断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明 (序論 2)
断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明 (序論 2)
吉本の南島論の一つの主題は、天皇制を相対化し無化する点にあった。吉本は、沖縄には古くからあった、人類史におけるプレ・アジア的段階に属する「氏族母系的な制度」の名残りに、すなわち「母権的に、女性が宗教的なことを司って、男性の「その兄弟が現実的・社会的・政治的なことを司る」制度の名残りに関心があった――琉球における、制度としての聞得大君がそれである。例えば、この宗教的権力である聞得大君は、政治的権力の尚真王(男)の妹(女)であった。大和朝廷以前の邪馬台国では、姉の卑弥呼(女)が宗教的権力を掌握し、その「御託宣」の下にその弟(男)が政治的権力を執行していた――。なぜならば、吉本の『共同幻想論』の意味は、@マルクス<主義>的な経済的社会構成とその「上部構造としての国家や宗教制度」という経済決定論の考え方を止揚し変成させることにあったからだけでなく、A「日本の南島を中心とした風俗習慣が、一種の母権制を保存していて、その風俗習慣を追究していくことで、共同幻想という考えのなかに、歴史的なもの(≪世界普遍性としてある人類史におけるプレ・アジア的段階とアジア的段階の差異性≫)をはめこめる」ことにあったからである。すなわち、この後者の「琉球、沖縄における母権制の遺制」は、日本「本土における天皇制以前の段階を保存していると理解」して追究していけば、琉球・沖縄(南島)から日本本土の「天皇制」を相対化し無化できる、ということを意味している。ほんとうは、琉球、沖縄出身の「沖縄学者、民俗学者」・知識人は、この観点に立脚して琉球・沖縄から日本の国家・天皇制的遺制を無化すべきであったにもかかわらず、その学問的なモチーフを、日本本土の日本人との同一化・「差別」の「解消」に置いてしまった(『吉本隆明が語る戦後55年 3』三交社)。
さて、柄谷行人は、こうした吉本の思想的作業に対して、次のように述べている――すなわち、柄谷は、天皇制を相対化し無化する試みとしての吉本の南島論の取り組みに対して、「天皇制を相対化すると称して、それ以前の多元的状態に遡行しようとする、もっと根源的な企ては他にもある。それは柳田と同様に『南島』に向かうことになる。ある者は文字どおり『南島』に向かい(吉本隆明)、ある者は縄文文化やアイヌ(梅原猛)に向かう。南であれ東であれ、また天皇制を否定しようと肯定しようと、この種の『内省』は何ももたらさない」 と述べている(柄谷行人『終焉をめぐって』)。しかし、この柄谷の語りとは違って、吉本の場合は、アジア的段階の考察(田の神中心論、稲作農耕中心論、晩期柳田)からさらに遡って人類史の母胎・母型・原型(日本でいえば、縄文的段階、アイヌ・南島)への考察へと向かうものであり、世界普遍的な人類史の母胎・母型・原型の考察からアジア的段階に根拠を持つ経済的基盤を農耕に置いた天皇制を相対化し無化していこうするものである。吉本の南島論の試みは、世界普遍性としてある人類史におけるアフリカ的・縄文的段階への歴史的な遡及的考察による天皇制無化の試みである。それはなぜかといえば、吉本には明確な問題意識があるのであって、人類史におけるアジア的段階論で天皇制の無化の課題を扱えば、尖端と土俗の対立論、先進性と後進性の対立論、西欧と東洋あるいは第三世界の対立論で終わってしまうからである。吉本は、その対立論を包括し止揚してそこから超出した観点から、南島論を展開しようとしたのである。
