カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2−2)
カール・バルトの生涯――ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』への道程(その2−2)
再推敲・再整理版です。
この『カール・バルトの生涯』について、さらに推敲し整理した論稿が下記のJimdofreeホームページにあります。
https://karl-barth-studies2.jimdofree.com/
このJimdoホームページの論稿は、現在のホームページにある論稿よりも文章構成に関しても内容に関しても、さらに推敲され整理されており断然読み易く・分かり易くなっていますから、最初からをこのJimdoホームページの論稿を読んだ方が大切な時間を有効に使えます。
ブッシュは、バルトの『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』について、簡潔に、次のようにだけ説明している――バルトは、第一に、シュライエルマッハーの神学を『宗教と啓示と神関係を、人間に従属する述語として理解できるように』する試みだとみなした」。第二に、フォイエルバッハの「反=神学を『神学がすでに以前から人間学になってしまっている』という当時の神学の『隠された秘密』(≪人間的理性や人間的欲求やによって対象化され客体化されたに過ぎない神、神の啓示、「存在者レベルでの神」、その神の啓示、すなわち聖書的啓示証言におけるキリストにあっての神やその啓示ではないところの、人間がつくった神やその神の啓示、例えばシュライエルマッハー自身の物語世界、意味的世界としての神やその神の啓示≫)を、はっきりと口に出してしまった『眼の鋭いスパイ』の仕事だと理解した」、と。
これでは、ルターを否定的に媒介した自然神学との決別としての宗教改革書『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』について、何も言わないのと同じである。したがって、われわれは、「時の間」の時期の1927年に出版された『ルートヴィッヒ・フォイルバッハ』の重要な点について、整理しておきたいと思う。
この『ローマ書』「第2版序言」を経由させた、現実と時代とに強いられて著わされた『ルートヴィッヒ・フォイルバッハ』の肝要な点は、バルトが、神と人間との「混淆」論、神と人間との「共働」・「協働」論、「神人協力説」、神学と人間学(人間学的な人間論、哲学原理・認識論・世界観、コミュニケーション論、エコロジー、経済主義、政治主義、歴史主義等々)との「混合学」あるいは二元論的に考え出された教会の宣教(説教と聖礼典)と社会的政治的実践との「混合宣教」を目指す自然神学の段階あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階を、「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>によって根本的包括的に原理的に止揚し克服するという仕方で、そしてそれだけでなくルターの信仰論と受肉説を否定的に媒介するという仕方で、<非>自然神学の段階あるいは<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行したという点にある。バルトのこうした作業は、現実と時代とに強いられて神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(先行する神の側の真実としてあるイエス・キリストが信ずる信仰――この信仰による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」)を論じたバルトの成熟の書としての『福音と律法』、イエス・キリストにおける啓示には「啓示に固有な証明能力」があるということを論じた『教会教義学 神の言葉』、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」ということを論じた『教会教義学 神論』へと続く一貫した連続性を持っている。
『ルートヴィッヒ・フォイルバッハ』で、バルトは、次のように述べている――聖書の主題である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を持つことなく、神と人間との「混淆」、神と人間との「共働」・「協働」、「神人協力」等々を目指す、それ故に聖書的啓示証言におけるキリストにあっての神だけでなく、人間的理性や人間的欲求やによって対象化され客体化された対象物(対象化され客体化された人間的理性や人間的欲求、すなわち彼自身の物語世界、意味的世界)にしか過ぎない「存在者レベルでの神」を「……独立的に現われ活動する神的実体として」、それには「あらゆることが可能であり、(中略)(≪またそれは≫)、人を義とする……、……愛と善き業を生み出す…、罪や死にも打ち勝ち、人を救う。(≪その「存在者レベルでの神への」≫)信仰と神とは『一団』をなし、(≪その「存在者レベルでの神への」≫)信仰は(心の信頼として!)神と偽神の両方を作り、ときには(ただ「われわれ自身の内部において」だけであるが)「神性の創造者」と呼ばれるということもあり得る。さらに重要なのは、……受肉説とそれに関連した事柄である。フォイエルバッハは、このキリスト教の教説を「神は人となり、人は神となる」という定式で簡明に表現し(≪たが、それは≫)……とくにルター的なキリスト論」――この問題の核にあるのが、ローマ3・22やガラテヤ2・16等のギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」の属格に対する、人間の側からする・そして最後的には人間を先行させるところの、神と人間との「混淆」論、神と人間との「共働」・「協働」論、「神人協力説」、神学と人間学との「混合学」、二元論的なキリストの福音の宣教と社会的政治的運動という「混合宣教」論を、総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教を可能とするルターの目的格的属格理解(先行する神の側の真実としてあるイエス・キリストが信ずる信仰による「神の義、神の子の義、神自身の義」ではなくて、先行する人間のイエス・キリストを信じる信仰による神の義)である。このルターの目的格的属格理解に対して、バルトは、『ローマ書』「第2版序言」における聖書の主題である神と人間との無限の質的差異を固守するとい<方式>において、『福音と律法』でそれは、主格的属格理解として理解されるべきものであると思惟し語ったのである、すなわちそのことは、先行する神の側の真実としてあるイエス・キリストが信ずる信仰による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるというように思惟し語ったのである、総括的に言えば<非>自然神学あるいは<非自然的な信仰・神学教会の宣教へと向かい、それを目指したのである――、「および聖餐論を前提とする場合には、まったく不可能とか無意味とかいうことはできない。……、(≪「天と地・神と人間を?倒する」ことにおいて≫)神性を天上に求めず地上に求め人間の中に――(≪内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことに<人間>イエス・キリストにおける≫)人間イエスの中に求めることを教え、またかれにとっては聖餐式のパンは高く挙げられたイエスの栄光化されたからだであらねばならなかった(中略)。