本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

<イエス・キリストの名>のみに対する、感謝の応答と信頼と固執と(その1)

エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づ

 

<イエス・キリストの名>のみに対する、感謝の応答と信頼と固執と(その1)
――1955年〜1962年(577−650頁)――

 

 

(1)バルトが70歳となる年、1956年は、彼にとって重要な年となった。なぜならば、200年前の1756年にモーツァルトがザルツブルクで生まれた年であったからである、と同時に、その年の「クララ・ハスキルがヘ長調のピアノ協奏曲を演奏した〔バーゼルの〕音楽ホールにおけるコンサートで、私はモーツァルト自身が突然舞台のそでに立っているのを幻のように見たのです。それはあまりにも現実味を帯びていたので、私は涙を流しそうになったほどです。(中略)いずれにしても今私は、モーツァルトが、その晩年にどのような姿をしていたかをはっきりと見たのです」、という体験をしたからである。そして、バルトは、「私が、もしいつか天国に行くことになれば、そこでは誰よりも先ずモーツァルトを、それから次にアウグスティヌスとトマスを、そしてルターとカルヴァンとシュライエルマッハーを訪ねてみたいと思っています」、と述べた(580頁)。

 

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト自身は、ウィキペディアによれば、時流や時勢の方からやってきたものか資質の方からやってきたものか、スカトロジー的書簡(父・レオポルトの弟の娘宛ての手紙である「ベーズレ書簡」)を残しているし、「品行の悪さ」から「高給な仕事に恵まれず借金を求める手紙」を出していたことも分かっている。しかし、バルトの「生涯」において重要なことは、亡くなる3年前にモーツァルトが自分自身のことについて書いた手紙のその内容にある。その手紙には、「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だった頃から、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けています。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」、と書かれている。前者が技術の問題だとすれば、後者は「有名な巨匠の作品」を「すべて念入りに研究」することを介在させた創造の問題(表出と表現における自己表出を価値とする自己表出と指示表出とが織りなす表出過程の問題)である。

 

 私たちは、すぐに、この後者におけるモーツァルトと、現在的課題と現在から未来に生きる神学における思想の課題を認識し自覚的に担って信仰・神学・教会の宣教に携わったバルトの姿とを重ね合わせることができる。すなわち、恣意的独断的にではなく、それゆえに、神の言葉は、三位一体論の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である「神の言葉の三形態」、すなわち人間に向かって語られる神の自己啓示であるイエス・キリストの啓示の出来事(啓示の客観的実在)と、また「聖書」の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)においてあるから、神と人間との無限の質的差異と終末論的限界の下で、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求め」る、と同時に一方で、その信仰・神学・教会の宣教に、個性や時代性を刻んでいったバルトの姿とを重ね合わせることができる。したがって、そこには、「魔神はひとりも住んでいない」。バルトは、「私は、特に芸術的才能に恵まれた人間でも、芸術的素養のある人間でもなく、その上、救済史と芸術史のある部分を混同したり、同一視したりしようとは全く思わない。しかし、モーツァルトの音楽の黄金の音色と調べは、……福音としてではないが、神の自由な恵みの福音によって啓示された神の国の比喩として……若い頃から私に語りかけてきたものであり、繰り返し素晴らしい新鮮さをもって語りかけて来た」、と述べている(581頁)。また「スイスのモーツァルト協会の委員」であったバルトは、モーツァルト記念祭における講演『モーツァルトの自由』において、「彼は音楽を演奏(≪前述した意味での創造としての作曲を≫)しつづけ、演奏し終わるということがなかった」・「人間の限界と死について、はっきりと知った時でも、演奏することを止めなかった」、と述べている(581・582頁)。

 

(2)バルトにとって、「神学全体のキリスト論的集中化」の問題は、「キリスト論的方向付け」にあるのではなく、神性を本質とする、まことの神にしてまことの人間、イエス・キリストの名、神の言葉・啓示・和解・客観的実在・客観的現実性、の指し示し、告白、証し、宣べ伝え、にあった――「キリスト御自身が問題なのです。あらゆるキリスト論との取り組みは……結局のところ、イエスの山上の変貌の起こった高い山での弟子たちの場合と同じように、<彼らが目をあげると、イエスのほかには誰も見えなかった〔マタイ福音書17・8〕>」、すなわち「イエス・キリストご自身」にのみあった(584頁)。したがって、このことを、例えば『福音と律法』に引き寄せて言えば、ロマ書3・22、ガラテヤ書2・16等の「イエスの信仰」の属格は、「イエス・キリストがその地上における全生涯にわたって、ことにその最後に当たって、我々のためになし給うたこと」――「われわれに代わって」「人間の自主性と無神性を放棄し・人間は喪われたものであると告白し・己に逆らって神を正しとし、かくして神の恩寵を受け入れるということを、神の永遠の御言葉が(肉となり給うことによって、肉において服従を確証し給うことによって、またこの服従において刑罰を受け、かくて死に給うことによって)引き受けた」ということ、すなわち「イエス・キリストご自身」が「人間が生きるためにのみ彼の死を欲し給う」その「神の答え」に対して「全く端的に、信じ給うた」ということ、を意味しているのであるから、それは、徹頭徹尾、神の側の真実として、すなわち主格的属格として理解されるべき事柄なのである。この神性を本質とする、まことの神にしてまことの人間、イエス・キリストの十字架の「死」と「復活」・「成就された時間」・「実在の時間」の出来事は、イエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済・平和(史)の、すなわちその赦罪と更新と和解と啓示の<客観的現実性>・<客観的実在>を意味している。このような訳であるから、「私たちの召命・義認・聖化」は、何らかの形で私たち人間的契機を介在させることによって「私たち自身の中に生起」するのでは全くなくて、徹頭徹尾、「イエス・キリストの御業」としてのみ、「私たちのため」に、「私たち自身の中に生起」するのである。したがって、神と人間との「協力」・「協働」・「混淆」・「共働」・「折衷」による人間の側からする義の構成は全く必要としなし、そのようなものはあり得ないのである。言い換えれば、私たちには、ただ、イエス・キリストへの感謝の応答としての、そのことの告白・証し・宣べ伝えがあり得るだけなのである。