因みに、梅原は、次のように述べている――アイヌ学や縄文学の立場から、アイヌの熊送りの信仰の中には、「生きとして生けるものはみな魂をもっていて、その魂は無限に循環していくものだという考え方」があって、「その生きとして生けるもののなかで人間はそれと調和して生きていかなければならないというおおらかな知恵」が含まれている。「これは今、人類に一番必要な考え方」である 。アイヌ人にとっては、「文字」には「言霊」はない。「話された声をもった言葉」に「言霊」はある。日本においても、7、8世紀以前に遡った「古代」ではそう考えられていた 。ユーカラにはカムイユーカラとアイヌユーカラの二つがあって、カムイユーカラは、「だいたいが動物が主人公」であって、「動物あるいは植物と人間との関係」に基づいた「世界観の構造」となっている (梅原猛・藤村久和『アイヌ学の夜明け』小学館)、と。また、中沢新一は、その都市計画に縄文的な無意識を残している東京都市論を次のように展開している――「まん中の広場になったところを墓地」にして、「村を環状につくる習俗」であるアメリカ先住民の思想にもある『円環の思想』は、「日本列島の縄文人」にも、「中国大陸からメラネシアの島々にも広くおこなわれていたらしい」。「ぼくの驚きは、近代的な都市計画の思想にもとづいてつくられたはずの東京に、この『汎環太平洋』的円環構造がはっきりと見いだされて、それが東京という都市に流れる時間とエネルギーを、いまもなお決定づけているという事実にある」。東京の都市計画において、そのような縄文的無意識が「近代の経済的功利性を重視した都市計画からは説明できない大きな働きをしてきたような気がする」 。縄文的無意識によって、皇居を中心とした都市計画が行われ環状道路が走っている 。大都市東京の「魅惑」は、「『野生の思考』と資本主義的な『現代の思考』とがひとつのループ状」に結び合っているところにある。「縄文時代から古墳時代にかけて埋葬地や聖地がつくられていた多くの場所は、その後も江戸や東京のランドマークとなるべき重要な施設が設けられることになっていて、ここでも『野生の思考』と『現代の思考』のなだらかな連続線を発見」することができる 。「その理由をさぐるためにも、一度アースダイバーとなって、上空に舞い上がったのち一気に大地の底へと突入していく、垂直的な知性の冒険を試みる必要がある」、と述べている。中沢はまた、この世界の醸し出す「息苦しさ」について、その息苦しさは、資本主義の原理、資本主義的な経済システムが、「すべての世界に自分の原理を浸透」させようとして、「人間の心のよい部分」を「破壊」させていくところにある・「自然といわず生命といわず、あらゆるところに自分の原理を浸透させていこうとする」ところにある・しかし、「ぼくたちの心情の中」には、資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理と科学主義という「グローバリズムへの反感が、根強くわだかまっている」・それは、「経済的合理主義に合うように造りかえられるのを拒否しようする頑固な部分が、まだ生き残っている」からである・ここで「人間の心のよい部分」とか「頑固な部分」とは、母胎的・母型的・原型的な内在の精神に関わるものである、と述べている 。中沢は、人類の再生をそのような大衆の無意識に込めるのである。中沢の「人間の心のよい部分」とか「頑固な部分」は、芹沢俊介の『主題としての吉本隆明』(春秋社)においては、「文明史としてみたとき、日本はすでに農業社会(アジア的段階)であることを脱して工業社会(生産資本主義)を超え、消費資本主義という超西欧な段階に入り込んでいる。これに対して、精神史はどうかといえば、たとえば私たちの思考は宮沢賢治ブームやエコロジカルな思考やアニムズム的な世界に強く引かれるようになってきている」、となる。中沢や芹沢と同じように、梅原猛も「7,8世紀に律令体制を作る」それ以前、言い換えればアイヌ文化・縄文期にまで歴史を遡ることで、現在を超える課題を扱おうとしている。梅原は、次のように述べている。
7,8世紀に律令体制を作る場合、……天照大神中心の神の体系をこしらえて、それを日本国家を統一するイデオロギーとした。その神道が祓いみそぎの神道です。……祓いみそぎの神道(記紀神道)というのは律令に応じた神道だと思う。(中略)私の古代研究は、国学の目でみるゆがみを、真淵や、宣長の目のゆがみを正して、ありのままにみたいということなのです。本居宣長が日本語を研究しましたけれども、結局8世紀以上に遡れない。(中略) (≪私は≫)琉球語とアイヌ語という二つの灯の中に、我われが失ったものが浮かび上がってくるのではないかという気がするのです。(中略)哲学者として、近代文明というものを批判することが私の20年来の仕事でした。技術文明だけでは人間は救われないと考え、東洋文明、日本文明に目をむけたいというテーゼで、最初は仏教の研究をしましたが、日本の思想を仏教だけでは理解できないことがだんだんわかってきました。やはりアイヌの宗教世界というのが、我われの古い宗教ばかりだけではなく、人類の失った本当にたいせつな、非常に古い宗教をもう一度我われに理解させ、そしてそこから現代の文明を見直すことを可能にならしめるのではないか 。(江上波夫・梅原猛・上山春平『アイヌと古代日本』梅原猛「ユーカラの世界」小学館)
