本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

バルトの生涯――東西問題とブルトマン問題と『教会教義学 和解論』問題の間で

エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づく

 

東西問題とブルトマン問題と『教会教義学 和解論』問題の間で
――1946年〜1955年(471−576頁)――
(あくまでも、理解しやすくするために、かつての論述との重複があります)

 

(1)はじめに
 1946年、バルトは、バーゼル大学学長の職の要請を断って、夏学期だけという限定においてではあったが、ドイツ再建に尽力するために、バーゼル市教育局から有給休暇を与えられて、「客員教授」としてボンに帰ることになった。なぜならば、世界大戦後のバルトは、世界的な包括的課題を担うために、@『教会教義学』の完成を目指すこと、A「ドイツにおけr諸般の問題に対する……直接の協力や、他の諸国においても時折要求される協力を、個々の具体的な機会のみに制限」すること、B食糧等の物質面でも援助の努力をすること、という道を選んだからであ(472・473・478頁)。
 さて、バルトは、西ドイツ初代連邦首相のコンラート・アデナウアーとの話し合いにおいて、彼に対して、「<キリスト教民主党>の結成はよくないと強く警告した」。なぜならば、バルトは、「教会と政治課題との間には不可避の関係がある」が、教会が「自由な、なにものにも依存しない言葉」を宣べ伝えるために、その政治的「課題をキリスト教政党を結成するという方法で解決すべきではない」、と考えていたいたからである(474・480頁)――「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪一切の政治的権力・政治的国家・政治的支配≫)のともがらと成ることができようか」 (『教義学要綱』)。バルトは、第一戒の厳守と神性を本質とするイエス・キリストに対する信頼と固執、ということを原理としていた。そこにおいてしか、全人間・全世界・全人類のほんとうの自由やほんとうの救済と平和はない、と考えていた。
 したがって、バルトは、自分自身の・教会の生き生活し宣教する場所において、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没した」という体験思想を介して、教会の宣教における原則を、次の点に置いた。教会は、
@「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということ」がなされないままに、礼拝改革・社会的政治的実践・キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、「何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考える」べきではない、
A宣教の規準を、聖書と同時に、「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは「哲学、道徳、政治」等におくべきではない、
B「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとすべきではない、
Cある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとするべきではない、という点に置いた(『教会教義学 神の言葉』)。
 また、バルトは、神学的実存の原則を、次の点に置いた。
@「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」るべきではなくて、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリスト」に、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」べきである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)、
A「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」――すなわち、「国家は支配であり、文化は支配」であるから、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言」うべきでない(『啓示・教会・神学』)、という点に置いた。

 

 バルトは、大戦後のヨーロッパの状況認識の一つを、東西陣営からの「深刻な脅威」に取り囲まれたただ中にある、という点に置いた。この状況認識において、バルトは、『キリスト者共同体と市民共同体』の講演において、「国家は、『教会の外にあるが、イエス・キリストの支配圏の外にあるのではない』」・このキリストは、「両者を支配する主であり給う」から、両者は「その起源をも、中心をも共有する」、すなわち両者はその起源・中心を、キリストに置くべきである・したがって、「自然法による国家の基礎づけをも、この世界の『自律性』の教説をも排除」すべきである・したがってまた、「教会の政治的無関心にも、またこの世との名誉ある連帯以外でのキリスト者の政治的行動にも、さらにまた、キリスト者の主である方の法廷以外のいかなる場所における彼らの政治上の決断にも反対」すべきである・それゆえに、「キリスト者は政治面では、『……キリスト教信仰に関しては匿名で』登場すべき」であって、「キリスト教政党といったものを結成して登場すべきではない」、ということを述べた(479・480頁)。

 

 5月17日からはじまった夏学期において、バルトは、「教義学の本質と目的」を「話し始める」ために『教義学要綱』について講義した。バルトの教会教義学を「よく知っている人は、この講義の中に『ほとんどまったく新しい素材を見出す』ことはできなかった」。このことは、当然なことで、『ローマ書』、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』、『福音と律法』を経由し、『教会教義学 神の言葉』においてバルトは、自らの信仰・神学・教会の宣教の、その原理、その認識方法と概念構成、その体系――もちろん、体系とはいっても、終末論的限界の下での「途上の神学」におけるそれである――を形成していたからである。バルトは、この講義において「生涯……はじめて」、「一語一語しっかりと吟味した原稿を持たずに講義をした」。このバルトは、「(≪私は≫)ただストレートに学問的な教師であろうとすることは不可能」であったし・「私は、決してそういう教師ではなかったし、またそれ故にそういう地位にはまったく〔適して〕いませんでした」、と述べている。また、バルトは、「この講義の中心のテーゼの一つは、……『ただひとりの主がいます。この主は、世界の主なるイエス・キリストである』……ユダヤ人イエス」である、という点にある。さらにまた、バルトは、「キリスト教信仰が、人間を分裂させ、違った人たちを差別しようとするなら、それは恐ろしいことであろう。キリスト教信仰は、まさに人間を一つにし、結び合わせることのできるもっとも強力な原動力である」、と述べている(476・477頁)。
 バルト、「すべての大学社会の神学、何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの神学」者、それに類する牧師や著述家ではなかった(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)。バルトは、彼以外の神学者やそれに類する牧師や著述家とは全く違って、一切の近代主義・<自然神学>を根本的包括的に止揚して超克しようとした、神学における思想家であった。また、バルトは、信と不信、知と非知、キリスト者(教)と非キリスト者(教)とを架橋し、前者を、現にあるがままの後者に対して、完全に開こうとした。このバルトとよく似た神学における思想家に、「いかなる人間もほかの者に教えることができないことを教えることができ、また繰り返し教えるであろうことを信頼していた客観的な根拠」・「信仰の対象そのものの客観的根拠」――すなわち、イエス・キリストにおける啓示の出来事(啓示の客観的実在・啓示の客観的現実性)の「力強さ(≪啓示に固有な証明能力≫)を念頭において」、「非キリスト者をキリスト者として、不信者を信者として語りかけ」、「信者と不信者の間の深淵を超え」出て、「彼が自分を不信者たちに対して不信者たちと同類の者としておき、不信者たちを自分と同類の者として受けとる」ことができた、往還思想をもったカンタベリーのアンセルムスがいた。バルト自身、その神学の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体に、教義学的知識の頂から、再びその還相過程において意識的に、「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実的生活」(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)・「貧しい、低きにいる民」(『説教の本質と実際』)にまで下降していく、という往還思想を持っていた。その往還思想においてバルトは、「心を頑固にし福音を認めない人間」や「異教徒」に対して、「恵みから語り、恵みについて語るという以外のこと」をなすことはできない、と述べた。すなわち、私たちがそうした人々に呼びかけることができるのは、@「私がその人をその中に置くことによってではなく」、A神性を本質とするイエス・キリストが「すでにその人をその中に(≪イエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済・平和、啓示の客観的実在、啓示の客観的現実性の中に≫)置いてい給うことによってである」・私たちは、「キリストにあるものとしての人間のために、努力し得るにすぎない」、とバルトは語った(『証人としてのキリスト者』)。バルトにとって、イエス・キリストにおいては、近代におけるように個と共同性は逆立し対立するのではなく、正立し平和なのである。それだけではなく、神性を本質とするイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)、全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているのである(『カール・バルト教会教義学 和解論T/1 和解論の対象と問題』)。

 

 さて、ドイツ人たちは、シュトゥットガルト罪責告白にもかかわらず、1946年から47年にかけて「諸教会が『教会の根本的再建』の労苦を担」わずに、「罪責を認めようとしない態度と結びついた」「十六世紀の博物館」か「中世の博物館」(現在では、身近な日本で言えば、ルドルフ・ボーレン主義者の、中世的思考に退行しほんとうは人間学の後追い知識でしかない神学の人間学に対する優位性を主張する小泉健や佐藤司郎がそうであろう、また権威としての天皇・天皇制とその権威と権力の分離による国体・国家を目指す国家主義者の佐藤優がそうであろう、そしてまた、状況認識も思想的課題も認識し自覚せずに靖国参拝する国家主義者の冨岡幸一郎がそうであろう)への「復古主義に身をゆだね」はじめていたことに対して、バルトは非常に「残念に思った」(483頁)。したがって、バルトは、1948年、「六〇〇万人のユダヤ人が殺され……ありとあらゆる恐怖と困窮が人間を襲い、しかもすべてはちょうど風が……花の上を吹くように来て、また去って行った。……草や花はしばらく身を曲げる。しかし風が静まれば、また身を起こす。……ある近代劇(≪近代以降の、神と人間・神学と人間学との混淆論・共働論に信頼し固執した<自然神学>的な神学者・牧師・著述家たち、また教会の宣教≫)が『私たちはまた逃げおおせた』という言葉でこれを言い直しているように」、と書いた。また、バルトは、『バルト自伝』で、第二次世界大戦後において、「私は教会のなかに、破滅に急ぎつつあった一九三三年当時と同じ構造、党派、支配的傾向を見出した」・「公然たる信条主義や教権主義、およびいろいろ賑やかな姿で現われている典礼主義への興味によってよびおこされた関心」を見出した・「私は、前よりももっと明瞭に……キリスト者こそ!……がもともと頑なであり、容易に悔改めに導かれえないということを認識した」、とも述べている。

 

 1947年、バルトは、『聖書の権威と意義』について講演し、神の言葉の三形態における「唯一無比」の啓示の実在そのものであるイエス・キリストの証言・証しである聖書こそが、教会の宣教の原理であり、「教会にとってもこの世にとっても基準」であるから、「エキュメニカルな一致は、このように規定された聖書の権威が有効性をもっているか否かによって、真のものであるか、幻想であるかがきまる」、というエキュメニカル運動に対する自分の立場について述べた。人間の「寛容の精神」や党派的多元主義は、決して「エキュメニカルな一致」の根拠・原理とはなり得ない(485頁)。
 このことを前提として、バルトは、『教会――活ける主イエス・キリストの活ける会衆』において、「『会衆の集いの出来事』として考える教会理解から、『……教会の<上なる権威>の概念の全体を……解体し、……すべてを会衆を基礎として再構築』」した。このことは、『啓示・教会・神学』に即して言えば、
@教会は、(≪イエス・キリストの啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて≫)人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うこと(≪主格的属格としての「イエスの信仰」におけるインマヌエルの出来事≫)を聞くというこの一事によって、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このことが起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」。
Aしたがって、そうでない場合は、「どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」。
、というように言うことができる。