 

(3)「登山は、私にはまったく喜びを与えなくなった」・「机に向かっての仕事のスピードは、目立って遅くなった」。身体検査の結果は良好であったが、70歳となったバルトは、生理的身体の老いの方からか意欲の衰退の方からか、老いを意識させられるようになった。619頁には、「肉体的な意味で、ただゆっくりとしか回復しない深い疲労を感じた。今や彼は、……自分の年齢を意識するようになった」、すなわち生理的年齢を意識するようになった、とあるから、バルトの老いの自覚は、生理的身体の老いの方からやってくるそれであったのであろう。ただバルトにおいては、<強いられた>それとして、「『教会教義学』を書きつづけ、完成するようにとの要求は、うなだれて手を休めてしまうこと」を「許さ」れなかった(587・588頁)。

 

(4)バルトは、1954年以来(1964年まで続いた)、バーゼル刑務所での「多くの場合聖餐式とともに行われた」、祈りにおける説教で、次のように述べた――「人間はみんな、被告訴人なのです。しかしその裁判官の席にすわっているのは、和解者であるキリストです(≪この語り方は、ドスエフスキーのマルメラードフのあの終末論的告白・信仰そのものである≫)」・「クリスマスを祝うのには大聖堂がふさわしいのか、それともより高級な人たちによって祝われるエンゲルガッセ礼拝堂がふさわしいのか、私には分かりません。しかし私としては、……刑務所でこそ、ふさわしく祝うことができると確信しています」(588・589頁)。

 

 「教会は、(≪啓示に固有な証明能力の下で、イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて≫)人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うこと(≪福音の内容である、神われら罪人と共に、というインマヌエルの出来事≫)を聞くというこの一事によって、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」・「≪したがって、そうでない場合は≫どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」(『啓示・教会・神学』)。

 

(5)バルトは、70歳の祝賀会において、祝意を表明した「彼の学生たち」に対して、「有難いことだと思った」が、「しかし彼らが、自分たちはバルトの弟子だと考えないように警告しようとつとめた」。なぜならば、バルトは、「自分の生涯の成果」を「一つの新しい学派(≪党派・党派的思想・党派的共同性≫)の形成に終わってしまうこと」を、決して「願わ」なかったからである。言い換えれば、バルトにとっては、「この世には関心をもつべき名前はただひとつ存在するだけだから」である。すなわち、「この世には関心をもつべき名前はただひとつ」、全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済・平和の完了者である、神性を本質とする、まことの神にしてまことの人間、イエス・キリストの名だけ、だからである。このイエス・キリストにおいては、「善人たちと悪人たち、幸福な人たちと不幸な人たち、キリスト者と異教徒たち、西方の人たちと東方のひとたち」との枠組みは取り除かれ、両者は架橋され、両者は「仲間として、確実に、そして非常に間近に見る」ことができるのである。また、このイエス・キリストにおけ「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、キリスト教世界・教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)、全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているのである(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 「和解論の対象と問題」』)。したがって、バルトは、「どうかあなた方」は、<自然神学>的な段階に属する信仰・神学・教会の宣教がそうであるように、「私の名」だけでなく、「他のすべての名を持ち上げないでください」、学派、教派、党派、党派性、党派的共同性、党派的多元主義を持ち上げないでください、と述べたのである。したがってまた、バルトは、「あなた方は、(≪終末論的限界の下で、≫)私が語ることを通して、あの方が語り給うことへと導かれる時にこそ、あなた方は私を正しく理解するのです」・啓示には啓示に固有な証明能力があるから、それに信頼し固執する「よい神学者は、(≪直接的無媒介的な自己意識・理性・思惟、人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍、人間的自然、人間的契機、人間学的な哲学原理・認識論・世界観を第一次化・価値化した≫)理念や原理や方法というような家には住みません」、と述べたのである(590−594頁および604・605頁並びに635−637頁)。

 

(6)バルトにとって、誕生日は、彼の『ローマ書』以来の神学的歩みを総括する機会となった。その場合、バルトは、『ローマ書』の時の自分と1956年の時の自分は、「ある人が少し性急に主張したように、<新しいバルト>になったわけでは」なかった。バルトのその歩みは、<断続性と連続性>との同時性・同在性・構造性における<時間>累積を意味した。「私の記憶によれば、私の神学の発展途上の段階で、次の段階へ向かう最も近い二、三歩の歩み以上の見通しや、計画をもったことはありませんでした。この最も近い数歩の歩みは、……新しい状況に出会うごとに、いつも私に与えられる必然性と可能性をめぐって、私が画いている像からくる印象に基づいています。(中略)私がそれを捕えたと思う以上に、向こうから私を捕える新しいものの前に立たされたのです」(595・596頁)。

 

