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断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明 (序論 3)

断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明 (序論 3)

 

 縄文とアイヌ研究を行い、縄文回帰論を基軸とした科学技術の許容論を展開する梅原猛は、「中国はやはり中国意識、中華思想を捨てて、アジアの一員として考える。(中略)日本もかっての大東亜共栄圏の思想を捨てて、やはり自分がたいへん迷惑をかけた過去の歴史を背負った、そういう戦後経済的に発展した国だという意識で臨めば、中国もそのようなことになってくる。(中略)アジアの思想をアジア人がよく考えて、それが今後、世界性を持つんだということをはっきり主張していかなくてはダメです」、と述べている(梅原猛・上田正昭『日本という国 歴史と人間の再発見』大和書房) 。このような地域アジアを基盤とした梅原の縄文論は、西欧(生産資本主義)的段階から超西欧(消費資本主義)的段階へと至った現在を包括し止揚するという現在論を持たないから、西欧とアジアの対立論、尖端と土俗の対立論の枠組から超出することはできない。また、その場合、アジアの一員である中国に対する日本的特殊性の問題もこぼれおちてしまう。確かに『金枝篇』のフレイザーも、西欧に残る「樹木崇拝」を人類史のプレ・アジア的段階に属するものとして把握せず、西欧世界の固有性として把握したとき、「樹木崇拝」を人類史の母胎・母型・原型にある問題として把握することに失敗した。ここに、西欧中心の立場に立ったフレイザーの限界があった。フレイザーの場合、彼の責任というよりも、人類学の時代水準の制約によっていたと言える。なぜならば、「人類学は人類そのものを対象とする科学として19世紀半ばに成立し、人類の文化的側面を対象とする民族学(文化人類学) は、20世紀の前半までは西欧中心主義の科学であった。つまり、西欧文化を民族学の研究対象から除外し、西欧における未開をも認識しようとする学問とはなり得ず、植民地主義的科学・学問として研究対象を非西欧文化に固定化した。しかし、20世紀後半にはいると、民族学の研究対象は、文化の異質性から等質性へ、民族から人類へと移行した」 からである(泉靖一『世界の名著71 マリノフスキー レヴィ・ストロース』中央公論)。したがって、トータルな世界認識・歴史認識の方法は、現在の日本に立脚しながら、自然史の一部である人類史の自然史的過程としてある文明史的現在を超える課題の考察と同時に、人類史を、そのアジア的段階からもっと過去へと遡って、世界普遍性としてあったその母胎・母型・原型である原始未開的・アフリカ的・縄文的段階にまで遡及し掘り下げていくていくところに成立するだろう。

 

  「たえず現在を止揚する」というのは現在論ですよね。(中略)いまの構造をはっきりつかまえられなければ、おおげさなことをいえば新しい資本論あるいは資本主義論ができなければ、未来の構図なんか出てくるはずがない、というのが「たえず現在を止揚する」というところで僕が自分でやっていることです。(吉本隆明『ハイ・エディプス論』言叢社)
  僕が「未来からの視線」とか「死からの視線」というのは、埴谷雄高とまるで違います。埴谷雄高が「永久革命論」で未来からの視座というばあいには、「未来の無階級社会からの視線」といっているわけですよ。未来の無階級社会のイメージから見てだめな現在というのはたえず止揚されなければいけないんだということです。僕はそんなことはちっともいわない。僕が「未来からの視線」「死からの視線」といっているのは、要するに資本主義の現在からどういう未来に行くんだというその水平線とか地平線からの視線だとおもいます。(中略)「資本主義の未来からの視線」ということです。それから死からの視線、「資本主義の死からの視線」です 。(前掲書)
  ハイ・イメージ論は追いかけている。なにを? それはいうまでもなく未知な現在を、だ。(中略)わたしの理解の仕方では、もう現在の未知を既知にしてくれる方法も、そんな認識者もどこにもいなくなった。(中略)加速しては遠ざかってはまた背後からうち寄せてくる現在(中略)が既知だとおもっていたり、おもったりした瞬間からかれの認識は死にはじめる 。(同書)

 

