本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(その4−4)−2

カール・バルト『教会教義学 神論T/1 ~の認識』吉永正義訳、新教出版社に基づく

 

『教会教義学 神論T/1 ~の認識』「五章 ~の認識 二十六節 ~の認識可能性」「二 人間の用意」(その4−4)−2(302−326頁)

 

「二 人間の用意」(その4−4)−2
 「一九三四年五月三一日のバルメン宗教会議の神学的宣言の第一条」について――
 「『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない』(ヨハネ一四・六)。『よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。……わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われるであろう』(ヨハネ一〇・一、九)。聖書(≪「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における預言者および使徒たちの直接的な最初の第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、客観的な啓示の「概念の実在」≫)においてわれわれ(≪第三の形態に属する全く人間的な教会≫)に証しせられているイエス・キリスト(≪起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの≫)は、われわれが聞くべき、われわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一のみ言葉である」(「一九三四年五月三一日のバルメン宗教会議の神学的宣言の第一条」)。「宗教改革時代の神学と信仰告白書」は、自然的な信仰・神学・教会の宣教――すなわち「自然神学の問題」とそれに対する「信仰告白書の形で為」すべき「対決」を「不問のままに残した」のであるが、この「福音主義教会……の文書」は、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教を問題視しそれに対決した「重要」な「最初の文書」である。この「一九三三年」、「自然神学の問題は、事実、はじめて尖鋭化された問題となった」――この年、「ドイツ福音主義教会」が、「はっきりとした形で、全線にわたって、自然神学の特定の新しい形態、すなわち……政治的な出来事の中に、特に神によって遣わされたアドルフ・ヒットラーなる人物の中に、神の特別な新しい啓示の源泉を認識するようにという不当な要求の前に立たされた時」、自然神学の問題は「焦眉の問題となった」。「その要求は、服従と信頼を要求しつつ、聖書に証しされた啓示の傍らに入ってきたのであり、聖書に証しされた啓示と並んで拘束的義務的なものとしてキリスト教の宣教と神学によって承認されることを求めた。この要求と共に、また人々が至るところでこの要求に従ったという事実によって、周知のようにいわゆるドイツ教会闘争が始まった」のである。その要求は、最後的には、「第一の要求の背後に」、「政治的運動の動力に対応しつつ」、あの人間自身教会自身が人間的教会的欲求によって対象化し客体化したに過ぎない「神の特別な新しい啓示」(「アドルフ・ヒットラー」)を「唯一の啓示として宣言すること」を「考え」ていたのである。すなわち、最後的に、人間の神化、神の人間化、を志向し目指していたのである。ここでも、「われわれは、ヘーゲル(≪「聖書の主題」である神と人間との無限の質的差異を止揚し後景へと退けてしまった、それゆえに神においてのみ「実在であり真理である」神の自己運動・自由と人間の自己運動・自由との無限の質的差異についての認識と自覚を欠如させた、人間中心主義的な「自信自恃の哲学」≫)の強力な痕跡に遭遇するであろう」(『ヘーゲル』)、フォイエルバッハが批判した自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教におけるキリスト教の最後的な形態に遭遇するであろう。言い換えれば、その福音主義教会は、律法をキリストの福音を内容とする福音の形式として認識し自覚しなかったのである。その福音主義教会は、<非>自然的な<段階>の信仰・神学・教会の宣教を志向し目指さなかったのである、換言すれば具体的には聖書的啓示証言を教会の宣教と神学における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、絶えず繰り返しそれに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、<純粋>なキリストの福音、キリストにあっての神を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請、「もろもろの誡命中の誡命、われわれの浄化・聖化・更新の原理、教会が教会自身と世に対して語らねばならぬ一切事中の唯一のこと」、すべての人々が<純粋>なキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝えを志向し目指さなかったのである。したがって、その福音主義教会は、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法を聞いた時、「律法を悪用する」「罪の法則」によって「善きものを反対物に変」えるという人間的な「巨大な欺瞞」を惹き起こしたのである。言い換えれば、その福音主義教会は、イエス・キリストが、人間の「神の恩寵への嫌悪と回避」に対する神の答えである刑罰(死)を、「唯一回なし遂げ給うた」(「律法の成就」・完了)ということを、「律法の終わりとなられた方」であることを聞かず承認しなかったのである。