本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明 (序論 1)

断章としてのアジア的なもの――ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本隆明 (序論 1)

 

 世界認識において、いかに内部と外部の観点が必要であるかを、ヘーゲル、マルクス、フーコー、吉本に依拠しながら述べてみたいと思います。なぜならば、このことが、彼らを世界的な思想家としている所以のひとつだと考えるからです。そして、この意味においても、やはり、神学者ではバルトは、世界的な思想家です。また、もちろん、私たちは、「先行する他のもろもろの時代のその問題意識にも……、真に耳を傾けることが出来るようになる」ために、西洋近代を頂点とした歴史の直線的な進歩・発展というヘーゲルの思想(進歩史観)を、「直ちに全面的に放棄」しなければならない(『カール・バルト著作集12』「ヘーゲル」)ことは確かなことです。そしてまた、同じように、現在の状況がそれをゆるさないわけですから、マルクスの唯物的な進歩史観も書き換えが必要であることも確かなことです。先ず以て、私たちは、以下の事柄について、十分に自覚的であることが必要であると考えます。
1)フーコーは、次のように述べている。

 

  禅はキリスト教の神秘主義とは全く違うものだ(中略)キリスト教の精神性と、それに結びついた技術においてきわめて印象深いのは(中略)いや増す個別化が探究されているということです。個々人の魂の奥底にあるものを、その個人に把握させようとするのです。『おまえが何者であるのか、私に語れ』――これこそがキリスト教の精神性なのです。禅においては、精神性にまつわる一切の技術は、逆に個人を非個別化する――個性を破る傾向があるように思えます。(M・フーコー『思考集成 VII』「フーコーと禅」)

 

 フーコーのこの世界認識の方法は、内部と外部から世界を眺め把握できる構造になっている。「個別化」と「非個別化」(全体化)という把握は、首肯できるものである。現在は横へと拡散し衰退しているとはいえ、アジア的日本的な特徴は、共同体至上意識がいつも個体性を超えていくところに想定できるからである。フーコーは、普遍性(哲学・思想・革命・人間・社会の概念)の誕生の場であった「西欧の危機」を念頭において、禅思想を、その外部としての西欧とその内部としてのアジアから「禅においては、精神性にまつわる一切の技術は、逆に個人を非個別化する――個性を破る傾向がある」と把握しているのである。しかし、臨済禅の僧は、外部の観点を持たないまま、そのアジア的日本的な禅思想の直接的な言葉で、「からだと心とが一つになるという体験、自分とそとの世界とが一つになるという体験、それは世界的に普遍なものですね。禅が国際性を持ち世界性を持つということは、その点からも十分わかるわけですね」、と述べてしまうのである。言い換えれば、その僧には、「精神と自然との直接的な統一の段階」(ヘーゲル)というものは、人類史におけるアジア的段階においてのみ、世界普遍性を持ち得たという外部からの把握ができ得ていないのである。 ヘーゲルやマルクスの指摘した人類史・世界史的段階におけるアジア的な概念は、その存在・その思考・その実践をまさしくアジア的な日本に置いている私たち自身にも首肯できる事柄を有しており、したがってそれは耳を傾けるべき位相にあるものである。吉本は、世界認識における内部と外部の観点を持つべきことについて自覚的であった。したがって、『難しい話題』「批評にとって作品とは何か(吉本隆明と蓮實重彦との対談)」での、吉本の蓮見に対する根本的な批判的指摘のひとつは、内部の観点を持たない蓮身の知識の在り方に対するそれであった。日本の知識人は、内部の観点を揚棄し・廃棄してしまって、アメリカに留学すればアメリカ的なそれになったつもりで発言する、フランスやドイツに留学すればフランス的・ドイツ的なそれになったつもりで発言する。その外部の場所からのみ、すなわち内部の観点を持たないまま日本を分析し・発言しようとする。この在り方は、丁度、前述した臨済宗の僧とは逆のそれである。したがって、吉本は、次のように述べている。

 

