『教会教義学 神の言葉U/3 聖書』「二十節 教会の中での権威」「一 言葉の権威」(その3−2)

カール・バルト『教会教義学 神の言葉U/3 聖書』「二十節 教会の中での権威」「一 言葉の権威」(その3−2)(173−224頁)

 

一 言葉の権威(その3−2)
 「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯するところに、「イエス・キリストの教会は存在」する。「もしも、あなたがたはわたしの証人となるであろう、また、見よ、わたしはいつもあなたがたと共にいるという約束が成就されないとすれば、それであるから聖書(≪「神の言葉の三形態」の第二の形態、その第一の形態である啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力に基づいた第二の形態、預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」、預言者的・使徒的状況における預言者および使徒たちの啓示に対する服従関係の唯一無比な一回性≫)が教会(≪「神の言葉の三形態」の第三の形態、それゆえに第一の形態に・具体的には第二の形態に信頼し固執し連帯するところにおいて成立する第三の形態≫)にとって神の言葉(≪「神の言葉の三形態」の第一の形態、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリスト、啓示・和解、客観的な「啓示の実在」そのもの、啓示の唯一無比な一回性≫)でないとするならば、その時には神の啓示は単なる思い出であり、どこまでいっても単なる思い出でしかないことになるし、イエス・キリストの教会は存在しないことになる」。言い換えれば、その場合には、教会は、「人間的な共同社会」にしか過ぎないものとなる。すなわち、その場合には、教会は、人間的な宗教的共同体・宗教的共同性、にしか過ぎないものとなる。また、その場合には、教会の中には・教会の宣教の中には、「自分たちの中で預言者と使徒たちの生と働きが引き続いて起こっており」・それゆえに「自分たちは預言者や使徒たちと共に、神、キリスト、聖霊の直接的な、絶対的な、内容的な権威との直接的な関係の中に立っている」、という「存在者レベルでの神」(偶像)・「錯覚」・幻想しか存在しないのである。したがって、その場合には、教会は・教会の宣教は、人間的教会的必要から、恣意的独断的に、その「存在者レベルでの神」(偶像)・「錯覚」・幻想によって、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性を棄揚し否定して、その第一の形態と第二の形態の「支配」へと向かうのである。その典型が、ローマ・カトリック主義における教皇主義であり、新プロテスタント主義における<神>と人間の対自的で対他的な自由な自己意識の類的活動・人間的自然との混淆・混合であり、神学としても人間学としても非自立的中途半端な人間学的神学・神学的人間学におけるそれである。そして、この両者は、<自然神学>の<段階>で循環と停滞を繰り返すところの信仰・神学・教会の宣教として総括できるのである。したがって、それは、ハイデッガーに、そのような信仰・神学・教会の宣教における「神への信仰は、結局のところ神を見失うこと」であるから、それよりは「むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい」と言わせたところの、例えば近代以降の宗教形態は科学<主義>(科学の絶対化)にあるのと同じに、ただ単なる宗教・宗教共同体・宗教共同性でしかないものなのである。いずれにしても、定式にあるあの「直接的な、絶対的な、内容的な権威」を、「神の言葉の三形態」の第三の形態である現存する人間的教会は、人間的教会的必要から支配し掌中に収めようとしたのである、そして事実的に支配し掌中に収めてしまったのである。この事態は、「一言で言えば」、<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返す「カトリックの教会概念の……新プロテスタント主義的な適用と変形」である。「それらはすべて啓示の一回性についての大いなる錯覚」・人間的側面における「教会(≪「神の言葉の三形態」の第三の形態≫、「啓示の実在」そのものでは決して全くないところの啓示の「概念の実在」、教会の客観的な信仰告白・教義)と啓示(≪「神の言葉の三形態」の第一の形態、神の言葉そのもの、「啓示の実在」そのもの≫)を汎神論的に同一視する」ところの、<自然神学>の<段階>での停滞である。その典型が、わが日本基督教団においては、権威としての天皇と権力としての国家との折衷的国家体制と靖国神社参拝推進論を標榜している国家主義者の、それゆえに本質的に必然的に戦争主義者とならざるを得ない、それゆえにまた非平和主義者とならざるを得ない、佐藤優であり、またこの佐藤と同じ場所に立っている、バルトを根本的包括的に原理的に理解しないまま、平然と軽薄で出鱈目な誤謬にみちたバルトの自然神学論をメディア的組織性の後光をかぶせて論じ靖国神社参拝推進論を標榜している、富岡幸一郎である、それだけでなく、彼らを根本的包括的に原理的に批判しない・批判できない所属教会であり・日本キリスト教団である、それゆえに日本基督教団の「平和を求める祈り」の起草者であり・その賛同者である。この事態を垣間見るだけでも、「イエスの信仰」の目的格的属格理解に基づいて、それゆえに神と人間との「共働論」・「協働論」に基づいて、国家論・革命論の過渡的究極的課題を持たないまま政治的権力闘争に突っ走った「夢想家」ボンヘッハーのような言葉と行為・理論と実践という二元論的思考(『説教と牧会』)が駄目であることが分かるであろう。
 神学におけるバルトの思想は、また人間学におけるマルクスの思想は、言葉と行為・理論と実践というような、対立的に分離された二元論によっては構成されていない。バルトの体系性は、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある、主格的属格としてのローマ書3・22およびガラテヤ2・16等の「イエス・キリストの信仰」(天然自然や人間、人間の対自的で対他的な自由な自己意識の類的活動・人間的自然、に決して全く左右されることのないところの、徹頭徹尾イエス・キリストご自身が信ずる信仰)、この客観的な啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎに基づいて授与される人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰(神の言葉そのもの・「啓示の実在」そのものでは決して全くないところの、啓示の「概念の実在」、証し・告白・宣べ伝え)、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性、に信頼し固執し連帯することを通して、キリストにあっての神を尋ね求める「神への愛」と、それを根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」――すなわち、福音を内容とする福音の形式としての律法(神の命令・要求・要請)、「もろもろの誡命中の誡命、われわれの浄化・聖化・更新の原理、教会が教会自身と世に対して語らなければならない一切事中の唯一のこと」、である「神がすでに為した」「わたしの前にいるこの人々のために、キリストは死に、甦られた」――インマヌエル、神罪深きわれらと共に、イエス・キリストにおける<完了>された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和、というこの事柄の証し・告白・宣べ伝えという、神の言葉の出来事の運動過程において、言葉が理論が、必然的に、行為へと実践へと、導いていくところのそれなのである(『教会教義学 神の言葉』論、『福音と律法』、『説教の本質と実際』)。マルクス<主義>者では決して全くなかった、それゆえに唯物<主義>者や経済<決定>論者ではなかったマルクス自身の思想もそのようにできあがっていた――「マルクスの完結した体系は、当時も(そしていまも)よく理解されていなかったが、理論(≪自然哲学、経済学、国家論・革命論≫)がかれを実践のほうへ必然的につれていくようにできあがっていた」(吉本隆明『カール・マルクス』)。
 啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、それ自身聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯する時、すなわち教会が、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての客観的な啓示の実在そのものであるイエス・キリストと共に、教会に宣教を義務づけていると同時に教会の宣教の規準である聖書に、その聖書の「権威と自由」に服従する時、そのような仕方で「人間的な証言の中で証しされた神が教会に対し現臨される時、聖書が神の言葉である時、神の啓示によって生きるであろう」。その時には、人間的教会的必要からする人間の自主性・自己主張・自己義認の欲求に基づく人間的教会的な「傲慢と絶望のいずれに陥ることもなく、むしろその真中を貫き通って進むであろう」、その時には「実際にキリストの貧しさの中で、しかしまた実際にキリストの栄光の中で、決してわざとらしく自分勝手に選んだ晴着あるいは乞食の着物を身につけてではなく、実際に、正当な仕方で、われわれの現在の中でキリストの現臨を経験し宣べ伝えつつ、〔教会は〕われわれの時間の中で、キリストの時間の同時代人であるであろう」。
 教会は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性における「先ず第一義的に優位に立つ原理」・権威を、その第一の形態、すなわち客観的な「啓示の実在」そのもの(神の言葉、啓示・和解)であるイエス・キリストにのみ、具体的にはその第一の形態に感謝を持って信頼し固執し連帯したその第二の形態、すなわち啓示の「概念の実在」である聖書にのみ(預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」にのみ)「帰し、そのほか誰にも」・何にも、「また自分自身に対しても、帰そうとしない決心」をするか、あるいはその反対の決心をするか、「繰り返しひとつを選ばなければならない……」。包括的に言い換えれば、<自然神学>の<段階>の信仰・神学・教会の宣教に停滞し循環するか、その<段階>を根本的包括的に原理的に止揚し超え出て次の<段階>(概念的矛盾に陥らないためには、この場合、「超自然な神学」の<段階>の信仰・神学・教会の宣教という概念を疎外しなければならない。この場合、疎外とは、疎外の止揚のことである)に移行するか、どちらか「繰り返しひとつを選ばなければならない」。
 この時、「われわれは(中略)十六世紀の宗教改革および対抗改革の中で公然と表面化し、それ以来」綿々と続いている「深刻な抗争のひとつに直面することになる」。「その際、福音主義教会にとって最も身近な、最も圧迫して来る敵対者」は、対外的な「カトリック主義ではなく」、しかしカトリック主義と通底していて「主な点では全くただ誤れる教皇教会の広げられた腕として自分を示した」、それゆえに「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯しないところの、それゆえにまた聖書を教会の宣教の原理・規準としないところの、教会的な実在や歴史や人間的な実在を「啓示と等置」する・「啓示と同一視する」ベクトルを持った、対内的な内なる「敵対者」・「新プロテスタント主義……の異端である」。この新プロテスタント主義は、多かれ少なかれ「聖書の主題であり、哲学の要旨である」(『ローマ書』)神と人間との無限の質的差異の概念を捨象し、信仰・神学・教会の宣教におけるその原理・その認識方法と概念構成を、人間中心主義に置くことによって、すなわち自己還帰する、対他的であって対自的な、すなわち自由な、人間の自己意識の無限性・類的活動における「人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆」、「神の自由を認識していないという事態」(『ヘーゲル』)を生み落したのである。新プロテスタント主義は、聖書の中に証しされている啓示の一回性・「独一無比性と神性」を認識し信仰し承認し告白することに集中しないで、それゆえに「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯することに集中しないで、啓示を、「教会的な実在」に、「歴史」に、「そもそも人間的な実在」に、人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍や人間論や人間学的な哲学原理・認識論・世界観に、依存することに拡散させたのである、啓示と歴史を、啓示の時間と人間の時間を、救済史と歴史を、永遠と時間を、混淆・混合させたのである、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方である「キリストの永遠のまことの神性の告白」を信用しないで、すなわち聖書的には、単一性・神性・永遠性を本質とする「神であり給う言葉(≪性質・行為・働き・業、神の第二の存在の仕方、神の言葉、神の子、啓示・和解≫)が人間となったのであり、決して神性それ自体が人間となったののではない」にもかからず、そのことを認識し自覚しないで、イエス・キリストを、「ただの人」に(八木誠一)、「下からの半神」に、半神・半人に、「超人」に、人間の「最深の本質」に、人間の「最高の理想」に、人間の様々な範型に、等々の単なる「空虚な概念」でしかないものにしてしまったのである。
 単一性・神性・永遠性を本質とするその「神の神性において、また神の神性と共に、ただちに神の人間性もわれわれに出会う」・「神が神であるということがいまだに決定的となっていないような人は、今神の人間性について真実な言葉としてさらに何か言われようとも、決してそれを理解しないであろう」(『神の人間性』)、「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域(≪啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性、神の愛に基づく神への愛・神への愛を根拠とする神の讃美としての隣人愛、教会の宣教)のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」、「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」。なぜならば、その場合、「哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる」からである、キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった。また、それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」からである、神学も人間学も両者とも、非自立的で中途半端なものとしかならなかったからである、近代以降、神学は、人間学の後追い知識として人間学の婢としかならなかったからである。

