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断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明(本論――「史観の拡張 アフリカ的段階」論 その2)

断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明(本論――「史観の拡張 アフリカ的段階」論 その2)
――吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』春秋社等々に基づく――
(註:『アフリカ的段階について 史観の拡張』からの引用には頁も記した)

 

 現在から未来に通用する、吉本隆明のトータルな歴史認識の方法は、次に引用する言葉に尽きると言っていい。

 

  現在でいえば、……アジア的ということを言う場合、……自分が現在いる社会的な場所を段階論的に自分で規定して、その規定に対して、前規定となるものと未来規定になるものの二つを問題にすればいい……。(『吉本隆明が語る戦後55年 7』)

 

 ここにおいて、吉本にとって、「アジア的」段階とは、権力が経済的基礎を農耕と労働地代を包括した生産物地代における「貢納制」を基本としていた段階のことであり、「自分が現在いる社会的な場所」の「段階」とは、人類史における超西欧的段階(消費資本主義的段階)のことであり、「アジア的という……場合」の「前規定」・前段階は、プレ・アジア的段階(人類史の母胎・母型・原型としてのアフリカ的段階)のことであり、現在に立脚してこのアフリカ的段階にまで遡及し考察をするということは未来を考えることであり、そしてここで「未来規定」・超西欧的段階の次段階とは、現在を包括し止揚していくことであり――すなわち、それは、還相的な究極的永続的課題としては、資本制的生産様式(等価交換価値論)とは異なる新たな生産様式(人類史の母型であるアフリカ的段階にまで遡及した歴史的批判的な調査・解明に基づく、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論)を構成していくことことであり、往相的な過渡的緊急的課題としては、現在の資本制的な作品や商品を超えた新たなそれらを創造していくということである。この吉本の歴史認識の方法は、丁度、人間に「不幸な結果をもたらす積極的なメカニズムとはどんなものか」を把握することを主眼としたミシェル・フーコーが、「搾取を告発するかわりに、生産を分析した」マルクスの読み替えであるように、<史観の拡張>に基づくマルクスの方法の読み替えである――すなわち、「ロシアは、近代の歴史的環境の中に存在し、より高い文化と時を同じくしており、資本主義的生産の支配している世界の市場と結合している。そこで、この生産様式の肯定的成果をわがものにすることによって、ロシアは、その農村共同体のいまなお前古代的(≪人類史のアジア的段階≫)である形態(≪相互扶助的なその考え方の様式・感じ方の様式・行動の様式≫)を破壊しないで、それを発展させ変形することができる」(『資本主義的生産に先行する諸形態』)の読み替えである。
 吉本は、アフリカ的段階の設定のモチーフを、次のように述べている――人類史における未明の社会に世界普遍的にある「風習や生活を現在も保存させながら、同時に西欧やアメリカの近代文明の洗礼をうけて高度な文明社を実現した諸都市を現存させている『アフリカ』大陸を典型として撰べば、世界のどの地域にもあてはまる普遍性をもった」アフリカ的「段階」という概念を取り出すことができる。したがって、このアフリカ的段階の設定のモチーフは、人類史の母胎にまで遡及する史観の拡張において、「人類史のいちばん多様な可能性」を有するその概念を、世界普遍性を有する人類史の母胎・母型・原型・基礎的段階概念として再構成しようとする点にある。