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吉本隆明「親鸞」論

吉本隆明「親鸞」論
再推敲・再整理版です。

 

「その1」
 吉本は、自己資質や現実や時代状況に強いられて、不可避的に知識的過程に登場せざるを得なかった知識人として、自らを自己認識・自己理解・自己規定する。この吉本は、「自分の文学」を批判するものは、「国家」でも、「政治運動家」でも、「他の文学者」でも、「現に困窮している人々」でも、「殺りくされている人々」でもなく、「じつに文学とは何のかかわりもない、ましてやわたしの書くものなど読んだこともないという条件によって区別された生活者の眼である」、と述べている。この「生活者の眼」は、知識人の出自であり、思想の自立の根拠であり、思想にとっての普遍的な価値基準としての社会的存在の自然基底である時代と共に変容していく大衆の原像である。この「生活者の眼」は、知識人としての吉本にとって、「即物的には窮乏ということが人間を苦しめるとすれば、金銭や食物の飢えに耐エルベキダということ」であり、「文芸的、余りに文芸的に言えば、関係の飢えと窮乏(≪孤独、孤立≫)に耐エルベキダということ」である(『吉本隆明全著作集4』「文芸的な、余りに文芸的な」勁草書房、昭和50年)。

 

 「あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ/冬は背中からぼくをこごえさせるから/冬の真むかうへでてゆくために/ぼくはちいさな微温をたちきる/(中略)ぼくはでてゆく/冬の圧力の真むかうへ/(中略)ぼくの孤独はほとんど極限に耐えられる/ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる/ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる/もたれあふことをきらつた反抗がたふれる/(中略)ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかえす/だから、ちいさなやさしい群よ/みんなのひとつひとつの貌よ/さようなら」(吉本隆明『吉本隆明全著作集1』「ちひさな群への挨拶」勁草書房、昭和50年)。

 

 この詩における吉本は、知識の在り方で言えば、親鸞論における「非僧・非俗」の在り方に重なり合うものである。親鸞において「非僧」は、「無知」ではなく「非知」のことである。鎌倉時代において、知識は宗教という形態をとっており、僧は、その「知」の頂へと上昇して行く過程(「知」の「往相過程」・「往相廻向」)に登場する知識人であった。しかし、親鸞は、その知識人としての僧から対象的になって距離をとるという仕方で、すなわちその「知」の頂から再び「非知」へと意識的・意志的に下降して行く過程(「知」の「還相過程」・「還相廻向」)を導入するという仕方で、その「知」の総体的構造を明確にしたのである。<往還>の思想を説いたのである。言い換えれば、親鸞は、知識人として、「知」(観念)の自然性として自然的に「知」(観念)の頂へと上昇して行く知識過程(「知」の往相過程)に、その「知」の頂から再び意識的・意志的に「非知」へと下降して行く知識過程(「知」の還相過程)を構造化したのである(『最後の親鸞』春秋社)。

 

 吉本は、親鸞における「非僧・非俗」について次のように論じている。知識(観念)は、学べば学ぶほど知識的(観念的)に上昇し、その知識(観念)の自然過程(往相過程)において「その時代の世界思想の最高水準にまで至る」ものである。したがって、知識人であった親鸞は、経済社会構成を農耕に置き自然を原理とした人類史のアジア的段階における世界思想の最高水準であった浄土教理の尖端性にまで到達したのである。人類史のアジア的段階が世界の全てであった(世界普遍性であった)鎌倉時代に生き生活し思惟し語った親鸞は、浄土教理(知識、観念)において、アジア的段階の思想の枠組の中で「世界思想の最高水準に到達した」のである。

 