(中略)これらすべてのことは、……、……天と地・神と人間を?倒する可能性を意味しており(≪聖書の主題である神と人間との無限の質的差異の止揚、捨象を意味しており≫)、終末論的限界を忘れる可能性を意味している(≪何故ならば、復活されたキリストの再臨は、終末、「完成」の時を待たなければならないからである。現存するわれわれは、復活されたキリストと復活されたキリストの再臨の間の聖霊の時代を生きている≫)。(中略)ルターと初期ルター派の人々が、天を襲うようなキリスト論を説いて、その後継者たちを、たえず出現する思弁的・人間学的帰結に対しての一種の危険状態・無防備状態の中に置き去りにしたことは疑いない。神に対する関係があらゆる点で、原理的に?倒不可能な関係だということ(≪聖書の主題である神と人間との無限の質的差異を固守するという点に<方式>はあるということ≫)――そのことについて、人々は、フォイエルバッハを有効に防御するためには確信を持っていなければならない……」・「市民的啓蒙という観念、(中略)……社会民主主義の無神性は、教会にとって、(中略)現在でも警告であって、(中略)教会がフォイエルバッハの問いの前に晏如となることができるのは、教会の倫理が(≪宗教化され倫理化された≫)古いまた新しい実体やイデオロギーに対する崇拝から根本的に分かたれるときである」。何故ならば、例えば宗教化され倫理化されたイデオロギーは、その啓蒙において、他者に対して他律的な二者択一の善悪の判断としての倫理、賛成か反対かを強いるからである、ちょうど『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』によれば、「幼稚な反共主義」者のラインホルド・ニーバーがバルトに対して、「政治的強要」や「政治的陰謀」としての西側イデオロギーによる「啓蒙の恐喝」を行ったように、またちょうど性善説という人間の一面にだけに依拠した自己欺瞞に満ちた市民的観点・市民的常識は、特に完膚無きまでに裸形化されたこの現存する現実社会においては、宗教者、聖職者、牧師、政治家、官僚、大学知識人、評論家、医者、弁護士、裁判官、看護師、警察、教員、倫理家・道徳家等々であろうと誰であろうと、些細なことを含めて現実的な愛憎問題とか利害対立とか等々の不可避な契機さえあれば、自分が意志しなくとも、利己主義的に、他者を現実的に侵害したり、傷害事件を犯したり、殺人事件を起こしたりし得るし、戦争とかにおいては人一人だけでなく多数の人も殺し得るという究極的観点の側から、その自己欺瞞が暴露されてしまうように。「そのときにこそ人々は、教会の告げる神も幻想ではないのだという教会の言葉を信ずるであろう。そのときまでは、そのようなことを決して信じはしないのである」・「……神と人間を同一視する神学(中略)『人間の中なる神について』の議論が根絶されない限り、フォイエルバッハを批判する理由は、われわれにはない」。何故ならば、フォイエルバッハの根本的包括的な原理的なキリスト教批判および宗教批判は、正当性と妥当性を持っているからである。したがって、「われわれは、かれと共に『その世紀(≪総括的に言えば、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞と循環を繰り返す世紀≫)の忠実な子』なのである」(『カール・バルト著作集4』「ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ」)。
吉本隆明は、『世界認識の方法』(中央公論社)で、人類史のアジア的段階における日本的特殊性を残存させている日本の状況について、「現在の日本では骨肉にまで受け入れた西欧近代というものの部分で西欧とおなじ危機に陥っています。その一方で、西欧的にいえばアジア的という概念で括られる思想的伝統、習慣、風俗、社会構成、文化を引きずっています。そうすると、現在日本のもっている危機の意味あいは二重になってきます」、と述べている。したがって、この日本では、第一には、人類史の尖端性として世界普遍性を獲得した西欧的段階とは、「世界のある特定の地域であり、世界史上のある特定の時期にあるもの」であるが、近代以降においては世界「普遍性誕生の場」であるから、「西欧思想の危機とは、すべての人々の関心を引き、すべての人々にかかわり、世界のあらゆる国々の諸思想、あるいは思想一般に影響を及ぼす危機」であり、「たとえばマルクシズムは、(中略)一つの思想形態……一つの世界ビジョン、一つの社会機構」となったが、「マルクシズムは現在、明白な危機のうちにあります。それは西欧思想の危機であり、革命という西欧概念の危機、人間、社会という西欧概念の危機」であり、「それはまた全世界にかかわる危機」であるから、その問題についても扱う必要がある(M・フーコー『思考集成VII』「フーコーと禅」佐藤清靖訳、筑摩書房)。第二には、日本に残存している人類史のアジア的段階における日本的特殊性の問題を扱う必要がある。例えば、天皇制は「現在、資本主義の<影の部分>」として、「政治的な標的としては副次的なものに過ぎない」が、「歴史的に根底をつきくずさなければ」「一木一草にまで染みついているという問題は解決」できない、すなわちその問題を包括し止揚し無化することはできない。政治的権力と宗教的権力を有した天皇制が成立していたのは奈良朝以前の初期天皇制の時期だけであり、天皇制的な専制君主が、「機構化されたのは律令官制による」が、「日本的なデスポットとしての天皇制の特徴的威力」は、「政治的権力に直接たずさわっているときも、間近にあるときも、遠ざかって棚上げされているときも、天皇制が一貫してその背後に観念的な威力を発揮していたという事実にある」(吉本『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』「思想の基準をめぐって」筑摩書房)。どうして、この日本においてこの認識と自覚が必要かと言えば、例えばキリスト教的著述家の佐藤優は、権威としての天皇と権力としての国家という国体を考えているからであり、現実的な社会をではなく、観念の共同性を本質とする国家を第一義性・価値性とする国家主義者だからである。また例えば、寺園喜基の『バルト神学の射程』によれば、北森嘉蔵は「徹底したバルト批判者」であり、北森の『神の痛みの神学』において「福音の心」とは「神の痛み」のことである、この痛みは、日本の庶民の「つらさ」や「痛み」に通底しているそれである、「このつらさは、『他者を愛して生かすために、自分を苦しめ死なしめ、もしくは自己の愛する子を苦しめ死なしめる』」それである、その「つらさ」や「痛み」は、浄瑠璃「菅原伝授手習鑑」の『寺子屋』における「主君の子供を救うために、自分の息子を身代りに殺させた松王丸が、息子の死を聞いたときにいった、『女房喜べ、悴は御役に立ったぞ』という言葉」で表現できるそれである、と書かれている。このことからわれわれは、北森の『神の痛みの神学』が、キリストにあっての神、キリストの福音と、日本における<ナショナルなもの>である<滅私奉公>的な人間の在り方および北森の自己意識・思惟が対象化し客体化した対象物、物語り世界、意味的世界、「存在者レベルでの神」における神の痛みの概念とを、混淆、混合、折衷させた自然神学の系譜に属する<土俗的>な神学であるということを知るのである。また、北森は「『神の痛み』は(≪直接的な≫)『神の愛』とは別の事実でなければならぬ。