  (中略)この連中(≪柄谷行人と浅田彰≫)はアジアを論ずるにも、オリエントを論ずるにも、日本を論ずるにも、オリジナルに自分の意見から始めたことはない。三流のアメリカやヨーロッパの東洋学者や日本学者の意見の後からくっついてゆくんだ。こんな気恥ずかしい秀才がアメリカやフランスへ行って、江戸時代の儒教思想や日本の現代思想についてお喋言りしたりするんだからな。戦慄するよ。
  「(中略)中村光夫の文学史ってのは日本人が日本について書いても西洋型オリエンタリズムになるっていう例で、(中略)そういう循環を破らなくちゃいけなっていうんで、サイードの本を通じて僕の『日本近代文学の起源』を発見したりするわけです」という柄谷行人の発言のところで、おもわず吹き出した。
  ようするにイモの自慢話なんだよ。(中略)柄谷の『日本近代文学の起源』など柳田国男の『明治大正史(世相論)』の模倣でしかない。それも思想なき模倣だ。どうして柳田の『明治大正史(世相論)』や折口の『源氏』の講義にもたどりつかないようなアメリカの日本学者や東洋学者などが問題になるんだ 。
  オリエントやアジアに言及するのに、差別だとおどされるとすぐにその気になる三流の古代史学者の模倣をする必要がどこにあるんだ。西洋のオリエンタリズムや日本の脱アジアの問題は、ヘーゲルとマルクス(エンゲルス)の世界史観からでているんだから、これを踏みこえ、緻密化するほかないんだ。
  おれ(≪吉本≫)は「第三世界で飢えに苦しむ人がいるのに日本でチャラチャラ遊んでいるのは何事だ、というような議論は間違っている、なぜなら、一方は生産を主体に考えるべき地域の問題で、他方は消費を主体に考える地域だから」などといった覚えも、そんな『講演録』など出版した覚えも全くない。完全なデマだ。(中略)こんなデマを口走るようじゃ、(≪浅田≫は)それだけで文筆家としてはもう駄目だとラク印を押されても仕方がないんだぜ。(中略)ジャナリズムから天才だなどとおだてられてイイ気になったマザコン大学助手がどれだけ短期間のうちに駄目になるかの、典型的標本だ。
  (≪現在世界史は依然として民族国家を単位として動いているから≫)第三世界だろうとヨーロッパ共同体の世界だろうと、世界史は依然として労働も労働力も、労働者もその交換も、主として国家(権力)の管理下に、国境によって区切られてしか、存在しない。この認識を抜きにして労働の移動や労働価値の不等価交換などをいくら論じたって、まったく無意味だということは自明のことだ。第三世界の貧困のギセイの上に日本のような先進資本主義国の民衆は「チャラチャラ遊んでいる」などという論議は、途方もない嘘で、第三世界の民衆の貧困は、第三世界の国家(権力)に第一の責任が(≪、すなわち国家の支配上層・支配指導層に第一の責任がある≫)。(『情況へ』「情況への発言 海路の日和」)

 

2)ヘーゲルは、次のように述べている。

 

  精神と自然との直接的な統一の段階、即ちそういう(中略)段階は、一般に東洋思想である。(ヘーゲル『哲学史序論―哲学と哲学史』岩波書店)
  精神は東洋から昇り始めると言ってよい。しかし、主観は人格としてではなく、客観的な実体的なもの(≪自然≫)の中に没入しているのである。(中略)没精神的な状態(中略)最高の境地は意識のないことだからである。(中略)その意味で人間は、そこでは自然によって規定されている。(中略)このように東洋的主観は何ものにも依存しないという長所をもつ。なぜとって、一切皆空だからである。 (前掲書)
  人間もおのれを空しくすればブラフマンの境地に達することができ、そこでは有限な人間とブラフマン(宇宙の原理)の区別がなく、梵我一如となってあらゆる個別が消滅する。(中略)意識が対象なき意識になっている。 (ヘーゲル『法哲学講義』)

 

