本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

<イエス・キリストの名>のみに対する、感謝の応答と信頼と固執と(その2)――了――

エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づく

 

<イエス・キリストの名>のみに対する、感謝の応答と信頼と固執と(その2)――了――
――1962年〜1968年(651−713頁)――

 

 

はじめに
 バルトは、自分自身の生涯を閉じる「しばらく前に、……ある手紙に次のように書いた」――「私が、楽な死を迎えるか、それとも苦しんで死ぬかはどうしてわかるでしょうか? 私が知っているのは、ただ私の死もまた私の生に(≪その「全生涯」に≫)属している……のだろうということです。……その時私は――これこそがわれわれすべての運命であり、限界であり、目標であるのですが――もはや<存在>しないでしょう」。なぜならば、人は自分の死を<体験>することができないからである。こう述べたバルトは、「だが私はそこでは」、「キリストの裁きの前で」、ドストエフスキーの『罪と罰』におけるマルメラードフの告白にあるように、「私の全<生涯>において、その全<生涯>によって」、全体的に「努力放棄者として」、「まさにただ……彼の約束によって、義トサレタ罪人として立ちうるでしょう」、と書いた。(712頁)

 

 前回、私は、バルトの次にある言葉で結んだ。「(中略)確かに受肉は中心的にして重要なものではあるが……新約聖書の本来的内容であるというふうには言ってはならないのである。(中略)それはおよそすべての他の宗教世界の神話や思弁の中にも見出されるものである。(中略)人は、聖書が語っている受肉を、ただ聖書からのみ、換言すればイエス・キリストの名からのみ……理解することができる。……神人性それ自体もまた新約聖書の内容ではない。新約聖書の内容とは、ただイエス・キリストの名だけであり、そのイエス・キリストの名がたしかにまた、そしてとりわけ、彼の神人性の真理をその名に含んでいるのである。ただまったくこの名だけが、啓示の客観的現実を言いあらわしている」(『教会教義学 神の言葉』)――この聖書における受肉論・神人論は、前回も述べたように、イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事という啓示に固有な証明能力に基づいて、それゆえに三位一体論の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である『神の言葉の三形態』、すなわち啓示の実在そのものと聖書の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義(不可避性としてあるキリスト教に固有な類・歴史性)を媒介・反復することを通して、終末論的限界の下で、啓示と和解そのもの、啓示の客観的実在・啓示の客観的現実性そのもの、である、神の第二の存在の仕方・神性を本質とする「イエス・キリストの名」からのみ考察されるべき事柄なのである。したがって、人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍を第一次化したり、また人間学的な哲学原理・認識論・世界観を第一次化したり、そしてまた人間にとって部分でしかない科学的成果等々を全体化・絶対化・宗教化したりして考察した場合、そこで得られる知識は、まさしく<自然神学>の系譜に属するそれとして、それゆえにフォイエルバッハやマルクスやハイデッガーが批判した<宗教>としてのそれとして、人間論的にも人間学的にも神学的にも、徹頭徹尾全く、非自立的で中途半端な、「神学としては非学問的な」人間学的神学のそれでしかないものなのである。

 

 バルトは、「単なる知識」と「認識」とを厳密に区別した。「全く特定の領域」で、「ある特定の状況において」、「ある特定の人間」が、神の自己啓示を通して、「神の言葉」を聞き・認識し・信仰し・語る責任ある証人となる場合、すなわち啓示の出来事と信仰の出来事に基づいてインマヌエルの出来事が惹き起された場合、その「出来事」・「確証」は、「単なる知識」ではなくその啓示に感謝をもって信頼し固執する「認識」、<啓示>認識であり<啓示>信仰である。その時初めて、神の言葉は、私たち人間に対して「実在」となり、また私たち人間も人間的にそれを「実在として理解」することができる。したがって、ただ「単なる知識」に過ぎないある理念・ある概念の実体化・「最高存在」・「最モ完全ナ存在」としての啓示概念は、神の言葉や啓示の「概念の実在」ではない。神の言葉は、「人間の現実存在の内部」、人間の、感覚と知識を内容とする経験普遍、感情や自己意識・理性・思惟や実存や意志、人間論や人間学的な哲学原理・認識論・世界観の中にはないのである。バルトの場合、このような認識方法における「認識」が、「かつて語った説教の一貫した繰り返し」の福音の言葉が、彼を、「(≪社会的なそれであれ、政治的なそれであれ≫ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践」へと、「決断」へと、「行動」へと促したのである。

 

 

(1)1962年3月1日、76歳のバルトは「最終講義を行い、……引退生活にはいった」。バルトにとって、「老齢」は、「なんの活動も伴わない回顧があるだけ、僅かに休日の夕暮れの安定があるだけ」ということではなかった。老齢者は、「キリスト教の見地から言えば、……いかに強くとも、いかでか頼まん。やがて朽つべき、人のちからを。われと共に、戦いたもう イエス君こそ……(「讃美歌267番、ルターの「神はわがやぐら」)。と歌って……生きることを許されている」「素晴らしいチャンスを与えられている」者のことであった。(652頁)

 

 バルトは、引退直後に「七週間アメリカ大陸に出かけた」。シカゴでは、「イエズス会士、ユダヤ教のラビ、自由主義プロテスタントの神学者、正当的プロテスタントの神学者、それに一人の信徒が参加した」パネルディスカッションに出席した。「そこでは、まったく率直な討論がなされ、当然、現われてきた意見の対立は、もみ消されたり・隠されたりはせず、情熱的に、しかし厳正に論じつくされた」。この討論に参加したバルトは、もし自分がアメリカの神学者ならば、「ヨーロッパに対してのあらゆる劣等感」、それゆえに「アジアやアフリカに対する……優越感からも」「解放された」「自由な神学」、またそれゆえに「人間性へと」・全人間・全世界・全人類へと<開放>された「自由の神学」を、「つくり上げようとするだろう」。すなわち、その「自由な神学」は、「ニューヨークの『自由の女神』が表している自由を非神話化し、むしろ『御子』が与え給う自由に基礎を置く神学である」。
(註)ブッシュは、客観的な資料に基づかず、バルトの「人間性へと」のみを引用し、その言葉に、恣意的独断的に、開放ではなく解放という言葉をあてがっているけれでも、根本的包括的なバルト像からすれば、それはおかしいし間違っているのであって、<開放>が適しており正しいのである。このことは、読んでいって頂ければ分かると思います。

 

 プリンストンでは、キング牧師の説教も聞いたが、時間がなく「話し合うことはできず、……いっしょに写真を一枚とっただけ」で終わった。また、バルトは、アメリカの刑務所制度に対する関心からアメリカの刑務所を、「マンハッタン北部の、悪名高きイースト・ハーレム」を、また「1863年7月2日に行われたゲッティスバーグの決戦のいくつもの古戦場」を視察した。(653−658頁)

 

 