即ち『神の痛み』は『神の愛』に一旦既に背いている者への愛である。『神の痛み』は直接的な『神の愛』をば否定的媒介契機として自己の中に止揚しているものであって、『神の愛』より一段高次のものである」・「この『神の痛み』は北森によれば、十字架における神の愛を意味している」、「なぜなら、十字架の愛は、罪人つまりすでに一度神の愛に背いている者に注がれる愛と同一だと考えれるからである」、「北森によれば、十字架以前の、直接的な、痛み以外の神の愛は、律法に他ならないのであって、神の愛を拒否するところの人間の罪を否定するが、しかし罪人を内に包むことはできない。それに対して、罪なる人間を内に包むことができる神の痛み(≪十字架における神の愛≫)こそが、神の本質である」、というように寺園は紹介している。このような「神の痛み」は、「一段高次のもの」であることはできない。何故ならば、「十字架における神の愛」としての「神の痛み」に対しても、「拒否する」というところにわれわれ人間の罪の本質(神だけでなくわれわれ人間も、人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求もというところに、それ故に無神性・不信仰・真実の罪)があるからである。言い換えれば、このわれわれ人間の罪を包括し止揚し克服し「一段高次」の段階へと移行するためには、徹頭徹尾神の側の真実としてある復活に包括されたイエス・キリストの死と復活の出来事における主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」を必要とするのである。ここでは、日本的な土俗的神学者の北森は、まさに自由を原理とする西欧近代を概念的に構成したヘーゲル弁証法に依拠しているという点で、まさに西欧近代というものを「骨肉にまで受け入れて」思惟し語っているのである。因みに、西欧的人間のモルトマンは、まさにその進歩史観において自由を原理とする西欧近代の段階を人類史の頂点と見做し、その進歩史観における歴史哲学を構成したヘーゲルに依拠して、自然にまみれた原始未開の段階――すなわち律法・父の国・奴隷状態の歴史、自然を原理とするアジア的段階――すなわち恩寵・子の国・神の子の状態の歴史、自由を原理とする西欧近代の段階――すなわち自由・霊の国・神の友状態の歴史という神学的三段階的進歩史観を構成したのである。ここでは、神学は、神学でも人間学でもない「混合神学」として、先行する人間学に依拠しているが故に、その先行する人間学が存在しなければ、その神学は存在することはできない水準にあると言うことができる。
前述した北森が述べた「神の愛」に対して、バルトは、聖書的啓示証言に信頼し固執し固着し連帯して、先ず以て『ローマ書』第2版において、神学的に、内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方である「イエス・キリストにおける神の愛は、神自身の人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一である」、と述べている。また、『教会教義学 神の言葉』においては、次のように述べられている――「創造された世界」における「神の愛」と「われわれの世界」における「イエス・キリストの事実の中における神の愛」との間には差異がある。すなわち、後者の神の愛は、「まさしく神に対し罪を犯し、負い目を負うことになった人間の失われた世界に対する神の愛」である。したがって、「和解ないし啓示」は、「創造の継続」や「創造の完成」ではない。この意味は、「和解ないし啓示」は、内的・内在的な三位一体の神、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方(性質、働き、業、行為、行動)であるイエス・キリストの「新しい神の業」である。それは、「神的な愛の力」、「和解の力」である。イエス・キリストは、和解主として、創造主のあとに続いて、神の第二の存在の仕方において「第二の神的行為を遂行」したのである。この神の存在の仕方の「失われない差異性」における「創造と和解のこの順序」に、「キリスト論的に、父と子の順序、父(≪啓示者、言葉の語り手、創造主≫)と子(≪啓示、語り手の言葉、和解主≫)の順序」が対応しており、「和解主としてのイエス・キリスト」は、創造主としての父に先行することはできないのである。しかし、父・子は共に内的・内在的な三位一体の神として「失われない単一性」・神性・永遠性を本質としているから、その外的・外在的なその「失われない差異性」における存在の仕方における従属的な関係は、内的・内在的な存在の本質の差異性を意味しているのではなく、その外的・外在的な存在の仕方の差異性を意味しているのである。「創造が無からの創造であるように、和解は死人の甦り」である。「われわれは創造主なる神に生命を負うているように、和解主なる神に永遠の生命を負うている」。この神の完全性、自由性において、「創造」は「契約の外的根拠」として、イエス・キリストが始原であり中心であり終極である「恵みの契約の歴史のための場所設定」であり、「恵みの契約の歴史」は、「創造の内的根拠」として、創造の目標であるその恵みの契約の歴史の始原であり、中心であり、終極(復活されたキリストの再臨、「完成」)であるイエス・キリストご自身である。
1926年の夏学期、演習でカンタベリーのアンセルムスの『何故、神ハ人トナリ給ウタカ』を取り上げ、「なんらかの意味で、彼の語るところは確かに正しい」、と述べている。
バルトは、1926年から27年の冬学期と1927年の夏学期に「再び聖書釈義をテーマとする講義」を行い、「まずは(最終的な形での)『ピリピ書』の講解」を行った。バルトは、「強烈な『宗教改革の』響き」を、この「ピリピ書」の主調音として見出した。「義は……心理学の内容とはならず、いつまでも神の御手の中にある」。バルトは、「人間から見れば、信仰とは、……自分自身の能力と意欲のあらゆる試みが必ず挫折するという絶対的必然性の洞察である」――何故ならば、「『もちろん福音をわたしは聞く、だがわたくしには信仰が欠けている』その通り――一体信仰が欠けていない人があるであろうか。一体誰が信じることができるであろうか。自分は信仰を『持っている』、自分には信仰は欠けていない。自分は信じることが『できる』と主張しようとするなら、その人が信じていないことは確かであろう。(中略)信じる者は、自分が――つまり『自分の理性や力(≪知力、感情力、意志力、自然を内面の原理とした禅的な身体的修行等≫)によっては』――全く信じることができないことを知っており、それを告白する。聖霊によって召され、光を受け、それゆえ自分で自分を理解せず(中略)頭をもたげて来る不信仰に直面しつつ(中略)『わたくしは信じる』とかれが言うのは、『主よ、わたくしの不信仰をお助け下さい』という願いの中でのみ〔マルコ九・二四〕、その願いと共にのみであろう」(『福音主義神学入門』)からである、またローマ書3・22やガラテヤ書2・16等のギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」の属格は、神の側の真実としてある「主格的属格として理解されるべきものである」からである、また「『私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>)ということである)』(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」からである(『福音と律法』)。