なぜならば、「十九世紀の西欧資本主義の興隆期」の西欧近代社会を人類史の頂点として考えられたルソーやヘーゲルやマルクスの近代主義的な歴史観においては、人類史の母胎(始原)としてのアフリカ的段階も、また超西欧的段階(消費資本主義的段階)の未来(現在を包括し止揚した次段階の構成の課題)もその視野に入ってこないからである、すなわち両者を構造化できないからである(3・4頁)。言い換えれば、そのモチーフは、「プレ・アジア的な世界としてのアフリカを、時間と空間を同時に共有する段階という概念にまで煮つめると、アフリカ的段階にどんな特性があるのか、またどれだけ(≪それは世界的≫)普遍性をもちうるのか」ということの解明にある(16頁)。なぜならば、「ナショナルなもの、日本的なもの(中略)とインターナショナルなものを対立概念と考えて、インターナショナルなものは普遍的なもので、世界的なものだと考える考え方は……疑わしい」わけで、「ナショナルなものと対立するのは普遍的なもの」だからである((『吉本隆明が語る戦後55年 7』)。「時間(≪人類史的≫)と空間(≪地域的≫)を同時に共有する段階という概念」、「連続性と断続性」の構造としての段階概念(23頁)とは、例えば地域アジアにおけるアジア的段階概念は、地域アフリカにおけるプレ・アジア的(アフリカ的)段階概念を包括し止揚した概念のことである。したがって、地域西欧における西欧的(生産資本主義的)段階概念は、そのアジア的段階概念を包括し止揚した段階概念のことである。したがってまた、超西欧的(消費資本主義的)段階概念は、その西欧的段階概念を包括し止揚した段階概念のことである。そして、この段階概念に依拠して言えば、空間(≪地域的≫)概念は時間(≪歴史的≫)概念に指向変容できる概念であるから、西欧であれ、人類史におけるアフリカ的段階とアジア的段階を経由し・包括し止揚した段階である、ということができる。この時、フレイザーの言う文明の尖端にあった西欧にも残る「樹木崇拝の名残り」を説明することが可能となる(『金枝篇』)。また、外部の観点を持たない臨済禅の僧が、アジア的日本的な禅思想の直接的な言葉で、「からだと心とが一つになるという体験、自分とそとの世界とが一つになるという体験、それは世界的に普遍なものですね。禅が国際性を持ち世界性を持つということは、その点からも十分わかるわけですね」(『フーコーと禅』)と語った時、その語り方は、ほんとうはただ、「精神と自然との直接的な統一の段階」(ヘーゲル『哲学史序論――哲学と哲学史』)が世界普遍性を持ち得た、すなわち自然を原理としていた人類史のアジア的段階においてのみ可能なことなのである。また、先述した「断章としてのアジア的なもの――序論1」の3)・4)・5)も、この人類史における段階概念に基づいている。したがって、この段階概念に基づいて言えば、自然に対する最大限の利益の享受と感謝の念が浸透し・人と樹木や動物との情念の交流ができ・山川草木に霊(神)が宿ると考える内在の精神は、世界史のアフリカ的段階においては世界普遍性として成立していた、ということができる。したがってまた、この内在の精神は、地域黒人アフリカにおいてだけでなく、縄文期にも、アイヌにも、白人進出以前の二万年前から先住する征服併合された被支配民である北米インディアンにも、オーストラリア先住民のアボリジニにも、世界普遍的に存在していた、ということができる。
 さて、吉本は、人類史の、アフリカ的(プレ・アジア的)段階における「総体的専制」とアジア的段階における「アジア的専制」の差異について、次のように述べている。
1)アフリカ的(プレ・アジア的)段階:「総体的専制」・絶対的専制としての王権・狩猟採取を基本とする・贈与制(22・24・26・27頁)