この時、第三の形態に属する全く人間的な教会は、「神の要求」を、人間的な「自分自身の要求」に、「自分で満足させ得る要求」に変えて、「神的な『汝は斯くなすであろう』を変じて」、「人間的な余りに人間的な『汝は斯くなすべし』」をつくり上げるのである。このような神に対する「熱心さの無知」は、人間自身教会自身の自主性・自己主張・自己義認の欲求に基づいており、「神の要求」を、人間によって恣意的に曲解された「十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告」に過ぎないものへと変えるのである。その時、人間のその存在、その思惟、その実践は、「罪」に「勝利を収め」させる熱心さ、「不従順」、「虚偽」となるのである。なぜならば、その「無数の儀文」は、「偶像崇拝」、「神冒涜」を生じさせるからである。ある者は「盲目的に」仕事へと没頭し、ある者は「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜」し、ある者は「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行う」ことをし、ある者は「大規模な世界改良の偉大な計画」に邁進し、ある者は「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義」に邁進するのである。このような自然神学、このような自然的な信仰・神学・教会の宣教は、「まことに空の空なるかな、である。これらすべてのことが、一体何だろうか」(『福音と律法』)。「人間が立ち向かうのはいつも自分が解決できる課題だけである、というのは、もしさらにくわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから」(『経済学批判 序言』)。「宗教改革時代の神学と信仰告白書」が、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を「不問のままに残した」のは、その時代的制約によっていたと言うことができる。根本的包括的な原理的な問題から言えば、「宗教改革時代の神学と信仰告白書」が、ギリシャ語原典の「ローマ三・二二、ガラテヤ二・一六等」の「イエス・キリストの信仰」の属格を主格的属格として理解(啓示認識・啓示信仰)しなかったのは、時代的制約によっていたと言うことができる。しかし、自然神学、自然的な<段階>の信仰・神学・教会の宣教の問題が裸形化した時代のただ中を生き生活し、そのただ中で信仰し神学し宣教したバルトの場合は違っていた。不可避的に、そのような信仰・神学・教会の宣教の時代状況のただ中に現存したバルトは、<非>自然的な<段階>の信仰・神学・教会の宣教に立脚し、ギリシャ語原典の「ローマ三・二二、ガラテヤ二・一六等」の「イエス・キリストの信仰」の属格を「明らかに主格的属格として理解されるべきものである」と確信をもって告白し・証しし・宣べ伝えたのである。欧米において、日本において、そのほかにおいて、少しであれ多くであれバルトについて論じているバルト神学者、バルト主義者、反バルト神学者、反バルト主義者、牧師、著述家、それに類する者たちの誰一人として、この「バルトの洞察の深さ」(井上良雄、『福音と律法』翻訳「あとがき」)を理解している者たち、認識し自覚している者たちは全くいないのである。このことは、現実の事実である。なぜならば、多かれ少なかれ彼ら自身すべてが、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起でき得ていないところの、自然神学者、自然的な信仰・神学・教会の宣教論者だからである。
 前述したように、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教に立脚した「人々は、(≪単一性・神性・永遠性を本質とする~の第二の存在の仕方、起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのものである≫)イエス・キリストにあっての啓示の証言(≪第二の形態の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」≫)」「と並んで、理性とか良心、感情とか歴史、さらに自然や文化的業績や進歩といったものの中にも神の啓示を認識し、告知するように教会に要求したのである」。そして、「その時」、最後的には啓示から独立した後者の「全体が意図され、要求されていたのである」、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教に立脚したドイツの福音主義教会が「あの新しい啓示を唯一の啓示として宣言すること考え」ていたように。すなわち、前者の神だけでなく人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求「もまた」という在り方の最後的形態は、後者の「全面」化・「唯一」化、すなわち後者「のみ」を「意味していた」のである。このような自然的な「宣教と神学の歴史」の中においても、「何と奇蹟的なことであろうか」、あの「ひそかな『のみ』を携えて侵入してきた自然神学の『もまた』に対して」、「聖書がその場に残っていたということ」によって、「教会は……救われたのである」、換言すれば起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリストによって直接的に唯一回的特別に召され任命されたその人間性と共に神性を賦与され装備された預言者および使徒たちの直接的な最初の第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、客観的な啓示の「概念の実在」、それゆえに第三の形態に属する全く人間的な教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者である「聖書がその場に残っていたということ」によって、「教会は……救われたのである」。