本当のカール・バルトへ、そして本当のイエス・キリストの教会と教会教義学へ向かって

バルトの生涯――『福音と律法』論への道程(自然神学<超克>のための根拠・原理・原動力<探求>の道程)

エーバハルト・ブッシュ『カール・バルトの生涯』小川圭冶訳、新教出版社に基づく

 

バルトの生涯――――『福音と律法』論への道程(283−385頁) 

 

<まえがき>として
 今回は、『ローマ書』からはじまって、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』、『教会教義学 神の言葉T/1 序説/教義学の規準としての神の言葉』を経由(媒介・反復)した『福音と律法』に至るまでのバルトの道程を探るのであるが、この道程を読み解くためのキーワードと事柄は、第一に、神と人間との無限の質的差異であり、第二に、ローマ3・22およびガラテヤ2・16等の「イエスの信仰」の<主格的>属格理解(神の側の真実のみ、啓示の客観的現実性、キリスト論的集中)であり、それに基づく「三位一体論」の唯一の啓示の類比としての「神の言葉の三形態」の概念であり、それらに基づく一切の<自然神学>(一切の近代主義も含む)の包括と止揚であり、それからの超出、すなわち<超>「自然な神学」への超出である。ここで、<自然神学>とは、これまでにおいても、今回においても、これからにおいても、その信仰・その神学・その教会の宣教・そのキリスト教におけるそれを指している。この、キーワードと事柄が、バルトを、またバルトだけでなくキリスト教界総体を、単純にしかし根本的にそしてトータルに理解するための<要>である。なぜならば、バルト急逝の1968年に著された『シュライエルマッハー選集への後書』(『神学者カール・バルト』「シュライエルマッハーとわたし 1968年」)のテーマもそれだからである(『教会教義学 神の言葉』・『ルドルフ・ブルトマン』・『バルト自伝』を参照されたい)。
 バルトの生涯における『福音と律法』論への道程は、現実と時代とから強いられた(彼の自己資質も関与しているのであるが)、<書く>という行為で表現された信仰・神学の書である『ローマ書』、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』『教会教義学T/1』、の媒介・反復による概念構成の拡大・高次化・時間累積の道程、と言うことができる。すなわち、例えば、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』の内容は、『ローマ書』の媒介・反復による概念構成の拡大・高次化・時間累積、と言うことができる。したがって、フォイエルバッハのキリスト教批判の対象であったルターの信仰論・受肉論を扱った『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』においても、『ローマ書』のテーマであった神と人間との無限の質的差異の原理は貫徹されているのである――「時間と永遠との『無限の質的差別』……この神と人間との関係、ないしはこの人間と神との関係が聖書の主題であり、同時に哲学の要旨である」(『ローマ書』)。「神に対する関係があらゆる点で、原理的に?倒不可能な関係だということ――そのことについて、人々は、フォイエルバッハを有効に防御するためには確信を持っていなければならない」・「神と人間を同一視する神学(中略)人間の中なる神について(≪ヘーゲルのような人間に内在する神的本質、他在であって自在としての自由な人間の自己意識の無限性を原理とする神について≫)」の議論が根絶されない限り、フォイエルバッハを批判する理由は、われわれにはない」(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)。また、『福音と律法』の内容は、『ローマ書』、『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』、『教会教義学T/1』、『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』の媒介・反復による概念構成の拡大・高次化・時間累積、と言うことができる。この『福音と律法』のテーマは、「イエスの信仰」の<目的格的>属格理解――すなわち、神と人間・神学と人間学との混淆論・共働者論、神だけでなく人間もというあるいは人間を中心として神もという啓示の主観的現実性を根拠・原理・原動力とする一切の<自然神学>を否定的に媒介して、すなわちそれを根本的に包括し止揚して、「イエスの信仰」の<主格的>属格理解――すなわち、神の側の真実のみ、啓示の客観的現実性、キリスト論的集中を根拠・原理・原動力とする<超>「自然な神学」へと超出していくところにあった。
 「問題の定式化〔問題を明確に提起すること〕は、その問題の解決である」(マルクス『ユダヤ人問題によせて』)。バルトのこの「イエスの信仰」の属格(所有格)の<主格的>属格理解は、三位一体論の唯一の啓示の類比としての「神の言葉の三形態」――イエス・キリストの啓示の出来事である啓示の実在そのものと、また聖書の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)――への信頼と固執を意味すると同時に、信と不信、知と非知、キリスト者(教)と非キリスト者(教)の枠組の揚棄と両者の架橋を意味している。また、それは、党派性・党派的思想・党派的共同性、宗派、教派、党派的多元主義の揚棄をも意味している。そしてまた、バルトのそれは、まさしく揚棄すべき対象としてある、アウグスティヌス、トマス、ルター、シュライエルマッハー、ブルトマン、モルトマン、エーバーハルト・ユンゲル、ルドルフ・ボーレン、……等々、ローマ・カトリック主義、近代主義的プロテスタント主義、自然を原理とするアジア的日本的な近代主義的プロテスタント主義・天皇教的近代主義的プロテスタト主義、キリスト教的カルト集団、……等々、を<自然神学>の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教として<総括>することをも意味している。すなわち、本質的には、キリスト教には二つの系譜しかないのである。言い換えれば、キリスト教の多様な分類化は、神学における思想の課題を持たない者たちの外在的なそれでしかないものなのである。この『福音と律法』においても、『ローマ書』のテーマの神と人間との無限の質的差異の原理は貫徹されている――「私がいま肉にあって生きているのは、私を愛し、私のために御自身をささげられた神の御子の信じる信仰によって、生きているのである。(これを言葉通り理解すれば 、<私は決して神の子に対する私の信仰に由って生きるのではなく、神の子が信じ給うことに由って生きるのだ>ということである)(ガラテヤ二・一九以下)。(中略)自分が聖徒の交わりの中に居る……罪の赦しを受けた(中略)肉の甦りと永久の生命を目指しているということ――そのことを彼は信じてはいる。しかしそのことは、現実ではない。……部分的にも現実ではない。そのことが現実であるのは、ただ、われわれのために人として生まれ・われわれのために死に・われわれのために甦り給う主イエス・キリストが、彼にとってもその主であり、その避け所でありその城であり、その神であるということにおいてのみである」「福音と律法の真理性」における福音の内容(インマヌエルの出来事)は、私たち人間からは「何ら応答を期待せず・また実際に応答を見出さず」とも、「神であることを廃めず」に、何ら価値や力や資格もない「罪によって暗くなり・破れた姿」の「人間的存在を己の神的存在につけ加え、身内に取り入れ、それをご自分と分離出来ぬよう」に、「しかも混淆されぬよう」に、「統一し給うた」ということを内容としている(『福音と律法』)。主格的属格としての「イエスの信仰」(神の側の真実のみ、イエス・キリストにおける啓示の出来事、啓示の客観的現実性)に基づいて、そして神の決断による聖霊の注ぎに基づいて、「われわれは、(≪そのイエス・キリストを信ずることにより、≫)われわれの主としてのイエス・キリストに固執することにより、またイエス・キリストがわれわれのかしらであるということに固執することにより、(中略)この主とかしらのもとで、またこの主とかしらとともに、……これからは神の義、神の子の義、神自身の義をまとっている者として生きることを許される(『ローマ書新解』)。

 