 さて、1956年9月25日、アーラウで開催されたスイス牧師連合会で、バルトは『神の人間性』について講演した。「神の神性とは、『それ自身人間性の性格をもっている神性のこと』」であり、「正しく理解された(≪三位一体論的――キリスト論的に理解された≫)神の神性こそ、その人間性を包括するもので」ある(601頁)。なぜならば、三位一体論は、神論の決定的に重要な「構成要素」であり、「啓示の認識原理」であるからである。また、「キリストの神性についての教義こそ」が、一切の近代主義、一切の<自然神学>の段階に属する信仰・神学・教会の宣教を根本的包括的に止揚し超克できる、神学における<思想的武器>だからである(『教会教義学 神の言葉』)。「神の神性についての命題」は、「あらゆる種類の、敬虔な、自由主義的な、『積極主義的な』、人間中心主義神学の遊戯」に対して「対抗」「できたしまたできる」、神学における思想的武器なのである(601頁)。このことは、もっと明確に言えば、「神の神性において、また神の神性と共に、ただちにまた神の人間性をわれわれに出会う」(『神の人間性』)、ということである。また、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、神性を本質とする(神の存在は、単一性・神性・永遠性を本質とする)、まことの神にしてまことの人間(その神性を本質とする人間へと向かう神の第二の存在の仕方、神の言葉、神の子、啓示、和解)、ということである。

 

 さらに、バルトが、『ローマ書』の時の自分と1956年の時の自分は、「ある人が少し性急に主張したように、<新しいバルト>になったわけでは」なかった、と述べた時、それは、次のことを意味しているのである。すなわち、「第二の方向転換」としての「神の人間性」の「主文章」化は、「第一の方向転換」の「神の神性」の「主文章」化と「対立」関係にあるのではなく、その主文章化と副文章化とのベクトル変容は、あくまでもある時代状況に強いられた・時代状況に規定された言表なのであり、それゆえに「神の人間性」論は、ただ「神の神性において」のその神性を本質とする「神の人間性」が主文章化されたということであって、その背後に「神の神性」が保存される構造となっているのである。バルトも不可避なある時代状況のただ中で生き生活し喜怒哀楽し信仰し神学し思惟しているのであるから、啓示の弁証法に基づいてある時はその一方が「中心部から周辺へ、強調された主文章からさほど強調されない副文章へ」と退いたりするだけである、ということを意味しているのである(『神の人間性』)。

 

(7)「キリスト教的・神学的公理というものがあるとするならば、それは」、「真の証人」としての復活のキリストの事実、すなわち「イエス・キリストは……まことに復活し給うたという事実」にある。なぜならば、「福音書の中ではすべてのことが受難の歴史に向かって進んでおり、しかもまた同様にすべてのことは受難の歴史を超えて甦り・復活の歴史に向かって進んでいる」。すなわち、「旧約(≪「神の裁きの啓示」・律法≫)から新約(≪「神の恵みの啓示」・福音≫)へのキリストの十字架でもって終わる古い世」は、復活へと向かっている。このキリストの復活・成就の時間は、「新しい世のはじまり」であるからである(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、「第一に、キリスト教的行為」は、感謝の応答としての「啓示についての人間の証しに過ぎない」、「第二に、人間は」、神と人間との無限の質的差異と終末論的限界の下で、それゆえに、<自然神学>的な、神だけでなく人間の自主性・自己主張の欲求もという神と人間との「協力」・「協働」・「混淆」・「共働」・「折衷」においてではなく、すなわち啓示に固有な証明能力、神性を本質とするイエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて人間が人間的に所有する人間の啓示認識(啓示信仰)を授与された「一人の証人という姿において」、あくまでも「感謝の応答」としてのみ、「啓示と和解に『協力しつつ』参与する」(604頁)。

 

 このような訳であるから、一切の<自然神学的なもの>を紙一重で根本的包括的に止揚し超えていった神学における思想家バルトを論述する場合は、ブッシュのように「協力しつつ」という言葉だけを引用してはよくないのであって、駄目なのであって、この場合は、その概念内容も同時に述べなければならないのである。したがって、私たち読者は、そのバルトの言葉が、決して、<自然神学>的な神だけでなく人間の自主性・自己主張の欲求もという神と人間との「協力」・「協働」・「混淆」・「共働」・「折衷」を意味していないことを、十分に認識し自覚している必要があるのである。所々に散見されるこのような曖昧さがブッシュのこの『生涯』ものの弱点である。したがってまた、私たち読者は、たとえブッシュの書いたものであれ、その知識や情報を、そのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいのである。ほんとうは、ブッシュは、その概念内容を明らかにすることで、私たち読者に対して配慮すべきであった。なぜならば、神学における思想家バルトの「生涯」は、一切の近代主義、一切の<自然神学的なもの>を、紙一重で、根本的包括的に止揚し超えていくそれであったからである。すなわち、あのバルトの「協力しつつ」という概念は、<自然神学>的なそれでは全くなくて、復活の事柄――復活の出来事が「どのようにして……起こりえたか、また起こったか、……私はあなたがたと同じように、その理由を知らない。それは(≪人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍に依拠して考えれば≫)人が信じないようなことだと言う以外に、単純な言い方はほかに存在しない。事実、当時でさえも、解き明かすことは愚か、書き記すことや説明することはできなかった」(『カール・バルト著作集17 説教集<下>』「主を見た時 ヨハネ」)――に対するときのように、近代・現代・現在のただ中における、全く以て「感謝の応答」としての、全く「説明なし」の、全く素直な「告白」や「証し」や「宣べ伝え」、イエス・キリストに対する感謝の奉仕、ということを意味しているのである。

 

 「真実の証人」については、すでにバルトの「ヨブ記」論で論じた。

 

(8)バルトは、「礼典」について、「『第一の<司式者>はイエス・キリスト自身であり』」、「そして第二の司式者は……牧師ではなく『会衆全体』である」、また「サクラメントに関しては、『ただひとつのサクラメントが存在するだけであり、それは死人から復活された方自身である』」、と述べた(608・609頁)。

 