 土地、財産、奴隷(臣下)の命、生産物等の全所有は、ひとりの専制的な王に属し・その王が掌握していた――「王は呪的な利益、制度に必要な整備、鉄器、土器その他の道具の製造などを普及させるかわりに、臣下から生産物、収穫物、労働などを自在に召しあげることができた」。このことは、逆に、王の全所有の喪失が、他動的に惹き起こされることを意味していた。すなわち、疫病等の凶事が村を襲ったり、失政をしたり、天変地異が長期に渡った場合は、王の無能や瑕疵と見做されて、王は罷免(権力崩壊)されたり殺害されたり、災禍を鎮めるための生贄とされた。したがって、例えば孟子の「民本主義」と「易姓革命」論(『中国思想を考える 未来を開く伝統』)は、民主主義の萌芽ではなく、人類史のプレ・アジア的段階(アフリカ的段階)における絶対的専制の遺制・心性・認識構造に依拠していたということができる。この絶対的専制は、「王(の一族)と隷属的な臣下しか存在しない」社会のイメージを喚起させる。そして、この権力の経済的基盤は、狩猟採取と贈与制を基本としていた。ここで、贈与制とは、その目的が「霊的な威力」の贈与にあったから、それは物を贈与することではあるが、「本当は物にくっ付いていると信じられている霊の威力」を与えることである。王でも、「地方の酋長でも」、そうした宗教的な霊威・霊力を贈与することで、その王や酋長は崇められ・政治的な権威を獲得していた――「自然石を山頂や山腹や山麓に配置するだけの磐座(いわくら)でさえも、宗教的なものであった。縄文期の石器、石具のたぐいも、宗教性と道具性のあいだで、自然と人間の両方から合作されたといえばいえる」・「わたしには、人間の歴史の初めに<石>の時代(石器時代)があり、そのとき人間は<石>の宗教性と道具性を、未分化なまま識知して自然から類別した、とおもわれる」・精神の外在史としての文明史から視れば、石は道具性の表れに過ぎないとしても、精神の内在史の観点を導入すれば、「<石>そのものに宗教性と道具性をみた、人類史の始原につきあたる」(『<信>の構造・吉本隆明全仏教論集成』「<石>の宗教性と道具性」)。また、住民は、全自然(植物・動物・無機物)の意識が自分の意識と区別されていないために、倫理的意識を持たず、自然にまみれて生存していた。したがって、自然物はみな擬人としての神であるし、自己意識はすべての自然物にもあるから情念の交流は可能であり・人間は自然に対して魔術を掛けることができるとされた。文明史的な外在の精神の頂点にあった西洋近代の観点からヘーゲルは、「野蛮や未開」としてのアフリカ的世界を、「残虐や残酷とむすびつけ」・「生命の重さや人間性を軽じている状態」としたが、「現在のわたしたちは(≪内在の精神史の観点からは≫)西欧近代と深く異質な仕方で自然物や人間を滲みとおりように理解し、自然もまた言葉を発する生き生きした存在として扱っている豊かな世界」、すなわち人類史の母胎・母型・「原型にゆきつく特性を象徴している、と考えることができる」。したがって、例えば倫理的意識を持たず、とは反倫理とは違う――なぜならば、人類史のアフリカ的段階の名残りを残していたアイヌ人は、善悪・道徳の観念、高度な宗教をもたないが、誠実、高貴、立派な生活を送っている。総体として「アイヌ人は純潔であり、他人に対して親切であり、正直で崇敬の念が厚く、老人に対して思いやりがある」からである(イザベラ・バード『日本奥地紀行』)。また、北米先住民のインディアンは、@収穫物の平等な分配をおこなっていた、A長老たちによる合議制による社会を構成し、国家形成を目指さず、部族共同体あるいは部族連合にとどまる平和な種族であった、B独立革命以前のイングランド系移民である「コロニスト」(植民者)や「セトラー」(定住者)は、インディアンや同国人の死体を食すくらいに飢餓や疫病の流行等の困難を極めた植民であったが、インディアンはそうした彼らに対して平和的で親切であった、からである(野村達郎『民族で読むアメリカ』)。