この時期のバルトの「努力と集中」は、「主として教義学講義の二度目の全過程を完遂するのに向けられた」。『ローマ書』と共に、この教義学は、「『近代プロテスタント主義(≪総括的に言えば、自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教≫)に対する抗議(残念ながら、その全体に対する抗議というのには、多少の例外はあるが)』を含んでいた」。また、今まで「見落としてしまっていた多くのことが、今や視野に入って」きた。それは、「古代の教義学にとって現存していた思想上の問題や次元であった」――「『ローマ書』の時代に出発点とした神と人間の理論的・実践的隔離を放棄するのではないが(≪神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を放棄するのではないが≫)、単純にその地点にとどまっていることもできないという事態(≪今後は、『福音と律法』にまで成熟していかなければならないという事態等≫)を、この二回目に学び直さねばならなかった」・「ゲッティンゲン時代」の教義学を、包括し止揚しなければならなかった。バルトは、その教義学「序説を直ちに『神の言葉論』の論述の形で書いて行った」。このことは、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、バルトは、神の言葉のテーゼを、三位一体論の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)においてある、というところに置いたということである。したがって、バルトは、「私は(≪「啓示の実在」そのものであり、起源的な第一の形態の神の言葉である≫)イエス・キリストを理解して、(≪そのイエス・キリストを≫)私の思考の周縁から中心へと移動させなければならなかった」、と述べた。また、バルトは、現実と時代に強いられて、「私は主体性を真理と認めることはできないので、キルケゴールとは、短い接触の後に……離れざるをえなかった」と述べた(このことは、バルトが、聖書の主題である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>から離れたということではない。何故ならば、この<方式>は、処女作『ローマ書』「第2版序言」から最晩年に至るまで最後の最後まで堅持されたからである)。そして、「キルケゴール(≪の単独者の概念≫)を越えて」(包括し止揚して)、「イエス・キリストを中心に置く道に立った」書物が『福音と律法』なのである、この書物の内容は、『教会教義学』の「神の言葉」、「神論」……『カール・バルト教会教義学 和解論T/1』「和解論の対象と問題」にもレンガを積み上げるようにして積み上げられている、時間累積されている(後述)。バルトは、聖書的啓示証言に信頼し固執し固着し連帯した『福音と律法』におけるその神学の原理、その神学の認識方法と概念構成それ自体で、一切の近代主義神学あるいは自由主義神学の段階、総括的に言えば一切の自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階をさらに根本的包括的に原理的に止揚し克服してそこから超出したのである。したがって、神学は教会の学かあるいは公共の学かという議論があるが、「公共性の神学を主張する人は、思考が不十分であるか、不誠実であるか、双方」であるかのいずれかだ、何故ならば、公共性の場で行うのは、「宗教学」や「宗教社会学」や「宗教哲学」だからだとか、「自分と異なる見解を排除するというのではなく、むしろ、神学は自らの教派的出自にとらわれるものなのだ。そういう考え方に踏みとどまる人たちがまっとうな神学者なのである」、と党派性・党派的思想・党派的共同性(党派主義的多元主義)を「まっとう」だ、と語る佐藤優のような考えや主張は、バルトから出てくることは決してないのである。バルトは、『カール・バルト教会教義学 和解論T/1』「和解論の対象と問題」で、次のように述べている――内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち「啓示の実在」そのもの、和解、起源的な第一の形態の神の言葉、全き自由の神の愛の行為の出来事としての神の存在であるイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」、「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」、「広い共同体」に向かっての運動において、そのあるがままの不信、非キリスト者、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して「完全に開かれている」のである、と。
1927年の春、バルトは、「古い、宗教改革の問題」、すなわち「信仰の業」・「倫理の問題」を「神の言葉の認識によって……解明する」ことを主題とした、『義認と聖化』と『戒めの遵守』という講演を行った。説教の無条件的な出発点と目的は、「新約聖書において聞く啓示、和解」、イエス・キリストの死と復活の出来事の啓示、その内容である「インマルエル、神われらと共にいます」という事柄の宣べ伝えであって、「人間の行為と業の宣伝ではない」。すなわち、それは、人間の「思想」や「最高の習慣、最良の見解」の宣伝にあるのではないし、また「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜する」ことを、「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行う」ことを、「大規模な世界改良の偉大な計画に邁進する」ことを、「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義に邁進する」ことを宣伝することではない。バルトは、この「認識から出発した」。何故ならば、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法(神の命令、神の人間に対する要求・要請)は、人間は、人間論的な自然的人間であれ、教会論的なキリスト教的人間であれ、誰であれ、徒の人間でしかない以上、内的・内在的な三位一体の神、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストを模倣することではないし、イエス・キリストが信じたように信ずることでもない。したがって、それは、「福音の中核」であるイエス・キリストが、「律法を満たし・すべての誡めを遵守し給うたという事実」(「律法の成就」・完了の事実)から考えられなければならないから、そのキリストの福音に対する、素直な感謝の応答・告白・証し・宣べ伝えにあるのである(『福音と律法』)。「義認と聖化」は、「共に、(≪神の側の真実としてある≫)人間に対する〔神の〕『恵みの行為』であって、それ故義認が神の行為であって、聖化が人間の行為だというのではなく、両者が共に(≪神の側の真実としてある≫)『人間に対する神の行為』なのである」・「したがって、(≪神の側の真実として神が先行して≫)神が義認し、聖化するのである」。