その2:ほんとうの考え・うその考え
吉本隆明『ほんとうの考え・うその考え』「宮沢賢治の実験」春秋社に基づく
私たちは、宮澤賢治の総体像を、童話作家、詩人、熱心な法華経信者、身近な農民の幸福のために身も心も尽くした、人として思い描くことができるでしょう。この書によれば、賢治は、臨終に際して、「床から起き上がって南無妙法蓮華経と題目をとなえて、法華経を千部刷って」、父親に「知り合いの人にわけてあげてくれ」、と遺言したそうです。おそらくこの賢治の行為は、多くの人に・すべての人に幸福になってもらいたいと、という賢治の切望を意味している、と私には思えます。私は、この箇所を読んだ時、聖書のステファノの説教と殉教の箇所を思い起こしました。説教が終わり、その説教を聞いていた人々が激怒して、ステファノ目がけて石を投げつけるのですが、石を投げつけられながらも、ステファノは「主イエスよ、私の霊をお受け下さい」と言って、最後に「ひざまずいて、『この罪を彼らに負わせないでください』」と「大声で叫」び(祈り)ます。私は、この叫び・祈りの内容に感銘します。ステファノは、そこにいた人が・多くの人が・すべての人が救われることを切望しているのだ、と私は思います。私も大雨の高速道路を走っていて、スリップし、中央分離帯と路側帯側壁にぶつかった時、一瞬「あ、死ぬな!!」と思いましたが、この場合は、自分の死がじわっとやってくるのとは違って、突発的で一瞬の出来事ですから、死に対する怖さとかは全くありません。ステファノの死は、人間の死という点では等価と言えるでしょうが、彼の場合は、それだけではありません。すなわち、ステファノの場合は、その死の在り方が徹頭徹尾全面的にイエス・キリストにのみ信頼し固執するところから確実にやってくるもので、質的に全く違う位相にあります。そのステファノの死は、人間ですから人間としての死の直前の叫び(「大声で叫んだ」)もあるのですが、それだけではありません、まさしく主イエス・キリストの方からやってくる、徹頭徹尾、ほんとうの冷静さと寛容さと純真な愛(あの「祈り」)とに満ちた死でもある、と私には思われます。バルトは、このステファノの殉教の本質は、その「行為」にはな、くあの主イエス・キリストにのみ信頼し固執する「祈り」の言葉にある、と述べています(『教会――活ける主の活ける教団』「証人としてのキリスト者」)。それは、イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済(史)による全人間・全世界・全人類の救済と平和が無ければ、諸個人のそれぞれの救済・平和(幸福)はない、ということでしょう。だからこそ、ステファノはその主イエスにのみ信頼し固執し、そして「とりなしの祈り」をするのだ、と私は思います。それに対して、もちろんそうした人間的な相対的な努力は必要だと思いますが、そうした人間自身による人間的な行為によって人を救い得るのは一面的で相対的で部分的でしかない、と私は思います。このことに自覚的である場合、ステファノにおける祈りになるでしょうし、バルトの言うように、ステファノの殉教の本質はその主イエスに信頼し固執する言葉(祈り)にある、と言わざるを得ないと私は考えます。バルトとは違って、ボンヘッハーは、「キリスト証言は、言葉と行為をもってする説教者と聴衆を要求する」と述べて、ヒトラー暗殺計画に向かいました。それは、ボンヘッハーの意志表示として意味はあるでしょうが、その行為が徒労に終わることは、教会闘争もやり反ナチ闘争もやったバルトにはよく分かっていたから、その行為に対して批判的立場をとりました。なぜならば、権力は実体では無いからです。政治的権力の本質は、それを支えているのは、被支配の逆立した鏡としての観念の共同性・集団的無意識にあるからです。したがって、ヒトラーを暗殺したとしても、それを支えている観念の共同性を無化できないわけですから、その権力闘争がたとえ成功したとしても、新たな権力の構成でもって終わってしまいます。