 浄土教理(知識・観念)の課題は、「煩悩具足の凡夫」を救おうとする「阿弥陀仏・無量光仏の本眼力」によって、阿弥陀仏への帰依を意味する南無阿弥陀仏の「称名をとなえ至心に信心すれば即座に救われ浄土へ往ける」ことを突き詰めることにあった。この浄土教理(知識・観念)の尖端性(頂き)にある浄土へと知識(観念)的に上昇していく知識過程(観念過程)が、浄土教理(知識・観念)の自然過程としての「往相過程」・「往相廻向」と呼ばれるものである(『〈信〉の構造・吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」春秋社)。この「往相過程」・「往相廻向」は「縦超」とも呼ばれた。この知識(観念)の自然性として自然的にその頂にまで上昇して行く知識過程(観念過程)である「往相過程」・「往相廻向」(「縦超」)の浄土の場所から再び現世(生活過程、日常過程)へと下降して行くその還りがけに――すなわちその知識(観念)の意識的・意志的な下降過程に、「還相過程」・「還相廻向」があって、その過程で、現実的な現世で具体的に生き生活し困窮し喜怒哀楽している「煩悩具足の凡夫」のために「慈悲心を発揮する」(「一切の衆生」を究極的包括的総体的永遠的に救済する)という思想の課題が登場する。言い換えれば、その知識(観念)の頂から再び意識的・意志的に下降するその帰りがけ(「還相過程」・「還相廻向」)において、時代と共に変容する大衆の原像を(それ故に、具体的にはある時代状況にある現実的な社会の中で具体的に生き生活し喜怒哀楽する大衆像と大衆的課題を)意識的・意志的に繰り込んでいくという思想の自立の課題が登場する。すなわち、親鸞は、その浄土教理(知識・観念)の「総体性」を、その知識(観念)の自然性として自然的にその頂にまで上昇して行く「往相過程」・「往相廻向」と、その知識(観念)の頂から再び意識的・意志的に下降し、時代と共に変容する大衆の原像を(それ故に、具体的にはある時代状況にある現実的な社会の中で具体的に生き生活し喜怒哀楽する大衆像と大衆的課題を)捉え返す還りがけの「還相過程」・「還相廻向」との構造として理解したのである(『<信>の構造・吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」春秋社、昭和59年)。鎌倉時代の知識人としての僧たちが放棄したこの「還相過程」・「還相廻向」が、親鸞の浄土教理(知識・観念)にとっては思想の究極的課題である。親鸞は、この「還相過程」・「還相廻向」を「横超」とも呼んだ。

 

 親鸞は、当時の衆生像や衆生的課題を繰り込みながら三願・選択本願による救いについて、その救済が確実かどうかは、「総じてもて存知せざるなり」と述べて、信仰を「面々の御計なり」と相対化した(『最後の親鸞』春秋社、昭和51年および『未来の親鸞』春秋社、1990年)。ここでは、宗教(信)と非宗教(不信)の枠組みが解体されている。何故ならば、「多念仏」・「多念義」ではなく「一念仏」・「一念義」でもよいという思想に辿り着いているからであり、そしてこの「一念仏」・「一念義」は、その極限に「無念仏」・「無念義」でもよいという思想の水準に辿り着いているそれだからである。言い換えれば、「一念仏」・「一念義」は、宗教の解体に辿り着いているのである。このようにして親鸞は、その「還相過程」・「還相廻向」(「横超」)において、「一切の衆生」の究極的包括的総体的永遠的な救済の問題を明確に提起したのである。言い換えれば、還相的な課題は、偶然に出会った個別の衆生を助けるという往相的な過渡的部分的相対的緊急的な救済にはないのであって、煩悩や生老病死等々で困窮し疲弊する「一切の衆生」の救済という究極的包括的総体的永遠的な救済にあるのである。

 

 さて、自分が現に身近に接している「食物の飢え」等々で困窮している具体的な一人の人や一部の人を施し(奉仕)によって救済しようとする課題は、部分的相対的な「緊急の課題」(過渡的な課題)として、「往相過程」・「往相廻向」(「縦超」)に属している。何故ならば、そこでは、個体的自己としての全人間を社会的に現実的に究極的包括的総体的永遠的に救済することができず、その救済は相対的だからである。しかし、「称名をとなえ至心に信心できず」、「即座に救われ浄土へ往けない」、現世に対する未練があって未練を捨てきれずすぐには浄土に往きたいとは思わない大衆的現実と大衆的課題を自らの思想に繰り込んだところでの、「一念仏」・「一念義」(この「一念仏」・「一念義」は、その極限に「無念仏」・「無念義」を想定できるそれである)によっても救済されるという思想は、「一切の衆生」の究極的包括的総体的永遠的な救済の課題――すなわち「究極の課題」(永遠的な課題)として、「還相過程」・「還相廻向」(「横超」)に属している。何故ならば、そこでは、個体的自己としての全人間を社会的に現実的に究極的包括的総体的永遠的に救済することができるからである、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という全体的救済の課題(『宮沢賢治全集第12巻』「農業芸術概論綱要」筑摩書房)、全体が幸せにならなければほんとうの幸せとはならないという全体的救済の課題(『よだかの星』角川書店)を包括することができるからである。

 