縄文は日本だけだと言うんですよ。日本のナショナリズムに帰るのか。そうではない(中略)狩猟採集、縄文時代というのは、世界共通なんです。(中略)普遍的なんです 。(梅原猛・上田正昭『日本という国 歴史と人間の再発見』大和書房)
縄文……伝統の再生なんです。(中略)人間と人間の共生(多文化共生は人間中心の共生である)だけでなく、人間と自然との共生も視野に入っている必要がある 。(前掲書)
もう1回、縄文に、(中略)共生という狩猟採集段階に人類は帰らなくてはならない。(≪しかし、≫)狩猟採集段階では、(中略)1億20000万人は生きられない。(≪したがって、≫)思想としてはやはり縄文時代に学び、狩猟採集時代の思想と科学技術を両立させるしか、人類の生きようがない。共生といいますけれども、当時は循環なんです。(中略)一方的な進歩という思想で近代は進んできたけれども、進歩の思想では極楽のはずが、地獄へいくかものしれない。そういうことだから(中略)循環の思想を取り戻す必要がある。進歩から循環へ(中略)社会構造が循環型社会にならなくてはいけない(中略)循環できないようなものは、もう製造すべきでないと思う。そういう意味で、私は原子力発電に対しても反対です 。(同書)
最後の二つの引用における梅原の立場には、「対立する双方に真理があるというような俗説が、世界史的に流布され、流通している」中で、自らの立場において、両者を包括し「止揚しなければならないということが思想的な問題」であるという観点、また自然史の一部である人類史の自然史的過程は進歩・発展(それが極楽の道だろうが・地獄の道だろうが、経済社会構成の高度化・拡大、科学技術の発達とその知識の増大、生活の利便性の増大・拡大は、自然史的必然である)を基調とするという、マルクスや吉本のような観点がないのである――「私の立場は、経済的な社会構造の発展を自然史的過程として理解しようとするものであって、決して個人を社会的諸関係に責任あるものとしようとするものではない。個人は、主観的にはどんなに諸関係を超越していると考えていても、社会的には畢竟その造出物にほかならないものであるからである」(マルクス『資本論』)。したがって、例えば、原発問題の本質的な課題の設定は、原発が科学的技術的領域に属しており自然史の一部である人類史における自然史的過程の進歩発展段階の一つだとすれば、想定される最大・最悪の災害や事故に対する技術的な解決策と安全確保と安全管理が可能であれば存立は可能であるし、そのことが不可能であれば存立は不可能である、という問題である。したがってまた、原発の問題は、そのような本質的課題を持って、制度としての官僚・政治家・資本家の在り方や責任を追及すべき問題である。原発問題の本質的課題を持たない、宗教化・教条主義化・倫理化された反原発<主義>は、その啓蒙において他者に対して他律的な二者択一の倫理(善悪の判断)、すなわち「賛成」か「反対」かを強いるだけのものであるから、それは「啓蒙の恐喝」としかならないものである(M・フーコー)。
