カール・バルト(その生涯と神学の総体像)を理解するためのサイト

「平和に関するバルトの書簡」(寺園喜基の私訳)をめぐって

「平和に関するバルトの書簡」(寺園喜基の私訳)をめぐって
再推敲・再整理版です。

 

寺園喜基『バルト神学の射程』ヨルダン社に基づく

 

 ベルトールト・クラッパートの「状況連関神学」に傾倒している寺園が、日本基督教団立東京神学大学の学長だった桑田秀延の手紙に対する返答であるバルトの「平和に関するバルトの書簡」をわざわざ私訳した契機は、次のような点にあるに違いない――すなわち、「政治・経済・社会の問題は『表面』であり、説教は『基礎』である」、「バルトにおける十字架の神学」、バルトの思惟と語りに即して言えば、われわれ人間の「召命」・「義認」・「聖化」・「更新」を可能とするのは、「今日に至るまで罪人の手に渡され・十字架につけられ・死んで甦られ給うたイエス・キリストにある復活の力のみである」から、その死と復活の出来事全体における、すなわち神の側の真実としてある「本来的な実在としてのイエス・キリストの新しい時間」・「新しい世」のはじまりとしての「成就された時間」であるその復活の出来事に包括された「十字架の神学の基調の一つに、神学の政治的課題がある。これは『基礎』と『表面』の関係というよりも、神学の質の問題としてある……。桑田秀延にあてたバルトの手紙はそれを端的に示している」。復活の出来事に包括された「十字架の出来事における和解の現実性(≪バルトの場合、その「啓示と和解を生じさせる」のは、あくまでも「キリストの神性」である、すなわち「赦す神」は、そのキリストの「まことの人間性」にあるのではなく、その「まことの神性」にあるのである≫)と、教会に委託された平和の問題との関係について、神の平和と人間の平和運動について、神学と実践の問題について、バルトは桑田(≪後述するが、寺園もこの桑田に含まれる≫)とは……決定的な違いをもって述べている」という点に、寺園がバルトの書簡を私訳した契機があるに違いない。言い換えれば、寺園は、神の側の真実としてある、それ故に客観的現実性としてある、「成就と執行」・「永遠的実在」としてある「~の平和」(言葉)だけでなく、通俗的に二元論的に「人間の平和運動」(行動)も導入したいのである、すなわち通俗的な二元論的な、それ故に先行させた人間の側からする神との「共働」・「協働」論を、「神人協力説」を導入したいのである、教会の宣教・その一つの機能としての神学(言葉)だけでなく、それとは独立した政治的課題・政治的実践・人間の平和運動(行動)というものを導入したいのである。しかし、「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持し、具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(この聖書が、教会に宣教を義務づけている)を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・純粋なキリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」(この「隣人愛」は、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請である)を目指すところの<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行したバルトは、桑田やクラッパートの状況連関神学に傾倒している寺園のような旧態依然として自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞する彼らとは全く違っているのである。バルトの場合、政治との関りは第三の形態の神の言葉に属する教会の宣教における<不可避性>としてあるものであって、それ故に通俗的な二元論的な言葉だけでなく行為(実践)もというような在り方にはないのであって、バルトの場合その在り方は、『カール・バルトの生涯』に即して言えば、「われわれは(≪キリストにあっての≫)神と並んで、いかなる神々をも持つことはできないということ、聖書の聖霊は、教会をあらゆる真理へと導くのに十分であること、イエス・キリストの恵みは、われわれの罪の赦しとわれわれの生活の秩序にとって十分であることを語った。但し、私がまさにこのことを語ったのは、それがもはやアカデミックな理論などといった性格にはとどまりえず、むしろ、私がそういうものにしようともせず、また実際にそうしなかったのに、それが呼びかけ、要求、戦いの標語、信仰告白にならざるをえなかったという状況においてであった」という在り方にあるのである、すなわちそれが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、「かつて語った(≪純粋なキリストにあっての神・キリストの福音についての≫)説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」という在り方にあるのである。言い換えれば、「マルクスの完結した体系は、当時も(そしていまも)よく理解されていなかったが、理論がかれを実践のほうへ必然的につれていくようにできあがっていた」(『吉本隆明全著作集12』「カール・マルクス」)ように、バルトの場合も、「かつて語った(≪純粋なキリストにあっての神・キリストの福音についての≫)説教の一貫した繰り返し」(言葉)が、「実践に、決断に、行動」(行為)へと必然的につれていくようにできあがっているのである。このことは、バルトの次のような思惟と語りと行動を引き寄せてみれば、よく理解することができる――「世界の救いを何かある国家的(≪観念の共同性を本質とする国家の法的言語や政策的言語≫)、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)、ただ確かに「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」としても、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない」、何故ならば「すべての主義のように」「平和主義は一つの絶対主義」(一つの宗教)だからである、「われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、(≪自国の利害を第一義的に最優先する一部国家支配上層の意思によって動員できる巨大で強力な国軍を持つ戦争の元凶である民族国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」のである、したがって、あくまでもナチス国家との相対的評価において「スイスをナチズムからまもるために私は軍隊に参加」し(行動し)、「両国を区分しているライン河にかかっている橋を護衛」するために、「もしもドイツのキリスト者の友人の一人が、その橋を爆破しようとしたら、私は射殺しなければならなかったであろう」、したがってまた、「規準はただ方向を与えることしかできない」から、「ある特定の瞬間になした決断はおそらく、もっとも重要なキリスト教の教義(≪第三の形態の神の言葉に属する全く人間的な教会の客観的な教義≫)よりもっと重要であるかもしれない」のである(『バルトとの対話』)。