 ローマ・カトリック主義的神学は、もともと自然神学的であって、それが日本に輸入されると、おそらく日本人神父はそうだと思うのだが、すぐにその自然神学が引用にあるようなアジア的日本的な自然原理によってアジア的日本的な変容を受けるに違いない。第一次的なイエス・キリストの啓示の実在そのものと、聖書や教会におけるキリスト教に固有な啓示の「概念の実在」(類と歴史性)の不可避性に連帯せず、アジア的な自然原理(「根本的事実」・「インマヌエルの事実」の概念)と、近代的衣装としてのブルトマン神学の原理的方法とバルトのインマヌエル論とマルクスの自然哲学とによって構成された滝沢の哲学的神学の位相も、それなのである。

 

  もはやいかなるキリスト者も、「聖書」や「イエス・キリスト」という名を記憶している人たちさえも、もはやこの地上のどこにも残っていないとしても、それでもなお、「神われらとともに」という事実(Faktum)にわたしたちが堅く結びつけられているということそのことは、神において永遠に決定されていることなのだ。 (『滝沢克己著作集 第二巻カール・バルト研究』創言社)

 

 したがって、このように述べる滝沢は、「イエスの肉体に於いてインマヌエルの事実が始めて生成した」とするバルトに対して、その人間イエスの出来事・「イエス自身の言葉と行為」は、その源泉である「神われらとともにいます」という「根本的事実」・「インマヌエルの事実」から生成された「生ける徴」であって、第一次的なものではないから、バルトの「錯覚」でしかない、と言うのである。ここで、「根本的事実」・「インマヌエルの事実」の概念は、未だ区別や分節化がされていない未分化のままの綜合や自然や宇宙と呼んでもいいものである。いずれにせよ、滝沢の「インマヌエルの事実」の概念は、未だ区別や分節化がされていない未分化のまま一切が包摂された綜合状態・無規定の状態・形や色もない「無」性状態・一切の区別や規定性や分節化の源泉でもあるところの自然や宇宙の概念と同質のものなのである。人は、この意味での自然あるいは宇宙としての「根本的事実」において、神と共にある、と滝沢は言うのである。滝沢も、臨在禅の僧と同じように、外部の観点から、アジア的日本的な「根本的事実」・「インマヌエルの事実」の概念を対象的に扱うことをしないのである。また、ヘーゲルは、次のようにも述べている。

 

  (中略)中国の哲学とエレア哲学とスピノザの哲学が、おなじ一を原理とするといっても、肝心なのは一の内容がどうなのかです。一が抽象的な一か具体的な一か、精神的な一に達するほど具体的にとらえられているかどうか、そこに根本的なちがいがあるので、それを無視して三つの哲学を同列にあつかうのは、みずから、抽象的な一しか知らないこと、哲学の関心がどこにあるかを知らないまま哲学について判断をくだしていることを、証明するようなものです。
  (中略)上にのべたちがいは、思考する理性と自由にかかわるちがいで、自由は自覚されるものであり、思考と同一の根をもつものです 。(ヘーゲル『歴史哲学講義上』)

 

 ここでは、「一を原理とする」中国哲学(人類史におけるアジア的段階)とギリシャ哲学(人類史における古典古代の段階)と西洋近代哲学(人類史における西洋近代の段階)との人類史的段階における差異の自覚の必要性が述べられている。すなわち、自然からの超出の度合、自由の度合、精神の発達の度合の差異性の自覚の必要性が述べられている。したがって、「『実存理解』の問題としてキリスト教と禅仏教との救済構造における一致」(『「断片の神学」関田寛雄』)を説いたと言われる八木誠一は、この人類史的段階における差異について無自覚であるということができるのである。未だしも、その救済構造が、現代性や未来性を持つ親鸞と類似している、と説くのであれば、首肯することはできるであろう。ただしかし、もちろん、親鸞とキリスト教(バルト)との根本的で究極的な差異性は、徹頭徹尾全面的に、その信頼し固執する対象が、阿弥陀仏(無)であるか、キリスト教に固有な神性を本質とする(神の「存在の本質」)、まことの神でありまことの人間であるイエス・キリストの名(神の「存在の仕方」)であるか、にあるだろう。そしてまた、ヘーゲルは、次のようにも述べている。

 