さて、吉本において、天皇制無化の課題を旧日本語の問題として扱えば、日本「民族あるいは種族としての言葉以前、つまり種族語になる以前の言葉」を扱うことである。吉本は、「種族語になる以前の言葉」すなわち旧日本語は約「30%から40%くらいの割合で、南と北の方の言葉にのこっている」。例えば「琉球語とか、もっと先の八重山語というふうに限定してもいいんですが、そこでは三母音……『あいう』しかないと考えます」・「例えば『雲(くも)』という言葉は五母音(中略)だけど、三母音だとしたら『O』がないから『くむ』になるわけです。琉球語では『雲』のことを『くむ』と発音します」(吉本隆明・北山修『こころから言葉へ』弘文堂) ・この「三母音の言葉の方が古くからあり、日本語の基層になっている」 (吉本隆明他『吉本隆明の文化学』三交社)、と述べている。また、「奈良朝以後に、漢字を借りて表意的、また表音的に文字に表されて古典語とか近代語とか呼ばれているものを日本語とかんがえると、日本語という枠組みからはみだしてしまう表意や表音」があり、「それは『記』『紀』の神話や神名のなかに、また『万葉』や『おもろさうし』や『アイヌの神話』や日本列島の『地名』のなかに、遺出物のように保管されている。そこで文字表記がなされなかった以前まで遡行して、日本語とはなにかを考える必要がある」 (吉本隆明『母型論』学習研究社)。例えば、「『さねさし』は相模(相武)につく枕詞であり、アイヌ語の地名によくある『たねさし』と同じで『突き出た細長い土地』という意味」である(吉本隆明『詩人・評論家・作家のための言語論』メタローグ) 。この自然の地勢の名称である「突き出た細長い土地」を経て、その場所の固有名詞であるアイヌ語の地名「たねさし」へと固定化されていく過程に、「形態認識」の起源と系列を見出すことができる(吉本隆明『ハイ・イメージ論 T』「形態論」筑摩書房) 。すなわち、支配としての大和朝廷は、被支配の先住民(起源としての日本人)の「さねさし」あるいは「たねさし」を枕詞として相模(相武)という言葉に接木することによって、支配と被支配との均衡を企てたのである。また例えば、世界のどの地域にもあてはまる人類史におけるプレ・アジア的段階の未明の社会に普遍的にあった「風俗や生活」について、吉本は、次のように述べている――大和朝廷の側から神話の形で書かれた支配の歴史である『古事記』や『日本書紀』の初期神話には、場所と時間が特定できない記述がある。すなわち、日本列島のどの地域・地勢・自然風土なのか場所が特定できない記述や、世代的継承・親子関係や兄弟姉妹関係と関わりのない無時間的な「ひとり神」の概念の記述がある。初代天皇の神武天皇・「カムヤマトいわれひこ」は、「地名を名前とする日本列島に特徴的な呼称」である。しかし、その祖先神である「ヒコなぎさたけうがやふきあえずのみこと」(「波うち際に建てた産屋の屋根を葺くのが間にあわないうちに生まれた」)は、「日本語の人名とは思われない名称を持った」その場所を特定できないものである。このように、人類は、農耕社会の段階において「男・女神」を要請したが、自然生を主とした狩猟採取の原始社会(アフリカ的・縄文的段階)においては、「無〈性〉神」としての「独神」という幻想性・観念しかなかった。このようなことは、人類史におけるアフリカ的・縄文的段階の未明の社会の有力な人物の場合には、世界普遍的にあり得た(吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』春秋社)。
次に、天皇制無化の課題を日本における宗教祭儀の問題として扱えば、南島・琉球の観点から宗教的祭儀を調べ、その新しい形態とその古形を調べることで、天皇制固有のものとされてきた宗教祭儀を相対化し無化することができることになる。吉本は、次のように述べている――宗教性の基本的性格は、ひとつは、祖先を信仰するという、南島に「宝庫のごとく保存されている一種の祖霊信仰」にある。この宗教性の段階では,「宗教性の観念が、少なくとも家族の共同性から逸脱しないで出てくる」。もうひとつは、「海の向こうには神の国」・「常世の国」・「ニライカナイ」があって、「そこから神がやって来て村々にお祝いをしてまた帰って行くという、来迎神信仰」があり、その本質は「それが共同宗教だという点」にある。この「来迎神信仰にともなって、まず田の神信仰、稲作到来信仰が現れる」。それが共同宗教という点で、それは、法、法から国家への萌芽である。前者の祖霊崇拝と、後者の来迎神信仰との混在として現れたのが、「日本の<本土>でいえば、近代国家における天皇制、あるいは天皇における世襲祭儀、つまり大嘗祭」の中にある。そうした「宗教的威力、権力が、どのように継承されるかというのが、大嘗祭の問題」である。