「人は(≪神の側の真実としてある≫)神の約束(≪キリストの福音≫)と一緒にのみ神の戒め(≪キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請≫)を聞くことができる」・「戒めの違反者であるわれわれは、(≪先行する神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」による「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものにより)義認をうけた罪人としてのみ」、また客観的なイエス・キリストにおける啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて終末論的限界の下で与えられた人間的主観に実現された神の恵みの出来事、信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示「信仰においてのみ」、前述した『福音と律法』におけるように、「戒めを遵守することができる」、すなわち「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)ににおける起源的な第一の形態の神の言葉およびその第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、われわれの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・純粋なキリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(この「隣人愛」は、純粋なキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法である、すなわちすべての人々が、純粋なキリストの福音を現実的に所有することができるために為す純粋なキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えである)という連関の中で「戒めを遵守することができる」。したがって、ここで「戒め」は、その過渡的課題(政治的近代国家・民族国家の枠組みの中での法的政治的な人間の観念的部分的解放の問題)と究極的課題(観念の共同性を本質とする国家の無化を伴う、社会的な人間の現実的全体的解放の問題)との総体としてある革命論も持たずに為される、二元論的な教会の宣教と社会的政治的実践という「混合宣教」論における場当たり的な社会的政治的実践にあるわけでは決してない。
1927年の夏、教義学が教会の一つの機能であるとすれば、最終的には現存する『教会教義学』とならざるを得ないのであるが、いずれにせよ、「今のところ、われわれのもとには、真の教義学は存在しない」ことを認識し・自覚していたバルトは、「独行者」として・「試論的」教義学として、「包括的な教義学」を目指していた。しかし、バルトは、「試論的性格」を払拭するために、「『キリスト教教義学』の第一巻につづく巻を出さず、その後のミュンスターでの教義学講義は出版しないままになった」。
1927年7月、キリスト論において「一致できない」「カトリックの教会論との明確な、ほとんど峻厳なまでの対決」の立場をとるバルトは、『教会の概念』と題して講演を行い、オットー・ディベリウスの『教会の世紀』について、「誇張せずに言って下らない書物」と評した。バルトは、カトリック神学における、人間の「われわれが神の恵みを自由にしようとする試み」に対して、根本的包括的な原理的な批判を加えている。そのカトリック神学と同類性にあるのが、フォイエルバッハの宗教批判の対象そのものである、近代主義的プロテスタント主義的神学である。したがって、ハイデッガーは、「新約聖書の釈義に役立つ新しい哲学的な鍵」――すなわち前期ハイデッガーの哲学に基づく「絶対的規準としての先行的理解」・「解釈学的原理」に依拠したブルトマン(その学派)に対して、「『今日まさにこのマールブルクでは、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりは『むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』、『いわゆる存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか』」、という正当性と妥当性のある根本的包括的な原理的な「揶揄」・批判をおこなった。このことから明らかなように、ブルトマンは、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的な可能性として客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉である「啓示の実在」そのものとしてのイエス・キリストを、それ故に具体的には第二の形態の神の言葉である啓示の「概念の実在」である預言者および使徒たちの最初の直接的な第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」を、自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者として認識し承認し確認し自覚して持たないが故に、ブルトマンの神やその啓示というのは、まさに彼の生来的自然的に備わっている人間の直接的な自己意識・理性・思惟あるいは欲求が対象化し客体化した対象物、ブルトマンの物語り世界、意味的世界、それ故に「存在者レベルでの神」、その神の啓示に過ぎないと言うことができるのである。
1927年10月、バルトは、「いうまでもなく、悪しきシュライエルマッハーの息の根をとめてしまうための主題」『シュライエルマッハーからリッチュルまでの神学における神の言葉』を題目として講演した。
1927年11月・12月、バルトは、『神の啓示とキリスト教会の教理』を題目として講演し、神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて「神が私のもとに到来し給うたことによって……私は、神について語らなければならないから、語ることができ、また語ってもよいのです」、と述べた。
1928年春、バルトは、『プロテスタント教会に対する問いとしてのローマ・カトリック主義』の題目で講演した。
1928年の夏学期、バルトは、聖書釈義の講義をとりやめ、「ヤコブ書講義の『改訂版』を講じた」。この時期、バルトは、彼には「『一つの』倫理学が立てられていない」という批判に答えるために、「倫理学の問題領域に集中することとなった」。「〔神学上の〕倫理学において」は、「教義学は神の行為」を扱い・「倫理学は人間とその行為」を扱うという伝統的な考え方を止揚し克服した。すなわち、それにおいては、先行する「神の言葉の考察」、すなわち「人間に要求する神の言葉」が主題とならなければならない。「善」は、先行する神に「聞くことから生じ、それ故に神の語りかけから生じる」。バルトは、第一に、「生の戒めとしての」「創造者の戒め」、第二に、「律法の戒めとしての」「和解者の戒め」、第三に、「約束の戒めとしての」「救済者の戒め」というように倫理学を三一論的に論じた、ちょうど『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的可視的に存在している「神に言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)は、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事であるというように。