 

 さて、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性から言えば、その第三の形態としての教会は、宗教改革的な聖書原理の「論争的な尖鋭化」を、「無条件的に拒否すること」はできないのである。なぜならば、キリスト教が、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」・啓示に対する偶像崇拝(宗教)とならないために、「神の言葉の三形態」の第二の形態として啓示の「第一の認識源泉」である「書カレタ書物」・聖書との関係において、その「第一の認識源泉」の<段階>にある聖書(「啓示の源泉としての聖書」)とは異なる、その第三の形態としての教会の「書カレテイナイ伝承」・「教会的な伝承」は、あくまでも啓示の「第二の認識源泉」として秩序づけられているからである。言い換えれば、啓示の第二の「認識源泉」としての教会の「書カレテイナイ伝承」・「教会的な伝承」は、「神の言葉の三形態」の第一の形態である「キリスト自身の口カラ受ケ継ギ、……聖霊ノ霊感ニヨッテ」、その第二の形態である預言者および「使徒タチカラ」、その第三の形態である「ワレワレ教会ニ伝エラレタモノ……」だからである。したがって、啓示の「第一の認識源泉」としての聖書また啓示の「第二の認識源泉」としての教会の宣教において神は、イエス・キリストの父、子としてのイエス・キリスト自身、父と子の霊である聖霊であり、このような三位一体の神として自己啓示するし、この啓示が教会の宣教の客観的な信仰告白・教義である三位一体論の根拠である、というこの事柄を、教会(牧師、神学者、キリスト教的メディア的著述家、成員)は、「拒否すること」はできないのである。言い換えれば、教会が・教会の宣教が、「神が語り給うゆえに神が語り給うことを聞く」ためには、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯する以外にはないのである、教会の宣教の「先ず第一義的に優位に立つ原理」としてのその第一の形態(神の子、神の言葉、啓示・和解、客観的な「啓示の実在」そのもの、イエス・キリスト)に、具体的には教会に宣教を義務づけている教会の宣教の原理・規準であるその第二の形態(聖書、預言者および使徒たちの、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」としての啓示の「概念の実在」)に信頼し固執し連帯する以外にはないのである。
 「ルター教会自身、宗教改革の時代の終わりにおいて、改革派教会と違ったふうに理解していたわけではなかった……。それであるから何も改革派教会と違ったことを告白しなければならないわけではなかった……」。このことは、「和協信条の〔二つの〕導入部が示している。そこでは聖書、『旧約および新約聖書の預言者および使徒の書物』が、『唯一の審判者、標準、規範』、『イスラエルの純粋な、清い泉』として認められており、『いわば唯一の試金石として、それによってすべての教理は、それが敬虔なものか、不虔なものか、真か偽かどうかについて検討され、判断されるべきものである』と述べられている」。したがって、「(中略)古今の教師による他の著作は、たとえそれらがどのような名声をもっていようと決して、聖書と等しい権威を持つものと考えられるべきではなく、すべて聖書の下位におかれるべきである」。同様に、公の信仰告白書の「シュマルカルト信条」には、「ルター自身の言葉」で、「人が聖なる教父たちの著作あるいは言葉から信仰箇条をつくるということはしてならないことである。……あくまで神の言葉(≪「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性におけるその第一の形態、具体的には啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力に基づいたその第一の形態に感謝を持って信頼し固執し連帯したその第二の形態≫)が信仰箇条を造るべきであって、そのほか何人も、たとい御使いといえどもそれを造ってはならない」。このような訳で、ルター派は、改革派と同様に、「カトリックの立場に対して、いささかの譲歩もなすことはできない……」のである。ここに、「福音主義的な決断」がある。
 それに対して、「一五四六年四月八日、トリエント総会議の第四会期」における「ローマ・カトリックの決断」は、次のようなものである――「ワレワレハ旧約と新約の諸書物〔を受け入れ、尊敬するの〕ト同ジヨウニ、キリストニヨッテ口授サレ、聖霊ガ書キ取ラセ、カトリック教会ノ中ニ受ケ継ガレ、保存サレテイル信仰ト道徳ニ関スル伝承ヲ、同ジ敬虔ノ情ト尊敬ノ心ヲモッテ受ケ入レ、尊ブモノデアル……、それであるから聖書は確かに、われわれが啓示を知る認識のひとつの源泉であるが」、すなわち啓示の「第一の認識源泉」であるが、「しかし唯一の源泉ではない」。すなわち、歴史的連続性における教会的な「伝承の担い手および守り手」の「カトリック教会」は啓示の「第二の認識源泉」として、その「カトリック教会」に対して、啓示の「第一の認識源泉」である「聖書」と「同じ<権威>を帰さなければならない」。この「ローマ・カトリックの決断」は、人間的教会的必要から、恣意的独断的に、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性を棄揚し否定するものであるから、全く首肯することはできない。なぜならば、この「ローマ・カトリックの決断」は、新プロテスタント主義と同じように、<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返す信仰・神学・教会の宣教として、その最初から、フォイエルバッハやマルクスやハイデッガーの正当性のある根本的包括的な原理的な宗教批判の対象そのものの水準にあるものでしかないからである、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」・啓示(偶像)を増産していくそれに過ぎないものだからである。「既にイレナエウス」は、「まことの知識」を、「『使徒タチノ教エト、全世界ニワタッテノ教会ノ古イ〔教エノ〕体系』として定義」した。「オリゲネス」は、「信ジラレルベキ真理」を、「教会オヨビ使徒ノ伝承」として定義した。等々。これらの定義において問題なのは、いずれも「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に対してその認識と自覚が欠如している点にある、聖書の中にある「使徒的な伝承だけでは不完全である」という考え方に基づいている点にある、「スベテヲ聖書カラ受ケトルコトガデキナイ」という考え方に基づいている点にある、啓示の「第一の認識源泉」である「神の言葉の三形態」の第二の形態である聖書(預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」)は「唯一の源泉」ではなく、教会の教えも啓示の「第二の認識源泉」として、教会に対して、啓示の「第一の認識源泉」である「聖書」と「同じ<権威>」を「帰さなければならない」、というベクトルを・指向性を持っている点にある。
 さて、「第二ニカイア会議(七八七年)の時に、書キ記サレテイル伝承オヨビ書キ記サレテイナイ教会ノ伝承を拒否するものたちはのろわれるべきであるというはっきりとした言明がなされるようになる」。「この聖書と並んで力を奮い、聞かれるべき使徒的伝承」は、「普遍的な、カトリック教会がそのようなものとして承認するところのもの」、すなわち「使徒的な、その限り合法的な伝承」(教会的な伝承)のことである。この事態は、すでに「四世紀から五世紀への移り行き」において惹き起こされている――アウグスティヌスは、「福音をまだ信じていない人間に向かって何が語られるべきであるかという問に直面して」、彼自身の体験の思想を介して、「ワタシトシテハカトリック教会ノ権威ニヨッテ動カサレルノデナイナラバ、福音ヲ信ジナイデアロウ」という言葉を置いた。この言葉の指向性は、「聖書そのものを伝承の中に編み入れること」であった、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に集中していく歩みではなく拡散へと向かう歩みに繋がるものであった、総括的には<自然神学>の<段階>に停滞するそれであった。この「聖書を伝承に形式的に編み入れ、従属させた多くのもののうちの最初のもののひとり」が、「真理ハ伝承ヲ理解スル者ダケガ、聖書ノ中デ見出スコトガデキル」という「異端的な命題」を引用したイレナエウスである。この伝承に対して対置されたテルトゥリアヌスの「真理」も、「宗教改革者たちの聖書ノ真理というよりも、……歴史の中で、……教会に伝達された真理実体……であった」。この「真理実体」の「結論的ナ力ヲ持ツモノハアトノモノデアル、アトノモノハ先立ツモノニマサル」というわけで、「結論的ナ力ヲ持ツモノ」は、歴史的に発展してきたところの現存する「カトリック体系」(カトリック教会の伝承)ということになる。
 わがプロテスタンにおいても、例えば、神だけでなく人間も、聖書だけでなく「人間の経験」の尊重も、人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍の尊重も、神学だけでなく人間学も、人間学の正当な評価(事実的には人間学の後追い知識に過ぎない非自立的で中途半端な人間学的神学・神学的人間学は、人間学を正当に評価することなどできるわけがない――ハイデッガーの、ブルトマンやその学派に対する、手短で的確で正当性のある根本的包括的な原理的な揶揄・批判を思い起こされたい)も、ということを強調した、近代以降、ヘーゲルやシュラエルマッハー以降の現代を生きた、ティリッヒ、モルトマンや喜田川信、ルドルフ・ボーレンや佐藤司郎や小泉健、クラッパートや寺園喜基や北森嘉蔵、滝沢克己や八木誠一、倉松功、エーバーハルト・ユンゲルや大木英夫、ボンヘッハーやラインホド・ニーバー、ファン・ルーラー、A・E・マクグラス、佐藤優や冨岡幸一郎、等々は、総括的に言えば、まさに<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返す信仰・神学・教会の宣教の系譜に属する者たちだったのである。それに対して、バルトは、『説教の本質と実際』で次のように述べている――「説教者が、実際の生活にはなお多くのことが必要であって聖書は生きるために必要なことを言いつくしていない(≪人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍・情報・時代性が不足している≫)、と考えるようなことがある限り、彼は、この信頼、信仰を持っておらず、真に信仰によって生き」ようとしていないのである。福音は、「われわれの思考や心情の中にあるのではなく、聖書の中にある」から、私たちは、「思想」、「最高の習慣、最良の見解、そのようなものいっさい」を、聖書に「聴従」することの前で、「放棄」しなければならない。「聖書は神の言葉となる」ところで、「聖書は神の言葉なのである」。すなわち、聖書に「聴従」するために、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、神のその都度の自由な恵みの決断による啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事、に基づく、その神の言葉の「出来事」の運動の中において、聖書によって導かれなければならないのである。説教者にとって、「彼らに語らなければならない彼ら自身に関する真理」は、キリストにあっての「神がすでに為した」・<完了>した「わたしの前にいるこの人々のために、キリストは死に、甦られた」――神、罪深きわれらと共に、ということである。単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(啓示・和解)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、それは神の側の真実として、それゆえに客観的実在として・客観的現実性として、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信・非キリスト者(教)・非知、全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているのである(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 「和解論の対象と問題」』)、「パウロはその時代の子としてその時代の人々に語った。けれどもこの事実よりはるかに重要な事柄は、いま一つの事実、すなわち彼は神の国の預言者ならびに使徒としてあらゆる時代のあらゆる人々に語っている、ということである。(中略)聖書の精神は永遠の精神なのである。かつての重大問題は今日もなお重大問題であり、今日の重大問題で単なる偶然や気まぐれでない事柄は、またかつての重大問題と直結している」 (『ローマ書』)。
 「規則証明の父」テルトゥリアヌスは、「ワレラノ主キリストハゴ自分ヲ真理ト呼ビ給ウタ、シカシ習慣トハ呼ビ給ワナカッタ」と書いた。アタナシウスは、「(真理を宣べ伝えるのにそれ自身十分である)『聖にして霊感を受けた書物』とそれらに対する注釈として用いられるべき、そのほかの教えを含んだ書物の間に、明瞭な区別」を立てた。これらに依拠してアウグスティヌスは、「聖書ニ明ラカニ書カレテイルコトノ中ニ、信仰ト生キ方ニ関スルスベテノコト、スナワチ希望ト愛ガ見出サレナケレバナラヌ」と説明した。しかし、一方で、アウグスティヌスは、「宗教改革的決断の意味での、聖書と伝承の明らかな、批判的な対置にまで」到達することはできなかった。アウグスティヌスは、この意味で、<自然神学>の<段階>を根本的包括的に原理的に止揚して、その<段階>を超えることができなかった、アウグスティヌスの場合は、ルターと同じように、時代的制約に阻まれて「超自然な神学」の<段階>に超出することができなかったのである。しかし、そのことを知った近代以降の現代を・現在を生きる者・教会は、この時代的制約性を理由にして、<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返すことは、できないし・ゆるされないのである。
