本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

「幸福論」について

吉本隆明『幸福論』青春出版社等々に基づく

 

 根本的な・本質的な誤謬が蔓延した既存の秩序から対象的になって距離をとり、そこから、その考え方・その感じ方・その行動において超出していくことは、自己解放という幸福というものに出会える、ということを念頭において簡潔に整理してみれば、次のように言うことができます。
 バルトが、大学社会の神学・知識(学問的・人間学的神学)と、教会における認識・信仰・神学――すなわち、イエス・キリストにおける啓示の出来事と神のその都度の自由な決断による聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく啓示認識・啓示信仰・啓示神学とを厳密に区別したように、吉本は学問的な知識・専門的な知識と、「あらゆることにすばやく対応できる」知恵・叡智とを区別した。このことは、例えば、経済学的・社会学的・政治学的な専門的な知識がなくても、またそれらやメディア情報を鵜呑みにしたり模倣したりしなくても、ほんとうは、私たち自身の日常的な生活的体験・生活的経験・生活的実感に基づく生活の知恵の積み重ねによって、社会構成や支配構成の、また経済や社会や政治の時代水準を判断することは可能である、ということである。したがって、神学者で牧師で思想家でもあるバルトは、信仰生活の領域において、教授や牧師や著述家の神学や情報を鵜呑みにしたり模倣したすることなく、「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師の神学が悪しき神学でなく、良き神学であるということに対して、共同の責任」を負っている、と述べた(『啓示・教会・神学』)。また、「教義学は、決して信仰と、その認識のより高い段階を意味しない」、なぜなら、「最も単純な福音の宣教も、それが神のみ心である時には、最も制限されない意味で、真理の宣べ伝えであることができるし、最も単純な聞き手に対しても、この真理を完全な効力をもって、伝えてゆくことができる」、「教義学者は、信仰者としても、知識を持つ者としても、神がここでなし給うことに関しては、教会の誰か一人の会員よりも、よりよい状況にあるわけではない」、教義学者とは「ただ単に教義学を専攻する大学教員や著述家だけ」のことではなく、「広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たち」のことである、と述べた(『教会教義学 神の言葉』)。
 文芸批評家として吉本は、言語表現論の構成において、記号・文字で書かれた表現された言語を対象として扱ってきたが、それ以前の話すや否や消え去ってしまう・「発声される音としての言語」・音声言語も含めて扱うべきであった、と「後悔」の形で述べている。吉本は、次のように考えている――日本語という場合、その日本語は、一般的に8世紀以降、すなわち奈良時代以降の日本語について言われるように、「日本民族」も、「文化的、……言語的に統一性をもった」ところの「統一国家が成立した以降」 について言われる。しかし、奈良時代以降の日本語と起源としての日本語との間には差異があるように、日本民族と起源としての日本人との間にも差異がある。それはなぜかと言えば、支配としての天皇制「統一国家を成立せしめた勢力の共同幻想」は、被支配としての先住民(起源としての日本人)の共同体における「法、宗教、……風俗、習慣」等の「共同幻想」と「接木」を行うことによって成立しているからである 。第一に、例えば、経済的社会構成を農耕においていた支配としての大和朝廷はその法構成において、被支配の先住民に属する呪術的・婚姻的な部分を国津罪として下位に残し、その国津罪に支配の法に属する農耕的な天津罪を「接木」することによって、支配と被支配との均衡を企てたからである 。第二に、例えば、支配としての大和朝廷は、被支配の先住民(起源としての日本人)の言葉である「さねさし」 を枕詞として下位に残し、その枕詞に支配の言葉である相武(現在の相模)を「接木」することによって、支配と被支配との均衡を企てたからである。それゆえ、起源としての日本語は、「日本語」を成立させた以前にまで歴史を遡及していかなければそれを把握することは不可能なように、起源としての日本人は、「日本民族」という概念を成立させた以前にまで歴史を遡及していかなければそれを把握することは不可能である(吉本隆明『敗北の構造』「敗北の構造」および「南島論」)。