 

 さて、バルトは、夏学期に、決して「『改革派正統主義』を弁護するためではなく」、『ハイデルベルク教理問答書』の講義を行った。その講義内容は、@福音は「人間の<所有>となった死せる宝」ではない、福音は、「あらゆる神学」が「人間から離れ、キリストを指し示す奉仕を行うことのみを願っている。そしてそれが行われるところでのみ、教会は生きる」、Aキリスト教的思惟は、「聖書に基づいているのと同様に、『(≪改革派の≫)父祖たち』にも……結びついている」、Bその改革派の父祖たちの「『普遍プロテスタント的認識は、今日のドイツの神学と教会に起こっている最も憂慮すべき……教派主義(≪党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義≫)』に対抗する手段となりうる」、というものであった。このことは、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、次のように言うことができる。すなわち、信仰・神学・教会の宣教は、あくまでも神の言葉は、三位一体論の唯一の類比としての神の言葉の実在の出来事である「神の言葉の三形態」――すなわち、人間に向かって語られる神の自己啓示であるイエス・キリストにおける啓示の出来事と、また「聖書」の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)においてあるのであるから、その不可避性に規定されて、その信仰・神学・教会の宣教に、時代性や個性を刻んでいく以外にない、ということである。
 また、バルトは、「キリスト教の啓示の特殊性は、それが生の危急にかかわる、肯定的な、絶対的な、すべての人間にかかわる出来事」ということについても述べているが、それは、主格的属格としての「イエスの信仰」(イエス・キリストの死と復活、インマヌエルの出来事)――すなわち、イエス・キリストにおける完了された救済・平和(史)の出来事、ということである。ここで、現在的課題を扱うこと・緊急的相対的部分的過渡的に現在を止揚することは、キリストの復活を想起すること・そのキリストの復活=「成就された時間」の前の過去を想起することであると同時に、キリストの再臨(終末、救贖・完成)を待望することでもある。(487・488頁)

 

 1948年、バルトが直面した問題は二つあり、第一には、ブルトマンの非神話化の問題であり、第二には東西対立における教会の宣教の問題あった。
 バルトがブルトマンに「疑念を抱いた」点は、彼の「『新約聖書本文の解釈の規準』として用いた『<実存主義的>図式』に対してであった」。したがって、バルトは、「ブルトマンに対して教会政治上の処分を行うこと」に対しては反対した。すなわち、神学における問題(根本的包括的に一切の近代主義・<自然神学>を止揚して超克する問題)は、教会政治的処分によっては根本的包括的に止揚することはできないから、近代主義的自然神学的なブルトマン神学に対してはその神学を、「よりよい神学を持って」――すなわち、自らの信仰・神学・教会の宣教の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体において、単純にしかし根本的にそして包括的に止揚して、そこから「超」自然な神学へと超出すべだ、と考えそう主張したのである。バルトは、神学に対しては神学で、思想に対しては思想で、という原則を貫徹したのである。また、バルトの聖書釈義の方法は、「歴史的前提や歴史的結果からのみ解明しうるという『一つの方法の強制』を拒否する」点にあった。(491・492・494頁)
 バルトの根本的包括的なブルトマン批判は、すでに、彼の『ルドルフ・ブルトマン』に即して述べたので、ここでは省略する。ただ付言すべきことがあるとすれば、ブルトマン(その学派)における根本的包括的な問題は、@彼らが「新約聖書の釈義に役立つ新しい哲学的な鍵」を、前期ハイデッガーの哲学原理に見出し、それを第一次化して神学の構成を行ったのであるが、「『今日まさにこのマールブルクでは、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりは『むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』、『いわゆる存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか』」(木田元『ハイデッガーの思想』)、というハデッガー自身による正当性のある根本的な揶揄・批判に対して、その神学の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体で、何も答え得なかった、という点に見出すことができる。A言い換えれば、彼らの神学は、人間学の後追い知識としての、人間学と神学との混淆・共働に基づく非自立的で中途半端な人間学的神学でしかなかった、という点に見出すことができる。Bしたがって、彼らの神学は、人間学の「新しく特定の哲学にとらわれて、エジプト捕囚ないしバビロン捕囚の身になっている」、という点に見出すことができる。Cまた、彼らの神学は、往還思想なき、ただ単なる、学問的神学でしかなかった、という点に見出すことができる。Dしたがって、ブルトマンの「容易に修得しえない」「先行的理解と言語〔表現〕」という、往相的一面的に知識過程を上昇をしていくだけの信仰・神学・教会の宣教は、近代主義的なキリスト教的「教養人」には受け入れ可能であっても、その現にあるがままの不信や非知や非キリスト者(教)や一般大衆に対しては全く閉じられていく以外にない、という点に見出すことができる。、

 

(2)1948年、バルトは、邦訳『教会教義学 創造論U/3』を書きあげた。ブッシュは、このバルトの『教会教義学 創造論』について、次のように述べている――すなわち、「キリスト論的基礎づけの上に立って」、@「人間論はキリスト論ではないが、『人間イエスは、啓示する神の言葉であるから……神によって造られた人間存在についてのわれわれの認識の源泉である』」。A神学以外の人間学的な「諸科学は、……個々の『人間的なものの現象』を認識することはできるしそれ自体の真理性もあるのであるが、『真の人間』そのものを認識することはできない」・「真の人間」は、「イエス・キリストにおいて、はじめて認識可能となる」・その「真の人間」は、「造られた人間そのものでも、また彼の被造物としての存在に反抗して罪を犯す人間でもなく」、「神の恵みにあずかっている罪人のことである」、と述べている(492・493・495頁)。

 

 これらのことは、『教会教義学 神の言葉』と『福音と律法』においては、次のように言うことができる。
ア)神性を本質とするイエス・キリストが、私たち人間に対して、聖書および教会の宣教を通して「同時的となる時と所」・「『神われらと共に』が神ご自身によってわれわれに語られるところ」においては、「われわれは神の支配のもとに入る」ことを認識し承認し確認することができる。したがって、その時、私たちは、「世、歴史、社会を、その中でキリストが生まれ、死に、甦られたところの世、歴史、社会」として認識し承認し確認する。すなわち、その時、私たちは、「自然の光の中でではなく、恵みの光の中で、それ自身で閉じられ、かくまわれた世俗性は存在せず、ただ神の言葉、福音、神の要求、判定、祝福によって問いに付され、ただ暫時的にだけ、ただ限界の中でだけ、それ自身の法則性とそれ自身の神々に委ねられた世俗性があるだけである」ことを認識し承認し確認することができる(『神の言葉』)。したがってまた、このイエス・キリストにおける啓示の場所こそが、一切の近代<主義>・<自然神学>的な信仰・神学・教会の宣教における福音が、「理念へと、有神論的形而上学へと、われわれに管理されるプログラムへと」・「鋭さをなくした」「十字架象徴論へと」・「イエス・キリストはたかだか<暗号>にすぎ」ない「神秘主義へと変わって行く」(カール・バルト『ヨブ』ゴルヴィッツアー編)ことが見渡せる場所である。言い換えれば、私たち人間の、その類・歴史性と個・現存性の生誕から死までのすべてを見渡せ、また「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所は、神自身の自己啓示――すなわち、神自身の自己認識・自己理解・自己規定である、神性を本質とするまことの神でありまことの人間であるイエス・キリストにおける啓示の場所だけである。このイエス・キリストにおける啓示の場所においてのみ、私たち人間は、その啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて初めて人間が人間的に所有する人間の啓示認識(インマヌエルの啓示認識)と、またその啓示認識に依拠した信仰の類比・関係の類比を通して初めて、本来的な「神に対する人間的反抗」・「罪深い堕落した人間」・そのような人間の「世」を、その現にあるがままに自己認識・自己理解・自己規定することができる。また、この啓示の場所において、万物に質量(重さ)を与える根元であるヒッグス粒子の概念(人間の言語によって対象化された自然・非有機的身体・人間的自然)も、「正直に受け取ることができる」。このことは、ヒッグス粒子が発見されても、宇宙の謎の90何%以上が未解明のままであると言われているからではなく、たとえ宇宙(自然)の謎が100%解明されそれが人間の対象性として人間的自然となったとしても、それはあくまでも人間の言語によって対象化された宇宙・自然であって、神そのもの、啓示の実在そのものではないのである。

 

イ)なぜか?――それは、神の自己啓示であるイエス・キリストにおける啓示の出来事(啓示の客観的実在・啓示の客観的現実性)、神の自己認識・自己理解・自己規定である啓示の真理、永遠・超歴史・啓示の時間・救済史は、常に、人間が人間的に所有する人間の啓示認識、人間の自己認識・自己理解・自己規定、人間の時間・歴史の、彼岸・外にあるからであり、あり続けるからである。このことは、啓示自体から与えられた、私たち人間における「終末論的限界」を意味している。またこのことは、まことの神は「隠蔽性・秘義性」を本質としており、その神に対して人間の理性は「全く闇に閉ざされ」た「盲目」性を本質としている、という「神の不把握性」を意味している。この神の不把握性は、神の「存在の本質」である単一性・神性・永遠性についての「信仰命題」であり、一般的真理ではなく、啓示の真理・信仰の真理である。したがって、これらの認識は、神性を本質とするイエス・キリストの出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づいて初めて人間が人間的に所有することができる人間の啓示認識であり、その啓示認識に依拠した信仰の類比・関係の類比を通して初めて得られる人間の自己認識・自己理解・自己規定である(『神の言葉』)。

 