 これらの引用は、吉本のさまざまな発言に即して言えば、次のことを意味しているだろう――例示的に言えば、先ず以て、往相的な過渡的相対的緊急的課題としては、「西武」や「電通」や「自民党の手先」であっても、優れたCM作家の優れたCMは評価すべきであるから、創造的な批判は、それを包括し止揚してそれを超えた作品を創造する以外にはない、ということを意味している。そしてそれだけではなく、それと同時に、還相的な究極的総体的永続的課題としては、根本的に資本主義を包括し止揚するためには、資本主義的生産様式(交換価値論)とは異なる新たな生産様式(新たな価値論)を構成しなければ不可能であるが、その可能性は、世界普遍性としてある人類史の母胎・母型・原型である原始未開的・アフリカ的・縄文的段階における種々の贈与制の歴史的批判的な調査・解明に基づくその再構成にある、すなわち、民族国家の枠組みを超え出た世界的規模での技術的・産業的・経済的な地域特性化に基づく贈与制の構成、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論の構成にある、ということを意味している。それができれば、経済社会構成体を資本制におく西洋近代を超え出て、次の段階に超出することができる。この吉本の史観の拡張論は、マルクスの資本主義的「生産様式の肯定的成果をわがものにすること(≪資本主義を包括し止揚すること≫)によって、ロシアは、その農村共同体のいまなお前古代的(≪人類史のアジア的段階≫)である(≪相互扶助意識等≫)形態を破壊しないで、それを発展させ変形することができる」(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』)というその考察対象を、人類史の原始未開的・アフリカ的・縄文的段階にまで遡及し拡張していこうとするものである。
 上記のように、マルクスは、アジア的段階をヘーゲルのように自然・循環・停滞・非価値として始末してしまう立場をとらなかった。マルクスは西洋近代と同時にアジア的段階における人類史的成果を「発展させ変形すること」を述べた。しかし、ヘーゲルにとってアジアは、理性や自由を自覚できず、したがってその概念も持たず、停滞と循環にある「歴史の幼年期」としての地域でしかなかった。したがってまた、ヘーゲルにとってアジアは、内面的な仏教や文芸さえも自然を原理としており、情緒の論理や心情の論理の段階にとどまったままの地域に過ぎないものであった。それに対して、ヘーゲルにとって西欧は、理性や自由が自覚されている・自己還帰する自由な対自的で対他的でもある自己意識の無限性が自覚されている、すなわち自在であると共に他在を包括した自在としての自由の概念・他在であって自在という自由の概念が確立された人類史の尖端的段階にある地域であった。このように、ヘーゲルが自由とは自在であり、それは他在を包括した自在であると規定したとき、東洋では専制君主一人しか自由を知らなかったとは、その自由は、偶然性であり、恣意的であり、独裁的でしかなく、ほんとうの自由ではないことを意味している。したがって、ほんとうの個人主義も、他者を現実的に侵害しないところに成立するのである。ヘーゲルは、『歴史哲学講義』において、地域的な中国、インド、ペルシャ及びギリシャ世界への移行的世界であるエジプトも東洋世界として扱っている。そして、ここでヘーゲルのエジプトは移行期であるという規定は、例えば人間が自然を分離し始めたことを物語る人面獅身・スフィンクス・半人半獣の存在に基づいた規定と言えるる。また『哲学史講義』においては、地域的なペルシャの時間論、中国の哲学、インドの哲学を東洋の哲学として扱っている。そして『宗教哲学講義』(第二部)では、異文化宗教を論じ、地域的な中国、インド、自由の宗教への移行形態であるペルシャ、ユダヤ、シリア、エジプトの宗教を東洋の宗教として扱っている。さらに『美学講義』では、地域的な古代ペルシャ、インド、エジプトの象徴的芸術形式や、インド、ペルシャ、中国の叙事詩や、中国人、インド人、ヘブライ人、アラビア人、ペルシャ人の抒情詩等を東洋の芸術として扱っている。また『法哲学講義』でも、例えば序論において、インドの宗教が扱われている。それら『歴史哲学講義』、『哲学史講義』、『宗教哲学講義』、『美学講義』等におけるアジア的段階概念は、ヘーゲルにおいては、西欧的段階の原理は自由であり、アジア的段階の原理は自然である、と概念的に把握され、その概念把握を媒介として、例えば自然からの離脱の度合の差異によって、人類史の頂点としての西欧と停滞としてのアジア、尖端と土俗という二項対立において関係づけられている。そうした論調は、世界史的時代区分においても、哲学史においても、美学論においても、宗教論においても一貫している。アジアは世界史のはじまりであり西欧は世界史の終わりである、アジア的な「野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へといたらしめる」世界史的過程の尖端・頂点に西欧的段階がある(ヘーゲル『歴史哲学講義 上』)。