 荒波を静めるために(東国征伐に向かう倭建国・ヤマトタケルを救うために)、海に身を投じた弟橘比売・オトタチバナヒメの歌:「さねさし相武(さがむ)の小野に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも」(『古事記(中)』次田真幸全訳注、講談社)。この「『さねさし』は相模につく枕詞であり、アイヌ語の地名によくある『たねさし』と同じで『突き出た細長い土地』という意味」である 。この自然の地勢の名称である「突き出た細長い土地」を経て、その場所の固有名詞であるアイヌ語の地名「たねさし」へと固定化されていく過程に、「形態認識」の起源と系列を見出すことができる 。「相模は半島のように突き出た場所」であるが、「先住していた人たちは、そういう地形を『さねさし』あるいは『たねさし』と呼んでいた」。つまり、支配としての大和朝廷は、被支配の先住民(起源としての日本人)の「さねさし」あるいは「たねさし」を枕詞として相模(相武)という言葉に接木することによって、支配と被支配との均衡を企てたのである。そして支配は、社会構成の時代水準に規定されながら被支配の「法、宗教、……風俗、習慣」を、支配の法や言語等の方へと垂直的に集中化させていった。そうした過程で、被支配の先住民(起源としての日本人)の「さねさし」あるいは「たねさし」という枕詞は削り落とされ、最終的には支配としての言葉であった相武(現在の相模)が共同規範語として存続されていくことになった。また、被支配に属する国津罪への侵犯は当初は当事者間だけの罪として〈清祓〉の対象でしかなかったが、次第に支配そのものへの侵犯の罪として罰せられる対象へと垂直的に集中化されていった(吉本隆明『詩人・評論家・作家のための言語論』メタローグ、吉本隆明『ハイ・イメージ論 T』「形態論」筑摩書房)。
 いずれにせ、先の吉本の「後悔」は、「知識というのは、自分が本当に好きになった分野に打ち込んでみて、はじめて必要になるもの」である、ということを意味している。吉本の場合は、『言語にとって美とはないか』という言語表現論を書く必要から、言語学の知識の頂きまで究めようとした。その吉本は、「肉親の同じ世代の自分より年上なら兄・姉」と言い、「年下なら弟・妹」と言うのか、という問いを立てて、今までの言語学の「知識」では、また言語学の専門家でもそのことを根拠づけられないから、現在においては、例えば、妹なら「誰かがはじめに妹」と言ったら、それが流行し定着した、というように説明する以外にない、と述べている。この吉本は、「研究者でないかぎり、『源氏物語』のような古典文学は原文で読む必要はない」、と述べている。さらに「有害」とも述べている。なぜなら、「つかえつかえ原文などたどっていたら、『源氏』のよさがどこにあるか、分かるはずがない」からである、と述べている。この意味で、井上良雄がバルトの『福音と律法』・『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』・『啓示・教会・神学』・『教会教義学 和解論』を翻訳し、吉永正義がバルトの『教会教義学 神の言葉』や『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』等を翻訳した功績は非常に大きいのである。いずれにせよ、吉本は、現代語訳で最もすぐれたものは、「勝手に切って『。』をつけたりして誤訳」もいちばん多いけれども「自分なりの文体のリズムがある」・すなわち「オリジナリティーがある」与謝野晶子の『源氏物語』である、と述べている――吉本は、「僕も現代語訳で読んで本を書きました」と述べて、「アメリカの日本文学研究家」が、「学生」に『源氏物語』は「原文で読まなければ真価は判らないと教えている」と書いていたことに対して、「それならあなたは本当に原文で読んだのか、読めるはずないじゃないか、と僕は言った」、と述べている。そして、吉本は、『源氏物語』は、「現代語訳で現代小説と同じように読んで退屈したところは忘れてしまい、掛け値なしに読めるところだけをいいと思えばいい」、「『源氏物語』をはじめから原文で読んで理解に達したなんて学者が言うのは信じてないです。日本人の学者でも信じられない」、と述べている。このことと同時に、「専門家といわれる人でも、誰か一人でもいいから全部ちゃんと読んだかと聞いたら、それはあんまりいないと思います」。「僕が全集を読んだのは……宮沢賢治……太宰治……夏目漱石、そのほか一人、二人……くらいです」。このことで「何が言いたいかというと、あんまり学者を買い被っちゃいけない……ということです」。「暇がたくさんあるから」勉強を多くやる・本を多く読む、ということはない。たくさん「暇があれば」、その分遊ぶのが人間である。「僕がそうだし、誰だってそうだと思います」。私も大学時代に、東大大学院生二人の知人がいてその別々の研究室に遊びに行ったことがあるが、遊び道具がちゃんと置いてあった。訪問した大学の教授の勉強部屋にも、ちゃんと手作りの遊び道具が置いてあった。暇があれば、いつも、テレビも見ず・遊びもせず、本ばかりを読んでいる、と誇らしげに言う輩は眉唾ものに違いない。時間の多さが問題ではない・速読が問題ではない、要は、勉強をやる時・本を読む時の集中力の問題なんだな、と私はその時思った。それと同時に、肝心なのは、吉本の言う「連鎖式勉強法」・「研究法」だと思う。