  中国では君主が家長として人々の上にたちます。国家の掟は法律的な条項だけでなく、道徳的条項をもふくんでいて、だから、主観が自分の意思の内容を知るといった内面的な事柄までが、外面的な法令として強制される。(中略)それは、道徳律が国家法のようにあつかわれ、法律が道徳をさだめるものとうけとられているからです。 (ヘーゲル『歴史哲学講義 上』)

 

 このことは、中国の原理が自然原理としての「天」であり、それは「道」であり、未分化のままの政治制度(共同性)と道徳(個体性)との混在であることを教えている。その自然原理の体現者は、徳あるものとして天命を授けられた専制君主(親・父)で、そのもとに臣民(子)がいて相互に徳を実践することによって、「修身斉家治国平天下」が成立する。家父長制において、個や家族や社会や国家は地続きに国家に包摂され、被支配層は支配の暴政や抑圧や暴挙に対しても、天然自然の災害を受け入れるように受け入れていくことになる。
3)金谷治は、『中国思想を考える 未来を開く伝統』(中央公論新社)において、外部の観点(ヘーゲルやマルクスのアジア的概念)を持たず、アジアという内部の観点から、次のように述べている――京都大学の中国文学の教授・吉川幸次郎は、やはり外部の観点を持たずに、理性的な合理主義は、「ヨーロッパの専売特許ではなく」、「儒教こそ」がそれであると強調した。自分(金谷)も、儒教の良さを、「民主主義そのものではないが」「民主主義に育っていく」孟子の「民本主義」や「易姓革命」論に見ている、と。、しかし、これらの内部的な考え方に、ヘーゲルやマルクスの外部的な考え方を構造化させたらどうなるであろうか? 第一には、人類史におけるアジア的段階においては、他者を現実的に侵害しないという個人主義の原理が確立されていない。対自的で対他的な構造を有する自由な自己意識の無限性について自覚化されていない。共同体至上意識がいつも個体性を超えていく。したがって、家父長制において、個や家族や社会や国家は地続きに国家に包摂され、被支配層は支配の暴政や抑圧や暴挙に対しても、天然自然の災害を受け入れるように受け入れていくことになる。第二には、人類史におけるアジア的段階においては、その革命は、<宮廷>革命であって<市民>革命ではない。第三には、孟子の「民本主義」と「易姓革命」論は、人類史的な意味でのアジア的段階の前の、プレ・アジア的段階(アフリカ的段階・縄文的段階)における絶対的専制の遺制・心性・認識構造に依拠していたということができる。なぜなら、人類史におけるプレ・アジア的段階において王は、政治制度としても、土地所有者としても、絶対的専制君主ではあったが、「疾病のような凶事が襲ったり、失政をまねいたり、天変地異などが永く続いたりすると、王の無能や不手際とみなされ、罷免されたり、殺害されたり、障害の生けにえ にされた。この意味で王は裏返された絶対奴隷だ」とも言えるし・「王殺しの伝承」も残っているからである(吉本隆明『アフリカ的段階について 史観の拡張』) 。そうした絶対的専制君主の後者の在り方が、孟子の言うところの「民を貴しと為し、社稷(しゃしょく)これに次ぎ、君を軽しと為す」や、武王による殷から周への王朝革命・宮廷革命(殷周革命)における「民衆にデタラメをして忠義な家来をないがしろにするようなのは本当の」王ではないから、「そんな者は殺してしまってもかまない」とされる王の在り方に対応しているということができる(『中国思想を考える 未来を開く伝統』) 。ヘーゲルも「中国ではすべての個人の平等がたてまえとされ、統治権は皇帝という中心に集中して、特殊な個人が自立したり主体的な自由を獲得することがなかった」(『歴史哲学講義 上』) と述べているが、その「平等のたてまえ」とは人類史におけるプレ・アジア的段階における氏族制の遺制としてそうであったということができる。
