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断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明(本論――「史観の拡張 アフリカ的段階」論 その3)

断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明(本論――「史観の拡張 アフリカ的段階」論 その3)

 

――吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』春秋社等々に基づく――
(註:『アフリカ的段階について 史観の拡張』からの引用には頁も記した)

 

 吉本の書物に依拠して言えば、アフリカ的なもの、アフリカ的段階概念は、次のように言うことができる。
1)全自然物(例えば「鳥や獣や岩や樹木や河川」の中に神(霊)が宿るとして、考える・感じる・行動する、段階である。「いつでもじぶんの意識が全自然物に入り込んで、じぶんの存在でありうる」意識の段階のことである。したがって、「鳥や獣や岩や樹木や河川」等それら自然物は、「人(神)に擬して表現」される。このように、「全自然物を擬人化」することは、「人(ヒト)が擬似的に自然物化」するところで存在していることを意味している(56・57頁)。したがって、「草木・……・山河・大地・大海皆是れ……仏なり」・「山川草木悉皆仏性」・草木国土悉皆仏性・「草木国土悉皆成仏」を説いた天台本覚論(大久保良峻『天台教学と本覚思想』法藏館)は、プレ・アジア的(アフリカ的)段階を前提としない限り成り立つことはできないと言える。
 日本神話の『古事記』・『日本書紀』における全自然物を神としている「初期の自然認識」は、アフリカ的段階と同じ質のものである。例示――@『日本書紀』の一書のイザナギノミコトと女神イザナミノミコトの国生みにおいて、両者が協力して大八洲国を生み、イザナギノミコトが朝霧を「呼気」で吹き払うと、シナトベノミコトという「風の神」が生まれた、また「飢えたとき」に生まれるのはウカノミタマノミコトという「稲の神」である、そしてまた海として生まれた神はワタツミノミコト、山の神はヤマツミ、「水門(港)」・海峡の神はハヤアキツヒノミコト、「樹木」・木の神はククノチ、「大地」・土の神はハニヤスノカミである(57・58頁)。また、A『古事記』の黄泉の国で、イザナギノミコトがイザナミノミコトに会いたいと思い黄泉の国に出かけるのだが、イザナミノミコトの身体には蛆がわき「八の雷神」がいたのをのぞき見て逃げ帰る時、黄泉と現世の境目のヒラ坂(「黄泉比良坂」ヨモツヒラサカ)で、イザナミノミコトは、桃の実三つを取って黄泉の軍勢に投げつけて退かせた。そこで、イザナギノミコトは、桃の樹に「この国の人々がわざわいにあったときは、今日のように人々を助けてもらいたい」と告げる。ここでは、イザナギノミコトと桃の実(樹)の間には「呪的な交感が成り立」っている。すなわち、このイザナギノミコトの振る舞い方においては、桃の実(樹)には「神が生きて宿っているという認識」と「樹木jが自分とおなじ次元で交感できるという認識」が成立している(58頁)――「そこでイザナキノ命が、その桃の実に仰せられるには、『お前が私を助けたように、葦原の中国(なかつくに)に生きているあらゆる現世の人々が、つらい目に逢って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ』と仰せられて、桃の実にオホカムヅミノ命という神名を与えられた」(次田真幸『古事記(上)』講談社)。B『古事記』「国生み」において、イザナギノミコトとイザナミノミコトが「天つ神の命令によって」(前掲書)天の柱をめぐって島々を生み出すのだが、淡路島は「ホのサワケの神」(「淡路之穂之狭別島」、ここで「ホ」と「サ」は稲穂に関係がある――同書)であり、伊予の二名島・フタナノシマ(四国)は身体は一つで顔は四つある神で、伊予の国は愛比売・エヒメ、讃岐の国は飯依比古・イイヨリヒコ、安房(阿波)の国は大宜都比売・オオゲツヒメ(ここで、「ケ」は穀物・食物の意である――同書)、土佐の国は建依別・タケヨリワケという人名(神名)を持つ人(ヒト)でもある。これらのことは、「土地や地勢がそのまま人(ヒト)また神であるという認識」の在り方を示している。また、速秋津日子・ハヤアキツヒコと速秋津比売・ハヤアキツヒメの二神が生んだ海の泡は沫那芸神・アワナギノ神、沫那美神・アワナミノ神であり、風の神は志那都比古の神・シナツヒコノ神であり、樹木・木の神は久久能智の神・ククノチノ神であり、山の神は大山津見の神・オオヤマツミノ神であり、野の神は鹿屋野比売・カヤノヒメノ神である、というように「個々の自然現象ももた人と同じようにみなされている」。これらの認識も、人類史において世界普遍的に存在していた、「自然と人間とがおなじレベルで区別できずに融合しているプレ・アジア的」な段階における認識の在り方を示している(59頁)。