 さて、佐藤優は、高等教育を受けた者と受けなかった者とを差異化し、さらに「トマスの『神学大全』とバルトの『教会教義学』を読んでおけば神学の概略がどうなっているか理解できるはず」だと述べているのだが、私はこのことは信じられないことだし、もし本当に読んでいたとしたならば、佐藤は富岡幸一郎と同じように、バルト読みのバルト知らずということになる。なぜならば、バルトの神学と思想の根本・核にある、主格的属格としての「イエスの信仰」におけるイエス・キリストの名(啓示の客観的現実性)を理解できなければ、バルトの神学と思想を、根本的にそしてトータルに理解することは決してできないからである。富岡は、自然神学とは「人間が生まれながらにもつ理性によって神の存在を捕えることができるという考え方」であると説明し、具体的にはトマス・アクィナスの神学がその典型であって、トマスは「アリストテレスの哲学を神学にもちこむことで、人間の理性では自然的に神を認識することはできず、神の啓示と恩寵によらなければ、神を知ることはできないというアウグスティヌス的な信仰理解をこえようとした」と述べている。言い換えれば、ここで富岡は、アウグスティヌスは自然神学の系譜に属していないと説明しているのである。。しかし、バルトはそう考えてはいないのである。その度合の差はあれ、アウグスティヌスもトマスもルターもシュライエルマッハーもブルトマン等も、またローマ・カトリック主義や近代主義的プロテスタント主義やアジア的日本的な自然思想の復古性に依拠した近代主義的プロテスタント主義の神学群とその宣教も、すべて自然神学の系譜に属するそれなのである。このことは、「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性にあるとするような信仰である」とした「カントは、本源的であるゆえに、すでに前もってわれわれの理性に内在している神概念の再想起としての神認識という点で、アウグスティヌスの教説と一致する」と述べたバルト自身の言葉から明かなことなのである。この意味において、富岡は「あとがき」で「本書が未来の思想に関与することができればと願う」と書き残しているのであるが、この富岡の本が「思想」として現在から未来に生きることはできないのである。なぜなら、富岡は、瑣末な誤謬ではなく、根本的な誤謬に普遍性の後光をかぶせて語っているからである。この『カール・バルト著作集12』「カント」にある言葉を読んでいて、私はすぐに次に引用する『教会教義学 神の言葉』に連鎖させた――バルトは、自らの「超自然な神学」からして当然にも、「存在するものそのもの」・「その純然たる造られた存在」に依拠したアウグスティヌスの「造ラレタモノヲトオシテ、知解サレタ創造主ヲ認識シテ、私タチハ三位一体ナル神ヲ知解スルヨウニシナケレバナラナイ、ソノ跡ハフサワシイカタチデ被造物ノウチニ顕レテイルノデアル」という語り方に対して、根本的な批判を加えている。すなわち、そのような三位一体の跡は、「世界に対して超越する創造神の跡」として理解することはできない。それは、ただ単なる人間の自己意識によって対象化された人間自身の自己認識、すなわち人間自身の「内在的に理解」された「宇宙の諸規定・人間的な現実存在の諸規定」・「単なる宇宙論や人間論」でしかないのである。また、そのような三位一体論は、人間自身に基づく「人間の世界理解の、最後的には人間の自己理解」・「神話」、すなわち自然神学的な神の人間化・神学の人間学化・人間学的神学の位相にあるものである。なぜなら、そのような神と人間・神学と人間学との混淆論・共働論に基づく人間の啓示認識、それに依拠した存在の比論を通した人間の自己認識を目指す自然神学的な神学や教会の宣教は、「啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力に信頼しない」からである。したがって、バルトは、「神学をただ啓示の中にのみ基礎づけ」るために、聖書に依拠した神学・教会の宣教は、「罪深い曲がった人間」の「究極的な限界性」・終末論的限界を自覚した人間の言語を前提として、「三位一体を、世界から説明しようと欲」しないで、むしろ逆に、「世界を三位一体から説明せんと欲」する、と言わなければならなかった。