 さて、「カトリック的な、宗教改革および対抗改革にいたるまでの時代にとって……標準的な記述」は、「半ペラギウス主義者」的立場と「起源的には間接的にアウグスティヌス的な予定論および恩寵論に反対」して、「四三四年……レリヌムのヴィンツエンツによって書かれた『教育ノ手紙』」に見出すことができる――「カトリックノ信仰ノ真理の認識へと通じる道」は、「第一ニ、神ノ律法ノ権威ニヨル道」であり、「第二ニハ、カトリック教会ノ伝承ニヨル道」である。後者の道は、「ワレワレガ、イタルトコロデ、イツモ、スベテノモニヨッテ信ジラレルコトヲ保持スルタメニ」、必要である。すなわち、「普遍性(≪「場所的――地理的にいたるところ教会の立場である」ところのそれ≫)、年代性(≪時間的に「先祖たちおよび父祖たちの立場であった」ところのそれ≫)、意見の一致(≪「すべての担い手(司祭ト教師タチ)によって代表されている」それ≫)」、が必要である。このような立場がどのような事態を惹き起こすかについて、ミシェル・フーコーは、『全体的なものと個的なもの――政治的理性批判に向けて』において、次のように述べている――ギリシャ人にとって医者への「服属」は、病気を治すという目的を達成するための「手段」であったが、初期キリスト教では牧者への「服属」は「目的」や「美徳」として把握された。すなわち、この時点で、牧者と羊の関係は、羊が自己認識(自己了解)を放棄したところで「他者(牧者)の判断と命令に従って歩く」、従属と服従の関係へと変容した。したがってその関係は、「手段」ではなく「目的」へと変容したのである。そうした関係性を確立するために、牧者は、羊の良心を、牧者の配慮や導きを受け入れることが善であるというように指導すると同時に、羊が良心の在り方を、牧者にすべて晒すことができるように指導した。キリスト教の統治技法は、「個人が現世において自己の『抑制』に向けて努力するよう導く」ことにあるが、「抑制」とは具体的には「現世と自己の放棄」を意味していた。そして、「羊は牧人に四六時中、従わなければならないシステムになっていた」。このような司牧システムの在り方は、社会的には教育制度・医療制度・監獄制度等に適用され、政治的には福祉政策として適用された。したがって、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯したバルトは、次のように述べたのである――@教会の宣教を「より危険なものにしてしまう」のは、教会がその宣教において、「正しい注釈」を、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストに、そしてその証し・証言・証人としての聖書に基づくことをしないところにある。また、教会の宣教を「より危険なものにしてしまう」のは、教会がその宣教において、「正しい注釈」を、「最終的に……教会の教職の判決」に、また「間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問の判決に、依存させてしまう」ところにある(『教会教義学 神の言葉』論)。したがって、A「あらゆるキリスト者の生が、意識するにせよ、しないにせよ、やはりひとつの証しである」限り、「教会とその信仰を基礎づけている神の言葉から、提起される」「真理問題はあらゆるキリスト者に向けられている。この証しにおいてこの真理問題に対する責任を負う限り、いかなるキリスト者も彼自身がまた、神学者としても召されている」(『福音主義神学入門』)。したがってまた、B「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師の神学が悪しき神学でなく、良き神あるということに対して、共同の責任」を負っている(『啓示・教会・神学』)。C「教義学は、決して信仰と、その認識のより高い段階を意味しない」。なぜならば、「最も単純な福音の宣教も、それが神のみ心である時には、最も制限されない意味で、真理の宣べ伝えであることができるし、最も単純な聞き手に対しても、この真理を完全な効力をもって、伝えてゆくことができる」。牧師・神学者・キリスト教的メディア的著述家・「教義学者は、信仰者としても、知識を持つ者としても、神がここでなし給うことに関しては、教会の誰か一人の会員よりも、よりよい状況にあるわけではない」。教義学者とは「ただ単に教義学を専攻する大学教員や著述家だけ」・牧師だけのことではなく、「広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たち」のことである(『教会教義学 神の言葉』論)。
 「トリエント総会議も、……未決のままにしておいた」、「伝承原理」を、ヴィンツェンツは、「伝承はそれの側として聖書の正当な解釈である」から、「伝承の解釈および……聖書の解釈は、一致した意見の中でその都度の教会の教職がなすべき事柄である」、というように「理論的な答えを与えた……」。この時、「伝承の枠の中で遂行されるべき注釈から引き出されたカトリック的信仰ノ真理」は、「一方においてTテモテ六・二〇によれば、ユダネラレテイルコト」、すなわち「アナタニ委託サレタモノ……公の伝承……アナタノトコロニ持ッテコラレタ事柄……ユダネラレタモノ……」、それゆえに「アナタハ創始者」ではなく「見張人デアリ、……弟子デアリ、……従者デアル。それであるから」、「守り、見張ること、保持することへと、その都度の現在のテモテ、司祭、教師、注釈家、博士は召されている」。したがって、ヴィンツェンツは、「一方において注釈を必要としており、補充を必要としている聖書と、他方において注釈し、補充する」教会的な伝承との、「曖昧な併存を、ひとつのまとまったユダネラレテイルモノノ統一体たらしめる」ことによって、「彼がこの統一体」を自然的な有機体・「生物体……として理解し」、両者の「保持と成長を教会の教職の手にゆだね、それと共に教会の教職」を「教会的な伝承」の可視的な「主体」としたのである――教会的な伝承を、「忠実ニ結ビ合ワセ、巧ミニ整エ、立派サト優雅サト美ヲ増シ加エ、前ニハモット曖昧ニ信ジラレテイタコトヲ、汝ガ説クコトニヨッテ、ヨリ明瞭ニ理解サレルヨウニセヨ。以前ノ時代ガ理解ヲ尊重シナカッタコトニ関シ、汝ヲ通シテ後ノ時代ガ理解ヲ喜ビ感謝スルヨウニセヨ」。このような「教会的な進歩」が、「宗教ノ進歩」が、教会的な伝承の「保持と成長」が、すなわち教会的な伝承の人間自身・教会自身による付加価値生産が勧められている。「伝承は成長する……自然的な有機体が本質と種類という点では同一のものであり続けながら、しかも成長し、その限り自分自身と同一でありつつ絶えず新しくなるのと同様である」。この場合、啓示自身は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰の授与、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)、に信頼し固執し連帯することを命令・要求・要請しているにもかかわらず、すなわち「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」・「解釈する」とは「別の言葉で同一のことを言うこと」であることを命令・要求・要請しているにもかかわらず、教会は、人間的・教会的必要から、啓示を・聖書を、教会の恣意的・独断的な自由事項・決定事項・裁量事項にしてしまうことになるのである。また、この場合、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性は喪失するのであり、それゆえに「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての客観的な啓示の実在そのものである単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示・和解)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストと共に、教会に宣教を義務付けている教会の宣教の原理である聖書の「権威と自由」を、教会的な伝承の支配に服させることになるのであり、それゆえにまた、教会が絶えず繰り返し聖書を規準としてその宣教を的確に「批判し、訂正」していくことを喪失させてしまうことになるのである。そこには、神の言葉の出来事の運動の中において、聖書によって導かれることによって、絶えず繰り返し、ほんとうの教会となろうとする教会ではなく、ただ恣意的独断的な、余りに人間的な・余りに世俗的な、さまざまな偶像崇拝を行う、実体化された教会のみが残るだけである。
 聖書と教会・教会的な伝承、啓示と教会・教会的な伝承との同一視という「聖書、伝承、教会および啓示の同一視」の「圧縮」された「暗示的……表現」を、「人はトリエント会議そのものの中」に見出すことができる。なぜならば、「一五六四年に定式化されたトリエント会議ノ信仰ノ宣言」における「聖書翻訳および聖書説明」についての「構成要素」によれば、聖書を、「聖ニシテ母ナル教会ガ昔カラ支持シ、今モ支持シテイル聖書ノ解釈ニ反シテ、自己流ニ解釈すること、マタ教父タチノ一致シタ意見ニ反シ」て解釈をすることが禁じられているからである。この主張は、次の事態を惹き起こすのである――すなわち、「聖書は確かに、われわれが啓示を知る認識のひとつの源泉であるが」、すなわち啓示の「第一の認識源泉」であるが、「しかし唯一の源泉ではない」、言い換えれば、歴史的連続性における教会的な「伝承の担い手および守り手」の「カトリック教会」も啓示の「第二の認識源泉」として、その「カトリック教会」に対して、啓示の「第一の認識源泉」である聖書と「同じ<権威>を帰さなければならない」というように、人間的教会的必要から、啓示・聖書とカトリック教会・教会的な伝承との同一視が主張されており、それゆえに「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性が棄揚され否定されてしまう、という事態を惹き起こすのである。この「トリエント会議でまとまった形で表現されたカトリック的命題は、十六世紀において、またそれ以来現在に至るまで、主要な点において」、次のように「主張され、弁護されてきた」のである――「キリストご自身は確かに語り給うたが、しかし書くことはされなかったし、特に書くようにとの委任を与え給わなかった、聖書はまたそうでなくてもその口頭の伝承をもった教会よりも〔年代的に〕若いものであるし、ただ単にもっと若いというだけでなく、聖書はまさに教会に基礎づけられているし、最も古い教会が造り出した技であり、それが正典として認められている点で教会の決断に依存している」、と。また、古代教会における「聖書の教義的な不十分さについての命題」の繰り返しを見よ、と。このようなわけで、カトリック教会は、あくまでもカトリック主義の立場から、その人間的・教会的必要から、主観主義を排除するために、すなわちこの場合は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰の授与、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯するのではなく、聖書以外の「第二の権威」(教会の権威、人間的な教会の権威)の必要性を強調したのである。ここにおいては、「神の啓示」(「神の言葉の三形態」の第一の形態としての、客観的な「啓示の実在」そのもの、神の言葉そのもの、啓示・和解そのもの)とその教会の「証言」(「神の言葉の三形態」の第三の形態としての、啓示の「概念の実在」)との混淆・混同が行われている、「教会を支配し給う神の支配とその支配の中での人間的奉仕」との無限の質的差異に対する、人間的・教会的必要からする棄揚と否定が行われているのである。「当然のことながら聖書よりももっと古い伝承、聖書そのものさえもそれに基づいている伝承」は、「啓示そのもの(≪「神の言葉の三形態」の第一の形態、神の言葉そのもの、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方、啓示・和解、であるイエス・キリスト≫)からその文書的な証言(≪「神の言葉の三形態」の第二の形態、聖書、「神の言葉の三形態」の第一の形態に感謝を持って信頼し固執し連帯した預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」≫)へと通じる道である」。その道は、「神の言葉の三形態」の第三の形態である教会の道(客観的な信仰告白・教義、啓示の「概念の実在」)とは位相が異なる・段階的差異がある「イエス・キリストご自身との直接的な出会いを通してぬきんでた預言者と使徒たちの道(≪「神の言葉の三形態」の第二の形態、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方であるイエス・キリストご自身との直接的な出会いを通した預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」≫)」である。またその道は、預言者および使徒たちの「証言が文書となってまとまって来ると共に、それ以後の教会に対しては閉じられ」(両者には、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性における、位相差・水準の差異・段階的差異があるから)、「その文書性の中でこの証言と共に」、教会が「先ず第一義的に優位に立つ」教会の宣教の原理であるイエス・キリストと共に聖書(預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)に絶えず繰り返し聞くことによって「証言の担い手であり宣教者である限り」において、それゆえにそういう仕方で「啓示の担い手である」限りにおいて、「後代の教会の道」は「始まって来る」のであり始まって来たのである、教会の客観的な信仰告白・教義の道は始まって来るのであり始まって来たのである。この場合、前述したように、「後代の教会の道」における証言は、預言者および使徒たちの証言とは違っているのであり、すなわち預言者および使徒たちが「さらに生き続ける」という意味における証言ではないのであり、それゆえに預言者および使徒たちの証言におけるような「直接的な啓示の継続」(「神の言葉の三形態」の第一の形態に感謝を持って信頼し固執し連帯した第二の形態)としての証言ではないのである。したがって、富岡幸一郎の『使徒的人間――カール・バルト』は、その自然神学論だけでなく、タイトル自体も、根本的な誤謬にメディア的な組織性の後光をかぶせて書かれた本に過ぎないものなのである。したがってまた、この富岡の本をまともに引用したならば、根本的誤謬の上塗り、恥の上塗りとしかならないのである。したがってまた、このことから、神学者・牧師・キリスト教的メディア的著述家の神学や知識およびメディア的情報をそのまま鵜呑みにしたり模倣したりすることをしない方がいいのである。いずれにしても、「教会(≪「神の言葉の三形態」の第三の形態、教会の客観的な信仰告白・教義≫)があの証言を生み出したのではなく、むしろあの証言(≪「神の言葉の三形態」の第二の形態、預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」≫)が教会を生み出したのである」・「教会があの証言が神の言葉として正典であることを認識し、承認したのであるが、結局その正典性はあくまでそれ自身の中に、換言すれば、教会に対し証しされた啓示の中に、イエス・キリストの出現の中に、預言者と使徒たちの任命の中に、基礎づけられているのであって、決してこの事実を後から承認する教会の判断の中に基礎づけられているわけではない」のである。「聖書と並んでまた同じ意味で権威として聞かれるべき」普遍的な「伝承が存在するということ」、「教会自身と啓示」を等価とする等置は、「たとえイレナエウスやアウグスティヌスの口から出た言葉だとしても、虚偽であり誤謬であったのである」。カトリック主義におけるような、また新プロテスタント主義も同じであるが、両者におけるような「不遜にも」「偽りの客観性……に基礎づけられている主観主義よりももっと危険な主観主義はあり得ない」のである。なぜならば、その場合、教会は、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰の授与、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)、に信頼し固執し連帯していないがゆえに、「ただ聖書の中でだけ、神の言葉を聞かねばならない」ということに対して「忠実さが足りな」くなるからである。またなぜならば、その場合、「聖書の中でご自身を証しされたところのキリストおよび聖霊のほかに」、さらに「なお直接的に認識され得るキリスト、直接的に受けとることができ、直接的に働く聖霊を自分のものとして主張することが許されると信じるところ」の「キリスト、あるいは聖霊」は、「あらゆる種類のそのほかのより世俗的な名前を帯びることができる」からである、「自分自身の理性、あるいは自分自身の生活感情、あるいは自然、あるいは歴史意識と同一であることができる」からである。この場合、「よしんば彼らがキリストと聖霊を引合に出し、彼らのうちのどれほど多くが、互いの間の最もすばらしい意見の一致を喜ぶとしても、この道の上では彼らはただいたずらに分裂を増し加え、いやすことができないものとすることができるだけである」。例えば、「いたずらに分裂を増し加え」ているものは、国家主義者である佐藤優の事実的な党派的多元主義がそれである。また例えば、「終末論的」な『将来的なものの力』としての「御霊」の概念によって、「終末論」と「歴史」とを結び付け、「終末論的なものが、このような仕方で歴史的になることによって、歴史的なものが終末論的になる」・すなわち「終末が歴史となり、歴史を動かしている」と考えているモルトマンの神学的三段階的進歩史観がそれである。また例えば、「シュライエルマッハー以外の他の人々の所でも、……強力な痕跡に遭遇する」、自己還帰する対自的であって対他的な、すなわち自由な自己意識において、思惟に思惟を重ねて具体的普遍の頂へと高次化する思惟は、自然から超出した精神であるから、その頂を極めた「精神は、また精神自体としては神と全く同一である」とするヘーゲル哲学の原理がそれである。このヘーゲルの哲学原理を支えているものが、無限と有限との統一としての「究極的同一性」である。この「究極的同一性」においては、人間の理性が神を思惟する理性から、神の理性が思惟する理性に転化され、人間の理性の思惟は、神の理性の思惟と等価性を持つことになる。この事態は、人間の側からするあるいは教会の側からする、神と人間との混淆・混合、人間の神化・神の人間化、神と人間との無限の質的差異の揚棄を意味するのである。(173−190頁)