(2)アメリカ旅行から帰ったバルトは、ようやく退職生活に入った。さまざまな「宗教書や世俗の読みもの」を読んだが、「実存主義者たちのいつ終わるとも知れないおしゃべりに耳を傾けては、しばしば大きなあくび」をした。バルトは、「神学上の実存主義者たちの活動に対しては、……すでに以前から、いよいよただ吐き気と嫌悪を感じるだけ」だった。このような「神学的状況全体」のただ中で、「人々は私に……敬意をはらって耳を傾けてくれるが、結果として……本当に聞き入れてはくれないのだから」、バルトは、『教会教義学』の「続刊を書き続けることに没頭すべきかどうか」迷った。

 

 「全体主義世界と全体主義国家の中にある可能性」について、バルトは、「もともと国家は全体主義的国家のような性格をそれ自体と持って」いると述べてから、<制度>としての教会や<制度>としての牧師を中心としてそのまわりに集まる教会には教会の可能性はない、と述べた。そして、バルトは、そうではなくて、神性を本質とするイエス・キリストを中心として・その「イエスのまわりに」集まる教会にのみ教会の可能性がある、教会の「一つの可能性」がある、と述べた。

 

 バルトは、というよりも76歳のバルトも、「否と言ったり」、「切り捨てたり、拒絶したり」する気持ちは減少し、「何か積極的なことを言う」気持の方が増大した。このことについて、バルトは、「知恵」が増大したというよりも、この多少<まるくなる>「知恵」の根拠は、「多少の老衰と独特な仕方で混じり合っ」たものにある、というように冷静に判断している。言い換えれば、それは、誰にもやってくる、老いの必然である。したがって、もし<現在>がそうでないのなら、それは、時代状況が強いてくるものである。一方で、バルトは、「灰の下でもなおくすぶっている火はやはり簡単に消してしまえないことも」認識し自覚している。「人は老齢になり、回顧することによって、賢明で優しくなりますが、灰の下でもなおくすぶっている火はやはり簡単に消してしまえないことも、私は経験しました」。ここが、すなわち、悟り切ってしまわない点が、バルトの思想家たる所以である。

 

 ヨセフスタールで開催された神学協議会で、バルトは、「ゲルト・フォン・ラートとの対話に喜んで加わり、……現在の旧約聖書神学が全体として、ほとんどまったく実存主義」に汚染されていないことに対して、「驚きを表明した」。

 

 ラインラント州の青少年担当牧師たちとの対話において、「ブルトマン問題のために、激しい口論となった」時、バルトに「一人の若い人が……先生、あなたは歴史を築いてこられましたが、今やあなた自身もまた歴史になってしまわれました。しかしわれわれ若い者は、新しい岸辺を目指して出発しようとしているのです!」と述べたのに対して、バルトは「それは結構だ。それを聞いて私も嬉しいです。では、君の言う新しい岸辺について少し語ってくれませんか!」と返答したのであるが、その「若い人」は「残念なことにその岸辺について何も語れませんでした」、と彼は述べている。その「若い人」は、まだ思想の紙一重を越える厳しさについて無知であった、バルトの神学における思想を埋葬するには、外化された観念であるその思想を包括し止揚する以外にはないことに対して無知であった、ヒヨコであった。

 

 <はじめに>でも書いたように、神学者で思想家でもあるバルトの<三位一体論的――キリスト論的>な神学体系は、啓示の客観的実在であるイエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事という啓示に固有な証明能力に基づく、終末論的限界の下での、その啓示認識・啓示信仰が、「かつて語った説教の一貫した繰り返し」の福音の言葉が、「おのずから実践」へと、「決断」へと、「行動」へと促すというものであった。
 マルクスもそうであった。「マルクスの完結した体系は、当時(そしていまも)よく理解されていなかったが、理論が彼を実践のほうへ必然的につれてゆくようにできあがっていた」(吉本隆明『カール・マルクス』)。

 

 このような「多くの対話とインタヴューの中」で、バルトは、「プロテスタント神学の現状について」、「神学上の虚栄の市」だと感じ、「貧弱な『偏平足の神学』だと思」い、「不信の念を表明した」。「屋上のテラスでは……ティリッヒとブルトマン主義者たち」が、<自然神学>的な「問題のあるボンヘッファーの影といっしょになって荒れ狂っています。そしてあわれなロビンソン司教は、二十万部売れた『神への誠実』の中で、これらすべてのものから空しい泡沫をすくいあげ、それを究極の知恵として――とにかくブルトマンには大変ほめられて――売り出しました」。

 

 さて、「特にプロテスタント神学内での討論において」、バルトに「聖書のテキストの理解に対する、したがって、『解釈学の』問題に対する問いが」発せられた。その問いに対して、バルトは、@その問題を主要な問題として、「それだけを切り離して取り扱」うならば、「袋小路に迷い込むことになる」、A「『解釈学に関する緻密に入り組んだ無駄話』を嘲笑し、『神学市場に売りに出されている<言葉の出来事>という表現を聞くにつけ、私はそれの議論に注意してフォローしてきたのです(ついでにその出来事の最も騒々しい参加者を、私は……世界の国々の人々を集合させた庭園の飾り人形だと言ったものです)』」、B「われわれが聖書の証言に出会うことが問題なのでなく、われわれが聖書の証言の中で証しされている方に出会うことが問題なのです」、それゆえに私たちの「祈り」の中での「働き」は、聖書証言がイエス・キリストを「証しして『いるのかどうか、またどこまで彼を』証ししているのかという問いをもって『歴史的=批判的に読むことである』。しかしその際いかなる場合にも、私たちが「主導権」をとってはならず、『神の言葉の自由が……制限されてはならず、神の言葉の方に主導権がゆだねられなければなりません』」、C「もちろん、われわれは誰でも、なんらかの存在論や世界観を頭の中に持っています。そういうこともまた禁じられているわけではありません。……ただし、われわれが聖書を読む時に、そういうものがわれわれが関わり合う最終の決定機関であると考えてはならないのです」、と述べた。このバルトの在り方は、次のように言うことができる。

 

ア)啓示は、神自身の自己啓示として、すなわち神自身の自己認識・自己理解・自己規定として、「われわれに啓示されたイエス・キリスト」であり、父なる神に関わる。そして、聖霊は、「父ト子ヨリ出ズル御霊」として、父と子に関わる。このイエス・キリストにおける啓示は、神の言葉の三形態における「第一の形態」であり、神の言葉の直接性であり、「啓示の実在そのもの」である。それは、「すでに来たり給うた」、また「再臨し給う」イエス・キリスト自身、「イエス・キリストにおいて起こった和解」、イエス・キリストにおけるインマヌエルとしての神の言葉である。この啓示は、教会の宣教に対して「先ず第一に優位に立つ原理」である。したがって、「啓示の中」での体系は、イエス・キリストだけである。

 