また、ヘーゲルにとって、「『国家』は狭い政治的国家ではなく、芸術・宗教・学問を包摂した一種の文化国家である」 。山崎純は、ヘーゲル「風土論」について、それは「国家の第三の、自然的な面として位置づけられていたことが22年の講義録で初めて明らかになった」と述べているが、それを要約すれば次のようになる――ヘーゲルは、先ず、三大陸のアフリカ、アジア、ヨーロッパを旧世界、アメリカ、オーストラリア等を新世界とし、地形的特徴である高原、峡谷、平野を旧世界の三大陸の地理的特徴として適用した。そして、この地理的特徴から、精神的性格(風土論的特徴)を引き出した。ここで、アフリカの南の逆三角形部分が「本来のアフリカ」(ブラック・アフリカ)で、それは歴史以前の世界として歴史的考察対象から除外され、歴史の対象としてのアフリカは具体的にはエジプトとされた。このようにヘーゲルは、「世界史の地理的三区分」をし、それらの空間的地域を世界史的考察の対象とした(加藤尚武編『ヘーゲルを学ぶ人のために』山崎純「宗教の実現は宗教の終焉である」世界思潮社)。
 吉本にとって、現在を眺め、現在を超えるという課題を自らに課すことは、未来を眺めることであると同時に、人類史の母胎・母型・原型としての原始未開的・アフリカ的・縄文的段階にまで遡及して考察することでもある。吉本は、そのように包括的に「現在」を眺め「ハイ・イメージ」を得られる視線を、次のふたつの視線の総体的構造においた。
 第一の視線は、世界視線である。それは、「無限遠点の宇宙空間から地表に垂直におりる視線をさしている」 。その世界視線においては、「人工物と天然自然との差異」がなくなり、すべては自然に解消されていく 。世界視線が高度を増せば、「生活行動の痕跡」は無化されていく。縄文と弥生、都市と農村、アジア的と西欧的等の痕跡は無化されていく 。この視線は、無限遠点にまで至る垂直的な「世界視線」、終末的視線、究極的総体的視線、生と死が眺められる場所からの視線、包括的な俯瞰視線、時間軸を過去の無限的遠点にまで拡張できる視線、還相的視線である (吉本隆明『ハイ・イメージ論』筑摩書房)。例えば、人類史の場所である地球は、航空写真からランドサット映像へ、ランドサット映像からさらに無限遠点へと高度を上げれば、「青い地球」に、宇宙の一部に無化されてしまうように、人類の歴史も原始未開的・アフリカ的・縄文的段階から宇宙の生成に関わる自然史の初源にまで無化されてしまう。このような垂直的な世界視線において人類史を眺めれば、原始未開・アフリカ・縄文、アジア、古典古代、西欧的・資本主義的(生産資本主義)、超西欧(消費資本主義 )、という進歩・発展に基づく歴史観は、次に述べる水平的な普遍視線、往相的視線、往相的歴史観として人類史の部分的把握でしかないことになる。すなわち、還相的な垂直視線である世界視線、還相的歴史観、史観の拡張において自然史の一部としての人類史を眺めれば、それを原始未開段階と規定しようと・アフリカ的段階と規定しようと・縄文的段階と規定しようと、その自然史のある時点に、アフリカだけでなく、日本にも、北米にも、西欧にも、世界のどこにでも普遍的に存在した人類史の母胎・母型・原型の像を構成することができる。垂直的な世界視線を付加することで、水平的な普遍視線で得られた像だけでは見えなかった風景や動きや形状等をハイ・イメージとして眺めることができる。例えば、過去から未来までの地球の砂漠化の拡がりや動きを立体的に眺めることもできる。また遺跡等を示した時系列の平面的な地図に垂直的視線・映像を重ねれば、古代においては湿地や森林であったところが田畑になっていたり、田畑であったところが現在では工場やビルになっていたりしている場所を立体的なハイ・イメージとして把握することができる。さらにもっと宇宙空間にまで高度を上げていけば、そうした地球上の差異も国境も解消され、地球自体が自然としての宇宙空間の一部に解消されていく像を獲得することができる。それだけではなく、無限遠点からの「鳥瞰図の時間軸」をどこまでも過去へと延長していけば、人類史は自然史の一部に解消されていく像を獲得することができる。