また、そうした法的・政治的解放は、人間にとって一面的部分的相対的なものに過ぎないですし、その場合、民族国家を止揚し無化する構想も持っていないですし――現在の欧州連合も民族国家を単位としていますし、国際連合も民族国家を単位とした大国主義を原則としていますから――、経済社会構成体を資本主義に置いている以上、経済的不平等や格差等々の社会的現実的総体的な人間の解放の問題も解決されないまま(課題解決の方途を示さないまま)残されてしまいます。ボンヘッハーは、これらの問題に対して無頓着で自覚的ではありませんでした。にもかかわらず、現在でも、神学者や牧師や著述家たちの中には、モルトマンだ、ボンヘッハーだ、と叫んでいる人たちがいるのですが、状況論的にも思想的にも、モルトマンやボンヘッハー等における神学や教会の宣教では、ほんとうは、現在だけでなく、現在から未来に生きることは決してできないことは自明なことなのです。
さて、賢治は、全体が幸福にならなければほんとうの幸福とはならない、ということを主題とした『よだかの星』と同じ内容の話を、『銀河鉄道の夜』でも書いています。船が氷山にぶつかり難破し死亡して途中から乗ってきた、青年と女の子とその弟のたあちゃんとジョバンニとカムパネルラの会話の中で、女の子が「バルドラの野原」にいた「一ぴきの蠍」の昔話をはじめます。それは、こうです――蠍は、小さな虫やなんか殺して食べて生きていた。するとある日いたちに見つかり食べられそうになったので、一生懸命逃げたけど、とうとういたちに抑えられそうになったとき、前に井戸があってその中に落ちてしまった。その井戸からあがられず、おぼれはじめた。そのとき、蠍はこう「お祈り」した。「ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください。こんなにむなしく命をすてず、どうか(≪輪廻転生における≫)この次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください」。バルトは、「親鸞の教えはキリスト教の異教的証し」と言ったという言葉に依拠すれば、そしてキリスト教には輪廻転生論はありませんが、賢治のこの祈りは「キリスト教の異教的祈り」と言えるものでしょう。
宮沢賢治の文学と宗教の関わり
賢治は、田中智学(近代の日蓮宗の僧侶・思想家の一人)の法華経論を読んで「衝撃を受け」て、法華経信仰に入る。しかし、賢治は、田中の考え方から離れ、その後日蓮を経由し、信仰(宗教)と文学(芸術)、「科学」と宗教との架橋の問題でそこからも離れて、「じかに法華経との対話をとおして、じぶんの考え方をつきつめていった」。
1)法華経の「眼目」をどこに見い出すかは、法華経信者の「個性」、「資質」、「考え方」によって違ってくる。大乗仏教の最終の目標は「悟りを得ること」である。法華経では、この教えが「最高の悟りに行く道」であり、そのほかのものは「ほんとうは全部間違いである」とする。ここで、「ほんとう」とは、第一に、個人的悟りは、「ほんとう」の悟りでない、「どのような境遇でも、万人」が、「ひとりでに」「最高の悟りへ行く道をつけられなければ、<ほんとう>の悟りではない」、という意味である。この考え方は、大乗仏教系の浄土真宗の親鸞も同じです。したがって、往還思想の持ち主の親鸞は、、念仏を称えても救われた実感や喜びが沸きあがってこない衆生の現実に対して、還相過程で答えを出し、究極的総体的永続的救済への通路を敷いていきました。すなわち、親鸞は、「善」の自覚よりも「悪」の自覚の方が阿弥陀仏による救済に近づきやすいように、「知」よりも「愚」=「南無阿弥陀仏」の称名念仏の方が阿弥陀仏による衆生の究極的総体的永続的救済に近づきやすい、と意識的還相的に思しました。信・知を不信・非知に対して、そのあるがままで、完全に開きました。したがって、「ほんとう」とは、第二に、悟っていない人に対して、あなたは「まちがっているから、こういうふうにしなければならない」という言い方は、また一方通行的な信の上昇過程の場所しか持たない考え・発言は、駄目、と言う意味である。