イ)バルトの啓示認識の可能性の問いを誤解したままバルトを批判したトラウプの啓示認識の方法に対して、逆にバルトは次のように根本的な批判を加えている――@啓示認識の可能性は、啓示という「認識対象の特性」から、この「対象を認識する認識概念」が、「ほかの諸対象を認識する場合」の「一般的な認識概念に照らして……最後的に決められてしまってはならず」、あくまでもその認識対象から規定されるものでなければならない。すなわち、啓示認識は、啓示に固有な証明能力に基づく、神性を本質とするイエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいてのみ可能である。Aまた、そうして得られた人間が人間的に所有する人間の啓示認識・概念・教義・言葉性であっても、それは、啓示の実在そのものではない。すなわち、啓示は、神の隠蔽性・神の不把握性・終末論的限界において、人間の「言葉性に縛」られることはないのであり、逆に人間の「その言葉性の方が神に縛られている」のである。したがって、私たち人間は、「神の言葉」・「神の恵みの実在」・啓示の実在そのものの「認識を問うことはできない」のである。Bにもかかわらず、トラウプは、啓示の「概念の実在」において「どのように人間は神の言葉を認識することができるのか」というバルトの問いを、<自然神学>的な常道に従って誤解し、直接的無媒介的に「どのようにわたしは、神の言葉」を「神の言葉として、また実在として、肯定することにまでくることができるのか」という問いに変じてしまったのである。すなわち、バルトは、あくまでも聖書証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(不可避性としてあるキリスト教に固有な類・歴史性)を媒介・反復することを通して啓示の認識可能性を論じているのにもかかわらず、トラウプは直接的無媒介的に啓示の実在そのものの認識可能性を論じているのである。言い換えれば、トラウプは、人間の自由な自己意識・理性・思惟による直接的無媒介的な啓示認識・概念・教義と啓示の実在そのものとの一致の可能性について論じているのであり、啓示の実在を、人間の啓示認識・概念・教義の此岸・内に求めようとしているのである。

 

ウ)「神学をただ啓示の中にのみ基礎づけ」るために、聖書に依拠した神学・教会の宣教は、「罪深い曲がった人間」の「究極的な限界性」・終末論的限界を自覚した人間の言語を前提として、「三位一体を、世界から説明しようと欲」しないで、むしろ逆に、「世界を三位一体から説明せんと欲」する。「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」。「解釈する」とは、「別の言葉で同一のことを言うこと」である。アンセルムスは、アウグスティヌスとは違って、徹頭徹尾「教えられつつ語る」のであって、「われわれの理性に内在している神概念の再想起」において「創造しつつ神について語ろう」とはしなかった。したがって、アンセルムスの「認識的なラチオ性〔理性性〕」は、「啓示、恵み、信仰(≪啓示の出来事と信仰の出来事に基づく人間の啓示認識、それに依拠した信仰の類比・関係の類比を通した人間の自己認識・自己理解・自己規定≫)」を前提条件としていた。

 

エ)シュライエルマッハーは、人間学的に「教会とは、『ただ自由な人間的行為を通して発生し、またただそのような自由な人間的行為を通して存続することのできる共同体』であり、『敬虔性と関連した共同体』である」と言う。またシュライエルマッハーおいては、信仰も、人間実存の歴史的存在の一つの在り方として理解される。神学における「近代主義的思惟は、人間が、誰かによる呼びかけを受けることなしに、(中略)人間がじぶんを相手に自分だけでひとりごとを言っているのを聞く。したがって、近代主義にとっては、宣教は、『教会』と呼ばれる人間的な共同体の一つの必然的な生の表現」となる。シュライエルマッハー等近代主義者は、人間の「精神的な促進〔霊的な奨励〕のために、自分と彼らに共通な宝庫からくみ取りつつ、この宝庫をさらに豊かにするために」、人間の自由な自己意識・理性・思惟の意味的世界、自分自身の恣意的なプログラム、「自分自身の歴史」と「現在の解釈」を表現しようとする。すなわち、どこまでも、いつまでも、「自己表現としての宣教」を企てる、<自然神学>を、<宗教>を、築こうとする。これらは、バルトの根本的なシュライエルマッハー批判である――「人間の内的生活は、自分の類・自分の本質に対する関係における生活である。人間は思惟する、すなわち人間は会話をする、人間は自分自身と話をする。動物は自分以外の他の個体がいなければ類の機能をひとつもはたすことはできない、しかし人間は他人がいなくとも考えるとか話すとかという類的機能……を果たすことができる」(ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』)。

 

オ)ブルトマンの実存論的聖書解釈にとって、聖書記事は、そして新約聖書の使信そのものも、その表象形式の神話も、人間の自己理解の表明であり、それは、不信・非本来性から信・本来性への実存的移行の表明であり、言語によって対象化された実存の表明、すなわち聖書記者たちの実存的主張であるから、そのように「理解し、解明」されなければならないのである。ここに、ブルトマンの聖書解釈における前期ハイデッガー哲学に基づく「絶対」的規準としての「先行的理解」・「解釈学的原理」がある。
 ブルトマンの神学の原理、その認識方法と概念構成は、神と人間との無限の質的差異と啓示に固有な証明能力と終末論的限界を揚棄してしまって、それゆえに、啓示の実在そのもの(第一次的なのもの)は、常に、その人間の啓示認識(第二次的なもの・新約聖書の使信・啓示の「概念の実在」)の彼岸・外にあるという事柄を揚棄してしまって、前期ハイデッガーの哲学的原理・「容易に修得しえない」「先行的理解と言語〔表現〕」によって対象化された啓示・存在者・存在者レベルでの神(ブルトマン自身の対象化された自己意識・理性・思惟)を第一次的なものに形式変換し、新約聖書の使信・証言を、その第一次的なものに「従事することにおいてのみ真であり、重要であるもの」・第二次的なものへと形式変換するという点にある。ブルトマンにとって、前期ハイデッガーの哲学的原理によって対象化された彼自身の自己意識の意味的世界である啓示・存在者・存在者レベルでの神を第一次化すること自体が、自己自身の「非本来的存在から本来的存在への」・「過ぎゆく存在から将来の存在への移行の歴史」であり、信仰であり、説教である(『ルドルフ・ブルトマン』)。したがって、これは、まさしく、<自然神学>そのものなのである。

 