 さて、第二の視線は、一般的な人間の眼の高さで眺められる水平的な普遍視線のことである。この水平的な普遍視線、緊急的相対的視線、往相的視線において人類史を考えれば、原始未開、アジア、古典古代、生産資本主義を主とした西欧、消費資本主義の超西欧、という進歩・発展に基づく歴史的な現在の像が構成される。資本主義の未来の構図を考えることは、現在の資本主義を包括し止揚すること、すなわち資本主義の死を考えることである。言い換えれば、現在の資本主義を包括し止揚すること、すなわち資本主義の死は、資本主義の未来の構図である。吉本の思想的立場は、無階級社会という未来(理想)の視線から資本主義の終焉を考える「永久革命者」の埴谷雄高とは異なり、現在の資本主義の終焉・死から未来を考える視線である。それが普遍視線であると言うことができる。この普遍視線はマルクスの「経済学批判・序言」のように、その思想の物質的基礎(経済的社会構成や大衆像・大衆的課題の時代水準)を踏まえたうえで、未来を論じる視線である。大衆に権威と権力を収斂させ得る歴史の構成には、消費資本主義段階の現在とそこで生き生活する大多数の一般大衆のその大衆像や大衆的課題を繰り込んでいくことが不可避的である。したがって、人間の現実的社会的な解放という人類史の究極的総体的永続的な課題を解決するためには、現在を包括し止揚するだけでは駄目なのであって、それと同時に、人類史をその母胎・母型・原型にまで遡って考察していくことが必要であるように、例えば統合失調症という個体史の問題も同じように、個体的自己や家族的自己における自己の無意識の「核」にある傷を究極的総体的永続的に治癒する(解消・解放する)ためには、現在的問題を包括し止揚する(緊急的相対的な対症療法)だけでは駄目なのであって、それと同時に、その個体史を母胎内・乳児期における母親との関係にまで遡及して考察しなければならないのである。
 このようにハイ・イメージは、個体史においても人類史においても、普遍視線・水平視線と世界視線・垂直視線との総体的構造における個体(史)や人類(史)の総体像のことである。

 

  (中略)その鳥瞰図の時間軸は、文明が発達してくるとともに長さが長くなっていきます。たとえば、航空機があれば航空機が飛べる高さが最大限の鳥瞰図だったのが、現在でいえば宇宙衛星の高さが鳥瞰図の時間軸の長さということになるわけです。(吉本隆明『遺書』角川春樹事務所)
  (中略)わたしがじぶんの認識の段階を、現在よりももっと開いていこうとしている文化と文明のさまざまな姿は、段階(≪世界普遍性としてあるアフリカ的段階、アジア的段階、西欧的段階、超西欧的段階≫)からの上方への離脱が同時に下方への離脱と同一になっている方法でなくてはならないということだ。(吉本隆明『母型論』学習研究社)
  わたしがいまじぶんの認識の段階をアジア的な帯域に設定したと仮定する。するとわたしが西欧的な認識を得ようとすることは、同時にアフリカ的な認識を得ようとする方法と同一になっていなければならない。またわたしがじぶんの認識の段階を西欧的な帯域に設定しているとすれば、超現代的な世界認識へ向かう方法は、同時にアジア的な認識を獲得することと同じことを意味する方法でなくてはならない。(中略)わたしはじぶんが西欧的かアジア的かアフリカ的かについて選択的である論議の不毛さに飽き飽きしているし、原状で理解できる表面の共通性で、国際的という概念の範囲を定めている国際的と称する認識にも同調する気はまったくない 。(前掲書)
  つまり、人類はかならず歴史の過程で、古代と原始時代とのあいだの時期に、アジア的という段階を普遍的に通った……。ヨーロッパは割合に速やかにその段階、つまり農耕社会段階を処理していった。人工化して工業も発達させ、それに伴う文明や文化も育てていった。(同書)
  ところが地域としてのアジアは、アジア的段階をかなり長いあいだ、日本でいえば古代から近世の終わりぐらいまで、……アジア的という段階のままで、農耕のやり方もスキとかクワとか、さしてかわりばえしないやり方できた。(同書)
  (中略)歴史段階的な普遍性と、地域的に残っているものと、二重の意味を含ませてぼくらはアジア的というふうにいっている……。(同書)
  (中略)(≪歴史段階的な≫)アフリカというといのをよく見て分析するということと、高度資本主義がどういくかということを分析するということは、……おなじことになる。(同書)

 

 さて、「ハイ・イメージというのは、現在と現在以降の一種の共同幻想」である。この共同幻想を考えることは、世界視線である無限遠点からの「鳥瞰図の時間軸」を「逆に過去を古代のほうに遡った先の共同幻想」を考えることと等しい。したがって、『共同幻想論』においては、「一番古い文学作品で古代的な共同幻想を辿ればよいと考えていた」が、『ハイ・イメージ論』では「共同幻想はもう少し以前まで拡張できると考えました」。「そこまでいけば民族語という形では取り出せないというあたりまでは、遡って辿ること」ができる 。例えば、人類史におけるアジア的段階を考える場合、アジア的段階の死(未来)である西欧的段階を考えることは、その母胎・母型・原型であるプレ・アジア的段階にまで遡って考えることと等しい。そこに、人類史の総体像としてのハイ・イメージを構成できる。そうでなければ、そこでの本質的な課題の設定やその課題解決の方法は、部分を全体する陥穽に陥ることになる。