(9)1957年から58年にかけての冬学期の演習で、バルトは、近代のルター主義(「ヴェルナー・エラートの教義学」)と取り組んだが、それには、「一方に陰鬱な歴史的運命論が、他方には……強引」な「教派主義」が貫かれており、それゆえにその教義学においては「聖書の使信の中心点を、まさにはるか遠くからやっと見つけ出せるといった体系的構築」がなされており、その「学派の著作」に「驚き……立ちすくん」でしまった、と同時に、それは自然時空へと死語化していく以外にはない水準の著作として、また現在から未来に生きることのない水準のそれとして、「あまりにも非生産的な」ものとして、もう決して、「次の学期の演習」の対象としようとは思わなかった(608−610頁)。

 

(10)1958年、バルトは、「核武装の問題に取り組むように定められた」。バルトは、「東の人間も西の人間も、この問題の中で動き始めた狂気に反対して、立ち上がるべきである。……これは、生命の危機の問題である」、と述べた。また、バルトは、「世界の強国に、必要な場合には核兵器の一方的廃棄に踏み切るよう要請した」(611頁)。この後者の事柄に関して言えば、第一に、この原子核についての科学的な発見・研究成果は、自然史的必然であり、その技術的応用も自然史的必然である、それゆえにそれは倫理の問題ではない、ということ、第二に、民族国家が強力・強大な軍事部門を構成し一部支配上層の意思によって戦争が行われ得るという意味で、現在のところ戦争の可能性はあるのであり・あり続けるのであり、その技術の軍事的応用である核兵器は最後的な戦略兵器として利用されていく、ということ、第三に、それゆえに核兵器を自主的に廃棄するような民族国家はあり得ない、ということ、第四に、それゆえにまた、もし私たちが本当の意味で、戦争が起こらないように決意したならば、その戦争無化の可能性である民族国家を包括し止揚し得る革命論の構築を必要とする、ということ、である。核兵器は軍事的に最後的な戦略兵器であるから、もしもそれを実際的に使用したとすれば、バルトも述べているように、その最初の瞬間からすべてが終わりとなり、したがって戦争遂行それ自身が不可能となる。

 

 さて、バルトの「核武装の拒否」は、第一に、「核戦争」は「すべての人間の絶滅をもたらす」ものであるからであり、第二に、またそれは、「すべての国家とすべての国民のため」になるからである。当然、このバルトは、「スイスの核武装にも反対した」。私は、前で戦争無化の可能性である民族国家を包括し止揚し得る、すなわち国家・政治的権力の無化を伴う人間の社会的現実的な究極的包括的永続的解放という革命論の構築を必要とする、と書いたが、神学における思想家・バルトの立場は、次のようなものである。
@「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪一切の民族国家、政治権力、イデオロギー≫)のともがらと成ることができようか」 (『教義学要綱』)。神性を本質とするイエス・キリストの名にのみ信頼し固執したバルトは、その完了された救済と平和の場所において、国家・政治的権力の問題を不可避な過渡的問題として捉えると同時に、究極的永続的課題としては国家・政治的権力の無化を構造化させている。すなわち、バルトは、終末、救贖・完成においては、国家・政治的権力も無化されてしまうという観点を持っている。
 福音は「『現在の<冷戦>において互いに対立し、相争っているイデオロギーと利害と権力を越えた』雲の上」、彼岸・外、にある。バルトは、「神学的思考と社会・政治的思考との、あらゆる同一化の試みと、また両者のあらゆる並行化と類比化の試みに対して……もっとも激しいアレルギー拒絶反応を示した」。なぜならば、「その場合には、(福音という)類比の主体がもっている類比の客体(当該の神学者の政治的洞察や見解≪――当該神学者の対象化された自己意識の意味的世界・当該神学者の管理するプログラム≫))に対する優位が明白に、逆転不可能な形で確保され、見えつづけるということがなくなってしまう」・すなわち、神と人間との無限の質的差異が揚棄されてしまう、からである。また、その場合には、神と人間・神学と人間学との「混淆」・「協力」・「協働」・「共働」・「折衷」が行われるからである。言い換えれば、その場合には、すべてが、必然的に、フォイエルバッハ等の宗教批判の対象そのものである<自然神学的なもの>へと転化していくからである。このことは、バルトにおいては、「社会的・政治的無関心を容認することではなく、むしろ決断による『態度決定』」の重要性を意味していた(615頁)。言い換えれば、バルトにおける神学的実存の在り方は、それが社会的な事柄であれ政治的な事柄であれ、神性を本質とするイエス・キリストにおける福音にのみ信頼し固執する説教と宣教の繰り返しの「言葉」が、すなわち「かつて語った説教の一貫した繰り返しが、(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」という在り方にある、ということである。

 

A「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということ」がなされないままに、礼拝改革・社会的政治的実践・キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、「何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考え」ない。また、宣教の規準を、聖書と同時に、「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは「哲学、道徳、政治」等に置かない。

 

B「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとはしない。

 

 

Cある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとはしない。

 

D「西の獅子に全力をあげて抵抗」するように、「東の獅子にも抵抗」する。「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・「国家は支配であり、文化は支配」であるから、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わ」ない。
 「教会は、西においても、東においても、何物によっても、いかなる伝統、いかなるイデオロギー、いかなる歴史解釈によっても、原理的に束縛されてはならない。「福音を宣教するという課題」は、「信仰の完全な解放性において理解されなければならない。なぜならば、その信仰の解放性においては、『イエス・キリストは<マルクス主義者>のためにも死に給うたのだが、<資本主義者>と<帝国主義者>と<ファシスト>のためにも死に給うた』ということから出発することができる」からである。(614・615頁)。

 

E「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」する。

 

F「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」。

 

G「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」。しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、(≪民族国家・政治的近代国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」。(618−619頁)

 

(11)「東独問題と核問題に対する姿勢のために」、「さまざまな反対意見や無理解に直面して、〔反体制派の〕『非国教徒輩』と見られていると感じた」「孤立の中」で、バルトは、「倦み疲れてはならない、さらに前進を!」と自分に言い聞かせた(618頁)。