 「神武紀」以降の記述では、人里の住民は、山をご神体として山頂の大きく堅固な石を祭り、河川も「その源流に坐す神」として祭り、樹木も神格化して神社とし、自然現象も雷(いかづち)、科戸(しなど=風)の神などとして村里の周辺や要所に分離し祭りというようにして、人里で神社信仰が形成されていった。この最初の「自然物の宗教化」、「自然」と「人里の住民」との分離の意識からアジア的な段階における宗教がはじまった。また、王権による小規模な灌漑用水の整備と管理、平野の田畑の耕作など野(自然)の人工化(人間化・非有機的身体化)がはじまったとき、アジア的段階における農耕を中心とした経済的社会構成が成立した。このとき、「耕作地を王権から貸し与えられるという名目を獲得した農民層は、貢納いいかえれば農産物、漁獲物、織布などの形で租税を収めることになった」。そしてここに、生産様式論としてのアジア段階概念、すなわち土地の総括的な共同体所有と貢納制、土地の共同体的所有と分配方式を支配の核心においたアジア的専制の形態が成立することになった(60頁)。
 上述した事柄は、地域アフリカだけでなく、縄文期日本にも、北米インディアン等々にも世界普遍的に存在していた、ということが重要である。「樹木崇拝の名残り」が存在する地域西欧も、時間軸を辿れば人類史におけるアフリカ的段階・アジア的段階を経由している、ということが重要である――「モルガン自身が断っているように、実際の歴史も文明も、その社会の習俗や慣行のうちに、『野蛮の下層状態』の痕跡を持っているし、それに次ぐ時期の方法も払底してまったく無くなってしまったわけではない。意識的にしろ無意識的の習俗としてにしろ、すべての時期の特徴は、混じったまま残されている」。したがって、現在、「野蛮や未開と原始」を、文明史的観点からのみ外在的に把握して排除したり廃棄したり分類化してしまう場合、歴史哲学は成立しないから、「累積してきた人間の過去(≪人類史の母胎・母型・原型としてのアフリカ的段階にまで遡及して考察する対象としての過去≫)と、未経験な将来の歴史という概念」を架橋する必要がある。その時、はじめて、現在でも歴史哲学は成立できる――「モルガンのいう野蛮の下層状態というのは、現在の視点からは、人類が無機的な自然や植物や生物や動物を内在的に了解している精神の段階だとかんがえるべきなのだ。この視点を獲得することができて、はじめて未来を歴史の概念のなかに包括することができる」・「現在では人類の過去の野蛮や未開や原始を人類の原型のあらゆる内在的な根拠を包括しているアフリカ的な段階とみなすことによってしか、未来を方向づける歴史という概念は成り立たないと思える」(61−74頁)。
2)「人間の肉体も他の生物体と同じように<知覚する自然物>だとするナチュリズム」においてではなく、人間が自分を「最高の存在」とみなすとすれば、「人間の想像力のはじめの形」としての非感覚的(不可視)な「精霊、霊魂、守護神、悪鬼、物の怪」(「霊魂崇拝」)を生み出す、と同時に、そのことはまたそれらを可視的(感覚的)にとらえたいという「願望や錯覚や思い込み」(「物象崇拝」)も生じさせる。そして、この両者を「接続する原点」は、「じぶんの先祖をさかのぼることで、ひとりでに人間が神に変身するという概念と、先祖としてトーテム動物や植物や生物を設定する概念とが一致する」点にある(79頁)――海神・ワダツミノカミの女・ムスメ豊玉毘売命・トヨタマヒメノミコトが子を産む時、「本つ国の形を以ちて産む」(「本来の身体」となって産む」)から見ないで欲しいという願いを破って、火遠理命・ホヲリノミコトがのぞいて見てしまうと、八尋鰐(やひろわに)の姿に化身して出産した(次田真幸『古事記(上)』「火遠理命」)。この八尋鰐は、「トヨタマヒメの出自のトーテムを暗示している」。このトーテム原理の崩壊過程は、次のような記述に見ることができる。すなわち、火の神を生んで陰部をこがして黄泉の国へ行ったイザナミノミコトを現世に連れ戻そうとしたイザナギノミコトが、黄泉の国の神と相談するから自分の姿を見ないで欲しいと願ったイザナミノミコトの姿をのぞき見た時、その身体には蛆がたかり八の雷神が生じていた、という記述に見ることができるが、このことは、「霊魂が身体をはなれ、身体は人間の形を失いつつある描写に当たっている」。いずれにせよ、このような記述は、人類史におけるプレ・アジア的な段階にあるものである。「日本神話の基本の形」として、人間は誰であれ、死ぬと、「命(ミコト)」という「神称」を付けられる。「死者でないばあいも、じぶんから数えて四代以上まえ、父(母)、祖父(祖母)、曽祖父、高祖父……異常は、手がかり神だとされるという伝承もある。こんなふうに人間は四代以上になると神に移行し、先祖の尊崇、トーテムの尊重にゆきつく。トーテムが失われた世界では、自然の現象を左右できるほどの霊魂の普遍化、強大化、超能力化にゆきつく」(80頁)。