このことは個体史を考える場合にも言えることである。例えば、胎児期・乳児期、青年期、老年期を経て死へと至る個体史における青年期を考える場合、青年期の死(未来)である老年期を考えることとは、個体史の胎児期・乳児期にまで遡及して考えることと等しい。そこに、個体史の総体像としてのハイ・イメージを構成できる。そうでなければ、その個体にまつわる心・精神の傷等の本質的な課題設定やその課題解決の方法は、部分を全体とする陥穽に陥ることになる。したがって、その場合は、究極的総体的永続的な治癒には至らないのである。言い換えれば、例えば、胎児期・乳幼児に受けた無意識の核にある傷に根拠を求められる幻覚や意味の異常として現れる作為体験を指標とする統合失調症(精神分裂病)や自殺願望の究極的総体的永続的な治癒のためには、現在的課題の包括と止揚だけでなく、個体史の無意識の核が形成された胎児期・乳児期における母親との関係にまで遡及して考察していかなければならないのである。
 現在を包括し止揚する問題については、吉本に依拠すれば、次のように言うことができる。産業構造が物の生産を主とする第二次産業の段階にある場合は、その中の主たるリーダー企業の時間性が社会全体の時間性を支配していく。同じように、産業構造が物の消費を主とする第三次産業の段階にある場合は、その中の主たるリーダー企業の時間性が社会全体の時間性を支配していく。すなわち、そのリーダー〈産業・企業〉の循環時間(生産→流通→消費)が社会全体の時間性を支配していく。したがって、例えば、現在のように、サービス・情報産業がリーダー企業の場合は、情報化社会を主導する情報産業の時間性が社会全体の時間性を支配することになる。このことは、産業においてだけでなく、それを基盤として物(情報・ファッションとしての衣服)や人間の心・精神(情報・ファッションとしての衣服の共有意識・共同幻想・集団的無意識)においても起こる(吉本隆明『僕なら言うぞ!』青春出版社)。しかしそうした高度情報化社会の社会像は、「それ自体として希望でも絶望でもありえない」。「体制的でも反体制的でもありえない」。それは、自然必然史に属する事柄である。そして、「たまたま体制を担う権力によってタクトをふられる」というだけである。したがって、「倫理をはさみこんでそれに意味をつけようとする試み」は退けられなければならない(吉本隆明『ハイ・イメージ論T』)。例えば、吉本によれば、ディズニーランド等の人工都市は、それは消費都市である。しかし、第1次・第2次・第3次産業の境界が溶解し重層化した人工都市である長島スパーランド等は、「一種の未来都市、未来像」である。したがって、長島スパーランドは俗悪なところである言ったインテリに対して吉本は、「それはインテリの間違いである」と言うのである(日本鋼管主催の講演「像としての都市」)。そのインテリは、一水平視線である普遍視線にいくつかの俯瞰視線である世界視線を付加した都市像を構成していないのである。吉本にとってひとつの超高層ビルの中に第一次・第二次・第三次産業が包括された事態は、高度なイメージの成立なのである。すなわち、それは、普遍視線・水平視線と世界視線・垂直視線の総体的構造における像なのである。住居や会社のビルや狩猟の場の森林や農業の場の田畑や飲食街や薬屋・医療機関・娯楽施設等は、平面的な水平的イメージで考えられてきたものである。しかし、それらをすべて包括した一つの都市としての超高層ビルは、垂直的イメージで考えられたもので、そのことは人間のイメージが高度化したということを意味する――2005年1月9日の「朝日新聞」(朝刊)に、東京・大手町のビル地下で、ソニーやキャノン等出資の会社が、2月から人工照明、培養液、室温調整等コンピューター制御による無農薬トマトやレタスの生産を開始する、とあった。この事態は、都市と農村との分業・対立という都市像を超え出た、農村を包括し止揚した一つの高次の都市像を意味している。
 アフリカを近代化し、西欧文明と民主主義を根付かせようという近代主義は、一部の支配・エリート層が潤うだけで払拭すべき対象である。しかし、先進諸国がアフリカ民衆に対して生活物資や資金や技術援助をすることは往相的視線による緊急的相対的課題としてある。ここに、普遍視線は関与する。西欧近代の概念では、アフリカは「未開」・「原始」・「野蛮」であり、動物的であり自然生そのものである。しかし、人類史を総体として眺められる世界視線、還相的視線に依拠すれば、アフリカ的段階は世界普遍的な「人類の総合的な母体」である。「アフリカや北アメリカ、南アメリカなどの原住民の国家や土俗宗教や習俗を見ると、共通する『アフリカ的段階』という特徴が設定」できるからである(吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。