 

 1958年の夏、バルトは、「彼の視点」から、「哲学者と神学者の間にある対立と協力関係」について論文を書いている。「両者は共に(≪啓示の客観的実在としての、具体的には聖書に証言・証しされている、神性を本質とするイエス・キリストにおいて啓示された神と人間との無限の質的差異における≫)『唯一の……真理の全体』に直面しており、しかもその真理は、両者を凌駕しているので、両者は共に『天上の高みから下に向かって』語ることはできないという前提」に基づいて、バルトは、「神学者は『その素朴さを恥じることなく、彼の思考と言説の道が、それを通ることによって哲学者の道はそこでは完全に断ち切られるほど厳格な形で、神学者に提示される唯一の真理の全体とは、イエス・キリストのことである……と、直接、無条件に答える』」、と述べた(618・619頁)。

 

 さて、ブッシュは、このテーマを、「それまで」バルトが「直接とり上げたことがない」(618頁)それである、と述べているのであるが、それは違うので、バルトの『ローマ書』は、まさしくこのテーマを扱ったものである、と言うことができる。これが、その証拠である――「私が『方式』なるものをもてっているとすれば、……時間と永遠との『無限の質的差別』……、をあくまで固守した、ということである。『神は天にいまし、汝は地に在り』。私にとっては、この神とこの人間との関係、ないしはこの人間と神との関係が聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」(『ローマ書』)。確か、ブッシュのこの本でも、バルトとヤスパースとの間において、この神と人間との無限の質的差異の認識と自覚についての相互了解と相互承認がなされた、ということが書かれていたと思う。また、バルトは、『教会教義学 神の言葉』においても、次のように述べている――「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」。「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」。またその場合、「哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる」。キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった」。また、「それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」(『教会教義学 神の言葉』)。言い換えれば、自然神学的な人間学的神学は、神学としても人間学としても非自立的で中途半端なものでしかないのである。したがって、自然神学的な神学群や教会の宣教は、現在から未来に生きることは決してできないのである。したがってまた、バルトは、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わるところから始まる」。すなわち、神学も理性的な知的営為ではあるが、「神学は方法論的には、ほかの学問のもとで何も学ぶことはない」(『バルトとの対話』)。

 

 ハイデッガーもこのことをよく認識し自覚していたから、ブルトマン(その学派)に対して、「『今日まさにこのマールブルクでは、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりは『むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』、『いわゆる存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか』」、と述べたのである(木田元『ハイデッガーの思想』)。

 

 バルトが、パウル・ティリッヒも自宅を「訪れました」が、「彼は人間的には魅力のある人物ですが、神学の内容(≪その「神学的認識方法」≫)は……まったく困ったものです」、と述べた時、ティリッヒのそれは、前述したハイデッガーの揶揄・批判した<自然神学>的な『いわゆる存在者レベルでの神への信仰』」おけるそれでしかないものだったからである。このことを、学者にしか過ぎなかったティリッヒやブルトマンには、認識し自覚することができなかったのである(622頁)。

 

 吉永正義は、『バルト神学とその特質』において、「ブルンナーの神学、ブルトマンの神学、ティリッヒの神学、ポスト・ブルトマニヤンの神学」を総括する意味で、「バルトは『ブルトマンも説教するが、ブルトマンの説教は説教にならないで講演になってしまう』というが、これは……核心をついたブルトマンに対する批判というべきではないだろうか」、と述べた時、それは、具体的には、前述した事柄のこと(<自然神学の陥穽に陥ったそれのこと>)なのである。バルト自身に依拠して言えば、ブルトマンを含めてシュライエルマッハー等近代主義者は、<自然神学>の段階に属する信仰・神学・教会の宣教の常として、人間の「精神的な促進〔霊的な奨励〕のために、自分と彼らに共通な宝庫からくみ取りつつ、この宝庫をさらに豊かにするために」、人間の自由な自己意識・理性・思惟の意味的世界、人間学的な哲学的原理・認識論・世界観に信頼し固執して、自分自身が管理する恣意的独断的なプログラム・「自分自身の歴史」と「現在の解釈」を表現しようとした、すなわち、「自己表現としての宣教」を企てた、ということなのである(『教会教義学 神の言葉』)。例えば、ブルトマンの神学の認識方法および概念構成は、啓示の客観的実在そのもの(第一次的なのも)は、常に、その人間の啓示認識(第二次的なもの・新約聖書の使信・啓示の「概念の実在」)の、彼岸・外にある、という神と人間との無限の質的差異を揚棄してしまって、さらに前期ハイデッガーの哲学的原理・「容易に修得しえない」「先行的理解と言語〔表現〕」によって対象化された啓示、すなわち存在者・存在者レベルでの神を第一次的なものに形式変換し、新約聖書の使信・証言を、その第一次的なものに「従事することにおいてのみ真であり、重要であるもの」、すなわち第二次的なものへと形式変換する、という、まさしく<自然神学>の段階に属する人間学的神学のそれに過ぎないのである(『ルドルフ・ブルトマン』)。

 

 「哲学者が哲学者として、また神学者が神学者として、考え、語り、書く」ということが、肝心なことである、ここにおいて、はじめて、ほんとうの、「協力関係」は成立する(619頁)。神と人間、神学と人間学、との混淆・協力・共働・協働・折衷は、何ももたらすことはない。なぜならば、どちらかが主となったそれは、結局は、非自立的で中途半端なものとしかならないし・そのようなものでしかないからである。人間学的神学について言えば、恣意的独断的に神学の優位性を標榜しようが、近代以降は必然的に、人間学の「後追い知識」としての非自立的で中途半端なそれとしかならない。

 

