規範である。ルターによれば、こうした文明の体系は全体として、神律的側面と相対的に自律的な側面とを持っている。神律的というのは、文明を担う諸力は神の恒常的創造者としての活動であるという意味……相対的に自律的だというのは、神の創造者としての働きは人間理性によって把握されるからであり、理性に基づく、人間の神との共働の行為は自発的に形成されるからである』」、と。先ず以て、この「ルターの二つの統治の区別」という言説は、伝統的なルターの目的格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストを信じる信仰)、二元論的に対立させた「律法と福音」という順序性(『キリスト者の自由』)、人間の側からする神と人間との「混淆」論、神と人間との「共働」・「協働」論、「神人協力説」と同じ位相にあるものであることが分かる。言い換えれば、その言説は、「その神学的根底としての自然神学の批判にまで徹底しなかった」ルターの限界を示している。そして、ルター主義者の倉松は、「文明を担う諸力は神の恒常的創造者としての活動である」と主張するのであるから、その文明を担う諸力としての神の活動は、客観的な正当性と妥当性を持って言うならば、それが良きものであれ・悪しきものであれ、自然史の一部としての人類史の自然史的過程における自然的必然としての自然史成果(経済社会構成の拡大高度化、科学技術の進歩発達、その知識の増大、生活の利便性の向上等)ということになる。そのことを人間理性によって把握できるという倉松は、その把握された対象について明確に述べていないのであるが、客観的な正当性と妥当性をもって明確に述べるとすれば、前述したような『資本論』「第1版の序文」におけるマルクスのような理性的把握ということになる。倉松は、まさに人間の側からする神と人間との「混淆」論、神学と人間学との「混合」学を目指しているのである。「当為の要求が自然に存在」・「その要求こそ心に記された理性の基本的規範」と言うけれども、先ず以て人間は理性的にだけ生きてはいないし、ましてや「私利・私意」を精神とする近代市民社会においては、様々な私的個人の・利害共同性の恣意的規範が存在するだろうし、また遅延させることはできても停滞させたり逆行させたりすることができない文明の発達は自然史的必然に属する事柄であるから、人間の責任と自由は、遅延させることであるのか、エコロジーを標榜することであるのか、経済主義や科学主義を標榜することであるのか、また貧困格差の問題が民族国家の支配上層の責任の問題であるのなら、彼ら支配上層を引きずりおろさなければならないのではないのか、また個体的自己としての全人間を現実的に、すなわち社会的に解放するためには近代市民社会の疎外態である観念の共同性(共同的な観念的形態)を本質とする国家の無化を目指すべきではないのか、倉松の論述においては、こうした問題が何一つ明確に提起されていないのである。
さて、宣教は生来的な自然的な「人間の側に『結合点』を求めなくてはならず、また『結合点』を前提しうるというブルンナーの理論」を、バルトは全面的に否定した。何故ならば、完全で自由な「父と子ヨリ来たり、それ故神として啓示され、信じられる聖霊は、聖霊みずからが設定するもの以外のいかなる結合点も必要としない」からである、ちょうどイエス・キリストにおける啓示は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力を持っているように、また起源的な第一の形態の神の言葉は、その神の言葉自身の出来事の自己運動を持っているように、またキリストにあっての神は、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて、換言すれば客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて、信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰)を与えることができる授与能力を持っているように。
さらにブルンナーは、自らの神学を「すこぶる宗教改革的」であり、「全くカルヴァンの思想に近い」、神の像の形式的側面に関する思想と「『ほとんど全く』同じ」と主張したことに対して、バルトは、次のような根本的包括的な原理的な批判を加えている――第一に、ブルンナーの生来的な自然的な人間に固有な「結合点」は、啓示神学に対して、それをも規定し得る「独力で立った」「堅固な下部構造」である。この概念は、神と人間との無限の質的差異を止揚し捨象してしまうものであるから、首肯することはできない、何故ならば「聖霊は、人間精神と同一ではない」し、「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」し、それ故に聖霊によって更新された人間理性も聖霊ではないからである(『教義学要綱』)、第二に、カルヴァンは、「天地万物からする神認識とキリストの中での神認識との二つの神認識について語った」が、ブルンナーとは違って、啓示に対するまたキリストの中での新生活に対する「結合点を見出していない」。