 

 さて、「古プロテスタント主義の領域」においても、「伝統主義」が、すなわち「啓示への直接的な接近を熱狂主義的に信じる信仰が、……力を奮うようにな」った。この場合、先ず、「その者たちのまいた種子から、ローマ側の論争家たちによって……軽蔑されたプロテスタント的な分派が発生したのであるが」、その「十六世紀の熱狂主義者、心霊主義者、神秘主義者たち……のことを考え」てみなければならない。と同時に、「公に福音主義的立場をとった告白教会」のこと――すなわち、その告白教会は、「聖書原理」を「真剣に受けと」らず「あまりに僅かしか受け取っていなかった」から、教会に、啓示の第一の認識源泉である「聖書に対する第二の啓示源泉」という「性格を持たせ」、聖書原理を「教会の……所有として前提した」告白教会のこと、も考えてみなければならない。この時、告白教会も、聖書の「権威と自由」を剥奪し、教会が聖書を支配することになったのである、また、それゆえに、教会は、絶えず繰り返し、客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストに、具体的には聖書に聞くことによって教会となる、という歩みを放棄していくこととなったのである。啓示の第一の認識源泉である聖書に対して、啓示の第二の認識源泉として「魔術」的に変容させられた、「ルターの名」・「カルヴァンの名」の「ことを考えてみよ」、また「皇帝および国会の前でなされたアウグスブルクの信仰告白がルター教会にとって持つようになったほとんど魔術的な権威のことを考えてみよ」。このように、古プロテスタント主義自体が、「十七世紀において、……実際的にばかりでなくまた原理的」にも、聖書原理という「宗教改革的決断と矛盾する」ところの、「トリエント総会議」の伝承原理・「カトリックの伝承原理」を内在させていたことを露呈させたのである。そして、この内在的な「弱点」と欠陥を受け継いだ新プロテスタント主義は、人間的・教会的必要から、聖書原理の棄揚と否定の歩みを為すことによって、その頂きを目指したのである。すなわち、神だけでなく人間も、人間の対他的で対自的な自由な自己意識の類的活動・人間的自然も、人間の自主性・自己主張・自己義認も、神学だけでなく人間学も、人間学的な哲学原理・認識論・世界観も、人間論も、人間の感覚と知識を内容とする経験的普遍も、そうしたものに基づいた信仰・神学・教会の宣教も、ということを目指したのである。近代以降の信仰・神学・教会の宣教と混淆・混合された、ヘーゲルやハイデッガーの哲学原理の「ことを考えてみよ」、近代以降の宗教的形態である科学主義の「ことを考えてみよ」、歴史主義の「ことを考えてみよ」、マルクス主義の「ことを考えてみよ」、宗教そのものである様々な<主義>の「ことを考えてみよ」、総括的に言えば、<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返す信仰・神学・教会の宣教の「ことを考えてみよ」。これらのことは、「ちょうどトリエント総会議が〔名目上〕使徒的であると主張した伝承がそうであったように、聖書とは何ら関係のない」ところの、教会の宣教における規準の増産でしかなかった。これらのことは、「事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」・キリストにあっての「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」。

 