 さて、これ以降は、バルトの生涯における『福音と律法』論への道程を、この本に即して時系列的に辿ってみたい。
1)1930年春、バルトは、ボン大学に、組織神学の教授として招聘される。バルト、44歳の時である。このボン大学におけるバルトの「キリスト論の講義」には、<自然神学>的な、アジア的日本的な自然原理に基づいた「インマヌエルの事実」・「根本的事実」論を展開した滝沢克己も参加していた。滝沢は、「イエスの肉体に於いてインマヌエルの事実が始めて生成した」とするバルトに対して、その人間イエスの出来事・「イエス自身の言葉と行為」は、その源泉である「神われらとともにいます」という「根本的事実」・「インマヌエルの事実」から生成された「生ける徴」であると主張した(『カール・バルト研究』)。また、学生の中には、「熱狂的なバルト主義者」も現われ始めた。
 この「バルト主義」の問題については、注意を要する。なぜならば、終末論的限界の概念と自己相対化視座を保持した、バルトの信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成においては、ほんとうは、原理的に<主義>化も<主義>者化もあり得ないからである。したがって、その場合は、その彼らが、バルトの、終末論的限界の概念と自己相対化視座を保持した、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成、を理解していないだけなのである。すなわち、<主義>化や<主義>者化が起こるのは、「何らかの抽象を以て始められ何らかの空論に終わるところの」「大学社会の神学」・それに類する神学においてだけなのである。したがって、そのような事態は、そうした学生に起こるだけでなく、神学者や牧師や著述家にも起こることなのである。したがってまた、バルトは、教義学者とは「ただ単に教義学を専攻する大学教員や著述家だけ」のことではなく、<現実>や<時代>から強いられて、「広く一般に、今日および昨日の教義学的問いによって突き当てられ動かされる者たち」のことである、と述べたのである(『教会教義学 神の言葉』)。また、「教授でないものも、牧師でないものも、彼らの教授や牧師」や著述家の「神学が悪しき神学でなく、良き神学であるということに対して、共同の責任」を負っている、と述べたのである(『啓示・教会・神学』)。
 ほんとうは、誰にとっても、現実と時代から強いられた、あるいは不信とむなしさと不安と不確かさの蔓延した現在から強いられた、また一切の<自然神学>に対する正統性のある根本的なフォイエルバッハの宗教批判の問題やハイデッガーの揶揄・批判した「存在者レベルの神」やその神への「信仰」の問題から強いられた、そうした<不可避的>な神学における思想の問題を、根本的に包括し止揚して、そこから超出していくためには、バルトの、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成の他にはあり得ないのである。したがって、バルトのそれは、誰にとっても<不可避的>な神学における思想の課題としてあるものであるから、それに立脚することは、バルト<主義>とはならないし、バルト<主義>者ともならないのである。逆に、そのことを認識し・自覚していないということは、状況論も、神学における思想の課題も、持っていないことの証左となり、そのことこそが問題なのである。ブッシュは、学生たちのバルト主義化を記述するのであれば、そうした点についても付言すべきであった。そうでなければ、せっかくのバルトの生涯の道程の記述の流れが、ここで塞き止められてしまうからである。その場合、次のような悪しき事態を惹き起こすのである――例えば、マルクス自身は、経済<決定論>者でも、唯物<主義>者でもなかったにもかかわらず、ロシア・マルクス<主義>者やそれに類する者たち等は、経済<決定論>者となり、唯物<主義>者となってしまったようにである。また、マルクスは、国家の本質を、観念の共同的形態あるいは共同の観念的形態として考えたにもかかわらず、佐藤優のようにマルクスは暴力装置と考えたと<絶対化>してしまうようにである。あるいはまた、バルト自身は、アウグスティヌスを含めて<自然神学>を前述したように考えたにもかかわらず、冨岡幸一郎は根本的な誤謬に普遍性やメディア的組織性の後光をかぶせて、高校の倫理レベルの知識で、アウグスティヌスを自然神学に属さないと<絶対化>してしまうようにである。(283−292頁)
 バルトは、「(≪私たちは神性を本質とするイエス・キリストにおける啓示、この≫)一つの事柄に仕えなければならないのであって、ひとつの党派(≪党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義・学派・教派・宗派・思想傾向・主義・時流や時勢・社会的政治的な言説や運動≫)に仕えなければならないことはない……、一つの事柄に対して自分の立場を区別しなければならないのであって、別な一つの党派に対して自分の立場を区別しなければならないわけではない……」、と述べている(『教会教義学 神の言葉』)。また、吉本も、「対立する双方に真理があるというような俗説が、世界史的に流布され、流通している」中で、自らの立場において、両者を包括し「止揚しなければならないということが思想的な問題」である、と述べている(『思想の基準をめぐって』)。現実と時代とが強いてくる<不可避的>な課題に対して、キリスト教の信仰・神学・教会の宣教が現在から未来に生きる方途は、バルトにおける、終末論的限界の下での、<自然神学>を根本的に包括し止揚した<超>「自然な神学」の原理、その認識方法と概念構成の他にはあり得ない以上、すなわちそれが不可避的なそれである以上、それに立脚すること・それに固執することは、バルト<主義>となることでもないし、バルト<主義>者となることでもないのである。逆に、そうしたバルトの、その神学の原理、その認識方法と概念構成に立脚しないで、バルトの<一面や部分>を<全体化>し<絶対化>することこそが、バルト<主義>となることなのであり、バルト<主義>者となることなのである。このような輩は、神学者や牧師や著述家の中には、ごまんといる、のである。例えば、<自然神学>的なヘーゲル主義的哲学的神学を目指したエーバーハルト・ユンゲル、それを評価した大木英夫、両者を評価した佐藤優が、それである。バルトを論じながら、「イエスの信仰」を主格的属格(啓示の客観的現実性)として理解し、それを、信仰・神学の原理、認識方法と概念構成としないクラッパートやその同伴者の寺園喜基が、それである。<自然神学>に立脚しながら、復古的退行的に、状況論なき思想なき停滞した中世的思考の下で、神学の人間学に対する優位性を夢想した聖霊論的説教論を、<超>「自然な神学」のバルトの説教論を批判したものだと出鱈目な主張をするルドルフ・ボーレンやその同伴者の佐藤司郎や小泉健が、それである。

 

 44歳になったバルトは、次のように述べている――「われわれは……思想と行動の基本線については」、「善きにつけ悪しきにつけ」、「関心をもつ同時代人に自分を知らせ、できるかぎり理解させることもできるようになった」。しかし、このことは、『バルト自伝』によれば、「仕事をやりとげた」ということではなくて、「やっと手に入れた立場の内的・外的なテストと確証が、今初めて行な」うことができる地平に立った、ということである(290頁)。

 

2)バルトの一切の<自然神学>からの「訣別」――すなわち「キリスト教の教理を哲学的、また人間学的に……基礎づけ、解明するという古い神学の最後の残渣から」の「解放」は、先ず以て、1931年夏に完成・出版された『知解を求める信仰 アンセルムスの神の存在の証明』によって行われた(293・294頁)。アンセルムスは、「キリストが人間となり給うこと、キリストの贖罪死」の必然性を「理解シヨウ、理性的に論証シヨウとした」が、そのことを人は合理主義だと批判した。しかし、アンセルムスは、「教義学的な合理主義」を明確に否定している。すなわち、アンセルムスは、神学を一般的真理としてではなく、「啓示から得られた認識」・概念の実在としてのイエス・キリストの「実在から」――啓示に固有な証明能力に基づく、三位一体の唯一の啓示の類比としての「神の言葉の三形態」から――啓示認識の可能性について考えたのである。なぜならば、アンセルムスは、「隠蔽性・秘義性」を本質とする神に対して、人間の理性は「全く闇に閉ざされ」た「盲目」性を本質としている、という「神の不把握性」について認識し信仰し自覚していたからである(『教会教義学 神の言葉』および『知解を求める信仰』)。このことを、『教会教義学 神の言葉』に即して言えば、アンセルムスは、神の隠蔽性・神の不把握性、終末論的限界――この概念は、「ただ万人を憐み、万人万物を解する神様ばかりが、われわれを憐んで下さる」、「神さまは万人を裁いて、万人を赦され」、「最後の日にやって来て」、「……われわれに、御手を伸ばされる。その時こそ何もかも合点が行く!……誰も彼も合点が行く」。「主よ、汝の王国の来たらんことを」、というドストエフスキーの『罪と罰』におけるマルメラードフの告白を介すると一番イメージし易い――の下での啓示認識・啓示信仰の授与・現存を、「神の言葉の三形態」と聖霊の注ぎから考えたのである(『知解を求める信仰』)。言い換えれば、啓示認識・啓示信仰の授与は、あくまでも、啓示自身に固有な証明能力にのみ基づいている、ということである。すなわち、啓示認識・啓示信仰は、イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事の基づいてのみ授与されるところの、聖霊によって更新された人間の理性を用いての人間が人間的に所有する人間の啓示認識・啓示信仰、のことである。しかし、この場合、聖霊によって更新された人間理性であれ、それは、聖霊そのものではないし、その啓示認識・啓示信仰も、それが、「キリスト教的語りの正しい内容の認識として祝福され、きよめられたものであるか、それとも怠惰な思弁でしかないかということは、神」自身の決定事項なのであって、私たち人間の決定事項ではないのである――イエス・キリストにおける啓示の出来事である啓示の実在、超歴史、啓示の時間、救済史は、<徹頭徹尾>、<常に>、人間が人間的に所有する人間の啓示認識・概念・教義、人間の時間、歴史の、<彼岸・外>、にある。このことは、啓示自体から与えられた、私たち人間における「終末論的限界」を意味している。したがって、あくまでも、啓示認識・啓示信仰は、「『主よ、私は信じます。私の不信仰を助けて下さい』というこの人間的態度に対して神が応じて下さるということに基」づいてのみ成立しているのである。したがって、本質的には、「哲学、歴史学、心理学等は、この神学的問題領域のどれにおいても、事実上、教会の自己疎外の増大以外のなにものにも役立ちはしなかった」し・役立ちはしないのである。それらは、「神についての教会の語りの堕落と荒廃以外の何ものにも役立ちはしなかった」し・役立ちはしないのである。したがってまた、例えば、キリスト教哲学は、「それが哲学であったなら、それはキリスト教的ではなかった」し、「それがキリスト教的であったなら、それは哲学ではなかった」。言い換えれば、<自然神学>的な人間学的神学は、神学としても人間学としても非自立的で中途半端なものでしかないものなのである。このような訳であるから、確かに神学も理性的な知的営為ではあるが、「神学は方法論的には、ほかの学問のもとで何も学ぶことはない」のである(『教会教義学 神の言葉』)。したがって、「われわれが哲学的用語をつかうという事実にもかかわらず、神学は哲学的試みが終わるところから始まる」のである(ゴッドシー『バルトとの対話』)。
 バルトは、「私が神学者として(≪哲学者の≫)彼らの誰とも自分を結びつけようとは考えていないことを実際に示せば示すほど、それだけ私に注目し、……私を尊敬してくれた」、と述べている(295頁)。バルトの演習に出席するためにやってきたミュンスター大学の哲学教授のハインリッヒ・ショルツに対して、バルトは、神学は「イエス・キリストの死人の中からの復活に基礎をおくと言明した」ことに対して、シュルツは、「真剣に」バルトを「見つめて、……<それは物理学と数学と化学のすべての法則と矛盾する。しかし君が言おうとすることがやっとわかった>」と言った(296頁)。吉本隆明も、カトリック作家の小川国夫に「あなたはキリストの復活、再臨を信じているのですか」と問い、彼が「信じています」と答えたことを、きちっと受容している。しかし、吉本が八木誠一に対して、「信仰することによって信仰していない者には見えない何か新しい地平線が見える」と思うので、「そこをうまく開陳してみてくれませんか」と尋ねたことに、八木が人間学的に答えようとした時、吉本は、「今の八木さんの説明では、……あらゆる認識が、もし自分自身の体験それから自分自身の資質というか、そういうものを全部根こそぎ動員して、認識というものを追究していくと出てくる問題と、あまり違わない」と疑義を呈して、「それ宗教(≪信仰≫)と関係あるかな、ということですね。やはり納得できるようには思いません」、と述べたのである。すなわち、八木の人間学的神学は、吉本にとって、人間学としても神学としても非自立的で中途半端なものとしか映らなかったのである。