すなわち、「聖書以外にさらに聖書を補う別な啓示の根源を、理性や歴史や自然の中に何とかして求め」、それらに独自性を与えて、「後から追加的に『何らかの仕方で』……発言せしめる」ことをしていない、第三に、カルヴァンの認識のベクトルは、ブルンナーとは違って、「天地万物の中における神認識」は、「キリストの中における神認識そのもの」において可能であるとする、第四に、ブルンナーは、内容的には「神の像」は「全く失われてしまって、人間は徹底的に罪人であり、人間の中には罪で汚されてないものは何もない」と語るのであるが、「人間には啓示なくしても」、生来的に自然的に「人間自身が本来持っていて、そして啓示の中で言わば甦って来る」、人間に内在する「啓示能力」・「言語能力」・「言語受容能力」・「呼びかけられうる能力」があると言う。それは、「人間の持っている『神の像』」であると言う。すなわち、ブルンナーは、「啓示の中で初めて甦って来るところのものである」としても、「啓示に先立つ(≪生来的な自然的な≫)『啓示能力』」・「結合点」を主張する。この人間に固有な「結合点」は、罪人からも喪失してしまっていない「形式的な神の像」であると言う。それは具体的には、人間の生来的な自然的な「人間性」・「理性や応答責任性や決断能力」のことであり、「神の啓示に対する客観的可能性」となるものである、と言う。この「形式的な神の像」は、まさしく自然神学に属するそれとして、首肯することはできない(『ナイン!――エミール・ブルンナーに対する答え』)、第五に、ブルンナーの目指している神学的課題は、「理性的思惟の絶対化〔絶対主義〕」「理性万能の妄想と理性の孤立の中」で、「神的汝をあこがれ求めている理性を解放する」ことにある。そして、このブルンナーの「神的汝をあこがれ求めている」「自信過剰」の半減された「近代的精神」、人間的理性・思惟は、新たな神との「共働者」関係の構築を目指すそれであるから、首肯することはできない(『教会教義学 神の言葉』)。
バルトは、「監督制・参事会制がもつ権威主義的・合法主義的感覚と傾向」と、観念的威力として残存し続ける自然神学の伝統的根強さに基づく「ドイツ民族主義者たちのもつ意識」が、「プロテスタント教会の抵抗運動」の完全な展開を妨げた、と述べている。
バルトは、「1934年11月7日付で彼に要求された<総統>に対する、規定通りの形による忠誠宣誓」――自然神学の政治的形態であるこの宣誓は、8月に「国家元首に関する法律」により首相と大統領の両職務が統合された時から、全公務員に義務づけられた――を、その忠誠宣誓は「福音的キリスト者としての責任(≪先に述べた「第一戒」を守り抜く信仰的神学的責任≫)を負い」得ないものとして、その忠誠宣誓を拒否した。そのために、バルトは、大学教授という「職業が要求する尊敬と名望と信頼を受けるに値しない」者として、「突然……停職処分を受けた」、「講義中止命令」を受けた。そのことに対する学生たちの抗議も、バルトの「ボンの領邦裁判所」への異議申し立ての訴えも斥けられ、彼は「罷免」された。バルトは、「告発され、(中略)有罪判決を受け」た。この時、バルトは、観念の共同性を本質とする国家が自分のためには・自分たちのためには存在していないことを痛切に実感的に認識し自覚したに違いないのである。いずれにしても、バルトは、その裁判で、福音的な信仰者・説教者・神学者として、次のように「釈明」した――「国家は教会を承認することによって、国家として自己に措定された限界を、国家自身のために肯定」しなければならない。「そして、国家公務員としての神学教授は、この限界を守るために国家自身によって任命された見張番」である。したがって、「全体主義」的独裁制を容認することは、「ヒトラーを受肉した神とすることになり、第一戒に対する最も重大な違反を犯すことになる」、と。この釈明の内容は、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、次のように言うことができる――われわれは、イエス・キリストが、われわれ人間に対して、第二の形態の神の言葉である聖書およびその聖書啓示証言に信頼し固執し固着し連帯した第三の形態の神の言葉に属する教会の宣教を通して「同時的となる時と所」、「『神われらと共に』が(≪神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて≫)神ご自身によってわれわれに語られるところ」においては、「神の支配のもとに入ることを承認し確認する」、それ故にわれわれは、「世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会として承認し確認する」、それ故にまた、「自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定(≪裁き≫)、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけであることを承認し確認する」、と。