 バルトは、「存在するものそのもの」・「その純然たる造られた存在」に依拠したアウグスティヌスの「造ラレタモノヲトオシテ、知解サレタ創造主ヲ認識シテ、私タチハ三位一体ナル神ヲ知解スルヨウニシナケレバナラナイ、ソノ跡ハフサワシイカタチデ被造物ノウチニ顕レテイルノデアル」という語り方に対して、根本的な批判を加えている。すなわち、そのような三位一体の跡は、「世界に対して超越する創造神の跡」として理解することはできない。それは、人間の自己意識によって対象化されたただ単なる人間自身の自己認識・自己理解・自己規定、すなわち人間自身の感覚や知識を内容とする経験的普遍(存在の類比)を通した「内在的に理解」された人間学的な「宇宙の諸規定」・「現実存在の諸規定」・「単なる宇宙論や人間論」でしかない。したがって、そのような三位一体論は、人間自身に基づく「人間の世界理解の、最後的には人間の自己理解」・自己認識・自己規定・「神話」、すなわち「啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力に信頼しない」<自然神学>的な神の人間化・人間の神化、神学の人間学化・人間学の神学化、人間学的・哲学的・宗教学的神学でしかない次元のものである。したがって、バルトは、「神学をただ啓示の中にのみ基礎づけ」るために、聖書に依拠した信仰・神学・教会の宣教は、「罪深い曲がった人間」の「究極的な限界性」・終末論的限界を自覚した人間の言語を前提として、「三位一体を、世界から説明しようと欲」しないで、むしろ逆に、「世界を三位一体から説明せんと欲」する、と述べた。「啓示は例証されようとせず、解釈されることを欲する」。「解釈する」とは、「別の言葉で同一のことを言うこと」である(『神の言葉』)。したがって、バルトが、『バルトとの対話』において、「神はご自身との共同性の中に生きてい給う。そして神は人間との共同性の中に生きてい給う。そして人間は他人との共同性の中で生きている。共同性ということが、人間が神に似ていることの根拠だ」と語る時、それは、「父ト子ヨリ入ズル御霊」・聖霊において、父と子(神的対関係)は、愛に基づく完全な共存的な関係・交わり(神的共同性)にあるという啓示認識に依拠した信仰の類比・関係の類比を通して得られた人間の自己認識・自己理解・自己規定、ということなのである。

 

(3)1948年、哲学者カール・ヤスパースがバーゼル大学の同僚として加わる。1958年のバルトのヤスパース宛ての手紙にはこうある――ヤスパースの教室は2階の最も大きな「第二講義室」であった。それに対して、バルトの教室はその真下の「少し小さい……第一講義室」であった。『学部の争い』(カント)は以前からあったが、どちらが優位かなどという争いは「傍観者(≪ボーレン、小泉、佐藤≫)たちの争い」であって、バルトとヤスパースは、両者とも、学説の根本的な相違および神と人間との無限の質的差異が「聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」(『ローマ書』)ということを認識し自覚していた(497・498頁)。

 

(4)1948年、バルトは、アムステルダムで開催された第一回世界教会協議会における「四冊の大会準備パンフレットに対する彼の態度表明」を含めた主題講演の招請を契機に、状況が強いる政治的な東西問題への取り組みだけでなく、ほんとうは、信仰・神学・教会の宣教の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体について――すなわち、<自然神学>的なそれであるのか、あるいはその<自然神学>を根本的包括的に止揚した「超」自然な神学のそれであるのかについて、「本質的に考え」るべき課題であったところの「合同促進運動(エキュメニカル運動)」にかかわらざるを得なくなった。その招請は、1月にあったのだが、エキュメニカル運動に対して「懐疑的で」「さまざまな面で批判的発言をしてきた」バルトは、「最初……拒絶の意向を示した」。しかし、その「心は変わ」って、エキュメニカル運動を不可避的な課題として認識し自覚したバルトは、『世界の無秩序と神の救済計画』というテーマで講演を行った(506頁)。
ア)この講演の主調音は、「先ず神の救済計画について語った後に、初めて世界の混乱について語るべきだ」という点にあった。このことは、聖書の証言・証しに依拠したバルトの方法としてのそれであって、「旧約(≪「神の裁きの啓示」・律法≫)から新約(≪「神の恵みの啓示」・福音≫)へのキリストの十字架でもって終わる古い世」・「まことの過去」は、キリストの十字架でもって終わるのであって、それゆえにキリストの復活によって「古い世」は根本的包括的に止揚され「克服」されて「新しい世」・「まことの未来」がはじまるのであるが、そのキリストによる勝利の行為は、「敗北者もまた依然としてそこにいる(≪世界の無秩序・世界の混乱も依然としてそこにある≫)ところの勝利の行為」・出来事である、ということを意味している(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、「キリスト教界はこの世の危急を人間的な仕方で描き出したり、人間的に批判したりする」だけであるならば、その危急を人間的に「克服するための人間的な計画を立て、処置」するだけに終わってしまうことになる。大会準備のパンフレットには、「神自身のみが完遂することができ、神がまったく御一人で完遂しようとしておられることを」、人間の「われわれが、キリスト者として、教会人として神に代わって実行しなければならない」、とあった。このことに対して、当然にも、バルトは批判した(507頁)。なぜならば、この場合、<必然的>に、「実に神の名において、神の呼びかけのもと」に、<自然神学>的な神だけでなく人間も・人間の自主性や自己主張も、という人間による恣意的独断的な「神への反逆」が行われるからである(E・トゥルナイゼン『ドストエフスキー』)――「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪彼自身の自己意識によって対象化された彼の管理するプログラム≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかった」(バルト『啓示・教会・神学』)。バルトは、「われわれは、この悪い世界を善い世界に転換させる者とはなり得ない」・なぜならば、「神は世界に対する主権をわれわれに譲り渡さなかった」からである。したがって、「われわれは、この世界の政治的、社会的無秩序のただ中にあって、神の証人となること、……がわれわれに求められていることのすべてである」、と述べた(507頁)。
 前述の事柄を認識し自覚していない場合、「イエスの信仰」を目的格的属格として理解しているのであって、それゆえにその場合、常に自分を信の立場において恣意的独断的に思惟し・発言することになる。その場合、例えば「平和に関するバルトの書簡」(寺園訳)について、ただ往相的一方通行的な信の上昇過程の場所から、諸民族は「イエスキリストを信ずる信仰へと呼びかけられている」のであるから、諸民族をその希望である「イエス・キリストを信ずる信仰へと呼び出す」ところに、キリスト者とキリスト教会の責務がある、と理解してしまうことになる。だから、橋爪に、正当性のある語り方で「『信仰の立場』を後ろに隠して、どこか押しつけがましく」、「上から目線で教えをたれる」と言われてしまうのである。ほんとうは、その書簡を書いたバルト自身は、すべてのキリスト者とすべてのキリスト教会を含めて、諸民族は「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」にのみ信頼し固執するように「呼びかけられている」のであるから、キリスト者やキリスト教会や諸民族は、徹頭徹尾全面的に、天然自然や一切の人間的自然に左右されない、全人間・全世界・全人類の救済・平和の希望である神性を本質とするイエス・キリストにのみ信頼し固執していいのだ、と宣べ伝えるところにキリスト者とキリスト教会の責務がある、ということを述べているのである。

 

イ)バルトは、アムステルダム世界教会協議会に参加後、「教会とその一致の問題」を扱った分科会で、神学の学科として「教義学」・「信条学」と並んで「教会一致運動論というべきもの」が必要である、と述べたという(508頁)。バルトの場合は、この後者の言葉だけを拡大鏡にかけて論じてはいけないので、次のような本質的な課題について認識し自覚している必要がある。そうしないと、恣意的独断的一面的皮相的な「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「すべての大学社会の神学」者やそれに類する牧師やメディア的著述家にある根本的な誤謬と迷妄性の陥穽に陥ってしまうことになる。そういう知識人の知識やメディア情報をそのまま鵜呑みにしたり模倣したりしない方がいいのである。バルト自身の終末論的限界の下でのエキュメニカル運動の観点・原理は、次の点にある。
@「キリスト中心主義の観点こそ」が、キリストの<神性>性の観点こそが、一切の近代主義・「あらゆる『自然神学』に対抗」し得る神学における思想的武器である。この観点こそが、教会教義学の「創造に関する第三分冊を書くことを可能としたものである」(516頁)。

 

A邦訳『和解論 T/4』において、1950年の冬学期バルトは、カトリックのフォン・バルタザールと同様に、「皆、さまざまなやり方で、さまざまな強調点をおいて、神学と、またエキュメニカルな相互理解のあらゆる試み」が「信仰の創始者また完成者」・「『信仰の導き手であり、またその完成者』(ヘブル書12・2)である中心」イエス・キリストに、「まったく新しい目を……向けようとしていると思われた」、と書いている。また、1964年、学生たちとの対話で、「教皇の不可謬」について語り合った時、フォン・バルタザールが「教皇のことを話すのはもう止めて、イエス・キリストについて話しましょう」と言ったのに対して、バルトは、「それなら私たちは同意見だ」と答えた(525頁)。

 

Bバルトは、カトリックのフォン・バルタザールが『教会教義学』において「追求されたイエス・キリストへの集中とそこに含まれているキリスト教的現実概念への集中に関する事柄を」、「力強く理解している」と考えていたのであるが、その彼がバルトの「キリスト中心主義を……承認しただけでなく、同時に(≪そのことを≫)『キリスト論的狭隘化』と呼んで批判した」時、バルトは、「それ以来彼に対してもまた保留をつけざるをえな」くなった。なぜならば、バルトにとって「合同促進運動(エキュメニカル運動)」は、旧態依然とした<自然神学>の系譜に属するそれでしかないのか、あるいはその<自然神学>を根本的包括的に止揚して、そこから超出していくものであるのか、という「「本質的に考え、取り組まなければならな」い課題としてあったからである(506頁)。したがって、バルトは、「さまざまな視点に立つ永遠の調停」に「長い時間付き合っていると、……ひどく疲労」した(562頁)。
 「寛容の精神」、それによる党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義を許容し合う一致、折衷主義的一致、そうした一致は、人間の恣意的独断的な私意・私利によってすぐ崩壊してしまうものであって、全く駄目な在り方である。そのことは、ここに登場するフォン・バルタザールを見ても分かる、「ドイツのルター派の人々」を見ても分かる(518・519頁)。したがって、バルトの場合もそうなのであるが、吉本が述べているように、「対立する双方に真理があるというような俗説が、世界史的に流布され、流通している」中で、自らの立場において、両者を包括し「止揚しなければならないということが思想的な問題」である、という認識と自覚と立場と方法を必要とするのである(『どこに思想の根拠をおくか』「思想の基準をめぐって」)。バルト自身は、(≪私たちは神性を本質とするイエス・キリストにおける啓示、この≫)一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派(≪党派性・党派思想・党派的共同性・党派的多元主義・学派・教派・思想傾向・特定の社会的政治的な言説や運動≫)に仕えなければならないことはない……、一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」、と述べている(『教会教義学 神の言葉』)。恣意的独断的曲解的に「<キリスト一元主義>というあてこするの言葉・合言葉で」バルトを「非難」する者たち(516頁)がいたのであるが、そうした者たちは、世界思想とはどういう次元のものであるのかということを、全く認識し自覚していない者たちなのである。

