カール・バルト『最後の証し』記事一覧
論述1:カール・バルト『最後の証し』(その1)
1 イエス・キリストについての証言バルトにとってのイエス・キリスト バルトは、次のように述べています――イエス・キリストは、「わたしにとっては特別に、わたしより前に、わたしのほかに、わたしと並んで、すべての人、すべてのキリスト者、さらにはまた全世界、全人類にとって」、「かって在り、今在り、そして未来...
論述2:カール・バルト『最後の証し』(その2)――バルトの「大嫌いな言葉」
バルトは、次のように述べています。1)「自ら自由主義者を任じている人びとよりも、もっと自由である」。このことは、次のことを意味するでしょう。2)バルトにとって、「真の自由とはいつでも、責任に関わる問題である」。したがって、それは、完全に「開かれた存在」であることを意味する。すなわち、それは、一つの...
論述3:カール・バルト『最後の証し』(その3)――カトリックとプロテスタントのラ...
バルトが亡くなったのは1968年12月ですが、足腰の弱った晩年は、毎日曜日の午前にはカトリックとプロテスタントのラジオ説教を聴いていたようです。その説教に関わることについて、次のように述べています。1)バルトにとって「よい説教」の基準は、第一には「聖書に密着」していることであり、第二には「生活に密...
論述4:カール・バルト『最後の証し』(その4)――教会の出発・立ち帰り・告白の場...
これは、「手は自然に、夕べの祈りの形に組まれたまま」亡くなったバルトが、その夜に講演のために書いていた「未完成の第一草稿」です。それは、先ず「親愛なるカトリックおよび改革派のキリスト者諸氏に」で始まっています。その内容は、次の通りです。 私たちは、教会もその中に存在し、また教会の中にも存在する、世...