言い換えれば、「イエス・キリストにあっての神の啓示(≪起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの≫)、イエス・キリストに対する信仰と服従(≪第三の形態に属する全く人間的な教会の信仰と服従≫)」が、第二の形態の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」である「聖書が舞台に残」ることによって、「あの『もまた』によって事実上沈黙させられたり、忘れられたりすることがないということを戦いとったのである」、「バルメン宗教会議の神学的宣言の第一条」のように。「事柄の論理に従うならば、自然神学に小指一本でも触れたら最後、われわれはイエス・キリストにあっての神の啓示を否定することにならざるを得ないであろう。……どんなに僅かでも自然神学に場所を与える者」は、「そのことを意識しなくても、終局地点にはあの独裁」が、すなわち全く特別なキリストにあっての啓示(≪具体的には聖書的啓示証言における啓示≫)以外の一般的な啓示の唯一化、全体化が、「待ち構えている道におもむいているのである」。「聖書の啓示の妥当性と価値をはなはだ忠実に弁護しようとしていた人々」、「教会的に保守的な流れ」における「そのような素朴さ」も、「全線にわたって」、前述したことを見抜くことはできなかった、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起することはできなかった。自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起することはできなかった人々は、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の<段階>において、「『と』という繋詞によって啓示概念を理性の概念と結びつけ、歴史の概念と結びつけ、人間性の概念と結びつけた」、「あたかもそのことが当然であるかのように、『近代的』と『積極的』、あるいは『宗教的』と『社会的』、あるいは『ドイツ的』と『福音的』という言葉の間に、満足気に小さなハイフンを置いた」。そのような人々は、「一八世紀初頭、再び台頭したストア的ヒューマニズムが、その百年後に観念論が、それに続いて浪漫主義が、それから一九世紀の市民社会の実証主義と科学的実証主義が、同じ時代の国家主義が、やや遅れて社会主義が、教会に発言を申し出た時」、「はじめは完全に無防備に立ち向かい、ひとまずにべもなく屈服してしまわなければならなかった」のであるが、それゆえに常に人間的領域あるいは人間学的領域の「後追い」「後追い知識」に過ぎない自然神学の<段階>、自然的な信仰・神学・教会の宣教の<段階>において、「人間精神の新しい方向転換と運動の代表者たち」の「理念と理想」を、「時宜に適った形式として、新しい歴史的背景として、『カカル状況ノモトデ』神ご自身によって与えられた『結合点』として、それ自身、そのほかの点では神聖にして侵すベからざる福音の宣教への『結合点』として、……考え」たのである。このような「明白な前歴の後では、……新しい民族国家主義に対して拒む理由は、原理的にあり得なかった」のである。したがって、「『ドイツ・キリスト者』たちが欲し、また為したこと」は、すなわち自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の<段階>で停滞と循環を繰り返すところの「イエス・キリストにあっての神の認識可能性と自然や理性や歴史の中での神の認識可能性とを結びつける方法、つまり福音の宣教とあらゆる種類のそのほかの宣教とを結びつける方法が、……正統的な方法であるとする」ということは、「全世界の教会によって既に久しい間承認され、また実際に為されてきていた啓蒙主義と敬虔主義の線の上で、つまりシュライエルマッヘルとリヒアルト・ローテとリッチュルの線の上で動いていたのであり、それに対する多くの並行的な事象は、英国にも、アメリカにも、オランダにも、スイスにも、またデンマークやスカンジナビア諸国にも存在していたのである」。したがってまた、「キリスト教神学(≪啓示神学≫)と自然神学との……新しい結合」、「民族的国家主義」との結合を為したドイツに対して、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教という「原理的に同じ」「どこの国も」、「石を投げつける権利は……ないのである」。すなわち、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教という内在的には全く同じの「どこの国も」、ヨハネ8・1−11と同じ場面に立たされていたのである。ドイツの「特に……ルター派にとって」「この新しい結合」は、「いわば(≪<非>自然的な≫)キリスト教の神学や宣教」と自然的な「神学やその宣教との関係について、ルター派固有の、いやおそらくはそこでの究極的な解決として勧められるという利点を持っていた」、それゆえに「それは、文化プロテスタント主義のキリスト信者にも、兄弟団のようなキリスト信者にも、彼らの最も深い願いが思いがけなくかなえられることを約束しているように思われた」。バルトは、1933年以前に著した『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』で、自然的な信仰・神学・教会の宣教に沈潜する教会とは違って、すでに次のように述べている――「市民的啓蒙という観念、(中略)……社会民主主義の無神性は、教会にとって、(中略)現在でも警告であって、(中略)教会がフォイエルバッハの問いの前に晏如となることができるのは、教会の倫理が古いまた新しい実体やイデオロギーに対する崇拝から根本的に分かたれるときである。