また、『ヨブ』(ゴルヴィッツアー編・解説、西川健路訳)に即して言えば、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち啓示者である父なる神の子としての啓示、和解、まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける啓示の場所こそが、われわれ人間の、その個と現存性――類と歴史性の生誕から死までのすべてを見渡せ、それ故に「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所であり、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教における福音が、「理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと」、「鋭さをなくした」「十字架象徴論へと」、「イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎない神秘主義へと変わって行く」ことが見渡せる場所である、と。最終的に、ケルンにおける審問を経て、「職務罷免処分」が「決定された」。その後、バルトに対して、「全面的な講演停止が……通達され」、「彼の活動は……個人的な話し合いや討論に限られることになった」。そうした中で、バルトは、オランダのユトレヒト大学において、『使徒信条に従って論述された教義学の主要問題』について講義し、それを『我信ず』という表題で出版した。この書も、一切の自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の系譜に属するキリスト教、キリスト教会の根本的包括的な原理的な止揚と克服を目指している――「キリスト教の信仰は……神がそして神のみが対象であるかどうかによって、立ちもし、倒れもする」、「『イエス・キリストを認識すること』が『創造を信じる信仰の起源』となる」。何故ならば、キリストにあっての神の完全性および自由性において、「創造は契約の外的根拠」として、イエス・キリストが始原であり中心であり終極である「恵みの契約の歴史のための場所設定」であり、「恵みの契約の歴史」は、「創造の内的根拠」として、創造の目標であるその「恵みの契約の歴史」の始原であり、中心であり、終極であるイエス・キリストご自身であるからである。そうした状況下においても、バルトは、「大学教授以外の場所であっても神学教師として」ドイツに「とどまりたいと願っていた」。しかし、「『最終的な、責任ある形での招聘』はどこからも来なかった」。「それどころか、告白教会そのものの戦列からも、(≪バルトに対する≫)嫌悪感や反感が、ある人たちは彼の神学に対して、ある人たちは彼の政治姿勢に対して、またある人たちは彼の個人的要素に対して湧き起こるのが(≪バルトには≫)感じられるようになった」。
1935年6月、「バルトの不参加と招聘取り消しを条件」に、アウクスブルクで「第三回信仰告白教会会議」が開催されたが、バルトは、そこでの教会共同性・「宗教知識」は、教会内部で閉じられた、党派的知識・党派的共同性でしかない、と批判した。言い換えれば、その知識や知識的集団の共同性は、「『貧しい、低きにいる民』に下っていかない」それであり(『説教の本質と実際』)、「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実生活」から遊離したそれであり(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)、ある現実や時代を生きる大多数の被支配としての一般大衆における大衆像と大衆的課題を繰り込むことができ得ない水準のものでしかなかった。
1935年6月、バルトは、ベルリンにおける上告審判決で、ケルン裁判所の判決は破棄され、罰金刑だけに処せれた。そして、「公務員職務再建法」「第6条」によって、退職処分となった。その直後に、「バーゼル市政府閣僚」からバーゼル大学の「員外教授のポスト」への「招聘」があって受け入れた。ただ、「スイスの国土防衛を積極的に支持する」という条件がついていたが、あくまでも相対的にではあれ「当時の状況下では(≪バルトは≫)喜んで受け入れられるものであった」。このバルトは、当然にも、不可避的な政治性から、次のように述べているのである――「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」、しかし「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない」、それ故に「われわれは最後の手段のために、(≪自国の利害を第一次的に最優先する戦争の元凶である民族国家が存在する限りは、≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」、そしてあくまでも相対的評価における決断ではあるとしても、自由および直接民主制と武装永世中立の「スイスをナチズムからまもるために私は軍隊に参加」し、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」という決断をしたのである(『バルトとの対話』)。