 「アルミニウス主義者」の「オランダの法律家兼歴史家」の「H・グロティウス」は、「スベテノ言葉ハ聖書ト伝承トイウフタリノ証人ノ中ニ立ッテイル、ソシテ聖書ト伝承ハ互イニ〔明ラカニ〕照ラシ合ウ」ということを原則的に承認し、「(スコラ哲学者によってゆがめられた、昔ノ教会ノ古クカラノ、普遍的ナ意見ノ一致)」を「欲した」。啓示の第一の認識源泉である聖書とその第二の認識源泉である「昔ノ教会」とを等置して、「昔ノ教会」の出自の中にその源泉を見ようとするとき、その教会は、「聖書に対してもその上に立つ裁判官」として、自分を立てたこと」になる。このように、「聖書と最も古い伝承を歴史的にいっしょに見ようとする彼の見方は、伝承の概念を、現在にまで拡げているトリエントの教義と同様必然的に、現在の教会が自由に処理することができる啓示所有の考え方」であって、すなわち聖書は「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての客観的な「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストと共に、教会の宣教における原理・規準であるという聖書原理――聖書の「権威と自由」を否定する考え方であって、「宗教改革的な決断」を「除去」してしまう「考え……へと移って行かざるを得なかった……」のである。
 ルター派のドイツにおいて「グロティウスに相当する者は、……ヘルムシュタットのG・カリクストゥス」である。カリクストゥスは、「信仰のみによる義認についての教説を……高く評価し、……自分はよきルター派信者であると考えることができた」「福音主義的神学者……のひとりであった」。しかし、カリクストゥスは、キリストにあっての神の「恵みが人間の側によって補充される必要がある」という「教説を付け加えることが必要であると考え」、「宗教改革者たちにとって疎遠な、道徳的な関心と情熱の独立性」を主張した。このカリクストゥスは、「五ツノ世紀ニワタル意見ノ一致……すなわち、最初の五世紀の教師たち、信仰告白、会議の決定が互いの間で一致する本質的な一致、(それからまたそれ自身この起源的な伝承の集合体の一つの構成要素として理解されなければならない)聖書との間の本質的な一致……が存在する」から、その時代において教会――「原教会」は、「自分にとって欠かすことのできない教えの内容を神の言葉から受け取った」のであり、それゆえに「教会がそれを実際に受け取った」ことによって、「また自分でも与えたし、自分で自分のものとした……」と主張した。したがって、教会は、神の言葉を、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性におけるその第一の形態(イエス・キリスト、神の言葉そのもの、「啓示の実在」そのもの、啓示・和解、まことの証人・証言)に、具体的にはその第二の形態(聖書、預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」、第二の段階の証人・証言)に、信頼し固執し連帯することを通して授与され受けとることができるとは考えず、その第三の形態である教会(教会の客観的な信仰告白・教義、啓示の「概念の実在」、第三の段階の証人・証言)は「神の言葉を聖書から受け取り取」ると同時に、教会は聖書の「権威と自由」に支配されることなく、「教会は神の言葉を自分で自分に与え……自ら自分のものとした」、とカリクストゥスは考えた。言い換えれば、カリクストゥスは、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、その都度の神の自由な恵みの決断による客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて授与される人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰(それゆえに神の聖性・秘義性・隠蔽性におけるそれ、終末論的限界におけるそれ、「啓示の実在」そのものでは決して全くないところの啓示の「概念の実在」としてのそれ)、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯するのではなく、聖書の「権威と自由」を剥奪し、教会が聖書を支配する道に通じることを考えたのである。まさに、「ここでは聖書に関する宗教改革的な認識に対して、決定的な、公然たる後退がなされている」。この時、「歴史的な立場」から「原教会」は、「自分自身を聖書の下に置いたのではなく」、すなわち啓示に固有な証明能力に基づいて「聖書を通して啓示について教えられる」という立場に置いたのではなく、「むしろ教会が神の言葉を聖書から受け取ると同様、自分で自分に与える」ことによって、「聖書と並列的な立場に」・等価性の立場に、「規範性」・法廷・判決の立場に、「自主独立的な、教会的な啓示所有の立場」に、「教皇」の立場に、「教会そのものの無謬性」の立場に、人間自身・教会自身が「先験的ニ啓示について知っている」立場に、「自分の身を置いたのである」。このカリクストゥスの主張は、「信仰だけでなく業を必要とする」という、すなわち「恵み」は「人間の側によって補充される必要がある」という、「義認論」を根拠としている。総括的に言えば、「イエスの信仰」の目的格的属格理解に根を持っている。また、このカリクストゥスの主張は、彼における「理性と啓示の関係」における「調停的な」認識方法に根をもっている――人間の「精神活動全体の領域の中には、啓示を受け入れる場所、啓示を把握しなければならない結びつき点〔結合点〕、……啓示が真理であるという意識が強固になる特徴的な目じるし、が存在する」・すなわち「二重の知的な受容(理性と啓示)が神の配剤によって併存する」。このように、カリクストゥスは、内在的必然性を持って、「カトリックの伝承原理」に平行する「新プロテスタント主義」の「堅固な形」を形成した。「人間には啓示なくしても」、「人間自身が本来持っていて、そして啓示の中で言わば甦って来る」、人間に内在する「啓示能力」・「言語能力」・「言語受容能力」・「呼びかけられうる能力」がある、それは、人間が持っている形式的な「神の像」である、それは、「啓示の中で初めて甦って来るところのものである」としても、「啓示に先立つ『啓示能力』」・「結合点」である、それは具体的には、人間の「人間性」・「理性や応答責任性や決断能力」のことであり、「神の啓示に対する客観的可能性」となるものである(『ナイン!――エーミル・ブルンナーに対する答え』)、と主張したブルンナーも、カリクストゥスと同じように、<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返す系譜に属している。「近代的な自由」および「近代的自律の神学的加工処理」の根拠を、「たとい人間の実存が神への愛や神への畏れの行為として実現されることはなくとも」、神は人間に対して「神への愛と神への畏れをもつよう配慮」し、「人間実存を構成的に規定」するがゆえに、人間の神認識は成立するという点に置いたエーバーハルト・ユンゲルも、この系譜に属している(『神の存在 バルト神学研究』)。したがって、ユンゲルと同じように、ただ自分の翻訳本を売るためにのみ、「ユンゲルのバルト解釈は、バルト後を確定した」、「バルト後の誰もが無視できない一つの流れ、誰もがそこを回避出来ない一つの道を決定した」、「これは日本の知的読者の中にも新しい論議を発火させる焦点となるかも知れない」、と軽薄で出鱈目な「訳者あとがき」を書いた「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会の神学」者・大木英夫も、この系譜に属している。

 

 神「と」人間も、神学「と」人間学も――このような「『と』(und)の神学」、すなわち「『信仰と業』、『自然と恩寵』、『理性と啓示』について語る」神学は、両者を等価性において語らなければならないから、「必然的に」等価性において「『聖書と伝承』について語らなければ」ならなくなる、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性を人間的・教会的必要から棄揚し否定しなければならなくなる。このような神学に対しては、フォイエルバッハの根本的包括的な原理的な宗教批判は、正当性を持つのである――「人間は自分の本質を対象化し、そして次に再び自己を、このように対象化された主体や人格へ転化された存在者(本質)の対象とする。これが宗教の秘密である」・「(中略)神の意識は人間の自己意識であり、神の認識は人間の自己認識である」・「(中略)神の啓示の内容は、神としての神から発生したのではなくて、人間的理性や人間的欲求やによって規定された神から発生した……。(中略)こうして、この対象に即してもまた、『神学の秘密は人間学以外の何物でもない!』……」(『キリスト教の本質』)。このように、「『と』(und)の神学」は、それゆえに神と人間との無限の質的差異と「聖書の権威がローマ・カトリック主義においても、プロテスタント主義の新プロテスタント主義の形態においても同様に相対化されるところの『と』」は、「人間との交わりの中での神の主権が相対化され」た「ひとつの表現、でしかないのである」、それゆえに両者は「宗教改革的決断」を後景に退けていまうのである。したがって、神学における思想家・バルトは、その正当性のあるフォイエルバッハのキリスト教批判を、その信仰・神学・教会の宣教におけるその原理・その認識方法と概念構成それ自体で、根本的包括的に原理的に止揚し超えるために、先ず以て、根本的包括的な原理的な三つの事柄を提示したのである――@それは、神と人間との無限の質的差異である。「私が『方式』なるものをもてっているとすれば、……時間と永遠との『無限の質的差別』……、をあくまで固守した、ということである。『神は天にいまし、汝は地に在り』。私にとっては、この神とこの人間との関係、ないしはこの人間と神との関係が聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である (『ローマ書)。神の側の真実、神の自己啓示、イエス・キリスト、啓示の実在、神の自己認識・自己理解・自己規定、啓示の真理、啓示の時間、永遠、超歴史、救済史は、常に 、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・概念・教義、人間の自己認識・自己理解・自己規定、人間の時間、歴史の、彼岸・外にある。Aそれは、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある、主格的属格としての「イエス・キリストの信仰」(先ず以て、第一義的・第一次的に、イエス・キリストを信ずる信仰ではなくて、徹頭徹尾イエス・キリストが信ずる信仰)である。「神は、神なき者がその状態から立ち返って生きるために、ただそのためにのみ彼の死を欲し給うのである……しかし誰がこのような答えを聞くであろうか。……承認するであろうか。……誰がこのような答えに屈服するであろうか。われわれのうち誰一人として、そのようなことはしない! 神の恩寵は、ここですでに、恩寵に対するわれわれの憎悪に出会う。しかるに、この救いの答えをわれわれに代わって答え・人間の自主性と無神性を放棄し・人間は喪われたものであると告白し・己に逆らって神を正しとし、かくして神の恩寵を受け入れるということを、神の永遠の御言葉が(肉となり給うことによって、肉において服従を確証し給うことによって、またこの服従において刑罰を受け、かくて死に給うことによって)引き受けたということ――これが恩寵本来の業である。これこそ、イエス・キリストがその地上における全生涯にわたって、ことにその最後に当たって、我々のためになし給うたことである。彼は全く端的に、信じ給うたのである(ローマ三・二二、ガラテヤ二・一六等の『イエスの信仰』は、明らかに主格的属格として理解されるべきものである)」(『福音と律法』)。B「聖霊は、人間精神と同一ではない」・「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」、聖霊によって更新された理性も聖霊ではない(『教義学要綱』)。

 

 さて、カトリック主義においては、「トリエント総会議において、ただ聖書と伝承が(≪等価形態において≫)並列的に並べられているだけでなく、聖書注釈がすべて教会の教職の下に従属されるべき旨の決定が下され」ていた。すなわち、カトリック主義は、「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」・「解釈」するとは「別の言葉で同一のことを言うこと」であるという、啓示に固有な証明能力に、具体的には聖書原理に、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に、信頼し固執し連帯することを、人間的・教会的必要から棄揚し否定してしまったのである。この極限に想定されることは、次のようなことである――「聖書を正典として結集し、後の世に伝えた」のは「教会の業である」であるから、聖書よりも「教会の優位性」を主張する立場である。「既にトリエント総会議以前にヨハン・エック」は、「聖書ハ教会ノ権威ナシニハ、信頼スルニ足リナイ。モトモト正典ヲ書イタモノ自身ガ教会ノ成員デアル」と書いた。「また既に一五一七年にS・プリリアスは、……ローマ教会ノ教義トローマ教皇ニヨッテ、誤ルコトノナイ信仰ノ規準――ソレカラ聖書ハ力ト権威ヲ引キ出シテクレルノデアルガ、ソノ信仰ノ規準――トシテ支持サレナイモノハスベテ異端デアル」と述べた。そして、(1564年の)「トリエント総会議ノ信仰宣言」においては、「伝承が……使徒的オヨビ教会的伝承として定義されて……聖書の前に言及されている」。すなわち、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性が、人間的教会的必要から、棄揚され否定されている。このようにして、「トリエント総会議の後、ローマ公教要理」は、「教会の使徒性は、教会がなす宣教が、昨日、あるいは今日発生した宣教としてではなく、既に使徒たちによって宣べ伝えられた宣教として、まことであるという……教説」を展開した。この場合、「教会の教えに逆らうことは、直接に使徒の教えに逆らうことであり、それ故信仰から分離し、聖霊に逆らうことを意味した」。「確カニ聖霊ガ先ズ第一ニ使徒タチニ与エラレタ後ハ、主要ナコトハ神ノ恵ミニヨッテ永遠ニ教会ノ中ニトドマル」、教会の中に実体化する。このような訳で、これ以降の世紀において、教会的な「伝承概念」の拡張と累積が行われ、「教会的決断を含め」て、その「口としての(教皇の中で総括されている)教会的教職に頼るよう指示されるようにな」った、その時、教会は、「使徒的伝承に奉仕」する伝承を「保存する機能」を持つだけでなく、伝承の「生産的な機能」も持つようになった。「〔年代ノ〕若イモノ、シタガッテヨリ明白ナルモノガ〔ワレワレノ〕教師デアル(イエズス会士サルメロン)」。「現在の教会の啓示所有……を崇め奉る」ことが惹き起こされる。啓示の認識源泉について、トリエント総会議における聖書と伝承の二つに「教会」が付加された。さらに、啓示の認識源泉は、人間的教会的必要から、「九つ」の啓示の認識源泉――すなわち聖書および「伝承、教会、公会議、使徒座、教父、正統的神学者、理性、哲学、歴史」にまで拡大され、これらすべてが、「同じ敬虔ノ情ヲモッテ」、カトリックの「教義学および宣教」において、また新プロテスタント主義の「教義学および宣教」において、「法廷」・規準とされ、傾聴されるようになった。
 十七世紀からの「歴史的――批評的な聖書緒論の開拓者となった者(そのものの後に、それから十八世紀になってはじめて、プロテスタント主義の陣営においてJ・S・ゼムラーおよびそのほかのものがつづいた……)は、プロテスタント信者ではなく、フランスのオラトリオ会の修道士R・シモンであった」。シモンは、トリエント総会議の伝承原理に基づいて、「自分の宗教がただ聖書本文にだけ依存しているのではなく、教会の伝承にも依存していることについて確信して」いた。聖書なしにも、それゆえに伝承だけで、「キリスト教宗教は保持され」ると考えた――「スベテ書カレタ文書ガ、原型ガ損ワレテイルカ損ワレテイナイカ、シタガッテソノママ認メナケレバナラナイカドウカ」は、その書かれた文書が「教会ノ教エニ一致スルカドウカニヨッテ定メラレル」。ここでは、教会・教会の教えが、「法廷」・規準とされている。このような訳で、シモンの歴史的――批評的な聖書緒論は、「批評的研究ではなく、結局教会の教え」を法廷・規準として、「聖書の信憑性について決定を下」すという伝承原理の主張であった。それに対して、新プロテスタント主義は、「人間的自己意識と歴史意識」を法廷・規準として、聖書の権威・聖書の非権威を決定するという伝承原理を主張した。両者の共通性は、「恵みの自由に逆らう戦いである言葉の権威(≪――教会の宣教における「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての「啓示の実在」そのものである「神の言葉の三形態」の第一の形態であるイエス・キリストと共に、教会に宣教を義務づけている教会の宣教における原理としての預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」である聖書の「自由と権威」――≫)に逆らう戦い」にある。もっと総括的に言えば、シモンのそれは、<自然神学>の<段階>で停滞と循環を繰り返す信仰・神学・教会の宣教の主張である。

