カール・バルト(その生涯と神学の総体像)

「最後の証し」

「最後の証し」
再推敲・再整理版です。

 

カール・バルト『最後の証し』小塩節・野口薫訳、新教出版社に基づく

 

 バルトは、「イエス・キリスト」について、次のように述べている――イエス・キリストは、「わたしにとっては特別に、わたしより前に、わたしのほかに、わたしと並んで、すべての人、すべてのキリスト者、さらにはまた全世界、全人類にとって」、「かって在り、今在り、そして未来も在り続けたもうところのものにほかなりません」、と。この「イエス・キリスト」は、バルトの神学のその総体像に即して言えば、次のように言うことができる――内的・内在的な「父なる名の内三位一体的特殊性」・「神の内三位一体的父の名」・「三位相互内在性」における三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち起源的な第一の存在の仕方である啓示者である父なる神の子としての啓示ないし和解、起源的な第一の形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間イエス・キリストである、また神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、それ故に成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリストである、また三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性として客観的可視的に存在している「神の言葉の三形態」(換言すれば、キリスト教に固有な類と歴史性)の関係と構造(秩序性)における起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身である、また先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意ができているところの「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一」(『ローマ書』)であり、「永遠の(神との人間の)和解」(神の側の真実からする、神の人間との架橋)であり、神との間の「平和」(ローマ五・一)であり、それ故に神の認識可能性である起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト(「啓示の実在」そのもの)において、「神の用意の中に含まれて、人間にとって、神に向かっての、したがって神認識(≪信仰の認識としての神認識、啓示認識・啓示信仰、人間的主観に実現された神の恵みの出来事≫)に向かっての人間の用意が存在する」と言われるところのイエス・キリスト自身である、総括的に言えば先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」と言われるところのイエス・キリスト自身である、と。

 

 さて、詩人であり、文芸批評家であり、思想家である吉本隆明は、「貴方(埴谷雄高)とちがってカントの先験的な形式論理よりも、ヘーゲルの観念の弁証法に惹かれる私には、臆病や弱さの対極に勇気や強さがあるような対立形式や、臆病や弱さの対極に勇気や強さの人間の存在するといったまやかしは一向に興味がありません。人間は臆病や弱さと同在に(≪基層から積み重なって重層的に≫)、勇気や強さを持つ存在なのです。臆病や弱さがたまたま表層に露出しているときには、基層に勇気や強さが存在している状態にありますし、勇気や強さが表層に露出しているときは、臆病や弱さが基層に存在している状態にあります。これがあらゆる人間の存在形式です」、と述べている。どちらに客観的な正当性と妥当性があるかと問うのならば、吉本者あるいは埴谷者ということは別にして、吉本にあることは、自らの体験の思想化を介して考えてみれば明らかことであるだろう。神学における唯一の思想家でもあるバルトは、吉本と同じような思惟と語りにおいて、モーツアルト生誕二百年の日にモーツアルト宛に書いた書簡で、「若くあることも年老いることもでき」、「勤労にいそしむことも、憩うこともでき」、「歓び楽しむことも悲しむこともできる」「あなたの音楽的弁証法を耳にしていれば」、「生きることができるのです」、と書いている。モーツアルトは、音楽的「勤労にいそしみ」「歓び楽しむこと」の背後に、いつも「人生の厳しさ」や人生の「苦悩」・「個人的その他の不満」を隠し持っていた。モーツアルトの曲には、「善と悪」との弁証法的な「ひびき合」いがある。すなわち、モーツアルトには、「音楽的弁証法」がある、ちょうどバルトには神のその都度の自由な恵みの決断による客観的なイエス・キリストの啓示の出来事とその啓示の出来事の主観的側面としての「聖霊の注ぎ」による信仰の出来事に基づいて終末論的限界の下で与えられる啓示認識・啓示信仰に依拠した啓示の弁証法があるように――例えば、われわれは、まことの神にしてまことに人間イエス・キリストの死と復活の出来事におけるその「イエス・キリストの復活」において「神の選び」を認識し、同時にその「イエス・キリストの十字架」において「神の放棄」を認識するように、また「人間の人間的存在がわれわれの人間的存在である限りは、われわれは一切の人間的存在の終極として、老衰・病院・戦場・墓場・腐敗ないし塵灰以外には、何も眼前に見ないのであるが、しかしそれと同時に、人間的存在がイエス・キリストの人間的存在である限りは、われわれがそれと同様に確実に、否、それよりもはるかに確実に、甦りと永遠の生命以外の何ものも眼前にみないということ――これが神の恩寵である」というように、またわれわれが「召されていること、和解されていること、義とされ、聖とされ、救われていることについて語る時」、「すでに」と「いまだ」の啓示の弁証法において「終末論的に語る」ように。バルトにとっては、「究極的には神学が故郷ではないし、政治の世界もそうではない」し、「教会」もそうではない。バルトにとって、究極的な「故郷」は、「イエス・キリスト」、そのただ「一個の名前」――すなわち「イエス・キリストの名」だけである。バルトは、逝去した1968年11月のスイス放送の中で、モーツアルトK194番の「『おお、神の仔羊、世の罪を負いたもう汝、われらを憐れみ、われらに汝の平和を与えたまえ!』」を聞かせてくれるようにとリクエストした」。