 さて、ブルトマンは、「新約聖書の釈義に役立つ新しい哲学的な鍵」を、前期ハイデッガーの実存主義に見出したのであるが、ブルトマンの場合、その存在、その現前性、その被制作性、その被企投性、その言語、そのシンボル体系、その不可避な類・歴史性の第一次性を自覚した、すなわち人間中心主義的な人間的現実存在(思索者・詩作者)の自由なその思考、その現存性、その時間化(差異化)と存在了解、その企投性の限界性を自覚した後期ハイデッガーの転回によって、言い換えれば、個と類・歴史性と現存性が出会う出来事・「存在の生起の出来事」を自覚した後期ハイデッガーの転回によって、バルト自身も述べているように、ブルトマンはハイデッガー自身によって足をすくわれてしまったのである。言い換えれば、この時、その原理を否定されてしまったブルトマンの神学は、自然時空に死語化してしまったのである。このことは、丁度、フォイエルバッハの正当性のある根本的な宗教批判によって、シュライエルマッハーの神学が自然時空に死語化してしまったのと同じである。これらのことを認識し自覚していないのは、「何らかの抽象を以って始められ何等の空論に終わるところの」「大学社会の神学」・それに類する神学村落共同体内部で停滞し循環している<自然神学>の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教だけである。このようなわけであるから、<自然神学>的な人間学の後追い知識としての人間学的神学やそれに基づく教会の宣教は、神学としても人間学としても非自立的で中途半端な知識・教会の宣教でしかないものなのである。
 なお、670頁にあるハイデッガーの提起は前述したことであり、バルトの「思考は追思考を命ずる」は、次のことを意味しているのである――「それ以前に語られた神ご自身の言葉……と自分を関わらせている……時、正しい内容を持っている」ということであり、「われわれ以前の人々によってなされた教義学的作業の成果」は、「根本的には……真理が来るということのしるし」であるということであり、そうであるから、そのバルトの言葉は、不可避性としてあるキリスト教に固有な類・歴史性、すなわち三位一体論の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である「神の言葉の三形態」を媒介・反復するという、神学における認識方法と概念構成の在り方を意味しているのである。

 

カ)1963年、バーゼルの国際見本市に訪れていた発展途上国出身の学生「三〇〇人」に対して、神学について講演した。その講演で、バルトは、「マルクスの宗教批判を承認」すると同時に、<自然神学>を根本的包括的に止揚してそこから超出した「超自然な神学」における「キリスト教は宗教ではありません」、と述べた。マルクスの宗教批判、フォイエルバッハの宗教批判、ハイデッガーの宗教批判は、何度も述べているので、ここでは省略する。
 ただマルクスの場合、法・政治的近代国家の本質は、逆立的に対象化された市民社会の自己意識の類的本質・共同意識・共同の幻想的形態にある。逆立的にとは、第一義性・価値が、法・政治的近代国家(国家共同性)の側に移行してしまうからである。したがって、その直接的現実的な市民社会の中において人間は、「ひとつの真実ならざる現象」としての現世的存在となる。すなわち、現実的人間的な社会諸力を、自己還帰できずに逆立した形で観念的法的政治的な諸力へと疎外した観念の共同性・共同幻想である法・政治的近代国家において人間は、現実的個人的生活を奪われて、非現実的非現世的普遍性(類)・公民として存在する。共同的宗教を起源とし国法を媒介とした国家の問題、すなわち、この宗教・法・国家(自由主義国家・政治的近代国家)の問題は、吉本隆明に依拠して整理すれば、次のようになる――プロイセン国家においては、国家の問題は、<自然神学>の系譜に属するキリスト教とユダヤ教の宗教対立が問題である。すなわちユダヤ人問題としてある。ユダヤ人は、<自然神学>の系譜に属するキリスト教を宗教とする国家に対して、宗教的対立の中にあるからである。したがって、この国家の段階では国家の問題は、宗教的対立の問題として、政治的近代国家の問題とはなってはいない。それに対してフランス立憲国家は、政治的近代国家への途上にあるキリスト教国家である。この段階での国家の問題は、天上の問題、宗教の問題、すなわち信教の自由という憲法(国法)の問題として、人間の観念的政治的法的部分的解放の問題であり、宗教的対立の問題と政治的法的対立の問題が併存している。またそれに対して北アメリカ自由主義国家は、政治的法的に信教の自由が保証された政治的近代国家である。この段階において、国家の問題は、現世的問題、すなわち<自然神学>的な「キリスト教の人間的基礎」、<自然神学>的なキリスト教の現世的形態である信教の自由が保障された法的政治的部分的に解放された政治的近代国家の批判の問題となる。言い換えれば、究極的総体的永続的な人間の社会的現実的な解放の問題となる。この問題をキリスト教の信仰・神学・教会の宣教の課題に引き寄せて言えば、前述したように、バルトが「超自然な神学」における「キリスト教は宗教ではありません」と述べたそのキリスト教へと向かって、それゆえに一切の近代<主義>・一切の<自然神学的なもの>を根本的包括的に止揚し超克して、そこから超出していかなければならないところのそれなのである。

 

 また、バルトは、「週刊チューリッヒ」誌の寄稿文に、「ベンゼの穏健な無神論も、東洋の粗野な無神論も危険ではなく、キリスト者の無神論的な実際の生き方こそが危険なのだ!」、と書いた。すなわち、バルトは、キリスト者の<自然神学>的な無神論が危険なのだ、と言っているのである。なぜならば、そこでは、「神への反逆」が、「ごうまんにも神を忘れた公然たる反抗として行われず、実に神の名において、神の呼びかけのもとに行われるからである」(トゥルナイゼン『ドストエフスキー』)――「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪彼自身の対象化された自己意識・理性・思惟の意味的世界・彼自身の管理するプログラム≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかったのである。神と人間についての独断的な観念に基づく独断的に考え出された救いの計画と救いの方法が支配するところ、そのようなところでは、その意図がたとえどのように心から善いものであり、敬虔なものであっても、神に対しても人間に対しても、真に奉仕が行われることはないであろう。またそのようなところには、教会は存在しないのである」(『啓示・教会・神学』)。

 

 パウル・ティリッヒの最後の訪問に際して、バルトは、「今こそ回心して正道に立ち戻るべきだと警告」したが、彼には「まったくそんな気持ちは」なかった。ティリッヒは、「ヨハネ福音書一・一四のその言葉をあまりにも文字通りに解釈することに反対するとの見解をバルトに述べた」。

 

キ)1964年、「前立腺の手術」を受けるだけでなく、「軽い脳卒中の発作」で「半日間……言語障害」に陥った。

 

ク)1965年、バルトは、「『すべての人の人生には……陰があるのを』見た。『その重苦しい陰はまだ消え去ろうとはしませんし、おそらく神の御心によれば、まさに神に愛された者である、われわれ自身が神を愛し讃美することができるその場所に、われわれをしっかり結びつけておくために、消え去るべきではないのです』」、と手紙に書いた。
 1965年12月、バルトはもう一度バーゼル刑務所で説教しようと考えていたが、できなかった。したがって、「1964年3月29日の復活祭の説教が最後の説教となった(「弟子たちは主を見た」ヨハネ20・19以下)」。
 バルトは、「礼拝出席が次第に困難になるにつれ」、「よい日曜日の朝にはいつも」、「カトリックの説教とプロテスタントの説教を」ラジオで聞くようになった。

 

ケ)1966年、E・ブルンナー逝去。この少し前に、バルトは、ブルンナーの友人に、「(≪われわれのことは≫)神にゆだねましょう!」・「大いなるあわれみの神が、私たちすべてに恵み深い然りを言い給うことによって、私たちはいきているのだからです」、と伝えてくれるように依頼した。(658−684頁)