 

 さて、バルトにとって、「<弁証法神学>の代表者たちとの関係は、いよいよあやしい雲行きになって行った」。そのことは、「われわれが根本的に……わずかな共通点」しか持っていなかったから当然であった、とバルトは述べている(296頁)。彼らとの、決定的な究極的な根本的な差異は、バルトにとっては、ゴーガルテンも、ブルンナーも、ブルトマンも<自然神学>の系譜に属する神学者でしかない、という点にあった。このことは、『福音と律法』に即してもっと具体的に言えば、神の側の真実にのみ・啓示の客観的現実性にのみ信頼し固執する、<超>「自然な神学」を目指すバルトは、「イエスの信仰」の主格的属格理解をその信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成としたのに対して、神と人間、神学と人間学との混淆・共働、神だけでなく人間の欲求・自主性・自己主張もという啓示の主観的現実性に信頼し固執する、<自然神学>を目指すゴーガルテン、ブルンナー、ブルトマンは、「イエスの信仰」の目的格的属格理解をその信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成とした、ということである。この差異は、決定的な究極的な根本的な差異をもたらすのである。
 オットー・ヴェーバーは、バルトの『和解論』第13章「神わららと共に」において、バルトとブルトマンの差異を、次のように論じている――「バルトは『客観的なもの』を重視あるいは絶対視し、ブルトマンは『主観的なもの』を重視あるいは絶対視するという風に、規定することは出来ない。その対立は、さらにいっそう深いところにある」。これではやはり、橋爪大三郎に「一番肝腎なところが書かれていない。根本的な疑問ほど、するりと避けられてしまっている」と書かれても仕方がないのである。ほんとうは、次のように言うべきである。すなわち、バルトは、神の側の真実、すなわち主格的属格としての「イエスの信仰」(神の側の真実のみ、啓示の客観的現実性、キリスト論的集中)を、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成とすることによって、<自然神学>を根本的に包括し止揚して、そこから超出した<超>「自然な神学」に立脚したのに対して、ブルトマンは、前期ハイデッガーの哲学原理を第一次化し・それから神(啓示)もという神と人間・神学と人間学との混淆・共働(哲学原理を第一次化とする啓示の主観的現実性)を、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成とすることによって、<自然神学>に立脚した、というべきである。また、バルトは、三位一体の唯一の啓示の類比としての「神の言葉の三形態」に信頼し固執するのであるが、ブルトマンはそうではないのである。これらのことは、両者の間に、決定的な究極的な根本的な差異を生じさせるのである(『カール・バルト教会教義学 和解論T/1 「和解論の対象と問題」』)。

 

3)バルトは、現実と時代から強いられて、「神学上の、教会内の、さらに一般社会の状況の変化」に強いられて、『教会教義学』を、「主としてアンセルムス研究書のための勉強の成果」の「進展」によって、「全く新しくやり直さなければならず、またどのようにやり直さなければならないか」・「教義学における問題の中心は何でなければならないのか」を考え、それは、「われわれに語られた生きた神の言葉としてのイエス・キリストについての教説」・神の側の真実としてのみある主格的属格としての「イエスの信仰」(啓示の客観的現実性)・その死と復活である、ということについて明確に「認識した」(298・299頁)。アンセルムス研究の成果は、例えば次のようなものである―――アウグスティヌスは、「三位一体の痕跡」である「想起(記憶)、知解、愛」としての「人間の中での神の像」を、「最も身近な最も高貴な認識根拠」とした。それは、アウグスティヌスにとって、「聖書的・教会的・教義的前提」であった。そして、アンセルムスにとってもそうであったが、アンセルムスの場合は、アウグスティヌスとは違って、@徹頭徹尾「教えられつつ語る」のであって、「われわれの理性に内在している神概念の再想起」において「創造しつつ神について語ろう」とはしなかった。したがって、A「認識的なラチオ性〔理性性〕」は、「啓示、恵み、信仰(≪イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく人間の啓示認識、それに依拠した信仰の類比・関係の類比・啓示の類比を通した人間の自己認識・自己理解・自己規定≫)」を前提条件としていた。この、アウグスティヌスの<自然神学>性を、紙一重で超えて、<超>「自然な神学」へと超出していく在り方に、アンセルムスの神学における思想性はあるのである。また、私たち人間における「存在を問う問い」は、それは「考えることの対象である限り」、「対象そのものを」問う問いとして、対象を「考えられたものへと解消」(≪人間の自己意識によって対象化された存在、存在者へと解消≫)しないで、その「独立的に存在する」対象そのもの(啓示の客観的現実性)として問われなければならない(『知解を求める信仰』)。これらのバルトの語りは、前期ハイデッガーの哲学的原理・「容易に修得しえない」「先行的理解と言語〔表現〕」によって対象化された存在者レベルでの神・啓示を第一次的なものに形式変換し、新約聖書の使信・証言を、その第一次的なものに「従事することにおいてのみ真であり、重要であるもの」として第二次的なものへと形式変換した<自然神学>的なブルトマンに対する根本的な批判を構成しているだけでなく、一切の近代主義・一切の<自然神学>の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教に対する根本的な批判をも構成しているのである(『ルドルフ・ブルトマン』)。また、バルトの、ゴーガルテンに対する単純なしかし根本的な批判は次のようなものである。すなわち、バルトは、ゴーガルテンにおける「人間学による神学の下部構造(≪神学と人間学の混淆・共働における、人間学の第一次化・原理化・土台化≫)は、カトリック主義や新プロテスタント主義に見られる<自然神学>と、「いったいどれほど明確に区別できるというのか?」、区別できはしない、それは<自然神学>そのものである、と批判を加えた(301頁)。

 

 バルトは、次のように述べている――「私の新しい課題は、以前に語ったすべての事を全く違った形で、すなわち今度はイエス・キリストにおける神の恵みの神学として考え直し、表明し直すということであった。……そしてそこで私が経験したのは、この集中(≪「イエスの信仰」の主格的属格理解に基づく「キリスト論的集中」≫)によって、すべてのことを、以前よりもはるかに明瞭に、はるかに確実に、はるかに単純に、信仰告白に対してはるかにふさわしい形で、それと同時に、はるかに自由に、はるかに開放的に、またはるかに包括的に、語り得るという事実であった。というのは、以前には私が……教会の伝承(≪「神の言葉の三形態」≫)によるよりは、むしろ(≪自然神学的な≫)哲学の体系という卵の殻によって……少なくとも部分的には妨害されていたからである」・このキリスト論的集中によって、「教会の伝承と宗教改革者たち、特にカルヴァンとの、高級な意味での批判的対決」へと向かったし、「正統派<カルヴァン主義者>にもなりえなかったからこそ、ルター派教派主義にも、いかなる同情をも捧げることはできなかった」・「教派主義的教義学を書くつもり」もなかった・啓示に固有な証明能力に信頼し固執する、教会のひとつの機能としての教会教義学を構成しようとした――「神学はまさに神の言葉の真理の自己証明のみを信頼すべきである。この信頼が、すべてのキリスト教的、非キリスト教的な思考形式とイデオロギーと神話と世界観と諸宗教に対するかかわりにおいて、神学の(<弁証論的な>)力となる。(中略)この信頼によって神学は、他の諸学問の中にあってそれ自身の法則に忠実に、従ってできるかぎり徹底的であると共に、すっきりした知的な仕事を遂行しようと努力する」ことができる・この神学は、「神の言葉の真理性について証しすることができるだけである」・また、神学の対象は、「神と人間の、また人間と神の関わりの歴史であり、この歴史は……旧・新約聖書の証言によって語り伝えられ、キリスト教会の使信の起源であり、内容」――すなわち「この意味で理解された<神の言葉>」にあるから、そしてこの「神の言葉の至高の自由によって基礎づけられ、その自由によって規定されているからこそ、……(≪神学は≫)自由な学であり、それ故にまさに<組織〔された〕神学>ではない」のである・したがって、バルトは、教義学を、決して「ある一定の哲学を基準として選ばれたある種の基礎概念を前提とし、それに対応する方法によって構築された思想体系である」組織神学として構成しようとはしなかったのである。 これらのことを、簡潔に要約すれば、バルトは、次のように考えたということである――神の言葉は、三位一体論の唯一の啓示の類比としての神の言葉の実在の出来事である「神の言葉の三形態」、すなわち人間に向かって語られる神の自己啓示であるイエス・キリストにおける啓示の出来事(啓示の客観的現実性・啓示の実在そのもの)と、また「聖書」の証言・証しおよび教会の客観的な信仰告白・教義としての啓示の「概念の実在」(キリスト教に固有な類・歴史性)においてある。したがって、バルトは、啓示の「概念の実在」を媒介・反復するという仕方で、「聖書釈義と絶えず接触を保ちつつ、また教会の古今の注解者・説教家・教師の発言を批判的に比較しつつ、その時時の現在における教会の表現・概念・命題・思惟行程(≪客観的な信仰告白と教義≫)の包括的研究において『教義そのもの』を尋ね求め」たのである(『啓示・教会・神学』)。また一方で、バルトは、現実と時代とから強いられて、その信仰・神学に、個性や時代性を刻んだのである。これらのことを、啓示に固有な証明能力に信頼し固執して行ったのである。すなわち、イエス・キリストにおける啓示の出来事と聖霊の注ぎによる信仰の出来事に基づく啓示認識・啓示信仰の授与と、それに依拠した信仰の類比・関係の類比・啓示の類比を通した人間の自己認識・自己理解・自己規定を目指したのである――307頁で、ブッシュはバルトの信仰の類比について記述しているのであるが、詳しく言えば、こういうことなのである。「神と神の言葉」の認識可能性は、「自然的に、状態として、『存在論的に』人間に与えられているのではな」い、また<人間>の感覚や知識を内容とする経験的普遍等々にはない、そしてまた「存在ノ類比」にはない、のである。言い換えれば、啓示自身に固有な証明の力、「神の言葉そのものの中にのみある」のである。ブッシュは、304頁で、神がその啓示において「父」、「子」、「霊」であるのは、人間の感覚や知識を内容とする経験的普遍に基づくのではなく、「神が本質的」に「『もともと』、『前もって、それ自身において』」「父と子と霊であるからである」、とバルトが考えていたことを述べている。したがって、バルトは、「内被造世界での、……父という呼び名は確かに真実である」が、「非本来的なもの」であり、「神の内三位一体的父の名の力と威厳に依存」しているものとして理解されなければならない、と述たのである(『教会教義学 神の言葉』)。バルトの、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成には、このように論理的な一貫性があるのである。(300−308頁)。
 前述したことを含めてこれだけで、私たちは、バルトが党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義を、内在的に単純に根本的に揚棄していることを知ることができるであろう。またこれだけで、バルトの場合には、外在的通俗的な寛容の精神に基づくエキュメニカル運動が必要だとか、実践が必要だとか、声高に叫ばなくていいことを知ることができるであろう。なぜならば、バルトの場合は、その信仰・神学の原理それ自体において、その認識方法と概念構成それ自体において、党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義を、内在的に単純に根本的に揚棄しているからである。このバルトの語りに対して、バルト読みのバルト知らずであり・馬鹿げた似非使徒である佐藤は、『神学部とは何か』で、「自分と異なる見解を排除するというのではなく、むしろ、神学は自らの教派的出自にとらわれるものなのだ。そういう考え方に踏みとどまる人たちがまっとうな神学者なのである」、と党派性・党派的思想・党派的共同性・党派主義的多元主義を<まっとうな神学だ>と呼んでいるのである。また、あるキリスト教集団は声高にエキュメニカル運動を叫んでいるのである。そのような暇な時間があるのなら、バルトをもっと単純にしかし根本的にそしてトータルに理解するように努力した方がいいのである。バルトは、観念的威力として伝統的な根強さのある、「自然神学」、「反キリスト」、「存在ノ類比」、に依拠するカトリック主義(ローマ・カトリックだけでなく一切の自然神学の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教)は、「プロテスタント教会にとっての、非常に強力な、深い、最終的には唯一の、真実に取り上げるべき」対象であり、「対話の相手」であり、根本的に包括し止揚してそこか超出すべき対象であるのであるが、「それに比べると、理想主義や人智学や民俗宗教や無神論運動などは『児戯』に等しい」、と述べている(308頁)。
 これらのバルトの道程は、1931年−32年の事柄である。