『福音と律法』に即して言えば、第一は、「神は、神なき者がその状態から立ち返って生きるために、ただそのためにのみ彼(≪人間≫)の死を欲し給う」ということである。第二は、その神の答え(人間に対する神の要求・律法)を、イエス・キリストご自身が、「その地上における全生涯にわたって」、「我々のために」、「全く端的に、信じ給うた」ことによって成就・完了されたということであり、それ故に神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」による「律法の成就」・完了そのもの、「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着せよということであり、第三は、福音を内容とする福音の形式としての律法において初めて、その律法は、「罪と死の法則」の律法・「汝斯く斯くなるべし」という要求から、「生命の御霊の法則」・「汝斯く斯くならん」という約束へと回復せしめられる、ということであり、「遂行せよ」と求める要求から、「信頼せよ」と求める要求へと回復せしめられる、ということである。これが、「〔神学上の〕倫理学」、すなわち「人間に要求する神の言葉」、人間に対する神の要求の総括的表現であり「戒めの内容」である、換言すればその総括的表現であり「戒めの内容」は、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」、すなわち「律法の成就」・完了そのものであり・「神の義、神の子の義、神自身の義」そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し・固着するということであり、「われわれには絶対に実現出来ぬイエスの代理的な信仰を、承認し受け入れる」ということであり、「われわれの生命がキリストと共に保管されていることを承認し受け入れる」ということである――このことが、「もろもろの誡命中の誡命、われわれの浄化・聖化・更新の原理、教会が教会自身と世に対して語らねばならぬ一切事中の唯一のことである」。そして、イエス・キリストは、「イエス・キリストにあってなし遂げられたわれわれの義認と解放が、われわれ自身の中においても現実となるため」に、われわれ人間に「力と愛と慎との霊を与え給う」。「力の霊」とは、イエス・キリストにのみ固着させる霊である(「信仰」)。「愛の霊」とは、イエス・キリストの「御意に従わしめる」霊・「律法の完成」であるイエス・キリストに対する愛の霊・感謝の霊のことである(「愛」)。「慎みの霊」とは、人間が神の要求に対して自己主張し破滅することを防ぐ霊であり、人間が神を救い主として見・神に聞くよう促す霊である(「希望」)。この場所から、われわれは、「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言に信頼し固執し固着し連帯して純粋なキリストにあっての神・純粋なキリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関の中において、純粋なキリストの福音を内容とする福音の形式としての律法――すなわち「神の賛美」としての「隣人愛」、すべての人々が純粋なキリストの福音を所有することができるために為す純粋なキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えへと向かい、イエス・キリストをのみ主・頭とする「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指すのである。
1928−29年冬学期の演習で、カトリック主義の問題を追及していたバルトは、「トマスのテキストの講読」(『神学大全』第一巻)を行った。1929年2月、イエズス会士エーリッヒ・プシュヴァラが訪問し、バルトとは全く異なって、自然神学的な「人間の中にあり=人間を越える」「神」と「存在の類比の平和」について述べた。2月と3月に行った『神学における運命と理念』と題した講演で、バルトは、「キリスト教神学は、人間の思考の二つの基本形式である『現実主義』と『理想主義』を用いざるを得ないが、……神を運命の中に求め、見出すか、あるいは神を理念の中に求め、見出すかのいずれかである」ということは許されない、と述べた。このことは、『教会教義学 神の言葉』に即して整理すれば、次のように言うことができる――「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」・「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」・またその場合、「哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる」・キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった」・また、「それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」、また革命の過渡的課題(最低綱領)と究極的課題(最高綱領)を認識し自覚していない二元論的な教会の宣教と社会的政治的実践との「混合宣教」における場当たり的な教会の社会的政治的実践は、教会の「堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」。また、バルトは、『バルトとの対話』においては、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わるところから始まる」・すなわち、神学も理性的な知的営為ではあるが、「神学は方法論的には、ほかの学問のもとで何も学ぶことはない」、と述べた。言い換えれば、「哲学は神学ノ奴婢ではなく、神学も哲学と共に、教会の奴婢、キリストノ奴婢であろうと欲しうるだけである」。
1929年10月、「しっかりした教育を受けた赤十字の看護婦」のシャルロッテ・フォン・キルシュバウム(愛称ロロ)が「助手の役割を果たす、忠実な協力者」として、「バルトの家に……加わった」。「バルト自身は、このようにして始まった事態に対する責任と負い目を引き受けることをためらわなかった」が、この男女間の三角関係は、「実際多くの人たちに、……躓きを与えた」。何故ならば、「バルト夫人ネリにとっては、厳しい自己放棄を強いられる結果」になることは、誰の目にも明らかなことだったからである。吉本は、人間の三つの存在様式について、次のように述べている――「人間の観念がうみだす総体の世界(≪個、対、共同性という人間存在の三様式≫)をおさえ切るということが、それだけで人間を救済するわけではない」が、「それぞれ異なった次元を構成する観念の総体性をおさえることは、それをのっぺらぼうの世界とみなすことからくるすべての錯誤から、人間を脱出させることは確か」なことである。したがって、「錯誤から脱出するということは、すくなくとも現在の課題としては、ほとんどすべての課題の発端である」ということができる(『どこに思想の根拠をおくか』「思想の基準をめぐって」筑摩書房)。例えば、老人問題は、外在的な経済的生活問題という意味からは社会的問題であり制度的・行政的問題である。しかし、それだけではなく、それは、対関係が生み出した対幻想(対観念、対意識)の共同性(家族)にあった親孝行という観念が衰退している現代家族の内在的な問題でもある。