そのときにこそ人々は、教会の告げる神も幻想ではないのだという教会の言葉を信ずるであろう。そのときまでは、そのようなことを決して信じはしないのである」。また、バルトは、1933年以後において、自然的な信仰・神学・教会の宣教に沈潜する教会とは違って、次のように述べている――@最終的に離脱した宗教的社会主義における「そこでの人間の困窮と人間に対する助けとが、聖書が理解しているほどには、真剣に理解されておらず、深く理解されて」いなかった(『証人としてのキリスト者』)、A「私は、福音宣教から独立し、それと接触しない、『自己決定の権利』を国家に与えている、いまわしいルター派の教説をこれまで決して承認しようとはしなかった。(中略)私の神学的思惟は、神の主権と、キリスト教の使信全体の終末論的性格と、キリスト教会の唯一の課題としての純粋な福音の宣教の強調に中心があり」、すなわち具体的には聖書的啓示証言を教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、絶えず繰り返しそれに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、あの、<純粋>なキリストの福音、キリストにあっての神を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」、「純粋な福音の宣教の強調に中心があり」、換言すれば<非>自然的な<段階>の宣教と神学に「中心があり」、「またそれにこれまで中心をおいてきた」(『バルト自伝』)。1933年においても、「問題はただ」、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方、起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストによってその人間性と共に神性を賦与され装備されたその直接的な最初の第一の預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、客観的な啓示の「概念の実在」、それゆえに教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者としての「聖書が、それに加えて(≪第三の形態の教会が、神の言葉に対する他律的な服従と自律的な服従との同在性において、聖書的啓示証言に絶えず繰り返し聞き教えられることを通して教えるという仕方で≫)あらゆる関係者の不安や不徹底や怠慢」が、「必要な平衡を保つよう気を配り、とにかく事態を絶望的にまで発展させないでおいてくれるかどうか」にあったのである。
 このような訳であったので、「驚くべき事実」――それは、「バルメン宣言の第一条の意味なのであるが」、「ドイツのただ中で、この(≪自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教における≫)新しい結合に対する抗議が持ち上がったということである。しかも、この結合そのものに対してだけでなく、根本的に、そもそも古くから慣れ親しんできた結合全体を、換言すればドイツおよび全世界で(≪無意識の共同性として≫)正統的になっていたところの『と』を」、それゆえに「教会の中における自然神学の共同統治を、指弾し・攻撃し・突いた抗議が持ち上がったということである」。言い換えれば、それは、1934年5月31日のバルメンで、預言者および使徒たちの直接的な最初の第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」である第二の形態の「聖書において(≪第三の形態の教会の≫)われわれに証しされている(≪単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方、起源的な第一の形態の神の言葉である≫)イエス・キリストが、われわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一の言葉として示され」、それゆえに「この神の唯一の言葉とは別な教会の宣教の源泉に関する教えは虚偽の教えとして否認され」、「そして(宣言全体の結語において)あの真理の承認とこの誤謬の否認こそが『ドイツ福音主義教会の不可欠な神学的基礎』として宣言されたのであるが」、「その時、そのことによって、人々はあわれむべき『ドイツ・キリスト者』の頭上をはるかに超えて、またドイツの教会のいっさいの現下の状勢をはるかに超えて、ひとつの確認を為した」ということである。このことが「真剣に為されたとすれば、……実にあらゆる自然神学からの教会の純化を包含するひとつの確認であった」。「人々は、バルメンにおいてこの提案を解説することになっていたハンス・アスムッセンによって腹蔵のない言葉で……『二〇〇年以上も前から既に教会の荒廃をおもむろに準備しつつあったところのこの(≪自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教における≫)現象に対して』抗議した」、「明らかにシュライエルマッヘルとリッチュルに対して抗議し、また一八世紀および一九世紀全体の基本的傾向に対して、それと共にあらゆる他の教会の神聖視された伝統に対して抗議した」。