 

 また、バルトは、次のように述べている――先行させた人間の側からする神との「混淆」・「混合」、神との「共働」・「協働」、「神人協力」、神学と人間学との「混合神学」等を目指す自然神学あるいは自然的な信仰・神学・教会の宣教を目指す「自ら自由主義者(≪自由主義国家が近代主義国家であるのと同じように、近代主義者と言ってもよい≫)を任じている人びとよりも、(≪「イエス・キリストの名」において、それら一切のものから対象的になって距離をとれている私は≫)もっと自由である」。バルトにとって、「真の自由とはいつでも、責任に関わる問題である」、それ故にそれは、完全に「開かれた存在」であることを意味する。すなわち、一つの言説、一つの教説、「一つの思想にせよ」、完全に開かれたものでなければない、それ故にそれは、党派的、党派主義的、党派的多元主義的であってはならないし、そうした共同性であってはならないし、それ故にまたそれは、それ自体に自己相対化の視座を持っていなければならない、換言すれば教会の宣教、その一つの機能としての神学は、その思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者としての、三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能として客観的可視的に存在している「神の言葉に三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を堅持していなければならない、またそれは終末論的限界の自覚を持ったものでなければならない。したがって、バルトは、「わたしは、自分の思うところを思うままに考えかつ語っていながら、なお、自分の言行が正しいはずだ、などと考え」ないと述べている。

 

 また、バルトの「大嫌いな言葉」――それは、「神学の素人」という言葉である。「あなたは今、私の大嫌いな言葉を口になさいました。それは古い古い、全く誤った区別の仕方です」。「わたしもまたひとりの素人なのです」。何故ならば、「全人類をその中に含む『神の民衆、神の民』……の中では、上も下もなく、人は皆『相並んで』立っているのです。ひとりの人は神学を学び、他の人はこれを学びませんでした。が、だからとって、神学を学んだ人、あるいは今学びつつある人が、そうではない、ただの素人とは別種の、すぐれた者ではないのです」、ちょうど『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、「教義学は、決して信仰と、その認識のより高い段階を意味しない」、「教義学者は、信仰者としても、知識を持つ者としても、神がここでなし給うことに関しては、教会の誰か一人の会員よりも、よりよい状況にあるわけではない」。教義学者とは「ただ単に教義学を専攻する大学教員や著述家だけ」のことではなく、「広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たち」のことであるように。したがって、バルトは、次のように語るのである――「わたしなら、神の啓示としてわたしの聞き取り得たと信ずるところのものを、そっくりそのまま、包括的な形で書き著すことを試み」る。「『わたし』の聞き取り得たと思うところのものを」、「わたしは自分自身のために語ることしかできません」。この場合の「わたし」は、個人としてのそれではなく、キリストの「教会」に属する「一教会員としての」「ひとりの人間としての『わたし』」である。

 