 

Cバルトは、キリスト教界内部に閉じられていく思考方法をとっていない。バルトは、聖書の証言・証しに基づく「イエスの信仰」の主格的属格理解、その神性を本質とするイエス・キリストへの集中において、そしてその事柄を根拠・原理として、信仰・神学・教会の宣教のその認識方法と概念構成それ自体において、信仰・知識(神学)・キリスト者(教)と不信・非知・非キリスト者(教)とを架橋し、前者を、その現にあるがままの後者に対して、完全に開いたのである。バルトにとって、神性を本質とするイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)、全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれているのである」(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 「和解論の対象と問題」)。

 

(5)1948年の夏学期には、ドイツ行きをやめて、共産主義政権の支配下にあるハンガリーの改革派教会の招待で、ハンガリー旅行に出かけた(501頁)。このことで、バルトは、不可避的に、東西問題とかかわらざるを得なくなった(503・506頁)。
 エミール・ブルンナーは公開書簡の形で、バルトを容共<主義>者だと誤解して、「かつてナチズムに対してやったように、『それと同じ仕方で共産主義に反対し、信仰告白を貫くように呼びかけない』のはなぜかと問いかけた」。それに対して、バルトは、「精神的自覚のない、容易な原則<主義>」を拒絶すると答えた。なぜならば、それは、今日西側において、「ボルシェヴィズムは、かつてのナチの褐色シャツの脅威の下」で、「大きい危険があったような形」で、ロシア・マルクス<主義>を「神格化する」という危険性はほとんどない、とバルトの状況認識に基づいていた(504頁)。このことは、バルトが、東西イデオロギー・権力も、ナチズムも、全体主義も、スターリニズムも、修正資本主義も、現在で言えば新自由主義も、国家を第一義(価値)とする国家社会主義であって、そのような政治的権力・支配は一切駄目だと理解していたことを意味している。その証拠に、バルトは、「われわれが最も激しく非難する全体的、非人間的強制にしても、遠い昔から西方の自称自由社会や自由国家にもほかの形で出没したことはなかったであろうか」、と述べているからである(『バルト自伝』)。それだけではない。バルトは、『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』において、「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」――この証拠を、私たちは、西側の立場から、バルトに対して、西か東かと「啓蒙の恐喝」(フーコー)を行った「幼稚な反共主義者」であるキリスト教的政治屋ラインホルド・ニーバーにおいて知っている。また、バルトは、「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・「国家は支配であり、文化は支配」である・したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」、と述べている(『啓示・教会・神学』)。バルトは、第一戒の厳守とイエス・キリストにおける救済・平和の福音にのみ信頼し固執するということで、「1949年2月にベルリンで行った講演の後、……『東と西の間の第三の道』」を支持した(541・542頁)。すなわち、バルトは、東と西のイデオロギー・権力から、徹頭徹尾、対象的になって距離をとって対応した。したがってまた、私たちは、大多数の被支配としての民衆を主人公とするために、そしてその幸福とその人たちの家族や親族や友人を死に追いやる戦争廃絶のために、<社会>を第一義とする過渡的な国家論および究極的な国家無化の課題を考え構想しなければならないし・「平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」。しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない」。なぜならば、「平和主義」は、「すべての主義のように」、「一つの絶対主義」であって、「われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない」からである。したがって、「われわれは(≪支配権力の暴挙と抑圧から人間の自由、世界の自由、人類の自由を守るために、その≫)最後の手段のために、(≪民族国家・近代政治的国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」のである(『バルトとの対話』)。

 

 バルトは、次のように述べている――「私は、共産主義に対するあらゆる不安には賛成できません。ある国民が、良心を失っておらず、その民主主義的な社会生活がしっかりできているならば、共産主義に対していかなる不安をもつ必要はありません。ましてイエス・キリストの福音を確信している教会は、まったくなんの不安もないはずです」・「東と西というブロックの形成は、権力抗争、イデオロギー抗争に基づいており、教会がそのどちらかに加担しなければならないという理由はまったくない」・「現代のイエス・キリストの教会の歩む道」は、その全き自由の下での、「もう一つの別の、第三の、それ自身の道」でなければならない、と(504・505頁)。1954年8月、バルトは、フロマートカに対して、「西側にある教会も、東側にある教会も……両側の体制派指導者の間にあって、この狭い道を求めつづけ、そして見つけなければならないのです」と述べた(571頁)。また、バルトは、「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」するべきである・「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」べきである、というようにも述べた(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。

 

(6)バルトは、「『教会教義学 V/3』の「虚無」に関する節の「モーツアルトに関する特別補注」に、次のように書いた――「モーツアルトに比べるなら、バッハもまた洗礼者ヨハネにすぎ」ない。「バッハとバルトを隔てたのは、バッハのあまりに意図的で、あまりに技巧的な『宣教しようという態度』であった。他方、モーツアルトは、このようなわざとらしさから解放された、純粋な遊びの姿勢でバルトを引きつけた」(514頁)。それは、復活のキリスト・「成就された時間」に対する信頼と固執の姿勢、ということであろう。
 また、バルトは、「非神話化の問題の浪が大きくうねり始めた」1949年夏、邦訳『創造論V/1』の「結論部分において、(中略)天使を『神の純粋な証人』だと説明した」(517頁)。
 そしてまた、バルトは、『ヒューマニズム』において、「福音においても、もちろん人間(≪人間の危急≫)が中心的問題である。しかしながら、福音から、人間について、人間のために(人間に反しても!)そして人間に向かって語るべきことは、さまざまなヒューマニズムが終わるところから始まる。われわれは、……すべてのヒューマニズムを福音によって理解することができ、さらにすすんで肯定し、承認することができる……。しかし、われわれは福音からすれば、最終的にはあらゆるヒューマニズムに反対しなければならない」、と述べている(520頁)。このバルトの発言は、このように考えない場合、人は、すぐに<自然神学>的な感じ方・考え方・行動の仕方に埋没していく以外にない、ということを述べているのである。したがって、バルトは、教会の宣教的意志・教義学的意志について、@「危険なことはわれわれがある哲学を学んで、それから神学の勉強を始め、そしてわれわれの頭にある哲学の法則に従わせようとすることだ。われわれは哲学を一つの道具として用いることはできる。しかし、もしヘーゲルやハイデッガーあるいはアリストテレスを絶対化するならば、聖書を聞き損なうことになる」(『バルトとの対話』)、A「人は、また全く別なもろもろの啓示概念、おそらくは普遍的な啓示概念、を問うことができる」が、その場合、「人は教義学の課題を、手をつけずに放置しておくことになる」、Bそれゆえに、「われわれは聖書および宣教によれば、イエス・キリストの父であり、イエス・キリスト自身であり、この父と子の霊であるところの神、その神の啓示の概念」、すなわち聖書の証言・証しおよび教会の宣教の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)と連帯し取り組まなければならない、というように述べたのである(『教会教義学 神の言葉』)。
 また、バルトは、例えば、究極的な平和を希求し語る場合も、神性を本質とするイエス・キリストにおける救済・平和(史)から語るのである。したがって、バルトは、人間的な過渡的・緊急的・相対的・意志的努力は必要だとしても、終末論的限界において、その人間的試みが成功するとは少しも考えていないように語るのである。バルトは「神の人間性」において、人間自身の「素晴らしさ」を語るのであるが、人間の感情・理性・意志・実存・構想等を含めた人間的自然や人間的能力や人間的試みの根本的包括的究極的な限界性をも語るのである。また、「神の人間性」という概念と、その「神の人間性」から与えられた人間の人間性との無限の質的差異についても語るのである。すなわち、人間における労働や性・夫婦・家族や理性や感情や意志や実存や言語が対象化した文明や文化等の人間的自然(人間の人間性)の一切は、「神の人間性」ではないということを語るのである。すなわち、バルトは、「神の人間性」について語ったのであるが、彼においてその人間性は、「人間によって考え出され、人間の実践によって確証されるような人間性が考えられているのではなくて」――すなわち、<自然神学>的な人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍・存在の類比によって規定されたそれが考えられているのではなくて、「むしろ、(≪その神の人間性において、≫)あらゆる人間の権利とあらゆる人間の尊厳の源泉であり規範である、人間に対する神の友愛が考えられているのである」(519・520頁)。

 

 1950年、バルトは、マルティン・ブーバーの講演を聞いて、ユダヤ人との根本的な差異と「対話の難しさ」を知らされる。すなわち、バルトにとっては、律法は福音を内容とする福音の形式(「イエスの信仰」の主格的属格としてのイエス・キリストにのみ信頼し固執せよ、という神の要求)――「メシアは既に到来した、律法は既に成就された、道徳は単に感謝の行為である」――であったが、ブーバーにとっては、「旧約聖書の半分」・「その怒りの雷雲の中に隠れていますヤハウェだけが、非常に印象深く語」られる、ということを知らされた(522・523頁)。

 