 このように思惟し語っている親鸞は、次のように述べている――「弥陀の五却思惟の願」、「弥陀の本願」は、「親鸞一人が為なり」・「それもてみな一人がためなり」、と(『<信>の構造・吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」、昭和59年)。また、唯円の『歎異抄』に例をとれば、親鸞の私を信じるのなら人千人を殺すことができかという問いに対して、唯円はできないと応じ、それに対して親鸞は、その答えを首肯して、「機縁」(不可避的な契機)がなければ、すなわち自分の意志だけでは人一人も殺すことはできないと答える。このことは逆にいえば、神学者、神父、牧師、僧侶等の宗教者、大学知識人、政治家、官僚、裁判官、警察官、医師、看護師、教師(校長)、慈善家、道徳家、善人、誰であろうと、愛憎問題とか戦争とか等の現実的な「機縁」、すなわち現実的な不可避的契機さえあれば、自分が意志しなくても、人を現実的に侵害し傷害し殺し得るし、人一人だけでなく千人でも殺し得ると答えている。また、親鸞は、その「還相過程」・「還相廻向」(「横超」)において、「煩悩のために念仏を称えても喜びに心が充たされない」という衆生像および衆生的課題を繰り込む。この問いを自らの思想に繰り込むところに、還相過程における「究極の課題」が登場する。親鸞は、この時、信における思想の「究極の課題」を「悪人正機」に置くのである。この思想的立場は、市民的観点や市民的常識とは逆向きである。ここには価値観の転倒がある。そして、その思想(観念)は、その「還相過程」・「還相廻向」(「横超」)において、リアリティー(物質的な基盤)を持つのである(『最後の親鸞』春秋社、昭和51年)。したがって、往相的観点しか持たない市民的観点や市民的常識は、こうした還相的観点を持たないが故に、リアリティー(物質的な基盤)を持つことができず、究極的観点とはなり得ないし、自己欺瞞に満ちたものとなるのである。

 

 さて、吉本は、『今に生きる親鸞』において、「往相過程」・「往相廻向」(「縦超」)に対する「還相過程」・「還相廻向」(横超)について、次のように論じている――浄土教理(知識・観念)の還相過程の本質は、すなわち「究極の課題」は、往相過程における偶然に出会った個別の衆生を部分的に相対的に一時的緊急的に助けるというところにはないのであって、煩悩や生老病死や生活的困窮等で苦悩する「一切の衆生」の究極的包括的総体的永遠的な「救済」にある、と。親鸞は、天災・飢餓・病気・餓死等々で苦悩する衆生の問題や衆生救済の問題に対して、往相的な学問・知識の言葉ではなく、還相過程における思想の言葉で答えていくことを眼目としたのである。したがって、親鸞は、「善」の自覚よりも「悪」の自覚の方が、阿弥陀仏による救済に近づきやすいように、「知」よりも「愚」、「南無阿弥陀仏の称名念仏」の方が阿弥陀仏による救済に近づきやすい、と還相的に思想したのである。還相過程における救済にしか、究極的包括的総体的永遠的な「一切の衆生の救済」はないと思想したのである。一方で、知識(観念)が、その自然性として自然的にその頂にまで知識(観念)的に上昇してい行く自然過程(往相過程)において知識(観念)を極めることは意味のあることであるが、換言すればその知識(観念)の往相過程を上昇して行き、その知識(観念)を極めることは知識(観念)の意味構成として意味のあることであるが、しかし他方で、その知識を極めたらその極めた知識(観念)の頂から再び衆生にまで意識的・意志的に下降することで「知」を「非知」化して、そこで衆生像と衆生的課題を繰り込み、衆生の究極的包括的総体的永遠的な救済の課題を得てくる還相過程を持たなければならないのである。ここに、知識(観念)の価値構成の問題があるのである。ここで知識(観念)の総体的構造は、知識(観念)の往相過程・自然過程(意味構成)と還相過程・意志過程(価値構成)としてある。

 