 バルトが逝去したのは1968年12月であるが、足腰の弱った晩年は、彼は、毎日曜日の午前にはカトリックとプロテスタントのラジオ説教を聴いていたという。その説教に関することで、バルトは、次のように述べている――「よい説教」の基準は、第一には「聖書に密着」していることであり、第二には「生活に密着」しているという点にある。このように語るバルトは、『説教の本質と実際』で、次のように述べている――「説教の無条件的な出発点と目的」は、「新約聖書において聞く啓示、和解」、その死と復活の出来事におけるイエス・キリストの啓示の内容である「インマルエル、神われらと共にいます」である、それ故に説教者は「キリストからすべてのことを期待しなければならない」、このことが「終末論」である、それ故にまた「キリスト教的終末論とは、キリスト論にほかならない」、ここで「説教」は「感謝と確信と共に期待の態度と行動」である、「第一の来臨(≪イエス・キリストの誕生・生涯・死と復活≫)と第二の来臨(≪復活されたキリストの再臨、終末、救贖、「完成」≫)との間(≪聖霊の時代≫)に、説教と、また同時にキリスト者の生活全体」とがある、説教は説教者の自由事項や決定事項ではないのであるから、説教は自分自身の言葉から由来すべきではなく、「どのような場合であれ、その形式と内容において、聖書への絶対的信頼に基づく、聖書講解であることの義務を負っている」、このような訳で「説教者が、実際の生活にはなお多くのことが必要であって聖書は生きるために必要なことを言いつくしていない(≪近代主義的な人間の感覚と知識を内容とする経験や情報が不足している≫)と考えるようなことがある限り、彼は、この信頼、信仰を持っておらず、真に信仰によって生きようとしていないのである」。キリストの福音は、「われわれの思考や心情の中にあるのではなく、聖書の中にある」から、われわれは、「思想」、「最高の習慣、最良の見解、そのようなものいっさい」を、聖書に「聴従」することの前で、「放棄」しなければならないのである、その「聖書は(≪あの先行する神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて≫)神の言葉となる」ところで、「聖書は神の言葉なのである」、と。また、バルトは、プロテスタント改革派の「中核的要素」である説教の「重み」・「真剣さ」・「迫真性」が、カトリックの場合には「もっとも優れた説教」においても「欠けている場合がある」、しかしこの改革派の強みは弱みでもある、何故ならば改革派の礼拝は、「二つの中心点を持つだ円形」を持たないからである、すなわち改革派は、「教会の宣教」における「説教」と「聖餐式」という二つの中心点を持たないのである、「説教」の方に重みを持たせているのである、逆に言えば「聖餐式」の方に重みを持たせているカトリックには強みがある、しかしそれがまたカトリックの弱みでもある、何故ならば「説教」の重みが減少するからである、それだけではなくカトリックの強みの「聖餐論」には、ルターの聖餐論(ルターの聖餐式の「パンは高く挙げられたイエスの栄光化されたからだであらねばならなかった」)にもあるような弱みがある、いわゆる化体説がある、換言すれば神と人間との無限の質的差異の止揚、すなわち先行させた人間の側からする神の人間化あるいは人間の神化という?倒がある、と語る。それでは、両者の説教における共通の弱みとは何か? それは、「聖書に密着」する、聖書に「聴従」する「聖書講解」であるべき説教の「義務」を果たしていないという点にある、と語る。言わば、「聖書の字句はほんの口実で、事実上は誰の耳にも明らかに一つのテーマについての説教」、すなわち「主題説教」となっている点にある、と語る。バルトは、イエス・キリストにおける啓示は、その啓示自身に固有な証明能力を、キリストの霊である聖霊の証しの力を、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動等を持っているという立場に立脚して、カトリックやプロテスタントの主題説教における「下から上へ向かう思考方法」(先行させた人間から神へと向かう思考方法、「存在の類比」の思考方法)を批判しているのである。第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)に信頼し固執し固着する「聖書中心主義」の放棄を批判しているのである。また、「生活に密着」することについて、バルトは、独身主義のカトリックの説教者は、人生を、「自分の内側から」「自分の体験から」知らないと語り、プロテスタントの説教者は「結婚」し「家内の機嫌もとりゃないかん」という重荷を知る者であるとしても、「彼の説教が『生活に根を下ろした』」ものであるという保証はないと語る。したがって、バルトは、「大変世俗的な内容を持ったモーツアルトのリート(『沈黙』ひめごとという題なのですが)のリフレインを借りるとすればわたしの論述の全体に関しても個々の問題についても、これ以上は<もう何も言うまいぞ!>」と語るのである。フォイエルバッハやマルクスやハイデッガーから根本的包括的に原理的にされてしまったにも拘らず、人間的な教会の宣教、その人間そのものである説教者たちは、旧態依然として、シュライエルマッハーやブルトマン等々のような「自己表現としての宣教」を目指して何をしようというのだろうか?