しかし、「その際、人々は、この抗議を定式的に言い表すに当たって、宗教改革的な信仰告白を今の時代にふさわしい仕方で適用したが」、「この宗教改革的な信仰告白のはっきと言葉に出された定式的な言い方をそのまま引き合いに出して自説を裏付けることはできなかった」のである、すなわちそれ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの、具体的には第二の形態のその直接的な最初の第一の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」を、第三の形態に属する全く人間的な教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、その神の言葉に対する他律的な服従と自律的な服従との同在性において、絶えず繰り返しそれに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、自然神学の問題、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起し、すなわちその問題を根本的包括的に原理的に提起して、その<段階>を止揚し克服する方途を提示することができなかったのである。いずれにしても、「この抗議のしるしの中で、そのところから、ドイツ教会闘争は進行したのである」。自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教に対する「教会闘争の個々の実際問題は、すべて直接間接」、「バルメン宣言の第一条と関連していたし、今もそうである」。すなわち、教会は、「バルメン宣言の第一条」を「あらゆる面で真剣に受け取ったその程度に応じて『告白』教会となった」し、「告白」教会となることができるのである。したがって、「バルメンで表明された洞察、換言すればイエス・キリストはわれわれが信頼し、かつ服従すべき神の唯一の言葉(≪それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態の神の言葉≫)であるという洞察」が「真剣に」聞き「受け取」るということが起こった教会では、「おのずから抵抗への意志と力が与えられた」が、「それが起こらなかったところでは、実際には、持続的な部分退却と妥協以外の態度をとることができなかった」。このような訳で、「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会は、……世界教会的な賜物と課題の力を持っている」のである、換言すれば「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの、具体的には第二の形態のその直接的な最初の第一の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」を、教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、絶えず繰り返し、それに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、<純粋>な、キリストの福音、キリストにあっての神を尋ね求める「神への愛」と、そのような「神への愛」を根拠とした「神の讃美」としての「隣人愛」(キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法、神の命令・要求・要請、すべての人々がキリストの福音を現実的に所有することができるために為すキリストの福音の告白・証し・宣べ伝え)を志向し目指す教会は、「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」――すなわち「世界教会的な賜物と課題の力を持っている」のである。このように、教会の「純化のために戦うか、さもなければ実際には全く戦っていないのである」。そうでないならば、「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会」の戦いは、「一九三三年のドイツの……誤謬のある宿命的な結果的現象を相手」にした戦いに過ぎないものとなり、「大いなる近代の無秩序の内部で起こったさまざまな反動以上でも以下でもない」戦いとなってしまうのである。信仰・神学・教会の宣教における生と生活の体験の信仰・神学・教会の宣教における思想化が重要である。なぜならば、「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会」の戦いは、「教会そのものにとって、自然神学」、自然的な信仰・神学・教会の宣教の「拒否ということの中で、全体」が、(そのためには神のその都度の自由な恵みの決断による客観的な啓示の出来事とその出来事の中での主観的側面である聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて与えられる啓示認識・啓示信仰を必要とするのであるが)「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性の認識と自覚における「教会自身の根本的な純化」が、「問題だからである」。いずれにしても、「これから事態がどのように変わろうとも」、「バルメン宣言の第一条」に立脚したドイツ告白教会の「ドイツ教会闘争」の出来事は、「最近の教会史の最も顕著な出来事のひとつと呼ぶことができるのである」。ここでバルトは、「これから事態がどのように変わろうとも」と述べているのであるが、戦後すぐにその事態の変化が現われるのである――言い換えれば、第三の形態に属する全く人間的な教会は、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの、具体的には第二の形態のその直接的な最初の第一の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」を、教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、その神の言葉に対する他律的な服従と自律的な服従との同在性において、絶えず繰り返しそれに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、自然神学の問題、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起し、すなわちその問題を根本的包括的に原理的に提起して、その<段階>を止揚し克服する方途を提示することができなかったのである。