(12)生理的身体の方からやってくる老いに対してバルトは、「以前より多くの休暇を取り、その休暇中にも、……ただ休養するだけのより長い息抜きの時間」を必要とした。また、「学期の仕事」遂行のために、パイプのタバコをふかし、「窓を開け放って」寝ることや「朝の冷水シャワーは規則正しく熱心に実行」し、「夜の深呼吸と、朝の体操」も行った。それだけでなく、「いろいろな種類のビタミン剤」等もとった。そうした中で、「多くの愛すべき、面白い訪問者たち、しかしまた同じくらい多くの<時間食い>以外の何者でもないような訪問者たち」の「来訪を受けなければならなかった」(620・621頁)。

 

(13)バルトは、1959年から60年にかけての冬学期と、1960年の夏学期に「カルヴァンの演習」を行った。バルトは、『キリスト教綱要』の「新しい版の序文」に、「カルヴァンは――ルターと違って――天才ではなかった。むしろ良心的な聖書釈義家であり、厳密で堅実な思想家であり、同時にキリスト教的、教会生活の実践に倦むことなく……努力する神学者であった」・「彼は……自分の研究結果を受け入れるように強制することなく、むしろ自分の研究を取り上げて、自分の足跡をたどりながら、(≪現在から未来に生きる≫)新しい結果に向かって進んでいくことを求め」た、と書いた。このバルトは、「ドイツ人はまさにこのような意味でルターを教師とすべきであると、……しばしば要望した。彼自身も、ともかくそれとは違った意味で、カルヴァンの弟子であろうとは思わなかった。またさらに、彼自身も、それとは違ったいかなる意味においても、自分の学生たちにとっての教師となろうとは思わなかった」(623・624頁および630頁並びに638−641頁)。「感謝の応答」において、啓示の客観的な実在としての、神性を本質とするまことの神にしてまことの人間、イエス・キリストの名にのみ信頼し固執する、信仰・神学・教会の宣教が問題である。言い換えれば、軽薄な明るさと不信とむなしさと不安と不確かさが蔓延した現在に現存する私たちには、現在から未来に生きるために、信仰的・神学的・教会的には、一切の近代主義、一切の<自然神学的なもの>を、紙一重で根本的包括的に止揚し超えていくことで新たな次の<段階>へと歩みを進めたバルトを媒介・反復して、さらに新たな次の<段階>へと歩みを進めていくことが求められているのである。したがって、決して、復古主義や、一切の近代主義、一切の<自然神学>の<段階>への停滞や、その神学の<段階>の中での循環を、求められているのではないのである。「私は……今や同じ土俵で、同じ範囲で私と対抗し、私を追い越すような敵対者を私は期待している」(642頁)とバルトが語った時、それは、そのことを意味しているのである。

 

(14)1960年、バルトは「彼自身が臨時の拘置所付牧師、教誨師として、繰り返して直接直面した刑務所と拘置所の機構の問題について、基本的な解明を行った」。「犯罪者になる神の予定というものが存在するかという質問」に対して、バルトは、次のように答えている――「犯罪者への病的素質」といったものは存在するが、「悪への神の予定などというものは存在」しない。「存在するのは、道を見失ったすべての人間を『救済するという神の予定(すなわち神の恵み)』だけ」である、と。また、「『健康な人たち』も、良くない(「危険が少ないとは言えない」)素質を負っています」、と(629頁)。このバルトの「『健康な人たち』も、良くない(「危険が少ないとは言えない」)素質を負っています」という言葉は、資質による生理的自然と意志との均衡の崩れやすさによる危険性だけでなく、消費資本主義的段階における社会からもたらされる、正常と異常を行き来する、現にあるがままの私たちすべてに通用し得る水準を持っている。すなわち、そうしたただ中で、「存在するのは、道を見失ったすべての人間を『救済するという神の予定(すなわち神の恵み)』だけ」・イエス・キリストの名だけである、というこの言葉は、現在から未来に生きる水準を持っている。

 

(15)1960年、バーゼル大学は創立500年の記念祭の祝賀会を行ったが、その時「鉄のカーテンの向こう側の諸国からのあらゆる客」を「排除」しようとした「多数派」の「ヤスパース……と、意見が対立」し、バルトは、西側の「招かれる資格のある客」と東側の「資格のない客」とに分けることに「抗議する文章を書いた」(629頁)。

 

(16)ブッシュは、バルトが和解論における特殊倫理学を論じるはずであった『教会教義学W/4断片 キリスト教的生の基礎づけ』(邦訳「キリスト教的生<断片>」)について、次のように述べている。
@本来バルトが「目論んだ配列を、しばらくの間放棄」して、彼は、「主の祈りを手引きとして、キリスト教生活のさまざまな実践上の諸側面を」論じたいと考えた。

 

Aしかし、「これらすべてに先立って」、「キリスト教的生活の基礎づけの論述として」「洗礼論が展開されることになっていた」。

 

B洗礼論は、神と人間との無限の質的差異において、イエス・キリストを頭とする教会が、神的側面と人間的側面との同時性・同在性・構造性において論じられているように、洗礼論も、「神御自身の業としての聖霊による洗礼」と「礼拝における人間の業としての水による洗礼」との同時性・同在性・構造性において論じられることになっていた。

 