 

  (中略)たとえばアフリカの王様が自分の臣下の人民を好き勝手に殺したり、打ったりする……ことは、価値観や意味として考えると、野蛮で残忍で、まだヒューマニズムを知らなかった時代の人間の段階だからそんなことをやったんだという(≪他在であって自在である自由を原理とする西洋近代を人類史の進歩発展の頂点と考えた≫)ヘーゲル的な解釈が可能となります。(中略)日本でも……諏訪地方の神話時代からの伝承によりますと、そこの生き神様は多くの権限をもっていて、近隣の地域を支配していましたが、ある時期、今度は逆に民衆の方がその生き神様を殺してしまう。(≪すなわち≫)お祭りのときには大きな権限を与えているのですが、その期間が過ぎると、逆に今度は、民衆の方がその生き神様を殺すという風習があったといいます。(中略)(≪ヘーゲルのような西洋近代を頂点とする進歩史観に立脚せず、≫)認識の歴史として進化するという考えをとれば、≪この≫殺すという行為はその時の民衆にとっても王にとっても残忍という意味はまったくなくて、一つの共同体のもつ儀礼的なパターンとして理解した方が正当だということになってきます。残忍だと近代主義的に介することは必ずしも全体的な解釈にならない。一面的に解したに過ぎないと今だったら僕は言えるような気がします。(中略)たとえば語りで伝えられているような原始時代や神話時代の物語に価値がるかどうかを問うとします。……価値とか意味を……付け加えた上で、正しい判断はどこで決まるかといった場合に、(中略)われわれが今もっている観点から未開原始を見て、未開で駄目な作品だ、……意味がないと言ったら、それは……間違っていると思います。逆に、優れた価値をもっている、優れたイメージ喚起力をもっていると評価するのもまた間違いではないかと思います。今の時点からの視線と、その時代に自分が移行したと仮定した時に考えられる視線と、その二つを二重に行使しないと≪正しい≫判断はできないのではないでしょうか。(『吉本隆明が語る戦後55年 8』)