したがって、バルトは、次のような事態を垣間見なければならなかったのである――@「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇(≪自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教≫)」が『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」(『バルト神学入門』)、A「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教における「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した、「私は、前よりももっと明瞭に人間――キリスト者もまた、そしてキリスト者こそ!――がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識したのである」(『バルト自伝』)。
 「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会」の「ドイツ教会闘争」の出来事を惹き起こさせたものは、客観的な啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、キリストの霊である聖霊の証しの力、神の言葉自身の出来事の自己運動、神のその都度の自由な恵みの決断による客観的な啓示の出来事とその出来事の中での主観的側面である聖霊の注ぎによる終末論的限界の下で与えられる信仰の認識としての神認識(啓示認識・啓示信仰)、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性、先行する「神の用意」に包摂された後続する「人間の用意」ができている人間イエス・キリスト、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は「全くただキリスト論的局面だけである」、という「聖書への絶対的信頼」(『説教の本質と実際』)に生きたバルト自身の信仰・神学・教会の宣教におけるその原理・その認識方法と概念構成からすれば、全く人間的な「新しい政治的全体主義ではなかった」、切迫した危機的「状況でもなかった」、それゆえに全く人間的なあれこれの運動を、「『カルヴァン主義』」を、「あれこれの神学教授の活動」等々を、その状況下で「働いた救いの力(ないしは誘惑の力!)としてあげようとするならば、それはまさに幼稚」な理解の仕方でしかなかった、第三の形態の教会に「何も残らなかった時にも、(≪起源的な第一の形態の≫)神のひとつの言葉、イエス・キリストが残っていたということ(≪具体的には、第二の形態のその直接的な最初の第一の預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、聖書的啓示証言が残っていたということ≫)」にある、それゆえに「教会は……奈落に転落することはあり得ず、むしろ新しい地歩をつかむことができたし」、また「おのずから」「そうせざるを得なかった」、また「他の分野では……どのようにしても制止しようがなかったことが」、「バルメン宣言の第一条」の「事柄の論理が、教会の中ではまさに原則的に制止にまできたということ」にある、このような訳でそれらのことは「霊的に評価されることを欲している」のである、「全くただキリスト論的局面だけ」において理解しなければならないのである。なぜならば、「これまで実にしばしば否定され裏切られていた」起源的な第一の形態の「神の言葉」、客観的な「啓示の実在」そのもの(具体的には第二の形態のその直接的な最初の第一の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」)が、「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会」に「現われた」からである、「人々は、……聖書を再び読み、聖書が明らかに述べていることを信じ、そのようにしてバルメンの危急と喜びの叫び声をあげることができた」からである、「教会は、神のひとつの言葉、すなわちイエス・キリスト(≪具体的には聖書的啓示証言≫)において神を慰めとした」からである。したがって、起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの(具体的には第二の形態のその直接的な最初の第一の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」)だけが一切の「源泉」であって、「あらゆる他の源泉は、カカル状況ノ下デハ、ただ神話に過ぎず、したがっていっさいの事物の終局、いずれにしても教会の終局となり得たに過ぎない……」のである。「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会」は、客観的な啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、キリストの霊である聖霊の証しの力、神の言葉自身の出来事の自己運動において「現に自らを証しする(≪起源的な第一の形態の≫)神の言葉によって、自分がそのような終局から引き戻され、守られているのを見たのである」。第三の形態に属する全く人間的な教会に「残っていた」のは、「聖書への絶対的信頼」(『説教の本質と実際』)に基づいて「ただこの(≪起源的な第一の形態の≫)神の言葉だけを信じ、告白する」ことだけだったのである。このような訳で、「バルメン宣言の発生を実際によく理解したいと思うならば、究極的には告白教会そのものにも、またその敵対者にも目をとめてはならない」のである。