Cそして、聖餐論が、「締めくくりとして、また仕上げとして」、「キリスト教的生活の革新と保持との論述として取り扱われることになっていた」。この場合、バルトは、「聖餐を、神御自身によって、神のみによってもたらされた、……『革新と保持』に直面する教会の服従の行為として、……理解しようとした」。すなわち、聖餐を、「その自己犠牲におけるイエス・キリストの現臨に応答し、彼の将来を待ち望む感謝の表明として」理解しようとした。このことは、具体的には、聖書また教会の宣教において神は、イエス・キリストの父、子としてのイエス・キリスト自身、父と子の霊である聖霊であり、このような三位一体の神として自己啓示するのであるから、この啓示が教会の宣教の客観的な信仰告白と教義である三位一体論の根拠であるのであるが、それゆえにまた、この三位一体論は、神論の決定的に重要な構成要素であり、「啓示の認識原理」であるから、「教会の宣教の批判と訂正」・「革新と保持」は、常にこの三位一体論に即して行わなければならない、ということである(『教会教義学 神の言葉』)。なぜならば、この三位一体論を啓示認識の原理にしない場合、すぐに神性否定のキリスト論や半神・半人キリスト論や三神論や神と人間・神学と人間学との混淆論・協働論・協力論・共働論・折衷論という<自然神学>なキリスト論・聖霊論・神論に埋没していく以外にないからである。

 

Dこの洗礼論においても、1943年の洗礼論の場合と同じように、「再び乳幼児洗礼は決定的に拒否された」。

 

Eバルトは、「イエス・キリストの復活と聖霊の注入だけを、聖礼典と呼びたいと考えた」。「このような<聖礼典>がキリスト教的生活を基礎づけるという限りにおいて、彼は『聖霊による洗礼』について論じたいと思った」。バルトによれば、「聖霊による洗礼」は、「純粋に人間の行為としての水による洗礼」と「厳密に区別されなければならない」と考えた。この「純粋に人間の行為としての水による洗礼」は、「イエス自身が受けた洗礼にその根拠を持」っている。また、この「水による洗礼」は、「聖霊による洗礼」の側から授与される、イエス・キリストにある根本的包括的総体的永遠的な救済・平和に対する「感謝の応答」である。すなわち、それは、全く説明なしの、そのことに対する、全く素直な告白や証しや宣べ伝えにある。

 

F「主の祈り」の「アバ、父よ」という呼びかけは、「キリスト教的エートスの根本的行為」である。

 

Gバルトは、「御名をあがめさせ給え」、すなわち「神の栄光のための熱心」について、神の、隠蔽性と顕現性において展開した。ブッシュは、一方で、バルトが「神の国は人間によって実現されることも、準備されることもあり得ず、この世界に対してだけでなく、キリスト教世界に対しても『マツタク独自ナ要因』であるということを、……強調した」と述べておきながら、他方で、バルトが「『自然神学』に対する徹底した批判の後に……神は『世界』にとっても……主観的にではないが、しかし客観的には知られていると語ったことは、……注目すべきことである」と述べて、いかにもバルトがここでは「自然神学」を容認したように受け取ることができる語り方をしているのであるが、それは全く違うのであって、バルトは、一切の近代主義、一切の<自然神学的なもの>を、紙一重で根本的包括的に止揚し超えていく歩みを倦み疲れずなし続けたのであって、神学における思想家のバルトの場合には、そうした揺ぎ無い思想の一貫性があるのである。

 

 すなわち、それは、イエス・キリストが、私たち人間に対して、聖書および教会の宣教を通して「同時的となる時と所」・「『神われらと共に』が神ご自身によってわれわれに語られるところ」においては、「われわれは神の支配のもとに入る」ことを承認し確認する」・したがって私たちは、「世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会」として承認し確認する・すなわち、「自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけである」ことを承認し確認する・したがってまた、その神の側の真実であるイエス・キリストにおける啓示の場所は、<自然神学>的な信仰・神学・教会の宣教における福音が、「理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと」・「鋭さをなくした」「十字架象徴論へと」・「イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎ」ない「神秘主義へと変わって行く」ことが見渡せる場所でもある、ということなのである。言い換えれば、私たち人間の、その個・現存性――類・歴史性の生誕から死までのすべてを見渡せ、また「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所は、神性を本質とするまことの神にしてまことの人間、イエス・キリストにおける啓示の場所だけである、ということなのである。ほんとうは、ここに、バルトの言う「自由な行為による応答」があり得るのである(634頁)。決して、それ以外の場所においてではない。

 

 また、神の隠蔽性と顕現性については、ほんとうは、次のように言うべきである。
 第一に、神の自己啓示であるイエス・キリストの啓示の出来事、客観的な啓示の実在、啓示の真理、永遠、超歴史、啓示の時間、実在の時間、救済史は、常に、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・教義、人間の時間・歴史の、彼岸・外にある。このことは、啓示自体から与えられた、私たち人間における「終末論的限界」を意味している。またこのことは、まことの神は「隠蔽性・秘義性」を本質としており、その神に対して人間の自己意識・理性・思惟は「全く闇に閉ざされ」た「盲目」性を本質としている、という「神の不把握性」を意味している。この神の不把握性は、神の「存在の本質」である単一性・神性・永遠性についての「信仰命題」であり、一般的真理ではなく、啓示の真理・信仰の真理である、と(『教会教義学 神の言葉』および『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』)。

 

 第二に、神は、イエス・キリストにおいて、インマヌエル――「神われらと共にいます」という存在の仕方で、顕現・自己啓示した。このことは、神性を存在の本質とする「自己を覆い隠す」・隠蔽性・「聖性」としての神が、その「存在の仕方」において子として「自分を自分から区別」したことを意味する。したがって、その自己啓示は、ナザレのイエスという「人間の歴史的形態、イエスの名」・人間へと向かう神の第二の「存在の仕方」において、その「存在の本質」である単一性・神性・永遠性の認識と信仰を要求する啓示である。このように自己啓示する神は、啓示の弁証法において「まさにアラワサレタ神こそが隠サレタ神」である。またこのことは、神自身が私たち人間に対して自己啓示されないならば、また神自身が神と私たち人間とを架橋されないならば、全く不信仰で罪に穢れた私たち人間は、人間が人間的に所有する人間の啓示認識(信仰)・教義をさえ持つことはできないことを意味している、と(『教会教義学 神の言葉』)。