 それでは、親鸞にとって往相過程と還相過程を構造化し得る場所はどこにあるのか。それは、「浄土と現世の中間、死後の浄土に対して」、すなわち人間の意識が喜怒哀楽も生死もない「無機物に移行したときの意識状態にいちばんよく似ている」「真の<悟り>の世界」としての浄土に対して、「現世における『化身土』・『仮仏土(けぶつど)』へ移行したところにある『正定聚』(しょうじょうじゅ)の境位の世界にある」。この「正定聚」の世界は、「真仏土(阿弥陀仏の西方浄土)」、罪や穢れのない清浄な「真の<悟り>の世界」ではないが、そこへの入り口としての仮の仏土の世界、仏になり得る資格を有した世界である(『<信>の構造・吉本隆明全仏教論集成』「親鸞の教理ついて」)。言い換えれば、生と死の「中間」の場所で、「生の方も照らし出せるし、死の方も照らし出せる場所」である。浄土が見えて、現世も見える場所であり、知識の課題で言えば、知識の自然過程と意志過程を構造化でき得る場所である(『未来の親鸞』)。個と現存性――類と歴史性の、その生誕から死までを見渡せる場所である。歴史認識に敷衍すれば、人類史の現在を立脚点としてその初源(原型・母型・母胎)から未来までを見渡せる場所である。信と不信を架橋できる場所である。生と死の中間の場所、帝王の位を仏の方からの来迎、浄土への摂取とすれば、必ずそこに至ることができる皇太子の位にある場所である(『親鸞復興』春秋社、1995年)。親鸞の場合は、肉体の死後の浄土は比喩として考えられている。したがって、親鸞は、「思想、理念、考え方として死や浄土を想定しているときは、正定聚の位のことを、ほんとうの死だと考えていた」。往相廻向での親鸞は、「南無阿弥陀仏」、すなわち阿弥陀仏に帰依することによる救済という絶対他力に依拠(帰依)した思想的立場をとっていたが、還相廻向での親鸞の特徴は「信と不信のいずれにも通ずる」言葉(「無念義」を包括し得る「一念義」の概念、信と不信を架橋し得る言葉)を使った。ここに、無信の人でも「親鸞が書いたものを読んで納得することができる」根拠がある(『今に生きる親鸞』講談社、2001年)。すなわち、「正定聚」の世界は、阿弥陀仏の本願力と称名念仏への信が確定したときに往ける死後における浄土(「真仏土」)概念に対する、「生きながらにして<浄土>への通路は実現されている」という意味での現世的な浄土概念のことである(「親鸞の教理ついて」)。

 

 このような思想的立場に、往相的な既存の僧とは異なった親鸞の還相的、「非僧」的な在り方がある。「十方衆生」で、衆生は様々であるから、教理的浄土(知識・観念)の自然過程を知識(観念)的に上昇していく往相過程・往相廻向だけでなく、その頂から再び衆生にまで意識的・意志的に下降して、その時代と共に変容する衆生像と衆生的課題を自らの教理的浄土(知識・観念)に繰り込んでいく還相過程・還相廻向の観点が必要なのである。すなわち、念仏を称えても救われた実感や喜びが沸きあがってこない衆生の現実(衆生像と衆生的課題)に対して、還相過程で答えを出し、究極的包括的総体的永遠的な救済への通路を敷いていく必要がある。そこに、思想の還相的な「究極の課題」がある。浄土教理(観念・知識)の、自然的な知識(観念)的な上昇過程(往相過程・往相廻向)としての意味構成と、その頂から再び意志的に「非知」へと下降する下降過程(還相過程・還相廻向)としての価値構成とを構造化でき得る場所が、「正定聚」の位置である。「人間に知識を追求していく過程があるとすると、知識に対して上昇的であったらそれは<往相>であって<還相>ではない。(中略)もし知識を(≪その還相過程において≫)本当の知識として獲得できるとすれば、知識を獲得することが同時に反知識、非知識、あるいは不知識というものを包括していなければならない」、「知識を獲得すればするほど、知識(≪あるいは信、非日常≫)でないもの(≪非知あるいは不信、日常≫)を包括していかなければならない」。往相的な自然過程において、信(知)を信的(知的)に上昇していけば行くほど、還相的な意識的・意志的過程において、不信(非知)を包括していかなければならない。言い換えれば、知識(観念)の還相過程(価値構成)は、意味構成としての知識(観念)の自然的な上昇過程(往相過程)のその頂から再び「非知」にまで意識的・意志的に下降するところにあるから、「知識」人は、大衆啓蒙、大衆教化、大衆迎合、大衆同化、外部注入論という概念を放棄しなければならないのである。何故ならば、それらの概念は、知識(観念)の自然的な上昇過程(往相過程)からしか生まれてこないからである。知識(観念)の一面だけに依拠した知識(観念)の自然的な上昇過程(往相過程)は、知識の総体構造を持っていないから、それ自体では知識的でも思想的でもないものなのである。それは、ただ「知識(≪観念≫)が欲望する<自然>過程にしかすぎない」。したがって、その知識(観念)過程は、<他者>の現実的な根源にかかわることができない「往相、方便の世界における知識」である(『最後の親鸞』)。「知識の課題、つまり今日よりも明日知識がふえ……向上する……という(≪知識の自然的な上昇過程、すなわち往相過程、往相廻向の≫)問題のなかに、(≪その意識的・意志的な下降過程において、すなわち還相過程、還相廻向において≫)大衆の原像を、仏教的にいえば煩悩の旺盛な凡夫の課題をたえず繰り込んでいる、それが知識における<還相>の課題」である。したがって、「知識の課題は、けっして今日より明日向上したら……終わるものではない」。すなわち、知識(観念)の「永遠の課題」(究極の課題)は、決して知識の自然的な上昇過程、往相過程・往相廻向にある訳ではない。それは、「還相の課題」、還相廻向、「浄土の慈悲」にある。例えば、公害問題は、自然史の一部としての人類史の自然的過程における自然史的必然としての技術的な「緊急の課題」として、科学・技術の進歩発達という知識の往相過程で技術的に解決していくべき課題である。ここに、「往相の課題」・「聖道の慈悲」がある(『未来の親鸞』)。しかし、「還相の課題」・「浄土の慈悲」、「永遠の課題」(究極の課題)は、人類史の総体の課題として、人類史の出自(原型・母型・母胎)であり世界普遍性として存在していたアフリカ的段階を包括したところに登場する。言い換えれば、世界普遍性として存在していた人類史の原型・母型・母胎であるアフリカ的・縄文的段階における種々の贈与制の歴史的批判的な調査・解明に基づくその再構成にある。すなわち、民族国家の枠組みを超えた世界的規模での技術的・産業的・経済的な地域特性化に基づく贈与制の構成、等価交換的価値論を包括し止揚した高次の贈与価値論の構成にある。