 

 したがって、ここで但し書きが必要であるが、進歩発展する自然史の一部である人類史の自然史的過程としては、すなわち文明史的観点からは、野蛮・未開・原始としてのアフリカ的段階におけるアフリカ的なものは、迷妄性から覚醒されていない状態として視る見方は正しい、ということができる(27頁)。言い換えれば、アフリカ的なものには、外在的な野蛮、未開、無倫理(反倫理ではない)の残虐性と、内在的な人間の母型の情念・豊饒に溢れた感性・情操の世界とが同在していた(54頁)。
2)アジア的段階:「アジア的専制」・相対的専制としての王権・経済社会構成体は農耕を基本とする・貢納制(24・26頁)
 専制君主共同体に対して住民は、物神すなわち「霊威(権威)」としての専制の「貢納」――物に付いている宗教的な霊威・霊力を与えられた住民がその専制の政治的権威を受容・貢納する――と、制度と生産物の占有すなわち賦役を包括し止揚した生産物の貢納(制)と、軍役(制)に服することで、土地の使用が認められた。それと引き換えに、専制共同体は、農耕を基本とした経済社会構成体のために灌漑工事や河川の整備や軍事的保護都市の構築を請け負った。ただ、一方で、先述したように、日本的特殊の問題もあった。また、全自然は、習俗として、宗教的な崇拝の対象となった――例えば、村の鎮守の神様。このアジア的な相対的専制においては、王権から宗教的権力を分離し、アジア的専制の経済的基礎を農耕と貢納制においた。すなわち、生産様式論としての土地の共同体所有と貢納制(分配方式)においた。そして政治形態論としては、支配共同体は農耕村落共同体を維持するための水利灌漑工事を担い、各村落共同体に対しては反抗しないかぎりは干渉をしなかった。また民衆は、支配共同体から住居や道具や庭畑地の所有が認められ、家族が分離されてきた。農耕村落共同体の内部構造としての共同体論としては、自らが所属する村落が世界のすべてであって、そこに閉じられていくが、相互扶助意識を育むとともに、共同体至上意識がいつも個体性を越えていく心性を生んだ。宗教の問題としては、アフリカ的段階とアジア的段階の差異は、アフリカ的段階では、宗教は自然に対する呪術的働きかけであるとともに、自然物を神格とみなすくらいに深い自然(動物、植物、無機物)との交感関係をもっていた。すなわち、自然も言葉を発し、人(ヒト)に語りかけたり、人(ヒト)の言葉を解したりできると信じられていた。アジア的段階になると自然物の宗教化がはじまるが、経済的社会構成は稲作農耕を主としており、人間と自然とがまだ完全には分離されていなかったから、全自然は習俗として宗教的な崇拝の対象となっていった(108頁)。
 吉本は、『日本書紀』のイザナギ・イザナミの国生みの神話について、次のように述べている――黄泉の国に出かけたイザナギがイザナミの身体から蛆虫のわいた腐敗した姿をのぞき見て逃げ帰るとき、黄泉と生の世界の境目のヒラ板で、桃の実を三つとってイザナミの軍勢に投げつけて却かせた。そのときイザナギは桃の樹に告げて、この国の人々がわざわいにあったときは、今日のように人々を助けてもらいたいと言葉をかけ、呪術的に交感を成り立たせる。この樹木に対するイザナギの振る舞いは、そこに神が生きて宿っているという認識と、樹木がじぶんとおなじ次元で交感できるという認識をもとにして成り立っている。これは、世界普遍性としてあったアフリカ的段階における宗教意識ということができる。しかし、「神武紀」以降の記述では、人里の住民は、山を神体として山頂の大きく堅固な石を祭り、河川も「その源流に坐す神」として祭り、樹木も神格化して神社として祭り、自然現象も雷(いかづち)、科戸(しなど=風)の神などとして村里の周辺や要所に分離し祭りというようにして、人里で神社信仰が形成されていった。この最初の自然物の宗教化、自然と人里の住民との分離の意識からアジア的な段階における宗教がはじまった。また、王権による河川や山の傾斜地における灌漑用水の整備と管理、平野の田畑の耕作など野(自然)の人工化(人間化・非有機的身体化)がはじまったとき、アジア的段階における農耕を中心とした経済的社会構成が成立した。このとき、「耕作地を王権から貸し与えられるという名目を獲得した農民層は、貢納いいかえれば農産物、漁獲物、織布などの形で租税を収めることになった」。そしてここに、生産様式論としてのアジア段階概念、すなわち土地の総括的な共同体所有と貢納制、土地の共同体的所有と分配方式を支配の核心においたアジア的専制の形態が成立することになった(57−60頁)。
 また、吉本は、アフリカ的段階における世界普遍性な内在の精神の内容について、次のように述べている――@アフリカ的段階における日本神話においては、「人間は死ぬと誰でも『命(ミコト)』という神称をつけられ」、「人間は四代以上になると神に移行し、先祖の崇拝、トーテムの尊重にゆきつく」(80頁)。A樹木がリズムの違いで言葉を発し、その言葉を人(ヒト)が感受し、その意味を人(ヒト)が解している状態が信じられている。この状態は、鋭敏な感覚とは少し違う。すなわち、植物(自然)と同じ次元で交感が開かれている状態である(47・48頁)。B現在では妄想感覚と言えるかもしれない、生、眠り、夢、死の連続した感覚体験はアフリカ的段階のものである(51頁)。C全自然物、樹木や河川に神が(霊が)宿っているという認識と、樹木が自分とおなじ次元で交感できるという認識がともに成り立つ在り方は、アフリカ的段階の自然まみれの意識の段階である(56−58頁)。D土地、地勢がそのまま人(ヒト)または神だという認識は、自然と人間とが区別されずに同じレベルで融合しているプレ・アジア的な認識である(59頁)。