 1951年、バルトは、通常の授業に専念するために、バーゼル大学の学長の職を「再び辞退した」。したがって、「パウロのヨーロッパ到着一九〇〇年記念祝典のためのアテネへの招待」も断った。そして、『教会教義学』の仕事の続行に「集中しようとした」(527・529頁)。また、毎回の教義学の「講義のほとんど一五分前まで、テキストの検討と訂正に追われ」た。しかし、バルトも、人間であるから、そして人には「睡眠」や「リクリエーション」も必要であるから、彼は、「特に、必ずしも私がいなくてもよいと思えるような」場合等は、「その時間を自分のために利用」した(530頁)。このバルトの『教会教義学』の展開と成立は、キルシュバウムによれば、「手探りと再構成による数え切れない、そして倦むことのない動きを伴った絶えざる集中の結果」による、ということである(531頁)。また、自然的生理的な老いの過程がそうさせるのか、意識的そうなのか、その同在としてそうなのか、バルトは、「<喜んで論争に>加わったが、「肯定的発言、積極的な発言、建設的な発言」に重点・中心を置くようになった。そしてまた、バルトは、『教会教義学』の全体は、「静止的な諸概念においてではなく、ただ力動的な諸概念においてのみ描き出し得るような一つの事柄の運動(≪イエス・キリストにおける出来事であるインマヌエルの神の言葉の運動≫)の叙述だと理解」した(532頁)。このバルトは、読者に、「単に読まれるだけでなく、……理解される」ことを期待した。それは、賛成されるためではない。なぜならば、批判は、単純にしかし根本的にそして包括的になされる必要があるからである。そうでなければ、その批判は、「積極的な発言、建設的な発言」とはならないからである――「われわれは、互いに賛成し合い、拍手喝采し合うために存在しているわけではない。<バルト主義者>というものが存在するとしても、私自身はそれには属さない。われわれは、……教会において……独立独行で……われわれの道を進むために、存在するのである。まさにそのために互いに理解し合わなければならない」のである(533頁)。

 

(7)ブッシュは、バルトの『教会教義学 創造論』における「倫理学」についてほんの少しだけ述べているが(興味関心のある方は、533・534頁参照)、この「倫理学」を根本的包括的に理解するためには、次の点についての認識と自覚が必要である。まず、この「倫理学」は、一切の近代主義・<自然神学>の系譜に属さないところの――それを根本的包括的に止揚したところの「神学的倫理学」の叙述であり、『福音と律法』および『教会教義学 神の言葉』の内容の言い換えであり詳論である、という認識と自覚が必要である。バルトにとって、教会の客観的な信仰告白と教義である三位一体論の根拠としての神の啓示は、旧約聖書におけるヤハウェ・新約聖書における神(テオス)あるいは主(キュリオス)自身の自己啓示のことであり、聖書また教会の宣教においてその神は、イエス・キリストの父、子としてのイエス・キリスト自身、父と子の霊である聖霊であり、このような三位一体の神として自己啓示する。この啓示が教会の宣教の客観的な信仰告白と教義である三位一体論の根拠である。この三位一体論は、神論の決定的に重要な構成要素であり、「啓示の認識原理」である。したがって、一切の近代主義・<自然神学>の系譜に属さないところの「神学的倫理学」は、三位一体論――キリスト論に基づいたそれとしてのみ成立できる。このようなバルトの『教会教義学 創造論』における「神学的倫理学」の根本的包括的な詳論は、後日、<補注>という形で整理してみたい。

 

(8)バルトは、1951年の夏学期から、『教会教義学』の主要課題である『和解論』の講義――ここで、彼は、「<インマヌエル>の書き換えという形」で、「全体への序論と、そして同時に全体の概観」を述べた――を開始した。バルトは、最初「契約論」とした方がいいのではないかと考えたが、そのままにした。この『和解論』は、カルヴァンの「祭司的、王的、預言者的」なキリストの「三職」理論に基づいて、「祭司」――キリスト論、「王」――救済論、「預言者」――聖霊論、また「祭司的、王的」職――キリストの「卑下と高挙」・「真の神と真の人間」(「福音と律法の真理性」としてのキリストの死・祭司的職、と、「福音と律法の現実性」としてのキリストの復活・「成就された時間」・王的職、「預言者的」職――「二つの状態および……本性の統一」(キリストの復活・「成就された時間」と終末、「完成」・救贖の間の聖霊の時代)そのものである「父ト子ヨリ出ズル御霊」・「聖霊の注ぎ」、として展開される構図になっている(535頁)。『教会教義学 神の言葉』における、三位一体の根本命題に即して理解すれば、聖霊なる神は、「三度目」に、父と子の二つの存在の仕方から生じる「一つの存在の仕方」である。しかし、この聖霊の存在の仕方は、父と子の啓示に対する「特別な第二の啓示」ではない。聖霊は、「父なる神と子なる神の愛の霊」である。ここに、聖霊の「起源」がある。この聖霊において、父と子(<神的対関係>)は、愛に基づく完全な共存的な関係・交わり(<神的共同性>)においてある。すなわち、聖霊は、その「交わり」の中で、「父は子の父」・「言葉の語り手」であり、「子は父の子」・「語り手の言葉」であるところの「行為」・性質・働きとしての神の第三の「存在の仕方」である。ここに、神は愛・愛は神であることの根拠がある。「愛は神にとって、最高の法則であり、最後的な実在」である。愛は、自由がそうであったように、神自身においてのみ「実在であり真理」である。この聖霊は、単一性・神性・永遠性を本質とする三度目の最後的な「存在の仕方」として、神にとって最高の法則・愛であって、その愛に基づく父の「存在の仕方」と子の「存在の仕方」の交わり・関係であり、神と人間との交わりの根拠である。

 

 したがって、『神学者カール・バルト』の訳者である蘇が、その「訳者あとがき」で、その時系列的判断に依拠して、「バルトが『聖霊』を口にする場合、それは『教会教義学』の第四巻(殊に第三部)以来ますます載然と、排他的にイエス・キリスト自身の霊的臨在またはその力をさし、したがって自然神学へのブルンナー的遡行(またはヘーゲル的哲学化)を許す『父の霊』は考えられていない」と恣意的独断的断定的に述べているのであるが、そのようなことはバルト神学においてはあり得ないことなのである。聖霊論を含めて神と人間との無限の質的差異の一貫性においてその神学の認識方法および概念構成を行っているバルトの場合、「父ト子トヨリ出ズル御霊」としての「父の霊」に対して排他的にならなくても、「自然神学へのブルンナー的遡行(またはヘーゲル的哲学化)」を防ぐことはできるのである。啓示の弁証法を持たない形而上学的神学者・蘇には、そのことが理解できないのである。また、バルトの三位一体論における神の「存在の本質」の概念から言えば、蘇の言う「父の霊」への「排他」性は本質的に成立しないのであって、バルトの「キリスト自身の霊的臨在」の強調は、『和解論』がイエス・キリストの「存在の仕方」に関わる事柄だからであり、その場合バルトは、神性を本質とするイエス・キリストの「存在の仕方」に重点を置いて論じているだけなのである。このような蘇の根本的な誤謬は、バルト論において、総体的な誤謬をもたらすものとなるのである。ちょうど、「われわれは『天にいる神』をほんとうに信じていませんが、ほんとに信じていないことを口にしてはいけないというのが、キリスト教信仰の第一の前提です」、と言い切った佐藤優のように。このような者たちが、それがたとえ神学者であろうと、牧師であろうと、メディア的著述家であろうと、(バルト主義者としてではなく)バルト者として、バルトを単純に、しかし根本的に、そして包括的に論じられるわけはないのである。

 

 「『和解論』の内容は、(≪新約聖書において聞く啓示、和解、イエス・キリストの死と復活の出来事の啓示、インマヌエルそのものである≫)イエス・キリストを認識することである」。イエス・キリストは、「(一)真の神、つまり自分自身を卑下する神、したがって和解を与える神である」。また、「(二)真の人間、つまり神によって高挙され、和解を与えられた人間であり」・「両者の統一として、(三)われわれの和解の保証人であり、証人である」。この認識には、「人間の罪、すなわち、(1)その高慢、(2)その怠慢、(3)その虚偽(≪これらのことは、『福音と律法』においては、一切の近代主義・<自然神学>的な、神に対する人間の自主性・自己主張の欲求、すなわち無神性として総括されている≫)」、さらに、「人間の和解が成就される出来事の認識、すなわち、(1)人間の義認、(2)人間の聖化、(3)人間の召命と……聖霊の業の認識(イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく人間が人間的に所有する人間の啓示認識、すなわち啓示信仰、和解・啓示の主観的主体的現実化という認識)」、言い換えれば、「(1)教会の集い、(2)教会の建設、(3)教会の派遣」、そして、「イエス・キリストにおいて客観的に起こった和解の主体的実現は、まず第一に教団において、イエス・キリストの聖霊の業として遂行され」、「信仰」・「愛」・「希望」としての「イエス・キリストにおけるキリスト者の存在」、という認識が包括されている(536頁)。
 人間の罪は、神に対する人間の自主性・自己主張の欲求、無神性――すなわち、「神の恩寵」にのみ信頼し固執しない「神の恩寵」に対する拒否・反抗にあるから、「罪論は和解論に直接的に組み入れられ」、「そのあとに置かれるべきだ」、とバルトは考えた。この論理展開はバルトに一貫しているものであって、『福音と律法』も同じである(535・536頁、邦訳『教会教義学 和解論 T/1』)。また、バルトは、「救いの認識」を、一面的固定的に「義認から(ルター主義)」・「聖化から(敬虔主義)」・「召命から(アングロ・サクソン系教会)」のみ考えず、それらを主格的属格としての「イエスの信仰」という<キリスト論>的集中において包括的に考えた。ブッシュが、「バルトは、義認においては単に人間が義認されるだけでなく、神もまた自分自身を義認する」、と述べているのであるが、正確には神性を本質とする「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」の成就であり、そのことによってはじめて私たちは義認されるのであるから、私たちが義とされるためには、神の義そのものであるイエス・キリストに固執する以外にはない、ということである。したがって、神は、私たちに、その福音の内容に固執せよ、という要求(神の戒め、「要求・決断・審判」としての律法)を与えるのである。しかし、その神は、その神の要求にも聴従しようとしない人間の自主性・自己主張・無神性・<真実の罪>に出会うのである。したがって、この真実の罪を究極的包括的総体的永遠的に克服した事柄が、バルトの言う「福音と律法の現実性」(イエス・キリストにおける啓示の客観的現実性)なのである。このことについては、かつて既に述べているの省略する。

 