世襲祭儀には、「氏族共同体から前氏族共同体の範疇を出ないところで成立していた南島のノロ継承祭儀、琉球王朝における制度的表現であったノロの最高位としての聞得大君になるための<御新下り>儀式」、「天皇の世襲大嘗祭の儀式」があり、その「共同宗教としての祭儀の中に、農耕祭儀的な要素が見え隠れする」ところに両者の共通性がある。「ノロや聞得大君の継承の祭儀と天皇の大嘗祭の祭儀に共通するのは、あくまでも宗教的<威力>の授受なのですが、同時にその祭儀には、農耕祭儀、稲作祭儀のあり方が、潜在的に見え隠れしている」。そして、「地域的な相異は時間的な相異に変換できるという考え方からゆきますと、田の神行事とかノロ継承の行事のほうが、天皇の世襲大嘗祭や聞得大君の御新下りより、(中略)時間的に古形を保存している」と言っていい(吉本隆明『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』「思想の基準をめぐって」筑摩書房)。
さて、近代国家を<政治的国家>として捉えるということは、資本主義社会を前提とする。つまり現在、産業構造的には天皇制の基盤であった農耕村落共同体は解体されているから、政治権力としての天皇制・制度としての天皇制ファシズムは解体し終焉していると言える。それだけではなく、戦後憲法の象徴天皇制の規定により、憲法上も政治権力としての天皇制の問題は終焉していると言える。しかし、天皇制は「現在、資本主義の〈影の部分〉」として、「<政治>的な標的としては副次的なものに過ぎない」が、「<歴史>的に根底をつきくずさなければ」天皇制的な心性・意識が「一木一草にまで染みついているという問題は解決」できない。政治的権力と宗教的権力を有した天皇制が成立していたのは奈良朝以前の初期天皇制の時期だけであり、天皇制的な専制君主が、「機構化されたのは律令官制による」が、「日本的なデスポットとしての天皇制」の特徴的威力は、「政治的権力に直接たずさわっているときも、間近にあるときも、遠ざかって棚上げされているときも、<天皇制>が一貫してその背後に<観念>的な<威力>を発揮していたという事実にある」(『どこに思想の根拠をおくか 吉本隆明対談集』「思想の基準をめぐって」)。すなわち、国家を共同幻想の一形態と考えず、土台――上部構造論(経済決定論)において天皇制の問題を扱えば、戦後資本主義の成熟と高度化、すなわち市民社会の成熟によって天皇制の問題は終焉したことになるが、天皇制のもうひとつの側面である宗教的権力・共同幻想としての天皇制は観念的遺制として今も残存し続けている。チベット仏教のダライ・ラマ(偉大な僧侶・師) と同じ<生き神様>としての威力は現在も残っている――「原始仏教では死んだ人間があがめられるのに、ラマ教では生きた人間があがめられる」(ヘーゲル『歴史哲学講義 上』岩波書店)。すなわち、曖昧な<象徴>としての<権力>や<威力>の問題である。この宗教としての天皇制の側面は、統一国家以前の日本にも存在した南島やアイヌのアフリカ的・縄文的段階への歴史的な遡及的考察によってのみ相対化し無化していくことができる(吉本隆明『敗北の構造』「南島論」弓立社)。そうしなければ、宗教性としての天皇制は、観念的遺制として残存しつづけているからいつでも、日本の自然思想の伝統である世界普遍性を無視した民族性を強調する権力は復古してくるだろうし、また自己と異質な外部的な産業的思考や個人主義的思考に対しても「権力」として復古してくる。
この宗教性としての天皇制の根強さは、次のような事態をみればよく分かる。長谷川美千子という埼玉大学教授は、生き神様としての天皇の憲法への規定を復古的に語り、憲法の象徴天皇制の規定は「曖昧な言葉」だとして、その実質を天皇の寛容な「祈る者」としての宗教的側面におくべきことを生真面目に論じているる 。すなわち、次のようにである。天皇陛下は「われわれのために祈って下さる存在である。このような祈りは、また、皇室の方々の全員が心を一つにしてはげみ祈られてゐるものでもある。その意味では、お一人お一人が天皇陛下と同様の『無私』の心を持っておられるのである。しかし、この『無私』(中略)の境地に達するまでには、ほとんど禅の修業にも似た困難な道のりがあらう。