 

 「カトリック陣営……テュービンゲン学派」の動向がそれである。カトリック神学は、「J・M・ザイラーを中心」として、新プロテスタント主義と同様に、「十六世紀の人文主義的、心霊主義的、神秘主義的側面運動を継続させ更新」させた、それゆえにすでに内在的に保有していた「非カトリック的思想体系」である疾風怒濤時代における「観念論的――ロマン主義的哲学と神学」という近代主義的頂きへと向かった。この動向は、啓蒙主義時代、「既に十七世紀において特にイエズス会士によって促進された……伝承原理の継続的教育の中に……見出される」――「伝承ハ連続的ニ継続シツツツネニ信者ノ心ノ中ニ生キル」・「観念論的――ロマン主義的哲学と神学」において、「『生ける』伝承という理念が新たに力を奮う」ようになった。この「生ける」伝承原理は、「レッシングおよびカントの宗教哲学と……近似性を持った」(それに対して、プロテスタントにおいては、「ヘーゲルおよびシュライエルマッヘルの新プロテスタント主義」が君臨した)、それゆえに「宗教とは、すべての神崇拝の本質的なものが人間の道徳性にあるとするような信仰である」とした「カントは、本源的であるゆえに、すでに前もってわれわれの理性に内在している神概念の再想起としての神認識という点で、アウグスティヌスの教説と一致する」(『カント』)という原理における、「キリスト教の歴史および教会的な客観性……が尊重され」た、「神が語ることを聞く心情……の内面性が連綿と続いて行く……キリスト教の伝承」原理のことである。「テュービンゲンのJ・S・ドライ」は、人間的・教会的な必要から、それゆえに啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯することをしないところの、「ザイラーの立場を繰り返すと共に」、等価形態における「教会を、換言すれば、啓示を」、自己展開する「ひとつの生きた有機体」として見た。このような訳であるから、ドライの「神の霊の導きのもとに」自己展開する生命体・生命活動とは、「神的な、起源的に与えられたもの」――すなわち生命活動における「静的な原理」・啓示と、この「静的な原理」を自己展開させていく人間自身・教会自身の「伝承以外の何物でもない」「動的な、生きた原理」・教会の「生ける」伝承、のことである。この啓蒙主義的外部注入的なドライの原理は、教会(「神の言葉の三形態」における第三の形態)が、「先ず第一義的に優位に立つ」教会の宣教における原理であるイエス・キリスト(「神の言葉の三形態」における第一の形態、客観的な「啓示の実在」そのもの、神の言葉そのもの)および具体的には教会に宣教を義務付けている教会の宣教の原理である聖書(「神の言葉の三形態」における第二の形態、預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)を、支配する原理である。したがって、このテュービンゲン学派における「二つの区別された要素の均衡」――「静的なものと動的なもの」、「客観的なものと主観的なもの」、という「弁証法」は、カトリック教会による聖書支配、の弁証法である。したがって、テュービンゲン学派は、「聖書の権威のトリエント的な相対化を、近代的な意識にとって至極分かり易い仕方で繰り返す……カトリック的な学派」である。
 さて、「近代ドイツのカトリック主義の父」は、「シュライエルマッヘルの神学に精通した」「J・アダム・メーラー」である。メーラーも、聖書の権威よりもカトリック教会の権威を優先するカトリック主義からする、「信仰と教え、霊と文字、隠れた根とあらわな吸引力、敬虔な自己意識と教会(すなわち啓示)の生の中での教会的なあり方」、「理念と歴史、教えと行為、内的真理と外的真理、内に向かっての証しと外に向かっての証し」、という「区別から出発した」。この「区別を包含した単一性」とは、メーラーによれば、「教会の霊の単一性」に、すなわち「信仰者の個人的人格がその場所を占めている」「神秘的――精神的、教育的な内的単一性」に、「教会のからだの単一性」が、すなわち「司教の単一性……司教団の単一性……最後にローマ〔教皇〕権の単一性」として表示されている「外的単一性」が、「対応している」それである。この「二つの単一性……のより高度な単一性」は、「人間的な霊が到る所同一であるように、またキリストはただ一人であり、その業は一つであるという」点にある。メーラーは、この「高度な単一性」の根拠を、カトリックの「教会はキリストによってたてられた交わりであり、『その中で、地上における御生涯の間、キリストによって……なされた活動がその霊の導きのもとで世の終わりに至るまで(キリストによってうち立てられ、間断なく続く)使徒職を媒介として、継続される交わり』であるが故に」、カトリック教会は、「人々の間に、人間的な形をとって不断に現われており、絶えず自分自身を更新し、永遠に若返らせる神の子であり、神の子の絶えざる受肉」であり、「また『神の子』」の可視的な「形姿、その永続的な、永遠に自分を若返らせる人間性、その永遠的啓示である」、という点に置いた。この場合、非常に問題なのは、神と人間との無限の質的差異、神の聖性・隠蔽性・秘義性・不把握性、終末論的限界を、人間的・教会的必要から棄揚し否定してしまって、教会(「神の言葉の三形態」の第三の形態、教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」)が、恣意的独断的に、啓示(「神の言葉の三形態」の第一の形態、神の言葉そのもの、客観的な「啓示の実在」そのもの、イエス・キリストの名)を客観的に措定することになるのである、すなわち、教会が、イエス・キリストや聖書を支配することになるのである。言い換えれば、この場合、教会が、恣意的独断的に、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、神のその都度の自由な恵みの決断による客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰の授与、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性を、人間的教会的必要から棄揚し否定してしまうことになるのである。したがって、この場合、教会は、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」・啓示(偶像)――この偶像崇拝の陥穽に陥ってしまうことになるのである。「われわれにとってキリストご自身はただ、教会がわれわれにとって権威である限りにおいてだけ、権威であり続ける」。したがって、「教会は無謬でなければならない」。「なぜならば人間的なもののない神的なものはわれわれにとって全く存在しないからである。人間的なもの自体がそれとして誤ることがなく、偽ることがないのではないが、確かに神的なものの器官として、また現象としてそうなのである」。メーラーは、「神的な霊」と「人間的な霊との結合」・混淆における「キリスト教的な分別」を主張する。「このキリスト教的な分別」は、「本来的な、キリスト教的意識」・「不断に信者の心の中で生き続ける言葉」、すなわち「伝統」を生む。したがって、「この意識を通して語られた解明こそ……教会の判決であり、それ故教会は信仰の事柄において審判者」である。したがってまた、「(教会の)正規の普遍的活動の結果とみなされるべきすべての教義的および道徳的な発展は、キリストご自身の発言として尊重されなければならない」。「メーラーの業績についてのカトリック的な総括」は、メーラーは、「(観念論的哲学の最上の)認識」、「キリスト教教義の歴史の最も重要な現象の解釈、キリスト教的教説の進歩的展開の解釈」を行ったという点にある。すなわち、メーラーは、「キリスト教の歴史のカトリック的解釈と観念論的解釈」において、教会・教会の伝承と啓示は等価形態にある、「教会、その信仰と言葉を、(教会を基礎づけている)啓示と等置する」ことができる、というように解釈した点にある。ただ、「カトリック的解釈」は、その「根本理解の起源的、本来的な形式」であるが、「観念論的解釈」は、その「根本理解の、……第一の形式と衝突するようになった派生的な形式である」。なぜならば、教会(「神の言葉の三形態」の第三の形態)の前には、厳然として「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性が置かれているにもかかわらず、啓示の認識源泉としての聖書と伝承とを等置する、さらに「自分自身」・教会自身を「キリストと同一である」とする、教会とキリストとを同一視・総合・統合する、ところのカトリック教会が、そのように「解釈」することができるとするならば、「最後的にはただ観念論的に解釈」することができるだけだからである。この事態を垣間見る時、「われわれは、シュライエルマッハー以外の他の人々の所でも」、人間の対自的で対他的な自由な自己意識の類的活動・「人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆」・「神の自由を認識していないという事態」を生み出した「ヘーゲルの強力な痕跡に遭遇するであろう」(『ヘーゲル』)。このようなメーラーの「啓示と教会、聖書と伝承、の有機的な単一性の法則」における神・啓示は、ほんとうは、人間自身・教会自身が対象化した「存在者レベルでの神」・啓示(偶像)でしかないものなのである。その「客観的となったキリスト教宗教」としての教会は、ほんとうは、フォイエルバッハやマルクスやハイデッガーが根本的包括的に原理的に批判した宗教そのものでしかないものなのである。ここでは、神は、次のようなものとなる――「人間の内的生活は、自分の類・自分の本質に対する関係における生活である。人間は思惟する、すなわち人間は会話をする、人間は自分自身と話をする。動物は自分以外の他の個体がいなければ類の機能をひとつもはたすことはできない、しかし人間は他人がいなくとも考えるとか話すとかという類的機能……を果たすことができる」・「もし君が無限者を思惟するならば、そのとき君は思惟能力の無限性を思惟し且つ確証しているのである。そして、もし君が無限者を情感するならば、そのとき君は感情能力の無限性を情感し且つ確証しているのである。理性の対象とは自己自身にとって対象的な理性であり、感情の対象とは自己自身にとって対象的な感情である」(フォイエルバッハ『キリスト教の本質』)・「神とはまさに、人間の(≪人間の対自的で対他的なそれゆえに自由な自己意識の類的機能としての≫)想像能力・思惟能力・表象能力の本質が、現実化され対象化された……絶対的な本質(存在者)、……と考えられ表象されたもの以外の何物でもない」(『フォイエルバッハ全集第12巻』「宗教の本質にかんする講演 下」)。ここでは、神学は、次のようなものとなる――「(中略)神の啓示の内容は、神としての神から発生したのではなく、人間理性や人間的欲求によって規定された神から発生した……。(中略)こうして、この対象に即してもまた、『神学の秘密は人間学以外の何物でもない!』」(『キリスト教の本質』)・「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」、「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」、またその場合、「哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる」、キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった」、また、「それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」(『教会教義学 神の言葉』論)。
 「メーラーの肩の上に立っていた」「ドイツの……マッティアス・ヨーゼフ・シェーベン」は、「ドイツ語圏においては、ピウス九世の教皇側を……特にヴァチカン公会議……の時代」を「代表する」カトリック神学者であった。カトリック神学の「考察と主張」は、「既にイレナエウスの日以来ほとんど常に」、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、神のその都度の恵みの決断による客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事(「啓示の出来事の中での主観的側面」、聖霊の注ぎによる人間的主観に実現された恵みの出来事)に基づいて授与される人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性、に信頼し固執し連帯することをしないで、聖書と伝承を等置し、さらには教会自身をも啓示の認識源泉とし、それゆえに「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての「啓示の実在」そのものであるイエス・キリストと共に、教会に宣教を義務付けている教会の宣教の原理・規準である聖書だけでなく、教会自身をも「第三の法廷」・規準とし、それゆえに聖書が教会を支配するのではなく、教会が聖書を支配する、という「考察と主張」にある。ここにおいて、教会・その宣教は、単一性・神性・永遠性を本質とする神の第二の存在の仕方(神の言葉、啓示・和解)であるまことの神にしてまことの人間イエス・キリストに、具体的には教会の宣教の規準である聖書に、絶えず繰り返し聞くことを後景に退かせ、それゆえにそれに聞くことによって絶えず繰り返し自らを自己吟味し・自らを的確に「批判し・訂正」していくべき歩みを捨て去ったのである、「権威的に語って来る教職を通して……代表されたその都度の現在の教会のところに……流れ込んで」行ったのである。「メーラー的な思惟の動きの本来」性においては、「教皇」を中心とした「司教職全体の声の中で、聞かれるべき」教会は、可視的な「使徒職の生ける担い手として……イエス・キリストご自身を代表するものとして」、教会は啓示と同一であるもの・教会の権威は神の言葉の権威と同一であるものとして、理解され、それゆえに「聖書および伝承という複合体」の「神的な権威と全権全体」の授与権が「教会」にあるというように「理解されることを欲」している――「教会が神の言葉を持っているのであり、教会が神の言葉を注釈し、まさに教会こそ具体的ニ啓示なのであ」り、「完全な、全き啓示である」というように、また「教会は今日語り、支配し、行動し、決定するイエス・キリストである」というように。「この同一視は古くからのもの、いや、原初からのものであった。まさにこの同一視の中でこそ、既に第二世紀においてローマ・カトリック教会はそれとして基礎づけられ、また常にこの線上を通って……すべてのローマ・カトリック的な進歩は動いてきたのである」。