3)「(『梅棹忠夫著作集』第8巻「アフリカ研究」中央公論社によれば、)@「ミガボ(精霊)」は、どこにでもいて、石や木にも宿っている。この「石や木とじぶんたちを生きものとして区別」しない考え方は、人類史のアフリカ的段階において世界普遍的にある考え方である。A(前掲書によれば、)「悪魔をごまかすためのまじない」として、わざと「やせっぽち」という「つまらない名をつける」。日本においても近代になってからも、「醜男・しこお」や「醜女・しこめ」等の卑称を使って幸運を招き寄せるという慣習があった。B(同書によれば、)女房が病死し、自分も病気で死にかけた場合、誰かが呪いの呪術をかけているとして、呪術師に「反対呪術」をかけてもらい呪いをといてもらう。日本においても、江戸末期まで「丑三ツ参りの呪術が信じられ」、藁人形による呪いが行われていた。これは、「宗教にならない前の信じ込みとして」アフリカ的段階の「風習とおなじ位相に属している」。C(同書によれば、)人類学にいう狩猟採取民のハッツァの女たちは、「採集」せずに、「カボコの森のチンパンジーとおなじ」ように、「実のなっている木」の実を採って口に入れる。「かれらには、たくわえということがない」。このアフリカ的段階の在り方に対して、備蓄の認識と行為には、「(お前は実をつけよ)というまじないをかけても、木」が呼応しないという体験の反復を必要とする。すなわち、木に対して、「異類であるという分離した感覚」の萌芽を必要とする。D(同書によれば、)牧畜部族においては、人間と牛とを同じ生きものとみなして、「人間の子どもに名をつけるように、すべてのウシに、名まえを付けている」。このアフリカ的段階の在り方においては、「かれらには牛が子どものように刷り込まれているし、牛の一頭一頭には牧畜部族の飼い主が母親のように刷り込まれている」。ここで、名前は、「人間から土地の地形にいたるまで、かれらのいう精霊の棲家であることを認めることを意味している」。E(同書によれば、)「シャゲータ」は、「猛獣狩り」のことである。また「リリキタ」は、「武勇をしめすためにおこなわれるもの」であって、他部族に対する「慣習的殺人」の行為である(その「獲物」の「手首をきりとってもってかえり、それを、愛する娘のまえにおいた」)。この人間狩りは、人間と猛獣との「同位性」を意味している。また、この人間狩りは、「古典的な戦争の原型」も意味している。例えば、このアフリカ大陸の習俗は、「日本の中世武家層の起源の問題」とも通底している。すなわち、「東国の武家層」は、「ひとつは牧童」が、「もうひとつは山の狩猟民」が出自だと言えるのだが、そのアフリカ大陸の習俗から、「弓矢や短槍を使い慣れた種族がエゾとよばれたり、マタギと称されたりして、統領のもとに武家層を形成していった有り様」を類推することができる。F(同書によれば、)「人間の固有名詞をしらべると、ほとんどの名が男はgida-がつき、女はuda-がつくことがおおい。動植物の場合も、uda-と関係があるのかもしれない」。これに対して日本の神話的発想によれば、「男の固有名詞にはhiko-がつき女の固有名詞にはhime-が接尾する」が、その古形はそれらが「接頭語としてつくばあいの方」である。また、「Ame-とかtake-とかはそのものが所属する種族を標識する考えられ」、「imo-(妹)」を接頭語としている場合は、「巫女的な役割をはたしている姉妹とみなされる」。そしてまた、動植物やその他の生物の「呼び名が知名になるとともに地形の名が地名になるということ」は、人類史における原型としての「アフリカ的段階に共通している」。例えば、「『さねさし』は相模につく枕詞であり、アイヌ語の地名によくある『たねさし』と同じで『突き出た細長い土地』という意味」である 。この自然の地勢の名称である「突き出た細長い土地」を経て、その場所の固有名詞であるアイヌ語の地名「たねさし」へと固定化されていく過程に、「形態認識」の起源と系列を見出すことができる。