 

 

(3)バルトは、「大西洋の此岸と彼岸で、栄光に満ちた実存主義の最後の最も美しい成果として出現した、馬鹿げた<神の死>神学運動についての議論」や「精神的にも信仰的にも、ほんとうに召しも受けず、その能力もないのに、そこに飛び込まなければならないと考えた、……<信仰告白>運度に関与する形」ではないやり方で、「今一度神学の現状と取り組む」ことにした。
 信仰告白運動に対して、バルトは、「聖書の証言にあるように、われわれのために十字架につけられ復活したイエス・キリストに対する君たち」の信仰告白は「正しい」、と述べたうえで、次のように問うた――その正しい信仰告白の中に、「核武装に反対し、アメリカのベトナム戦争に反対し、新しいユダヤ主義に反対し」等ということを含んでいるだろうか、と。もしそうでないのなら、「その告白は正しい」としても、「価値のある、実り豊かな告白である」とは言えないであろう、と。このバルトの語り方は、次のようなバルトの神学における思想の原則に基づいている――@「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」するべきである。A「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」。B「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・「国家は支配であり、文化は支配」である。したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」。C「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとすべきではない。Dある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとすべきではない。E「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」。しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、(≪民族国家・政治的近代国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」(引用文献既出)。

 

ア)バルトは、「われわれの側からローマ・カトリック教会へ、あるいは逆に、向こう側からわれわれの教会への一つの<改宗>は、本来なんの意味をも持たない」、と述べ、そうではなく、「イエス・キリストへの、一つなる、聖なる、公同の、使徒的教会の主への」「良心的必然性をもった<回心>である場合にのみ、意味をもつ」、と述べた。ここに、バルトにおける、教会あるいは教団共同性におけるエキュメニカル運動の立場がある。市民社会の精神である「私意」・「私利」に基づく利害対立や諸矛盾の噴出によりもろくも崩れ去ってしまう寛容の精神による、対話<主義>や調停<主義>や折衷<主義>や多元<主義>に、バルトの立場があるわけではないのである。それだけではなく、バルトは、イエス・キリストにのみ信頼し固執するところで、教会あるいは教団共同性を完全に開いたのである。したがって、バルトは、次のように述べたのである――神の側の真実における、それゆえに主格的属格としてのイエス・キリストの信仰における、それゆえにまた神性を本質とするイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」・共同性から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」・共同性に向かっての運動において、その現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)に対して、それゆえに全人間・全世界・全人類に対して、完全に開かれているのである、と(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 和解論の対象と問題』)。

 

イ)バルトは、カトリック教会の革新に対して、「過大評価」はしなかった。「進歩派」に対しても「疑念」を抱いた。なぜならば、「あるカトリック教会が、あまりに<プロテスタント的>になり過ぎて」、「われわれが十六世紀以来犯してきた誤り」を繰り返すような動向を見せたからである――「教皇ピオ九世のことを考えてごらんなさい――若い革命家が簡単に年老いた反動主義者になったではありませんか!」。

 

 1966年秋、妻と医師が同行して、「六日間の『使徒タチノ墓ヘノ巡礼ノ旅』」に出た。(685−690頁)

 

 

(4)1967年、「いつの日か、……人は私が正しかったと言ってくれる日も来るであろう」という思いのもとで、『教会教義学 和解論』のW/4、「キリスト教的生の基礎づけ」<洗礼論>が出版された。これが、『教会教義学』の最後の1冊となった。したがって、「要求の強かった」『教会教義学 救済論(終末論)』は未完に終わった。しかし、バルトは、終末論については、「すでにそれ以前に出版された諸巻から間接的に、あるいは一部は直接的にも読みとることができる」と考えていた。

 

 バルトは、例えば「神学の全体をまさに終末論へと上昇させてしまう『一直線の考え方』」のモルトマンに対して、「疑念を抱い」た。このブッシュの述べ方では、私たち読者に対して、何ももたらさないのである。すなわち、バルトの「疑念」は、モルトマン神学における<自然神学>的な考え方に対するそれである、ということを述べるべきなのである。したがって、ほんとうは、こう言うべきである――「先行する他のもろもろの時代のその問題意識にも……、真に耳を傾けることが出来るようになる」ために、私たちは、西洋近代を頂点とした歴史の直線的な進歩・発展というヘーゲルの思想を、「直ちに全面的に放棄」しなければならない(『ヘーゲル』)。ヘーゲルにおける神の彼岸性を克服した「神の内なる人間、人間の内なる神という神人一体、神人和解の理念」における<宗教>とは、人間の自己意識・理性・思惟によって対象化された自由と理性の理念である。モルトマンは、このヘーゲルの歴史は自由の概念の実現過程であるということに基づいて、「律法・父の国・奴隷状態の歴史(≪世界史的段階で言えば、自然にまみれた原始未開の段階≫)」、「恩寵・子の国・神の子供状態(≪世界史的段階で言えば、自然から対象的にはなったけれども、その対象的自然を自己意識・理性・思惟によって対象化して自然から完全に超出でき得ていないアジア的段階≫)」、「自由・霊の国・神の友の状態(≪世界史的段階で言えば、自然から完全に超出し自由を認識し自覚し獲得した西洋近代の段階≫)」、という神学的な三段階的進歩史観において救済史を構想した。このようにして、モルトマンは、<自然神学>の常道にしたがって、終末論的な「将来的なものの力」としての「御霊」の概念によって、「終末論」と「歴史」とを結び付けようとしたのである。したがって、神学における思想なき<自然神学>者のモルトマンは、「終末論的なものが、このような仕方で歴史的になることによって、歴史的なものが終末論的になる」とか、「終末が歴史となり、歴史を動かしている」とか言ったり、「神学と一般の学問との対話」・「特殊と普遍」・「救済史と普遍史」との「共働」・「協働」を目指したのである。このような考え方は、時代状況がゆるさないから、すぐに自然時空に死語化していくしかないのである。したがって、もしもまだモルトマン研究者がいるとしたら、その彼は、時代錯誤も甚だしい人物であり、停滞と循環を繰り返す「大学社会の神学」村落共同体内部でだけ存在可能な人物に過ぎないであろう。

 

ア)聖書によれば、聖霊は、私たち人間の「救済主」である。しかし、聖霊は、「救済主」であるだけではない。聖霊は、その「存在の本質」である単一性・神性・永遠性において、「子とともに、子の霊として、また和解者」でもあり、また、「父および子とともに創造主なる神」でもある。新約聖書の「イエスは主である」という「証言」は、神性を本質とするイエスを、「事実の承認」として・「思惟の初め」として語っている。したがって、この「イエスは主である」・「子を通しての父を、父を通しての子」を信じるこの「信仰」、すなわち神との出会いであるイエスとの出会いとしての「信仰の出来事」は、神の第三の存在の仕方である聖霊の注ぎによるのである。この信仰の出来事は、新約聖書において、「啓示の出来事の中での主観的側面」・「聖霊の注ぎ」による人間的主観に実現された神の恵みの出来事・啓示認識・啓示信仰の主観的現実化のことである。