 

 第三に、神に敵対し神に服従しない私たち人間は、「肉であって、それゆえ神ではなく、そのままでは神に接するための器官や能力」を一切持ってはいないから、神の言葉は、その都度の神自身の自由な決断において、またその隠蔽と顕現において、「われわれのところに来」る。この神の隠蔽性・神の秘儀性とは、私たち人間のその啓示認識が、常に終末論的限界の前に立たされるということである。したがって、神の言葉が「人間によって信じられる……出来事」・信仰の出来事は、徹頭徹尾人間「自身の業」ではなく、「神の言葉自身」、啓示に固有な証明能力としての、啓示の客観的実在であるイエス・キリストにおける啓示の出来事と「聖霊の注出」においてのみ可能となるのである。すなわち、「言葉を与える主」は、同時に、「信仰を与える主」である。したがって、聖書の中で証しされている教会の宣教の課題である啓示・和解、福音、イエス・キリストの出来事の宣べ伝えを目指すことのない<自然神学>的な「単なる知識」としての形而上学的な教義学は、「それがどんなに考え深い才知豊かな、また首尾一貫した仕方」のものであっても、その教義学は「教義学としては非学問的」なのである、と(『教会教義学 神の言葉』)。(631−634頁)

 

(17)エルンスト・ヴォルフの「六〇歳記念論文集への寄稿」文で、「ブルトマン主義者たちが、神の救済行為の『私ノタメニ』の要素を強調しているのを見て」、バルトは、「『ワレワレノ外ニ』という基本的な前提が破棄されずに」、「『私』(私ニタメと私ノ中ノ)の代わりに、『われわれ』(ワレワレノタメニとワレワレノ中ニ)について語られ」「保持されている」のであれば、その点を「手掛かりとして徹底的に話し合える」と考えた(634頁)。ここで、「『ワレワレノ外ニ』という基本的な前提」とは、神と人間との無限の質的差異、具体的には、前述した神の隠蔽性と顕現性について述べた<第一>の事柄のことである。また、「ワレワレノタメニとワレワレノ中ニ」とは、啓示の客観的現実性、具体的には、イエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済・平和(史)の事柄のことである。このように、バルトの信仰・神学・教会の宣教は、すべてに対して完全に開かれているのであって、それに対して、完全に開かれていないのは、旧態依然として<自然神学>の枠組みの中で停滞と循環を繰り返し続けている「大学社会の神学」村落共同体あるいはそれに類する教会共同体の側における信仰・神学・教会の宣教なのである。

 

 バルトを含めてヘーゲルやマルクスや吉本は、「断続性と連続性」の同時性・同在性・構造性としての<段階>概念における認識方法と概念構成の一貫性を持っているのであるが、ブッシュにはそれがないのである。639頁に、1960年に「R・カルヴェール宛」手紙において、学生に対して「私は最近、どこかで、今や<バルト後の>時代が始まったというのを読みました」、とバルトが書いたことが述べられているが、おそらくそう語った人物は、<自然神学>の段階に属する停滞と循環を繰り返し続けていた「大学社会の神学」村落共同体あるいはそれに類する教会共同体の信仰・神学・教会の宣教に属する人物でしかないことは、私には自明のことのように思われる。いずれにしても、ブッシュの論述には、所々に中途半端で曖昧な表現が散見される。すなわち、このことは、ブッシュが、神学における思想家ではないことの証左となるのである。したがって、その意味においてということであるが、私たち読者は、ブッシュの知識や情報をそのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいい、ということも自覚している必要があるのである。

 

(18)1962年の『福音主義神学入門』について、バルトは、<自然神学>の<段階>に属する人間学的神学・「『哲学混合神学に対する断固たる<拒絶>を、論述した』ものと考えた」。なぜならば、神学における思想家・バルトには、こうした神と人間との無限の質的差異を揚棄した人間中心主義的な人間学的神学・「哲学混合神学」は、近代以降の現代・現在の教会共同体において「きわめて強い説得力を持っているように思われ」たからである。したがって、バルトは、同じ書において、@「あらゆるキリスト者の生が、意識するにせよ、しないにせよ、やはりひとつの証しである」限り、「教会とその信仰を基礎づけている神の言葉から、提起される」「真理問題はあらゆるキリスト者に向けられている。この証しにおいてこの真理問題に対する責任を負う限り、いかなるキリスト者も彼自身がまた、神学者としても召されている」、と述べたのである。また、A「この世にあって、そこなわれた、弱い、困窮するすべての人々への黙々たる奉仕」における、神学における還相的な課題は、全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和の根拠である、神性を本質とするまことの神にしてまことの人間、イエス・キリストに対する感謝の応答としての信頼と固執、その告白・証し・宣べ伝えにある、と述べたのである(『福音主義神学入門』)。

 

 <自然神学>の<段階>に属し、それゆえに神学における往還思想を持たない、「シュヴァイツァーのような、神学的にはきわめて問題のある神学者」も、「神学の対象〔つまり神〕の側から見るならば」、すなわちその実践が「祝福され、きよめられたもの」となるのかどうかということは神自身の決定事項であるし、その実践は神学における往相的な課題から見るならば意味があるだろう、と述べた。なぜならば、マタイ26・6−13、マルコ14・3−9の記事は、啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて神学における往還思想の言葉で言えば、イエスに注いだ香油を高く売ればある一部の「貧しい人々に施すことができたのに」とベタニアの女を叱責した弟子たちの言葉は、往相的な相対的・一面的・部分的・過渡的・緊急的な救済の言葉であって、それに対して、イエスは、両者を架橋したしたところで還相的な究極的・包括的・総体的・永遠的な、全人間・全世界・全人類の救済・平和の言葉を投げかけた、というように言うことができるからである(648・649頁)。