 

4)「教会の宣教は、無秩序の中にある異教の国(ポリス)に公正を実現するように呼びかけるかぎり」、不可避的に、「ソレ自体政治的」とならざるを得ない、とバルトは述べている。しかし、あくまでも不可避的なそれであるから、その「宣教が表明するものが、具体的な神の戒めであるならばよいが、政治的イデオロギーという抽象的真理であるならばよくない」、ともバルトは述べている。バルトのこの立場は一貫したものである。1957年当時の事実的政治の枠組みの中で、「なぜ、カール・バルトはハンガリー問題について黙っているのか?」と「幼稚な反共主義」者であったキリスト教的政治屋のニーバーによるバルトに対する政治的強要や政治的陰謀や他律的な二者択一の倫理を強いる「啓蒙の恐喝?」(フーコー)に対して、不可避な政治家バルトは、東西イデオロギー・権力のどちらにも加担せず、また「一言も答え」えず、断固として拒否する在り方で対応した。バルトは、次のように述べている――@「教会の存在と現状が、……福音から考え・行動し・処理されているということを語っていないならば、教会の説教も福音宣教も虚しいものとなるであろう。教会みずからが、……その行為と態度によって、自己の内なる政治をこの使信に合わせてゆくこと(≪第一戒、具体的には神性を本質とするイエス・キリストにのみ信頼し固執すること、それに基づいて政治的なもの・政治権力的なものを無化していくこと≫)を全然考えないとしたならば、どうして世は、王とその御国の使信を信ずるであろうか」(『教会と国家』「キリスト者共同体と市民共同体」)、A「キリスト者は、政治生活において神の正義が人間によって誤認され・蹂躙される場合にも、神の正義は、……天地の一切の力が与えられているイエスの苦しみのゆえに、優越しているということを確信している。悪しき矮小なピラトが、結局は無駄骨折をするというように、配慮がなされているのである。その場合、キリスト者が、どうして、ピラト(≪一切の政治的国家・政治的権力≫)のともがらと成ることができようか (『教義学要綱』)。神性を本質とするイエス・キリストにのみ信頼し固執したバルトは、その完了された救済と平和の場所において、政治的国家・政治的権力の問題を不可避な過渡的問題として捉えると同時に、究極的永続的課題としては一切の政治的国家・政治的権力の無化をも構造化させているのである。すなわち、バルトは、終末、救贖・完成においては、一切の政治的国家・政治的権力も無化されてしまう、という終末論的観点を持っているのである。「宣教活動に対する神学の課題は、『武器』を準備することにあるのではなく、『宣教活動の根拠と対象に対する』関係を問う『問い』を立てることにある」・「われわれはここでもまた、『自然神学』と『存在ノ類比』……の問題に対するバルトの強靭な対決に……に気づくであろう」。「啓示に先立つ『啓示能力』」としての『結合点』(罪人からも喪失してしまっていない「形式的な神の像」・残像)――人間的自然・人間的契機の直接性、「神的汝をあこがれ求めている」「自信過剰」の半減された「近代的精神」・人間的な理性・思惟――の「問題に対するバルトの強靭な対決に……気づくであろう」(『ナイン!――エミール・ブルンナーに対する答え』および『教会教義学 神の言葉』)。(311頁)

 

 3)におけるバルトの道程と並行して、危機的な政治状況の変化が起こっていた。1930年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が第2党の地位を獲得する。1932年、大統領選挙にヒトラーが出馬し次点となると同時に、ナチ党が第1党となる。そして、1933年の全権委任法の制定へと向かっていく。こうした中で、バルトは、1931年、「社会主義の理念と世界観に対する信仰告白」としてではなく、不可避的な「実際的な政治的決断」において、ドイツ社会民主党に入党する(309頁)。

 

 バルトは、1932年から1933年の冬学期に「説教学演習」を行った。そこで展開された説教論の特徴は、次の点にあった――@「近代プロテスタント主義の悲惨」・欠陥の「全体は、その宣教が主題説教になってしまった」点にある。したがって、A「説教にとって不可欠な条件は、信仰告白箇条をとり上げる」点にある(313頁)。すなわち、説教の無条件的な出発点と目的は、「新約聖書において聞く啓示、和解」としてのイエス・キリストの死と復活の出来事の啓示、その内容である「インマルエル、神われらと共にいます」である。説教者は、この証し・証言としての「聖書への絶対的信頼」に基づく「聖書講解であることの義務」を負っている。その「聖書は神の言葉となる」ところで、「聖書は神の言葉なのである」。したがって、「説教者が、実際の生活にはなお多くのことが必要であって聖書は生きるために必要なことを言いつくしていない(≪人間の感覚や知識を内容とする経験・情報が不足している≫)、と考えるようなことがある限り、彼は、この信頼、信仰を持っておらず、真に信仰によって生き」ようとしていないのである。その場合、その説教者の説教は、その最初から、<自然神学>な「存在ノ類比」に依拠した、彼自身の「独自な」言葉に過ぎなくなるのである。言わば、「聖書神学と自然神学の結合……の実際的適用以外の何物でもない」ものとなるのである。福音は、「われわれの思考や心情の中にあるのではなく、聖書の中にある」から、説教者は、「思想」、「最高の習慣、最良の見解、そのようなものいっさい」を、聖書に「聴従」することの前で、「放棄」しなければならないのである(『説教の本質と実際』)。また、バルトは、同じ冬学期に、19世紀神学を「三度目に取り上げ」、「敬虔主義と啓蒙主義」は、「外面的に違っている」が、内在的には<自然神学>的な試み、すなわち「『主権を要求する人間の自己意識の中に神を組み込む』試みだという点で一致している」、と述べた(315頁)。

 