 さて、前述したバルトの「救いの認識」は「エキュメニカルな神学を建てようとした」(537頁)ということだ、とブッシュは述べているのであるが、バルトの場合はそれだけではないのであって、ほんとうは、バルトのエキュメニカルな在り方は、そのようなキリスト教界に限定しただけのものではなく、その信仰・神学・教会の宣教の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体で、信と不信、知と非知、キリスト者(教)と非キリスト者(教)とを架橋し、信・知(神学)・キリスト者(教)を、その現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)に対して、全人間・全世界・全人類に対して、完全に開いていくことを目指しているのである――何度も書くことになるのであるが、神性を本質とするイエス・キリストにおける「『神われらと共に』という言葉」・「キリスト教使信の中心」は、教会共同性・教団共同性のような「狭い共同体」(キリスト教界)から「その事実をまだ知らぬ」「すべての他の人々」「広い共同体」に向かっての運動において、その現にあるがままの不信・非キリスト者・非知、全人間・全世界・全人類に対して完全に開かれている、ということなのである(『カール・バルト教会教義学 和解論 T/1 和解論の対象と問題』)。そしてまた、バルトは、「一面的な十字架の神学に対しては、『復活の朝を迎えたあとには、いかなる逆戻りもあり得ない』」、と述べた(538頁)。キリストの復活・「成就された時間」の「あと」は、聖霊の時代として、「新しい世のはじまり」であって、それゆえに、その和解・啓示の場所においては、完全な敗北者である「われわれ人間の失われた非本来的な古い時間」は、「本来的な実在としてのイエス・キリストの新しい時間」・「成就された時間」・キリストの復活における究極的包括的総体的永遠的な「神の勝利」によって止揚され・克服されて「そこにある」し、またその勝利の行為は、終末、完成・救贖までは「敗北者もまた依然としてそこにいるところの勝利の行為である」、ということなのである(『教会教義学 神の言葉』)――「私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>ということである)」(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。(≪「私たちの召命・義認・聖化」≫)そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」(『福音と律法』)。

 

 バルトにとっては、神学の核心的対象は、主格的属格としてのイエス・キリストのみである。したがって、その神学が、この対象の認識に「失敗するならば、全体が失敗」であると考えた。したがってまた、バルトは、「少なくともここで正しい道を歩んでいれば、全体もまた、そう簡単に間違っているとはいえない」と考えた(538・539頁、邦訳『和解論 T/1』)。こう考えたバルトは、「ヨハネ福音書1・14が、あらゆる神学の中心であり、主題であり、もともと神学の全体の簡潔な表現」である、と述べた(539頁)。言い換えれば、「知恵と知識の宝は、すべて、キリストの内に隠」されている(コロサイ書2・3)のであるから、あらゆる神学の「中心」・「主題」は、啓示に固有な証明能力、啓示の出来事と信仰の出来事、三位一体論の唯一の啓示の類比である「神の言葉の三形態」に信頼し固執した、神性を本質とする、神の第二の存在の仕方(行為・働き・性質)であるイエス・キリスト(神の言葉、神の子、和解・啓示の実在そのもの)の認識・キリスト論的集中の認識にあるのである。一方でバルトは、隠蔽性・聖性を本質とする神の不把握性と人間の終末論的限界の認識と自覚の下で、「私は、いかなるキリスト論の原理も、キリスト論の方法をも持っていません。むしろ私は、……キリスト論の教理にではなく、イエス・キリスト自身(彼ハ生キ、治メ、勝利スル)(≪その神の言葉の出来事の運動≫)に焦点を向けていこうと努めているのです」、という言葉も持っているのである。すなわち、三位一体論――「キリスト論的神学の問題」は、バルトにとって、「先ず第一に命がけの問題」、すなわち神の不把握性と終末論的限界の下での「教会の頭である」イエス・キリストと「神学との対決の問題」である(539頁)。このことは、具体的には、神の言葉は三位一体論の唯一の類比としての神の言葉の実在の出来事である「神の言葉の三形態」、すなわち人間に向かって語られる神の自己啓示である啓示の実在そのものであるイエス・キリスト(啓示の客観的実在、啓示の客観的現実性)と、また「聖書」の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)においてあるから、またそれは啓示に固有な証明能力において授与されるものであるから、すなわちその啓示認識・啓示信仰はその都度の神の自由な決断による啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて授与されるものであるから、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求め」(『啓示・教会・神学』)るということ、また一方で、その信仰・神学に、個性や時代性を刻んでいくということ、を意味しているのである。

 

 バルトが『和解論』の仕事に取り組んでいた時、さまざまな「解釈と批判的評価」がなされた。そのさまざまな「解釈と批判的評価」は、近代主義・<自然神学>的なそれとして総括できる(539・540頁)。そうした中で、バルトは、「イエス・キリストへの集中という点に向けられた批判だけを重大なものとして受けとめた」。例えば、フォン・バルタザールが『カール・バルト』で「キリスト論的狭隘」とバルトを批判したこと――すなわち、<自然神学>的に「キリスト自身の他に、キリストの歴史の聖なる反復」が必要であるとバルトを批判したことに対して、バルトは、唯一無比なる「イエス・キリストの存在と行為はいかなる反復をも必要としない。彼は彼自身の真理と力によって現臨し、活動する」、と根本的包括的な反批判を行った。なぜならば、もしそうでないならば、「イエス・キリストは……キリスト教信仰の対象と起源であることを止めてしまう」からである。ボンヘッファーの「獄中書簡(『抵抗と信従』)……に現われた『啓示実証主義』という用語は、その後さまざまに変化しながらバルト批判に用いられた」(540頁)。ベルトールト・クラッパートもこの「啓示実証主義」という言葉を使ってバルトを批判したパンネンベルクを、『バルト=ボンヘッファーの線で』において紹介している――クラッパートは、パンネンベルクが、バルトの神学的前提である「啓示実証主義」は、「極めて主観的な経験に基づく啓示の主観的要求」であり、「啓示の主観主義」であると批判していることを報告している。この批判を、喜田川信の『歴史を導く神――バルトとモルトマン』におけるパンネンベルク論を絡めて考えれば、次のように言うことができるであろう。
@まず以て私たちは、この「啓示実証主義」者バルトという概念等が、バルト自身の言葉・言説・「頭に存在したものではなくて」、あくまでもバルトについての「評論」を「書いたりした人々の頭のなかにのみ存在していた」悪意ある造語である、ということを知っておく必要がある(『バルト自伝』)。近代以降における宗教は、部分でしかない科学を全体とする科学主義(絶対主義)にある。恣意的独断的なパンネンベルクは、人間にとって部分でしかない理性を全体とする立場から、イエス・キリストの復活を理性的合理的に歴史的現実として根拠づけるために、言語を介して人間によって対象化された後期ユダヤ教の黙示文学の復活信仰伝承の歴史性とイエス・キリストの復活伝承を第一次的なものとして持ち出すのである。パンネンベルクにおける、その伝承は対象化された人間の理性・思惟であり、その「伝承の連鎖」はその人間の理性・思惟によって対象化された伝承の歴史性であるのであるが、パンネンベルクはそれらを第一次的なものとして持ち出すのである。この歴史認識の方法においてパンネンベルクは、バルトに対して、バルトは「啓示の主観主義」だ、と悪意ある恣意的独断的皮相的な批判をしたのである。しかし、パンネンベルクの神学のその原理、その認識方法と概念構成は、まさしくフォイエルバッハの宗教批判の対象そのものであり、ハイデッガーの揶揄・批判した「存在者レベルでの神への信仰」そのものの次元に過ぎないものなのである。それに対して、バルトは、キリストの復活を、隠蔽性・聖性を本質とする神の不把握性、人間の終末論的限界性、の下で、啓示に固有な証明能力、啓示の出来事と信仰の出来事、三位一体論の唯一の啓示の類比である「神の言葉の三形態」に信頼し固執した、神性を本質とする神の第二の存在の仕方(行為・働き・性質)であるイエス・キリスト(神の言葉、神の子、和解・啓示の実在そのもの)の認識・キリスト論的集中に基づいて認識しているのである。フォイエルバッハやハイデッガーの正当性のある根本的な批判を、バルトは、その神学の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体において、根本的包括的に止揚して、その批判を超えているのである。このことがパンネンベルクには理解できないのである。パンネンベルクのバルト批判が恣意的独断的皮相的であるのは、バルトの「超」自然な神学のその原理、その認識方法と概念構成それ自体を単純に根本的に包括的に止揚していないからである。したがって、<自然神学>的なパンネンベルク自身が、「啓示の主観的要求」・「啓示の主観主義」という自分自身の言葉によって復讐されなければならないのである。

 

Aパンネンベルクは、「〔道端の〕石さえも語るのであるから」、直接的に「人間が神について語るというのはまったく自明のことなのである」・「他の諸宗教をフォイエルバッハ流に説明し、キリスト教は例外だとするようなやり口の(バルトの)戦術」は、「結局のところキリスト教神学それ自身を台無しにしてしまう」・「無神論的宗教批判との対決は、人間論のレベルと哲学的論証によって為されなければならない」、と述べたこともクラッパートは報告している。私は、この質の悪い恣意的独断的皮相的な悪意に満ちた批判しかできない神学者のパンネンベルクにただ呆れ驚くばかりであった。その理由は、―第一に、バルトは、「他の諸宗教をフォイエルバッハ流に」に説明してはいない、という点にある。すなわち、バルトは、他の諸宗教を対象としているのではなくて、フォイエルバッハの宗教批判の対象そのもの・ハイデッガーの揶揄・批判した「存在者レベルでの神への信仰」そのものである一切の近代主義・<自然神学>的な信仰や神学や教会の宣教にある根本的包括的な問題を論じているのである。第二に、バルトは、キリスト論的に一致しているか一致していないかという「異端」性の問題は、他人事ではなく、全キリスト教・全キリスト者の「信仰の〔一つの〕可能性」として存在しているということ、「教会の外の可能性ではなく、……教会の内部での可能性」として存在していることを語っている、という点にある。第三に、バルトは、キリスト教における啓示認識の根拠・起源・第一次性は、「教会の存在」・「教会がなす行為の基礎」・「教会の主」・「教会の頭」である神性を本質とするイエス・キリストであるということを語っている、という点にある。第四に、バルトは、神の側の真実である主格的属格としての「イエスの信仰」(啓示の客観的実在、啓示の客観的現実性)にのみ信頼し固執する神学の往還思想において、信と不信、知(神学)と非知、キリスト者(教)と非キリスト者(教)とを架橋し、その枠組みを取り除いた場所で、その現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)に対して、その信・知・キリスト者(教)を完全に開いて語っているのである。したがって、バルトの場合は、パンネンベルクのように声高に「無神論的宗教批判との対決は、人間論のレベルと哲学的論証によって為さ」なければならないと言わなくてもいいのである。これらのことを理解できず、神学における往還思想だけでなく人間学的領域においても往還思想を持たないパンネンベルクが、「人間論のレベルと哲学的論証によって」根本的包括的に無神論的宗教批判と対決できるわけがないのである。