すなわちバルトは、啓示の出来事と信仰の出来事に基づく啓示認識、その啓示認識に依拠した啓示の比論を通した人間の自己認識を目指しているのである。このアウグスティヌスとバルトとの根本的な差異性は、前者においては「被造物ノ中デノ三位一体ノ跡」というように語られ、後者においては「三位一体ノ中デノ被造物ノ跡」というように語られる点にある。「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」。「解釈する」とは、「別の言葉で同一のことを言うこと」である。また私は、すぐに次に引用する)『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』jに連鎖させた――アウグスティヌスは、「三位一体の痕跡」である「想起(記憶)、知解、愛」としての「人間の中での神の像」を、「最も身近な最も高貴な認識根拠」とした。それは、アウグスティヌスにとって、「聖書的・教会的・教義的前提」であった。そして、アンセルムスにとってもそうであったが、アンセルムスの場合は、アウグスティヌスとは違って、@徹頭徹尾「教えられつつ語る」のであって、「われわれの理性に内在している神概念の再想起」において「創造しつつ神について語ろう」とはしなかった。したがって、A「認識的なラチオ性〔理性性〕」は、「啓示、恵み、信仰(《啓示の出来事と信仰の出来事に基づく人間の啓示認識、それに依拠した啓示の比論を通した人間の自己認識》)」を前提条件としていた。この紙一重を超える在り方に、アンセルムスの神学における思想性はあると言えるだろう。
 この意味でも、学者や著述家の言うことを決して鵜呑みにしたり模倣したりしてはいけないことが分かる。現在、東京都知事選に向かって、小泉純一郎の息子だけでなく本人までメディアに登場して、原発反対か賛成かの二者択一の啓蒙合戦が展開されている。この場合も、知識人や著述家や政治家やメディアの情報を鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいに決まっている。マルクスは、『ユダヤ人問題によせて』(城塚登訳、岩波書店)で、「問題の定式化〔問題を明確に提起すること〕は、その問題の解決である」と述べた、また『経済学批判』(武田隆夫等訳、岩波書店)では、「人間が立ち向かうのはいつも自分が解決できる課題だけである」と述べた。このことから言っても、私は、吉本の考え方が一番正当性があると考える――原発問題の本質的な課題の設定は、原発が科学的技術的領域に属しており自然史の一部である人類史における自然史的過程の進歩発展段階の一つだとすれば、現在のところ、想定される最大・最悪の災害や事故に対する技術的な解決策と安全確保と安全管理が可能であれば存立は可能であるし、そのことが不可能であれば存立は不可能である、という問題であるだろう。したがって、そのような本質的課題を携えて、制度としての官僚・政治家・資本家や、知識人や著述家やメディアの責任を徹底して追及すべきであるだろう。
 さて、吉本は、次のように述べている――「数年間留学して威張って帰ってくる愚か者もいますが、漱石は反対にたった二、三十冊の原書を読んでもなんにもなるものか、ということに途中で気付いたんです。それが漱石の偉さです」。吉本が、文芸批評家として生活していけるようになったのは「四十歳少し前」だった。その吉本の「連鎖式勉強法」・「研究法」とは、勉強・研究の成果の連鎖の蓄積というように言える。先ほども例示的に書いたことであるが、私の信仰・信仰体験・神学・思想の構成において、最も信頼ができる、また最も認識の手助けをしてくれる、そしてまた最も好きなカール・バルトとの連鎖式な私の関わり方について、例示をしてみたい。
例示1:
(1)「あらゆるキリスト者の生が、意識するにせよ、しないにせよ、やはりひとつの証しである」限り、「教会とその信仰を基礎づけている神の言葉から、提起される」「真理問題はあらゆるキリスト者に向けられている。この証しにおいてこの真理問題に対する責任を負う限り、いかなるキリスト者も彼自身がまた、神学者としても召されている」。
(2)「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師の神学が悪しき神学でなく、良き神学であるということに対して、共同の責任」を負っている。
(3)「教義学は、決して信仰と、その認識のより高い段階を意味しない」。なぜなら、「最も単純な福音の宣教も、それが神のみ心である時には、最も制限されない意味で、真理の宣べ伝えであることができるし、最も単純な聞き手に対しても、この真理を完全な効力をもって、伝えてゆくことができる」。「教義学者は、信仰者としても、知識を持つ者としても、神がここでなし給うことに関しては、教会の誰か一人の会員よりも、よりよい状況にあるわけではない」。教義学者とは「ただ単に教義学を専