すなわち、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの、具体的には第二の形態のその直接的な最初の第一の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」)だけに、「目をとめ」なければならないのである。告白教会は、そういう仕方で、「証人」として、キリスト教に固有な類(教会の客観的な信仰告白および教義、証言)の歴史の時間累積(歴史性)を為したのである。「すなわち、(≪第三の形態に属する全く人間的な告白教会は、証人として≫)サタンは稲妻のように天から落ち、主はあらゆる神々の上に力強くいますということを書き記すことを許された」のである。キリスト教に固有な類・歴史性に連帯した告白教会が、「この機会に書きとめたものは、われわれに対して生と死を賭して語られた(≪起源的な第一の形態の≫)神の言葉たるイエス・キリストの唯一の妥当性についての命題である」。副次的な「自然神学の拒否」は、「決して独立的な意味を持っていない」から、「この覚え書きの自明的な裏面に過ぎな」いのである。「他のどんな者ももはや助けない時に助ける者は、ただ神のひとつの言葉の奇跡と力と慰めだけである」、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方、起源的な第一の形態の神の言葉、啓示・和解、客観的な「啓示の実在」そのもの、ナザレのイエスという「人間の歴史的形態」――すなわち「イエス・キリストの名」だけである。「この覚え書きを手がかりとして告白教会は生きはじめ、同じ手がかりによって今日まで生きているのである。この覚え書きは、告白教会がそれを受け取り、また今告白教会に委託されている証言として、他の諸教会に向かって提示しなければならないものである」、キリスト教に固有な類・歴史性として時間累積させなければならないものである。したがって、そのことを為さないならば、「告白教会は失われてしまうであろう」。したがってまた、「この証言が、告白教会に対して、単に自分自身でそれを用いるだけでなく、同時に全教会、全世界の教会に向かって語られるべき使信としてそれが委ねられていることを理解せず、あくまでその立場に立たないならば。やはり告白教会は失われてしまうであろう」。起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストを主・頭とする「ヒトツノ、聖ナル、公同ノ教会」を志向し目指す「世界的教会としての存在にとって」、「バルメン宣言の第一条」に立脚した「ドイツ告白教会」の「使信」は、「決定的なこと」としてあるのである、不可避性としてあるのである。
 第三の形態に属する全く人間的な教会は、「全くただ」、「道であり、真理であり、命であ」り、「門」である、単一性・神性・永遠性を本質とする~の第二の存在の仕方、起源的な第一の形態の神の言葉、啓示・和解、客観的な「啓示の実在」そのものである「イエス・キリストご自身」を「選び、……認識し、……生き、……通って行くことによって生きる」のである――すなわち「この道を選び、この真理を認識し、この生命を生き、この門を通って行くことによって生きる」のである。教会は、自分自身の恣意的独善的な「全権の力」や「安全保証計画の遂行」によってではなく、起源的な第一の形態の神の言葉である「イエス・キリストご自身が、誰も彼によらなければ父のみもとに行くことはできないし、またすべて彼を迂回し、通り過ぎることは盗みであり人殺しであると言われたその必然性に基づいて」(ヨハネ14章と10章におけるイエス・キリストの言葉に基づいて)、教会は、「排他独占性を実行に移す」。すなわち、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリストにのみ信頼し固執しないところの、「イエス・キリストの他に道や真理や命や門」を尋ね求める「一切のものに対して」、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教に対して、「『否』を語るのである」。この「否」は、ヨハネ14章と10章におけるイエス・キリストの言葉に対して「然りが語られることによってだけ」、「語られるし、語らなければならない」。したがって、単なる「否」ではない。ヨハネ14章と10章におけるイエス・キリストの言葉に基づいた「先行」する「積極的な命題」に対する「然り」に続く「否」という「批判的主張」は、「然り」の「裏返しとして、またその明確な解明としてだけ理解」することができる。第三の形態のイエス・キリストを主・頭とする教会は、「生きるにも死ぬにも、そのような信頼と服従の中で時間的にも永遠的にも助けられ、守られているという確信をもって信頼し服従することが許される」起源的な第一の形態の「神の言葉」を、その信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、それに絶えず繰り返し「聞くことによって生きる」のである、絶えず繰り返し教会となることができるのである。なぜならば、この教会に語られた「言葉は、唯一の」起源的な第一の形態の「神の言葉であって、それによって教会は拘束されており」、「まさにその唯一の神の言葉の中でこそ教会は自由にされているからであり(≪なぜならば、自由・主権は、キリストにあっての神においてのみ「実在であり真理である」から≫)、この言葉の福音と並んでそれと無縁な律法はないし、この言葉の律法と並んでそれと無縁な福音はないからであり(≪なぜならば、律法は、キリストの福音を内容とする福音の形式としての律法であるから≫)、この言葉と並んであるいはその背後に、あるいはその上に、われわれは道、真理、生命、門として敬い、恐れるべき他の力をひとつも持っていない」からである。