 

 また、大学社会の近代主義的自然神学者の寺園は、先ず以てキリストにあっての神に「責任的応答」、「誠実と真実をささげるべき」だと考えるのではなく、ブルトマンのように先ず以て近代主義的な人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍、近代主義的な「同時代の人たちの思考の前提」、「そこから形成された(≪近代主義的な≫)理解の規準に対して」気を配り、「責任的応答」、「誠実と真実をささげるべき」だと考えて、次のようには言おうとしないのである――バルトの場合は、われわれ人間の「召命」・「義認」・「聖化」・「更新」を可能とするのは、「今日に至るまで罪人の手に渡され・十字架につけられ・死んで甦られ給うたイエス・キリストにある復活の力のみである」から、その死と復活の出来事全体における、すなわち神の側の真実としてある「本来的な実在としてのイエス・キリストの新しい時間」・「新しい世」のはじまりとしての「成就された時間」であるキリストの復活の出来事に包括された「十字架の神学」という思惟と語りをするのであるが、寺園はそのような思惟と語りをしないのである。寺園が紹介していた『神の痛みの神学』を著わした北森嘉蔵も、寺園と同類であって、「十字架における神の愛」についての理解がそれである。大学社会の近代主義的自然神学者の寺園は、同類の「徹底したバルト批判者であった」北森を介して、<非>自然神学の段階へと移行したバルトを暗に外皮的皮相的に批判しているのである、あるいはバルトを誤解・誤謬・曲解して論じているのである。自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者としての聖書的啓示証言に信頼し固執し固着したバルトにとってキリストの復活の出来事は、徹頭徹尾最重要の事柄としてある。したがって、バーゼルの刑務所における「主を見た時 ヨハネ二〇・一九−二〇」という説教(1963年5月29日復活祭における説教)において、キリストの「復活の出来事」は、「説明ではなく」、「告白」・「証し」・「宣べ伝え」であると「イエス・キリストの復活の出来事」について思惟し語っている。吉本隆明によれば、カトリック作家の小川国夫は吉本から「あなたはキリストの復活を信じているのですか」と質問されたとき、小川は、ドストエスキー(『罪と罰』のマルメラードフの告白)のように、「信じています」と答えたという、また例えば聖書の中の「奇蹟」というものを「実在論に還元してしまうと、(≪また聖書の史実性を問題にすると≫)田川健三はそうだとおもいますが、……こういういいかげんなことを書いてる本だという以外にない」のだが、「言葉としての聖書というのは、信仰の書として読んでも、文学書として読んでも、あるいは思想の書として読んでも、どんな読み方をしょうと人間をのめり込ませる力がある」と考えている吉本が「キリストが実在していたかどうかは、たいして重要じゃないと思う」と述べたことに対して、小川は「いや、問題です」と答えたという(『<非知>へ――<信>の構造「対話篇」』「家・隣人・故郷」・「宗教と幻想」・「生死・浄土・終末」・「新共同訳<聖書>を読む」春秋社および『超「20世紀論」下』アスキー)。このように、吉本は、西欧近代のただ中で生き・生活し・喜怒哀楽し・思惟し・思想し・意志し・構想しているのだが、先ず以て相手が仏教者であれ、キリスト者であれ、その信仰者の思惟と語りを尊重する立場と態度を貫徹させている。しかし、寺園を含めて近代主義を骨肉にまで受け入れた神学大学あるいは大学の神学部等に属する大学社会の知識人、それに類する知識人、それに類する人々は、バルトや小川と同じように、生来的な自然的な自分の「『理性や力によっては』全く信じることができない」ことを告白し、それ故に「主よ、信じます。私の不信仰を助けてください」という祈りの中で、「キリストの永遠のまことの神性」、「キリストの復活の出来事」を素直に「告白」し「証し」し「宣べ伝える」ことを、躊躇するのである、バルトや小川と同じように素直にそうするjことをしないのである。寺園と同じ大学社会の近代主義的自然神学者の八木誠一は、吉本が「信仰することによって信仰していない者には見えない何か新しい地平線が見えると思うけれども、……そこをうまく開陳してみてくれませんか」と尋ねた時、八木が、自らの信仰・神学における思惟と語りによって答えなかったことに対して、換言すれば人間学的に答えようとしたことに対して、「だけど今の八木さんの説明では、……あらゆる認識が、もし自分自身の体験、それから自分自身の資質というか、そういうものを全部根こそぎ動員して、認識と言うものを追究していくと出てくる問題と、あまり違わない」と疑義を呈して、「それ宗教(≪信仰≫)と関係あるかな、ということですね。やはり納得できるように思いません」と述べたのである(『現代思想11 1975年』「<新約思想をどうとらえるか>吉本隆明/八木誠一」)。ここには、大学社会の近代主義的自然神学者の八木の実姿を窺うことができる。したがって、八木は、いや八木だけでなく近代主義的自然神学者たちはあるいは近代主義的自然的な信仰・神学・教会の宣教を目指す者たちは、キリストの「まことの神性」を否定するのである、「キリストの永遠のまことの神性の告白を信用しない」のである、すなわちその「人間性」だけを切り取って固定化し全体化するのである、それ故に吉本は八木に対して、「それ宗教(≪信仰≫)と関係あるかな、ということですね。やはり納得できるように思いません」と述べたのである。そうすると、キリスト教に固有な第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言におけるまことの神にしてまこと人間イエス・キリストは、人間的理性や人間的欲求やによって対象化されたに過ぎない単なる宗教化され倫理化された<人間>イエス(まことの神にしてまことの人間である「真に罪なき、従順なお方」としての「まことの人間」ではない宗教化され倫理化された<人間>イエス、人間の側からする神の人間化あるいは人間の神化における人間)になる以外にはないのである。まさに、「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性にあるとするような信仰であるとしたカントは、本源的であるゆえに、すでに前もってわれわれの理性に内在している神概念の再想起としての神認識という点で、アウグスティヌスの教説と一致する」(『カール・バルト著作集12』「カント」)という自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階で停滞することになるのである。ここに、どうして個体的自己としての全人間・全世界・全人類の救済が、平和があるであろうか。