攻する大学教員や著述家だけ」のことではなく、「広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たち」のことである。
 これら(1)から(3)の内容を考えれば、三つとも根本的に同じ事柄を言い換えているだけであることが分かる。私の場合、先ず(2)は『啓示・教会・神学』にある言葉であるが、この言葉は、私の心に響いて認識として残った一つである。その後、『カール・バルト著作集10』「福音主義神学入門」を読んでいて、やはり私の心に響いて認識として残った言葉の一つが(1)であったが、この言葉は、そういう形で『啓示・教会・神学』に連鎖した。さらにその後、『教会教義学 神の言葉』を読んいて、心に響いた言葉として(3)の言葉が、『啓示・教会・神学』と「福音主義神学入門」にもあった言葉と根本的に同じものとして連鎖した。このことは、啓示の『概念の実在』の歴史性との連帯において個性や時代性を刻んでいる神学者で・牧師で・思想家でもあるバルトが、根本的に同じ内容のことを言い換えている、ということを意味している。
例示2:
 バルトの『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』や『教会教義学 神の言葉』にある、
ア)神の側の真実 =神の自己啓示=イエス ・キリストの名=啓示の実在 =神の自己認識 ・自己理解 ・自己規定=啓示の真理 、永遠 =超歴史 =啓示の時間=救済史は 、常に 、人間が人間的に所有する人間の啓示認識 ・概念 ・教義 、人間の自己認識 ・自己理解 ・自己規定 、人間の時間 ・歴史の彼岸 ・外にあるということ、
イ)このことは、啓示自体から与えられた、私たち人間における「終末論的限界」を意味しているということこと、
ウ)またこのことは、まことの神は「隠蔽性・秘義性」を本質としており、その神に対して人間の理性は「全く闇に閉ざされ」た「盲目」性を本質としている「神の不把握性」のことであるということ、
エ)そしてこの神の不把握性は、神の「存在の本質」=単一性・神性・永遠性についての「信仰命題」であり、一般的真理ではなく、啓示の真理・信仰の真理であるということ、
オ)したがって、これらの認識は、神性を本質とするイエス・キリストの出来事と神のその都度における自由な決断による聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて初めて人間が人間的に所有することができる人間の啓示認識であり、その啓示認識に依拠した信仰の比論・関係の比論・啓示の比論を通して初めて得られる人間の自己認識・自己理解・自己規定であるということこと、
カ)したがってまた、ここで啓示の〈類比・比論analogia〉とは、自然神学的な啓示の主観的現実性に基づく人間の啓示認識・人間の経験的普遍の直接性に依拠した類推ではなく、啓示の客観的現実性に基づくその人間の啓示認識を媒介とした類推ということ、
であり、これらの認識方法と概念構成は、『福音と律法』にある主格的属格としての「イエスの信仰」におけるイエス・キリストの名(啓示の客観的現実性)、すなわちそのイエス・キリストにおける「福音と律法の真理性」と「福音と律法の現実性」の総体的構造を根拠としていることが連鎖的に理解できた。このイエス・キリストにおいては、すなわち神の側の真実においては、イエス・キリストにおける啓示の客観的現実性においては、全人類・全世界・全人類の救済も平和も、徹頭徹尾全面的に完了され・完成されているわけであるから、私たち人間の第一義性は、ただそのことに対する感謝の応答と、その出来事を宣べ伝える奉仕にのみあるだろう、ということである。すなわち、私たち人間の第一義性は、近代主義的な・自然神学的な、神と人間・神学と人間学との混淆・「共働」や「神人協力」にあるわけでは決してない、ということである。したがって、この場合、いろいろな感謝の仕方があるだろう、いろいろな奉仕の仕方があるだろう、しかし、その場合、神と人間・神学と人間学との混淆・「共働」や「神人協力」に依拠する自然神学的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教は決してあり得ないという信仰的神学的思想的な自覚が必要となるのである。なぜならば、その自覚がない場合、それは、単なる宗教・何々主義・誰々教・宗派・党派・偶像崇拝として、フォイエルバッハの宗教批判の対象そのもののでしかないからであり、ハイデッガーの揶揄し批判した「存在者レベルでの神への信仰」そのものでしかないかtらである。
例示3:
 神の言葉は、三位一体論の唯一の比論としての神の言葉の実在の出来事=「神の言葉の三形態」、すなわち人間に向かって語られる神の自己啓示=イエス・キリストの名(啓示の客観的現実性)=啓示の実在そのものと、また「聖書」の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」においてある。そして、この啓示の「概念の実在」は、その「概念の実在」の歴史性(時間的連続性)においてある。このことは、「それ以前に語られた神ご自身の言葉……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っている」ということであり、「われわれ以前の人々によってなされた教義学的作業の成果」は、「根本的には……真理が来るということのしるし」であるということである。私は、この『教会教義学 神の言葉』を読んでいて、すぐに次に引用する『啓示・教会・神学』にある言葉と連鎖させることができた――バルトは、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程(《客観的な信仰告白と教義》)の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求め」た。このことは、啓示の「概念の実在」の歴史性を媒介・反復するという仕方で、それと連帯する、ということである。この意味で、オリジナルな神学思想というものはない。また一方でバルトは、その信仰・神学に、個性や時代性(この意味で、オリジナリティを持つ)を刻んだ。また一方で、私は、神学者で思想家でもあるバルトの先ほどの『教会教義学 神の言葉』を読んでいて、人間学における思想家マルクスの「歴史とは個々の世代(《個体的自己の成果の世代的総和》)の継起にほかならず、これら世代のいずれもがこれに先行するすべての世代からゆずられた材料、資本、生産力を利用(《媒介・反復》)する」(『ドイツ・イデオロギー』古在由重訳、岩波書店)という言葉に連鎖させることができた。
 このように、この吉本の「連鎖式勉強法」・「研究法」は、単純にしかし根本的にそしてトータルに、バルト論を書く時にも適用可能な勉強法・研究法である。井上良雄が評価した、そして私にとってバルトと共に、バルト神学にといって第一級の価値ある書物である『福音と律法』を読み、『啓示・教会・神学』を読む、『ローマ書』を読む、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』を読む、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』を読む、『教会教義学 神の言葉』を読む、『神の人間性』を読む、政治論文集等々を読む、という場合、前述したように、例えば、『教会教義学 神の言葉』のこの言葉は『福音と律法』のこの言葉の言い換えだ、アンセルムス論のこの言葉は『福音と律法』や『教会教義学 神の言葉』のこの言葉と連鎖している、というように、全てが根本的な一貫性を以て連鎖していることが分かってきて、バルト神学を、すなわちその認識方法と概念構成を、単純にしかし根本的にそしてトータルに把握することが可能となった。そうすると、バルト研究者たちやバルトに関することを書いている牧師や著述家たちのバルト理解が根本的な誤謬に「普遍性や組織性の後光をかぶせて語」られたものでしかないことが見えてきた。すなわち、切れ切れな曲解されたバルト論でしかないことが見えてきた。したがって、神学においても、学者や牧師や著述家の知識や情報を鵜呑みにしたり模倣したりしてはいけないことが分かってきた。
 また、こうした根本的でトータルなバルト理解において、下記に述べるアンセルムス論での言葉と、『福音と律法』における「イエスの信仰」の主格的属格理解は連鎖しているということ、そしてそれは、神学における往還思想の構成を意味しているということが分かってきた。それだけでなく、それは、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』にある「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実的生活」や『説教の本質と実際』にある「貧しい、低きにいる民」への教義学的頂きからの意識的下降を意味していること、神学における思想的課題としての、信・知と不信・非知との空隙を埋めること、いわば信・知と不信・非知との架橋を意味していること、信・知をそのあるがままの不信・非知に対して完全に開くこと、を意味していることが分かってきた。このことは、思想としてのバルト神学においては、宗派や党派というものは完全に解体させられている・包括し止揚され、そこから超出していることを意味している。