さて、われわれは、ブッシュの記述から、客観的な正当性と妥当性とをもってバルトの思惟と語りを素直に把握しようとするならば、バルトにおける「エキュメニズムの問題」は、自然神学的な寛容の精神に基づく安っぽい通俗的外在的皮相的なエキュメニカル運動や党派性、党派的思想、党派的共同性、党派的多元主義運動を標榜する者たちのそれとは全く違って、換言すれば人間の側からする神と人間との「混淆」論、神と人間との「共働」・「協働」論、「神人協力説」、神学と人間学との「混合」学を目指す自然神学の系譜に属する者たちのそれとは全く違って、まさしく<非>自然神学の段階における一貫性が貫徹された思想の課題としてのそれであることを知ることができるのである。すなわち、バルトのその「エキュメニズムの問題」は、先ず以て、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の成員のわれわれは、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊のわざであり啓示の主観的可能性として客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉を、それ故に具体的にはその第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書(預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、<純粋>なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(この「隣人愛」は、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法のことである――すなわちすべての人々がキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えである)を目指すという点にある、換言すれば「教会の具体的な頭であり主である」イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指すという点にある。そして、その内容である「『神われらと共に』という言葉」、「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」、「広い共同体」に向かっての運動において、そのあるがままの不信、非キリスト者、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているということを指し示すということを意味している(『カール・バルト教会教義学 和解論T/ 1』「和解論の対象と問題」)。したがって、バルトは、この意味において、「諸教会の多様性は、豊かさではなく、危機であり、罪である」から、「この多様性の克服は、相互の寛容によって達成されるのでも、またそもそも『造り出されるのでもなく、むしろイエス・キリストにおいてすでに実現された教会の一致に対する従順の中にのみ、見出され、また承認されるのである』」と述べている。したがってまた、バルトは、『証人としてのキリスト者』においては、次のように述べている――われわれは、「心を頑固にし福音を認めない人間」や「異教徒」に対して、キリストにあっての神の「恵みから語り、恵みについて語るという以外のことをなすことはできない」。すなわち、われわれが、そうした人々に呼びかけることができるのは、「私がその人をその中に置くことによってではなく」、「イエス・キリストが、すでにその人をその中に(≪神の側の真実としてある、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」による「律法の成就」・完了の中に、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」の中に、成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和の中に≫)置いてい給うことによってである」。したがって、われわれは、「キリストにあるものとしての人間のために、努力し得るにすぎない」、と。このバルトの信仰の完全な開放性について、ブッシュは、次のように述べている――「教会は、(中略)信仰の完全な開放性において理解されなければならない。その信仰の開放性においては、(≪復活の出来事に包括された死の出来事における≫)『イエス・キリストは≪マルクス主義者≫のためにも死に給うたのだが、また≪資本主義者≫と≪帝国主義者≫と≪ファシスト≫のためにも死に給うた』ということから出発することができる……」、と。