 

 「<衆生>とは、たんに<僧>(≪知識人≫)たるものが<知>の放棄によって(≪大衆迎合、大衆同化によって≫)近づいていく生やさしい存在」ではない。したがって、「非僧」とは、「<俗>ではなく<非俗>である」。したがってまた、時代と共に変容して行くその現にあるがままの「煩悩具足の凡夫」が、そのままで「煩悩具足の凡夫」ではない(『最後の親鸞』)。時代と共に変容して行くその現にあるがままの「煩悩具足の凡夫」は、そのままで「煩悩具足の凡夫」(大衆の原像)ではない。何故ならば、時代と共に変容して行くその現にあるがままの「煩悩具足の凡夫」は、絶えず「煩悩具足の凡夫」(大衆の原像)から逸脱して行かざるを得ないからである。したがって、時代と共に変容して行くその現にあるがままの「煩悩具足の凡夫」自体に対して「逆向きに対自的にならなければ」<非俗>にはなり得ないのである。したがってまた、知識人における<非俗>の根拠は次の点にある――すなわち、第一には、生活(日常)に重心を置く大衆が、思考や知的関心を意識的に自らの生活圏に向け、その生活圏における自らの物質的精神的生活の充足度に基づいて、社会構成および支配構成の時代水準を判断し批判して行く「煩悩具足の凡夫」に、そうした生活思想の構成に、大衆の自立の根拠があるということに対して、知識(非日常)に重心を置く知識人が自覚的であるという点にある、第二には、知識(非日常)に重心を置く知識人が、自らの知識過程(観念過程)に、思想の自立の根拠である思想にとっての普遍的な価値基準である時代によって変容して行く大衆原像を、それ故に具体的にはある時代状況にある現実的な社会の中で具体的に生き生活し喜怒哀楽する大衆像と大衆的課題を、意識的・意志的に絶えず繰り返し自らの思想に繰り込んでいくという点にある。

 

 ここで、思想は、僧と俗、信と不信との空隙を埋め架橋するところに登場する。「親鸞の浄土真宗の信仰」を、「信仰」としてではなく「思想」として扱えば、「浄土真宗は信・不信にかかわらず全部の人(一切の衆生)をおおうことができる」思想である(『親鸞復興』、春秋社、1995年)。すなわち、親鸞における浄土真宗の教義は、信と不信の枠組みを解体することで、信と不信の空隙を埋めていく思想である。言い換えれば、既存の僧や俗の間で流通している知識や価値観から対象的になって、その外へ出た思想である。それは、例えば一方では妻帯禁止や肉食禁止という僧の戒律を破ることであり、他方では、知識や富や地位を得ることは価値があることで善いことであるという自己欺瞞に満ちた市民的観点・市民的常識(往相的観点)から対象的になって、そこから超出することである(『今に生きる親鸞』講談社、2001年)。ここでも、知識(観念)の課題が、知識の自然的な往相過程(意味構成)と知識の意識的・意志的な還相過程(価値構成)という知識の総体構造において扱われている。吉本は『最後の親鸞』で、次のように述べている――「<知識>にとって最後の課題は、頂を極め、その頂に人々を誘って蒙を開くことではない。頂を極め、その頂から世界を見おろすことでもない。頂を極め、そのまま寂に<非知>に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的(≪意識的≫)に<非知>に向かって還流するよりほか仕方がない」、「親鸞は、<知>の頂を極めたところで、かぎりなく<非知>に近づいてゆく還相の<知>をしきりに説いているようにみえる」、と。