まだ、エキュメニカル運動が必要だと叫ぶ場合、その者たちが、自然神学的な教派や宗派や宗教を実体化して考えているからである。しがって、「すべての大学社会の神学、何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの神学」、またそれに類する神学、すなわちリアリティなき神学――時勢や時流への迎合・同化、大衆迎合・大衆同化・大衆啓蒙が、リアリティの根拠ではない――、すべての非反体制的神学――反体制を標榜しているから反体制ではないし、進歩的な言葉、ラディカルな言葉、左翼的な言葉を使用しているから反体制ではない、それらの言葉の使用それ自体は反体制の内実を持たない――、を包括し止揚して、そこから超出しなければならないのである。このことをなそうとした神学者で牧師で思想家が、全キリスト教の最後の宗教改革者カール・バルトである。
 私は、希望を持って期待しているのですが、これらのことを素直に根本的に理解している、まだ見ぬ・まだ知らぬ人が、この世界の中に、一、二割はいるであろうということをです。繰り返しになりますが、ルターの場合は時代的制約があって、往相的信仰・神学しか持っていなかったために、ルターは、その信・知を、そのあるがままの不信・知に対して完全に開くことができませんでした。しかし、一切の近代主義・一切の自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教を包括し止揚して、そこから超出しようした往還思想の持ち主のバルトは、そのあるがままの不信・非知に対して、信・知を完全に開きました。ここに、思想としてのエキュメニカル運動があります。ここにもう一人、時代的制約を超えて思想した神学における思想家がいます。それは、カンタベリーのアンセルムスです。アンセルムスは、「いかなる人間もほかの者に教えることができないことを教えることができ、また繰り返し教えるであろうことを信頼していた客観的な根拠」、すなわち「信仰の対象そのものの客観的根拠」の「力強さを念頭において」、「非キリスト者をキリスト者として、不信者を信者として語りかけ」、「信者と不信者の間の深淵を超え」出て、「彼が自分を不信者たちに対して不信者たちと同類の者としておき、不信者たちを自分と同類の者として受けとる」ことができました。この「客観的根拠」の概念は、神の側の真実であるイエス・キリストにおける啓示の客観的現実性と同じ位相のものです。それは、アンセルムスにおける思想の言葉・還相の言葉です。バルトは一方で、知識的に上昇する往相的な教義学的知識の頂を極める道を歩みました。その道は、『教会教義学』等を完成させる道であり、そこには神学者としてのバルトの貌があります。しかし、他方でバルトは、その教義学的知識の頂から、その還相過程において、「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実的生活」・「貧しい、低きにいる民」にまで意識的に下降し、その時代水準と究極的包括的総体的永遠的救済の課題を、その神学の認識方法および概念構成に繰り込み包括していく道も歩みました。その道は、『福音と律法』等を完成させる道であり、そこには神学における思想家としてのバルトの貌があります。すなわち、バルトは、大衆迎合・大衆同化・大衆啓蒙によってではなく、神学における往還思想によって、その信仰・神学・知識のリアリティを獲得していましたし、反体制的でもありました。
 さて、最後に、思想としてのバルト神学を、根本的な誤謬に普遍性や組織性の後光をかぶせて語る牧師や神学者の事例を載せておきます。ある教会の牧師が、WEB上でバルトの「『神の人間性』に見る後期バルトの神観」について論じ、「バルトが語る〈神の人間性〉とは」、「たとえ人間が」「神を神とすることを止めて自らを神とし、神の敵として歩み始めたとしても、神は人間と関わりを持つことを決して拒まれないで、あくまでも苦難の中にうめいている人間と苦しみを共にすることを選ばれたということ」であると、尤もらしく聞こえる言葉で、しかし誤謬に普遍性の後光をかぶせて述べていました。この牧師は、バルトの「神の神性において」(神の「存在の本質」としての単一性・神性・永遠性)という言葉を恣意的に取り除いて述べているのですが、バルトは、「神の神性において、また神の神性と共に、ただちにまた神の人間性もわれわれに出会う」と述べているので、バルトにおいては、確実に、神と人間との無限の質的差異を踏まえた上で、人間へと向かう神性を本質とする神の他在における「神の神性」と「神の人間性」(「存在の仕方」)を述べているのです。