 

  わたしたちは現在、内在の精神世界としての人類の母型を、どこまで深層へ掘り下げられるかを問われている。それが(≪人類史の母胎であるアフリカ的段階にまで遡及し考察することが≫)世界史の未来(≪超西欧の段階の現在を包括し止揚したところに想定される未来≫)を考察するのと同じ方法であり得るとき、はじめて歴史という概念が現在でも哲学として成り立ちうるといえる。(『アフリカ的段階 史観の拡張』)

 

 ここで、人類史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階をその母胎にまで遡及して考察するという場合、その段階を「野蛮、未開、無倫理、残虐」として把握する外在的な文明史的観点と、その段階を「情念が豊饒に溢れた感性や情操の世界」として把握する内在的な精神史的観点の二重の観点を必要とする(53・54頁)。
 さて、世界普遍性としてある人類史の母胎・母型・原型であるアフリカ的段階における贈与制について、吉本は次のように述べている。
1)「労働価値説をとるにせよ、とらないにせよ、その段階は既におわってしまっていて、価格と価値は無関係だということからスタ−トしなければ、現状の市民社会の在り方に対応できる国家の普遍像を見つけることはできない」。「等価交換により価値という概念が成立するという考え方」の次の段階に想定できる価値論は、「贈与価値」論である(『吉本隆明が語る戦後55年 4』)。
2)地球規模で都市化が進めば、農業生産物は不足する。その場合、宇宙食のようなものを開発するか、地球規模で高次産業国と農業担当国を割り振りしてその間で贈与経済を考えるほかはない。未開原始のアフリカ的段階においては、狩猟採取した余剰物を、連合する別の村落共同体と交換する「円環的な贈与経済」が存在した。贈与制にもいろいろな位相のものがあったが、もっとも古い贈与制は「循環贈与」である。それは、ある村落が「天皇制でいえば三種の神器」のようなもっとも大切な物を、連合する別の村落に譲ることである。そして、それがまた別の村落に贈与されるという形態である。経済的な格差によって貧困と餓死にあえぐ民衆をどのように現実的に救済できるかという課題を自らに課したとき、マルクス主義では世界同時革命という考えになるが、現在その考え方は成り立たない。したがって、高次な新しい贈与制を考えるほかにはない。それは例えば、この地域は農業・漁業等の食糧生産の第一次産業を担当し、この地域は衣服生産等の第二次産業を担当し、この地域は環境にやさしいクリーンな「水素エネルギー技術」・ハイテク開発等の第三次産業を担当し――脱化石燃料であり、二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーが「水素エネルギー」である(「朝日新聞」朝刊、「さらば浪費社会」、2005年3月13日)―― 、というように、相互にもっとも大切な特権的なものを贈与し合うことで高次な新しい贈与制を構成できる。すなわち、技術的・産業的・経済的な「格差を贈与で均等化する」以外に方法はない。その場合、国家を国民に最大限開いていくこと、そして贈与制で、領土という自然的制約を超えていくこと、民族国家の枠組みを超えていくこと、が必要となる(赤坂憲雄『東北学』「インタビュー吉本隆明――贈与の新しい形」)作品社)。アフリカ的段階において王と民衆の間にも存在していた贈与交換は、次のようなものである――王が民衆に食糧や物品を無償で与える代わりに、王は民衆を「奴隷として売り飛ばす」とか、民衆の生命を奪うとか自由自在であった。と同時に、民衆は、王に絶対服従であり、精神的に帰依した。つまり、王の所有する物資と民衆の有する無形物としての「精神的価値」(絶対的服従心・絶対的帰依心)とを交換した(吉本隆明『超戦争論 下巻』アスキー・コミュニケーションズ)。
3)巨大なビルの中に第1産業と第2次産業と第3次産業を包括した都市から高次な社会が出現してくる現在、人間の生存に必要な農業・漁業等の地域は貧困から逃れられないことになる。ここに、現在のアフリカと先進諸国、東京と地方の不均衡の課題の根拠がある。このとき、そうした不均衡を世界的規模で是正するためには、交換価値を主体とする経済思想・経済構成から、相互にもっとも大切なものを贈与しあう贈与価値を主体とする経済思想・経済構成が必要となる(講演「像としての都市」日本鋼管主催)。
4)日本や欧米の先進資本主義国は、歴史の必然として農業は限りなくゼロに近づいていく。そこに資本主義の終焉がある。と同時に経済学の公理として、「天然自然を相手」にする第一次産業はいつまでも貧困から脱出することはできない。したがって、先進資本主義国は「第三世界と、アジアのある一部」に「農産物担当地域」になってもらうほかはなくなる。このとき、農業ゼロの先進資本主義地域は、農業担当地域に対して物・貨幣・信用等を無償贈与するしかない。またこのとき、交換価値という概念は終焉し、「モースのいうような、未開の原始社会での贈与」とは異なる、「高度に意識された」新たな贈与価値論が必要となる。すなわち、それは、等価交換価値論を包括し止揚したところに想定される高次の贈与価値論である(吉本隆明『マルクス――読みかえの方法』深夜叢書社)。逆の場合も考えられる。「対外債務の返済がまったく不可能な国(地域)と、不可能とはいえぬまでも、とても困難にみえる国(地域)に対して」「高次産業国」は、「資金供給を、贈与または贈与に近い形で実施するほかにありえない」。この贈与の概念は、「一時的なものと永続的なもの」としてある。産業の高次化とさらなる文明化が進めば、「原始的な贈与」の概念は「高次な反復概念として蘇」えざるを得ない(吉本隆明『母型論』学習研究社)。
5)世界普遍的な共通性をもった「未明の社会の風習や生活を現在も保存しながら同時に、西欧やアメリカの近代文明の洗礼をうけて高度な文明社会を実現した諸都市をも現存させている『アフリカ』大陸を典型として択べば、世界のどの地域(≪南北アメリカの固有史にも、アイヌにも、『古事記』等≫)にもあてはまる普遍性をもった『段階』という概念を取り出すことができる」(145頁)。都市論としてのアフリカは、自然史的にはいつか森林や草原(都市論でいうアフリカ的段階)は農地(都市論でいうアジア的段階)に転換されてしまう。しかし、意識的に高次の贈与制を介在させた都市計画を立案し、第1次産業、第2次産業、第3次産業の適切な割り振りをした人工都市を造り得る可能性も有している。なぜならば、今なお「未明の社会の風習や生活」を保存させているアフリカは、同時に、文明史的な尖端である現在に世界同時的に現存しているから、そうした現在を包括し止揚していく課題と同時に、世界普遍的な人類史のアフリカ的段階にまで遡及し考察することで贈与制を高次な形で反復させ得るからである(講演「都市としての福岡」)。

 

 

(引用に関して不備がないようにしたつもりではあるが、不備等があればご容赦願いたい)