 

(9)東西対立問題において、先述したように「第三の道」を目指していたバルトは、両者に・「東側の道と西側の道とに対抗する」道を歩むことを意味していた。こうしたバルトは、1950年、「アメリカ諜報機関の取り締まりの対象となってい」た。また、バルトは、ドイツの再軍備が、東西冷戦構造におけるスターリン主義、ロシア・マルクス主義と戦う「先鋭化であると見た」。そのバルトは、「ドイツ的体制の非神話のための」第一歩として、再軍備拒否・反対の立場に立ったし(573頁・547頁)、原理としての平和主義(宗教としての平和絶対主義)をも拒否する立場に立った。そして、バルトは、<国家>を第一義とするスターリン主義的、ロシア・マルクス主義的「共産主義を望まない者は――われわれは誰一人それを望む者はないのだが――真面目な社会主義に味方しなければならない!」・「平和と、神の国の希望について、よく考え抜かれた証言を伝えることによって、政治の責任を負う指導者たちと世論を援助することが、キリスト教会の任務であるだろう」・状況論なき思想なき軽薄な「無分別なやり方」で、「福音の核心」と政策(的言語)・法(的言語)とを「同一視」させて国家・イデオロギー・権力に加担することは、それがいかなる国家・イデオロギー・権力であっても決してすべきではない、と述べた。なぜならば、イエス・キリストを頭とするキリスト教会は、そしてキリスト者は、イエス・キリストにのみ信頼し固執することおいて、一切から自由であるべきだからである。イエス・キリストにおいて、「神は人間に敵対するのではなく、人間の味方になり給うのです。共産主義者もまた人間です。神はまた、共産主義者の味方でもあり給うのです。(中略)(≪この≫)共産主義の味方であるということは、共産主義に賛成するということではありません。私は(≪自由社会や自由国家に対するように≫)共産主義に賛成ではありません。しかし、共産主義の味方であるときにのみ、共産主義に反対して言われるべきことについて、(≪それから対象的になり距離をとって自由に≫)語りうるのです」。バルトがこのように一切の党派性から超出しようとしていることが、「寛容の精神」やそれに依拠した党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義を主張する者たちには理解できないのである(545頁)。この言葉は、東西イデオロギー・権力、ナチズム、全体主義、スターリニズム、ロシア・マルクス主義、修正資本主義、新自由主義――すなわち、<国家>を第一義(価値)とする国家社会主義に対する明確な拒否の表明なのである。したがって、バルトは、あくまでも<過渡的>形態としては、<社会>を第一義とする「真面目な社会主義に味方しなければならない」、と述べたのである。したがってまた、戦争廃絶と究極的包括的永続的な人間の社会的現実的解放のためには国家の無化を必要とする、ということなのである。このことの認識・自覚は重要である。なぜならば、その認識・自覚は、<国家>を第一義とする国家主義者たちの根本的な誤謬と迷妄性の陥穽に陥らないために必要だからであり、また国家主義者たちの知識や情報をそのまま鵜呑みにしたり模倣したりしないために必要だからである。一方で、私たちは、そうした究極的包括的永続的革命のためには人間の精神の完全な全的成熟を要するのであるが、人間は、理性的にだけでなく、感情的にも、情念的にも、動物的にも生きているという時、徒労の反復を想像できるのである。バルトの場合は、神性(単一性・永遠性)を本質とするイエス・キリストにおける完了された究極的包括的総体的永遠的救済・平和の完成は、キリストの再臨、終末、救贖の出来事に属している事柄なのである。(542・543頁)
 したがって、バルトが、近代主義・<自然神学>的な軽薄な楽観主義的神学者モルトマン等とは全く異なっている。
 喜田川信の『歴史を導く神――バルトとモルトマン』によれば、モルトマンは、「終末論的」な『将来的なものの力』としての「御霊」の概念によって、「終末論」と「歴史」とを結び付けようとしている。「終末論的なものが、このような仕方で歴史的になることによって、歴史的なものが終末論的になる」。すなわち、「終末が歴史となり、歴史を動かしている」と考えている・「神学と一般の学問との対話を目論見ている」・「特殊と普遍」、「救済史と普遍史」とを交叉させようとしている。このモルトマンの<自然神学>性の例証は、次の点にある――ヘーゲル学者の山崎純は、モルトマンの歴史形成論を、ヘーゲルにおける神の彼岸性を克服した「神の内なる人間、人間の内なる神という神人一体、神人和解の理念」における宗教とは、人間の自己意識によって対象化された自由と理性の理念である。モルトマンは、このヘーゲルの歴史は自由の概念の実現過程であるということに基づいて、「律法・父の国・奴隷状態の歴史(≪世界史的段階で言えば、自然にまみれた原始未開的・アフリカ的段階≫)、「恩寵・子の国・神の子供状態(≪世界史的段階で言えば、自然から対象的にはなったけれども、その対象的自然を自己意識・理性・思惟によって対象化して自然から完全に超出でき得ていないアジア的段階≫)、「自由・霊の国・神の友の状態(≪世界史的段階で言えば、自然から完全に超出し自由を認識・獲得・自覚した西洋近代の段階≫)」、という神学的な三段階的進歩史観において救済史を構想した(『神と国家』)。何度も書くのであるが、バルトにおいては、神の自己啓示としての啓示の実在そのものであるイエス・キリストにおける啓示の出来事(啓示の真理・啓示の客観的実在・啓示の客観的現実性)、永遠・「超」歴史・啓示の時間・救済史は、<常>に、その啓示の出来事と信仰の出来事に基づいて授与される人間が人間的に所有する人間の啓示認識、人間の時間・歴史の、彼岸・外にあるし・あり続けるのであるが、モルトマンの場合は、両者を混淆・「共働」させてしまうのである。モルトマンは、西洋近代を頂点とした直線的な進歩史観は成立し得ないという状況論と、思想的課題を持たないがゆえに、彼の歴史形成論は、単なる彼の自己意識の対象化された彼が管理するプログラムとしての「ユートピア」論でしかない次元のものなのである。

 

(10)バルトが「『和解論』……の各部を講義していた間」に、東西問題と並行して、ルドルフ・ブルトマンにおける新約聖書の「<非神話化>と<実存論化>」との対立の問題が生じてきた。バルトにとっては、「<非神話化>という言葉」に対してよりも「むしろ……<実存論化>という言葉に対して」「保留をつけなければならなかった」。なぜならば、その場合、再びかつての「哲学的人間学の袋小路の中へ」と埋没していく以外にないからであった。バルトの一貫した立場は「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わる(≪人間学的な哲学的原理・認識論・世界観を第一次化しない≫)ところから始まる」(『バルトとの対話』)という点にあった。したがって、このことは、人間学の否定を意味していない。すなわち、そのことは、その信仰・神学・教会の宣教の、その原理、その認識方法と概念構成が、近代主義・<自然神学>的な次元のそれか・そうではない次元のそれであるのか、という問題である。(自然神学論に興味関心のある方、私の整理した「<自然神学>とは何か――バルトの、究極的包括的根本的な<自然神学>批判の、根拠・原理・原動力」を参照)

 