この語り方に、一切の近代主義や自然主義的な全キリスト教に抗するバルトの神学における思想を認識できなければ、バルトを理解することは不可能なのです。この語り方をキリスト論に即して言えば、神性を本質とする(神の「存在の本質」)、「まことの神」であり「まことの人間」であるイエス・キリスト(神の言葉・神の子・神の「存在の仕方」)、となります。このイエス・キリストの神性の認識・概念と、神と人間との無限の質的差異の認識・概念は、一切の近代主義・自然神学的な神学や教会の宣教やキリスト教に抗することのできる信仰・神学における思想的武器なのです。バルトは、「神が神であるということがいまだに決定的となっていないような人は、今神の人間性について真実な言葉としてさらに何か言われようとも、決してそれを理解しないであろう」とも述べています。この言葉は、そうした誤謬に普遍性の後光をかぶせて語る神学者や牧師や著述家がいるであろうことを予想して置かれているのです。
 このように、バルトには、啓示の弁証法が一貫して踏襲されています。したがって、「第二の方向転換」としての「神の人間性」の「主文章」化は、「第一の方向転換」の「神の神性」の「主文章」化と「対立」関係にあるのではなく、その主文章化と副文章化とのベクトル変容は、あくまでもある時代状況に規定された言表なのです。したがってまた、「神の人間性」論は、ただ「神の神性において」のその神性を本質とする「神の人間性」が主文章化されたということであって、その背後に「神の神性」が保存される構造となっています。バルトも不可避なある時代状況の中で生き生活し喜怒哀楽し思惟し信仰し神学しているのですから、啓示の弁証法に基づいてある時はその一方が「中心部から周辺へ、強調された主文章からさほど強調されない副文章へ」と退いたりするだけなのです。
 しかし私たちは、様々なバルト論における形而上学的解釈の誤解と誤謬に多々出くわします。例えば、『神学者カール・バルト』の訳者である蘇は、その「訳者あとがき」で、時系列的判断に依拠して、「バルトが『聖霊』を口にする場合、それは『教会教義学』の第四巻(殊に第三部)以来ますます載然と、排他的にイエス・キリスト自身の霊的臨在またはその力をさし、したがって自然神学へのブルンナー的遡行(またはヘーゲル的哲学化)を許す『父の霊』は考えられていない」と断定的に述べているのですが、そのようなことはバルト神学においてはあり得ないことなのです。聖霊論を含めて神と人間との無限の質的差異の一貫性においてその神学の認識方法と概念構成をなしているバルトの場合、「父ト子トヨリ出ズル御霊」としての「父の霊」に対して排他的にならなくても、「自然神学へのブルンナー的遡行(またはヘーゲル的哲学化)」を防ぐことはできるのです。啓示の弁証法を持たない形而上学的神学者・蘇には、そのことが理解できないのです。また、バルトの三位一体論における神の「存在の本質」の概念から言えば、蘇の言う「父の霊」への「排他」性は本質的に成立しないのです。すなわち、蘇の言うバルトの「キリスト自身の霊的臨在」の強調は、和解論がイエス・キリストの「存在の仕方」に関わる事柄だからであり、その場合バルトは、神性を本質とするイエス・キリストの「存在の仕方」に重点を置いて論じているだけなのです。また、北森嘉蔵における「神の痛み」について、それは、「(《直接的な》)『神の愛』とは別の事実でなければならぬ。即ち『神の痛み』は『神の愛』に一旦既に背いた者への愛である。『神の愛』は直接的な『神の愛』をば否定的媒介契機として自己の中に止揚しているものであって、『神の愛』より一段高次のものである」・「この『神の痛み』は北森によれば、十字架における神の愛」のことである、と寺園は紹介しています。私たちは、この直接的な神の愛とそれより「一段高次」の否定的媒介契機における神の愛、という北森の語り方に自然神学的なヘーゲル哲学の亜流性を見ることができます。なぜなら、バルトの三位一体論における神の「存在の本質」(単一性・永遠性・神性)・神自身において「真理であり実在」である他在であって自在としての神の自由というその神学の認識方法と概念構成においては、神の「存在の仕方」の差異性はあっても、低次の神の愛と高次の神の愛という段階的概念は、本質的に成立できないからです。言わば、北森には、神学における思想としての良質な三位一体論と神性を本質とするイエス・キリストにおける「福音と律法」の「真理性」と「現実性」の構造的把握がないのです。喜田川信によって、この北森をモルトマンが評価しているとことを知った時、決定的に、私たちは・私は、モルトマンから、そのモルトマンの状況論なき思想なき神学的進歩史観を含めて何も得るものがないことを知らされました。すなわち、北森の神学もモルトマンの神学も、自然時空へと死語化していることを知らされました。