5)1933年1月30日、ヒトラーが政権の座につく。バルトは、「愛するドイツ国民が偽りの神を礼拝し始めるのを、……見た」。この萌芽は、1932年6月に誕生した「帝政復活を目ざす復古主義、権威主義政策を進めようとした」パーペン内閣にあって、「結果的にはワイマール共和国の崩壊、ヒトラーの政権奪取の端緒になった」。この「パーペンが、次にシュライヒャ−が宰相になった時、バルトは、「自分の部屋で荒れ狂い」、「暗い預言を口」にした(317頁)。バルトは、教会が、そのナチ国家に対して、それは「敵対者」だというように認識し自覚する能力を持たないことを知る。すなわち、バルトは、教会が、「教会自身とその使信と教会形態をナチ国家に『統制化』せよという要求」を、「即座に、明確に拒否することはできなかった」ことを見る。バルトは、『時の間に』の「友人たちの一部」、「学生と聴講者の一部までが」、その統制化に「加担し、あるいは少なくとも黙って承認するのを」、「悲しみと驚きをもって見つめ」た。「1933年には、……青年宗教改革派の一人として、さらにしばらくの間は<ドイツ・キリスト者>の仲間として登場」したゴーガルテンについて、バルトは、「ゴーガルテンが1920年代に行った『権威』についての講演その他を聞いて、すでにその頃から、この人はナチズムの知的創立者の一人だと考えていた」(319頁)。こうした危機的な政治的状況の中で、バルトは、自らの責任を、福音主義的教会が「支配的となってきた世界観的状況とイデオロギーに対して聖書の福音をしっかりと保持しつづけるように協力」し奉仕する点に置いた。そして、バルトは、神だけでなく人間も――否、人間が第一・そして次に神、神と実存、神と秩序、神と国家、神と民族、神と「異なる神々」・偶像という設定の仕方の非情な「危険を嗅ぎ分けた」。したがって、バルトは、「第三帝国が始まったばかりの時期」に、『神学の公理としての第一戒』の講演で、キリスト教界に対して、「究極的には『あらゆる自然神学と訣別して、……イエス・キリストにおいて自らを啓示する神にのみたよる……べきである』と呼びかけた」(319・320頁)。反ナチ官吏の弾圧法である『職業官吏階級の再建法』によって、「おおくの教授たちが、次々に罷免されたり、左遷されたりした」。1933年3月に社会民主党はそうした該当者に対して、「社会民主党員であることのためにその官吏資格を」犠牲にする必要はない(「内面的だけの党員でいい」)という通達・勧告を出した。パウル・ティリッヒは、その通達・勧告に対して、「個人的に承認した」が、バルトは「断乎として拒否し、今こそまさに公然と党員であることに固執すべきだとした」。6月、「社会民主党は完全に禁止され、解党した」(320・321頁)。同月、バルトの影響下で、「第三帝国下の教会に対する(改革派教会からの)最初の警告」である「デュッセルドルフ十四か条テーゼ」が制定されたが、その第一テーゼは「今日のキリスト教会は、その唯一の首はキリストであり、神の言葉によって生まれ、神の言葉にとどまり、他の者の声に耳を傾けることはない」、というものであった(321頁)。同月から7月にかけて、「教会とナチ国家との統制化要求を掲げ」たドイツ・キリスト者信仰運動の「強力な増大と扇動活動の中で、論文『今日の神学的実存』が書かれた。バルトの神学的実存の在り方は、教会はもっと社会的政治的実践が必要だ、といつも声高に叫ぶところにあるのではなくて、「私は……私がいつも語ろうと努力してきたこと(中略)われわれは神と並んで、いかなる神々をも持つことはできないということ、聖書の聖霊は、教会をあらゆる真理へと導くのに十分であること、イエス・キリストの恵みは、われわれの罪の赦しとわれわれの生活の秩序にとって十分であることを語った」・こうした「一貫した繰り返し」において「かつて私が語った教説」が、ある状況下において、「呼びかけ、要求し、戦いの標語、信仰告白にならざるをえなかった」、「おのずから実践に、決断に、行動になって行った」、という位相のものであった(324頁)。

 

 バルトは、次のような、神学的実存における良質な思想的原則を持っていた。
@「世界の救いを何かある国家的、政治的、経済的または道徳的な諸原理や理念や体制の内に求め」ようとしないで、「私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストを、いっさいのものにまさって恐れ、かつ、愛すること、神を、大きな問題においても、小さな問題においても、彼がかってあり、いまあり、やがてあり給う権威のままに肯定し、是認すること、私たちの個人的、社会的生活を敢えて律して、すべての善きものを神から、神からすべての善きものを期待」するべきである(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。
A「不毛な反抗や反論を避けて」、「西でも東でも等しく通用し、西でも東でもひとしく稀であり、人々に好まれぬ福音に、無償の恩寵によって、素直に止まる」べきである(前掲書)。
B「われわれは平和を維持するためにできる限りのことをしなければならない」。しかし、「このことは、われわれは平和主義者でなければならないということを意味しない。平和主義は一つの絶対主義だ(すべての主義のように)。われわれは神には服従するが、一つの原理や理念にはしない。したがって、われわれは最後の手段のために、(≪民族国家・政治的近代国家が存在する限り≫)戦争の可能性はあけておかなければならない」(『バルトとの対話』)。しかし、過渡的問題としては、国家を大多数の被支配としての一般大衆・一般市民にどこまでも開いていく課題があり、究極的永続的には国家を無化する課題がある。
C「西の獅子に全力をあげて抵抗しないような人びとは、決して東の獅子にも抵抗しえないし、また事実、抵抗しない」(『共産主義世界における福音の宣教 ハーメルとバルト』)。
D「人間の公私の生活においては、絶えず新たな支配が行われるような仕組みになっている」・「国家は支配であり、文化は支配」である。したがって、「どのような国家形態にも、どのような文化傾向にも、無条件に『然り』とは言わぬ」(『啓示・教会・神学』)。

 

 また、バルトは、教会の宣教における良質な思想的原則も持っていた。
@教会の宣教は、その「正しい注釈」を、「先ず第一義的に優位に立つ原理」としての啓示であるイエス・キリストに、そしてその証し・証言・証人としての聖書に基づいて行わなければならない。すなわち、三位一体論の唯一の啓示の類比としての「神の言葉の三形態」に基づいて行わなければならない。
A教会の宣教は、その「正しい注釈」を、「最終的に……教会の教職の判決に、……間違うことはありえないものとして振る舞う歴史的――批判的学問の判決に、依存」してしまってはならない。
B教会の宣教は、「福音が純粋ニ教エラレ、聖礼典が正シク執行サレルということ」がなされないままに、礼拝改革・社会的政治的実践・キリスト教教育とか、教会と国家および社会との関係とか、国際間の教会的な相互理解というような領域で、「何か真剣なことを企て遂行してゆくことができると考え」てはならない。また、教会の宣教の規準を、聖書と同時に、「最上の仕方で基礎づけられ、熟慮に熟慮を重ねられた人間的な判断」あるいは「哲学、道徳、政治」等に置いてはならない。
C教会の宣教は、「特定の人種、民族、国民、国家の特性、利益と折り合」おうとしてはならない。
D教会の宣教は、ある「社会機構、あるいは経済機構の保持」・「廃止」に貢献しようとしてはならない。
 したがって、「神的要素」と「人間的要素」の構造としてあるイエス・キリストの教会の宣教は、神性を本質とするイエス・キリストにおける一回的な唯一の出来事である啓示の客観的現実性にのみ信頼し固執した宣教に赴くべきであり、それ以外の一切から「無条件に開かれ、自由でなければならない」のであり、「神を恐れるべきであって、世を畏れるべきではない」のである。すなわち、教会の宣教は、そのような説教と聖礼典を行っているかどうかを、聖書を規準として絶えず繰り返し、自己吟味し・的確に「批判し、訂正」していかなければならない。(@からDまで『教会教義学 神の言葉』)

 

6)「ドイツの教会は……一九三三年の夏に、ナチズムの成功とその理念のもつ催眠術的な力によって、その教理と制度に関して、いわゆる(≪「ヒトラーに大々的に支持された」≫)<ドイツ・キリスト者>の支配下に陥い」っていった。すなわち、「実に神の名において、神の呼びかけのもとに」(トゥルナイゼン『ドストエフスキー』)、その法的言語や政策的言語を介して、ヒトラーー政権に、その国家共同性に加担していくことになった。こうした<帝国>教会共同性において、「プロイセンの教会総会は<牧師職と教会行政職の法的地位に関する教会法>を採択したが、そこには『わざわいなるアーリア条項』が含まれていて、……非アーリア人種と、非アーリア人と結婚した者とは、もはや教会関係の職につけなくなってしまった」(325−327頁)。バルトは、同年10月に、『時の間に』誌から「訣別」した。なぜならば、当初から知識的言語によってナチズムに加担していたドイツ・キリスト者のゴーガルテンの、神と「異なる神々」、すなわち神だけでなく神と「ドイツの民族法」もという、「存在ノ類比」的な感じ方の様式・考え方の様式・行動の様式は、まさしく<自然神学>的なそれであり、<自然神学>そのものであり、そこには、その<自然神学>に基づく「新プロテスタント主義の本質的部分の、究極の、最も完成された、最悪の再現以外の何物をも、まさにそれ以外の何物をも見出すことができな」くなったからである。トゥルナイゼンは、このバルトと歩みを共にした(328頁)。「権威」としての天皇、天皇制の信奉と、それとの関わりの下に死に追いやれた大多数の被支配としての一般大衆を念頭に置いた戦争廃絶の構想も持たずさらに靖国参拝をも主張する馬鹿げた似非使徒の佐藤や富岡幸一郎の行きつく果ては、ここにあるような<自然神学>的なゴーガルテンの道でしかないのである。このことを神学的言語ではなく、人間学的言語でいえば、吉本隆明の言い方――すなわち、現在も、「いかにもマスコミ受けするような、明るくて建設的なことをいっている政治家とか知識人とか文化人とかが、一杯います」。しかし、「そんなやつらは、一番ダメで、そんなやつらこそ、一番危ないんです。いざとなった、真っ先に、『戦争をやれっ、やれっ』っていうのは、そんなやつらに決まっています」。したがって、軽率な明るさで以て、「そんなやつらを信じちゃいけねえということだけは、確実にいえます」、となる。

 

 バルトとトゥルナイゼンは、1933年10月から『不定期出版の双書』(後に、『今日の神学的実存』となる)を刊行した。この刊行は、編集活動が禁止される1936年10月まで続いた。これとは、別に、1934年4月以降、『福音主義神学』という雑誌も刊行された。バルトは、この雑誌の刊行と同時に、1933年10月に、講演『決断としての宗教改革』を行っている。そこでバルトは、根本的な<自然神学>批判と、それに対する「糾弾」の必要性について述べている――教会は、「イエス・キリスト」をのみ根拠・原理・原動力とすべきであって、<自然神学>的な信仰・神学・教会の宣教・キリスト教のように、神・福音だけでなく神・「福音と民族」を根拠・原理・原動力とすべきではないから、後者の「在り方」を批判し「糾弾」することを「決断」すべきである、と述べている。そして、バルトは、その講演で、ナチズムに加担するそうした教会の<自然神学>に基づく運動に対して、「無制限に、喜びに満ちて」抵抗せよ、「彼らの槍を撃て! その槍は空洞だから」と呼びかけた。1933年12月に、「御自身がユダヤ人であり、異邦人とユダヤ人のために死に給うたイエス・キリストを信じる信仰をもちながら、今や確実に日程にのぼっているユダヤ人の侮蔑と迫害に、簡単に協力することはできない」、という説教を行った(328−335頁)。こうした「かつて語った説教の一貫した繰り返しが(ある状況下において、その状況に抗するそれとして)おのずから実践に、決断に、行動になって行った」、という点に、バルトの神学的実存の在り方があったのである。