 バルトは、1953年9月に行われたプファルツ州牧師と信徒との対話において、「私たちはキリスト者として、最も多様な考え方で考え抜いてみる自由を持たなければなりません。例えば、私がマルクス主義者にならずに(≪マルクス主義者としてではなく、マルクス者として≫)、マルクス主義の諸要素(≪ロシア・マルクス主義等のマルクス主義のそれではなく、マルクスのそれ≫)を考え抜いてみることも出来ます」・実存主義に対してもそうだ・「私自身は、ヘーゲルが好きだという弱みを持っていますし、そしていつでも<ヘーゲル的に考える>のが好きです。そのために私たちはキリスト者として、そういう自由を持っているのです」。そして、ブッシュは、「ここでは、私(≪バルト≫)は折衷主義に立っています」、というように語ったと報告している(549頁)。ブッシュにおいて、バルトの語ったこととされているこの「折衷主義」という言葉は、客観的な書物や書簡等の文書に依拠した言葉としてではなく、ただ「五三・9、プファルツ州牧師と信徒との対話」という但し書きがあるだけの資料であって、バルト自身の言葉は、「ヘーゲル的に考える」だけである。したがって、それ以外は、バルト自身の言葉ではなく、その対話集会に参加した牧師か信徒か議事録担当者がバルトが発言いたことを整理して書いたような形になっている。このことは、言語表現の宿命であるが、いったん表現された言語は、客観的な対象物として、故意的にしろ・故意的でないにしろ、百人百様の享受の仕方がなされることになる。したがって、このバルトの場合も、その記事を書いた人が、バルトを根本的包括的に理解しないままに、バルトのある発言内容をその人の理解で「折衷主義」という言葉で整理して記録してしまったものであるに違いない。その理由は、次の点にある。
@神学者・牧師・メディア的著述家も、バルトを、根本的包括的に理解せずに、恣意的独断的皮相的一面的に論じているからである。
Aバルト自身の言葉の引用である「ヘーゲル的に考える」ことが好きだという言い方は、重要である。なぜならば、バルトは、確かにその場合、ヘーゲルを紙一重で超えているのであるが、バルトの書物の中に、ヘーゲル的な論理展開をしている箇所を見出すことができるからである。私は、このことを、時々書いている。そのヘーゲルは、典型的な折衷主義者であるローマの哲学者キケロを恣意的な通俗的哲学者にすぎないと述べている。このようなヘーゲルを好きだ・「ヘーゲル的に考える」のが好きだと語ったバルトが、<折衷主義者>であるわけがないのである。また、意識しながら<折衷的>になるわけもないのである。
B当時の東西冷戦構造において、東西のイデオロギー・権力に決して与しないで両陣営から全く自由な「第三の……道」を目指したバルトが、折衷主義になるわけがないのである。
C党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義は、「寛容の精神」によっては超えられないから、そうしたエキュメニカル運動は駄目だと指摘していたバルトからは、決して折衷主義という発言は生じない。
D明確に、「(≪私たちは神性を本質とするイエス・キリストにおける啓示、この≫)一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派(≪党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義・学派・教派・思想傾向・人間学的な哲学原理や認識論や世界観・イデオロギーや権力・時流や時勢・社会的政治的な言説や運動≫)に仕えなければならないことはない……、一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」(『教会教義学 神の言葉』)、と述べていた、神学における思想家としてのバルトからは、決して折衷主義という発言は生じない。
E明確に、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わるところ(≪バルトの『ルドルフ・ブルトマン』を読めばよく分かるように、その神学の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体において、人間学的な哲学的原理・認識論・世界観を、それとの混淆論・共働論としての<自然神学>的な人間学的神学を包括し止揚して、そこから超出していくところ≫)から始まる」(『バルトとの対話』)、と述べていたバルトからは、決して折衷主義という発言は生じない。
F明確に、「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」・「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」・またその場合、「哲学は哲学であることをやめ、歴史学は歴史学であることをやめる」・キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった」・また、「それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」(『教会教義学 神の言葉』)、と述べていたバルトからは、決して折衷主義という発言は生じない。
Gマルクスや吉本は、マルクス主義者たちのように唯物主義者や経済決定論者ではなかった。ただ、観念と観念諸形態の出自とその自体構造を明らかにしようとした。そして、彼らは、その観念の自体構造(自然過程)を解明したヘーゲルを根本的包括的に否定的に媒介し止揚した――「私の弁証法的方法は、その根本において、ヘーゲルの方法と……正反対である。ヘーゲルにとっては、思惟過程が現実的なるものの造物主であって、現実的なるものは、思惟過程の外的現象を成すにほかならないのである。しかも彼は、思惟(≪人間に内在する神的本質としての、自由な自己還帰する対自的で対他的な自己意識・理性≫)過程を、理念(≪人間の自己意識・思惟・理性によって対象化されて自覚された自由≫)という名称のもとに独立の主体に転化するのである。わたしにおいては、逆に、理念的なものは、人間の頭脳に転移し翻訳された物質的なるものにほかならない」(『資本論』)。また、「困難は、(≪人類史の古典古代における≫)ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展形態と結びついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれにたいしてなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では規範とそしての、到達できない模範としての意義をもっているということを理解する点にある」・「おとなはふたたび子供に成ることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さは彼をよろこばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階で自らもう一度努力してはならないであろうか。子供のような性質のひとにはどんな年代においても、かれの本来の性格がその自然のままの真実さでよみがえらないだろうか? 人類がもっとも美しく花ひらいた歴史的な幼年期が、二度とかえらないひとつの段階として、なぜ永遠の魅力を発揮してはならないのだろうか? しつけの悪い子供もいれば、ませた子供もいる。(中略)ギリシャ人は正常な子供であった。かれらの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、その芸術が生い育った未発達な社会段階と矛盾するものではない。(≪それは、≫)……芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである」(『経済学批判序説』)。吉本の方法としての時間――空間の指向性変容・構造的時空置換に基づく歴史認識・史観の拡張論は、この後者のマルクスの考え方の読み替えであり豊富化である、と言うことができる。啓示の固有な証明能力に基づく「神の言葉の三形態」に信頼し固執し連帯したバルトの神学における思想も、その在り方としては、これと同じである。そのようなバルトからは、決して折衷主義という発言は生じないのである。

 

 このような理由から、1953年9月に行われたプファルツ州の牧師と信徒との対話<資料>における「折衷主義」という言葉の発言についての精確さ・信憑性は全く疑わしいものである、というふうに言わざるを得ないのである。私はそう確信する。したがって、この「折衷主義」の発言は、眉に唾をつけて読んだ方がいいのである。たとえブッシュが書いたものであれ、そのまま鵜呑みにしたり、模倣したりしない方がいいのである。したがって、根本的包括的なバルト神学についての理解から言えば、ほんとうは、私たち人間の、その類・歴史性と個・現存性の生誕から死までのすべてを見渡せ、また「この世の偽り、通俗の偽りを偽りと呼び、世俗的真理をも正直に受け取ることができる」場所は、神性を本質とするまことの神でありまことの人間であるイエス・キリストにおける啓示の場所だけである、ということをバルトは述べていたに違いないのである。そうすると、「私たちはキリスト者として、最も多様な考え方で考え抜いてみる自由を持たなければなりません。例えば、「普遍救済者」(560頁)である(≪イエス・キリストの名にのみ信頼し固執するバルト・≫)私がマルクス主義者にならずに(≪マルクス主義者としてではなく、マルクス者として≫)、マルクス主義の諸要素(≪ロシア・マルクス主義等のマルクス主義のそれではなく、マルクスのそれ≫)を考え抜いてみることも出来ます」、という言葉と連結することができるのである(548−550頁)

 

 1950年10月における、バーゼルの友人のところでの短い会見が、バルトとブルトマンの最後の会見となった。ブルトマンの新約聖書の「<非神話化>と<実存論化>」との対立の問題における、バルトの、根本的で包括的なブルトマン批判については、かつて既に詳論しているので、ここでは省略する。いずれにしても、バルトは、『ルドルフ・ブルトマン』において、ブルトマンのあの神学だけでなく、「『今日まさにこのマールブルク(≪ブルトマンとその学派≫)では、無理やり模造された敬虔さと結びついて、弁証法の見せかけがとくに肥大している』が、それよりは『むしろ無神論という安っぽい非難を受け入れた方がよい』、『いわゆる存在者レベルでの神への信仰は、結局のところ神を見失うことではなかろうか』」、と述べたハイデッガーの正当性のある根本的な揶揄・批判をも、自らの神学の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体において、包括し止揚して、そこから超出したのである。(550−554頁)

 

(11)ブッシュは、邦訳『創造論 U/1』において、バルトが「<イエス・キリスト>を語る人が、<神の子の卑下>についてだけ語るのは不可能である。彼はまさにそれによって<人の子の高挙>について語っている」と述べた言葉を引用している(558頁)。この言葉は、バルトが十字架の神学の一面性・皮相性を批判し、「復活日の朝を迎えたあとには、いかなる逆戻りもあり得ない」(邦訳『和解論 T/2』)と述べた言葉(538頁)の言い換えである。「甦えりの証人」である「新約聖書の証人たち」は、キリスト復活の四〇日(使徒行伝1・3、「成就された時間」)をおぼえる想起において、「キリストの死」と「キリストの生涯」(受難)を想起する時、「光を得」たのである(『教会教義学 神の言葉』)。このキリストの復活日・「成就された時間」は、『福音と律法』に即して言えば、人間の自主性・自己主張の欲求という「無神性」・「真実の罪に対する神の勝利」(主格的属格としての「イエスの信仰」による神の義そのものであるそのイエス・キリスト自身に対する真実の罪のゆえに、「地獄に追いやられたままの存在」を、「律法によって殺しつつ、しかも福音によって生かし給う」勝利の福音)、イエス・キリストによる「律法の成就」に信頼し固執しない「律法を悪用する罪に対する神の勝利」(「罪と死の法則」としての律法ではなく、「生命の御霊の法則」としての律法)、イエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済・平和(史)に信頼し固執しない「不信仰に対する神の勝利」(したがって、義認と解放の主観的主体的現実化のための「力の霊」、イエス・キリストにのみ固着させる「愛の霊」、無神性を揚棄し神に聴従するように促す「慎みの霊」の授与)のことである。また、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、キリストの復活――「本来的な実在としてのイエス・キリストの新しい時間」である「成就された時間」は、神の「勝利の行為」によって克服された「新しい世」のはじまりのことである。このことを「キリスト教的希望」との関係で言えば、「キリスト教的希望は、他のすべての人間(≪古い世の人間の時間≫)の希望が終焉する出来事、つまりゴルゴタの十字架上のイエス・キリストの死に基礎を持つ」(563頁)ということである。そして、その神の「勝利の行為」は、「敗北者も依然としてそこにいるところの勝利の行為である」、ということである――「私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば、(<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>ということである)(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」(『福音と律法』)。

 

(12)スカンディナビア人のヴィングレンは、バルトには「神=悪魔図式」が欠けていると批判したことに対して、バルトは、「私に反論する人は、ただ私の全構築(その神学の、その原理、その認識方法と概念構成それ自体)に対応する各自の構築を立てるという形においてのみ可能であり、そんな……たわごとを持ち出すくらいでは駄目である」、と述べている(568頁)。このことは、批判は、単純にしかし根本的にそして包括的になされなければならない、ということである。こう述べるバルトが、ここで再度述べるのであるが、折衷主義的調停や意識的折衷による調停を指向するわけがないのである。

 

(13)バルトは、「キリストとアダム」において、「救済秩序が創造秩序に先行するキリスト中心主義を主張」した(553頁)。しかし、このことは、単一性・神性・永遠性としてのキリストの本質におけるそれであって、その神の第二の存在の仕方においては、和解は創造に先行することはできない。イエス・キリストは、和解主として、創造主のあとに続いて、神の「第二の存在の仕方」において「第二の神的行為を遂行」したのである。この神の「存在の仕方」の差異性における「創造と和解のこの順序」に、「キリスト論的に、父と子の順序、父(≪啓示者≫)と言葉(≪啓示≫)の順序」が対応しており、「和解主としてのイエス・キリスト」は、創造主・父に先行することはできない。しかし、父・子は共に神自身のその「存在」において単一性・神性・永遠性を本質としているから、この従属的な関係は、「存在の本質」の差異性を意味しているのではなく、「存在の仕方」の差異性を意味しているのである(『教会教義学 神の言葉』)。