 

 この引用によって、「大衆=自然=無知にたどりつくことが知の課題」(柄谷行人『終焉をめぐって』福武書店、1990年)だと吉本は述べていると批判した知識人・柄谷の知識の質が問われることになる。親鸞にとって、「聖道の慈悲」(往相浄土)は困窮する者を「不憫におもい、悲しみ、助けてやることである。けれども思うように助けおおせることは、きわめて稀なことである」。また、「浄土の慈悲」(還相浄土)は「念仏をとなえて、いちずに仏に成って、大慈大悲心をもって思うがまま自在に、衆生をたすけ益することを意味するはずである」、という『歎異抄』にある言葉を引用しながら、吉本は、『最後の親鸞』で、次のように述べている――「ここには往相浄土だけでなく、還相浄土のことが云われている。念仏によって浄土を志向したものは、仏になって浄土から還ってこなければならない。そのとき相対的な慈悲は、絶対的な慈悲に変容している。なぜなら、往相が自然的な上昇であるのに、還相は自覚的な(≪意識的・意志的な≫)下降だからである。自然過程にあるとき、世界はすべて相対的である。よりおおくの慈悲や同情や救済を差し出すこともできるし、よりすくない慈悲や救済をさし出すこともできる。しかし、さし出された慈悲が、実現するかしないか、有効か否かは、慈悲をさし出す側にも、慈悲を受け取る側にもかかわりがない。ただ相対的であるこの現世に根拠があるだけである。自覚的な(≪意識的・意志的な≫)還相過程では、慈悲をさし出すものは、慈悲を受けとるものと同一化される。慈悲をさし出すことは、慈悲を受けとることであり、(中略)衆生でないことが、衆生であることである」、「還相過程とは、阿弥陀仏による救済に摂取されたのちの還りがけの過程において行われる衆生への慈悲だから、その慈悲をさし出す者も阿弥陀仏からの慈悲を受けとっているのである。つまり、阿弥陀仏において同一化されている」。その場所は、信仰・教義・知識の自然過程と意志過程(意識過程)という知識の総体的構成を可能とする「正定聚」の位置である。そして「衆生でないことが、衆生である」とは、その現にあるがままの「煩悩具足の凡夫」(即自的な衆生)自体に対して「逆向きに対自的になった非俗」(対自的な衆生)であるということである、と。

 

「その2」
 吉本の「親鸞」論は、浄土教理(知識、観念)の課題を、往相回向・縦超・往相浄土・聖道の慈悲・衆生の緊急的部分的相対的過渡的救済の課題(知識の自然過程、知識の往相過程、知識の意味構成)と、還相回向・横超・還相浄土・浄土の慈悲・衆生の究極的包括的総体的永遠的な救済の課題(知識の意識的・意志的過程、知識の還相過程、知識の価値構成)との総体的構造において扱われている。人類史のアジア的段階にあった鎌倉時代において最高水準の世界思想は、「一切の衆生の救済」を説く浄土教理にあった。この浄土教理において、一方で、往相過程での知識の課題は、知的に上昇することによって浄土教理を極めることにあった。すなわち、「煩悩具足の凡夫」を救おうとする「阿弥陀仏・無量光仏の本眼力」によって、阿弥陀仏への帰依を意味する南無阿弥陀仏の「称名をとなえ至心に信心すれば即座に救われ浄土へ往ける」という浄土教理の究明にあった。ここでは、衆生の救済は、緊急的部分的相対的過渡的救済としかならない。他方で、この浄土教理は、往相の浄土の場所から再び現世=衆生へと意識的・意志的に下降する還相過程を持っていた。すなわち、浄土教理には、「煩悩具足の凡夫」のために「慈悲心を発揮する」という還りがけの意識的・意志的な下降過程があり、そこにおいて衆生の究極的包括的総体的永遠的な救済の課題を繰り込んで行く構造を持っていた。

 