 もちろん、この「史観の拡張」論は、原始共産制や原始回帰論の展開でも、エコロジー思想や山岸イズムに対する賞賛論の展開でもないことは自明なことである。また、それは、欧米の文明・文化賞賛論の展開でもないことは自明なことである。エコロジストのいう自然は、天然自然である。したがって、エコロジーの極限化した像は、反科学的・反技術的・反産業的な思考と感情と行動にある。その意味でエコロジーは、人類史の部分を全体とする錯誤を犯していることになる。またそれは、文明史的観点においてのみ進歩・発展してきた西欧文明が非価値化した天然自然への再考を呼び起こしてもいる(梅原猛等)。吉本の言う自然は、天然自然だけでなく、人間と自然との対象的活動の成果としての人間化された自然、人工的自然、都市環境もすべて含んでいる。また原始共産制の理想化の極限化した像は、私有制と個人主義の否定にある。確かに、持たざる者であり弱者である被支配の生活を考慮しない際限なき利潤の追求と政治支配、他者を現実的に侵害していく利己主義は制限され止揚されるべきであるが、私有制と個人主義は現在における人類史の最高の到達点であり成果として、原則的に保持されるべきものである。したがって、私有制と個人主義をさらに理想的形態へと向かわしめるためには、原始共産制は私たちに国家以前の共同体による生産手段の共有化と分配の平等に基づいた衣食住を保障する共同体的な在り方が人類史に存在していたこと教えてくれるから、人類史の母胎・母型・原型にまで遡及して考察すると同時、文明史的な尖端性としての私有制と個人主義の現在を理想的形態へと変形していくことが必要となる。また、史観の拡張にいうアフリカ的段階論は、アジア的段階論の変形ともいえる山岸イズムとは異なっている。山岸イズムの何が批判されるべきなのか。今ここに、資料として1970年代のヤマギシズム生活実顕地調正機関本庁への「参画誓約書」の様式がある。そこには私有財産制の否定が記載されている。そこには大きな時代錯誤があると同時に、アジア的な共同体の在り方を理想とする思想なき表明がある。それは要約して言えば、農業を中心とした生活と、全財産の本庁への無条件委任およびその財産の本庁による全面的な処分許可誓約ともいうべきものである。
 それでは、アフリカ的段階にまで拡張したトータルな世界認識・歴史認識の方法が成立し得る物質的基礎は、どこにあるのか。吉本は次のように述べている――世界普遍的な共通性をもった「未明の社会の風習や生活を現在も保存しながら同時に、西欧やアメリカの近代文明の洗礼をうけて高度な文明社会を実現した諸都市をも現存させている『アフリカ』大陸を典型として択べば、世界のどの地域にもあてはまる普遍性をもった『段階』という概念を取り出すことができる」 。都市論としてのアフリカは、自然史的にはいつか森林や草原(都市論でいうアフリカ的段階)は農地(都市論でいうアジア的段階)に転換されてしまう。しかし他方で、意識的に反復することで高次の贈与を介在させた都市計画を立案できれば、第1次産業、第2次産業、第3次産業の適切な割り振りをした理想的な人工都市を造り得る可能性も有している。ここに現在の「アフリカ的社会の特徴」があり、アフリカ的世界の世界史的舞台への登場の契機がある 。それだけでなく、現在、個体発生に関わる三木成夫の研究成果、南島語やアイヌ語の研究成果、南島やアイヌの宗教の研究成果等によって、世界普遍的なアフリカ的段階の内在の精神を、迷妄性においてではなく科学的に取り出し把握することができるようになったところにある。外在の文明史は、野蛮から文明へ、文明の低次から高次への移行、西欧的段階そして超西欧的段階への進歩の過程である。したがって、外在の文明史は、人類史の自然史的過程として、停滞や退行したりすることはあり得ない不可逆性を原理としている。「情念よりも理性、混沌よりも秩序」が思考の原理である。この外在的な文明史的視点は、現在でも有効であって、文明史的な尖端にある現在を包括し止揚していく場合の現実的契機・物質的基礎となるものである。しかし、そのことは、人類史にとっては部分でしかない。なぜなら、「人類は文明を結果として必然的に進展させてきたが、進展を目的として生存の世代を重ねてきたわけではない」 からである。ヘーゲル、マルクス、エンゲルスが思考していた資本主義の隆盛期の西欧的段階は、まだ「人類の文明の外在史と、内在的な精神史が均衡」している状態にあった 。その場所で扱えば、文明の進歩の度合を基準に、すなわちそれを原理として世界や世界史を区分したり歴史哲学を構成することができた。しかし、「現代や、現在のところでは、歴史という概念を成立させようとすれば、彼らの近代主義的な発展指向」だけでは歴史哲学は成り立たなくなっている 。