 

6)1933年の終わりに、「ドイツ・キリスト者による教会の異質化に対する抵抗」――すなわち「組織的・教会的な規模」での抵抗が行われ始めてきた。それは、先ず「マルティン・ニーメラーの指導の下」での「牧師緊急同盟」であり、「それからさらに広い基礎の上に<告白教会>が設立された」。このドイツ告白教会の「戦いは、ナチズムそのものに対するものではなかった」・教会自体が外在的に「将来においても教会でありつづけるかどうかという問題をめぐっ」たもので扱い方が「狭い」ものであったが、バルトは「差し当たりは、……この線上のみで活動」した。1934年初め、告白教会の形成と確立にとって重要な「改革派教会大会」が行われた。この大会の「中心議題」は、バルトによって起草された『今日のドイツ福音主義教会における宗教改革信仰告白の正しい理解に関する宣言』の取り扱いにあった。大会では、この宣言の採択と共に、改革派連盟所属とドイツ・キリスト者所属とは「両立しえないとの決議」が行われた。バルトの宣言の「一つの主要なテーゼ」は、「今日の『本当の問題』」は、「聖餐式の問題」にあるのではなく、「教会闘争における教会の抵抗のあらゆる可能性」の根拠・原理・原動力である「第一戒の問題(≪神性を本質とするイエス・キリストにのみ信頼し固執する問題≫)」の死守にあった――すなわち、それは、一切の<自然神学>に対する根本的な批判と抵抗にあった。それは、「神の意志とわれわれの願いが一つになってしまうような自然啓示……が存在する」と主張する、「つまり『神の啓示と並んで……教会の使信と形態に関する人間の……自主的決定権がありうる』とする」根本的な誤謬に対する、根本的な批判と抵抗にあった。1934年4月、バルトは、パリのプロテスタント神学部において、「彼の教義学の主要思想を総括する概観」としての「『啓示――教会――神学』という三概念について三回の連続講義」を行った。(335−343頁)。

 

7)1934年5月、ドイツ福音主義教会第1回告白会議において、「ドイツ福音主義教会の今日の状況に対する神学宣言」(バルメン宣言)が採択された。この宣言の原理は――すなわち、ほんとうは、バルトだけがそのことに対して自覚的であったかもしれないその原理は、一切の<自然神学>の<超克の原理>としての、「教会の主」である<神性>を本質とする「イエス・キリスト」(唯一無比の啓示の客観的現実性)にのみ、あった。「誰が」・「何がそもそも世界と教会を支配しているのか」、「われわれは誰に耳を傾けなければならないのか」、「誰を信じ」、「誰に服従し」、誰に信頼し固執しなければならないのか――それは、「われわれを結合するものは、一にして、聖なる、公同の、使徒的教会のただひとりの主」である<神性>を本質とする「イエス・キリスト」(唯一無比の啓示の客観的現実性)である。この「主に対する信仰告白である」。バルトにとって、このバルメン宣言の重要性は、「この本文(テキスト)は、福音主義教会がその信仰告白という形で<自然神学>の問題と対決した出来事の初めての記録」という点にあった。ただバルトは、後に、「草案にユダヤ人問題」を「組み込まなかった」ことは、「『重大な失敗』だと考えるようになった」(343−347頁)。

 

8)1934年の夏、ブルンナーは、『自然と恩寵』という論文で、「正しい自然神学の復帰こそが現代の神学世代の課題である」と主張した。それに対して、ブルンナーは「存在ノ類比」というローマ・カトリック主義の根本的な誤謬と「危険に陥っている」ということを見抜いたバルトは、「直ちに反応して」、『ナイン!――エミール・ブルンナーに対する答え』を書いた。なぜならば、ブルンナーの理論は、教会に、<自然神学>に基づく根本的な誤謬を繰り返させるものでしかないからである。具体的には、中世スコラ神学が「キリスト啓示とならぶ自然啓示を認める自然神学を立てたことが、中世末期の人間の行為(業)による義認の考え方に道を開いた。宗教改革者たちは、この業による義認を批判攻撃したが、その神学的根底としての自然神学の批判にまで徹底しなかった。宗教改革者のこの非徹底が、ルター派的二元論を支えとしてドイツ・キリスト者の民族の神、『非ユダヤ的英雄』イエスの信仰の登場を可能とした」からである。したがって、ブルンナーのように、「キリストの啓示の外に人間の理性に『神と人間の結合点』としての役割を与えることは、『200年以上にわたって教会の荒廃を準備してきた』あの誤りを再びくりかえすことになる」、とバルトは彼を批判したのである(348−356頁)。
 その例示――ルター主義的神学者の倉松功は、『ルターとバルト』で、次のように述べている――「『ルターによれば文明の建設と発展は理性・知能の課題であり、全人類の課題であり、特定の宗教の特権ではない。ルターの二つの統治の区別は、かれの文明論の恒常的基礎である。その区別が人間の責任と活動の分野を自由にしている。(中略)被造物的・生物的現実……の中にわれわれに直接出逢う当為の要求が自然に存在する。その要求こそ心に記された理性の基本的規範である。ルターによれば、こうした文明の体系は全体として、神律的側面と相対的に自律的な側面とを持っている。神律的というのは、文明を担う諸力は神の恒常的創造者としての活動であるという意味……相対的に自律的だというのは、神の創造者としての働きは人間理性によって把握されるからであり、理性に基づく、人間の神との共働の行為は自発的に形成されるからである』」。私たちは、この言説に対して、すぐに疑問が湧く。相対的にしろ「神の創造者としての働きは人間理性によって把握される」とするならば、何が神の働きによるもので、何が神の働きによるものではないのか? 「当為の要求が自然に存在」・「その要求こそ心に記された理性の基本的規範」と言うけれども、何がそれであり、何がそれではないのか? 百人百様の恣意的規範が存在するのではないか? 遅延させることはできても停滞させたり停止させたり逆行させたりすることができない科学・技術や文明の発達は自然史的必然であるとすれば、人間の責任と自由は、遅延させることであるのか、エコロジーを標榜・促進することであるのか、科学主義を標榜・促進することであるのか、貧困格差の問題が民族国家の支配上層の責任の問題であるのなら、彼らを引きずりおろさなければならないのではないのか、また人間を社会的現実的に解放するための国家の無化を伴う革命の究極像をどのように考えているのか、こうした問い・疑問に対して何一つ根本的に明確に答えられていない。一方通行的一面的皮相的部分的独断的固定的な倉松の<自然神学>的な神学は、人間学としても神学としても非自立的で中途半端な全く役立たずのものでしかないのである。

 

 バルトは、宣教は「人間の側に『結合点』を求めなくてはならず、また『結合点』を前提しうるというブルンナーの理論」を、全面的に否定した。なぜならば、「父と子ヨリ来たり、それ故神として啓示され、信じられる聖霊は、聖霊みずからが設定するもの以外のいかなる結合点も必要としない」からである(348頁)。「聖霊は、人間精神と同一ではない」・「人間が聖霊を受けることを許され、持つことが許される場合、(中略)そのことによって、決して聖霊が人間精神の一形姿であるなどという誤解が、生じてはならない」。聖霊によって更新された人間理性も聖霊ではない(『教義学要綱』)。
 ブルンナーは、自らの神学を「すこぶる宗教改革的」であり、「全くカルヴァンの思想に近い」・神の像の形式的側面に関する思想と「『ほとんど全く』同じ」と主張した、とバルトは述べている。それに対して、バルトは、次のような根本的な批判を加えている。
@ブルンナーの人間に固有な「結合点」は、啓示神学に対して、それをも規定し得る「独力で立」った「堅固な下部構造」である。この概念は、神と人間との無限の質的差異を揚棄してしまうものであるから、首肯することはできない。(『ナイン!――エミール・ブルンナーに対する答え』)
Aカルヴァンは、「天地万物からする神認識とキリストの中での神認識との二つの神認識について語った」が、ブルンナーとは違って、啓示に対するまたキリストの中での新生活に対する「結合点を見出していない」。すなわち、「聖書以外にさらに聖書を補う別な啓示の根源を、理性や歴史や自然の
中に何とかして求め」、それらに独自性を与えて、「後から追加的に『何らかの仕方で』……発言せしめる」ことをしていない。(前掲書)
Bカルヴァンの認識のベクトルは、ブルンナーと違って、「天地万物の中における神認識」は、「キリストの中における神認識そのもの」において可能であるとする。(同書)
Cブルンナーは、内容的には「神の像」は「全く失われてしまって、人間は徹底的に罪人であり、人間の中には罪で汚されてないものは何もない」と語るのであるが、「人間には啓示なくしても」、「人間自身が本来持っていて、そして啓示の中で言わば甦って来る」、人間に内在する「啓示能力」・「言語能力」・「言語受容能力」・「呼びかけられうる能力」があると言う。それは、「人間の持っている『神の像』」であると言う。すなわち、ブルンナーは、「啓示の中で初めて甦って来るところのものである」としても、「啓示に先立つ『啓示能力』」・「結合点」(《人間的自然・人間的契機の直接性》)を主張する。この人間に固有な「結合点」は、罪人からも喪失してしまっていない「形式的な神の像」である、と言う。それは具体的には、人間の「人間性」・「理性や応答責任性や決断能力」のことであり、「神の啓示に対する客観的可能性」となるものである、と言う。この「形式的な神の像」は、その神学の認識方法および概念構成において、神と人間との無限の質的差異を揚棄し、神と人間・神学と人間学との混淆論・共働論を目指すものであって、首肯することはできない。(同書)
Dバルトは『教会教義学 神の言葉』で、ブルンナーの目指している神学的課題が、「理性的思惟の絶対化〔絶対主義〕」「理性万能の妄想と理性の孤立の中」で、「神的汝をあこがれ求めている理性を解放する」ことにある、と述べている。このバルトの言説に即して言えば、ブルンナーの「神的汝をあこがれ求めている」「自信過剰」の半減された「近代的精神」・人間的理性・思惟は、新たな神との「共働者」関係の構築を目指すそれであって、首肯することはできない。(『教会教義学 神の言葉』)