「相模は半島のように突き出た場所」であるが、「先住していた人たちは、そういう地形を『さねさし』あるいは『たねさし』と呼んでいた」(吉本隆明『詩人・評論家・作家のための言語論』メタローグ、『ハイ・イメージ論T』「形態論」筑摩書房、次田真幸『古事記(中)』「景行天皇 五倭建命・ヤマトタケルノミコトの東国征討」)――「アフリカ的な段階で共通にしめされていることからは、感覚、特に視覚的な形態に意味を結びつけることから名づけが発生するようにみえる。いいかえれば形態を意味として感覚することができるようになった」ことが、その発生の根拠である。何らかの理由で目立った人物や王族の場合、仇名がつけられて呼ばれる。例えば――日本列島のどの地域・地勢・自然風土なのか場所が特定できない記述や、世代的継承・親子関係や兄弟姉妹関係と関わりのない無時間的な「ひとり神」の概念の記述がある。伝説の初代天皇の神武天皇・「カムヤマト(≪接頭の出生地の美称≫)いわれひこ」は、「地名を名前とする日本列島に特徴的な呼称」である。しかし、その祖先神でありその「仇名」である「ヒコ(≪「男神につける接頭語」≫)・なぎさ・たけ(≪「種族名」≫)・うがやふきあえず(≪「出産にまつわる仇名」≫)・の・みこと(≪「死去した人・神に贈られる接尾語」≫)」(「波うち際に建てた産屋の屋根を葺くのが間にあわないうちに生まれた」)は、「日本語の人名とは思われない名称を持った」その場所を特定できないものである。このように、人類は、農耕社会の段階において「男・女神」を要請したが、自然生を主とした狩猟採取のアフリカ的段階においては、「無〈性〉神」としての「独神」という観念しかなかった。このようなことは、未明の社会の有力な人物の場合には、世界普遍的にあり得た(1−4頁)。したがって、吉本は、「アフリカの風習で、わたしたち日本人にとって実感に近いところで理解できないものはほとんどないといっていい」、と述べるのである(81−96頁)。
4)「(ジャフリー・パリンダー『アフリカ神話』松田幸雄訳、青土社によれば、)アフリカ人は、「暑い」ということを表現する場合、「『神様は猛烈に暑い』と言い、『神様は雨となって落ちる』、『神様は雷の太鼓を鳴らしている』と言う。(中略)虹はしばしば『神の弓』と呼ばれるが、神は狩人に似ている」。現在の「識知」によれば、ここで神と呼ばれているものは、「自然」と言い換えることができる。したがって、ここで神と呼ばれているものは、自然の擬人化されたものであるから、「その擬人化の度合」は、その原住の人間の自然生の「度合と見あっている」。したがってまた、この人間学的「識知」から言えば、吉本の言うように「ユダヤ教の旧約世界でも、オリエント一帯でも、極東でも神認識のアフリカ的な段階は共通なものだといえる」と言うことができる(96・97頁)。
5)吉本は、人間の起源の神話について、それらは「みなひとつのことを語っている」として、次のように述べている――その神話は、最初の男と女たち(兄妹と言う場合もある)は「生殖、性交の方法を知らない」から、「鳥や虫類や動物からヒントを得たり、風によって孕んだりして性交のことを知るようになり、それから子孫を殖やし、種族の始祖となる」という位相のものである。「日本列島の神話や説話でも、セキレイの性交をみて模倣して子孫を殖やした」というものがある。始祖の人間であれ、ほんとうは「性交の方法を知っていた」。しかし、「性交と愛情から出産までのあいだに十ケ月余りの距りがある」生理的理由のために、また「輪廻転生の神話的な確信が祖先崇拝と強力に結びついていた」ために、アフリカ的段階においては、「子どもが生まれるのが性交行為の結果だという認識に達しなかった」。このように、最初の始祖も本能的な自然行為としての「性交行為を知っていた」が、「子を生む方法としては知らなかった」。したがって、性交行為と妊娠、出産との必然的な関わりを知らない段階においては、「子は村落の死んだ祖先の霊がやってきて村落の女性の胎内に入るという別の事柄」、すなわち「共通説話」における事柄であった。このアフリカ的段階における、性交が妊娠と関係しているにもかかわらず、「性交の方法を知らない」というように記述している神話は、人間の起源を「動物生」と差異化したい「最初のモチーフ」、すなわち「動物生の否定のモチーフ」と言うこともできる。その否定のモチーフは、「物語をつくる原動力であり、ありうべからざることに合理性を与えうる能力の起源」ということができる。言い換えれば、それは、人類史におけるアフリカ的段階の基底にある、人間の側からする、「矛盾した類」への欲求表現、動物との「否定の同一性」、「差異の同一性」の欲求表現である(97−106頁)。