 

 さて、イレナエウスからメーラーにいたる「発展の意味」は、「聖書の権威が教会の権威へと変えられてゆく……変化全体」にある。メーラーは、「公会議首位説と教皇首位説」を、「司教団組織と教皇組織」(周辺的組織と中心的組織――その中で、「使徒職の権利継承者および担い手としての、イエス・キリストの可視的な「代表者としての」教皇は、「聖書と伝承の誤ることのない判決」・法廷また「啓示の誤ることのない宣言」として、「最高の教師および裁判官として」、「独一無比な地位を占めた」ところの「教会の生の『中心』」である)との有機的構成において把握し、そこに教会の生命活動をみた。このカトリック教会は、「教皇ピウス九世のもとで(中略)一八五四年にマリヤの無垢懐胎と無謬性について決定が下されたのと同じ会議において、理性と啓示についてのトマス的教説を、教義にまで高めた」。「カトリック教会がヴァチカン公会議の口を通して語りつつ、またヴァチカン公会議は教皇自身の口を通して語りつつ、一八七〇年七月一八日、キリストノ教会ニ関スル第一教義憲章の中で(中略)ワレワレハ、キリスト教信仰ノハジメカラ受ケ継イダ伝承ヲ忠実ニ守リ、ワレワレノ救イ主デアル神ノ栄光ト、カトリック信仰ノ高揚ト、キリスト信者ノ救イノタメ、コノ聖ナル公会議ノ承認ヲ得テ、……神カラ啓示サレタ信仰箇条デアルト教エ、定義スル。スナワチ教皇ガ教皇座カラ宣言スル時、言イ換エレバ全キリスト教会ノ牧者トシテ教師トシテ、ソノ最高ノ使徒伝来ノ権威ニヨッテ全教会ノ信仰ト道徳ニツイテノ教義ヲ決定スル時、聖ペテロニ約束シタ神ノ助力ニヨッテ、不可謬性ヲ持ツコトヲ望ンダノデアル。ソノタメ、教皇ノ定義ハ、教会ノ同意ニヨッテデハナク、ソレ自体デ、改正デキナイモノデアル。ワレワレノコノ定義ニ反スル者ハ排斥サレル。神ノ加護ニヨッテ、反対スル者ガナイヨウニ祈ルモノデアル」、と述べている。この場合、「教皇へと選ばれた人間が……無謬性を所有している」のではなく、その人間が、「教会の牧者および教師として」、「使徒的権威を用いつつ」、「職務」として「信仰と道徳について語り、決断を下す限り」において、「ペテロの人格の中で約束された神の助けに基づいて」いるという、その教会の組織性(共同性)の後光の下で、「無謬性」を持つのである、それゆえにそういう仕方で「最後決定的」な「決断」権者は、「教皇自身である」。啓示と同一である教会が、「啓示を教える先端」性、第一義性、であるということができるためには、「ペテロの首位権およびローマ教皇首位権についての教説」を必要とするのである。また「教皇の無謬性」に根拠づけられた「司教団の無謬性」も必要とするのである。そしてまた、そのような啓示と同一の教会には、「天と地が触れ合い、神と人間、キリストから聞かれた言葉とキリストを信じる信仰の中で語られた言葉が<直接的>にひとつ……である場所と人間が存在している」ことを必要とするのである。カトリック教会は、「近代の社会および国家権力」等の「あらゆる種類の外的および内的な、敵対的および中立的な権力に対して」、「ピウス九世および」ヴァチカン公会議で宣言された「教皇主義」を置いた。マルクスの言うように、観念の共同的形態である政治的近代国家・自由主義国家における信教の自由という観念的な法的政治的解放は、観念の共同性を本質とする共同「宗教からの現実的な人間の解放」・社会的現実的な人間の解放ではなく、共同宗教からの国家の解放でしかなかった。これに対して、バルトは次のように述べている――「すべての近代国家はとっくの昔、宗教的な中立性の原則に立つことを明言し、事実その上に立っていた……。そのようなわけで」、カトリック教会における国家権力に対する教皇主義の対置は、カトリック教会の側からする国家権力に対する中立性という意味では「正しいことではなかったろうか」、と。しかし、教皇主義は、内なる政治および政治的権力・国家権力の過渡的課題や究極的課題を認識し自覚し持っていないから、それは、観念の共同性を本質とする新たな権力の構成であり、その最初から必然的に、信仰・神学・教会の宣教における党派主義的な「誤謬と虚偽」の循環を惹き起こすのである。しかし、この「一度占められた反キリスト的な場所の内部では」、「誤謬と虚偽」の中で、「霊的な仕方で考え、霊的な仕方で行動する術を心得ていた」のである。言い換えれば、カトリック教会は、プロテスタント陣営も同じであるが、次のような立場をとらなかった――「教会の存在と現状が、……福音から考え・行動し・処理されているということを語っていないならば、教会の説教も福音宣教も虚しいものとなるであろう。教会みずからが、……その行為と態度によって、自己の内なる政治をこの使信に合わせてゆくこと(≪教会政治、教皇主義、を含めて政治的権力を無化していくこと≫)を全然考えないとしたならば、どうして世は、王とその御国の使信を信ずるであろうか」(バルト『キリスト者共同体と市民共同体』)。「(中略)キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪あらゆる種類の政治的権力・国家権力≫)のともがらと成ることができようか (『教義学要綱カール・バルト著作集10』)。神の側の真実としてのみある客観的なイエス・キリストの名、イエス・キリストにおける<完了>された救済・平和、にのみ信頼し固執したバルトは、その<完了>された救済・平和の場所において、あらゆる種類の政治的権力・国家権力の問題を、過渡的問題(そうした組織・共同性を、国家を、どこまでも、大多数の被支配の側に開いていく課題)として捉えると同時に、究極的永続的課題としてはあらゆる種類の政治的権力・国家権力の無化(信仰・神学・教会の宣教の問題で言えば、神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在としてある、イエス・キリストにおける<完了>された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和、このことを国家論・革命論の問題で言えば、観念の共同性の頂点にあるその観念の共同性を本質とする政治的国家の無化を伴う人間の社会的現実的な究極的総体的永続的解放)を構造化させているのである。すなわち、バルトは、終末、キリストの再臨、救贖・完成においては、あらゆる種類の政治的権力・国家権力も無化されてしまうという観点を持っているのである。
 いずれにしても、カトリック主義においては、新プロテスタント主義もそうであるが、神と人間、客観的な「啓示の実在」そのものと人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰、啓示の「概念の実在」、との混淆・混合が行われることになる。すなわち、そこにおいては、神と人間との無限の質的差異、聖性・隠蔽性・秘義性を本質とする神の不把握性、終末論的限界、を人間的・教会的必要から棄揚し否定してしまうと同時に、客観的な啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」(不可避的なキリスト教に固有な類・歴史性)の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯することが放棄されてしまうのである。したがって、カトリック主義、新プロテスタント主義においては、「教会が語るところ、そこでは信者たちは邪道に導かれる余地がない」というようなことはあり得ないのであって、逆に、そのような「教会が語るところ、そこでは」、偶像崇拝が、「誤謬の精神」の「荒れ狂」いと「邪道」が、あるのである。現在、そのような事態が、現存する、カトリックの側においてだけでなく、プロテスタントの側においても、裸形化しているであろう。すべてとは言わないが、すなわち2,3割の教会はそういう事態から免れている教会があると思うのだが、現存する教会・教団の現状を垣間見る時、そのことを実感できるであろう。
 バルトは、『啓示・教会・神学』で次のように述べている――教会は、(≪啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、聖霊の証しの力、神のその都度の恵みの決断による客観的な啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく啓示認識・啓示信仰の授与、それ自身が聖霊の業である啓示の主観的可能性としての「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯することを通して≫)人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うこと(≪神の側の真実としてのみある、それゆえに客観的現実性・客観的実在である、主格的属格としての「イエスの信仰」、インマヌエルの出来事、イエス・キリストにおける<完了>された全人間・全世界・全人類の根本的包括的総体的永遠的な救済・平和≫)を聞くというこの一事によって、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」・「(≪したがって、そうでない場合は≫)、どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」。

 