或る意味でそれは、旧来の自らの「人格」(と自ら思い込んでゐたもの)を捨て去る過程でもある。(中略)そこをくぐりぬければ、まさに本来の我――「無私」なる自己――がいきいきと甦る、ということになるのである」(『文芸春秋3月特別号』文芸春秋、平成17年)。ここでは、只管打坐をとおして自然との合一を説く禅仏教も、民族性の復古のために加担させられている。ここにアジア的な未開心性・意識の残存性を読み取るができる。ここでこの教授に根本的な問題と誤謬があるとすれば、8世紀編纂の『古事記』に依拠しながら、宗教的側面としての天皇の祈りを一億数千万人の人類のための始源的な祈りだとして、8世紀以前の日本(起源としての日本)への世界史的観点と思考を停止させ、平然と天皇を中心とした日本が世界のすべてだと錯誤しているところにある。この教授と同じように、失政時における免罪符の要として、かつての自民党憲法試案検討委員の政治家・中曽根元首相は「天皇元首制」を表明し、かつての森首相は「天皇神格化」を表明した。現在の安部首相もその流れにある。また、教育現場での、愛国心や道徳教育の強化論は、社会の危機のとき日本においていつも発生する復古的傾向である。ここでいう日本の愛国心は、西欧における認識とは異なる。ヘーゲルは、愛国心について、真理に基づかない「主観の思いこみ」ではなく、また「異常な犠牲や行動へとむかう気持ち」でもなく、「自由を原理」とする理性的な「真理に根ざした」主観的確信であり、個人の確信であり、「共同体的なもの」へ参画する、あるいは「共同体的なものと一体化する」、自己還帰する自由な自己意識の対他性としての政治意識のことである 、と述べている(ヘーゲル『法哲学講義』作品社)。すなわち、それは、人類史におけるアジア的段階におけるそれとは異なるものである。アジア的な日本の場場合、愛国心を愛社心と置き換えてた場合も同じ事態を惹き起こす。例えばかつての日本の経済界に眼を向ければ、西武鉄道社長の自殺や「株問題の核心を知る」コクドの総務部次長の自殺、最近では、鉄道事故とデータの改ざんなどの一連の不祥事を起こしたJR北海道の経営トップ二人の自殺は、個体性が企業の共同性から侵蝕された疲労困憊のすえの死であると言える。
先に述べた、「地域的な相異は時間的な相異に変換できるという考え方からゆきますと、田の神行事とかノロ継承の行事のほうが、天皇の世襲大嘗祭や聞得大君の御新下りより、(中略)時間的に古形を保存している」と言っていいという吉本の「時――空性の指向変容」の概念は、次のようなものである――主体的・「主観的に一貫した視点を貫徹しながら、なおかつ歴史的にも、現在的にも」把握できる対象は、「最も身近なもの、たとえばわれわれが現在そのもとに生活している日本の国家、社会というもの、あるいはわれわれがそこから出てきた日本の種族」にある。そうしたものは、「場所的には現に自分がそこにおり、歴史的には現に自分で体験している現在にいれば、われわれは歴史的把握、あるいは時間的な把握」と「地域的な把握、あるいは空間的な把握とが、わりあいに矛盾なしに、一貫した(≪主体的・主観的な≫)視点に包括」され得る。言い換えれば、この「時――空性の指向変容」の概念は、「身近なものは、ある歴史把握、あるいは現在把握の一貫性をもって、場所的にも歴史的にも……包括させることができるが、遠い地域、遠い時代の問題に対しては、しばしば、それを偶発的な<事実>としてしか記録できないという(中略)関係の構造を把握することの中で、あらゆる時間性というもの、あらゆる歴史的段階というものは、あらゆる地域的空間に、そしてあらゆる地域的空間というものはあらゆる歴史的な段階に、あるいは、あらゆる世界的な共時性というものは、あらゆる世界的な特殊性というものに、相互転換することができる」、というものである。吉本は、世界史の段階を、連続的であると同時に断続的であり、空間的地域的な概念であるとともに時間的世界史的な概念でもある として、アフリカ的段階、アジア的段階、西欧的(生産資本主義)段階、超西欧的(消費資本主義)段階という四つの段階に区分して、各国や各地域、経済的社会構成や宗教等はこれらのいずれかの段階に属するとした。「ロシアにおける共産主義的所有の形態は、それ自身、諸発展の全系列を経過した、前古代的(≪人類史のアジア的≫)な型のもっとも近代的な形態である」(『資本主義的生産に先行する諸形態』)と述べたマルクスと同じように 、吉本のアジア的段階概念は、地域アジアを指定していると同時に、人類史的過程の一段階である、アジア的なものが世界普遍性を獲得していた、アフリカ的・縄文的段階の次の段階、また西欧的(生産資本主義)段階の前の段階――ヘーゲルやマルクスの概念を付加すれば、古典古代の前段階――を意味している。