「この唯一の言葉」は、「初めて発見されなければならないものではなく、見出すことができるように自分を与えたのである」、すなわち三位一体の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である、それ自身が聖霊の業であり啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性において「自分を与えたのである」。「この唯一の言葉」は、「永遠から永遠にわたって」起源的な第一の形態であるイエス・キリストである、客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストである。このことは、イエス・キリストによって直接的に唯一回的特別に召され任命された預言者および使徒たちのその人間性と共に神性を賦与され装備された直接的な最初の第一のイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、客観的な啓示の「概念の実在」――すなわち第二の形態の「旧約および新約聖書においてそのように証しされている」。「そのようにしてこの言葉は、(≪第三の形態に属する全く人間的な≫)教会を基礎づけた。そのようにしてそれは、教会を保持し、更新し、治め、繰り返し教会を救った。それは、生きるにも死ぬにも教会の慰めであり、道しるべである」、すなわちそれは、教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者である。「そのようにであって、決してそれ以外の仕方でではない」――この「それ以外の仕方でではない」という「批判的な命題」は、「あのひとつの神の言葉と並ぶほかのもろもろの出来事、力、現象、真理の存在を拒否しない」、それゆえに「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取る」、自然の一部としての個体的自己としての全人間は身体と精神を介した普遍的で実践的な全自然(自己身体、他者身体、外界としての天然自然および人間化された自然としての人間的自然)との相互規定的な対象的活動を為すものである以上、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起できない場合、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教は可能性としてあるから「自然神学そのものの可能性を全く否定している訳ではない」。しかし、ただ自然的な信仰・神学・教会の宣教の問題を明確に提起したところの、それゆえにその問題を認識し自覚したところの「批判的な命題」は、啓示から独立したそれら「一切が教会の宣教の源泉、すなわちあのひとつの神の言葉と並ぶ、あるいはそれ以外の第二の源泉となり得るという主張を否定し、そのような主張を虚偽の教説と呼ぶのである」。そう呼ぶのは、「自然神学」、自然的な信仰・神学・教会の宣教は、「神の言葉と並んで、またその外で、何の意義も存在も持ち得ないという見解と意図を持って」そう呼ぶのである。なぜならば、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教は、起源的な第一の形態の神の言葉であるイエス・キリストにおいて、客観的現実性、客観的実在、永遠的実在として、すでに止揚され克服されているからである。イエス・キリストにおける啓示の場所は、自然神学、自然的な信仰・神学・教会の宣教における福音が、「理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと」、「鋭さをなくした」「十字架象徴論へと」、「イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎ」ない「神秘主義へと変わって行く」ことが見渡すことができる場所であるだけでなく、個体的自己としての全人間の、その類・歴史性と個・現存性の生誕から死までのすべてを見渡せ、また「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所なのである。このような訳で、<非>自然的な<段階>の信仰・神学・教会の宣教は、起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのものである「イエス・キリストについて証言している書物」――すなわち第二の形態の聖書的啓示証言、客観的な啓示の「概念の実在」を教会の信仰・神学・宣教における原理・規準・法廷・審判者・支配者として、絶えず繰り返しそれに聞き教えられることを通して教えるという仕方で、それを「読み、解き明か」し、「神がそのみ子をわれわれに与え給うたことによって、ご自分を与え給うた神の認識可能性について感謝し、また感謝し続けるのである」、換言すれば、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意ができているところの、「人間に対する神の愛と神に対する人間の愛の同一」(『ローマ書』)であり、「永遠の(神との人間の)和解」であり、神との間の「平和」(ローマ五・一)であり、それゆえに神の認識可能性である単一性・神性・永遠性を本質とする~の第二の存在の仕方、起源的な第一の形態の神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの、まことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおいて、「神の用意の中に含まれて、人間にとって、神に向かっての、したがって神認識に向かっての人間の用意が存在する」のであるから、先行する神の用意に包摂された後続する人間の用意という「人間の局面」は、「全くただキリスト論的局面だけである」ということに耳を傾け「感謝し、また感謝し続けるのである」。