 

 「手は自然に、夕べの祈りの形に組まれたまま」逝去したバルトが、その夜に講演のために書いていた「未完成の第一草稿」があり、それは、先ず「親愛なるカトリックおよび改革派のキリスト者諸氏に」で始まっている。そして、その内容は、次のように言うことができる――われわれは、教会もその中に存在し、また教会の中にも存在する、世俗の世界、またその世界における「あまた」の「新しい出発」、「立ち帰り」、「告白」を、見聞している。これらのことに対して、われわれは先ず以て、「過大評価も過小評価も」すべきではない。しかし、教会のほんとうの意味での世俗世界との「もっとも深い」「連帯」の場所・拠点は、第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会自身にはなく、教会が「新しい」「出発」、「立ち帰り」、「告白」をすべき場所・拠点自身にある。その場所・拠点は、ただ内的・内在的な「父なる名の内三位一体的特殊性」・「神の内三位一体的父の名」・「三位相互内在性」における三位一体の神の、われわれのための神としての「外に向かって」の外的・外在的なその「失われない差異性」における第二の存在の仕方、すなわち起源的な第一の存在の仕方である啓示者である父なる神の子としての啓示ないし和解、起源的な第一の形態の神の言葉、「まさに顕ワサレタ神こそが隠サレタ神である」まことの神にしてまことの人間「イエス・キリスト」だけ、換言すればただ神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、それ故に成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものである「イエス・キリスト」だけ――すなわち、「ただイエス・キリストの名だけ」である。さらに続けて、バルトは、その出発は、「危機的な運命の岐路において起こる」、それ故にその新しい「正しい出発」とは、「未来に向かって『然り』を言うこと」であると語る。バルトは、ここで、ある牧師の集会におけるひとつの逸話を挿入している――若い牧師が、「……歴史を築いてきた先生は、今や歴史になっておしまいです(≪バルトの思惟と語りは、自然時空に死語化してしまいました≫)。われわれ若者はしかし新しい岸辺を目指して出発しようとしているのです」と述べたのに対して、バルトは「それは結構だ、それを聞いてわたしもうれしいね。ところでその新しい岸辺についてわれわれに少し話してくださいませんか」と問い返した時、「彼」は「残念ながらそれについて何ひとつ語るすべを知らなった」。ここで決定的に問題であることは、その若い牧師やそれに類する者たちは、「ほとんど一切が変革されねばならぬ」「新しい岸辺」が必要であるという問題について全く認識し自覚していなかったという点に、すなわちその問題を明確に提起することができなかったという点にあるのである。
 「あなた方の前に過ぎ去った日々に向かって問うて見るがよい」(申命記4・32以下)。「分れ道に立って、そして見るがよい。どれが救いの道であるのかと、いにしえの小径に尋ねるがよい」(エレミヤ6・16)。このことは、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、次のように言うことができる――(ア)「旧約聖書的な待望の時間」と「新約聖書的な想起の時間」との間の「成就された時間」とは、「イエスがご自分をお示しになった復活のあの四〇日(使徒行伝一・三)のこと」である。「新約聖書の証人たち」は、この「キリスト復活の四〇日をおぼえる想起」において、「キリストの死」と「キリストの生涯」を想起する時、「光を得た」のである。彼らは「甦えりの証人」である。そして彼らは、「既に来た方」イエス・キリストは「またこれから来たり給う方」であることを語るのである。「新約聖書の信仰」は、「想起の時間」である「聖霊降臨日のあとの時代」である。したがって、この「想起の時間」、聖霊降臨日以降の時間は、「成就された時間」(キリスト復活の四〇日)ではない。しかし、その「想起の時間」は、「甦えられた方」(復活のキリスト)をおぼえる「想起の時間」として、必然的に「甦えられた方を待ち望む待望の時間」、終末、復活されたキリストの再臨、救贖、「完成」を待望する時間であり、そのようにしてそれは、「成就された時間」(キリスト復活の四〇日)に参与する。ここで、「すべての以前と以後においても」「同一の方であり給うイエス・キリスト」において、「未来」(終末、復活されたキリストの再臨、救贖、「完成」)を考えること・「待望すること」は過去(「キリスト復活の四〇日」の「成就された時間」)を考えること・想起することであり、過去(「キリスト復活の四〇日」の「成就された時間」)を考えること・「想起すること」は「未来」(終末、復活されたキリストの再臨、救贖、「完成」)を考えること・「待望すること」であると同時に、「成就された時間」の前の過去を考えることでもあるのである、(イ)「それ以前に語られた神ご自身の言葉……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っている」ということであり、「われわれ以前の人々によってなされた教義学的 作業の成果」は、「根本的には……真理が来るということのしるし」であるということである、換言すれば第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の宣教、その一つの機能としての神学は、具体的には「神の言葉の三形態」の関係と構造(秩序性)における第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(最初の直接的な第一の啓示の「概念の実在」)を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・キリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請)という連関において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指すということである、と。したがって、このことは、原始キリスト教への、また16世紀の宗教改革への「復古」を決して意味してはいないのである――「『古き時代に聞け!』というのは、……教会的な歌ではありません」(バルト)。