 

 さて、バルト自身にとっては、神の側の真実としてのみあるローマ書3・22、ガラテヤ2・16等の主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・「律法の完成」そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、それ故に成就され完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済そのものであるイエス・キリストにおける救済概念は、平和の概念を包括したそれである――この包括的な救済概念は、「この世の神との和解」、「人間相互間の和解を直接その内に包含している和解である」。神の側の真実としてのみある「神ご自身によって、イエス・キリストの歴史において、その生涯と死において、すでに完成され、死人からの復活においてすでに啓示されているような、和解である」。したがって、「われわれによって初めて完成されねばならないような和解ではなく、神ご自身によって確立された和解である」。「イエス・キリストにおいては神と人間が、しかしまた人間とその隣人が平和的なのであり、敵としてではなく、忠実な同伴者、仲間として、共にあるのである」。「イエス・キリストにおいて平和は、神ご自身が世界史〔人間の類の時間性、人類史〕のまっただ中に創造し見えるものとして下さった現実性である」。「この贈り物はただ、われわれがこれを受けとることを待っている」。したがって、「われわれが、この事実に向かって、眼と耳を閉ざして生きているということが、悲惨なのである」が、またそうした中で、われわれが「平和は戦争より善いものであるということを繰り返し断言せねばならない」としても、「それらのことは究極的に何の助けをももたらさないことは明白である」。何故ならば、現存する世界は、経済の世界性と民族国家の一国性を単位として動いており、自国の利害を第一義的に最優先する一部国家支配上層の意思によって動員できる巨大で強力な国軍を持つ戦争の元凶である民族国家が存在しているからであり、それ故に常に戦争の可能性があるからである。したがって、「世界が必要としている革命的認識は、世界はイエス・キリストにおける神の愛〔子なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事、「啓示ないし和解の実在」そのものとしての起源的な第一の形態の神の言葉〕によってすでに解放された世界である」ことに感謝をもって信頼し固執し固着して、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求めようとしないで、私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待するべきである」という点にある。したがってまた、キリスト者とキリスト教会の責務は、先ず以ては、「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を固守するという<方式>を堅持し、神の側の真実としてある主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」にのみ感謝をもって信頼し固執し固着して、具体的には第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書的啓示証言(この聖書が、教会に宣教を義務づけている)を、自らの思惟と語りと行動における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、終末論的限界の下で絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、純粋なキリストにあっての神・純粋なキリストの福音を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」――キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、「もろもろの誡命中の誡命、われわれの浄化・聖化・更新の原理、教会が教会自身と世に対して語らねばならぬ一切事中の唯一のこと」、すべての人々がキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝え――という連関において、イエス・キリストをのみ主・頭とするイエス・キリストの「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を目指すという点にある。私の理解によれば、このことが、バルトの思惟と語りにおける内容である。