 さて、「ヴァチカンの教義」である「カトリック的啓示論」に対して、「新プロテスタント的教会観と教会のあり方を含めて非カトリック的近代的教養世界」・「近代的人間の自己意識と歴史意識」が、根本的包括的に原理的に批判して抵抗することは、「不可能であったし、不可能」である。なぜならば、そこでは、人間の対自的で対他的な自由な自己意識の類的活動・「人間の自己運動を神のそれと取り違えるという混淆」が行われ、神自身においてのみ「実在であり真理」であるその「神の自由を認識しない事態」が惹き起こされるからである、「キリストの永遠のまことの神性の告白」に信頼し固執しない事態が惹き起こされるからである、いつも人間精神を問題とするから聖書においても「啓示を問おうとしない」で「神話を問う」ことをする事態が惹き起こされるからである、「一般的な歴史性」を含んではいるが史実史ではない歴史物語・古譚としての聖書における啓示は人間の「歴史の枠にはめ込まれてしまうような歴史的出来事」ではないにもかかわらず、現存する読み手の「眼前存在」・現前性は「近代的な世界像、人間像」にあるから「神話的世界像と神話的人間像」という「神話形式のままでは、新約聖書の言表」、すなわちその「語られた内容の表現」は理解できないがゆえに、それは「非神話化されなければならない」と主張する事態が惹き起こされるからである(『ヘーゲル』、『教会教義学 神の言葉』論、『ルドルフ・ブルトマン』)。因みにバルトは、前期ハイデッガーの哲学原理に第一次的に依拠したブルトマンに対して、次のように批判している――「聖書註解者」は、「だれに対して」、「誠実と真実をささげるべきなのか?」・「責任的応答をなすべき」なのか? 「同時代の人たちの思考の前提に対してか?」・「そこから形成された理解の規準に対してか?」――否である。私たちは、十字架につけられ、復活したイエス・キリストにおける私たちの「実存という場所」において、私たちの「信仰より以前にも、信仰なしでも、……不信仰に抗して」も、私たちのために「生きて、われわれを支配」し、私たちを「愛し給う」イエス・キリストを、「認識し、持つことができることを示すということ以外の何が問題となるのだろうか?」、と。また、「新約聖書の釈義に役立つ新しい哲学的な鍵」を前期ハイデッガーの哲学原理に見出したブルトマンに対してハイデッガー自身が、次のような根本的包括的な原理的な揶揄し批判を加えている――(ブルトマン・その学派に対して)「『今日まさにこのマールブルクでは、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりは『むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』、『いわゆる(≪人間の自由な内面の無限性・自己意識の類的活動において人間自身が対象化した≫)存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか』」(木田元『ハイデッガーの思想』)。ブルトマンは、「新約聖書の釈義に役立つ新しい哲学的な鍵」を、前期ハイデッガーの哲学原理に見出したのであるが、そのブルトマンの場合、その存在、その現前性、その被制作性、その被企投性、その言語、そのシンボル体系、その不可避な類・歴史性の第一次性を自覚した、すなわち人間中心主義的な人間的現実存在(思索者・詩作者)の自由なその思考、その現存性、その時間化(差異化)と存在了解、その企投性の限界性を自覚した後期ハイデッガーの転回によって、言い換えれば、個と類・歴史性と現存性が出会う出来事・「存在の生起の出来事」を自覚した後期ハイデッガーの転回によって、バルト自身も述べているように、ハイデッガー自身によって足をすくわれてしまったのである。このことは、ブルトマンのそれが自然時空に死語化したことを意味するのである。したがって、もしもブルトマン神学(その学派)が延命でき得ているとすれば、それは、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会の神学」においてのみなのである。したがっまた、時代状況が全く許さないヘーゲル主義的なモルトマンの神学的三段階的進歩史観も、もし延命でき得ているとすれば、それは、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会の神学」においてのみなのである(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)。このような訳で、バルトは、次のように述べている――「一八七〇年……以後の時代において」、「神の言葉の三形態」の関係と構造・秩序性に信頼し固執し連帯することができた教会は、「宗教改革的聖書原理に対する……忠実さに関してよき良心を持っていた福音主義的教会」(「神の言葉の三形態」の第三の形態)、「預言者および使徒たちの証言に合わせて方向づけられた教会」、預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」(「神の言葉の三形態」の第二の形態)に方向づけられた教会(「神の言葉の三形態」の第三の形態)、だけであった。このように、教会の主・頭であるイエス・キリスト(「神の言葉の三形態」の第一の形態、神の言葉、客観的な「啓示の実在」そのもの)に聞くことによって、具体的には聖書(「神の言葉の三形態」の第二の形態、預言者および使徒たちのイエス・キリストについての「言葉、証言、宣教、説教」、啓示の「概念の実在」)に聞くことによって、絶えず繰り返し、教会となることによって教会であろうとする、教会(「神の言葉の三形態」の第三の形態)だけが、「自分自身を啓示と同一視している教皇教会」としてのカトリック主義またシュライエルマッハーやブルトマンやモルトマンやベルトールト・クラッパートやルドルフ・ボーレンやエーバーハルト・ユンゲルや滝沢克己や北森嘉蔵や大木英夫等々近代主義的プロテスタント主義全体に対して、その信仰・神学・教会の宣教に対して、根本的包括的な原理的な批判をなすことができるし、そこから超え出て行くことができるのである。聖書に信頼し固執し連帯して、バルトが、「聖霊は、人間精神と同一ではない」・「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」・聖霊によって更新された人間理性も聖霊ではない(『教義学要綱』)、と言う時、バルトは、「人間自身の中で同一であると同時に最高の真理と同一である普遍的な人間理性」というヘーゲルの哲学原理を、根本的包括的に原理的に止揚してそこから超え出ているのである、自己還帰する思惟過程における、思惟に思惟を重ねて具体的普遍の頂へと高次化する思惟は、自然から超出した精神であり、そしてその頂を極めた「精神は、また精神自体として神と全く同一」であるというヘーゲルの哲学原理を、根本的包括的に原理的に止揚してそこから超え出ているのである。また、前述した「宗教改革的聖書原理に対する……忠実さに関してよき良心を持っていた福音主義的教会」(「神の言葉の三形態」の第三の形態)だけが、教皇主義(「ローマ的啓示組織体の絶対主義」)と同じように「無謬性の教説」を前提とした「近代的な自然科学および歴史学の経験主義」(歴史的科学的な実証主義)の主張に対して、根本的包括的な原理的な批判を構成できたのである――例えば、@「聖書の中で物語られているもろもろの歴史」は、史実史や神話ではなく、「ただ、(一人、あるいは何人かの)物語者が物語られた歴史に対して、多かれ少なかれ(主観を交えて脚色しており、そういう意味で)干渉し、関与する」という「歴史物語あるいは古譚の要素を持ったもの」である。A「中立的な観察者」として「聖書の中に証しされている啓示の『史実的な(historisch)』確かさを問う問い」は、「聖書にとっては全く縁遠いもの」であり、「聖書の証言の対象にとって」異質なものである。しかし、その聖書的証言に対して、それを「聞くもの、見る者、信じる者」である「非中立的な観察者」にとっては、啓示・聖書・教会の宣教の中に「同時に啓示の秘義があったし、あり続けた」。したがって、その非中立的な観察者だけが、聖書の中の歴史について、「史実的」には「全く何も確かめられない」ということ知らされたし、「啓示の出来事にとって重要でないものだけ」・「啓示とは別の何かだけ」しか確認できないということを知らされた。B史実的に正しい内容が重要なのではなく、重要なことは、聖書が、「シリアの総督のクレニオ」と「聖降誕の出来事」、「ポンテオ・ピラト」と使徒信条というように、神の啓示に対してその都度ごとに、一つの年代的・時間的と地誌的・空間的・地域的との限定性において、「出来事として起こったもろもろの歴史(Gschichten)」について語っているという点にある。C聖書の中の歴史は歴史物語あるいは古譚であって、そのような「神と人間との間に起こったもろもろの歴史」は、「神的な側面」からは、常に、人間が人間的に所有する人間の一般的な歴史認識・概念の、彼岸・外、にあるものである。したがって、聖書証言の報知における歴史(Gschichte)・「特殊な歴史〔的出来事〕」については、いかなる「『史実的な(historisch)』判断」認識・概念もあり得ない。D聖書の中の歴史である歴史物語あるいは古譚は、すなわち『和解論』における「原歴史」あるいは「史実以前の歴史」は、無空間的無時間的な神話ではない。なぜならば、「神話が事実として報告していること」は、「少なくとも潜在的に存在している根源的なそして自然的な結びつきとの関係の中に立っている」ところの、「思弁の前形式」として、自然生に依拠した世界史のアフリカ的縄文的段階においては世界普遍的に起こり得た出来事であって、世界史的に人類史的に「決して一回的な出来事ではなく、繰り返され得る出来事」だからである、というように。さらに、啓示(「啓示の実在」そのもの)と伝承(人間が人間的に所有する人間の啓示の「概念の実在」)、啓示(「神の言葉の三形態」の第一の形態)と教会(「神の言葉の三形態」の第三の形態)、神と人間、神学と「近代的な自然科学および歴史学の経験主義」、との混淆・混合を目指す人間学的神学的なあるいは神学的人間学的な信仰・神学・教会の宣教に対しては、人間学的にも、根本的包括的な原理的な批判を構成できるのである。神話乃至古代史の研究の在り方や史的イエスの問題について論じている思想家・吉本は、次のように述べている――「(中略)ぼくは、マタイ伝の象徴している思想内容にくらべたら、史実性はあまり問題にならない……。(中略)日本でいえば荒井献さんでもいいし、田川健三さんでもいいんですが、歴史的イエスをどこまで限定できるかとか、できないとか、そういう立証のしかたや歴史観があるわけでしょう。ぼくはいまでもそれほどの重要性があるとはおもってないんです。それからそれがほんとうに、そういうふうに実証できているともおもえないところがあります」(『信の構造2―全キリスト教論集成』)・「神話にはいろいろな解釈の仕方があります。比較神話学のように、他の周辺地域の神話との共通点や相違点をくらべていく考え方もありますし、神話なるものはすべて古代における祭式祭儀というものの物語化であるという考え方もあります。また神話のこの部分は歴史的<事実>であり、この部分はでっち上げであるというより分け方というやり方もあります。そのどの方法をとっている場合でも、この説がいいということは、いまのところ残念ながら断定できません。プロ野球で三割の打率があれば相当の打者だということになるのと同じように、神話乃至古代史の研究において、打率三割ならばまったく優秀な研究者であるとわたしはおもっています。じぶんでそれ以上の打率があるとおもっているやつはバカだとかんがえたほうがいいとおもいます」(『南島論』)・「……<奇蹟>(中略)たとえば、お前は癒された、立てといったら癩患者が立ち上がった……。これは自分流(≪文芸批評あるいは思想≫)の言葉でいえば、比喩なんです。比喩の言葉というのは、あるばあいにはストレートな真実の言葉よりもっと真実を語るということがありうるわけで、これを実在論に還元してしまうと、田川健三はそうだとおもいますが、こんなのでたらめじゃないか、こういういいかげんなことを書いてる本だという以外にないわけです。しかし言葉としての聖書というのは、信仰の書として読んでも、文学書として読んでも、あるいは思想の書として読んでも、どんな読み方をしょうと人間をのめり込ませる力があるとすれば、これは叡知じゃないとこういうことは言えないという言葉が、そのなかに散らばっているからです。たとえばイエスが、『鶏が三度なく前に私を否むだろう』と言うと、ペテロはそのとおりなっちゃったみたいなエピソードをとっても、人間の<悪>というのが徹底的にわかっていないとだめだし、心というのがわかっていないとだめだし、同時にこれはすごい言葉なんだというのがなければ、やっぱり感ずるということはないとおもうんです」(『<非知>へ――<信>の構造 対話編』「吉本× 末次 滝沢克己をめぐって」)。また、もう一人の思想家・フーコーは、「形而上史学的な歴史の科学」とは異なる評価の方法について次のように述べている――「ダーウィンの進化論の主要な構成は、遺伝学によって完全なかたちで裏付けられることになりましたが、彼はその進化論において鍵となるいくつかの概念を、今日では批判され捨て去られている科学的領域から引き出しました。(≪しかし、そのことは≫)、全く重大なことではないのです」 (『ミシェル・フーコーとの対話』)。(193−224頁)