さて、ブッシュは、バルトの『福音と律法』について、バルトが「律法と福音」という伝統的順序を「福音と律法」という順序に正立させることで、「ルターに対する」・「ルター主義に対する重要な訂正」を求めた、とだけ述べている。これでは、何も言わないのと同じである。この成熟の書としての『福音と律法』の肝要な点は、『ローマ書』「第2版序言」における神と人間との無限の質的差異を固執するという<方式>に対して、信仰、律法、義、救済(平和)の成就・完了を、ローマ3・22およびガラテヤ2・16等の主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」に、「律法の成就」・完了に、「神の義、神の子の義、神自身の義」に、イエス・キリストにおける成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(バルトにおいて平和の概念は、この救済概念に包括されたそれである)に、すなわち徹頭徹尾先行する神の側に、神の側の真実に位置づけたという点にある――「神は、神なき者がその状態から立ち返って生きるために、ただそのためにのみ彼の死を欲し給うのである……しかし誰がこのような答えを聞くであろうか。……承認するであろうか。……誰がこのような答えに屈服するであろうか。われわれのうち誰一人として、そのようなことはしない! 神の恩寵は、ここですでに、恩寵に対するわれわれの憎悪に出会う。しかるに、この救いの答えをわれわれに代わって答え・人間の自主性と無神性を放棄し・人間は喪われたものであると告白し・己に逆らって神を正しとし、かくして神の恩寵を受け入れるということを、神の永遠の御言葉が(肉となり給うことによって、肉において服従を確証し給うことによって、またこの服従において刑罰を受け、かくて死に給うことによって)引き受けたということ――これが恩寵本来の業である。これこそ、イエス・キリストがその地上における全生涯にわたって、ことにその最後に当たって、我々のためになし給うたことである。彼は全く端的に、信じ給うたのである(ローマ三・二二、ガラテヤ二・一六等の「イエス・キリストの信仰」(≪ギリシャ語原典ピスティス・イエスー・クリストゥーの属格≫)は、明らかに主格的属格として理解されるべきものである」(神の側の真実としてある「律法の成就」・完了――このことが「福音と律法の真理性」における福音の内容である)、また「『私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、(≪神の側の真実としてある≫)神の子が信じ給うこと(≪主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」≫)に由って生きるのだということである)』(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」(このことが、「今日に至るまで罪人の手に渡され・十字架につけられ・死んで甦られ給うたイエス・キリストにある『復活の力』」、「福音と律法の現実性」における勝利の福音の内容である)・「人間の人間的存在がわれわれの人間的存在である限りは、われわれは一切の人間的存在の終極として、老衰・病院・戦場・墓場・腐敗ないし塵灰以外には、何も眼前に見ないのであるが、しかしそれと同時に、人間的存在がイエス・キリストの人間的存在である限りは、われわれがそれと同様に確実に、否、それよりもはるかに確実に、甦りと永遠の生命以外の何ものも眼前にみないということ――これが神の恩寵である」(『福音と律法』)。
このローマ3・22およびガラテヤ2−16等の「イエス・キリストの信仰」の属格理解に対する、ルターの目的格的属格理解とバルトの主格的属格理解との差異性は、両者の間にある根本的包括的な原理的なそれである。言い換えれば、それは、目的格的属格理解に規定されて自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教を完全に払拭でき得ていないルターにおける自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階での停滞性・循環性と、あくまでも神の側の真実としてある主格的属格理解の立場において自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を包括し止揚し克服して<非>自然神学あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行していくその移行性とのそれである。したがって、このバルトの『福音と律法』における神学のその原理およびその認識方法と概念構成は、ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』を経由させた、さらに根本的包括的な原理的な宗教改革をもたらすこととなった成熟の書と言うことができるのである。