4)人類史におけるアジア的段階にあった江戸期(地域日本)の離婚制度における男性の側の三行半と、女性の側の衣類や家具や持参金に対する財産権的な対抗措置という男女の平等性の在り方は、アジア的段階の前、すなわち血縁の氏族共同体を基礎とするプレ・アジア的段階における、所有権や管理権はなかったとしても女性から女性への財産等の相続・継承という、また家族においては妻の自主性や自由の度合が大きかった「母系制」 の遺制として、人類史において世界的普遍性としてあったということができる(祖父江孝男『文化人類学入門』中央公論社)。したがって、江戸期の男女平等性は、個人原理に基づき明確に法制化された西洋近代の萌芽というよりも、逆にプレ・アジア的段階の遺制として位置づけ得るのであって、その意味でそれは新しいことでも進歩的でも革新的でもないということができる。また、農耕村落共同体が育む相互扶助の自然的感情は、その裏側に「村八分」や「世間体」を貼りつかせており、共同体至上意識がいつも個体性を越えていくという負の心性も有しているので、それらは人間個体を抑圧したり、自死に追い込んだり、共同体構成を中央集権化させたりする根拠ともなるものである。『新しい民俗学へ』(小松和彦・関一敏編、せりか書房)には、人類史におけるアジア的段階の村にあった「罪とケガレ」の構造について、次のようなことが述べられている――高校野球部のある部員が犯罪を犯した場合における甲子園出場権の辞退の在り方は、法的な「個人による犯罪が、社会的・道徳的な『悪』」、すなわち法と道徳の未分化性に基づいて「罪」に変換されるところに根拠がある。なぜならば、「犯罪は(中略)近代国家が定める(中略)明確な法体系にもとづく法律に違反する行為である」が、しかし、その『罪』の認識構造は、「社会の規範・風俗・道徳に反した、悪行・過失・災禍など」と、「その行いによって受ける罰」まで含むものだからである。自らが所属する村落共同体が世界の全てだとして閉じられていくアジア的段階の共同体の在り方は、確かに一方で、「出産・婚礼・葬儀・病気・火事・旅行・建築・法要・水害・負傷の際の相互扶助」意識を形成していく面を有している。しかし他方で、それは、村単位や集団単位での「村八分」・「世間体」の意識も形成させるし、村の秩序維持やその回復のために、言い換えれば災いのもとである「ケガレ」を村や集団から「清祓」していくために、実証的に犯罪の立件ができなくても、村で「先天的に身体に特徴のあるもの」、「条件つきの病気にかかったもの」、近親相姦を犯したもの等を、「スケープゴート(贖罪の山羊)」したり、「身代わり」として処罰していくという面も有しているのである。こうした人類史におけるアジア的段階の後者の在り方は、迷妄性や、法と道徳の未分化な構造や、共同性を価値化する個――家族――共同性の地続きの構造に基づいているものといえるだろう。
5)吉本によれば――西欧近代・西欧自身も、人類史の一段階において世界普遍性としてあったアジア的段階を経由したのであるが、西欧は速やかにその段階を痕跡もなく超えていったから、文明史的な尖端性にあることを自覚していた西欧にとって、東洋・アジアは、異質で未発達な地域であり、そうした地域として思考の対象であり・啓蒙の対象であり、経済的政治的には西欧の経済的市場や資源確保の対象であり、したがって、東洋・アジアは、後進的地域への帝国主義的な植民地支配の対象でしかなかった。したがってまた、西欧の東洋・アジアに対する未発達性や異質性の記述は、例えば次のようなものとしてあった。西欧にとって、四季のさまざまな風物に対して、論理によってではなく心情によって無常や喜怒哀楽を感じとっていく自然思想や、普通の人たち(万葉集の東歌や防人の歌にあるような)がある悲しみを短歌の韻律に乗せて表現し得る豊かな情緒性は異質なものとして映った。写生を重んじる俳句は西欧でも受け入れられるが、豊かな情緒性を必要とされる短歌は受け入れられるのが難しい、ということができる。