 

 救済を「信仰の中で持つ」ことは、「約束として持つ」ことである。「われわれはわれわれの未来の存在を信じる。われわれは死の谷のさ中にあって、永遠の生命を信じる」。「この未来性の中で、われわれは永遠の生命を持ち所有する」。この「信仰の確実性」は、「希望の確実性」である。新約聖書によれば、神の恵みの賜物である「聖霊を受け」・「満たされた人」は、「召されていること、和解されていること、義とされ、聖とされ、救われていることについて語る時」、「すでに」と「いまだ」の啓示の弁証法において「終末論的に語る」のである。ここで、「終末論的」とは、人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍にとっての・「われわれの経験と感性」にとっての<いまだ>であり、神の側の真実である啓示の客観的現実性、「成就と執行」、「永遠的実在」として<すでに>ということである。

 

 バルトにとってそこが、終末論的なすでにといまだにおける、すなわちイエス・キリストの復活――再臨の中間時、和解――救贖・完成の中間時、における、私たち人間が現存する場所なのである。したがって、その中間時における人間とは、終末論的限界と啓示の弁証法において、すでに「自由の身になったという吉報を受け取った」けれども、いまだ「牢獄から外に出てしまっていない」状態にある人間のことである。言い換えれば、「子あるいは言葉の業」すなわち「神の現臨とご自分を知らせること」――和解と啓示は、「人間の闇の中で、人間の闇にも拘わらず、……出来事として起こるという事実」のことである。啓示は、「和解」という言葉・概念と一致する。それは、「われわれによって破壊された……神と人間の交わりの回復」を意味する。したがって、「啓示の事実の中で神の敵はすでに神の友」として、「啓示そのものが和解」である。しかし、聖霊の業に関わる救贖・完成概念は終末論的用語であるから、和解の概念と一致しない。救贖・完成は、新約聖書においては、啓示あるいは和解から見て、未だ来ていない客観的現実性である。「復活と完成との間」は、「イエス・キリストの父であり、イエス・キリスト自身であり、この父とこの子の霊」としての「聖霊の時代」である――「私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>ということである)」(ガラテヤ二・一九以下)」・「(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」・「人間の人間的存在がわれわれの人間的存在である限りは、われわれは一切の人間的存在の終極として、老衰・病院・戦場・墓場・腐敗ないし塵灰以外には、何も眼前に見ないのであるが、しかしそれと同時に、人間的存在がイエス・キリストの人間的存在である限りは、われわれがそれと同様に確実に、否、それよりもはるかに確実に、甦りと永遠の生命以外の何ものも眼前にみないということ――これが神の恩寵である」(『福音と律法』)。「われわれは、われわれの主としてのイエス・キリストに固執することにより、またイエス・キリストがわれわれのかしらであるということに固執することにより、(中略)この主とかしらのもとで、またこの主とかしらとともに、……これからは(≪一切の、人間の義、人間的な義、では全くなく≫)神の義、神の子の義、神自身の義をまとっている者として生きることを許される(≪その感謝の応答に、その証しに、その告白に、その宣べ伝えに、生きることが許される≫)」(『「ローマ書新解』)。

 

イ)『教会教義学』におけるバルトの課題は、「福音の解釈と解明であった」、とブッシュが述べている通り、それゆえに『福音と律法』を理解すれば、その書は、単純にしかし根本的にそして包括的に理解しながら読み切りことができるのである。したがって、その詳論も、新しい概念も、理解しながら読み切りことができるのである。原典で読まなければ、バルトを理解できないという原典<主義>者は、限られた時間を無駄遣いする、身の程知らずの愚か者である。この意味においても、吉永正義と井上良雄の翻訳の功績はほんとうに<絶大>なのである――「わたしは……『源氏』は原文で読まなければ判らないなどという迷信の世界を……無化したいと思った。『頭をひねりながら判読』してみても、たった二、三行すら正確には判読できない。また『ある程度以上のスピードで読める(正確に)』ような『源氏』研究者が現存するなどということを、まったくしんじていない」(吉本隆明『源氏物語論』)・「万巻の書を読んだという人もいるけれど、僕は全然そんなことはない。(中略)主な作品を読んでいくだけでも、……こういう作家かとおもうわけで、それは間違いなくイメージは湧きます。(中略)専門家といわれる人でも、誰か一人でもいいから全部ちゃんと読んだかと聞かれたら、それはあんまりいないと思います」(吉本隆明『幸福論』)。

 

ウ)バルトは、「その地上での生活が、そのためについやした労苦は、同じくらいか、さらにははるかに大きなものであったにもかかわらず、私とは違って暗闇や薄暗がりの中にとどまっている多くの人たち(≪レンガを積み上げるような地道な思想的営為者、「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実生活」・「貧しい、低きにいる民」、大多数を占める被支配としての一般大衆≫)への思いが、しばしば私の心に浮かんできました。<有名になる>ことは……実際まったく結構なことです。しかし、誰が最後にほんとうに<ほめられる>ことになるのでしょうか」、と「回状」に書いている。この知識人としてのバルトの、その知識内部に持つ、神学における往還思想、信と不信・知と非知・キリスト者(教)と非キリスト者(教)、との架橋作業という往還思想、へと向かう感覚は、優れた知識人にして思想家に共通のものである。人類は、制度としての官僚・政治家・資本家のために存在しているのではない。人類は、「文明の進展やエリート層への従属のために存在しているのではない」。したがって、大多数の被支配としての一般大衆・一般市民が、「歴史の主人公だとおもうためには、まだやること、創られるべき物語はたくさんあるのです。意識のなかの転倒、知識のなかの転倒、政治のなかの転倒をふくめて、すべてひっくり返さなければいけない反物語ばかりです」。知識は非知より優れていて「知識人が非知識人を導くというようなかんがえ方は、絶対に転倒されなければいけない」のである(吉本隆明『大状況論』)。バルトは、『教会教義学 神の言葉』の中で、次のように述べている――「教義学は、決して信仰と、その認識のより高い段階を意味しない」。なぜなら、「最も単純な福音の宣教も、それが神のみ心である時には、最も制限されない意味で、真理の宣べ伝えであることができるし、最も単純な聞き手に対しても、この真理を完全な効力をもって、伝えてゆくことができる」。「教義学者は、信仰者としても、知識を持つ者としても、神がここでなし給うことに関しては、教会の誰か一人の会員よりも、よりよい状況にあるわけではない」。教義学者とは「ただ単に教義学を専攻する大学教員や著述家だけ」のことではなく、「広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たち」のことである、と。

 

 バルトは、手紙に、次のようにも書いている――「私の著作は、単に私の研究からだけでなく、私自身との、さらに世界と人生の諸問題との、長く続いた、しばしば容易ならざる闘いとから生まれたことを考慮」し、「実践的に聞くという態度に参与しようと努力しつつ読んでくださることを期待します」、と。