さて、「自ら話す許可が得られず」、「国家警察の立ち会いのもと」・「イムマー牧師に朗読させ」た、このバルトの『福音と律法』の講演は、1935年10月にバルメンで行われたが、この講演の内容から、ドイツのキリスト者は、それはバルトの彼らに対する「訣別の辞」として受けとった。何故ならば、バルトは、次のように述べたからである――主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「神の義」にのみ感謝をもって信頼し固執し固着せよという福音を内容とする福音の形式としての律法(神の命令・「誡め・要求・要請」)に対して、人間は、人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求(それは、無神性・不信仰・真実の罪であるのだが)を手放すことはできない。したがって、ドイツのキリスト者は、目的格的属格理解において二元論的に対立させて「律法と福音」という順序で律法を聞く時、義認の唯一の根拠である「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」を、すなわちイエス・キリストが「律法の終わりとなられた方」(「律法の成就」・完了)であることを聞かず承認せず確認せず、それ故に神だけでなく人間も、人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求もという神との「共働者」であることを目指すことによって、それ故にまた「律法を悪用する」「罪の法則」によって「善きものを反対物に変」えるという人間的な「巨大な欺瞞」を惹き起すという言葉を聞いたからである、そのような神に対する「熱心さの無知」は、「無神性」・「不信仰」・「真実の罪」に基づいており、「神の要求」(神の律法、神の命令)を、人間によって恣意的独断的に曲解された「十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告に過ぎないものへと変えてしまう」という言葉を聞いたからである、またその時には、人間のその存在・その思惟・その実践は、「罪」に「勝利を収め」させる熱心さ・「不従順」・「虚偽」となるという言葉を聞いたからである、そのような「無数の儀文」は、「偶像崇拝」・「神冒?」を生じさせるという言葉を聞いたからである、もっと具体的にはある者は「盲目的に仕事へと没頭」し、ある者は「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜」し、ある者は「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行い」、ある者は「大規模な世界改良の偉大な計画に邁進」し、ある者は「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義に邁進」するという言葉を聞いたからである、総括的に言えば、それらの思惟と語りと行動は、「律法の成就」・了であり、「神の義、神の子の義、神自身の義」であり、成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリスト(マタイ26・6−13、マルコ14・3−9)にのみ感謝をもって信頼し固執し固着しないが故に、「まことに空の空なるかな、である。これらすべてのことが、一体何だろうか」という言葉を聞いたからである。もしもこれらの事柄について認識し自覚をしないならば、必ずや、次のような事態を惹き起こすに違いないのである――「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪彼自身の自由な自己意識・思惟の類的活動の無限性が対象化し客体化した対象物、彼自身の物語り世界、意味的世界、「存在者レベルでの神」、その神の啓示、その神への信仰≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかったのである。神と人間についての独断的な観念に基づく独断的に考え出された救いの計画と救いの方法(≪それ故に、平和の計画と平和の方法、換言すれば戦争廃絶の計画と戦争廃絶の方法≫)が支配するところ、そのようなところでは、その意図がたとえどのように心から善いものであり、敬虔なものであっても、神に対しても人間に対しても、真に奉仕が行われることはないであろう。またそのようなところには、教会は存在しないのである」(『啓示・教会・神学』)、「彼岸の消尽点が画の中に移され、(≪神と人間との無限の質的差異が止揚され捨象されて、≫)神自身が人間の霊魂的な、また歴史的な現実の構成要素となり、従ってもはや神ならぬもの、偶像となる。これが特に危険な……神への『反逆』である。