 

 さて、バルトは、神の側の真実としてあるローマ書3・22、ガラテヤ2・16等の主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了そのもの、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、それ故に成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和)そのものであるイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着することを述べているのであるが、それ故にバルトが「イエス・キリストを信じる」ということを語る場合、「イエス・キリストに対する信仰のみを残した」ということを語る場合、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)におけるイエス・キリストをのみ信ぜよということ、そのイエス・キリストにのみ感謝をもって信頼し固執し固着せよということなのである。したがって、バルトは次のように述べている――「『私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>ということである)』(ガラ テヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである、と(『福音と律法』)。
 しかし、寺園の私訳が正しいものとして、寺園は、バルトが、「諸民族は……イエス・キリストを信ずる信仰へと呼びかけられている」が故に、「キリスト者とキリスト教会は諸民族を、……イエス・キリストを信ずる信仰へと呼び出さ」なければならないという時、大学社会の近代主義的自然神学者の寺園は、まさにギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」を目的格的属格(イエス・キリストを信じる信仰による神の義)として理解しているのであるから、それ故に徹頭徹尾神の側の真実において自らにある不信を含めて信と不信をおよびキリスト者と非キリスト者をならびにキリスト教と非キリスト教を架橋することは決してできないのであるから、必然的に、寺園は、ただ往相的な一方通行に上昇していくキリスト教信仰の場所からのみ、諸民族は「イエスキリストを信ずる信仰へと呼びかけられている」のであるから、諸民族をその希望としての「イエス・キリストを信ずる信仰へと呼び出す」という点に、キリスト者とキリスト教会の責務がある、と理解することになるのである。このような訳で、この大学社会の近代主義的自然神学者の寺園には、<非>自然的な信仰・神学・教会の宣教の段階へと移行したバルトの次のような思惟と語りを(前述した『福音と律法』における思惟と語りを含めて)持つことができないのである――「『もちろん福音をわたしは聞く、だがわたくしには信仰が欠けている』その通り――一体信仰が欠けていない人があるであろうか。一体誰が信じることができるであろうか。自分は信仰を『持っている』、自分には信仰は欠けていない。自分は信じることが『できる』と主張しようとするなら、その人が信じていないことは確かであろう。(中略)信じる者は、自分が――つまり(≪生来的な自然的な≫)『自分の理性や力(≪知力、感情力、意志力、自然を内面の原理とした身体的修行等≫)によっては』――全く信じることができないことを知っており、それを告白する。聖霊によって召され、光を受け、それゆえ自分で自分を理解せず(中略)頭をもたげて来る不信仰に直面しつつ(中略)『わたくしは信じる』とかれが言うのは、(≪主格的属格としての理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」の下で≫)「主よ、わたくしの不信仰をお助け下さい」という願いの中でのみ〔マルコ九・二四〕、その願いと共にのみであろう」(『福音主義神学入門』)。さらに、クラッパートの「状況連関神学」を評価しそれに傾倒している寺園は、人間、社会、世界、歴史との連関が必要だと主張しながら、例えば、平和の問題を、それ故に戦争廃絶の問題を、それ故に民族国家を埋葬する問題を、また観念的な、すなわち法的政治的な部分的な人間の解放の問題(過渡的問題)に対する観念の共同性を本質とする国家の無化を伴う現実的な、すなわち社会的な全体的な個体的自己としての全人間の解放の問題(究極的問題)を、客観的な正当性と妥当性とをもって明確に提示することもしないのである。すなわち、寺園は、ただ「神学的なもの」と「政治的なもの」、すなわち「倫理―隣人愛―仕える教会―信徒―民主主義的社会主義―平和運動」の「必然的関係」および「正しい関係」に意志的に仕えることを志向し目指すクラッパートの「状況連関神学」を評価しそれに傾倒しているだけなのである。