 親鸞にとって往相過程と還相過程を構造化し得る場所は、浄土と現世の中間、死後の浄土に対して現世における「化身土」・「仮仏土」へ移行したところにある「正定聚」の境位の世界にあった。この「正定聚」の世界は、「真仏土(阿弥陀仏の西方浄土)」、罪や穢れのない清浄な「真の<悟り>の世界」ではないが、そこへの入り口としての仮の仏土の世界、仏になり得る資格を有した世界である。また、その世界は、生と死の「中間」の場所で、「生の方も照らし出せるし、死の方も照らし出せる場所」である。浄土が見えて、現世も見える場所である。その場所は、知識の課題で言えば、知識の自然過程(往相過程)と意識過程・意志過程(還相過程)を構造化できる場所である。知識を極めるのは知識の自然過程(往相過程)として意味のあることである。しかし、知識を極めたらその知識の頂から再び衆生にまで意識的・意志的に下降することで知識を「非知」化していく還相過程を持たなければならない。このような思想的立場に、既存の僧とは異なった親鸞の還相的、「非僧」的な在り方がある。「十方衆生」で衆生はさまざまであるから、浄土教理(知識・観念)は、その知識(観念)を知識(観念)的に上昇して行く自然過程(知識の往相過程、知識の意味的構成)だけでなく、その頂から再び衆生へと下降することで知識を「非知」化していく意識過程・意志過程(知識の還相過程、知識の価値的構成)の観点が必要となるのである。すなわち、念仏を称えても救われた実感や喜びが沸きあがってこない衆生に対して、還相過程で答えを出し、究極的包括的総体的永遠的な救済への通路を敷いていく必要があるのである。親鸞にとって、「聖道の慈悲」(往相浄土)は困窮する者を「不憫におもい、悲しみ、助けてやることである。けれども思うように助けおおせることは、きわめて稀なことである」。この自然的な往相過程における救済は、緊急的部分的相対的過渡的な救済としかならないから、「一切の衆生」を究極的包括的総体的永遠的な救済に導くことはできない。自分が現に身近に接している「食物の飢え」等で困窮している具体的な一人の人や一部の人を施しや奉仕によって部分的相対的に救済しようとする課題は、浄土教理(知識・観念)の自然過程(往相過程)における緊急的過渡的課題に属している(マルコ14・3以下、マタイ26・6以下参照――イエスの弟子たちの往相的観点)。それに対して、浄土教理(知識・観念)の意識的・意志的な還相過程における救済は、「浄土の慈悲」(還相浄土)は、「念仏をとなえて、いちずに仏に成って、大慈大悲心をもって思うがまま自在に、衆生をたすけ益することを意味するはずである」、「一切の衆生」の究極的包括的総体的永遠的な救済を意味するはずである。

 

親鸞とバルトとの差異性
 親鸞の「一念仏」・「一念義」とは、次のようなものである――それは、「……一念に……よろずの善はみな包括される」(『一念多念証文』)、しかもそれは、「(中略)たくさん称える念仏でも、一回きりの至誠の念仏でもない。ただ思議の及ばない、そして口に出すことも説明することもできないような歓喜にみちた安楽の思いだけの信心の在り方」(『教行信証』信巻 吉本私訳)というものである、阿弥陀如来の方からやってくる「歓喜にみちた安楽の思いだけの信心」、それ故に「一念仏」・「一念義」の極限に想定される「無念仏」・「無念義」というものである。したがって、真実の信仰とは、一切の自力の計らいを為すことなく、阿弥陀如来の側に根拠づけられ「阿弥陀如来の光の中に」包摂され、そしてその「光の中に包まれたときに」、阿弥陀仏の「五却思惟の願」における第十八願が遂げられるところにある。ここに、形も色もなく「無」である阿弥陀仏の方からやって来る「信楽」がある。ここに、人類史のアジア的段階における自然を内面の原理とした親鸞の最後の思想――すなわち「自然法爾」がある。それは、「おのずから」「弥陀の本願の光明」(無碍光)に包まれて称名念仏を為し得る場所である。このような親鸞の「一念仏」・「一念義」でも救済されるというこの「還相過程」・「還相廻向」での衆生の究極的包括的総体的永遠的な救済論は、バルトの神の側の真実としてある主格的属格として理解されたローマ3・22およびガラテヤ2・16等のギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(イエス・キリストが信ずる信仰)による「律法の成就」・完了、すなわち「神の義、神の子の義、神自身の義」、それ故に成就・完了された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済(平和の概念は、この救済概念に包括されたそれである)と類似しているという言い方もできる。しかし、親鸞の形も色もなく「無」である阿弥陀仏と、第一の形態の神の言葉であるイエス・キリスト自身(「啓示ないし和解の実在」そのもの)を起源とする第二の形態の神の言葉である聖書(その最初の直接的な第一の「啓示ないし和解」の「概念の実在」)を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者としたバルトの感謝をもって信頼し固執し固着した「イエス・キリストの名」(「ナザレのイエスという人間の歴史的形態」)との間には、根本的包括的な原理的な差異性があるのである。なお、バルトも、『説教の本質と実際』では、「ただ(≪説教に耳を傾ける≫)聴衆にだけ目をとめてはならない」のであって、その説教の言葉(キリストの福音の言葉)によって、その説教に耳を傾けていないあるいはその説教に耳を傾けない、その現にあるがままの非知、不信、一般の生活者大衆、「『貧しい、低きにいる民』にまで下って行かなければならない」と述べている、また『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』にある言葉に即して言えば、キリストの福音の言葉(説教の言葉)に、「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実的生活」を繰り込んでいなければならないというように述べている。