その危険なわけは、それが、……実に神の名(≪人間自身の自由な自己意識・思惟の類的活動の無限性が対象化し客体化した対象物、「存在者レベルでの神」≫)において、(≪そのような≫)神の呼びかけのもとに行われるからである」(E・トゥルナイゼン『ドストエフスキー』国谷純一郎訳、新教出版)、阪神・淡路大震災の時、ある牧師が「武器を持って神戸市役所かどこかに押しかけて行って、被災者の住めるような建物をすぐにつくってくれと、(≪その職員個人には全く責任がないにも拘らず、その一般≫)職員を脅かした」ことを話すために、吉本にわざわざ電話をかけてきたその行為に対して、吉本は、その牧師は「じぶんがやったことを得々としゃべるわけです。ぼくは、ははぁ、戦前とちっとも変っていないやと思いながら聞いていた……。(中略)正義のために脅かしたのだと得々としゃべることは、ぼくらが戦争中に『お国のために』といわれたのとまったくおなじことで、そんなの、ちっともよくない」、「日本というか、あるいはアジアの特質かもしれません。ラジカルな人ほど、ほかの分野の人に対してじぶんを押し付けがちです。そういう傾向がとても強い」と述べていた(『「ならずもの国家」異論』光文社)。
バーゼル大学の哲学科には弟のハインリッヒがいたが、カール・バルトとは「正反対に対立」し、「理解しあえな」かった。ハインリッヒは、カールに対して「彼もまた限界をもっているのだということを、一度はっきりと言ってやらなければならないような人間だ」と考えていた。バルト主義者でも反バルト主義者でもないバルト者の私は、神学における思想の問題に引き寄せて言えば、ハインリッヒの方に客観的な正当性と妥当性があると言うことはできない。ハインリッヒは、カールは「いかなる矛盾にも耐えることができない人間」とか、「限界」の自覚がないと述べているのであるが、それは違うので、カールの<非>自然神学のその原理およびその認識方法と概念構成は、それ自体に、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、的確な自己吟味と批判と訂正をしていくことができる自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者(それは、具体的には、客観的可視的に存在する「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言である)を持っており、それに終末論的限界の下で絶えず繰り返し聞き教えられることを通して教えるという過程性を持っており、それ故に的確な自己吟味と批判と訂正という過程性を持っており、終末論的限界の概念と自己相対化視座とを持っているのである。このバルトが「その同僚たちの中で、『全面的に親密な関係』を保ちつづけたのは」、「実践神学の科目と説教学」を委任されていた「エドゥアルト・トゥルナイゼンだけであった」。しかし、そのトゥルナイゼンも、バルトの「一九二一年以来の……道程、すなわち教会教義学の問題への集中と、ドイツ教会闘争において得られた認識に対してあまりにも素知らぬ態度をとって」いた。しかし、彼らは、共同編集の説教集『大いなる憐れみ』を出版した。それは、教会における、「テクスト説教」、すなわち「時事問題」を「主題」とはしない「『聖書釈義』」を本質とする説教(≪「聖書への絶対的信頼に基づく聖書講解」≫)の「実例であり傍証であった」。説教者は、説教として語る場合、「聖霊が(あるいは別の霊であっても)言葉を吹きこむこととか、あるいは一つの構想を持っていることなどあてにしてはならない」、「説教は語ることであるが、……一語一語準備し、書き記しておいたもののこと」である、また説教者は、現実や時代に対する「会衆の状況認識」ついて、「会衆はその生活を十分に知っており、実際のところ、牧師によって手ほどきされる必要はない」ということに対して自覚的でなければならない、とバルトは述べている(『説教の本質と実際』)。それに対して、自然神学の段階で停滞と循環を繰り返している東京神学大学の実践神学者の小泉健は、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の成員のわれわれの思惟と語りが「キリスト教的語りの正しい内容の認識として祝福され、きよめられたものであるか、それとも怠惰な思弁でしかないかということは、神ご自身の決定事項であって、われわれ人間の決定事項ではない」から、われわれの思惟と語りは、「『主よ、私は信じます。私の不信仰を助けて下さい』(マルコ9・24)というこの人間的態度に対し神が応じて下さるということに基づいて成立している」(『教会教義学 神の言葉』)にも拘らず、ルドルフ・ボーレンの「神律的相互関係」という神学と人間学との「混合学」的概念に依拠して、恣意的独断的に「聖霊が説教者に言葉を与え、語ることへと導く。説教者は聖霊の言葉を伝え、聖霊の言葉に導く」と聖霊や聖霊の言葉を実体化させて述べているのである(小泉健「R・ボーレンの説教学の教会論的基礎づけ」というWeb上の資料参照)。