 

9)バルトは、「監督制・参事会制がもつ権威主義的・合法主義的感覚と傾向」と、観念的威力として残存し続ける<自然神学>の伝統的根強さに基づく「ドイツ民族主義たちのもつ意識」が、「プロテスタント教会の抵抗運動」の完全な展開を妨げた、と述べている(356−359頁)

 

10)バルトは、「1934年11月7日付で彼に要求された<総統>に対する、規定通りの形による忠誠宣誓」――<自然神学>の政治的形態であるこの宣誓は、8月に「国家元首に関する法律」により首相と大統領の両職務が統合された時から、全公務員に義務づけられた――を、その忠誠宣誓は「福音的キリスト者としての責任(≪「第一戒」を守り抜く信仰的神学的責任≫)を負い」得ないものとして、その忠誠宣誓を拒否した。そのために、バルトは、大学教授という「職業が要求する尊敬と名望と信頼を受けるに値しない」者として、「突然……停職処分を受けた」・「講義中止命令」を受けた。そのことに対する学生たちの抗議も、バルトの「ボンの領邦裁判所」への異議申し立ての訴えも斥けられ、彼は「罷免」された。バルトは、「告発され、(中略)有罪判決を受け」た。バルトは、その裁判で、福音的な信仰者神学者として、次のように「釈明」した――「国家は教会を承認することによって、国家として自己に措定された限界を、国家自身のために肯定」しなければならない。「そして、国家公務員としての神学教授は、この限界を守るために国家自身によって任命された見張番」である。「全体主義」的独裁制を容認することは、「ヒトラーを受肉した神とすることになり、第一戒に対する最も重大な違反を犯すことにな」る、と。いずれにせよ、ケルンにおける審問を経て、「職務罷免処分」が「決定された」。その後、バルトに対して、「全面的な講演停止が……通達され」、「彼の活動は……個人的な話し合いや討論に限られることになった」。そうした中で、バルトは、オランダのユトレヒト大学において、『使徒信条に従って論述された教義学の主要問題』について講義し、それを『我信ず』という表題で出版した。この書も、一切の<自然神学>の系譜に属する信仰・神学・教会の宣教・キリスト教の根本的な止揚と、そこからの超出を目指している――「キリスト教の信仰は……神がそして神のみが対象であるかどうかによって、立ちもし、倒れもする」・神性を本質とする「『イエス・キリストを認識すること』が『創造を信じる信仰の起源』となる」。また、そうした中でも、バルトは、「大学教授以外の場所であっても神学教師として」ドイツに「とどまりたいと願っていた」。しかし、「『最終的な、責任ある形での招聘』はどこからも来なかった」。「それどころか、告白教会そのものの戦列からも、(≪バルトに対する≫)嫌悪感や反感が、ある人たちは彼の神学に対して、ある人たちは彼の政治姿勢に対して、またある人たちは彼の個人的要素に対して湧き起こるのが(≪バルトには≫)感じられるようになった」。1935年6月、「バルトの不参加と招聘取り消しを条件」に、アウクスブルクで「第三回信仰告白教会会議」が開催されたが、バルトは、そこでの教会共同性・「宗教知識」は、教会内部で閉じられた、党派的知識・党派的共同性でしかない、と批判した。言い換えれば、その知識や共同性は、「『貧しい、低きにいる民』に下っていかない」それであり(『説教の本質と実際』)、「町や村や料理屋や宿屋の人間の現実生活」から遊離したそれであり(『ルートヴィッヒ・フォイエルバッハ』)、ある社会や時代を生き生活する大多数の被支配としての大衆像と大衆的課題を繰り込むことのでき得ていない水準のものでしかなかった、ということである。一言でいえば、状況論なき、往還思想なき、それである。

 

 1935年6月、バルトは、ベルリンにおける上告審判決で、ケルン裁判所の判決は破棄され、罰金刑だけに処せれた。そして、「公務員職務再建法」「第6条」によって、退職処分となった。その直後に、「バーゼル市政府閣僚」からバーゼル大学の「員外教授のポスト」への「招聘」があって受け入れた。ただ、「スイスの国土防衛を積極的に支持する」という条件がついていたが、「当時の状況下では(≪バルトは≫)喜んで受け入れられるものであった」。(359−369頁・372頁)

 

11)私たちは、ブッシュの記述から、バルトにおける「エキュメニズムの問題」は、<自然神学>的な寛容の精神に基づく安っぽい通俗的外在的皮相的なエキュメニカル運動や党派的多元主義運動を標榜する者たちのそれとは全く違って、まさしく神学における思想の課題としてのそれであることを知ることができる。すなわち、バルトのその「エキュメニズムの問題」は、「教会の具体的な頭であり主である」、神性を本質とするイエス・キリスト(神の側の真実・主格的属格としての「イエスの信仰」・啓示の客観的現実性・キリスト論的集中)にのみ信頼し固執することにおいて、信と不信、知と非知、キリスト者(教)と非キリスト者(教)の枠組を取り除き、両者を架橋し、信・知・キリスト者(教)を、現にあるがままの不信・非知・非キリスト者(教)に対して完全に開くことにあった。バルトは、この神性を本質とするイエス・キリストをのみ、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成とすることによって、<自然神学>的な党派性・党派的思想・党派的共同性・党派的多元主義を根本的に包括し止揚したのである――したがって、バルトは、この意味において、「諸教会の多様性は、豊かさではなく、危機であり、罪である」から、「この多様性の克服は、相互の寛容によって達成されるのでも、またそもそも『造り出されるのでもなく、むしろイエス・キリストにおいてすでに実現された教会の一致に対する従順の中にのみ、見出され、また承認されるのである』」、と述べたのである(373頁)。
 バルトは、『証人としてのキリスト者』においては、次のように述べている――すなわち、バルトは、私たちは、「心を頑固にし福音を認めない人間」や「異教徒」に対して、「恵みから語り、恵みについて語るという以外のこと」をなすことはできない。すなわち、私たちがそうした人々に呼びかけることができるのは、
@「私がその人をその中に置くことによってではなく」、
Aイエス・キリストが(≪神性を本質とするイエス・キリストが≫)すでにその人をその中に(≪イエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済(史)、神の側の真実、啓示の客観的現実性の中に≫)置いてい給うことによってである」。したがって、私たちは、「キリストにあるものとしての人間のために、努力し得るにすぎない」、
と述べている。
 このバルトの信仰の完全な開放性について、ブッシュは、『バルトの生涯』で、次のように述べている――「教会は、(中略)信仰の完全な開放性において理解されなければならない。その信仰の開放性においては、『イエス・キリストは≪マルクス主義者≫のためにも死に給うたのだが、また≪資本主義者≫と≪帝国主義者≫と≪ファシスト≫のためにも死に給うた』ということから出発することができる……」、と。

 

 さて、ブッシュは、『福音と律法』論の事柄について、バルトが「律法と福音」という伝統的順序を「福音と律法」という順序に正立させることで、「ルターに対する」・「ルター主義に対する重要な訂正」を求めた、とだけ述べている。これでは、何も述べないのと同じである。ほんとうは、この書におけるローマ3・22およびガラテヤ2−16等の「イエスの信仰」の属格理解に対する、このバルトとルターの差異は、両者の間に根本的総体的究極的差異を惹き起こすそれであり、<自然神学>と<超>「自然な神学」とを区別・峻別する根拠・原理となるそれなのである(すでに、「福音と律法」論は論じているので、ここでは省略する)。そして、バルトのその信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成は、唯一、現在から未来に生き得るそれであり、またほんとうは、根本的総体的究極的な宗教改革をもたらすそれであり、そしてまた、「イエスの信仰」を目的格的属格として理解しているところの、旧訳の新約聖書も共同訳の新約聖書も、ローマ・カトリック主義も、近代主義的プロテスタント主義も、アウグスティヌスも、トマスも、ルターも、シュライエルマッハーも、ブルトマンも、モルトマンも、ルドルフ・ボーレンも、滝沢克己も、エーバーハルト・ユンゲルも、……等々も、もちろん、「火宅の人、バルト」と彼とキルシュバームとの対関係が日本では封印されていることを得々と意味あり気に喋りながら・バルトの「イエスの信仰」の主格的属格理解を完全に封印してしまう佐藤も、すべて、<自然神学>として総括できるそれなのである。そうであるなら、主格的属格理解に立脚するバルトは、自然神学を超出した<超>「自然な神学」を<完全>に生き抜いていたか、と問ういてみる。そうすると、私たちは、次のように言う以外にないだろう。
@確かに、バルトは、信仰者・神学者として、その信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成それ自体において、初めて、一切の近代主義・一切の<自然神学>を根本的に包括し止揚して、そこから<超>「自然な神学」へと超出した。一切の近代主義・一切の自然神学を根本的に包括し止揚して、そこから超出する方途は、バルトのそれ以外にあり得ない――したがって、ここに、神学における思想家・バルトの、信仰・神学・教会の宣教に対する最大の功績、がある。しかし、
A一方で、このバルトは、神に祝福された人間であるとは言え、彼も人間でしかない以上、あくまでも、終末論的限界の下で、自己相対化視座を持って、その<超>「自然な神学」の<途上>・<過程>を生きた、と言うことができる。なぜならば、現実的・実際的には、観念的威力としての<自然神学>の伝統的根強さにおける残余を、外在的にも内在的にも、完全に払拭してしまうということは、非常に困難なことだからである。
 いずれにせよ、ブッシュは、少なくとも、これらのことだけは、論じておくべきであった。(372−385頁)