 

エ)バルトは、「われわれは、天国においてはすべて必要なものを知るようになり、もはや一枚の文書も書いたり読んだりする必要はなくなるでしょう」、と手紙に書いている。これは、『罪と罰』のマルメラードフの終末論的告白そのものである――「ただ万人を憐み、万人万物を解する神様ばかりが、われわれを憐んで下さる」、「神さまは万人を裁いて、万人を赦され」、「最後の日にやって来て」、「……われわれに、御手を伸ばされる。その時こそ何もかも合点が行く!……誰も彼も合点が行く」。「主よ、汝の王国の来たらんことを」。

 

 

(5)1967年、バルトは、歩行も困難になる。
ア)ブッシュは、<客観的な資料に基づいてではなく、ブッシュ自身の恣意的独断的判断において>、次のようなことを書いている――ブルトマンとエルンスト・フックスから出発し『教会教義学』の「神論」を「全く新しい視点から取り上げようとした試論によって」「周囲からも期待」されたエーバーハルト・ユンゲルに対して、バルトは、「当時しばしば彼の所に訪ねて来た人」との「意見の交換」において、彼を「高く評価した」、と。これは、全くの眉唾ものである、と私は確信する。なぜならば、ヘーゲル<主義>者であり、「近代の未完のプロジェクト」の完成を目指した社会学者のユンゲル・ハーバーマスにかぶれたような、まさしく人間学の後追い知識としての<自然神学>を目指すエーバーハルト・ユンゲルを、バルトが評価することは決してあり得ないからである。もちろん、バルトを訪れた人の中で<学業>的な優等生だった、ということであればそれはあり得るだろう、と思う。おそらく、滝沢克己もそうであったに違いない。
 ただ、その信仰において・その神学において・その教会の宣教において、「神学を表象の媒介のレベルから概念という高位のレベルにまで高めるという〔ヘーゲルの〕思弁的要求を何としても否定しなくてはならないようなことは、わたしにとって、神学を歴史哲学から何としても限界づけなくてはならないということと同様、二次的なことなのである」・「アブラハム、イサク、ヤコブの神を、たといこの神が幾何学的方法によって論証可能なお方ではないにせよ、哲学者にとっても、思惟可能な神として信じるにあたいするというふうに思惟することはよいことなのである。ただ福音においてのみ言葉に言いあらわされる神を信じるとき人は哲学者であることをやめねばならないということは、よく分からない」と言い切った、まさしく<自然神学>の構築を目指しているエーバーハルト・ユンゲルを、一切の近代<主義>・一切の<自然神学的なもの>を根本的包括的に止揚し超克して、そこから超出していく歩みを進めているバルトが、神学においても・神学における思想においても、評価することは決してあり得ないことなのである。このようなわけであるから、ブッシュが述べていることがすべて正しいわけでは決してないことを、私たち読者は充分に認識し自覚しながら読む必要があるのである。また、専門家・知識人の知識やメディア情報をそのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいのである。

 

イ)バルトは、カルヴァンの「聖霊論と信仰論」を、彼の「神学における最良の部分とみなした」。

 

ウ)バルトは『革新されつつある教会』という講演で、「もし革新されつつ生きることが教会の本質にかかわることでないならば……教会はもはや教会ではない」、と述べた。教会は、絶えずくり返し教会となることによって教会である。この場合、次のような認識と自覚を必要とする。聖書は旧・新約聖書における預言者・使徒の言葉と霊としてのイエス・キリストの出来事の証しであり証言であり、子なる神、イエス・キリストに関わる。この聖書は、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての啓示の客観的実在であるイエス・キリストと共に、教会の宣教における原理である。なぜならば、イエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」である「聖書こそ」が、教会に宣教を義務づけているからである。したがって、「聖書が教会を支配するのであって、教会が聖書を支配してはならないのである」。バルトは、このように、本来あるべき教会の宣教の形態について、私たちがなるほどと首肯できる言葉を投げかけている。

 

エ)1968年、バルトは、シュライエルマッハーの『宗教講話』をテキストとして、最終の「コロキウムを行な」った。バルトは、「『この十九世紀の(さらに二十世紀の、とも言えるかもしれないが……)教会教父』と対決し、対話しようと考えた」。ブッシュは、このことと同時に、バルトは、近代における<自然神学>を育成したシュライエルマッハーを「烈しく批判したが、……彼から離れてしまうことはなく、しかも彼の問いを完全に卒業してしまうこともなかった」・「それどころか、天国でのシュライエルマッハーとの『再会を、……ほんとうにたのしく思い浮かべ』」たと、ある一部だけを拡大鏡にかけて述べている。ここまでくると、ブッシュは、バルトを、ほんとうは根本的包括的に理解していないのではないか、と思えてくる。なぜならば、ブッシュは、時々、瑣末な事柄ではないことに対して、いい加減な、頓珍漢な、ことを述べてしまっているからである。
 バルトは、徹頭徹尾、一切の近代<主義>・一切の<自然神学的なもの>を根本的包括的に止揚し超克して、そこから超出していく、という神学における思想の課題を認識し自覚し自らに課して信仰・神学・教会の宣教を目指し構成しようとしていたから、バルトを根本的包括的に理解するためには、読む側の私たちも、その観点を決して手離してはいけないのである。したがって、その観点を手離してしまった場合、バルトを根本的包括的に理解することは決してできないのである。おそらく、ブッシュは、そのバルトの神学における思想の課題を明確に認識し自覚していないのだと思う。したがって、ブッシュは、時々、ぶれてしまって、いい加減な、頓珍漢な、ことを述べてしまうのだと思う。

 

 ほんとうは、こう総括すべきである。バルトは、「よい聖霊論だったらシュラエルマッハーおよびすべての近代主義に対する最高の批判になっただろう」と述べた。またバルトは、シュライエルマッハーとの関わりの中で、自問し続けた――「すべてを最もよく解釈すれば、一種の聖霊の神学というものが、シュライエルマッハーの神学的行動」、「事実上彼を支配している、正当な関心事であったという可能性を、わたしは予想したい」。例えば「絶対依存感情」(敬虔心)の概念に対する「問いに弁証法的に答える」場合、その概念は、人間の自己意識の働きとして、ある対象を知覚作用により対象化し、その内在化された対象を概念的対象として対象化(概念化作用・内在化された対象の時間化)するという点においては、あるいはまた感情的対象として対象化(内観的作用・内在化された対象の空間化)する感情作用と同じであるという点においては、それは人間学的概念であるとしても、もしもその概念を「イエス・キリスト自身の霊的現臨またはその力」として根拠づけ得るとすればどうであろうか、という自問である。しかし、いずれにせよその概念は、フォイエルバッハの宗教批判の対象そのものである人間の対象化された自己意識の類的本質に過ぎないものであるから、シュライエルマッハーに対して、バルトは、最終的に次のように言わなければならなかったのである――「わたしは、事柄そのものにおいて、シュライエルマッハーと一致できないのだということを明言した(中略)わたしがシュライエルマッハーを今までに理解した限り、自分は、彼のそれとは全く違った道に踏みこみ、それをあゆんでいかなければならないと思ったし、今もそう思っているのである」。これだけでも、ブッシュの述べ方が、ぶれており、いい加減で頓珍漢であることが分かるのである(『シュライエルマッハー選集への後書・シュライエルマッハーとわたし』)。