(中略)一般的に文化あるいは文明のおくれた地帯とか、遠いところ、そういう空間的な概念は、本当はそのまんますぐに時間的な概念に換えられなければいけないのです。つまり、換えられる原則がなければいけないのです。(『敗北の構造』「宗教としての天皇制」)
琉球、沖縄というものを、根底的につっついていきますと、日本の統一国家、いいかえれば天皇制国家よりもはるかに以前に、はるかに根底深いところにゆきつきます。そうしますと、天皇制国家の起源がいかに脆弱な根底しかもっていないかというようなことが、つきつけられることになります。(中略)そういう意味あいでは、(≪琉球・沖縄は≫)ちっとも辺境でも離れ島でもありません。やはり歴史の中で、位置づける意味を持っています。そういう意味をふまええないような本土復帰運動、沖縄奪還運動というのは、一種の民族主義的な形になってしまいます。(前掲書)
〈南島〉の問題は、単に政治的に現在を通過してゆく問題としてのみじゃなく、一個の強烈な世界史的な課題をになって、われわれの眼前に現れてこなければなりません。(中略)〈南島〉の問題であることによって、同時にすべての辺境とか、後進国とか呼ばれている地域の問題でもあり、その課題はただちに世界の歴史的現在の課題に<指向変容>しうるものでなければ、無意味であるといって過言でないと存じます。(『敗北の構造』「南島論」)
この吉本の「時――空性の指向変容」の概念は、次のような歴史認識を可能とするのである。
たとえば、ニューギニアの奥地に行くと、まだ石器時代そのままの未開の生活をしているパプア族のような種族がいることがしばしばいわれますね。また、サハラ砂漠の近辺に行くと、太古の遊牧民さながらの生活をしている種族がいるというようないわれ方があります。(中略)世界史的にいいますと、そういう未開の種族もまた世界史的現在のなかに存在しています。(中略)そういう種族がニューギニアの奥地にいるとして、現在、その地域に文化的、文明的に世界の最高レベルにある文物が殺到していったと仮定します。そうすると、石器時代さながらの生活をしていたニューギニアの未開の種族は、数十年のうちに世界史的現在に到達するだろうということは、まったく疑いのないことだとおもわれます。
また、この吉本の「時――空性の指向変容」の概念に基づく歴史認識の方法は、次のようなマルクスの読み換え・変成である。
もしもロシアが世界において孤立しているとしたら、ロシアは、西ヨーロッパが原始共同社会の存在以来現状にいたるまでの長い一連の発展を経過してはじめて獲得した経済的征服を、独力でつくりあげなければならないであろう。(中略)しかし、……、ロシアは、近代の歴史的環境の中に存在し、より高い文化と時を同じくしており、資本主義的生産の支配している世界の市場と結合している。そこで、この生産様式の肯定的成果をわがものにすることによって、ロシアは、その農村共同体のいまなお前古代的(≪人類史における古典古代の前の段階の、アジア的段階≫)である形態を破壊しないで、それを発展させ変形することができる。(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』大月書店)
この吉本の「時――空性の指向変容」の概念に基づく歴史認識の方法に依拠して、私は前回、3)の孟子の「民本主義」と「易姓革命」論について、また4)の人類史におけるアジア的段階にあった江戸期(地域日本)の離婚制度における男性の側の三行半と、女性の側の衣類や家具や持参金に対する財産権的な対抗措置という男女の平等性の在り方について、書いた。