現代や、現在において、歴史という概念を成立させ得るためには、野蛮から未開までを「アフリカ的な段階として原型化し、人類の母胎として取り扱うことが必須の条件」である。野蛮や未開や原始の状態(アフリカ的段階)の歴史を、ヘーゲルのように外在的な文明史的観点から除外したりせず、人類史において世界普遍性としてあった母胎・母型・原型として、言い換えれば、「現在の視点からは、人類が無機的な自然や植物や生物や動物を内在的に了解している精神の段階」(≪内在の精神史の段階≫)と考えるべきであり、「この視点を獲得することができて、はじめて未来を歴史の概念のなかに包括することができる」(吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』春秋社)。アジア的、近代的(プレ・現代)な段階と人類史の母胎・母型・原型としてのアフリカ的段階とを区別でき得る指標は、アフリカ的段階の精神の在り方をどこまで内在的に取り出し理解できるかに関係している。ヘーゲルの思想の立場からは、そのような内在的精神を、正当的かつ内在的に評価できず除外するほかはない。なぜなら自然からの離陸・超出の度合を進歩・発展・価値として把握するヘーゲルにとって、アフリカ的段階は、奴隷売買において西洋とつながっていただけで、「本来の意味でのアフリカ」(ブラック・アフリカ)は、運動もなく発展もないところの、「歴史を欠いた閉鎖的な世界」であって、いまだ自然生から離陸し得ていない「まったく自然のままの精神」にとらわれた<地域>でしかないからである。したがって、ヘーゲルは、「アフリカを歴史の外におしやったところで、いまや世界史の現実の舞台がはじめて見えてきます」という理解にとどまったのである(ヘーゲル『歴史哲学講義 上』)。
 さて、吉本によれば、アフリカ的段階とアジア的段階における王制の問題の差異は、絶対的専制と相対的専制との差異としてある。アフリカ的段階の絶対的専制においては、土地、財産、生産物、女性を含むすべての臣下(奴隷)は、王(その一族)の所有であった。これは同時に、逆の全臣下による絶対的専制をも包括していていた。すなわち、天変地異や失政により臣下が災いを受けたときには、王は罷免されたり殺害されたりした。この絶対王権の経済的基礎は、狩猟採取と原始的な贈与制にあった。王は呪術的な利益、制度的な整合、鉄器、土器その他道具の製造などを普及させるかわりに、臣下からの労働、生産物、収穫物の徴収を自在に行った。しかし、アジア的な相対的専制においては、王権から宗教的権力を分離し、アジア的専制の経済的基礎を農耕と貢納制においた。すなわち、生産様式論としての土地の共同体所有と貢納制(分配方式)に置いた。そして政治形態論としては、支配共同体は農耕村落共同体を維持するための水利灌漑工事を担い――ただし、日本の場合、中国とは異なり水利灌漑工事は、「ウィットフォーゲルの云うような大げさなものではなくて、池(中略)井戸」を掘るという程度であった。また、宮廷革命も大規模ではなく「大なり小なり和解して交替」するというものであった(『吉本隆明が語る戦後55年』)――、各村落共同体へは反抗しないかぎりは干渉をしなかった。また民衆は、支配共同体から住居や道具や庭畑地の所有が認められ、家族が分離されてきた。農耕村落共同体の内部構造としての共同体論としては、自らが所属する村落が世界のすべてであって、そこに閉じられていくが、相互扶助意識を育むとともに、共同体至上意識がいつも個体性を越えていく心性を生んだ。宗教の問題としては、アフリカ的段階とアジア的段階の差異は、アフリカ的段階では、宗教は自然に対する呪術的働きかけであるとともに、自然物を神格とみなすくらいに深い自然(動物、植物、無機物)との交感関係をもっていた。すなわち、自然も言葉を発し、人(ヒト)に語りかけたり、人(ヒト)の言葉を解したりできると信じられていた。アジア的段階になると自然物の宗教化がはじまるが、経済的社会構成は稲作農耕であり、人間と自然とがまだ完全には分離されていなかった全自然は習俗として宗教的な崇拝の対象となっていった(吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』)。