 

 また、バルトの夢――それは、「霊的に精神的(≪「学識的」≫)にきわめてしっかりした基礎を持つ人々」による、<自然神学>を根本的包括的に止揚した「超自然な神学」の認識方法および概念構成における最善最良の「第三項の神学」・聖霊の神学の構成にあった。したがって、バルトは、その聖霊の神学が、<自然神学>的な人間学的神学の認識方法および概念構成のそれでないことを、また勘違いして恣意的独断的に自分がそれだと思い込んだ誰かによって「軽薄に書きあげられた」聖霊の神学が市場に出回らないことを、衷心から切望したのである。しかし、その神学の動向は、バルトの衷心からの切望を容赦なく打ち砕き、人間学の後追い知識として神学的にも人間学的にも非自立的で中途半端な人間学的神学の枠組みに停滞しその枠組の中を循環しているだけのものとなったし、今も依然としてそうであるし、今もそうした惨憺たる神学的状況にあるのである(前掲書)。

 

 「私と同時代の神学者たちが試みかつ遂行した神学的企てのなかで、最も私の注意をひいて来たのは、ルドフル・ブルトマンの新約聖書の『非神話化』である。と言っても、それが提示する具体的な問題のため」ではなく、それがルターの宗教改革を出自としそして「シュライエルマッハーによって育成されたタイプの神学の主題と方法(≪人間の神化・神の人間化、神と人間・神学と人間学との混淆論・共働論・協働論に基づく人間の啓示認識・啓示信仰、それに依拠した存在の類比を通した人間の自己認識という主題と方法≫)を再び採用している点で、非常に印象的であるからである」。「私はその特殊な主題について、ましてその原理的な方法について、ブルトマンに従うことはできなかった。そこでは、神学は……新しく特定の哲学にとらわれて、エジプト捕囚ないしバビロン捕囚の身になっているのを、私は見たのである」(『バルト自伝』)。

 

 先に書いたことなので重複してしまうのであるが、重要なことなのでもう一度書いておこう――シュライエルマッハーは、人間学的に「教会とは、『ただ自由な人間的行為を通して発生し、またただそのような自由な人間的行為を通して存続することのできる共同体』であり、『敬虔性と関連した共同体』である」と言う。またシュライエルマッハーおいては、信仰も、人間実存の歴史的存在の一つの在り方として理解される。神学における「近代主義的思惟は、人間が、誰かによる呼びかけを受けることなしに、(中略)人間がじぶんを相手に自分だけでひとりごとを言っているのを聞く。それゆえ、近代主義にとっては、宣教は、『教会』と呼ばれる人間的な共同体の一つの必然的な生の表現」となる。シュライエルマッハー等近代主義者は、人間の「精神的な促進〔霊的な奨励〕のために、自分と彼らに共通な宝庫からくみ取りつつ、この宝庫をさらに豊かにするために」、人間の対象化された自己意識の意味的世界・自分自身の恣意的なプログラム・「自分自身の歴史」と「現在の解釈」を表現しようとする。すなわち、「自己表現としての宣教」を企てる。これらは、バルトの根本的なシュライエルマッハー批判である――「人間の内的生活は、自分の類・自分の本質に対する関係における生活である。人間は思惟する、すなわち人間は会話をする、人間は自分自身と話をする。動物は自分以外の他の個体がいなければ類の機能をひとつもはたすことはできない、しかし人間は他人がいなくとも考えるとか話すとかという類的機能……を果たすことができる」・「もし君が無限者を思惟するならば、そのとき君は思惟能力の無限性を思惟し且つ確証しているのである。そして、もし君が無限者を情感するならば、そのとき君は感情能力の無限性を情感し且つ確証しているのである。理性の対象とは自己自身にとって対象的な理性であり、感情の対象とは自己自身にとって対象的な感情である」(ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』)。

 

 

(6)バルトにおける「最後の言葉」――それは、神性を本質とする「イエス・キリスト名」だけである。「イエス・キリストは、わたしにとっていついかなる所でも……彼によって呼び集められ委託を受けた教会にとって――また、教会にゆだねられた音信(おとずれ)によれば、全人類、全世界にとって、かつて在り、今在り、そして将来も在り続けたもうところのものにほかなりません(それ以上でも、それ以下でも、それ以外のものでもありません)」。

 

ア)バルトは、1969年の初めにスイス放送で放送される「二回」分の「録音テープをとった」。その「一つの放送」で、バルトは、直接的無媒介的に「自由主義者をもって任じている人々よりも」、キリストの奴隷として、すなわちキリストにのみ感謝し信頼し固執する者として、「もっと自由主義的であるかもあるかもしれません」、と語った。
 1968年11月にスイス放送の放送では、バルトは、「私が神学者として、そしてまた(≪参加するにせよ参加しないにせよ、選挙等々を介して人は誰でもそうであるように、不可避的に政治にかかわることを強いられてしまうという意味で、不可避的な≫)政治家としてでも、語るべき最後の言葉は、<恩寵>といった概念ではなく、一つの名前、イエス・キリストなのです」・「私が私の長い生涯において努力してきたことは、いよいよ力をこめて、この名を強調し、そして、<そこにこそ!>と語ることでした。この名前以外のいかなる名前にも、救いはありません。そこにこそ、恩寵があります。そこには仕事と闘いへと向かうはげましがあり、共同体と仲間の人たちとの交わりへと向かうはげましがあります。そこには、弱く愚かであった私がその生涯において試みたすべてのことがあります。しかしそれらすべても、この名において、なのです」。

 

イ)1968年12月9日、月曜日、バルトは、「夜の九時頃」、「六〇年来真実に結ばれてきた友人のエドゥアルト・トゥルナイゼン」からの電話を受け、「暗い世界情勢について話し合った」。その時、バルトは、「しかし、意気消沈しちゃ駄目だ! 絶対に!<主が支配したもう>のだからね!」、と言った。電話がかかってきた時、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」・「人はみな、神に生きる者だからである」という文章を書いているところだった、という。
 バルトは、「その夜半のある時点に、誰にも気づかれずに死んでいた。彼は眠っているかのように横たわっていた、手は自然に、夕べの祈りの形に組まれたままだった」、ネリ夫人が、朝に、「モーツァルトのレコードをバックに流しながら、彼をそっと起こそうとした時、このような姿で死を迎えた彼を見た」、という。

 

 正直に言えば、私は、この場面を読むたびに、さまざまなことが思い浮かんできて、感動してしまうのである。