キリスト教において、信・知を不信・非知に対して、そのあるがままで、完全に開くことができるのは、徹頭徹尾全面的に、神の側の真実である主格的属格としての「イエスの信仰」のみ、すなわち天然自然や人間的自然、人間の恣意性や主観性の契機によって全く左右されない、イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済(史)による全人間・全世界・全人類の救済と平和=啓示の客観的現実性にしかありません。先駆者はカンタベリーのアンセルムスですが、バルトだけが、そのことに初めて気づき、そのことを初めて聖書から得ました(『福音と律法』)。ほんとうは、ここにしか、キリスト教の信仰・神学・教会の宣教が、不信とむなしさの蔓延した現在から未来に生きる道はありません。
2)最澄にとっての法華経は、その中の言葉(偈)を耳を開いて喜んで聞くことができれば、「<最高の悟り>に達することができる」という点にある。そのために、第一には法華経の「護持」と、第二には「受難」を耐え忍ぶことにある。日蓮にとっての法華経は、自分の体験の実感から「受難」に力点が置かれている(第13章「勧持品」)。日蓮の日蓮宗は、最澄の天台宗と同じように、仏法による鎮護国家を目指す「一種の復古主義的宗派」である。二・二六事件の支柱の政治思想家(国家社会主義者)・北一輝もそうである。法華経信者の中で、ただ賢治だけが、国家主義に陥らなかった。
3)賢治にとって法華経の根本は、第14章「安楽行品」にある。そこには、法華経は一般の人を対象としたお経ではなく」「菩薩に説かるべきお経」であるから、「文学、芸術それから娯楽、芸能に近づいてはいけない」、「女性に近づいていけない」、「権力に近づいていけない」、とある。しかし、賢治は、法華経信仰と文学の創造を「並行して止めなかった」。この賢治の在り方は、法華経に対する離反であるから、法華経信者の賢治は、信仰と文学を架橋する自分なりの解決の方途を見い出していたと言える。先ず以て、人々を法華経信仰に導くために、童話や詩の創作を行ったという通俗的な考えは、通用しない。なぜなら、読者が賢治の作品から受ける「芸術的感銘は、感銘として独立しているもの」だからである。信仰と文学の問題に対する賢治の高度な解答は、「解いている部分と、解けているか分からない面」とを合わせもっているが、「マリヴロンと少女」、「銀河鉄道の夜」、「農民芸術概論綱要」の作品群にある。
4)「マリヴロンと少女」――女流声楽家マリヴロン(芸術家)とそのファンである牧師の娘(ただの生活者)の関係の中で、主観的な快・不快を伴う、文学や芸術が表現されることで生じる名声や「栄誉や称賛」(光)や「罵倒」(闇)の場所を持たない少女は、「生活に埋もれていく」繰り返しの日常がたまらなくつまらなく思える。少女は、芸術家に「わたくしはたれにも知られず巨きな森のなかで朽ちてしまふのです」、と訴えます。マリヴロンは、日常性(生活的日常)に重点を置いているか、非日常性(文学・芸術等の観念的日常)に重点を置いているかの違いはあれ、「すべてまことのひかりのなかに、いっしょにすんでいっしょにすゝむ人人は、いつでもいっしょにいゐのです」、と少女に答えます。両者ともその日常の繰り返しに耐え忍んでその日常を持続させることが、芸術である。したがって、生活の繰り返しの日常性を耐え忍んで持続させていること自体も、芸術である。したがってまた、マリヴロンは、「わたしはいつでもあなたが」「耐え忍」んで「考えるそこにおります」、と少女に語ります。この箇所について、吉本は、賢治が「芸術家から宗教家……に移っている」、と述べています。なぜなら、芸術や文学においては、創造と享受の間には空隙があるから、そこに「わたしはいつでもいる」とは言えないからです。いずれにせよ、ここに、賢治の、信仰(宗教)と芸術(文学)との関係・空隙に対する「最高の解決の仕方」がある、と吉本は述べています。