 農耕を経済的基盤とするアジア的段階について、『イエズス会士中国書簡集 4社会編』(矢沢利彦編訳、平凡社)には、「春にはじめに皇帝は犠牲を捧げ、豊年を祈るために親耕を行う。皇帝が土地を耕し、皇后が糸を紡ぐのはシナの政治の根本方針です」、という記述がある。現在の日本においても、テレビ映像で流されるように、天皇が豊年の農耕祭儀を行い、皇后が養蚕し糸を紡ぐ在り方は遺制として残っている。モンテスキュー『法の精神 中』(野田良之他訳、岩波書店)にも、皇帝が毎年行う開田の儀式の記述がある。また、マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』(手島正毅訳、大月書店)には、東洋の都市・「デリーまたはアグラのような一つの首都全体がほとんどまったく軍隊だけによって生活」し、したがって東洋の都市は「野原よりいくぶんましで、いくぶん気持ちよく設営された一つの野営地に過ぎない」 、という記述がある。そしてまた、『中国の医学と技術』(矢沢利彦編訳、平凡社)には、東洋(中国)の技術や知識について、西洋では版画術からすぐひき続いて印刷術が起こったが、シナ人は「版画の技術をもちながら印刷術をものにすることができなかった」、という記述がある。さらに、ヘーゲル『歴史哲学講義 上』には、中国は「大砲用の火薬をもっていたのに、大砲を空想する」ことができなかった・中国人は「ヨーロッパ人より先にいろいろと知識を得ているが、知識の応用のしかたを知らなかった。磁石や印刷術などがそうです。……火薬の発明もヨーロッパ人より早かったが、大砲の鋳造はイエズス会士の手」をかりなければならなかった・「ラプラスは、中国に月食や日食の古い報告や記録があるのを見て、中国の天文学をほめたたえましたが、それはむろん学問の体をなしていない」、 という記述がある。
 さて、先日、私は、吉本の『共同幻想』等に依拠しながら――科学・技術や生産様式の発達は、遅延させることはできても逆行させたりすることはできない。この意味で、エコロジーの極限に想定される天然自然主義は錯誤でしかないものである。と同時に、人間存在の総体性にとっては、「経済的範疇というものもまた部分」にすぎず、科学主義における「科学が発達し、技術が発達し、未来が描けるというような考え方」は、部分でしかない科学を全体として錯誤するところにある。「社会の経済的な、あるいは生産的な、あるいは技術的な発達」に対して、情念や非感覚的部分や喜怒哀楽の感情は、それに伴って発達するわけではない。マルクスが、ギリシャ古典芸術の「永遠の魅力」を念頭に置いて、人類の歴史において、経済的範疇は「第一次的に重要なもの」である、「そしてその他のものはそれに影響される」と述べた時、「幻想領域の問題は、そういう経済的範疇を扱う場合には大体捨象できるという前提」に立脚して述べている。すなわち、マルクス自身は、決して経済決定論者ではないし、観念の自体構造・自己増殖過程を否定したわけではなかった――、ということを述べた。フレイザーは、『金枝篇』(一)』(永橋卓介訳、岩波書店)において、かつてあり西洋近代の段階においても残存していたプレ・アジア的段階の名残について述べている。すなわち、フレイザーは、西洋近代の段階における自然宗教・アニミズムとしての「樹木崇拝の名残り」について、それは「樹木の精霊がその力のうちにもっている祝福を、村やめいめいの家へもち帰るところにある」が、それは、一般の生育の精霊や樹木の精霊は「樹、枝、花などのような植物の形であらわされている」場合と、それらと「人形または実際の人物との組み合わせ」、すなわち植物人間形態で表される場合とがある、と述べている。例えば、「花嫁」の「花」と「嫁」がそれである。少女たちの一人を花冠で飾り「五月の花嫁」として仕立て、少女たちは家を巡って、それぞれの家でその「五月の花嫁」は贈り物を求め、その求めに応じれば年中豊かであり、その求めに応じなければ何も与えられない、という歌を歌うことを述べている 。これは、人類史におけるプレ・アジア的段階における自然宗教と言えるだろう。日本で言えば、巨樹、滝、巨岩、湧水、動物等に霊(神)が宿るとされたところの宗教である。八百万の神もそれである。しかしフレイザーは、西欧にもこういう慣習があったと紹介しただけで、それを人類史における世界普遍性としてあった母胎・母型・原型であるプレ・アジア段階の在り方、すなわちアフリカ的段階・縄文的段階の在り方であるとは把握しなかった。