 序論の最後として、マルクス(とエンゲルス)が、所有形態を核とした生産様式論に基づいて、土地の総括的な共同体所有と貢納制(労働地代を包括し止揚した生産物地代)、大規模な水利灌漑工事とアジア的専制というアジア的段階の位相を明確にしたことはすでに述べた。エンゲルスはマルクスとの往復書簡において、アジア的専制には財務省と軍事省と公共事業省さえあればいい、とマルクスに書き送った。このアジア的段階概念からエンゲルスは、アジアにおいて「一国が一回の戦争によって、幾世紀にもわたって廃墟」と化す根拠を、アジア的専制の重要な役割である広大な砂漠や広大な平野における大規模な水利灌漑工事の不在から説いた。ただし、上記で吉本が述べているように、日本においてはこのようなことはなかった――「日本の場合は、王朝が変わるといっても、……一つの都市がそれによって廃墟になるということはありません。奈良から近江の国へ都が移ったとか、せいぜいそのくらいで間に合っちゃう。それも、母系制ですから、皇后にあたる者の出身地に都を移しちゃうとか、それくらいのことで日本の場合は済んでしまいます」(『吉本隆明が語る戦後55年』)。公共事業省は、広大な砂漠と平地で形成された気候風土に規定されて、アジア的専制の重要な役割であったが、村落共同体だけでは不可能な大規模な水利灌漑工事を担った。財務省は、アジア的な土地所有における地代形態である労働地代を包括し止揚した生産物地代・貢納制に対応している。また支配共同体は、下層の村落共同体を対内的に支配するとともに対外的に防衛し維持するために軍事省を必要とした。ただマルクスが射程としていたアジアは、ヘーゲルと同じくオリエントやインドや中国であって日本は除外されていたから、日本的特殊性については論じられなかった。アジア的専制の日本的特徴は、支配は、村落共同体との関係で言えば、まず小規模な水利灌漑工事を担い、貢納制を媒介に村落に屯倉・屯倉田や国造・県主・稲城をおいて支配したが、村落内部の掟や風俗習慣を破壊しようとはせず、それらを接木することによって支配を完成させたところにある。日本の総括的共同体は、吉本が『常陸風土記』や『古事記』に基づいて述べているように、水利灌漑工事は大規模なものではなく、井戸や池を掘ること、傾斜地に水を貯水する工事を行うだけで充分であった。
 吉本は、世界史的普遍性を無視したアジア的段階概念の扱われ方や、その混乱した扱われ方を指摘しつつ、したがって本質的問題から乖離していくことに歯止めをかけるために、世界史・人類史におけるアジア的段階概念を次のように明確化した。
1)第一には、共同体論としてのアジア的段階概念、すなわちのアジア的農耕村落共同体内部の内在的構造の明確な把握の問題である。
 このことについて言えば、農耕村落共同体の規模や、その共同体が育む相互扶助意識・感情・行動や、逆に自分の所属する村落が世界のすべてであるという閉じられた在り方が生み出す未開の心性や村八分や、村落以外のことに対する無関心や、アジア的な風土的自然環境(広大な 砂漠・平地帯を有する、気候・地形)から経済的基盤を農耕においた農耕村落共同体における農耕民(循環と停滞)と神人(進歩と発展の契機)と呼ばれた非農耕民との関係性を扱うものである。アジア的共同体の当初において、農耕以外の職業に携わる人たちは「神人」(民俗学)と呼ばれた。それは、尊ばれると同時にさげすまれる存在であった。神人は、具体的には非農耕民=芸能者・宗教者・鍛冶屋・ハンセン病、ざるやかごを生産する竹細工師、海部民のことであったが、農耕民・狩猟民・海部民は相互転換が可能であった。2)第二には、生産様式論としてのアジア段階概念、すなわち土地の総括的な共同体所有と貢納制、土地の共同体的所有と分配方式の明確な把握の問題である
 このことについて言えば、土地の総括的な共同体所有のなかで、共同体至上意識がいつも個体性を超えてしまうアジア的心性や、家族の住居・農具・庭畑地の所有が認められていたが、それらも総括的な共同体のものとみなしてしまう考え方の様式・感じ方の様式・行動の様式が形成された。アジア的段階を痕跡もなく速やかに通過した地域西欧とは異なり地域アジアは、非常に長い間、自然と停滞と循環を本質とする世界普遍性としてあったアジア的段階にとどまっていたから、そうした心性・考え方の様式・感じ方の様式・行動の様式が無意識の層にまで浸透していった。土地は村落の所有、ひいては総括的な共同体の統括者・専制君主のものであるという心性・考え方の様式・感じ方の様式・行動の様式を無意識の層にまで蓄積させたのである。
3)第三には、政治形態論、政治権力論としてのアジア段階概念、すなわち支配共同体と被支配共同体との関係、アジア的専制、中央集権体制の明確な把握の問題である。
 このことについて言えば、支配共同体としてのアジア的専制は、被支配共同体に対して支配を及ぼしたが、下層の農耕村落共同体の個々の農民等に対しては具体的に支配を及ぼそうとはしなかった。支配共同体は、従前の村落共同体の掟等を排除するのではなく、接木することで支配を完成させた。つまり、総括的支配共同体は、それ以前からあった下層の農耕村落共同体の、自然的規定や風俗や習慣や文化等にできるだけ手を加えないで温存していくという支配の形態をとった。