と同時に、それは、子どもと一緒に暮らしたい、孫と一緒に暮らしたい、夫婦で暮らしたい、一人で暮らしたい、畳の上で死にたいという自分の死の迎え方の問題等として百人百様の老人諸個人の内面の問題でもある(『伝統と現代 33号』「吉本隆明・鮎川信夫対談 家族とは何か」昭和50年5月号)。したがって、制度的・行政的解決は部分としての解決でしかないから、老人問題の究極的解決のためには、人間存在の三様式の差異性と関係性を自覚的に取り扱う必要があるのである。人間存在は、その三様式において「個体であり、それから(≪対・対の共同性としての≫)家族であり、そしてまた共同体の一員であるというふうに存在」している(『吉本隆明全著作集14』「個体・家族・共同性としての人間」勁草書房)。そして、人間は自己意識を持った存在であるから、その対自的で対他的な構造を持つ個体の自己意識・「個体の観念」 は、自己が自己自身に関係する自己関係や、一対の男女の対関係およびその対関係の共同性である家族関係や、社会における共同的関係において、自己幻想(自己認識・自己理解・自己規定)、対幻想(男女意識、夫婦意識、家族意識)、共同幻想(社会意識や政治意識)を生み出していくことになる(『マルクス―読みかえの方法』)。◎第一に、自己が自己自身に関係する<個体>的個人の世界がある。それは、「他人には理解できない内面を含めた、その人の心のもち方」の世界である。またそれは、他人と通じ合うことは第二義的な個体の内面世界のことである。この内面世界は、自己意識の対自的な世界であり、吉本言語論で言えば自己表出の世界である。したがって、この世界においては、他者の意見は参考にしかならない。◎第二に、個体的自己が社会と関わる「<社会>的な個人」としての世界がある。具体的には、仕事・納税・消費・選挙行動等において自分はどう振舞うかという世界である。この領域に関わる国家を含めた集団構成の問題は、集団の基本単位である三人の集団構成から類推していくことが必要な世界である。◎第三に、個体的自己が一対の男女(性)として振舞う世界がある。また、その対幻想の共同性である「<家族>の一員としての個人」として振舞う世界がある。この対幻想において注意すべきことは、それは、習俗や制度(共同幻想)としての家族ではなく、個体の対幻想であるということである。何故ならば、人間は、個体的個人として、先ず以て自己意識の対自的意識・言語の自己表出(対自的となった人間的意識)と自己意識の対他的意識・言語の指示表出(対他的となった実践的意識)との構造としてある現実の意識の外化である言語表現における現実的人間との関係の意識によって、すなわち対他的となった実践的意識の外化(表現)を介して人間は自己を客体化し・他者とすることによって、他者の対象となり・社会的関係に入り・百人百様の享受の対象となり・交通の手段となり・「他の人々にとって存在する」ところの現実の意識の水準を獲得できるからである、またそのことによって「はじめて私自身にとっても実際に存在するところの現実の意識」(吉本『心とは何か 心的現象論』および『人生とは何か』弓立社)の水準を獲得する。ここで、個体的個人は、差異性を認識し自覚できる。これら人間存在の三様式は、次元が違うものであるから、前述したように、それぞれの世界における問題の究極的包括的永続的な解決の方法にも差異性があるのである。ここで対なる世界が、バルトの三角関係の問題の世界である。対関係(二人の関係が生み出す対意識)は、二人の関係(二人の関係が生み出す対意識)を本質としているから、三角関係になれば、不可避的に本質的な二人の関係へと収斂させていく軋轢が生じてくる。すなわち、外的関係は保たれていたとしても内的な関係(二人の関係が生み出す対意識)においては、誰か一人が、排除されていくことになる。おそらく、バルトの場合、その心は、キルシュバウムに傾いていたに違いなから、夫人ネリにとっては、非常にキツイ日常を強いられたに違いない。したがって、夫人ネリには、押し殺したそれであれ、人間である以上は、情念の問題、愛像の問題、嫉妬の問題が生じていたに違いない。また、バルト自身も、ネリとキルシュバウムとの三角関係の中で、内面の世界で、意識の中で、情念と意志の葛藤を演じていたに違いない(これは、バルトの内面の世界で演じられた情念の問題であって、バルト主義者でも反バルト主義者でもないバルト者の私にとっては、この問題で、バルトが一線を越えたとは考え難い)。私は、この体験の思想化が、『福音と律法』における、罪の本質は人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求(無神性・不信仰・真実の罪)にあるのであって、「余りに性急に、余りに熱心に、念頭に置いて来た」「性的リビドー」(「『死んでいる』罪の成果の一部」)にあるのではない、という言葉になってあらわれていると思う。すなわち、神学における思想においては、バルトは、自らの三角関係に、一応の決着をつけたのだと思う。
1930年、バルトは、『聖霊とキリスト教生活』を出版した。
さて、1920年代末の状況――1929年秋、空軍大尉ヘルマン・ゲーリンクが「大学の神聖な講堂で歓迎を受け、……二時間に及ぶ熱弁をふるった」。バルトが「神学者として所属していた」「ドイツ福音主義教会」は、人間の「尊大な自己意識」が管理するプログラムに基づいて「明瞭」に「反動〔ナショナリズム〕」へと「傾斜」していった。バルトは、『時の間に』誌の「グループの一員に数えられていた」、「自然神学」の「可能性を改めて考慮に入れようという」エミール・ブルンナーの「要求を拒絶した」。バルトの自省――バルトは、『キリスト教教義学試論』の「周知の誤った出発」を自省すると共に、『教会と文化』や『教義学序説』にも「正当な自然神学」の痕跡・名残りがあることを自省した。すなわち、バルトは、まだなお、自分自身にもあった自然神学の痕跡・名残りを認識し・自覚し・自省して、それを完全に払拭すべく歩みを前に進めた。この自覚と自省の下に、バルトは、神と人間との無限の質的差異の原理を固守するという<方式>に加えて、現実と時代とに強いられて、◎神の側の真実としてあるギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」の主格的属格理解、すなわち内的・内在的な三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方(「啓示に実在」そのもの、和解、起源的な第一の形態の神の言葉)であるこのイエス・キリストによる「律法の成就」・完了、このイエス・キリストにある「神の義、神の子の義、神自身の義」、それ故にイエス・キリストにおける成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和の概念は、この救済概念に包括されている)(『福音と律法』)――この事柄は、『カール・バルト教会教義学 和解論T/1』「和解論の対象と問題」のイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」、「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」、「広い共同体」に向かっての運動において、そのあるがままの不信、非キリスト者、非知、個体的自己としての全人間・全世界・全人類に対して「完全に開かれている」という思惟と語りと行動に繋がっていったと言うことができる。