 

 「自ら話す許可が得られず」、「国家警察の立ち会いのもと」・「イムマー牧師に朗読させ」た、このバルトの『福音と律法』の講演は、1935年10月にバルメンで行われたが、この講演の内容から、ドイツのキリスト者はそれはバルトの彼らに対する「訣別の辞」として受けとった(376・377頁)。なぜか? バルトは、次のように述べたからである――<主格的>属格としての「イエスの信仰」におけるイエス・キリストが信ずる信仰による神の義にのみ信頼し固着せよ、という福音の形式である律法(神の「誡め・要求・要請」)に対して、人間は、その無神性・その真実の罪ゆえに、人間の欲求・自主性・自己主張を手放すことはできない。したがって、人間は、福音の形式である律法を聞く時、「律法を悪用する」「罪の法則」によって「善きものを反対物に変」えるという人間的な「巨大な欺瞞」を惹き起す。このようになる根拠は、人間が、義認の唯一の根拠である「イエス・キリストが信ずる信仰による神の義」を、すなわちイエス・キリストが「律法の終わりとなられた方」であることを聞かず承認せず、神だけでなく人間の欲求・自主性・自己主張もという神との「共働者」であることを求め続けるところにある。このような神に対する「熱心さの無知」は、人間の欲求・自主性・自己主張・自己義認・無神性・真実の罪に基づいており、「神の要求」を、人間によって恣意的に曲解された「十誡・預言者の言葉・ソロモンの処世上の知恵・山上の垂訓また使徒の報告」に過ぎないものへと変えてしまう。この時、人間のその存在・その思惟・その実践は、「罪」に「勝利を収め」させる熱心さ・「不従順」・「虚偽」となる。なぜならば、その「無数の儀文」は、「偶像崇拝」・「神冒?」を生じさせるからである。ある者は「盲目的に」仕事へと没頭し、ある者は「人目をひくような簡素さと寡欲さに沈潜する」。また、ある者は「その時代の人間中の様々な敗残者に対して、熱心に博愛的配慮……教育的配慮を行う」ことに、ある者は「大規模な世界改良の偉大な計画」に邁進する。そしてまた、ある者は「大衆や時代の傾向と手をたずさえて、ある種の正義」に邁進する。「まことに空の空なるかな、である。これらすべてのことが、一体何だろうか」。このバルトの言葉は、神学における還相過程からの言葉である。すなわち、それは、「この世にあって、そこなわれた、弱い、困窮するすべての人々への黙々たる奉仕」は、先ず以て、神の側の真実(啓示の客観的現実性)である、イエス・キリストにおける完了された全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的救済(史)に対する感謝の応答としてのその告白・証し・宣べ伝えにある、ということである。
 もしそうでないならば、必ずや、次のような事態を惹き起こすに違いないのである――「ドストエフスキーの書いたあの大審問官は、神と人間に対して、疑いもなく善意をいだいていたのであるが、彼が神と人間に仕えようと願ったのは、ただ彼の善意(≪彼自身の対象化された自己意識の意味的世界・彼の管理するプログラム≫)によってに過ぎなかった。したがって、彼の奉仕は、最も洗練された支配行為に過ぎなかったのである。神と人間についての独断的な観念に基づく独断的に考え出された救いの計画と救いの方法が支配するところ、そのようなところでは、その意図がたとえどのように心から善いものであり、敬虔なものであっても、神に対しても人間に対しても、真に奉仕が行われることはないであろう。またそのようなところには、教会は存在しないのである」(啓示・教会・神学)。「彼岸の消尽点が画の中に移され、神自身が人間の霊魂的な、また歴史的な現実の構成要素となり、従ってもはや神ならぬもの、偶像となる。これが特に危険な……神への『反逆』である。その危険なわけは、それが、……実に神の名において、神の呼びかけのもとに行われるからである」(E・トゥルナイゼン『ドストエフスキー』)。阪神・淡路大震災の時、ある牧師が「武器を持って神戸市役所かどこかに押しかけて行って、被災者の住めるような建物をすぐにつくってくれと、職員を脅かした」ことを話すために、吉本にわざわざ電話をかけてきたその行為に対して彼は、その牧師は「じぶんがやったことを得々としゃべるわけです。ぼくは、ははぁ、戦前とちっとも変っていないやと思いながら聞いていた……。(中略)正義のために脅かしたのだと得々としゃべることは、ぼくらが戦争中に『お国のために』といわれたのとまったくおなじことで、そんなの、ちっともよくない」、「日本というか、あるいはアジアの特質かもしれません。ラジカルな人ほど、ほかの分野の人に対してじぶんを押し付けがちです。そういう傾向がとても強い」、と述べていた(『「ならずもの国家」異論』)。私は、この言葉を全面的に首肯する。

 

 最後に、@バーゼル大学の哲学科には弟のハインリッヒがいたが、カール・バルトとは「正反対に対立」し、「理解しあえな」かった。ハインリッヒは、カールに対して「彼もまた限界をもっているのだということを、一度はっきりと言ってやらなければならないような人間だ」と考えていた。私は、バルト者ではあっても別にバルト<主義>者ではないので、そうした第三者の観点から言えば、ハインリッヒのカールへの反発は、<自然神学>を根本的に包括し止揚してそこから超出するために、徹頭徹尾、神学と人間学との混淆・共働を拒絶するカールに対する反感にあるように思われる。なぜならば、ハインリッヒが、カールは「いかなる矛盾にも耐えることができない人間」と述べているからである。また、ハリンリッヒは、先の引用にもあるように、カールには「限界」の自覚がない、と述べているのであるが、それは違うので、カールのその信仰・神学の原理、その認識方法と概念構成は、それ自体に、終末論的限界の概念と自己相対化視座とを持っているのである。Aバルトが「その同僚たちの中で、『全面的に親密な関係』を保ちつづけたのは」、「実践神学の科目と説教学」を委任されていた「エドゥアルト・トゥルナイゼンだけであった」。しかし、そのトゥルナイゼンも、バルトの「一九二一年以来の……道程、すなわち教会教義学の問題への集中と、ドイツ教会闘争において得られた認識に対してあまりにも素知らぬ態度をとって」いた(382御エージ)。しかし、彼らは、共同編集の説教集『大いなる憐れみ』を出版した。それは、教会における、「テクスト説教」、すなわち「時事問題」を「主題」とはしない「『聖書釈義』」を本質とする説教の「実例であり傍証であった」(383頁)。
 バルトにとって、説教の無条件的な出発点と目的は、「新約聖書において聞く啓示、和解」であるイエス・キリストの死と復活の出来事の啓示、その内容である「インマルエル、神われらと共にいます」である。したがって、私たちは「キリストからすべてのことを期待しなければならない」。このことが「終末論」である。したがってまた、「キリスト教的終末論とは、キリスト論にほかならない」。ここで説教は、「感謝と確信と共に期待の態度と行動」である。「第一の来臨(≪誕生・死と復活≫と第二の来臨(≪終末・完成≫)との間(≪聖霊の時代≫)に、説教と、また同時にキリスト者の生活全体」とがある。説教は、説教者の自由事項や独占事項ではないのであるから、自分自身の言葉から由来すべきではなく、どのような場合であれ、その形式と内容において、「聖書への絶対的信頼」に基づく、「聖書講解であることの義務」を負っている。したがって、「説教者が、実際の生活にはなお多くのことが必要であって聖書は生きるために必要なことを言いつくしていない(≪人間の感覚や知識を内容とする経験・情報が不足している≫)、と考えるようなことがある限り、彼は、この信頼、信仰を持っておらず、真に信仰によって生き」ようとしていないことの証左である。福音は、「われわれの思考や心情の中にあるのではなく、聖書の中にある」から、私たちは、「思想」、「最高の習慣、最良の見解、そのようなものいっさい」を、聖書に「聴従」することの前で、「放棄」しなければならない。その「聖書は神の言葉となる」ところで、「聖書は神の言葉なのである」。その神の言葉の「出来事」の運動の中において、聖書によって導かれなければならない。説教者にとって、「彼らに語らなければならない彼ら自身に関する真理」は、「神がすでに為した」「わたしの前にいるこの人々のために、キリストは死に、甦られた」――神、罪深きわれらと共に、ということである。そこにおいて、説教は、「会衆」、「特定の場所と時における全く特定の現在の人間」の生活、「彼らの生活がイエス・キリストの中に根拠と希望とを持つことを語ること」である。また、説教者は、説教として語る場合、聖霊や聖霊の言葉を説教者の自由事項や独占事項とする神学者の小泉健のように、「聖霊が(あるいは別の霊であっても)言葉を吹きこむこととか、あるいは一つの構想を持っていることなどあてにしてはならない」。「説教は語ることであるが、……一語一語準備し、書き記しておいたもののこと」である。また、説教者における会衆の状況認識について、会衆は現在すべて知的大衆であって、「その生活を十分に知っており、実際のところ、牧師によって手ほどきされる必要はない」、ということに対して自覚的でなければならないのである(『説教の本質と実際』)。