 

 さて、戸田伊助は、『十字架につく神』で、「親鸞の教えはパウロの教えによく似ています。(中略)カール・バルトは……『親鸞の教えはキリスト教の異教的証しである』とまで言いました。(中略)カール・バルト先生にそういう情報を流したのは滝沢克己という人ですけれども、しかし私から見れば、これは日本の宗教の本質を知らないバルト先生の勇み足だと思っています」と述べている(戸田伊助『十字架につく神 十字架上の七つの言葉』新教出版社)。私の理解によれば、確かに、親鸞の「一念仏」・「一念義」は、その極限に「無念仏」・「無念義」を想定できるものであるとしても、前述したように、バルトと親鸞の間には、根本的包括的な原理的な差異性があるのである。大学知識人の哲学的神学者の滝沢克己は、おそらくはマルクスの自然哲学、自然を原理とする人類史のアジア的段階の思想、「草木・……・山河・大地・大海皆是れ……仏なり」、草木国土悉皆仏性、「草木国土悉皆成仏」、山川草木悉皆仏性という天台本覚論(大久保良峻『天台教学と本覚思想』法藏館)を原理としたのである。したがって、近代的な装いを兼ね備えた滝沢克己の「『神われらとともに』という事実」、「根本的事実」、「インマヌエルの事実」の概念は、未だ区別や分節化がされていない未分化のまま一切が包摂された総合状態・無規定の状態・形や色もない「無」性状態・思惟と言語によって区別や規定や分節化がなされる前の自然や宇宙の概念と呼んでもよいものである――「もはやいかなるキリスト者も、『聖書』や『イエス・キリスト』という名を記憶している人たちさえも、もはやこの地上のどこにも残っていないとしても、それでもなお、『神(≪自然≫)われらとともに』という事実(Faktum)にわたしたちが堅く結びつけられているということそのことは、神(≪自然≫)において永遠に決定されていることなのだ」(『滝沢克己著作集第二巻 カール・バルト研究』創言社)。人間も自然の一部である、人類史も自然史の一部である。この滝沢のインマヌエル論に対して、バルトのインマヌエル論は、次のようなものである――「神がそこでわれわれに出会い給うその恵みの御言葉(≪「啓示ないし和解の実在」そのものである起源的な第一の形態の神の言葉≫)は、イエス・キリストと呼ばれる。すなわち、神の子にして人の子、真の神にして真の人、インマヌエル、この一つなる方におけるわれらと共なる神である」と、答えうるにすぎない。キリスト教信仰は、この『インマヌエル』との出会いである。イエス・キリストとの出会いであり、イエス・キリストにおける神の活ける御言葉(≪子なる神の存在としての神の自由な愛の行為の出来事≫)との出会いである。われわれが(≪第一の形態の神の言葉であるイエス・キリストを起源とする第二の形態の神の言葉である≫)聖書を神の御言葉と呼ぶ場合……、われわれは、それによって、聖書を、この神の唯一の御言葉についての(イエス・キリストについての、神のキリストであり永遠にわれわれの主にして王なるイスラエルから出たこの人についての)預言者・使徒の証しとして、考えているのである。そして、われわれがそのことを告白する場合、われわれが(≪その第二の形態の神の言葉である聖書を自らの思惟と語りにおける原理・規準・法廷・審判者・支配者とした全く人間的な≫)教会の宣べ伝えを(≪第三の形態の≫)神の御言葉と敢て呼ぶ場合、それによってイエス・キリストの宣べ伝えが理解されていなくてはならない」(『教義学要綱』)。
(その2の論述は、『吉本隆明全仏教論集成』「親鸞について」・「親鸞の教理ついて」春秋社、『未来の親鸞』春秋社、『今に生きる親鸞』講談社、『最後の親鸞』春秋社、『親鸞復興』春秋社に基づいている)