したがって、「平和に関するバルトの書簡」(寺園喜基訳)のイエス・キリストにおける「救済」概念(平和の概念は、この救済概念に包括されているそれである)は、「この世の神との和解」、「人間相互間の和解を直接その内に包含している和解」である。「神ご自身によって、イエス・キリストの歴史において、その生涯と死においてすでに完成(≪成就・完了≫)され、死人からの復活においてすでに啓示されているような、和解」である。したがって、われわれ人間によって初めて「完成(≪成就・完了≫)されねばならないような和解」ではなくて、神の側の真実としてある「神ご自身によって確立された和解」である。したがってまた、「イエス・キリストにおいては神と人間が、しかしまた人間とその隣人が平和的」なのであり、「敵としてではなく、忠実な同伴者、仲間として、共にある」のである。このような訳で、イエス・キリストにおいて平和は、神の側の真実としてある「神ご自身が世界史のまっただ中に創造し見えるものとして下さった現実性」(客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」)である。したがって、「この贈り物はただ、われわれがこれを受けとることを待っている」。したがってまた、われわれが「この事実に向かって、眼と耳を閉ざして生きているということが、悲惨」なのである。したがってまた、そうした中で、われわれは「平和は戦争より善いものであるということを」繰り返し「断言せねば」ならないが、「それらのことは究極的に何の助けをももたらさない」ことは「明白」であるという思惟と語りと行動に繋がっていったと言うことができる。何故ならば、観念の共同性を本質とする国家を無化することができない限りは、世界は、今後も、経済の世界性と一部国家支配上層の意思によって動員できる巨大で強力な国軍をもって自国の利害とその優位性を第一義・価値とする民族国家の一国性を単位として動いているし動き続けていくだろうからである。したがって、バルトは、平和に関しても「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会の神学」者やそれに類する牧師や教会の指導層とは違って、ナチス国家よりもあくまでも<相対的>に評価できる自由および直接民主制と武装永世中立の「スイスをナチズムからまもるために私は軍隊に参加」し、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」、「規準はただ方向を与えることしかできない。(中略)ある特定の瞬間になした決断はおそらく、もっとも重要なキリスト教の教義(≪第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の教義≫)よりもっと重要であるかもしれない」という思惟と語りと行動もとるのである(『バルトとの対話』)。大学社会の人間学は、それが経済学や政治学等々であっても、人類史の尖端性にある西欧近代の段階における資本主義社会――自由主義国家という枠組みの中でしか思惟し語ろうとしないから、場当たり的なものとならざるを得ないのである。安保理で拒否権を持つ五大国主義の国連もそうである。したがって、対立性の極限に想定されるのは党派的多元主義であり、党派的多元主義的調停論である。したがって、過渡的課題に対する解決においても混迷は必然であり、ましてや究極的課題に対する解決に至ることは全くあり得ないということは自明なことである。したがって、前述したことを含めて、次のような現実と時代とに強いられた思想的な思惟と語りが必要となるのである――吉本隆明が『思想の基準をめぐって』で述べているように、「対立する双方に真理があるというような俗説が、世界史的に流布され、流通している中で、自らの立場において、両者を包括し止揚しなければならないということが思想的な問題」であるから、前述したバルトが『教会教義学 神の言葉』で述べているように、われわれは、具体的には聖書的啓示証言に信頼し固執し固着し連帯するという仕方で、神の側の真実としてある、それ故に客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」としてあるイエス・キリストにおける啓示・和解、イエス・キリストにおいて成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的永遠的な救済(平和)――この「一つの事柄に仕えなければならない」のであって、それ故に「ひとつの党派(≪学派、教派、思想傾向、文明的文化的傾向、人間学的な哲学原理・認識論・世界観、社会的政治的な言説や運動等≫)に仕えなければならないことはない」のであって、それ故にまたあの「一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない」のである。また、吉本が、『マルクス――読みかえの方法』で述べているように、経済社会構成を資本主義に置く西欧近代を超え出て次の段階に超出することができるためには、世界普遍性として存在していた人類史の原型・母型であるアフリカ的段階(日本で言えば、原日本、原日本人、縄文的段階)における種々の贈与制の歴史的批判的な調査・解明に基づくその再構成にある。すなわち、民族国家の枠組みを超え出た世界的規模での技術的・産業的・経済的な地域特性化に基づく贈与制の構成、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論の構成にあるのである。また◎聖書の主題である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>からして、「聖霊は、人間精神と同一ではない」・聖霊によって更新された理性も、聖霊と同一ではない(『教義学要綱』)、自由・主権は「神ご自身においてのみ実在であり真理」である(『教会教義学 神の言葉』)等々という規定を為していく。また◎『時の間に』誌の「屋台骨がきしみ始めていた」1930年代への移行期において、「すでに弁証法神学の代表者たちのグループ内には、根本にまで達する対決と分裂が現われてきた」ということを認識し自覚した。
バルトは、自省的に「当時私が根本的に間違っていたのは、すでに台頭し始めていた(≪現実的な社会をではなく、観念の共同性を本質とする国家を第一義・価値とする≫)国家社会主義が、その理念や方法、その指導者の人物たちは私には当初から不条理なものに思われていたにもかかわらず、やがて危険なものになるとは見抜けなかったことである」と述べている。
1948年、バルトは、次のように書いた――「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇(<近代以降の、人間の側からする神と人間との「混淆」論、神と人間との「共働」・「協働」論、「神人協力説」等総括的に言えば自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教>)」が『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」、と(『バルト神学入門』)。まだあるのだ――第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」・「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した・「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」、と(『バルト自伝』)。